きょうもラインボルト!

その1 イチゴのパイな一日

 ファイラス。
 それはラインボルト第二の都市であり、”首都の門”と言う異名を持つその都市は見事な城塞都市であった。
 規模と存在感はムシュウに劣るものの都市自体が持つ威容が揺らぐことはない。
 首都の門と呼ばれるだけあって都市を守る城壁は堅牢であり、十分な兵を配することが出来ればどのような敵も寄せ付けることはない。
 また、城壁の内に守られた都市はラインボルト第二の都市であり、そこに住まう者たちの喜怒哀楽を糧にして、莫大な富と物資をその身に集めていた。
 ファイラスが首都エグゼリスからかなり近い位置にあるにも関わらず第二の都市の名を冠されるには理由があった。
 エグゼリス以南から輸送される物資が一度、ファイラスに集められてから北部地域に輸送される中継点であることも理由の一つだが、その最たるものがその歴史だ。
 都市としての成立年数はファイラスはエグゼリスよりも長いのだ。
 ファイラスはラインボルト成立以前、リーズによって統治されていた時代には現在のラインボルト領土を統治する総督府が置かれた都市だったのだ。
 が、初代魔王リージュは都市機能の充実したファイラスよりも軍事的に有利な小城――現在の王城――を拠点と定め、ラインボルト建国後もそこを動くことがなかったためエグゼリスが首都として産声を上げることになったのだ。
 ラインボルト建国と首都エグゼリス成立に伴い、往時よりも都市としての力は減少したがファイラスはその歴史に裏打ちされた力を保つことでラインボルト第二の都市としての地位を保持し続けてきた。
 そのファイラスは今、フォルキス率いる革命軍主力によって本来の活力を抑え付けられていた。
 ファイラス制圧から三週間は経っただろうか。徐々にだがファイラスの住民たちも制圧された状況にも慣れ始め、この特異な状態を受け入れて日々を過ごしていた。
 それというのもファイラスを制圧した兵による略奪や暴行と言った事件が皆無ではないがほんの極少数で済んでいるからに他ならなかった。
 もし、それに反する者が出れば軍法に照らして厳正な処罰が下されたからだった。
 軍隊が一個の都市に集中していれば、それだけで問題が発生するわけで革命軍主力の首脳陣たちは自分たちを包囲するエルトナージュ率いるアスナ派主力に備えつつ、ファイラス内で起こる問題に対処しなければならなかった。
 幸い、と言う言葉が正しいかどうかは分からないがエルトナージュがファイラスを包囲することに専念し、積極的に攻撃に出てこなかった。
 エルトナージュが本気で攻勢に出てくれば内と外の問題で首脳陣はてんてこ舞いとなり、兵の損耗がそれほどでも首脳陣が疲労で倒れてしまっていたかも知れない。
 いや、エルトナージュの方に専念して都市内での諸事を疎かにして住民たちの暴動を引き起こしていた可能性もある。後継者が出現しているのだ。そうなる可能性は十二分にあった。現時点でもある。
 それでもそれが起きないのは住民への配慮と革命軍が掲げる主張に一定の理解を示しているからに他ならなかった。
 革命軍主力の中核である第二魔軍司令部では今日も今日とて兵たちの管理にまつわる諸事のために参謀を含めて司令部要員たちが走り回っていた。
 その中でも多忙を極めていたのが最高指揮官であるフォルキスの執務室だ。もっとも部屋の主は事務仕事を副官に任せて自分は兵たちの様子を見に行っていた。
 フォルキスの副官、マノアは次から次に持ち込まれる書類に目を通し、フォルキスに決済を仰ぐものとそうでないものとを選り分けていく。
 朝からずっとこの調子だったが、昼を過ぎたあたりで一つの山場を越えたのか持ち込まれる書類と来客の数がぐんと減った。
「マノア様。お客様をお連れしました」
 入室の許しを得て入ってきた司令部要員の青年は困惑を表情に浮かべつつ報告した。
「来客の予定はなかったはずですが」
 念のためにフォルキスの予定表をマノアはめくり始める。
「いえ、お客様と言うのはマノア様に」
「市政側がまた内々の話があると?」
「お客様が仰るにはマノア様にご恩返しをしたいと」
「ファイラスでそのようなことをしていただく覚えはないのですが。・・・・・・分かりました。お通しして下さい」
 敬礼とともに退室した司令部要員は程なくして一人の初老の男性を連れて入ってきた。手には何かの入った袋を提げている。
 パリッとした正装に身を包んでいるが、恰幅の良い腹が邪魔をして、あまり似合っているとは言えない。
 やはり、面識はない。だが、人の良さそうな笑みには好感が持てた。
 男性の笑みに応えるようにマノアも微笑を浮かべて席から立ち上がった。
「ようこそお出で下さいました。第二魔軍将軍付き副官、マノアです」
「ボンバドル通りのケーキ屋ファラレーゼの店主アーゼンと申します」
 マノアは握手を交わすとアーゼンに腰を下ろすように促す。
「私にお話があると伺いましたが」
「はい。貴女にぜひともお礼を申し上げたくて参りました」
「そうですか。ですが失礼を承知で申し上げますが、私にはアーゼンさん、貴方にそのようなことを仰っていただく理由が全く分かりません。貴方とは初対面だと思うのですが」
「私はそうです。ですが、ニーナ、いえ娘が貴女に・・・・・・その出来れば」
 アーゼンは部屋の隅で控える司令部要員の青年に視線を送る。それが何を意味するか分からないマノアではない。
「君、アーゼンさんにお茶をお出ししなさい」
「はっ。すぐに用意して参ります」
 彼も雰囲気で分かっていたのだろう。青年は幾分ホッとしたような表情を見せて退室した。当分の間、戻ってこないだろう。
「すいません。嫁入り前の娘のことなので」
「お気になさらずに。・・・・・・さきほどのお話ですが、もしかしてセズサム通りで」
 二日前のことだ。
 夜中にいきなりフォルキスが明日、兵の視察を行うと決めたためマノアは必要な書類を作成し、急いで視察する兵の指揮官にそれを持っていかないといけなくなった。
 本来ならば伝令が行うべき仕事なのだが、気分転換も兼ねて彼女が出ていた。市内状況を自分の目で見る良い機会だった。
 一見するとファイラスは一応の落ち着きを見せているようにも見えるが実際のところで無理がきている。城壁は固く閉ざされ、都市内を兵が闊歩する。緩やかだが規制も敷かれている。それだけで言いようのない不安を醸成させるのに十分だった。
 そのやり場のない不安に後押しされて不埒なことを行う者がでても不思議ではなかった。
 マノアがセズサム通りにさしかかったとき路地裏に引きずり込まれようとしているのが見えた。彼女の立場としても、彼女自身としてもそれを見過ごすことが出来ない。
 供を命じていた兵とともに引きずり込まれようとしていた少女を救い出し、不埒な行いをしようとしていた男二人を取り押さえて警備の詰め所に連行した。
 少女は事情聴取として詰め所に残ったためマノアと言葉を交わしたのは本のわずか。
 名乗ってすらいない。恐らく、詰め所でマノアのことを聞いたのだろう。
「ご息女はいかがですか?」
「おかげさまで何事もなく。これは・・・・・・」
 アーゼンはそこまで言って持ってきた袋の中から包装された箱を取り出した。花柄の包装紙がとても華やかだ。
「つまらないものですが、せめてものお礼です。お納め下さい」
 箱の中身が何であるかマノアは察した。この人の良さそうな男性がなにを営んでいるのか知っているのだから。
「お気持ちだけで十分です。我々は当たり前のことをしただけですから。それにこうなった原因は我々にあるかもしれないのですから」
「そうかもしれませんが、貴女が娘を助けて下さったことには変わりません。是非とも受け取って頂きたいのです」
 そこには何の打算も要求もない。ただ純粋に感謝する瞳があった。
 だが、ここで受け取れば革命軍側に便宜を図ってもらおうと金品を送ってくる者が出てくるかも知れない。
 お堅いマノアだが組織と交渉する際に賄賂が有効であることを認めている。ほんの僅かな賄賂ならば一種の円滑剤の役割をしてくれる。企業間で行われる接待などがその最たるものだろう。
 かといってこの状況での賄賂は弊害でしかない。目立つような優遇処置がなく公平であるからこそファイラスの住民もこの状況を甘受しているのだから。
「イチゴのパイがお好きだと兵士の方に伺ってこしらえてまいりました」
 重大な個人情報の漏洩だ。一体誰がこんなことをしたのか。思い当たる人物が多すぎて分からない。ともあれ後で調査の上、厳重注意しないと。
 だけど、イチゴのパイ。この内乱が本格的に動き出してからずっと口にしていない。
 あの、イチゴジャムの甘酸っぱさ。それにパイに練り込まれたバターの香りと砂糖の甘さ。考えただけでため息が漏れる。決して、表情には出さないが。
 それでもイチゴのパイなのであった。平時であれば素直に、ありがとうございますと受け取れるのだが流石に今の状況はとってもマズい。
 甘味と規律を天秤にかけながら迷うマノアに追い打ちをかけるようにアーゼンは言った。
「娘との合作です。お納め下さると娘がとても喜ぶと思います」
 陥落した。両親を早くに失ったマノアは憧憬とともに親娘のこういう話しに弱かった。
 それに贈り物がイチゴのパイなのだから尚更だ。
「分かりました。ありがたく頂戴いたします。ご息女にもそうお伝え下さい」
「はい。改めて、ありがとうございました」
 深々と頭を下げるアーゼンにマノアは笑みと頷きをもって返した。
「私が頂いた物ですが皆で分けても良いでしょうか?」
「えぇ、構いません。軍隊と言うところでは甘い物とは縁遠いと思いまして多めに持って来ましたから」
「ありがとうございます。皆、喜びます」
 会話が一段落したのを見計らったようにノック音がした。
 マノアの許しに従って入ってきたのは先ほどの司令部要員の青年。手にしたお盆にはティーセットがある。ティーサーバから注がれたお茶からは暖かな湯気が立っている。
 それから二十分ほど二人は談笑が続けられた。

 アーゼンが帰り、マノアも業務に戻った。フォルキスは未だに戻らず、その間に彼女は上げられてきた案件を整理し、すぐに命令書が出せるように書類を作り続けていた。
 西の窓から日が射し込んできた。時計を見れば、もうじきに三時だ。
「ん・・・・・・んんっ・・・・・・」
 背伸びをしてみれば年頃の乙女にあるまじきゴキゴキッ! と言う音が背中から響いた。
 苦笑とともに立ち上がると窓の方に歩み寄った。そして、カーテンに手をかける。
「・・・・・・・・・・・・」
 無言のまま、外を見るでもなく彼女は動きを止めた。
 クゥゥ〜・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・!?」
 三時を告げる時計の音に身体をびくつかせる。誰に聞かれ、見られたと言うわけでもないがマノア、赤面。
 シャッと遮光カーテンを閉めるとマノアは思い立ったかのように執務室を出ていった。
 丁度、三時だ。お茶をするには丁度良いだろう。
 司令部要員の皆と食べることにしよう。フォルキスと一緒ではなかったのが少し、いやかなり心残りだったが。
 本当にどこに言ったのだろう。
 文句の一つも言ってやりたいが、それを言い出せない自分がもどかしかった。
 司令部に顔を出したマノアの「お茶にしましょう」の言葉に、司令部要員たちは気を抜く吐息を漏らしたが、続く「イチゴのパイを頂きましたら、それも一緒に」で司令部はまるで大勝利を手にしたときのような歓声が湧き起こった。
 男女問わずの歓声にいかに甘い物に飢えていたのかがよく分かる光景だ。
「では、お茶の用意は任せます。私はパイを持ってきますから」
 普段よりも二割増しぐらい元気のいい了解の声にマノアは苦笑を禁じ得なかった。

 マノアが包装紙を外し、箱を開けると一斉に拍手が起こった。
 アーゼンに頂いたそれはイチゴジャムとホイップしたクリームをパイで挟んだものだ。司令部の人数も聞き出していたのかちゃんと全員分揃っている。フォルキスの分まであるのだから心憎い限りである。それに箱の中に店の広告まで入っており、そつがない。なにはともあれ、ありがたいことには変わりない。
「一人一つずつありますから。順番に取っていって下さい」
 一斉に司令部要員たちは列を作り、箱の中から銘々、パイを小皿に取っていく。
 彼女の性格なのか、フォルキス用のパイは一番に取り、自分のものは最後に取ることにした。
 次々と減っていくパイを笑顔で見つめていたマノアにここではあまり見かけない青年が声をかけてきた。
「ご休憩の所、失礼します」
 何度か顔を見たことがある。確か、第九軍の将軍付き副官だったはずだ。
「お気になさらずに。何用でしょうか?」
「先日の一戦での被害状況を纏めた資料をお持ちしました。それと・・・・・・」
「分かりました」
 マノアは強引に青年の言葉を遮った。
 一番、過酷な状況にある第二魔軍司令部と言えども自分たちだけデザートを食べてるのは外聞が悪いし、見られながらお茶を楽しめるほど図太い者もここにはいない。
「詳しいことは執務室で伺います。こちらです」
 役職の重みは違うが同じ副官同士。裏で調整しあうことも多い。
 マノアは自分と彼の分の紅茶を手にすると司令部から出ていった。
 些か後ろ髪引かれる思いだが、仕事が優先である。それにイチゴのパイは逃げないし。
 昔から好きなものは最後まで取っておくマノアは微妙に我慢強かった。

 マノアと第九軍の将軍付き副官が出ていってしばらくすると司令部は再び穏やかな喧噪が戻ってきた。
 張りつめたとまではいかないまでも過度の緊張が司令部内に篭もっていただけに頂き物のパイは本当にありがたかった。
 もちろん個々人で仕事の合間に休憩を入れているのだが、司令部としては、それこそ昼夜兼行で動いているのだ。司令部としての緊張感は抜けようがない。
 イチゴのパイと言うきっかけを与えられてホンの僅かだが司令部に篭もっていた緊張感が抜けていた。もちろん、緊急事態が起きればすぐに対応できる心構えではあるが。
 それだけにこんなやり取りがやっても誰も気にしなかったのだった。
「お帰り。マノアからの差し入れがあるから時間があったら一服すれば?」
「そうしたいのはやまやまなんだけどさ。市の方からの苦情を聞かないといけないんだよ」
「ご苦労様。・・・・・・はい、ティーセット」
「悪い。これ、もらって良いんだよな」
「良いわよ。けど・・・・・・」
「レナ〜、この書類、ちょっと間違ってるわよ」
「えっ。・・・・・・ゴメン、そう言うことだから」
「あぁ。それじゃ、これ貰ってくからな」
「えぇ!」
 そうして、箱の中から二つ、イチゴのパイが消えていた。
 そのことに気付かずに司令部は久しぶりの和やかな雰囲気の中にあった。
 その後、パイが一つしか残っていないことが判明し、司令部での緊急会議の末、残ったパイはマノアの物と言うことで全会一致で決定された。パイを貰ったのはマノアなのだし、なにより誰が一番、苦労しているのか彼らは良く理解していたのだった。

 だと言うのに、だって言うのに、マノア専用イチゴのパイはフォルキスの前にあった。
 視察と称して各部隊を冷やかしに回っていた彼は夕食後にマノアが纏めた書類に目を通して次々と署名をしていった。その素早さはまるで内容を読んでいないかのようだった。
 ともあれ全ての書類に署名を済ませると残務をマノアに任せると再び外出した。これだけ任せっぱなしなのだから、第二魔軍はマノアで保っていると言われても仕方のないことなのかもしれない。この状況をどうにかしようと副将ファレスがことあるごとに苦言を呈しているのだがあまり効果を発揮していない。
 マノアがその押し付けられた仕事を嬉々として行っているのだから当然だ。
 ともあれ夜の散策を終えたフォルキスは小腹を空かして戻ってきた。そしてそのまま給湯室に入るとおもむろに冷蔵庫を開けた。
 冷却系の魔導珠を組み込まれた冷蔵庫は一般家庭にこそあまり普及してはいないが、食料品を扱う業者や富裕層、国家の重要施設にはかなりの数が配備されていた。
 巨躯を小さくして冷蔵庫から溢れる冷気を顔に浴びる姿はかなり間抜けだったがそれを見る者はいない。もし、いたとしても見なかったことにするだろう。
 そのフォルキスが見つけたのがマノア専用イチゴのパイであった、というわけだ。
 フォルキスは見た目と普段の行動から、かなり大雑把な人物だと思われがちだが・・・・・・実際もそうなのである。だが、なぜか妙に紅茶を煎れるのだけは上手かった。
 手際よく煎れた紅茶を一口。すっきりとした香りが鼻から抜ける。
 頷き一つ。そしておもむろにフォークでパイを切り、一口。
「・・・・・・美味い」
 愛想の欠片もない一言だが、雰囲気からしてかなりご満悦のようだ。
 一口、二口とイチゴジャムとクリームで甘くなった口の中を紅茶でスッキリとさせる。
「お疲れさまです、フォルキス様」
「お前もな」
 言ってマノアの分の紅茶を煎れてやる。
「あ、ありがとうございます」
 フォルキスにただならぬ好意を抱く彼女にはたったこれだけのことが絶大に嬉しい。
 頬が赤い。数々の書類仕事で溜まっていた疲れが一気に解消されたような気分だ。
 そしてふと今の状況がそうあることではないことに気付いた。
 二人っきりでフォルキスとお茶をする機会など数えるほどしかなったのではないだろうか。それはとても素敵なことではないだろうか。
 そんなことが頭をよぎると彼女は普段の落ち着いた雰囲気がどこに行ってしまったのかぎくしゃくとしながら冷蔵庫の扉を開けた。
「・・・・・・・・・・・・」
 そして、固まった。
 司令部要員たちが彼女のためにととっておいたイチゴのパイがないのである。
 一段目を見ても、二段目を見ても、三段目を見てもない。当然だ。彼女のパイは最後の一切れを残して全てフォルキスのお腹の中なのだから。
「どうした、マノア?」
「・・・・・・・・・・・・」
 冷蔵庫を開けっ放しのまま固まるマノアは酷く普段とはかけ離れている。
「・・・・・・あの、フォルキス様。パイは、その」
「一つしかなかったが。・・・・・・もしかして、マノアのだったのか?」
 鈍感を地でいくフォルキスだが、さすがに気付いた。
「いえ。それはフォルキス様の物です。ですけど・・・・・・」
 意気消沈。今の彼女を表すのに最も相応しい言葉だろう。
 ガシガシと頭を掻くとフォルキスはフォークでパイを突き刺すと、
「マノア、口を開けろ」
「えっ、・・・・・・フォルキス様?」
「良いから口を開けろ」
 いわゆる、”あ〜ん、ぱくっ”である。
 思わぬ展開に首まで赤くしたマノアは、おずおずとその小さな口を開いた。
 そして、差し込まれるイチゴのパイ。
 イチゴのジャムの甘酸っぱさにクリームの甘さ、そしてバターの香りが渾然一体となって美味しさが口に広がる。それと同時にマノアの胸に嬉しさも広がる。
 フォルキスの手で、彼が使っていたフォークでパイを食べたのだから。
「美味いか?」
「・・・・・・はい」
 そうかと、わしわしとマノアの頭を撫でる。それは妹に行うそれと同じだ。
 マノアはフォルキスが自分のことを妹以上には見ていない事を知っている。
 だけど、いつか一人の女性として見てくれることを待っている。
 口に広がる甘さのようにはいかないだろう。
 だけど、いつかきっと・・・・・・。



《目次》