きょうもラインボルト!
その2 温泉宿な一日
俗に言うラメル撤退戦の翌朝。
ヴァイアスとミュリカはいつも通りの時間に起きて、朝食が運ばれてくるまでテラスに置かれた揺り椅子に身を預けて朝のお茶を楽しんでいた。
空は朱に澄み渡り、雲はまばらに浮かんでいる。まさしく快晴そのものだ。
二人の前に広がる光景も爽やかそのもの。青々とした草木が生い茂り、ポツポツとある色とりどりの花が朝露に濡れて光っている。その有り様は庭園と言うよりも草原である。
この光景には庭園のように意図した目的は感じられず、ただあるがままを受け止める。そういった感じがする庭だった。
変な話だが、宿場町ではなく山奥の山荘に遊びに来たような錯覚を感じさせる。
「・・・・・・・・・・・・ふぁ」
小さくミュリカは欠伸をした。隣に座るのがヴァイアスだからといって大口を開けるようなことはしない。小さく、口に手を当てて欠伸をする。
恥ずかしいからと言うのもあるが、これはもう王城で育った彼女の習慣のようなものだ。
そして再び欠伸。幾分、瞼も重くなってきているように見える。
体力も魔力も底をつき、ほとんど気絶するようにベッドに倒れ込んだ二人だったが、習慣とは恐ろしいものでいつも通りに起きてしまっていた。
まだ寝たりない気はするが、それなりの訓練をしているし、一晩ぐっすりと眠ったので、二人とも体力も魔力もほとんど回復しきっている。
問題は精神の方だ。
戦略的にも戦術的にも、なによりアスナの定めた勝利条件をも達成した近衛騎団だが、あの撤退戦では精神的な負担は大きかった。
着実に予定を消化していると分かっていても無尽蔵とも思えるほどにいる敵を前にして戦意が萎えないようにするのは大変なことだ。
一戦ごとに心は疲れを溜め、敵兵を一人殺すごとに心は摩耗していく。
軍は敵を殺す存在である。しかし、それを構成する者は殺しを忌避する者たちである。
その矛盾を繋ぎ合わせているのが、忠誠心や愛国心、名誉欲や出世欲などである。
大雑把に一言で言い表すのならば、大義の言葉が適切かもしれない。
しかし、その大義をもってしても心の疲れをなくすことなど出来ない。
揺り椅子に身を預けながらミュリカは昨日のことを思い起こす。
実を言うとミュリカは戦場と言う生と死を分かつ場所に立ったのは初めてであった。副官としてヴァイアスの補佐をしているが、現場に立ったことはこれまで一度もない。
魔獣の掃討に参加したことはあっても、戦場とはまた空気が違うのだ。
そして人を殺したのも初めてである。その事実がミュリカの心を否応なく冷やす。
しかし、そのことを後悔するつもりは欠片もない。
彼女が殺した敵もまた自分と同じ。何かの思いを持って武器を取ったのだから。
その彼らを討ったことを後悔することは、彼らに対する非礼になる。
ミュリカは、いや近衛騎団はそう考えている。だから戦う以上、手加減はしないのだ。
三度目の欠伸が漏れる。
何となしに隣に腰掛けるヴァイアスを見る。
「・・・・・・・・・・・・はぁ」
自然とため息が漏れる。
先ほどから、にへぇ〜とスケベな笑いを浮かべているのだ。今朝からずっとこの調子だ。
激戦の末に精神がブッ壊れた訳でも、彼が二重人格者なわけでもない。
原因は、ミュリカにあった。
昨日の戦いの疲れもあってその気になれないミュリカを無視して、彼女のベッドに入り込もうとしたヴァイアスだが、彼女の拒絶と強烈な蹴りにより泣く泣く隣のベッドで寝ることになったのだが、今朝起きてみるとなぜか二人は一つのベッドで、互いにしがみつくようにして寝ていたのだ。
これがヴァイアスが忍び込んでということなら、昨晩と同じく蹴りの一発で終わるところだが、夜中トイレに立ったミュリカが間違えてヴァイアスのベッドに潜り込んでいたのだから始末が悪い。
目覚めきっていないヴァイアスは、これは夢の続きなんだとばかりに制止の声も聞かずにミュリカを抱きしめて、ベッドの上でごろごろと転がり始めたのだ。
それは二人がベッドから転がり落ちて、本格的に目が覚めるまで続く。
さっきので出来事が現実だったのだと理解したヴァイアスは随分と久しぶりのスケベ顔を浮かべて今に至ると言うわけだ。原因が自分にあるから怒るに怒れない。
・・・・・・だからといって、これはないよね。
緩みきったスケベ顔である。
ミュリカの知る限り、こんな表情は自分以外の前では見せたことがない。もちろん絶対とは言い切れないが、確信はある。
確信はあるのだが、自分だけに見せる顔がこのスケベ顔というのはどうだろうと少し悩んでしまうのもまた事実である。
朝露に濡れたすがすがしい光景と自分の横にあるスケベ顔。スゴイ光景である。
何となく先ほどまで昨日の戦いを思って心を冷たくしていた自分がばからしく感じられた。そして、これがヴァイアスなんだとミュリカは再確認した。
と、不意に背後からノック音がした。
「はい!」
この近衛騎団の恥部とも言えるスケベ顔を第三者に見せるわけにもいかないのでミュリカが出る。もっともそうでなくても彼女が出ていただろうが。
「おはようございます」
扉の向こうには老執事とメイドが二人、恭しくお辞儀をしていた。
この離れを担当している者と昨晩、紹介を受けた。
逗留中の雑事は全て彼らが担当することになっているのだ。一軒家よりも一回り大きなこの離れにそれぞれ一室が与えられているのだが二人が気兼ねなくいちゃつけるようにとのアスナの配慮によりこの三人は離れに必要な物資を納めた後は食事時と呼ばれたとき以外は、出来るだけ二人の前に姿を現さないように指示されていた。
「朝食の準備が整いました」
「分かりました。すぐ食堂に行きます。それで、殿下はどちらに?」
殿下とはもちろんアスナのことだ。
「別棟にて朝食を摂られております」
「そうですか。後ほど、お会いしたいとお伝え願いしますか?」
「承知いたしました。しかし、お二人にお会いする時間は殿下にはないと思われますが」
「どういうことです?」
これから出発の準備などで忙しくなるのは当然として、アスナに会えないなどということはないはずだ。今後の打ち合わせもあるし、他にもいろいろと準備をしなければならない。その状況で、あのアスナが会えないなどと言うはずがない。
「朝食後、殿下よりのお手紙をお渡しいたします。それに全てが書かれているとのことです」
「全て?」
自然、訝しい表情になる。
「内容については私には分かりかねます。朝食後にお渡しするようにと言付かっているだけでございます」
「・・・・・・分かりました。では、すぐに朝食を頂きます」
お待ちしておりますとお辞儀をすると執事はダイニングへと戻っていった。
アスナがこんな迂遠なことをする以上、なにかしらの理由があるのだろう。ならばすぐに朝食を摂り、その手紙とやらに目を通したほうが早いだろう。
「ヴァイアス、聞こえていたでしょ。すぐに行こう」
声を掛けるが揺り椅子に腰掛けて背中を見せたままだ。
「・・・・・・ヴァイアス?」
横から彼の顔をのぞき込むと、そこにはさきほどから変わらないスケベ顔が続いていた。
やおらヴァイアスの耳を引っ張り、顔を近づけると、
「っとに、いい加減にしてよ!」
突然の大音声に驚いて、揺り椅子からぶっ倒れるヴァイアスを引っ張り上げるとミュリカはそのまま引きずってダイニングまで向かったのだった。
朝食はつつがなく、そして静かに進められた。
最後に出されたお茶が口と気分をすっきりとさせる。
用意されたものも王城で出されたものとさして変わらず、久しぶりに落ち着いた朝のひとときと言えるかもしれない。
内乱が始まり、正確にはアスナとともに出陣して以来、食事時は近衛騎団で最も騒がしい時間になっていた。一ヶ月以上の行軍生活でいつの間にか、あの騒がしさを当たり前のように受け止めている自分が可笑しく感じる。
自然、苦笑がミュリカの顔に浮かぶ。
「どうした?」
さきほどまでのスケベ顔とは違い、ヴァイアスは近衛騎団団長に相応しいキリリとした表情を見せていた。人目があるからと言ってここまで内と外で表情を変える男も珍しいかもしれない。
「なんでもない。ただ、いつの間にかアスナ様に毒されてたんだなぁって思って」
「ミュリカもか」
お互いに顔を見合わせて苦笑する。
王城での生活は特に作法に厳格と言うことはないが、それでも一定以上の礼節を保つような気風であるのもまた確かである。
例えば食堂では無駄話が出来るような雰囲気ではなく、黙々と食事をとるだけだ。
良いも悪いもなく、これが王城の気風であるというだけのことだ。
「内府様のご苦労が目に浮かぶなぁ。ヴァイアス以上に手の掛かる方を迎えるんだから」
「美味い朝食の最後に内府の爺さんのことを思いださせるなよ」
ミュリカの笑みが濃くなる。
「昔っから、ヴァイアスは内府様が苦手だもんね」
内府とは内大臣のもう一つの呼び方だ。内大臣は王城で行われる諸事を司る王宮府の長として、式典、礼典の進行から魔王の世話や王城の管理などを取り仕切っている。
ちなみにストラトの家令院やヴァイアスの近衛騎団は組織上、内府の下に就くことになっている。
「毎日、礼儀作法がどうのって言われれば苦手にもなるだろ」
ふてくされた表情が可笑しいのかミュリカは小さく笑った。
「そうね。私もちょっと苦手だから気持ちは分かるよ。きっとエル様もそうなんじゃないかな」
「だろうな。エル姫は礼儀作法で時間を浪費するよりも実利があることをしたいだろうからな」
そこまで言ってヴァイアスはお茶を口にする。そして再び言葉を続ける。今度は面白そうな口調だ。
「そう言う意味じゃ、アスナとエル姫は似てるのかもな。で、ミュリカの見立てはどうなんだ? あの二人をくっつけるんだって色々やってただろ」
「そうなんだけど、最近はちょっと微妙かなぁって思ってるのよ」
ヴァイアスのカップが小さく音を立てて置かれる。
「・・・・・・サイナのことか?」
「それもあるけど、サイナさんは大丈夫だと思う。エル様とアスナ様をくっつけることには賛成してくれてるから」
「なんて言うか、分からないよなぁ。普通なら独占したいって思うだろ。俺ならミュリカを誰かと共有するなんて絶対にイヤだし」
「時々、そういう応えにくいこと言うわよね。・・・・・・とにかく、サイナさんは大丈夫。アスナ様は自分一人で独占出来るような方じゃないからって。独り占めできるかもしれないけど、そうすれば型に填めることになってアスナ様を歪にするんじゃないかって言ってた。何となく分かる気がするけどね」
そう分かる気がする。時々、考えることがあるのだ。
もし、ヴァイアスの隣にいるのが自分ではなく、エルトナージュだったら、と。
それぞれの理由で王城に引き取られたミュリカとヴァイアスは先王が寵姫清花のもとでエルトナージュと姉弟のように育った。
ヴァイアスは王城に来るのと同時に近衛騎団入りが決まっていたので常に寝食を共にすることはなかったが、それでも三人が同い年だと言うことで時間をともにすることが多かった。
そうして成長するに従ってお互いに意識し出すのもそうおかしなことではない。
エルトナージュがヴァイアスに恋心のようなものを抱いているのをミュリカは感じていた。ヴァイアスもまた、そうだ。
同じ人魔の規格外だと言う親近感がそうさせたのかは分からない。しかし、お互いに意識していることだけは確信していた。
そして、それはミュリカにも言えることだった。
彼女の場合はもっと明確に自分の気持ちに気づいていた。
言葉で表せばなんとも独占的で自分勝手だがそれ以外になかった。
ヴァイアスが欲しい、と。
理由なんて分からない。ただ切実にそう思ったのだから。
だから彼女は意を決して動き、今の関係を手に入れた。
ヴァイアスがアスナと右腕の誓いがあるのと同じように、なんの儀式もしていないがミュリカもエルトナージュに忠誠を捧げている。自分のことなど関係なく形振り構わず突き進む彼女を側で支えていたいと思っている。
それだけにこの抜け駆けまがいの行為にミュリカは自責を感じていた。しかし、それでも彼女はヴァイアスが欲しかった。
だから、ミュリカはエルトナージュにも幸せになって欲しいのだ。
贖罪の意味もあるが、それ以上にいろいろと損をしているエルトナージュに幸せになって欲しいという気持ちが強かった。
「・・・・・・ミュリカ?」
「ん、何でもない」
訝しい表情を浮かべるもののミュリカがそう言うならとヴァイアスはそれ以上つっこんでこなかった。
程なくして朝食を終えると執事は恭しくアスナからの手紙をペーパーナイフとともにヴァイアスに差し出した。
「ご苦労。下がって良いぞ」
「承知いたしました。ご用の際は呼び出しのベルをお使いください」
呼び出しのベル。このベルを鳴らすと対になっているベルも鳴り、誰かが呼んでいると知らせる魔道具だ。
ヴァイアスは鷹揚に頷き、執事たちの背を見送ると渡された封書にナイフを入れた。
便せんが二枚。彼は手早く一枚目を読み始めると目を見開いたが、二枚目に目を通し始める肩の力が抜け、表情には苦笑が浮かんでいた。
「ほら」
渡された便せんに目を通すとミュリカも相棒と同じ表情を浮かべた。
内容は二種類。一枚目は命令書。
内容を要約すると、今日一日アイシンにてファイラス進軍のための準備をすることとなっているが、実際のところは休暇である。
正直なところ、ここまで来るのに色々な問題に対処しつつ進軍していたためファイラスに合流する予定は大幅に遅れている。
当初の予定通りに今日の昼前にアイシンを出発しても予定期日までにファイラスに合流できるとは限らないのだ。
アスナもそのことは分かっているはずなのにこんな命令書を出すなどと正気ではない。すぐにでも抗議したくなるところだ。
しかし、二枚目の便せんを見て二人は苦笑を浮かべるしかなかった。
明日からまた思いっきりこき使うから、今日中に覚悟を決めるように、と。そう書かれていたのだ。
「アスナ様、どんどんあたしたちの手綱の取り方が上手くなってるよね」
「絶対アイツに乗せられてるよな」
「何か意図してこういう言い回しをしてるんならともかく、絶対にアスナ様、思った通りにこれ書いてるわよね」
「ったく、天然っていうか、バカっていうか」
「ヴァイアス、それ両方とも同じような意味よ」
「・・・・・・そうか? ま、まぁ、ともかく主の命令だって言われれば今日一日、英気を養わないとな」
「そんな目を泳がせなくっても大丈夫よ。ヴァイアスが良い子にしている限りアスナ様に告げ口なんかしないから」
「ぐっ。・・・・・・まぁ、そのよろしくお願いします」
うん、と彼女は満面の笑みで頷くとカップに残ったお茶を飲み干した。
その頃、アスナは手っ取り早く朝食を済ませ、サイナとともにアイシンの重役たちとの会見に向かおうとしていた。
会見の主目的はアイシンの箔を付けることだ。つまり、約三千人で押し掛けたことへの迷惑料と言ったところだ。
そう言うわけでヴァイアスたちがのんびりしている裏でアスナは重役たちのお世辞を一日中聞かされることになっているのだ。
撤退戦で苦労させたのだから、こういうところで少しでもバランスをとろうという考えだった。
ちなみにヴァイアスからラディウス軍はラメルに戻り、おそらくもう動けないだろうとの判断を聞き、アスナはムシュウにアイシンの温泉の湯を幾つもの樽に入れて、馬車で送る手配をしていた。
疲れをとるようにという意味もあるが、自分の近衛騎団が汚いままでいるのが我慢ならなかったというのが本音である。
ともあれ今日のアスナは謁見と言う名のめんどくさいことをやらなければならなかった。内乱が終われば、王城での日常業務となるのだから、良い予行練習になるとサイナは言っていたが、げんなりすることには変わりなかった。
降って沸いたような突然の休暇に二人は手持ちぶさたになっていた。
十一時過ぎまでアイシンの宿に散っていた団員たちの様子を見に行ったり、温泉街を適当に散策して回ったが結局、離れに戻ることにした。
内乱が始まってから、いやそのずっと前から何かにつけて忙しかった二人にはなにもしなくても良いと言う命令ははっきり言って少し居心地が悪かったからだ。
普段から休みたい休みたいと愚痴を言っているヴァイアスなのに実際にその休暇を与えられると何となく落ち着かない気持ちになるのはおかしなものだった。
結局、執事に二人分の弁当を用意させて、庭を散策することとなった。
庭と言ってもかなりの広さだ。ちょっとした公園ほどの広さがある。
離れに客が泊まっていないときは一般にも開放されているが、今日に限ってはこの広い庭は二人のものだ。
そこここに生えている草花は可憐で、木漏れ日はとても清々しい。
疲れ切った心を休ませるのには十分な風景と空気だ。
癒えるのではなく、生まれ変わる。そんな風に気持ちが感じていた。
ミュリカたちは二時間ほど散策した後、ちょっとした丘の上で少し遅めの昼食を摂ることにした。眼前に広がる緑は心地よく、昼食の場としては打ってつけだ。
内容はサンドイッチに唐揚げ、卵焼き、そしてフィレ肉のカルパッチョにポテトサラダなどなどである。
二人分にしては量が多いけど問題ない。ヴァイアスだけではなく、ミュリカも見た目以上によく食べる方だからだ。
出だしはサンドイッチ。一口、二口と口にするとヴァイアスは唐揚げ、ミュリカはポテトサラダにフォークが伸びる。
一緒に時を過ごしてきてもこういう違いがあるのが面白い。
ポテトサラダを口に運び、フォークを加えたままモグモグとしていたミュリカの目にあるものが映った。途端に彼女の口元にイタズラな笑みが浮かんだ。
卵焼きにご執心のヴァイアスに気づかれないようにそれを摘み上げると、
「ヴァイアス」
「ん?」
返事と共に卵焼きを飲み込んだ彼の前にミュリカは摘み上げたものを差し出す。
「あ〜んして♪」
プチトマトだ。完熟だから真っ赤。ヴァイアスも真っ赤っか。
「・・・・・・・・・・・・」
「ほら、あ〜んってして」
促しても彼は固まったままだ。そんな彼が可笑しくてミュリカはさらにからかいの度合いを強める。
「それとも、こっちの方が良かった?」
言ってミュリカはプチトマトを器用に唇だけで挟むと「んっ」とヴァイアスに差し出す。もちろん目は閉じて、である。
実を言うとヴァイアス、スケベなくせにこういうことにはとても弱いのだ。
目を閉じているからミュリカには分からないが、プチトマト以上に顔を赤くしている。それを想像してミュリカは可笑しくてたまらなかった。
顔にこそ出していないが、ヴァイアスが悪態の一つでもつけば思いっきり笑い出してしまうだろう。
・・・・・・しかし、である。
暖かくて少し湿った感触を唇に感じると同時にプチトマトを取られてしまった。
驚いて目を開けるとヴァイアスの唇にプチトマトはあり、それは口の中に消えた。
「えっ、うそ・・・・・・」
不意打ちである。こんなこと想像は出来ても予想なんて出来ない。
「いつまでも、からかわれっぱなしじゃ癪だからな」
空の朱よりもずっと鮮やかに顔を染めて、彼はプチトマトを噛みながらそっぽを向いた。
自分も負けず劣らず赤くなっているのを感じながら、それでもそんな風に悪態をつく彼が側にいてくれるのはとても幸せだとミュリカは思った。
その頃、アスナはアイシンの重役とともに昼食中であった。
出された料理は豪勢の一言に尽きるが、入れ替わり立ち替わりに宿の主人や温泉協会の役員たちが挨拶に来て乾杯以来、なにも口に出来ていなかった。
その上、なにを考えてか重役の娘数人が積極的に話しかけてきて、サイナに鋭く冷たい視線を浴びせかけられると散々な時間を過ごすことになった。
昼食を終えた二人はそのまま丘の上で寝転がっていた。
見上げる空は鮮やかな朱。ゆったりと姿を変える雲は穏やかそのものだ。
ラインボルトの、いや地上の喧噪など意に介さぬかのように風と時間に身を任せている。
地に沿うように流れる微風が心地良い。二人の傍らには空になった弁当箱の入った鞄がある。
微睡みにも似た空気を変えるようにミュリカは身体を起こし、ヴァイアスの顔を覗き込んだ。そして少しだけいたずらな笑みを見せながら、
「ねっ、耳掃除してあげよっか」
「はなっ!?」
奇声を上げつつ沸騰したようにヴァイアスの顔が赤くなった。
「ラメルで約束したでしょ。頑張ったご褒美にって。ほら」
正座した自分の太股をぽんぽんとミュリカは叩いて頭を乗せるように促す。
「いや、そう、なんだけど。えっと、ここでか?」
自分でご褒美を指定したのに当のヴァイアスは思いっきり照れている。
そんな彼が妙に可愛くてミュリカの笑みはさらに濃くなる。
「そう、ここで」
「だ、誰かに見られるかもしれないだろ」
「お客様がいるときはこの公園は結界で部外者が入れないようにしてるって執事の人が言ってたでしょ。それにアスナ様たちも夜まで戻ってこないって話だし」
「・・・・・・えっと。ほら、耳掻き持ってきてないだろ」
「持ってきてるわよ」
と、いつの間にか取り出したのかひらひらと耳掻きを振ってみせる。
ヴァイアスはそっぽをむいたまま何かぶつぶつと呟いている。その様が照れではないことにミュリカは気づいた。
幾分、不安を表情に浮かべながら彼女は相棒の顔を覗き込んだ。
「もしかして、そう言う気分じゃなかった?」
昨日の激戦のあとである。高ぶった気を抑えることが出来ても、胸の裡に澱んだモノを解消できているとは限らない。
ヴァイアスは自分よりも多くの兵を殺しているのだから。決して見えることのない朱の残滓が多く心に堆積していても不思議ではない。
しかし、当のヴァイアスの雰囲気はそれとはまた違ったものだった。
「そうじゃなくて、そうじゃないから」
真っ赤な顔は変わらず照れがある。しかし、表情にあるのはそれだけではない。
「それじゃ、なに?」
問いかける声はあくまでも優しい。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・ヴァイアス」
ミュリカの促す声に彼はようやく口を開いた。
「あんまり嬉しいことがあると、後ですっごい悪いことがあるかもしれないだろ」
「はぁ?」
拗ねたように彼は顔を背けた。その態度が可笑しくてミュリカは破顔したと同時に納得した。
ヴァイアスは人魔の規格外と言うことで幼い頃にはあまり良い経験をしたことがない。そのため、彼の許容量を超える歓喜を感じると不安になることがあるのだ。
だから、ミュリカは彼の頭をはたいた。
「なに似合わないこと言ってるのよ。今時、そう言うのは流行らないわよ」
その言葉に抗しようと彼が口を開くよりも早くミュリカは告げた。
「それにそう言うことがないように、あたしがいるんじゃない」
ヴァイアスの歩む先にある災厄を払うためにミュリカがいて、ミュリカの進む先にある災厄を払うためにヴァイアスがいるのだから。
この先、なにがあろうと二人がともにあれば問題は些細なことでしかない。
そうでしょ? と視線で問いかけるとヴァイアスは弓なりに瞳を細めた。
「あぁ、そうだな」
「分かったんだったら。・・・・・・ほら」
と彼女は改めて自分の太股をぽんぽんと叩く。
おずおずと言った感じで頭が置かれる。力を抜いたのか程良い重みを太股に感じる。
安堵の吐息を漏らすヴァイアスの表情には余計な力はなく喜んでいるように見える。
その彼の表情を見て、ヴァイアスを手に入れられて本当に良かったと思った。
何となしに彼の頭を撫でる手は優しく、身を預けるヴァイアスはとても心地よさそうな顔をしている。そんな些細なことが幸せで、とても愛おしく感じる。
準備を整え、いざ挿入である。
「痛かったら言ってよ」
「あぁ」
耳掻きはあっさりと穴に潜っていく。
まずは浅く調子を見る。久しぶりだから、ミュリカも少し緊張していた。
場所ごとに少し頭を動かして、掻き取っていく。
普段から、誇りある近衛騎団の団長なんだから綺麗にしておくようにと言っているだけに浅いところでは綺麗なものだ。ちょっと、つまらない。
「それじゃ次、深く行くからね」
頷きなのか、太股に頬ずりしているのか判別つきにくい動きを感じる。
さすがに深い場所は分かりにくいので動きも慎重になる。
力を抜いて、自分では少し弱すぎると思うぐらいの力加減で耳掻きを操る。
「痛くない?」
「もうちょっと、強くても大丈夫」
「そう、それじゃ」
もうちょっとだけ力を入れて、耳掻きを動かす。
耳掻きを通じて、何かが引っ掛かるのを感じる。少し大きいかもしれない。
慎重に、耳を傷つけないように動かす。二度、同じ所を掻いて引っぱり出す。
「大きい。・・・・・・ほら」
と、ヴァイアスの前に掻き出したばかりのモノを見せる。
確かに大きい。欠片というよりも塊と言った方がいいくらいだ。
「そんなの見せなくて良い!」
「もしかしてヴァイアス、恥ずかしいの?」
「うるせ〜」
赤面しながらなので、迫力がないことこの上ない。
ほどなくして右耳を終えて、反対を向かせる。
すごい幸せそうに自分のおなかに顔を埋めるヴァイアスにミュリカは言いようのない恥ずかしさを覚えた。
「ヴァイアス、それじゃ出来ないから」
「ん、ちょっとだけ」
彼は顔を彼女のおなかに埋めるだけに止まらず、右手はしっかりとミュリカのお尻を撫で回し始めた。
「ヴァイアス!」
「ん〜、もうちょっとだけ」
こうなることは予測していたし、これはご褒美なんだからと。
彼の頭を撫でながら、もうちょっとだけヴァイアスの好きなようにさせてやることにしたのだった。
その頃、アスナは・・・・・・町の重役という名の爺様たちと一緒に煮られていた。
正確には裸のつきあいと言うことで風呂に入っているのだが、この年頃の特性なのか、それともたまたま、ここのご老体の好みなのか分からないが、アスナが入っている風呂はとてつもなく熱かった。変な言い方だが、身体の成分が抜け出しているような錯覚すら覚える。
数分後、真っ赤に茹で上がったアスナが湯から引き上げられたのだった。
からかったり、悪態をついたりの耳掃除を終えてもミュリカはヴァイアスを起こすようなことはしなかった。普段、人目があってこういうことが出来ないし、こういう普通の恋人同士みたいなことが出来るのが嬉しかったのだ。
雑談をしながら、彼の髪の毛を弄っていたミュリカの手が止まり、「ねぇ・・・・・・」とヴァイアスの顔を覗き込んだ。
「今日は一緒にお風呂入ろっか」
「はぁっ!?」
あまりにも予想外の言葉に身体を起こそうとするヴァイアスの頭を強引に押し戻した。
「良いじゃない。ヴァイアス風に言うなら大変なことがあった後には良いことがないと嘘でしょ?」
ヴァイアスの口から息が漏れる。居心地のいい場所を探すようにして頭を動かす様は子犬が臭い付けをしているようにすら見える。
そして、彼はミュリカからできるだけ顔が見えない位置に頭を安定させると、耳まで赤くして呟くように彼は言った。
「ミュリカが側にいてくれてホントに良かった」
呟きは小さい。それ故に彼女の心に自然と染み込んでいく。
彼女は首まで赤で彩られながら満面の笑みを浮かべた。
「うん、あたしもヴァイアスが側にいてくれてホントに良かった」
駆け抜ける風が上気した身体に心地よく、お互いに作る空気はとても居心地が良い。
しかし、二人はここに止まることは許されない。
明日になればファイラスに進軍しなければならない。再び内乱の直中に身を投げ出すことになる。それでも二人は大丈夫だと確信している。
二人がともにあれば、なにがあってもきっと大丈夫だと。
流れる穏やかな時に身を浸しながらミュリカはそう思った。
なにがあっても大丈夫だと。
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