そして、陽も傾き、空を朱に染める頃、カイト、アスカ、じっちゃんの三人は帰宅の途についていた。
そんな中、カイトは痛む節々を庇いながら歩いていた。
「情けないぞ、カイト。あの程度のことで」
「普通、あんなに急激に腰を曲げたり、腕を振り回したりしないよ」
身に付けたポーズは全部で五つ。
本当は二十三ものポーズを身に付ける予定だったが、時間的な理由と何より、カイトの身体的理由のせいで五つしか身に付けることが出来なかった。
午前中はほぼ、気絶していたため、一日中、決めポーズの練習をしていたと言っても過言じゃない。
これでは身体の節々が痛くなってもおかしくはない。
神社に誰も来なくてホント、良かったよ。
心底、そう思うカイトだった。
「こんな事ではヒーローの夜明けは来ぬぞ。良いか・・・・・・」
と、じっちゃんは熱弁を振るってはいるものの当のカイトは一つも聞いちゃいない。はいはいと受け流すだけだ。
運動不足の身体に久しぶりに鞭を入れたのだ。
本当はかなり痛いのだが、隣りに心配そうな顔をしているアスカがいる手前、痛いとか弱気なことは言わなかった。
やっぱり、少しは良いところを見せたいと思うのが男心と言うものだ。
三人は自宅まで歩いて五分の距離をカイトを気遣って、十分掛けて歩いた。
「カイトくん、あれ」
アスカの指さす先に妙な人集りがある。
「何かあったのかな」
自宅近くに着いた頃、カイトは訝しげに首を傾げた。
マンションの付近が妙に騒がしいのだ。
マンション町中は落ち着きがないのは確かだ。だけど、こうまで騒々しいのは珍しい。
・・・・・・妙にいや〜な予感がする。
「・・・・・・まさか」
カイトの顔に縦線が走った。その続きは頭には浮かんでいるのだが、口には出さない。いや、出せなかった。
人混みはマンション町中付近ではなく、マンション町中前そのものだったのだ。
その人混みの中に知った顔があった。
もっとも、マンションの住人は全員顔見知りなのだが。
「何かあったんですか。浩之さん」
「カイトか。何処に行ってたんだよ」
藤田雅之はカイトに掴みかからん勢いで話し始めた。
「ちょっと、三人で」
さすがに勇者の修行とは言えない。
「それより、どうしたんです?」
と、不安そうな顔をしてアスカが聞いた。
「あ、あぁ。小火だよ。小火。マンションで小火があったんだよ」
「小火!!さっき、注意の回覧板を作ったばかりなのに」
普段滅多に的中しないカイトの予感が見事に的中してしまった。
カイトは思いっ切り仰け反った。仰け反りすぎて、ブリッジ状態になる。
手にしていた回覧板が宙に舞った。
だが、すぐに持ち直す。とても関節痛の人間の動きとは思えない。
「カイト。最近、反応がじっちゃんに近づいてきたな」
「そんな事よりも被害状況は!?」
カイトは半狂乱気味に叫いた。
もし、店子のみなさんに何かあったら有馬に殺されるだけじゃ済まない。
彼の声を聞き付けた他の住人のみなさんも集まってきた。
そして、一斉に説明し始める。
一人一人が同時に状況を話すものだから、分かる物も分からなくなる。
ボクは聖徳太子にはなれない。
現実逃避でこんな事を考えてしまうカイト。
彼の心境も知らずにその場の全員が叫き散らす。
さすがにこの状況にげんなりしたカイトは大きく息を吸った。そして、
「静かにして!!」
喧騒は一瞬で静まった。伊達に大家代行はやってはいない。
「警察や消防の人は来てるんですか」
「カイトくん、ここだ。ここ」
人の群れを掻き分けて警官がやって来た。
「ふぅ」
「和樹さん。状況は?」
「あ、あぁ」
和樹と呼ばれた警官は息を整え、大家代行のカイトの状況説明を始めた。
彼もここ、マンション町中の住人だ。
「怪我人はいないよ。小火の方も見つかったのが早かったから、すぐ消し止められたし」
「良かった」
これで少なくとも殺される心配はなくなった。
ホッと胸を撫で下ろすカイト。
「千堂さん。大家さんが来たんですか」
「あっ、はい。ここです」
和樹は人の群れの外に手を振って自分の場所を知らせる。
「誰です?」
「藤井くんだよ。ほら、消防署に勤務してるだろ。現場検証に来て貰ったんだ」
藤井冬弥も和樹と同じ様に人の群れを押し分け、どうにか到着する。
冬弥も和樹同様にここマンション町中の住人だ。
彼はカイトを見るなり、「あれ、カイトくん?」と言った。
「大家代行です。父さん、あっちこっちに飛び回っているから」
早朝から神社にいたにも関わらず一度も有馬の姿を見ていない。
恐らく、またどこかへ行ってるんだろう。
「単身赴任か。大変だね」
感心するような口調で消防の人は言った。
思いっ切り勘違いしてるな。と思ったがカイトは訂正しなかった。
それどころじゃない。
「で、小火の火元は何処で原因は何です?」
捲し立てるカイト。
「出火元は一階の105号室」
「何ぃぃぃっ!!!!」
今まで静かにしていたじっちゃんは突然、声を上げた。
105号室とはじっちゃんの部屋だ。
じっちゃんは天高く跳躍し、人の群れを飛び越え、自室に向かって走り出した。
そして、
「のおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
じっちゃんの哀しみに満ちた叫び声が木霊した。
その場にいた一同はその咆吼に静まり返った。
・・・・・・じっちゃん。
恐らく、真っ白になっているはずだ。はっきり言ってじっちゃんにとってシャレにはならないことだ。
じっちゃんの部屋には数多くのコレクションが収蔵されている。
はっきり言ってお金でどうのこうの言えるようなものじゃない。
記念グッズや限定版などなど数多くの物が部屋に置かれているのだ。
一般人が見ればどうでもいいような物でも、ある種の人が見ればチョモランマの頂きから遠吠えしたくなるような品々が数多くじっちゃんの部屋にはあるのだ。
失った物は余りにも大きすぎる。
カイトはそのじっちゃんの気持ちが分かるだけに辛かった。
だが、彼にはその辛さを乗り越えてやらねばならないことがある。
マンションのことだ。任された以上はちゃんとその務めを果たさねばならない。
身内の事に関してだけは責任感の強いカイトなのだ。
「それで、原因は?」
「あっ、はい。現場に残された遺留品から見て、放火で間違いないかと」 冬弥の話によると灯油を染み込ませた紙や布が多く見つかっているそうだ。
そして、出火後、不審な人物がマンション近くを走っていったと言う証言あるそうだ。
沙耶の言っていた手口と一緒だ。
そう、カイトは思った。
幸いにも出火後、すぐに発見され適切に消火されたから大事には至らなかった。
実質的な被害は壁が焼けたことと消火の際に消化剤でじっちゃんの部屋を荒らしてしまったことだけ。
「和樹さん、捜査の方はどうなってるんです?」
「今は周囲の人の聞き取りをやってるよ。こんな時間だったから、結構見てる人がいるはずだよ」
今は夕方、晩御飯の材料を買いに行っている奥様方が数多く外に出ている。
「しかし、こんな目立つ時間帯になんで」
側にいた雅之は顎に手を持っていき、思案顔になる。
多分、人混みを隠れ蓑にするつもりだったのでは。それとも夜に放火するのに飽きたかのどっちかじゃない。
と、思っては見たがカイトは口にしなかった。それどころじゃない。
その時、
「!」
矢のように通る声が当たりに響いた。
「放火じゃと言うのは本当じゃな」
「じっちゃん!?」
哀しみや怒り、憎しみを含んだオーラをカイトは感じた。
じっちゃんはまるでモーゼの様に人混みを分け、一歩ずつ近づいてくる。
中央にはカイトとアスカ、そして、警官の和樹と消防の冬弥だけが残った。
カイトとアスカ、そして、和樹は息を飲んだ。
じっちゃんの身体から紫色のオーラが沸き上がっているのだ。
その瞳は怒りに染まり、血のような真紅に輝いている。
じっちゃんが一歩進むごとに足下の小石が上昇している。
マンション町中に入居してまだ間もない冬弥はあまりのじっちゃんの変貌に和樹の後ろに隠れてしまった。
「じっちゃん!!」
「おじさま!」
「二人とも黙っておれ!!」
怒髪天を衝くの言葉通りじっちゃんの灰色の髪を逆立たせていた。
今のじっちゃんを止められる者は何処にもいない。
「和樹、今の話。本当じゃな?」
魂を直接、尋問するような凄みがある。
「は、はい」
和樹は顔を引きつらせながら答える。生きた心地がしないはずだ。
「そやつの背格好をわしに教えろ」
「駄、駄目です。いくら、皇聖院のおじさんでも」
和樹は恐怖に足を振るわせながらも機密保持のためにそう言った。
今のじっちゃんを前にして断るのは相当勇気のいることだ。まさに警官の鑑。
「ダメだよ、じっちゃん。和樹さんは警察官なんだよ」
と注意してみたが、じっちゃんは聞いてはいない様子だった。
「仕方ないの。ならば」
じっちゃんはゆっくりと目を閉じた。
「・・・・・・・・・・・・ふんっ!」
じっちゃんは気合いを込めると、目をカッと見開いた。
その眼力に捕らえられた和樹は一瞬、宙に浮いた。そして、
「ジ、Gパンに、グリーンのシャツ、赤いジャンパー、同色の帽子、年齢は18〜25ぐらい、身長は170前後」
それだけ言うと和樹はばったりと倒れてしまった。小刻みに痙攣している。
完全に失神してしまっている。
「じっちゃん!!」
「仕方あるまい。こうするほか無かったのじゃ。カイト、和樹を頼んだぞ」
そう言うとじっちゃんはきびすを返した。
「じっちゃん。何するつもりだよ。・・・・まさか!?」
首だけを後ろに回し、「復讐じゃ」と一言だけ言うとじっちゃんは駆け出した。
その背中にはオーラや瞳にはない寂しさが宿っていた。
「じっちゃん」
・・・・・・無事、帰ってきてよ。
カイトはじっちゃんの背中を見送るしかなかった。
「取り敢えず、和樹さんを部屋に送らないと。誰か手伝って下さい」
この後のカイトの行動は迅速そのものだった。いつものぼへぇ〜っとした彼とは思えないほどだ。
和樹を部屋に送り届けると、すぐに保険会社などの関連会社に連絡を入れた。
必要と思われる行動をとった後で有馬と凪に連絡を入れた。
細かい点は側にいて貰った冬弥と復活した和樹が替わって説明をした。
予想を大きく遅れてやって来た沙耶と優の相手をして、現場検証に立ち会うと慌ただしく時間が過ぎた。
どうにか大きな波を乗り越えると、もう六時を過ぎていた。
みんな家に帰り、今、部屋にはカイト一人。
「ふぅ、やれやれ」
深くソファに腰を下ろして、息を吐き出した。
疲れた。・・・・・・何か、今日は妙に忙しい日だな。
再び、痛み始めた節々をマッサージしながらそう思った。
目の前のテーブルの上にはかなりの数の湯飲みやコップが置かれている。
小火の説明会をやったときに出した物だ。
「っしょっと」
カイトはテーブルの側に立て掛けて置いた盆を手に取ると、その上に湯飲みを置いていった。
そこでカイトは気付いた。
「そう言えば、さっきからアスカを見てないような」
現場検証の時も、説明会の時も彼女の姿を見ていない。
説明会の時、マンションのみなさんにお茶を出したのもカイトだ。
最後にアスカの姿を見たのは人混みの中。
一応、家中の部屋を探したがやはりいない。
「買い物?」
カイトは台所に向かい、冷蔵庫を開けてみる。
その中にはそれなりの材料が揃っている。
肉や魚と言ったあまり日持ちしない物以外は揃っている。
「ふ〜む・・・・・・」
右手を顎に持っていって考えてみるが、答えは出てこない。
唸りながら周りを見回してみる。そこでカイトは気付いた。
「あっ」
何時も台所の食器棚に掛けているアスカ愛用の買い物バッグが無い。
「やっぱり、買い物か」
買い物と言う答えを導き出せたカイトはリビングへと戻っていった。
食器棚とそのすぐ横に置かれた段ボールとの間に買い物バッグが落ちていることに気付かずに。






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