*2017年二月九日*

 曇天の空が広がっている。
  地に降り注がれる光は遮られ、夜闇をさらに暗くしている。
  空を封じる闇に艶はなく、重く押し掛かってくるような見える。
  時計を見れば五時五十二分を指している。晴れていれば空は黒から藍に変わる頃だろう。
  その空の下には夜闇を切り裂く人工の光がある。
  公園だ。宇治市小倉町にある西宇治公園だ。
  そこには幾つもの車両が駐車しており、アイドリングの重低音を辺りに響かせている。その車両に守られるように公園内には幾つもの野営用のテントが並べられている。
  明かりの中を良く観察していれば宿直の兵が行き来している。先夜にはあった活気が今は幾分、萎んでいるように見える。それが早朝だからなのかは分からない。
  ただ、いつ終わるとも分からない戦いの連続に皆、疲れ切っていることだけは確かだった。
  それを公園の外れで彼――春日雪人は疲れた吐息を漏らしながらその光景を眺めていた。息が白い。二月の京都府は寒い。
  冷気を乗せた風が頬を切るのではないかと思われるほどだ。しかし、雪人自身はあまり寒いとは感じなかった。二日続けての連戦で疲れ切った身体が寒さよりも休息を求めていたのだ。
  だが、眠ろうと横になっても次の戦闘に備えようとする身体が眠りを拒絶する。
「少しは眠れた?」
  不意にかけられた声に雪人は首を横に振った。聞き知った声の主に顔を向ける。
  少女だ。軍人にあるまじき腰近くまである髪が風に揺れる。
「美咲は?」
「わたしもあんまり……」
  苦笑を浮かべると彼女は持っていた紙コップを差し出してきた。
  受け取るとコンソメの香りが胃を刺激する。溶き卵とコーンのスープだ。
「それと、これも」
  続けて彼女はポケットからビスケット状の栄養補助食を二パック渡される。
「ここ二日、三食ともこれだな。さすがに飽きたよ」
「文句言わない。それよりも言うべきことがあるんじゃない?」
  不満げに顔を近づけてくる相棒に雪人は少し仰け反る。
  待機期間も入れて三日、満足に風呂や睡眠に時間がとれなくて精彩を欠いていて少し儚げに見える。痩せた頬と力の抜けた雰囲気が彼女に大人びた表情をさせる。
  そんな同い年の彼女に顔を近づけられると意識するしないに関係なく頬が赤くなる。
  僅かに高鳴る鼓動を聞きながら雪人は礼を言った。
「……ありがと」
「宜しい。話を戻して寝られる時に寝ておかないと戦闘中に倒れるなんてことになるかもしれないわよ」
「人のこと言えないだろ。目の下が隈になってるし、唇ガサガサだし」
「そういうことは気付いても言わないの!」
  と思いっきり雪人の臑を蹴り上げた。
「!?」
「全く。そういう所も教育しないといけないみたいね」
「何が教育だ。ったく、その足癖の悪さどうにかしろ!」
  臑を抱えながら雪人は睨んだ。彼が纏う狩衣と呼称されるパイロットスーツは対刃・対衝撃性に優れ、強酸にも耐えられる素材で作られている。
  だが、彼女が持つ脚力の前にはさほど効果を示さなかったようだ。
「えぇ〜」
「じゃない! 蹴られるこっちの身にもなれっていうんだ」
「良いじゃない、これぐらい。相棒なんだし、これから長い付き合いになるんだから相手の悪いところを受け入れる度量ってのを持たないと」
  うんっと美咲は力強く頷く。
「ガンバレ、男の子。おおぉ!」
  彼女はそこで拳を握ると高く突き上げた。
  早朝。しかもほとんど徹夜にも関わらずこのテンションに雪人は小さくため息を漏らすと美咲の頭に手刀を喰らわす。
「ったぁ〜。人が気合いを入れてあげてるってのに何するかなぁ」
「そんな度量は要らない。それよりも早く帰って戦闘の事なんか気にしないで寝たいよ」
「それはみんなそうよ。疲れてるし、戦闘の連続だし」
  栄養補助食を美咲は噛む。すぐに口の中が乾いてしまうためスープと一緒に食べるのが基本だ。彼女はその基本に従ってスープを口にする。
「私はお風呂入りたいなぁ。もう、髪がべとべとで気持ち悪い。もう、星獣のバカヤローって叫びたい」
  星獣。それは1959年十一月十日に宇宙より飛来した異星系起源種の俗称だ。
  異星より来たりて、星を喰らう獣、という訳だ。
  ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、中央アジア、ソ連邦に落着した星獣は勢力を拡大を開始したのだ。以来、五十八年の間人類は星獣との生存権をかけた戦争を続けている。
「だよなぁ。こっちから攻められるもんなら攻めたいけど、そういう訳にもいかないし」
「わたしたちが前に出過ぎると他の部隊の人たちが困るからね」
「神祇官って言ってもまだオレたちは脇役だもんな」
  深夜の出撃の時、自分の依代の左腕に被弾したことを思い出した。
「そうそう。所詮はまだ見習い。まだまだ頑張らないと。さて、休憩お終い」
  美咲は雪人の手からカップを奪い取ると子どもっぽい仕草で敬礼をして見せた。恐らく、わざとだ。
「司令より第二種待機命令が出されています。朝食の後、神主は整備テントにて待機せよとのことです」
「そういうことはもっと早く……」
  雪人の言葉は美咲が肩を叩くことで止められる。一度、二度と叩かれる。肩に触れる彼女の手がやけに温かく感じる。
「あんなどこ見てるのか分からない目をしてるヤツにすぐに命令を伝えられるわけないじゃない。神主を少しでもリラックスさせるのも審神者のお仕事ですから」
  有り難くはあるけど、少し癪だ。
  だが、何を言い返して良いのか分からず、不満げにそっぽを向く雪人に、美咲はイタズラな顔で近寄ると、
「それともほっぺにチューで起こして欲しかった?」
「んなっ!?」
  顔面赤熱。
「あはははははっ。それじゃ、また後で」
  無機質で素っ気ない光の中に躍り込むように駆けていく彼女の周囲だけは光の精に守られているかのように活き活きとした輝きを発しているように見えた。
  そんな彼女の背中を赤くなった頬の雪人は見送る。右手で顔を覆うと思いっきり肩を落とした。
「絶対にからかって遊んでるよな、アレは」

 無骨な鋼の巨人――依代がハンガーに吊されている。
  左右の肩と腰の三カ所で支えられている。人型機械にとって足周りの負担が大きい。ただ直立しているだけでも上半身の荷重により疲労を蓄積することになる。
  耐用試験で長期間の運用が可能だと証明しているが、待機中も脚部に負担をかけることはないとこういう保持方法が採られている。
  その巨人の前にはすでに雪人と同じ年頃の男女が三人待っていた。
「遅いぞ、春日」
  整備士から依代の状態報告を受けていた高野和宏がそう声をかけてきた。早朝の冷気で遠目にも息の白さがよく分かる。
  高野の声に引かれてショートカットの髪を揺らして振り向いた少女――香山まどかは雪人の姿を認めて細い眉が顰められる。残る一人、結城渚は無言で会釈をしてくる。
「悪い。ちょっと美咲と朝飯食ってた」
「暢気に相棒と朝飯かよ。こっちは叩き起こされたっていうのに、この扱いの差はなんなんだっ!」
「日頃の行いの差じゃないの?」
「なっ!」
  非難するでもなく冷めた香山の冷めた口調に高野硬直。
「委員長。そんなストレートに事実を突き付けなくても。高野も良いところがあるんだから。例えば……えっと、まぁそれなりに良いヤツなんだから」
  雪人の援護射撃に高野は頽れる。あと一撃加えれば泣いて駆け出すかもしれない。不意に雪人の袖が引っ張られた。
  見れば結城が何事か言いたげに袖を握ったまま雪人を見上げている。雪人の胸までしかない身長は十五歳というよりも小学生で通した方が自然だ。
「フォローになってないから」
「あぁ、まぁ、……早朝だってことで一つ」
「言い訳にもなってない。それより……」
  と、香山の視線が先ほどまで依代の状態説明をしていた整備士に向けられる。
「謝った方が無難じゃない?」
「……あっ」
  スパンッという早朝の清々しさを表すような景気のいい音が響いた。合計四つ。
  整備士のバインダーが紙の白さを閃かせて音を奏でた。
「すいませんでした」
「疲れて気が緩んでいるのは分かるが、気を引き締めてくれ。こっちは真剣に仕事をしているんだからな」
  整備士の注意に四人は背筋を伸ばして「はい」と返事をした。よろしいとばかりに整備士は頷くと依代の状態説明を開始した。
「まずは01。先行する02に追い付くために足周りに無理をさせている以外は問題なし。03,04も足周りに疲労が見られる。これは依代が人型機械である以上、宿命みたいなものだがな」
  01は香山機、02は高野機、03は結城機、そして04は雪人の依代の番号を表している。
「03も同様、疲労度から見ると03が一番依代を巧く扱ってる。04は先の被弾で左腕に障害が残ったままだ。それと無駄な動きが多いのか足腰の疲労度も他の三機よりも溜まっている。次の出撃は普段以上に注意して運用して貰いたい」
「何とかなりませんか?」
  利き腕ではないが、銃を保持するときに左腕は必要になる。ただでさえ命中率が低いのにさらに悪条件が重なると戦闘すらおぼつかないかも知れない。
「こちらも全力は尽くした。それに我々整備中隊は君たち専属じゃない。他にも面倒を見ないといけない車両がある。きついことを言うが、もう少し巧く運用して貰いたい。第三世代の最終機は整備・補修が比較的簡便になったと言っても容易に出来るものでもない」
「すいません」
「謝る必要はない。ただ被弾すれば困るのは君だ。そして、部隊の全員に負担をかけることになる。そのことを理解してくれれば良い。頑張れ」
  整備士は雪人の肩を叩くと高野に顔を向けた。
「02は問題なし。疲労していた部品の取り替えで済んでる。端的に言えば02,03が全力機動が可能。01、04は普段以上に足運びに気を付けて欲しい。以上だ」
  了解しましたと全員は敬礼をする。整備士も答礼する。彼の指先は寒さで擦り切れ、機械油で黒く汚れていた。言葉で語るよりその手が整備中隊が全力を尽くしていることを示していた。それが雪人に有り難くも、申し訳ない気持ちにさせた。
「全員、集合しているな!」
  整備士と入れ違いに二十代前半の兵士が駆け込んできた。180p近くある長身を戦闘のために鍛えられた筋肉で鎧うその身体は重厚さも持ち合わせていた。
  藤井良弘軍曹は敬礼もそこそこに全員揃っていることを確認した。
「藤井さん。感覚投入で待機ですか」
「そうだ。宇治カントリークラブ跡陣地が小型星獣の群を確認した。すぐに正式な出撃命令が出るはずだ」
「星獣の種類はなんですか?」
  一歩前に出た香山が尋ねる。
「甲種だ。かなり苦戦していると聞いてる」
  星獣には大きさによる区分だけではなく、役割によって甲乙丙丁とさらに細かく分類される。藤井の言う小型星獣甲種とは戦闘に特化した種。戦車と同じ運用がされる。
  甲種はは成長した象よりも一回り小さな身体を堅い外殻で覆われた姿をしている。小銃による攻撃では全く歯が立たない。また、その巨体に比してかなり足が速い。
  重装甲で小銃の攻撃を弾き、陣地に篭もる兵士を蹂躙することが戦車の目的だと考えるのならば小型星獣甲種は戦車そのものだった。
「数は百前後。第三級の我々からすれば大群だな」
  だが、藤井はニヤリと笑った。戦場の鬼たる下士官の笑みは敵となるならば恐ろしいが味方であるならばこれほど心強いものはない。
  百を超える小型の象の群が襲いかかってくる様は想像するだけで恐ろしい。だが、不思議と藤井ならば、たった一人でも全滅させられるのではないかという気にさせられる。
「無駄話はこれぐらいにするか。全員、依代と感覚共有。以降、別命あるまで待機」
「了解!」
  他の三人と同じ言葉を上げると雪人は肩に04と書かれた依代の下に走る。
  コックピットへと続くタラップの前には対衝撃兼座席固定用の胸当てとヘルメットが置かれている。手早く胸当てを装着し、タラップを駆け上がりながらヘルメットを装着する。
  コックピットに滑り込んだ雪人は胸当てとヘルメットが固定されているのを確認する。続いて座席に身体を押し付けて胸当てと両足を固定する。
  ――やっぱりこの感触は馴れないな。
  コックピットという閉鎖空間の中で座席に拘束されるのは気持ちの良い物ではない。
「脳震盪で気絶するよりかはマシか」
  依代は非常に揺れる。適切な対処をしなければ脳震盪を起こしてしまう。これは二足歩行する機械の性だ。
  よしっ、と身体が座席と一体化したことを確認し終えると雪人は両腕を両の肘掛けにある籠手のような形状の装置に差し込む。親指が上になった状態から座席の肘掛けに掌を向ける形で固定する。
「コックピット閉鎖」
  雪人の声に従ってゆっくりとコックピットの扉が閉められていく。
「第一次感覚共有開始」
  宣言と同時に身体の感覚が消えていく。
  依代と呼称される機械は操縦するのではなく、感覚を共有し、一体化することで動かす機械だ。そこには機械と人間の境界はない。神主は依代を己が身体とし、依代は神主をシステムの一部として組み込む。
  依代と感覚共有を行う過程は身体が粒子にまで分解され、隅々に行き渡るようだと、雪人は思う。無骨な上に不格好な依代と自分の身体が一つになっていく。
『こちら橘。第一次感覚共有完了を確認。別命あるまで現状で待機願います』
「了解」
  ――この感覚は何度、体験しても不思議だよな。
  触覚はなくなり、自分の意志で身体を動かすことが出来ないというのに決して不快ではない。むしろ意識が明朗となり、余分なモノから開放されたような気がするのだ。
  ――脳みそと心臓だけになったような気分、だよな。
  抽象的な感想ではなく、これが雪人の実感だった。
  同じ神主――つまり、パイロットたちにこのことを話すと同意を得られるが、相棒たる審神者――オペレータには気味悪がられるのだが、実際にそう感じるのだから仕方がない。
  それに、そもそもこの感覚を言葉で言い表す方が難しいのだから。
  雪人は相棒である美咲にもこの感覚を理解して貰いたくて一生懸命に説明したが、彼女が到達した結論は無惨なものであった。
  ノートに描いたビーカーの中でホルマリン漬けにされたような脳と脊髄と心臓の絵を指さしながら、「こんな感じ?」と気味悪そうに尋ねてきた。
  絵を描くことを趣味にしているだけに上手なイラストだったが、神主全員で全力否定した。こんな不気味なものと一緒にして欲しくないと。
  結局、この感覚は体感する以外に理解できないのだと決着が付いた。美咲はそれを悔しがったが、こればかりはどうすることも出来ない。
  二人で一つとして扱われる神祇官だが、彼女は審神者。
  今、雪人が感覚共有しているこの依代――戦闘用人型機械と同調することが出来ないのだから。
  ――それにしても……。
  雪人は思考を別の所に向ける。
  依代と感覚共有した者の大半が第一次感覚共有中は思考があちらこちらに飛び一つ所に落ち着かない傾向にある。それは雪人も例外ではない。
  ――オレは運が良いのか、悪いのかどっちなんだろう?
  この問いに何も知らない人たちならば間違いなく「運が良い」と断言するだろう。
  神祇官は特権者だ。多額の給与と幾つもの補償、そして縁者への生活支援金。その他、細かいものを加えれば数多くの特権が与えられる。
  戦死率が低いことを上げる者もいるだろう。
  だが、当の神祇官はその特権を享受する機会が極端に少ない。数多くの特権が与えられるとことは同時に大きな義務も負うことも意味する。
  一生涯兵役に従事すること、居住地は軍が指定した場所などの義務と行動制限が与えられる。何より大きいのが戦死を許されないことだ。
  神祇官と戦闘を共にする部隊には常にある特命が与えられる。戦闘不能となったパイロットと依代の中枢ユニットにして神霊の宿る神体の回収命令だ。
  例え部隊が壊滅することになっても回収が最優先される。神祇官は自分が失敗をするたびに兵が死んでいく様を見続けることになる。
  神祇官の死亡率の低さの裏で名も知られずに死んでいく兵たちがいるのだ。
  その恐ろしさがどんなものなのか雪人には想像するしかない。
「……まずっ」
  脳裏に浮かびそうになった想像を必死に振り払う。待機中、あれに囚われると戦うことなど出来なくなる。
  もう、初陣の時のような無様な姿を晒したくはない。その一念を以て必死に耐える。
『04。感覚共有に僅かな乱れを確認。ですが、神体の稼働状況も正常です』
  不意に聞こえた美咲の声に雪人は大きく吐息を漏らす。反抗しようとして逆に引きずりこまれようとしていたことを自覚する。
  指揮官に報告を続ける美咲の声を聞きながら一度、大きく深呼吸をする。
  吐き気を催す緊張と身体を奮わせる心臓の鼓動は落ち着く気配すら見せないが、思考の海に溺れずに済んだ。
『ユキ、大丈夫? こっちのモニターにも緊張しすぎって出てるわよ』
  審神者の職務には依代の機体状況の監視や命令伝達だけではなく、神主の状態監視も含まれている。
「大丈夫。初陣の時よりずっとましになってる」
  初陣は酷いものだった。思い出したくないが、あれを教訓に変えるためにも忘れるわけにはいかない。
「それよりも命令は?」
『まだ、待機のまま。さっきから香山さんが隊長に意見具申をしている最中』
「進歩のないヤツ」
  呟くが内心では、オレも同じか、と少し自己嫌悪する。
  少しはまともになってきたが、まだ精神面で綱渡りをしている自覚がある。
『聞いてみる? 少しは気分転換になるかもよ』
  盗み聞きしているようで気が引けるが、雪人も二人がどんなやりとりをしているのか興味がある。姿の見えない相手に怒鳴っている香山まどかの赤い顔が容易に思い浮かべられた。彼女には悪いがそれを想像するだけで面白いかも知れない。
『渚ちゃんと高野も聞いてるみたい』
  ならば、問題なしだ。赤信号、みんなで渡れば怖くないと同じ。それに審神者たちはこのやり取りを耳にしているのだから盗み聞きにはならないだろう。
  もし、何かあったとしても同じ神主同士の連帯責任だ。
「それじゃ、少しだけ頼む」
『了解』
  返事と同時に音が途切れる。次の瞬間には甲高い少女の声が雪人の耳朶を殴りつけた。
『私たち神祇小隊にはある程度の独自裁量権が認められていると以前、仰ったじゃないですか! 戦闘中の友軍を見捨てて待機していろだなんて納得できません!』
『香山。お前がさっき言ったろう。あくまでも、ある程度、だ。それとも、好き勝手に動いて状況を滅茶苦茶にしたいのか?』
  香山の抗議に答えたのは小隊長である岡崎だ。教室ではそう聞こえないが、通信で聞くととても良い声に聞こえるのが不思議だ。
  夜中に発声練習をしているという噂はあながち間違いではないのかも知れない。
『そうは言っていません。せめて誰か一人を増援に向かわせれば良いだけの話ではありませんか! 歩兵にとって小型甲種が脅威でも私たちにはさほどの脅威ではありません』
『確かにそうだな。だが、却下だ。お前たちが経験と確かな戦歴を積んで、尚かつ第四世代以上の依代を与えられていたのならばオレもすぐにそう命じるだろう』
  雪人たちが使用している依代は第三世代と呼ばれる中古品だ。殆どの戦線で第四世代に移行を済ませている現在、この第三世代は骨董品も良いところだ。
  何しろ、第三世代が現役であったのは2017年現在から数えて30年前だ。
  確かに第四世代に比べて性能は劣るが、良い点も多い。
  度重なる改良により依代の信頼性は高く、補修部品も多くある。
  第一線で運用するには時代遅れだが、雪人たち新任神祇官に第四世代以降の依代を与えても十分に性能を発揮させることが出来ない上に、すぐに依代を壊すので整備の面でも第三世代の方が都合が良いのだ。
『それに、だ。整備から報告を受けたがお前たちの依代は無理が出来ないのだろう?』
『ですが!』
『文句があるならまず実力を付けろ。別命あるまで待機。以上だ!』
  再び音が途切れる。美咲との一対一に戻る。
『だってさ。どうやら、わたしたちのお相手は第二陣みたい。中型星獣がセットになってるから危険度はこっちの方が上。けど、広域レーダーを見る限りじゃ、私たちの獲物は到着するまでもう少し時間がかかるみたい』
  先ほどまで音の発生場所を特定するような聞こえ方だったのが、耳の一点を振るわせるような聞こえ方に戻る。
『香山さんが大騒ぎするのも分かるんだけどね。すぐ近くで友軍が戦ってるのに何もしないのはあんまり気分が良くないし。でも、司令の言うことも分かるんだよね。変に出しゃばると大変なことになるだろうし……はははっ。青葉くんも大変だ。司令に代わって必死に香山さんを宥めてる。……ユキ、どうしたの?』
「…………」
  彼女の言葉に小型星獣たちが押し寄せてくる様が浮かんでくる。
  それは悪夢そのものの情景。思い返したくもない。再び現実に起こしてはならない光景。
『大丈夫? また少し脈拍が速くなってる』
「ゴメン。また、ちょっと緊張してきただけだから気にしないで良い」
  いらない心配はかけたくないと雪人はそう言って誤魔化した。
「……もしかして、夕べの失敗を気にしてる?」
「…………」
  見当外れな問いかけだが、あながち外れと言うわけでもない。
  動かすことは出来ないが左腕の辺りが妙に重いことが何も語らずとも自分の失敗を訴えかけてくる。
  こういう時、どうしても自分は小心者なのだと思い知らされる。だが、小心者の殻を被って小さくなっていることは神祇官には許されない。
  何より雪人自身がそれを許していない。彼がここにいるのは仇である星獣を滅ぼすためだ。仇を前にして脅えるためにここにいるのではない。
  神祇官は例え絶望的な状況に陥ろうと、兵士の前では威風堂々たる態度で戦場に立たねばならない。それこそが神祇官、絶望の世にただ一つ残された希望そのものなのだから。
  頭では分かっていても感情がそれに従わない。戦うのは怖いし、失敗すれば落ち込む。
『オペレータのわたしがこんなこと言うべきじゃないって分かってるんだけど』
  戸惑うように美咲は前振りをすると、
『万が一、ユキが失敗しても香山さんや渚ちゃん、高野がフォローしてくれる。それでもダメな時は他の部隊がフォローしてくれる。宇治の大久保の部隊だけで対処できなくても八幡市で待機しているの佐藤連隊がフォローしてくれる。これにユキが頑張るのを加えれば四段構え』
「…………」
『それに整備の人たちもユキのこと良くやってるって言ってくれてる』
「けど……」
『けどじゃない。わたしはこんなことで気休めが言うつもりはないよ。ユキは頑張ってる。そりゃ、香山さんたちに一歩遅れを取ってるけどすぐに追いつける。今日までの撃破数が二十三。後七体撃破で若葉マークを外せるところまで来てるんだから』
  神祇官における撃破数は中型星獣の数によって行われる。そして三十体撃破したとき正式に神祇官としての特権が与えられる。美咲の言う若葉マークとはあくまでも比喩表現だ。
  応援とは違う。美咲の事実のみを告げる言葉に雪人は小さく吐息した。
  積み重ねてきた物に実感を覚えなくても、彼女の言葉に偽りはない。
  自分はしっかりと前に進んでいたのだ。
「右も左も、後ろも見て良い。けど、足は前に向けろ、か。美咲?」
『ん?』
「ありがとう。その、色々と」
  今だけではない。彼女には何度も有り難いと感じている。その感謝の気持ちを込めて、ありがとう、なのだ。
『これでも一応、相棒だからね』
  言葉に照れが混じっているのが分かる。してやられることの方が多いだけに少し気分が良い。
『……はい! 現時刻より依代の行動権を神主に移行します』
  それはつまり、攻撃命令が下ったことを意味する。心臓の鼓動がより強くなる。
『三十秒後に全感覚投入。五秒前にカウントダウン開始。準備願います』」
  準備と言っても神主に出来ることはなにもない。三十秒後に来る全感覚投入の衝撃に身を固くするだけだ。鼓動が早くなる。先ほどまで鼻を突いていた無機質で空虚な臭いが感じなくなった。
『こちら司令。大隊司令部より出撃命令が出た。全機、宇治市木幡に徒歩行軍。1429に木幡に到達の予定の中型星獣丙種の殲滅が目的だ』
  残り十五分あまり。恐らく間に合わない。
  星獣の長距離砲、もしくは迫撃砲である中型星獣は一般に鈍重だ。しかし、丙種に属する中型星獣は移動力に優れている。到着は向こうの方が早いはずだ。
『弾薬は二基数分。指揮車は国道二十四号沿いにて指揮を執る』
『……三、二、一、全感覚投入します』
  美咲の声と同時に全ての感覚が開く。それは薄明かりの密室から不意に全天の下に放り出されるのに似ている。強すぎる陽の光に目が眩むが機械の目は瞬時に補正をかけてくる。
  周囲に見える廃屋がいやに小さく見える。
  今、雪人の身体は165pの少年のものではなく、全高9m弱の機械の身体になっているからだ。
  全身の各所に取り付けられた感覚素子から人の身では知ることの出来ないものを知覚する。足下と頭部の気温の違い。風の流れや匂い。意識の切り替えさえ行えば紫外線や赤外線すら見ることが出来る。
『04。依代との感覚共有率変動……安定しました。これより全視覚素子を開放します。……五、四、三、二、一。開放します』
  美咲の合図と同時に雪人の全身に取り付けられた視覚素子が周囲の情景を見せてくる。
  ――地球って丸いんだって自覚できるよな。
  教科書や授業で知識として教えられるよりも一度、こうして見せてやればすぐに理解できるのに、と雪人は思う。
  空が白んでいる。夜明けの時だ。再び生まれた光が急速に世界を覆う闇を追い払っていく。
  ――世界はまだ負けていないんだ。だったら、オレもまだ負ける訳にはいかない。
  緊張の中、雪人はそんなことを思った。前方、後頭部、背、腹部、腰に取り付けられた全ての視覚素子から流れ込んでくる情報が雪人の視神経に訴えてくる。
  世界は二つの目だけで感じるものではない。世界はこんなに広いのだ、と。
  人にあらざる視界に酷い吐き気を覚える神主は多い。その中で雪人は例外だった。
  彼はこの感覚が好きだった。自分が世界の一部なのだと実感できるこの感覚が。
  だが、いつまでもこの全天と大地の視界を味わっていることは許されない。
  それぞれの視覚素子ごとに視点を動かして、問題がないか最終確認を行う。
「全視覚素子、稼働を確認。視点移動も問題なし」
『了解。通常視界に戻します』
  僅かな間をおいて雪人の視界は人間のものに戻る。
  全視覚素子開放の後はいつも思う。
  目が二つしかないことがなんと不便なんだろう、と思う。
  だが、この感覚もすぐに補正される。これが人間本来の視界なのだから馴染むのも早い。
『04、稼働チェック終了。ハンガー開放及び装備受領の許可を願います』
『許可する』
  岡崎の言葉に従って、整備士たちの間でハンガーの下降、依代の接地後、ロック解除を行う旨の声が聞こえる。
  ……接地した。幾つもの土煙と重く甲高い音を響かせて依代は地に足を付いた。10t超過の重量を保持し続けていたロックが腰部、肩部を開放する。
  上半身の重量を受け止めて脚部が僅かに縮小する。
『ロック解除、確認しました。続いて武装受領を開始して下さい』
  美咲の声に覆い被さるように岡崎の声が重なる。
『……了解。02、即時顕現は可能か?』
『やってみます!』
  02こと、高野の声が聞こえる。緊張で幾分声がうわずっているのが分かる。
  なんだオレだけじゃないんだな、と少し雪人は安心する。
『よし。顕現可能ならば全速で目標に向かえ。但し、単独で撃破することは考えるな。お前の役目は目標の注意を逸らすことだ。目標の攻撃対象は宇治カントリークラブ跡陣地に展開中の部隊ではなく、軍の補給施設だ。02,なぜ俺たちがここに急行するか分かるな?』
『は、はい。ヤツらに飯の横取りはさせません!』
『そうだ。香山!』
『はい!』
『目標撃破後、四機とも戦闘続行が可能ならば宇治カントリークラブ跡陣地の支援に向かう。迅速且つ慎重に撃破しろ』
「了解!」
『よし! 全機行軍開始! この地で戦う全ての者に知らしめろ! 神は舞い降りたのだと!』
  整列していた依代たちが動き出した。一歩を踏み出す。脚部と地面の間に瞬間的に高い接地圧が生まれるため砂塵は円形状に舞い上がる。複雑に絡み合った駆動音と足音を響かせて依代は前に出た。舞い上がった粉塵は円陣を乱されて、薄布の如く巨人の姿を隠す。
  汚れ、傷つき、それでもなお戦場へと向かうその姿は勇士そのもの。恐れ、身体が震えようと自らの足で戦場に向かう勇気を鋼の巨人は得たのだ。
  無骨で不格好な容姿ではあるが、この瞬間、依代は紛れもなく力強き存在として人々にその威なる姿を見せたのだ。
  整備士たちは全身を砂埃に包まれながらも帽子を振って雪人たちを見送ってくれる。
  四機の依代の手には同じ武装が施されている。手には20o機関砲が握られ、左脇腹には予備弾薬倉が一つ取り付けられている。腰部には依代用小剣が装備されている。
  整備員たちが挙げる激励の声を聴覚素子が拾う。気を付けて選別すれば個々の声も聞き分けられるだろうが、今はしない。
  一歩を踏み出す。この期に及んでも吐き気は収まらず、鼓動は早い。
  だが、もう無様なことはしない。今日の日付で、メモ帳に書いたのだから。
  今日の作戦は大成功、と。
  02が全力で前方へと出る。雪人たちから抜き出た02は腰を屈め、さらなる加速を求める。それはより強く、より速く。ただ、前へと。02は駆けていく。
  急激な機動に脚部間接は高音の悲鳴を上げる。叫びは熱を生み、夜気の残滓と邂逅し、蒸気が生まれた。薄衣の如く靡いて見える蒸気に時折、無粋な黒が混じる。アスファルトの破片だ。
  超重兵器たる依代はただ歩行するだけでアスファルトの道を砕く。それが全力で駆ければどうなるかは一目瞭然。整地された道は踏み砕き、衝撃で周囲の建造物のガラスが割れる。路面に降り積もっていた塵が舞い上がる。
『02.神格値、顕現可能域に到達。……顕現します!』
  02の審神者、水口さつきの宣言を現実の物とすべく02は姿を変質させる。
  白む空の下、02の背に翼が生まれ出ずる。これまで何かから堪えていたかのように翼が花開く。幾枚もの白き羽を散らしながら天を突いて生まれる。
  羽の一枚一枚は精緻にして繊細な柔らかさを見せる。されど、その翼は陽光を集めて出来たような力強さを持っていた。
  生まれ出でた翼を02は僅かに調整する。空へ――翼持つ者のみが辿り着ける唯一の場所に赴くために。
  自ら生み出した気流の流れに翼は依代を空に運ぼうとする。だが、02は翼を僅かに畳むことでそれを拒絶する。彼が求めるのは暴虐無比なる風の力だ。
  ただ空に浮くためだけ力を02は求めてはいない。欲するのはこの身が放つ全力なのだ。
  咆吼が廃墟と化した町に木霊する。それは敵を殲滅するべく突撃を行う兵士のそれだ。
  雄叫びに呼応するように依代は己が姿にさらなる変化を求める。無骨な依代の装甲が光を放ち始めた。光は依代の有り様を否定して、己が本来在るべき姿へと変容していく。
  両の肩部装甲が二の腕を覆うように伸張し、胸部装甲は分厚く隆起する。流線型でありながら威を放つ焔の如き朱の鎧に変化する。
  兜の如く変化した頭部の下には中性的な細面の顔が生まれる。見えるのは頬より下。だが、彼の天使が如何なる感情を顕わしているかは分かる。歯を向き、両の口端を上げて形作る表情は憤怒。峻烈なる怒りがそこには存在していた。
  兜から銀糸の髪が生える。依代の中枢たる神体の放熱版が変化した物だ。余剰に発生した熱さえも光と変えて天使は駆ける。
  もはや、機械としての依代の姿はない。耳障りな金属の擦過音も駆動音もない。
  天使が存在していた。まごうことなき天使の姿がそこに存在していた。
  それは暴食の化身たる星獣をこの地上より殲滅せんがために神が放てし一条の槍。
  鎧と同色の沓に覆われた両の足が依代であった頃には不可能な加速を生む。
  閉ざされた翼に暴風のような風が溜め込まれていく。全ての羽が風に満たされていく。
  次の瞬間、それは解放された。堪えるように閉ざされていた翼が今、大きく開かれた。
  天使の翼が力強く羽ばたく。翼によって溜め込まれた空気の固まりが地に叩き付けられる。それは爆発そのものだ。周辺の建造物を爆風で薙ぎ倒すことも厭わず羽ばたき続ける。
  天使は舞い上がった。揚力の力ではなく、暴風を我がものとして空へと舞い上がったのだ。
  その姿は荘厳にして、勇壮。神聖にして不可侵たる存在が空に向かう。
  人は白鳥が空を舞う様にすら感動を覚える。ならば、それが本物の天使であったのならばどうだろうか。恐らく人が抱くのは畏敬と畏怖の二つのみであろう。
  今、どれだけの兵士が彼の天使の姿を見上げているのだろうか。ある者は歓声を上げたかも知れない、またある者は戦いの終結が近いことを感じたかも知れない。
  そして、訳もなく滂沱し、天を行く白き翼を見上げる者もいたかもしれない。
  雪人は戦場へと疾く翼を憧れと嫉妬を交えながら見送った。
  いつか、オレもあそこに行くんだと思いながら。




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