フィーナには友達と呼べる者がいなかった。
その事は両親の悩みの種でもあった。
だが、彼女自身はそんな事を気にしたことはない。
何故なら、彼女には友達と呼べる物が二つあったからだ。
クマのぬいぐるみのシャムラと彼女の家に代々受け継がれてきた樹『ワークの樹』だ。彼女はその樹の下で本を読むのが好きだった。
ワークの樹の下にいると気持ちが安らぐ。大きく優しい力が彼女の周りに漂っているのを彼女は感じていた。
だが、今日のフィーナは浮かない顔で樹の下にやってきた。
家を出る時、彼女の父ロルスインの話しを偶然、聞いてしまったからだ。

「ワークの樹を国の管理下に置くとはどう言うことなのですか!」
ロルスインは声を荒立てて抗議をしている。
接客室でのことだ。今日は大切なお客様が来るとフィーナは母親から聞かされていた。自室に戻ろうと客間を横切ったとき先程の抗議の声が聞こえたのだ。
「お父様?」
思わずフィーナはその歩みを止めた。
「ワークの樹は我がリスティ家が代々守護して来た樹ですぞ。いわば、家宝のような物。はっきりとした理由も聞かずに管理権をお渡しする事は出来ません」
ロルスインはラー・フィス国の貴族院議員として、国政の一翼を担っている。
重職にこそ就いてはいないが、人望も篤く将来は内務大臣として国政を司るだろうと言われている。
また、彼はラー・フィス国の守護樹である『ワークの樹』の管理も行っている。
ワークの樹には完全守護の力が宿っていると言われている。
事実、侵攻してきた他国の軍は何かしらの理由で行軍は頓挫してしまうのだった。
それが本当にワークの樹の力によるものかは分からない。だが、ワークの樹が国の象徴であり、国民の王家への信頼の証であることに代わりなかった。
「これは全て陛下の命なのです。素直にお返しするのが筋だと思いますが」
客の声が聞こえてくる。
「・・・・・・・・・・・・しかし」
ロルスインには反論の声を挙げることが出来なかった。
元々、ワークの樹は数代前の国王の所有物だからだ。
それをリスティ家の始祖に恩賞として管理をまかせた物だった。
勅命がだされた以上、ワークの樹を返上するのは筋だろう。
だが、ワークの樹を返上すると言うことは世論からリスティ家への国王の信任が薄れたと思われてしまうかも知れない。
いかに政治手腕が優れていようと国王の信任が無ければそれを十二分に発揮できない。そうなれば、政治生命に関わる。それは即リスティ家の没落に繋がる。
彼は勅命と自己の政治生命の板挟みにあっているのだ。
「まだ、時間は十分にあります。ゆっくりと考えて下さい」
少しの沈黙の後、再び客の声が聞こえてきた。
男は懐中時計を一度見た。
「さて、そろそろ時間だ。失礼しますよ」
客室のドアが開いた。そこには不釣り合いな片眼鏡を付けた男が立っていた。
フィーナに気付いたのか男は彼女に声をかけてきた。
「あなたはリスティ卿の・・・・・・確か、フィーナさんと言いましたね。これから、ちょくちょく寄らせていただきますからね。よろしくお願いしますよ」
男はそれだけ言うとツカツカと廊下を歩いていった。
フィーナは男の背中に一つ頭を下げた。
客間を見るとロルスインが頭を抱えて何か考えている。
とても、声をかけられるような雰囲気ではなかった。
「フィーナ」
いつの間にか彼女の後ろに立っていた母が優しく声をかけてきた。
「お父様は少し、お疲れになってる見たいね。そっとしておいてあげましょう」
「・・・・・・・・・・・・はい」
フィーナは力無く返事を一つした。
「そろそろ、花壇に水を撒く時間じゃないかしら? 遅くなると花壇の花が寂しがるわよ」
フィーナは毎日、同じ時間に花壇の花に水をやっている。
彼女は母に促され、庭に出た。
花壇の花や木々は普段と幾分も違わない輝きを持っている。
それはフィーナが大切に世話をしてきた証でもあった。
彼女は草花の一つ一つに大切に水をあげた。
そして、最後に庭で一番大きな樹。ワークの樹の側に行くのだった。
「もう、あなたに会えないかもしれない。勅命であなたの側にいられなくなるかもしれないの」
フィーナはワークの樹に語りかけ始めた。
「もし、あなたがいなくなると私、落ち着ける場所がなくなってしまう。お父様やお母様、家の人も優しくしてくれるわ。でも、どこかよそよそしいの。まるで、腫れ物を扱うように。でも、あなたは何時も私に本音を話してくれたわ。あなただけなの。私には」
涙目になって、ワークの樹にもたれた。
「無理かもしれないけど、お父様に頼んでみるわ。あなたを護ってくれるように」



暗い部屋だ。まだ、昼間だというのにカーテンを閉められている。
明かりと言えば、テーブルの上に並べられた蝋燭の灯りだけだ。
その部屋に数人座っている。暗くてよく分からないが、それなりに権力を持った者達だと言うことはその服装を見ればよく分かる。
「みなさんもおわかりのことと思われるが、本日、集まっていただいたのは・・・・・・」
口調からして、彼がこの場の議長的な役割をしているのだろう。
「ワークの樹の事ですな」
「その通り。先日の会議で示し合わせた通り、リスティ卿に使者を送って置きました。結果は予想通り断られました」
「当然だろう。ワークの樹はリスティ家の家宝と言っても過言ではないからな」
「今後も定期的に使者を送り続けます。予定通りにね」
「しかし、あの男が絶対にワークの樹を手放すはずはないでしょう。一人娘があの樹のことを大変気に入っているそうですから。彼の性格では説得は無理なのでは」
「確かに」
「では、こうしてはどうだろう。部隊を派遣し、リスティ家の屋敷を制圧するというのは」
「それは無謀という物ですぞ。そんな事をしては他国に要らぬ警戒心を与えることになります。今までの苦労が水泡に帰す事になりかねません」
「いや、巧く行動すれば怪しまれることはないでしょう」
「どうなさるというのです?」
「簡単なことです。リスティ卿を陥れるのですよ」
「ほう。しかし、そう巧くいきますかな? 彼の政治手腕は勿論の事ながら、他の議員からの人望も篤い。それに加えて陛下の覚えも良いと来ている。これだけの男を陥れるのはそう、簡単ではありませんぞ」
フィーナの父、ロルスインの能力は彼らも一目を置いていた。
「そこいらにいる政治屋と私たちを一緒にしてはいけません。我々が時を間違えさえしなければ必ず、成功します」
彼には自分の能力に自信があった。絶対的な。男はスクッと立ち上がる。
それに同調して、他の者達も立ち上がった。
「全ては我らの目的の為に」
『全ては我らの目的の為に』



国王よりの使者が訪れてから数ヶ月の間、ロルスインの身辺におかしな事が起こり続けていた。
財界から突然の献金の見合わせ、そして、今まで彼の後ろ盾だったエイハム財務大臣の突然の死去へと続いていった。送り主の不明な投書が毎日のように送られ続け、根も葉もない噂が流れ始めた。それは日増しにエスカレートしていった。
それと並行するようにリスティ卿の人望も日増しに薄れていった。
この異常事態にさしものリスティ卿も自動人形の様に、執務室の中をグルグルと歩き回っている。そこにフィーナがやってきた。
「どうしたんだね、フィーナ」
彼は愛娘に要らぬ心配をかけまいと普段通り振る舞おうとしたが、彼の放つピリピリとしたものをフィーナは感じていた。
「お父様。どうしてもあの人を、ワークの樹を国王様にお渡ししなければいけないのですか。今まで通り、私たちと一緒にいることは出来ないのですか」
「フィーナ。お前、そこまでワークの樹の事を」
「お願いです。ワークの樹を渡さないで!」
ロルスインはある種の感動を覚えた。普段、フィーナは決して自分から頼み事などしない。
何時も誰かがそれに気付くまで何もしないのだ。
そのフィーナが自分から頼み事をしたのだ。ただの我が儘ではない。
心の底からワークの樹の事を案じていると言うことだ。
「安心しなさい、フィーナ。ワークの樹は絶対に護ってみせるからね」
「ありがとう、お父様」
娘の為にワークの樹を護る。その為にリスティ卿は確固たる意思を持って動き出したが時はすでに遅すぎた。
まず、彼は議員仲間に相談を持ちかけたが、誰一人として受けようとはしなかった。その原因は一連のリスティ卿を中心とした事件にある。
もし、リスティ卿の相談を受けたとあらばどんな、災いが降りかかるとも限らない。そんな噂が立っているのだ。誰も自ら進んで危険に巻き込まれたいとは思わない。
彼は次第に孤立していき、誰も彼の声を聞こうとする者はいなくなった。



再び、あの暗い部屋。
「いよいよ、最終行動ですね。用意は出来ましたか?」
「準備は万端ですぞ」
一息間を空けて。
「しかし、あの男の政治力を失うのは惜しい気がする」
「仕方ないだろう。彼には我々の政策に反対している。もう、限界だと言うのに」
「彼は平和主義者だ。あくまで対話で事態を打開しようとしている。戦争も政治の一つだと言うことを理解しようとしない」
「火に近寄れない猿だな」
「如何に能力が有ろうとも時勢を読めぬ者は必要ない」
「数度となく、私の独断でお誘いしたのだが」
「彼は断ったのですな」
男は無言で頷く。
「・・・・・・残念ながら」
と声のトーンを落とす。
「仕方がありません。それが、彼が選んだ道なのだから」
「そうですね。・・・・・・後の事はお任せします」
「承知した」



ロルスイン卿が娘の為に東奔西走をしていたある日、突如、彼の屋敷に警備兵が押し掛けてきた。
「何事です!ここをリスティ家の屋敷と知っての狼藉か!!」
執事の叱責が玄関に広がった。
警備兵の中からその声を聞きつけ一人の男が前に出た。
「無礼をお許しを。私は保安局のワイクと申します。とある筋よりの情報で貴殿の屋敷に国庫の公金を横領したと言う証拠が有るとの事。これが令状です。卑しいところがなければ、捜索の許可を頂きたい」
「何事だ!」
「あっ、旦那様。保安局の方が妙な言いがかりを」
どうにか執事は平静を保ちつつ、主に状況の説明をした。
「何かの手違いかもしれぬが。いいだろう、家宅捜索を受け入れよう。その代わり、家財に傷が付かないよう使用人を見張りとして付けるがよろしいか?」
「了解しました。おい!」
警備隊長ワイクは配下の兵に命じてリスティ邸の家宅捜査を始めた。
小一時間程しても、証拠の品は出てこない。次第に警備隊長は焦り始めた。
ロルスインの方は憮然とした態度で捜索を見ていた。
「なかなか出てきませんな」
「それは私への侮辱か。元々、私は公金を横領してはいないのだ。出てくるはずはない」
「まぁ、ゆっくりと行きましょう。時間は十分にあるのですから」

夕方になると大きな変化が現れた。
一人の兵士がワイクの元へやってきて、耳打ちをした。
「・・・・・・そうか、モノをここへ」
ワイクは先程までの焦りの色が消え、余裕の色が濃くなった。
父の影からその表情を見たフィーナは妙な胸騒ぎが起こった。
・・・・・・何か、いけない事が起きる。
そう感じたのだ。
やがて、先程の兵士が戻ってき、ワイクに数枚に及ぶ紙を手渡した。
それを見たワイクは薄い笑みを浮かべた。
「見つかったようです。これがその証拠です」
そう言うと警備隊長は兵士から渡された紙をロルスインに見せた。
「陰謀だ! 私は公金の横領など断じて行ってはいない。神に誓って!」
「では、これはどう言うことですかな?」
それは絵画をはじめとする美術品の代金請求証だった。
ロルスインの収入ではとてもじゃないがこれだけの購入資金を捻出することは出来ない。
「まぁ、いいでしょう。我々は証拠を手にした。後は行動に移るまでです」
「・・・・・・行動だと」
ワイクの口端に嫌らしい笑みを浮かべた。それはまるで下の大地に棲む野人のようだった。
「こう言うことです」
ワイクは己の剣を抜き、リスティ卿に一閃した。
ロルスインの左肩から腹部にかけて切り裂かれた。
彼はわざとこうしたのだ。長らく見なかった血と恐怖に引きつった人間の顔を。
「どう言うことだ、これは」
ロルスインは自分の傷口を押さえ、必死に痛みを堪えていた。
「我々には指令が二つ下されていました。リスティ邸の捜索を行い証拠の品を探し出す。見つからなければ素直に引き上げる。もし、見つかればあなたを含む家人全ての処刑。勿論、罪状は公金横領です。陛下を謀った罪は重いのです」
それだけ言うと警備隊長は持っていた剣を持ち直した。
「逃げろ!! コロ!? ・・・・・・サレる・・・・・・ぞ」
ロルスインは心臓を突きされ、絶命した。
「・・・・・・・・・・・・」
死を確認するとワイクは一つ頷いた。
側にいた兵士は駆け出していった。
虐殺劇が開かれたのだ。
「リスティ卿の娘が側にいたはずだが・・・・・・」
辺りを見回してみたがフィーナの姿を捕らえることは出来なかった。
「まぁ、いいだろう。すぐに所在は割れる」
それだけ言い捨てると警備隊長は屋敷を後にした。



フィーナはただひたすら逃げ続けた。父の言葉に従ったのだ。
父の最後を見てはいない。父を失ったことを受け入れる反面、まだ、生きているような気もしていた。そう、信じたいのだ。
逃げるにしてもフィーナには当てはない。ただ、ひたすら走るだけだ。
彼女を追う警備兵の数は少ないが、兵士達の頭の中にはロルスイン卿一家の詳細なデータを記憶していた。フィーナが見つかるのも時間の問題だった。
「いたぞ!」
一人の兵士がフィーナに気が付いた。分からない通りはない。
フィーナは派手ではないにしろ普段着用のドレスを着ている。
こんな、服装をしていては否が応でも目立ってしまう。
逃げ切れない。そう思ったフィーナが行き着いた結論は、
「殺されるのならワークの樹の下で死にたい」だった。

闇夜に紛れてフィーナは自宅の庭に戻ってきた。
ワークの樹。
この樹のある庭園だけはリスティ家領内にあって、何時もと何ら変わらなかった。
何時もと同じ、風に揺れていた。
「ワークの樹」
フィーナはようやく、ワークの樹の側まで来ることが出来た。
彼女はうなだれたまま、泣き始めた。
「長い間、待ちましたよ。あなたには申し訳ないが、ここで死んで貰わなければならない。恨むなら、あなたのお父上を恨むことですな」
フィーナは兵士の声に振り向こうともしなかった。
兵士の一人が剣を抜き、ひと思いに突き殺そうとした。
フィーナは恐怖に目を瞑った。
だが、いつまで経っても、痛みはおろか突き刺された衝撃さえ受けてはいなかった。
フィーナは顔を上げ、後ろを振り向くとそこには幾つもの鮮血を吹く兵士達の死骸が転がっていた。
そして、その死骸の中央に巨大な何かが立っていた。
「・・・・・・あなたは」
フィーナが気を失う瞬間、枯れ葉が舞い散るのを見た。
ワークの樹は枯れたのだ。






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