第一章
第一話 目覚めてみればそこは…… 始めに感じたのは猛烈な違和感だった。 普段ならベッドの中でぐずぐずしている事の多いアスナだが、今日は不思議とあっさり目を覚ました。 少しぼやけている頭のまま周囲を見回してみる。 微妙に歪んだ組立式の黒い棚に鎮座するPCもカバーを被せられてタイトルの分からない小説たちも、家具調こたつの上にある食べかけのスナック菓子やティーサーバもどこにもない。 なにより彼の友人曰く、雑多というよりも混沌である六畳一間のアスナの自室がなぜか異様に広い。彼の部屋の三倍以上はあるのではないだろうか。 周囲にはタンスや本棚といったものがなく、どちらかと言えば勉強か仕事をするための部屋のように感じる。生活臭のない、どこかテレビで紹介されるホテルのロイヤルスウィートルームを彷彿とさせる。そして、その違和感の象徴のようなものが今、自分が寝ている場所だ。 天蓋付きのベッド、である。 布団は自分を包み込むようにふわふわで、薄い掛け布団には淡い花のような匂いがする。お香か何かで香りをこめているのかもしれない。 情けなくなるほどの煎餅布団で、汗の匂いの染み込んだアスナの布団とは雲泥の、いや比較することすら出来ない違いだ。 この状況にやはり違和感を感じる。だが、居心地が悪いとは感じないのが不思議なところ。 「……ふなぁっ?!」 ようやく状況を把握したアスナは奇声を上げた。と同時にドアが控えめにノックされる。 「は、はい!」 寝起きで裏返った声を受けてドアが開く。 「お目覚めでしたか」 白のシャツに黒のベストにトルーザーで身を包んだ初老の紳士だ。よく撫で付けられた銀の髪、確かな時を刻んできた皺、そしてなによりアスナに強い印象を与えたのは、 「……片眼鏡だ」 少し憧れていたベストに片眼鏡の紳士がいるのだ。感動である。 だが、初対面の相手には失礼極まりない。 「この眼鏡が珍しいのですか?」 紳士は気にしてはいないようで、なんとも人好きする笑顔を浮かべてアスナに片眼鏡を見せてくれる。 「あの」 「どうぞ」 受け取ってしげしげと眼鏡を眺める。そして、かけてみる。 何度か冗談で友人の眼鏡をかけてみたことはあるが、眼鏡をかけているのに視界に変化がないというのは初めての感覚だ。 鼻の上に乗せるだけというのが妙に頼りない印象を受ける。 「あの、度がはいってないみたいなんですけど」 「雰囲気です。代々この城に仕える執事長に受け継がれるものなのです」 「あの、城とか執事長って? それになんでオレ、こんなところに」 「申し訳ありません。説明が遅れましたな、我が主」 「……はぁっ!?」 片眼鏡が落ちる。紳士はそれを拾い、かける。 「わたくし、この城の執事長を務めさせていただいておりますストラトと申します」 初老の男、ストラトは深々と腰を曲げた。 「あっ、ご丁寧にどうも。坂上アスナです」 「存じ上げております、我が主」 「その我が主って。それにここって」 「では、順を追ってご説明させていただきます。我らがラインボルトには統率する者として魔王を戴いておりました」 魔王。 この聞き慣れた、だが現実では馴染みのない単語にアスナは変な顔をした。 寝癖のぼさぼさ頭がそれに拍車をかける。 「そうですな。まず、そちらからお話ししましょう。ここは幻想界。アスナ様のような人族の言葉を借りれば魔界や妖精界などと呼ばれる世界です」 「ま、魔界ぃ!」 「左様で。ここ幻想界では、アスナ様たち人族の世界、我らは現生界と呼んでおります。現生界には存在しない力や種族が存在しております。例えば魔法のような力も」 言ってストラトは人差し指を立てる。そこに炎が灯る。 小さく指を振ると、そのロウソクに灯るような小さな火が絨毯に飛ぶ。 「あっ。……あれ?」 絨毯の上に落ちた火は燃え広がることがなかった。ただ灯火があるだけだ。 それどころか灯火はゆっくりと動き回っている。そして、止まった。 「お手を近づけてみて下さい」 言われるままにアスナは小さな灯火に手を近づけていった。 「あれ?」 熱さどころか、温かみすらも感じないのだ。目を丸くするアスナにストラトは笑みを濃くし、ベストから取り出した懐紙を火にかざす。燃えた。 それは確かに火であることを示す現象であった。 「ご理解いただけましたか?」 壊れた人形のようにガクガクと頭を振るアスナ。火は絨毯に吸い込まれるように消える。 「この幻想界には現在、我らがラインボルトを含め五つの大国が存在しております。この五大国は敵対し、時には同盟を結びながら存在し続けておりました。ですが現在、その均衡が崩れつつあります。なぜだかお解りですか?」 「政治の話はちょっと」 「難しく考える必要はございません。何事も簡単なことが絡まりあった結果が難しいということなのです」 「それじゃ……・どこかの国がいきなり弱くなった、とか」 正直、それしか浮かばなかったのだ。だが、その答えが正解だとストラトは笑みを浮かべた。 「その通りです。その弱くなってしまった国こそ我らがラインボルトなのです」 「それはまた何で」 「我らが国の構成に原因があるのです」 「はぁ」 いまいち要領の得ない返事にもストラトは笑みを崩さない。 「我が国の軍の将はどれも他国に劣らぬ実力者揃いなのですが、軍を構成する者たちの大半が弱卒なのです。それでも他国に伍することが出来たのはひとえに魔王の存在が大きかったのです」 「それって魔王が尋常じゃなく強いから、ですか?」 「全くその通りです。我が主は聡明であられる」 「あ、ありがとうございます」 一頻り照れるとアスナは先を促した。 「今から一年ほど前に先代の魔王が突如、崩御なされました」 「病気とか、なにかで?」 「いえ、魔王は病に倒れることはありません。先代は、いえ魔王と呼ばれる存在はこの世界最強です。他者の力によって命を落としたことはただの一度もございません」 「それじゃ、なんで?」 「魔王を殺せるのは魔王のみ。先代は自らの力に飲まれてしまったのです。言うなれば、それが魔王と呼ばれる存在が天寿を全うしたことであると言えるでしょうな」 つまり、このラインボルトという国の軍は上層部は非常に優秀なのだが、それを支える兵たちが世界平均以下だということだ。 そして、戦争というのは一部の者が強いだけでは勝つことは出来ない。特別優秀な存在は勝利へのきっかけを作ることしかできない。戦争の趨勢を決めるのはいつでもどこにでもいるヤツだ。そのどこにでもいるヤツが弱ければいくらきっかけを作れても戦いには勝てないということだ。 そう考えると、この状況を覆せる魔王という存在がとてつもない化け物に思えてくる。 すでに魔界だ、魔法だとかの世界なんだ。そう言うのがいても不思議じゃないか。 それよりもとんでもない状況なのに冷静にこんなことを考えている自分が可笑しかった。 不意にドアが開いた。 自然と二人の視線はドアの方に向く。そこには一人の女性が立っていた。 「後継者が目覚めたと聞きました」 「エルトナージュ様、会議の最中ではなかったのですか」 「後継者が目覚めたのです。宰相の私が挨拶をしないわけにはいかないでしょう」 凛とした声と彼女を包む確かな威厳。彼女の美しさがそれを引き立てている。 腰まである長い髪は絹を梳ったように艶やか。なによりその色にアスナは驚かされた。 翠なのだ。若葉をさらに鮮やかにしたかのような翠。冷静さを漂わせる細い瞳は黄玉を思わせる。それらに相応しい細面の整った造作。 身長171のアスナと同じか少し低いくらいだろう。身体の線がはっきりと分かる緋色のドレスに濃い紫のマントを羽織っている。マントを留める肩当ては大きく、幾つもの宝石のような物で彩られている。 エルトナージュと呼ばれた女性は優雅な足取りでアスナのベッドの側に立った。 すぐ間近で彼女を包む威厳に圧倒されそうになったが、アスナは彼女の中に何か、強い何かを感じた。 ……ひょっとして、怒ってる? 自分に向けられる鋭く、どこか冷たい視線にアスナはそう思った。 視線を向けたまま彼女はなにも話さない。居心地の悪いことこの上ない。だがしかし、彼は決して自分から視線を反らそうとはしない。 アスナのジイさんの教えなのだ。 睨み合った以上、先に視線を外した方が負けだ、と。 何も悪いことをしていないのに、自分が悪いかのように視線を逸らせることなどアスナはするつもりはない。 短い睨み合いはエルトナージュが頭を下げることで終わった。 「先王アイゼルが娘、エルトナージュと申します」 現在、宰相として一時的に国を統率していることをストラトは付け加える。 だが、アスナの関心事は彼女の職務ではなく、 「娘って、ちゃんとした王位継承者がいるんだったら問題なんかないんじゃ」 不意にエルトナージュの目が細くなった。 その瞳の奥に確かな怒りを感じ、アスナは及び腰になる。それでも視線だけは逸らさないのは彼の矜持故だ。 「ストラト。説明はしていないのですか」 「申し訳ございません。まだそこまで話が進んでおりません」 「そう。なら、ここから先は私が話します。貴方はさがっていなさい」 ストラトは一瞬、二人の顔を見たが、 「承知いたしました。では、アスナ様のお召し替えの準備をして参ります」 「あっ」 言われて自分がパジャマ姿だということに気付いた。少し気恥ずかしい。 股間近くの生地が薄くなっているのに気付かれなければいいが。 一礼したストラトは何かしら彼女に耳打ちすると退室した。 足音が遠ざかるのを確認するとエルトナージュは改めてこちらを見た。いや、睨んだと言った方がいいかもしれない。その反面、声は感情を排したように冷たい。 「ストラトがどこまで話したのか存じませんが……」 だからかもしれない。常識外れな出来事にもストラトの親身な態度のおかげもあって落ち着きを見せていたアスナの感情はここにきて一気に乱れ始めようとしていた。 「現在、我らがラインボルトは主たる魔王を失い危急の時を迎えております」 どうやら、さきほどストラトが彼女にした耳打ちはアスナがどこまで事情を飲み込んでいるかについてだったようだ。 「それは聞いたから分かってる。オレが聞きたいのは何でオレがここにいるかだ」 それこそがアスナにとって最重要なのだ。余所の国の、それも別世界の国のことよりも自分の置かれた状況を確認すること以上のことなどない。 彼女の頬が僅かに引きつったがどうにか抑え込む。 「それは貴方が次の魔王だからです」 「はぁ!?」 エルトナージュの説明を要約するとこうだ。 ラインボルトを統べる魔王の位は世襲制により受け継がれるものではない。 魔王とは幻想界最強の存在であり、ラインボルトの守護者そのものだ。だが、この力は血縁によって受け継がれる訳ではない。魔王の力そのものが宿主を定めるのだ。 そして、その最強の力を受け継いだ者に王位は禅譲されることになっている。 仮に先代の魔王にエルトナージュ以外にも多くの子どもがいたとしても、魔王の力を受け継げる者でなければ王位を継ぐことは出来ないのだ。 「それがオレだって?」 「我々はこの一年、幻想界中を探し続けました。ですが、見つけることが出来なかった。そこで試しにと現生界を探査したところ」 「オレがいたってことか」 「はい、ご理解いただけましたか」 「理解はした。……けど納得はしてない」 強く睨み返す。あまりに理不尽に過ぎる状況に怒りを覚える。 それは眼球の奥が痺れ、頭痛を催すほどだ。それでも残った冷静な部分がアスナに喚き散らすことを禁じる。そんな事をしても事態の解決にはならない、と。 「当然だろ。事情の説明もオレの気持ちも関係なく連れてこられたんだから」 低く感情を抑えるようなアスナの言葉に彼女は消沈したかのように項垂れる。 その動きに合わせて、彼女の長い髪が動き、表情を隠す。 「オレは魔王になんかなるつもりはない。とっとと家に帰せよ!」 それでも口にすると、もはや抑えることができなくなった。アスナは怒声に近い声音で訴えた。 「そうでしょうね。突然、異世界に連れてこられて魔王として国を背負ってくれなどと。わたしも理不尽なことだと思います」 俯いたまま彼女は両の拳を強く、強く握る。 「だったら」 「第一!」 アスナの声を遮り、キッと顔を上げると彼女は声を張り上げた。 「第一、わたしは貴方が次代の魔王となることを認めていない!」 「なっ!?」 「貴方には分からない。わたしはこの世に生を受けたときから今まで、次代の魔王となるべく教育を受けてきたのよ。それが自分の役割だと自覚し、努力を重ねてきた。そのわたしがこの危急の時に何もできないでいる。わたしが不甲斐ないばかりに国は二つに割れ、今も内乱で国民は不安に取り付かれている。そればかりか他の四大国にも無用の混乱を招き、軍事衝突まで起こす始末。わたしが、わたしが……。この国を知悉しているわたしでさえできないことを、何も知らない貴方にこの事態を収拾できるとは思えない」 「だったら、何でオレを喚んだんだよ。はじめっから喚ばなきゃいいだろ! 何で喚んだんだよ、言ってみろ!」 アスナはエルトナージュの纏うマントを掴み、自分の眼前にまで引き寄せ、睨み付ける。 彼女もまた強く睨み返す。 「この国には、いえ、この世界には魔王が絶対に必要だからよ。それ以外に選択肢がないから。宰相としてわたしには貴方の意志に関係なく魔王に就ける義務がある。それでも!」 エルトナージュはアスナの手を振り払うと今度は彼の胸ぐらを掴みあげた。 体勢逆転。互いの鼻が付くか付かないかの距離だ。 「それでもわたしは貴方が魔王になることを認めない! 本来、幻想界には関係ない人族が、何も知らない、何の力もない、何の意志も持たない、ただの人族に」 ギリギリとアスナの襟が締め付けられる。上手く呼吸が出来ない。 それでも彼は視線を決して外そうとはしない。外せば負けなのだ。 なけなしのやせ我慢を総動員してアスナは虚勢を張り続けた。 「ただの人族なんかにわたしの夢を潰されたくない!!」 言うだけ言ったのか彼女は今までで一番強い、殺意すら込められた視線をぶつけるとアスナをベッドに突き飛ばした。 「ごほっごほっ……。夢って、なんだよ」 この現実感の全くない、この世界そのものに現実感がないのだが、エルトナージュが夢という言葉を使ったことにアスナは興味を覚えた。親近感と言った方が良いかも知れない。 誰もが見る夢。実現するかどうかは分からない夢。それでも夢があるから生きていける。 アスナにはまだそういう夢がない。だからこそ興味がある。 「…………幻想界の、統一」 「…………」 アスナは壮大すぎる夢だと思った。 それを実現するためには内乱中のラインボルトを平定し、他の四大国を併呑することが最低条件だ。無茶で無謀で正気を疑う、バカバカしい夢だ。 仮にも宰相の地位にある者が見て良い夢ではない。そんなことエルトナージュにも分かっている。それでも彼女はその夢を捨てることなく、胸に抱き続けているのだ。 いつ頃から彼女がこの夢を思い描き始めたのかは分からない。ただ確かなのはそのための努力をしてきたこと。 それに多分こういう風に他人に当たり散らすなど柄じゃないのだろう。裏返せばそれだけ本気だということの証明かもしれない。 呆然とそんなことを考えていたアスナの沈黙をどう思ったのか彼女は、 「笑いたければ笑えばいいじゃない! わたしだって無茶な夢だって分かってる。数多くの王がそれを成そうとして失敗していることも知ってる。だけど、わたしは幻想界の統一を実現する。わたしがそう決めたのだから、誰にも文句は言わせない!!」 「だったら、それをやればいいだろ。魔王なんかに拘るなよ。誰にも文句は言わせないんだろ!」 「わたしはこのラインボルトの宰相よ。そんな身勝手なことが許されるはずがない」 「矛盾してるぞ。誰にも文句は言わせないって言ったのはお前だろ」 「だから、必要なんじゃない。絶対者としての魔王が!」 その叫び声を最後に言葉が途切れた。そして、彼女の激昂の理由も何となくだがわかった気がした。 「…………」 「…………」 互いに声を張り上げ続けたせいか、二人とも肩で息をしている。 理由を知り、少し冷静になったのかアスナは静かにエルトナージュに聞いた。 「一つ聞くけどオレ、家に帰れるのか?」 「そんなことが許されるはずないじゃない」 「そういう意味じゃなくて、技術的に可能かってこと」 「世界転移の術は存在すると言われているけど、行使できる者は存在しないわ。今では昔の文献にその名が残されているのみだから」 「だったら、どうやってオレをこっちにつれてきたんだよ」 「転移と召喚は違うわ。私たちが行使したのは召喚術。貴方という存在を特定し、こちらに喚んだのよ。召喚術では喚ぶことはできても送り出すことはできない」 「……そっか。オレはもう、こっちにいるしかないってことか」 「…………」 小さく息を吐くとアスナはベッドから降りた。まっすぐにバルコニーに出る。 眼下に広がるのは広大な庭園とそれを取り囲む城壁。その向こうには石造りの街並み。 見上げればうっすらと朱い空が広がっている。 「じきに夕方か」 「違うわ、これが幻想界の昼。この世界の太陽では現生界のような青空を常に作り続けることはできないの。伝説では我々の先祖が太陽から力を奪ったからだとも、超越者が力に奢った先祖を罰するために太陽の力を封じたとも言われているわ」 「……そう」 いつの間にか背後にエルトナージュは来ていた。先ほどの感情の荒波を沈めたのか、この部屋に入ってきた時のような怜悧さを周囲に宿している。 見るもの全て、空気の匂い、肌寒い気温。 感じることのできる全てでここが自分のいた世界でないことを告げている。 だが、感情がそれを認めない。認めない感情と認めている感覚。 家族も友人もここにはいない。 朝起きて妹と弟の朝食を作って、学校に行く。学校で暇な授業を受けて友人と騒ぐ。家に帰ったら洗濯や夕飯の用意なんかをして日付が変わるぐらいになるとベッドに入って寝る。そんなアスナにとっては当たり前だった日常はここにはない。文字通り別世界のことだ。本当に遠い世界の話。遠すぎる日常。見ることも触れることもできない。 許されるのはあの平凡な日常を思い出すことだけ。 「…………」 ため息が漏れる。憤りとは違う、どうしようもない感情が渦巻いている。本当は喚き散らしたい。エルトナージュに当たり散らしたい。だけど、アスナの口から出たのは別のことだった。 「もう、帰れないのか」 踏ん切りでもなく諦めでもない。ただ認めるための呟き。 背中に感じる雰囲気が変わった。 「……ごめんなさい」 風に消え入りそうな小さな謝罪。確かに聞こえた謝罪の言葉をアスナは聞かなかったことにした。返事をする代わりにアスナは振り向くことなくたずねた。 「エルトナージュ、だっけ」 「なに」 「なんで幻想界の統一なんて夢を見るようになったんだ?」 バカにしたり、からかうつもりはない。ただ純粋に興味があって尋ねた。 沈黙と逡巡が重なり合う。アスナの気持ちが伝わったのか彼女は口を開いた。 「この世界では非業の死、特に戦によって死んだ者たちが”彷徨う者”になることがあるの。”彷徨う者”、彼らは自らの無念さを核として幻想界を彷徨っている存在。だけど、いくら彷徨い続けていても彼らの無念を晴らすことはできない。すでに死んでいるんだから当然よね。彼らもそのことを自覚している。だから、その行き場のない思いを持って各地を荒らし回っている。彼らを止めるには再び殺してやらなければならない」 「その彷徨う者が可哀想だから統一?」 「違います」 「…………」 「彼らは国の巡視を行っていた私の母を殺したの。言ってみればこれは私怨よ。あいつらを消し去るために私は幻想界を統一する」 「矛盾してる。統一するために戦争なんか始めたら、今以上に彷徨う者が増えるんじゃないのか? 消し去るために増やすのかよ」 「だけど統一後は増やさない、絶対に。私が見ているのは過程じゃない。私が見ているのは統一後の幻想界よ。それが母を守れなかった私にできる贖罪だから」 アスナはテラスに身体を預けた。冷えた風が内に宿った無駄な熱を取り払っていく。 正直、迷いがある。戸惑いも憤りも完全には消えていない。だから迷っている。 だが、そんなアスナの背中を押したのはエルトナージュの一言だった。 「だから、わたしは幻想界を統一する。これが私の夢よ」 アスナは参ったなと呟くとポツポツと話し始めた。 「昔、うちのジイさんが言っていたんだ。笑ってしまうほどバカな夢を真剣に話せるヤツに会ったとき、そのときオレに実現したい夢がなかったらそいつの夢を手伝ってやれって」 そのとき初めてアスナは何の力もない表情をエルトナージュに見せた。 「どうする? オレはもう君を手伝うって決めたけど」 「…………」 「…………」 「……なんで」 「ん?」 「なんでなのよ。なんでそんなに平然としてるのよ! もっと喚きなさいよ、当たり散らしなさいよ、泣きなさいよ。貴方、人族なんでしょ。絶対におかしい!!」 「おかしくてもなんでもいい。泣くのも喚くのも当たり散らすのも後でやってやる。内乱が起こっててエルトナージュ一人じゃどうしようもないんだろ。だから、手伝ってやるって言ってるんじゃないか」 「なに愚かなことを考えてるの。なにも知らない、なんの力も持たない貴方になにが出来るのよ」 「なにが出来るかじゃない。やれることをやるんだよ!」 小さく息を吸う。しかし、それでも鳴り止まない鼓動を落ち着かせるためにもう一度、深呼吸をした。 これから告げることは彼女の夢ほどじゃない。だが、ただの人間が口にするにはバカバカしいまでの宣言だ。だけど、加速した勢いは止められない。 「……分かった。だったら、まず手始めにこの内乱を収めてやる。魔王になるのはその後だ」 「!?」 「オレを信用するか、しないのかはその後に聞くことにする」 「…………」 エルトナージュは目を見開いたまま言葉を発することはできなかった。 あれだけ言ったのにまだこの人族はこの内乱を収めてみせると言っているのだから。 「どうする? オレの提案を受けるかどうかはエルトナージュ、君次第だ」 なにも知らずに召喚された者の台詞ではない。 自棄になった訳でもなく、暴挙に出たつもりもない。状況に飲まれたわけでもない。損得勘定で考えるのなら明らかに損だ。 あれだけ否定の言葉をぶつけて、あれだけ拒絶の視線をぶつけたのに。 それなのにアスナは提案してきた。エルトナージュにはそれが分からなかった。 「わたしは……わたしは……」 不意に慌ただしい足音と共に誰かが部屋に飛び込んできた。 若い男だ。彼は荒い息のまま、 「ファイラスが、ファイラスが攻撃を受けています。お早くお戻りください!!」 |