第一章

第二話 彼のやせ我慢と彼女のはったり

 ラインボルトの今後を話し合う会議はファイラス攻撃の凶報により急遽、軍議に変更された。攻撃を受けているのはラインボルト第二の都市ファイラスだけではない。
 ファイラスの隣接都市などからも攻撃を受けているという報告が次々に配備していた伝令たちによってもたされた。
 将軍や副将たちの他にも数多くの情報士官たちは伝令よりもたらされる情報を整理し、文官たちは動揺を全身で露わにしている。先ほどまで整然と話の進められていた会議室は今では蜂の巣をつついたかのように慌ただしくなり、頻繁に人の出入りが始まった。
「状況は?」
 エルトナージュの到着により無秩序な喧噪は収まり、軍議はようやく本格的に動き出す。巨大な円卓の中程で部下からの報告を整理していた情報士官が起立した。
「はい。現在、ファイラスを中心にエルニス、モーブ、サリフの三都市にも中規模部隊による攻撃を受けているとの報告を受けています。ですが、おそらくはもう」
 三都市には治安維持のために警備兵が数十名ほど配置されているのみ。
 この兵力差では抵抗以前の問題だ。陥落しているのは間違いないだろう。
「革命軍の規模は?」
 本来ならば反乱軍の名を冠されるはずだが、国内においては彼らを革命軍と呼んでいた。このラインボルトはあくまでも魔王の国だ。その魔王が不在では反乱の興しようがないというのが理由だ。もっともそれは詭弁でしかないのだが。
「斥候からの報告によればファイラスに二十万強。残り三都市にはそれぞれ一千ほど」
「彼らの最大戦力を傾けてきましたか。それでファイラスに配備している兵力は?」
「守備隊として一万名駐屯しています」
 ファイラスは別命、首都の門とも呼ばれているほどの重要拠点だ。ここを落とされれば首都エグゼリスは裸同然となる。遅滞戦術をとっていたエルトナージュもここには一万名もの軍勢を配置して防衛にあたらせ、何かあったときにはエグゼリスから増援を送るつもりでいた。
 だが、相手は持てる戦力の全てを投入してきた。早急に増援を投入しないと陥落することは間違いない。いや、ファイラスからエグゼリスまでの距離は早馬をとばしても三日はかかる。すでに陥落寸前にまで追い込まれている可能性すらある。
 この状況下、エルトナージュは酷薄に思えるほどの冷たい表情を浮かべている。彼女は昔から事態が悪くなればなるほど冷たい仮面を被る。だが、その仮面とは裏腹に誰にも見せずに作った握り拳は強く、強く握られている。
 状況の悪さに皆、頭を抱え黙り込んでいた。嫌な沈黙が流れる。
 その沈黙を破る声が扉の方からした。開け放たれたままなので丸聞こえだ。
「軍議中です。いくら執事長殿の同伴といえども許可なく立ち入ることは」
「次代の魔王となられる方をお連れしたのです。そこを退きなさい」
「執事長殿はともかく、許可のない者を入れるわけには」
「だからぁ、オレはもう関係者なんだって!」
 聞こえてくる押し問答にエルトナージュのこめかみが少し動いた。
「何事だ! 軍議中だぞ、静かにさせろ」
 将軍の一人が扉に向けて大喝をする。だが、それに怯む様子もなく衛兵に押しとどめられている少年は口を開いた。
「静かにしろってなんだよ、おっさん! オレだってもう十分に当事者なんだからな」
 エルトナージュの握られた拳がさらに強く握られすぎて白くなっていく。それに伴い彼女の視線もまた鋭さを増していく。彼女の怒気に気づいた将軍たちは彼女と視線を合わせないように俯いている。
 知らぬは当人ばかりなりとはよく言ったもので少年、アスナと将軍の二人の罵りあいはとどまることを知らない。
「オッ、サン。おっさんとは・・・・・・小僧がなにを言うか!?」
「そっちこそ前途有望な若者を捕まえて小僧とはなんだよ。まっ、お先真っ暗のおっさんがなに言っても説得力ないけどさ」
「なんだと、貴様ぁ! 無礼打ちにしてくれる」
 将軍は立ち上がり腰の剣に手をかけた。
 この危急の事態を無視するかのように続く喧噪にエルトナージュはついに席を立ち上がった。凍り付いたかのように動きを止める一同。だが、二人は気づいていない。
「いい加減にしなさい!!」
 固まる二人。
「バクラ殿、将軍ともあろう者が状況を忘れて罵りあうなど正気ではありません」
「や〜い、怒られてやんの」
 ちゃちゃを入れるアスナに向けてキッと睨み付ける。思わず及び腰で身構えるアスナ。
 今の彼はパジャマ姿ではなく白の長衣に紅いマントを纏っている。マントを留めるために左肩には蒼い肩当てをしている。
「ストラト、これはどういうことです」
「申し訳ございません。自分はもう当事者だから軍議に出席すると仰られましたのでご案内いたしました」
 悪びれた風もなくストラトは言った。どうやらもう彼はアスナのことが気に入っているようだ。
「気持ちだけ受け取っておきます。ですが、まだ貴方には状況を整理し、判断することはできません。部屋でお待ちください」
「なにも分からない小僧と罵りあった軍人にも状況整理はできないと思うけど?」
 強く睨み付けるエルトナージュ。アスナはそれを平然と受け流す。
「それにオレを当事者にしたのはエルトナージュだろ」
 議場はどよめく。それも当然かもしれない。先代魔王の娘であり、ラインボルトの宰相でもある彼女をエルトナージュと呼び捨てにできる者などこの世にはいないのだから。
 同じく動揺する衛兵の脇を通り抜けてアスナは議場に足を踏み入れた。何者だという疑問の視線を受け、執事長ストラトを引き連れてエルトナージュの隣に陣取った。
「ストラトさん、オレの椅子を持ってきてください。それと何か書くものも一緒に」
「承知しました」
 一礼してストラトは下がっていった。
「ってことで状況説明をしてくれるかな?」
 二人の視線がぶつかり合う。矛を収めたのはエルトナージュの方だった。
 今は自分の気持ちよりもこの事態への対処を優先させることにしたのだ。
「・・・・・・分かりました。軍議への参加を許可いたします」
「宰相!?」
 さきほどアスナと言い争ったバクラである。彼が出席することに納得できないのだろう。
「そうですね。紹介がまだでした。彼は次代の魔王となられる予定の坂上アスナ殿です」
 二人のやりとりからある程度の予想はしていたのだろうが皆、驚きは隠しきれないでいた。特に先ほどまでアスナと罵りあっていたバクラは脂汗まで流して棒立ちしている。
 無理からぬことだろう。魔王とは幻想界最強の存在なのだから。
「バクラ殿、席についてください。軍議を再開します」
「し、失礼しました」
 ガチガチに固まってしまったバクラを気の毒に思ったのかエルトナージュは一つ息を吐くと、
「堅くなる必要はありません。先ほどのようなことで気を悪くするような方ではありません」
 視線を向けられたアスナは頷くと、「オレも言い過ぎました」と謝意を示す。
「そんなもったいないです。はい」
 可哀想なまでに緊張するバクラをエルトナージュは即座に無視することにした。
「アスナ殿に状況説明を。それと新たな情報は?」
 再び情報士官が立ち上がると先ほどと同じことを簡略化して説明した。
 そして、最後に「再度、救援を求めるとのことです」と付け加えた。
 この間、アスナは椅子を持ってきたストラトから渡された紙になにかしら書いている。不審に思ったが無視することにした。時間が経てば経った分だけ状況は悪くなる。
 彼にかまっている余裕などない。
「宰相。状況は切迫しております。即応可能な第八軍一万名を先遣部隊として送りましょう。全軍の準備が整い次第、ファイラスに本隊を送るべきです」
 将軍の一人の提案にエルトナージュは頷きで答えた。
「他に意見のあるものは?」
 挙手する者は誰もいない。一同を見回し、彼女は一つ頷くと隣に座るアスナに顔を向けた。
「援軍を送ります。よろしいですね」
 それは次代の魔王に了承を得る問いかけではない。だが、臨席させた以上、彼の同意をとった方が体裁が整うと思っただけだ。・・・・・・だが、
「却下」
 彼の一言に議場の誰もが言葉にならない声を発した。
「どういうことですか?」
 先のアスナの発言でうめき声を上げる場にエルトナージュの声が冷たく響く。
「さっきの案を了承するかどうかを聞いたんだろ? だから、却下って言っただけ」
「では、ファイラスを防衛している友軍を見捨てるとおっしゃるつもりですか!?」
 さきほど援軍を送ることを提案した将軍は席を蹴倒す勢いで言った。
「そう。見捨てるつもりだけど」
「なっ!?」
 議場は完全に怒気と殺気によって占拠されてしまった。その中で一人、アスナは平然と言葉を続ける。
「それじゃ、今度はこっちから質問するけど。ファイラスにいる一万人の兵隊の生死を確認するためにさらに一万人殺すつもりかよ」
「まだ、全滅したとは限らないと思いますが?」
 自らの感情を完全に排した口調だ。だが、エルトナージュの視線は殺意に満ちている。対するアスナは手を頭の上で組み、天井を見るように椅子の背にもたれかかっている。
「そうだな、全滅してないかもしれない。今も革命軍と戦闘を続けているかもしれない」
「ならば早急に軍を送るべきではないのですか」
「たった一万人の軍勢を? 冗談言うなよ。相手は二十万、つまり一人あたり二十人殺したとしてもようやく五分五分なんだぞ。そんなことできるわけないだろ」
「ですが、何もしないわけにはいきません」
「だったら、撤退命令を出せばいい。撤退が無理なら投降しても良いとも命令すればいい」
「そんな通達を出すわけにはいきません!」
 バンッとテーブルを叩いて立ち上がる。
「私たちは革命軍の暴挙を止める義務があります。なにより私たちには兵たちを救う責任があります! その責任を放棄する訳にはいきません」
「そのつまらない義務感で兵隊を殺すなって言ってるの。素人のオレでも分かることがなんで分からないかな。とにかく戦わせるために兵隊を送るのを認めるつもりはない」
 そこまで言ってアスナは立ち上がった。
「オレに付くってことはそういうことだ」
 色々な感情の視線を一身に受けながら彼は一同を見回す。それから再び口を開いた。
「しばらくしたら、そうだな今から二時間後にするか。二時間後に再びここに集合する。それまでにオレに付くかどうか決めてほしい。革命軍に付いても良いし、自宅で成り行きを見守っても良い。この国を捨てたって良い。どんな決断をしてもオレは責めないし、何もしない」
 言うことは言ったとアスナは会議室から出ていこうとする。その彼のあとをストラトはついていく。アスナは会議室の扉の前で立ち止まると顔だけを振り向かせて、
「そうだ。偵察として部隊を送るのは賛成しますよ。結果的に守備隊が一緒に退却できても文句は言いません。それじゃ、二時間後に」
 何も言うことはなくなったとばかりにアスナはもう振り向くことなく会議室から出ていった。議場に残されたエルトナージュたちは動くことはおろか、口を開くことすらできなかった。

 宛われた部屋でアスナは一人ため息を漏らした。これで何度目か分からない。
 やっぱり言い過ぎたかと後悔しているのだ。かと言って二十倍の敵に味方を殺させるわけにもいかない。何よりここで一万人もの軍を派遣すればファイラスの住人が今以上に戦乱に巻き込まれてしまうのは確実。間違ったことはしていないとは思ってはいても、ここで味方の反発を招いてこの城から去られても困る。だからといって嘘を吐くつもりもなかった。
「もっとオブラートに包んだ言い方の方が良かったかもなぁ」
 結局、辿り着くのはこの答え。
 思わず口から出た一言がさらにアスナを追い込んだ。ドツボに填ってしまったのである。
 自己批判と自己肯定の波に揉まれ続けるアスナを引き起こすようにノック音がした。
「は、はい」
「失礼いたします」
 ストラトだ。ティーセットを乗せた台車を押しながら部屋に入ってきた。
 台の上にはカップとティーサーバ以外にもサンドウィッチもある。
「お目覚めからまだ何もお口にされていませんので軽いものをご用意いたしました」
「ありがとうございます。・・・・・・ってそうじゃなくて!」
「はて。もう少しお腹にたまる物の方がよろしゅうございましたか?」
 自然すぎる口調にアスナは少し拍子抜けした。てっきり自分に愛想を尽かせて荷物をまとめていると思っていたのだ。
「そうじゃなくて、城を出ていく準備をしなくてもいいんですか?」
「なぜでございますか? 私はアスナ様にお仕えする従僕ですぞ。主をおいてどこに行くと申されるのです」
「だって、あんな滅茶苦茶なこと言った後だから」
 そこで初めてストラトは表情を強くした。
「アスナ様。貴方は後継者としての資格を持たれ、ご自身も魔王になると決められたのですぞ。その方が自分の言葉に自信をなくしてはなりません」
「すいません」
「何より、アスナ様が仰られたことが間違いとは思えません」
「・・・・・・・・・・・・」
「軍のことを何も知らぬ執事の身ではありますが、今、ファイラスに軍勢を派遣しても無意味でしょう。何しろ相手はフォルキス将軍率いる第二魔軍です。まともにぶつかっては勝負にすらなりますまい」
「そのフォルキス将軍ってそんなに強いんですか? それに魔軍って」
 ストラトは頷きで将軍の強さを肯定する。
「魔軍とはいわばラインボルトの主力軍です。魔術と武術に特に秀でた者たちによって構成されております。その中でも第二魔軍は実戦経験も豊富なのです」
 一泊おいてアスナの理解を促す。
「そして、その第二魔軍を率いるのがフォルキス将軍です。彼はその豪放磊落な性格から部下たちからは兄と慕われており、彼の命令に兵たちは何の迷いもなく戦うのです。指揮官として優れているだけではなく一人の武人としても彼は非常に優秀です。大の男が四、五人集まっても持ち上げるのに困難な大剣を自在に扱い、闘気と魔力の操作にも優れております」
「化け物だな」
 アスナの素直すぎる感想にストラトは逆に微笑する。案外、彼の評価も似たり寄ったりなのかもしれない。
「そうですな。ですが、将軍には一つ欠点があるのです」
「欠点?」
 それは是非とも聞いておきたい。どれだけこの城に残るか分からないが、このフォルキス将軍という化け物と戦うことは決まっているのだから。
「将軍は自らの力と部下たちの力を過信する傾向にあるのです。勝ち戦の後には特にその傾向が強くあります」
「ってことは連中が勝ってる今だからこそチャンスがある」
「フォルキス将軍だけでならばそうです」
 そこまで話してカップにお茶を注ぎ始める。湯気に乗って柔らかな香りが広がる。
「ですが、革命軍には軍師がついております」
「軍師?」
「はい。軍師LD。彼は元々我が国の者ではなく素性も不明です。ただ確かなことは彼が稀代の天才であること。本来どこの国にも属さない傭兵のような者であることです。その証拠に我らがラインボルトが彼と初めて接触を持ったときは当時敵対していたリーズに雇われておりました。幾多の合戦で寡兵ながらも我が軍の将兵を退け続けたのです。先代魔王が彼の手腕を買われ我らがラインボルトの軍師にと迎えたのです」
「その軍師が熱くなったフォルキス将軍を冷ますってことか」
「おそらくは。アスナ様、冷めないうちにどうぞ」
「・・・・・・ありがとうございます」
 勧められてカップを持とうとしたが、
「熱っ」
 カップを持ち損ねて紅茶をこぼしてしまった。
 指先が震えていてうまくカップが持てないのだ。非常識な状況はもちろん、先ほどの啖呵である。どうにか隠そうと努力したが身体を支配する緊張はそれを上回っていた。
「はははっ。なんか、かっこわるいですよね」
 乾いた笑いが漏れる。自分を情けないとアスナは思う。だが、ストラトの評価は違った。
「そのようなことはございません。ご立派です」
「そんなことないですよ。こんなになって」
 震える手をあげてみせる。抑えようとすればするほど震えは強くなるような気がする。
「先代の執事長が若者を教育する際にいつもこう申しておりました。『何よりもやせ我慢することを覚えなさい。自らの器を磨き上げるのは知識でも技術でもありません。やせ我慢だけです』と」
「なんかそういうとやせ我慢するのがカッコよく聞こえますね」
「カッコいいとはカッコ悪いことを身をもって知っていることにございますから」
「はははははっ」
 幻想界に来てアスナは初めて声を上げて笑った。その笑いにストラトもまた満足げな笑みを浮かべるのだった。

 やせ我慢について語り合うアスナたちとは違い議場に残されたエルトナージュたちは混乱の極みにあった。
 ある者は席を立ち、ある者は自室に篭もり、ある者は黙々と情報を整理すると千差万別だ。
 呆然としていたエルトナージュだったがやがて気を取りなすと手近にいた将軍の一人に下命した。
「即応可能な部隊を至急ファイラスへ向かわせなさい」
「ですが」
 さすがに次期魔王の言葉が恐ろしいのか戸惑いを見せる。
「大丈夫です。アスナ殿は斥候として情報収集させるためならば派遣に同意すると言われたのです。仮に文句を言ってきたとしても私が突っぱねますのでご心配なく」
「しょ、承知いたしました」
「また、情報収集の一環として革命軍に抵抗を続けているであろう守備隊を救出してくるように。革命軍の規模や誰が指揮を執っているか分かりますから。ただし、救出が不可能と判断した場合は即時撤退すること。よろしいですね」
「はっ。すぐに部隊を向かわせます」
 エルトナージュは次の命令を出そうと視線を向ける。
 だが、そこには命令を出そうと思った人物の姿はない。仕方なく手近な士官を捕まえる。
「リムル将軍はどこに?」
「はい。先ほど退室されたのを見かけました」
 ・・・・・・無理もないか。
 気を取り直して視線をさらに動かす。
「ガリウス殿」
 たまたま視界に入った人物を呼び止める。命令を実行させるのにも十分な相手だ。
 彼は第三魔軍の副将である。精鋭軍である魔軍の副将は一般軍の将軍と同等の権威と実力を持っているのだ。
「はっ。なにか」
「全軍に出撃準備をさせなさい」
 周囲でこれからどうするか話し合っていた将軍や士官たちが動きを止める。
「ですが、この二時間で身の振り方を決めよと」
 皆の気持ちを代弁するかのようにガリウスは言った。だが、エルトナージュは首を振ってそれを否定する。
「それは嘘です。彼はわざと挑発的な態度をとって私たちを試しているのです。自らが率いるに値する者たちであるかどうかを」
 彼女の声に反応するかのように視線が集まり始める。エルトナージュは彼らを見回すと頷き返す。それは彼女が皆と自分に対する嘘の始まりであり、全てはエルトナージュのはったりである。だが、先ほどのアスナの態度がそれを肯定しているように見える。
「それに彼は私にこう言いました。この内乱が収まるまで魔王にはならないと」
 声にならないうめき声が周囲で漏らされる。
 この苦境下での唯一の頼みは魔王の存在だ。彼らの大半は魔王の権威を前面に立てれば革命軍は矛を収めるだろうと思っていたのだったのだ。
 だが、アスナは対決姿勢を取るという。ただの人族が内乱を収めようと言うのだ。
 彼らの不安はざわめきとなって形をなす。それが自然に収まるのを待たずに話を続ける。
「彼は魔王という存在に従う者を欲してはいません。彼が欲しているのは坂上アスナという個人に味方する者です」
 それはある意味、ラインボルトという国家を否定することかもしれない。
 魔王の力によって統制され、魔王の権威によって法の網が敷かれている。
 そして、魔王の存在によって他国の驚異に対抗する。
 言うなればラインボルトは魔王という存在がなくなればいつでも空中分解する危うい国家思想の元に成立しているのだ。そう、今のように。
 そのことを自分のこととして熟知している彼らは彼女の言葉に危うさを覚えた。
「そして、私は彼に味方することにします」
 これは皆に対する彼女からの挑発であり、彼女の決定でもある。
 ・・・・・・そう、彼を試そう。彼の指示に従って全力で戦おう。それでもこの内乱を収めることができなかった時は、その時は私の手で彼を殺す。
 彼女はそう結論づけた。まだ、何も知らない坂上アスナという少年を試す、と。
 彼は幻想界統一の夢を手伝うと言った。だが、それを素直に受け入れられるほど彼女はアスナのことを信用していなかった。
 内乱という状況はエルトナージュにとって辛いことでしかない。
 だが、坂上アスナを試すためと考えるならばこれ以上の状況設定はない。
 彼を信用するかどうか決めるのはこの内乱の後でも十分だ。アスナが自分に言ったように。
 だから、まずは味方をしよう。
 彼の力が十分に発揮できるように。失敗したときに言い訳をさせないために。
 アスナが彼女の夢を手伝うことを決めたように、エルトナージュはそう決めたのだ。
 僅かな沈黙の後、先ほど命令を出したガリウスが口を開いた。
「承知いたしました。二時間以内に全軍に即応体制を整えさせます!」
 その声を皮切りに戸惑いを隠せずにいた将軍たちは一斉に声をあげた。
 エルトナージュはそれに応えるように強く頷くと、微笑を浮かべた。
「よろしい。ならば、私たちを侮った彼を見返してやりましょう」
 もはやそこに魔王がどうとか、内乱がどうとか言う者は一人もいなくなった。、
 ここには坂上アスナを見返してやろうと動き回る、子どものような目をした者たちだけだった。

  軽食とストラトとの会話もあってアスナは大半の緊張を取り払うことができた。
 自分のことが収まると周りのことにも気づき始めるわけで、不意に部屋の外が騒がしいような気がした。
「なんか、騒がしいな」
 ・・・・・・やっぱり、城を出るのか。
「そうですな。これだけ騒がしいのは本当に久しぶりです」
「そうなんですか?」
「はい。先王の崩御からこの城も死んだように静かでしたから」
「そして、オレがとどめを刺した、と」
「それは早計ではないでしょうか。まだ私がおります。主と、それに従う者が一人でもいる限り城が死ぬようなことはありません。何があっても私はアスナ様の味方です」
「ありがとうございます」
 アスナにとってストラトの存在は大きかった。
 何も知らない異世界で、人間は自分一人で、それでも味方だと言ってくれるのがうれしかった。
 ノック音がした。
「誰ですかな」
 ストラトは静かにドアに向かった。そして、開ける。
 そこには鎧を纏った騎士風の人物が立っていた。
「これはヴァイアス殿。いかがなさいました」
「宰相がお呼びです。城内に備蓄されている物資の状況を知りたいとのことです」
「そうですか。ですが・・・・・・」
「警護の方はご心配なく。私が引き継ぎます」
「・・・・・・・・・・・・」
「いかがなさいました。宰相は至急にと仰っていましたが」
「分かりました。では、アスナ様の警護はお任せします」
 ストラトは振り向き、その騎士風の人物に部屋に入るように促す。
 青年、いや少年と呼んでも良いだろう。
 茶色の髪に黒の瞳。整った顔立ちをしているが、どこかにやけているようにも見える。
 そう。イタズラ小僧をそのまま成長させたような。
 彼はアスナの側まで来ると跪いた。
「近衛騎団団長のヴァイアス殿です」
「ヴァイアスと申します。以後、お見知り置きを」
「よ、よろしく」
 慣れない状況に思わずどもってしまう。
「アスナ様。しばし、席を外しますが警護はヴァイアス殿が引き継いで下さいますから」
「分かりました」
「では、失礼いたします」
 そして、部屋に残されたのはアスナとヴァイアスの二人。
 ヴァイアスは立ち上がる。腰掛けているアスナからは見上げる形になる。
 ゆっくりとヴァイアスの手がアスナの肩にかかる。身体を強張らせるアスナ。
 そんな彼の緊張をよそにヴァイアスは満面の笑みを浮かべた。何度もアスナの肩を叩く。
「痛いって!」
「悪い悪い。だけど、スゲェよなぁ。お前」
 途端に変わった話口調に少しだけアスナは戸惑った。馴れ馴れしいことこの上ない。
 クラス替えの後、友だちづくりに躍起になるお調子者と言った感じだ。
「なにがさ」
「あれだけの面子の前であんな暴言を吐いたんだぜ。それに宰相のことを呼び捨てにするわ、口論するわ。普通、何か口にする前に圧倒されるのに。ホントにお前、すごいよ」
「そっちこそ未来の魔王様にタメ口きいてるだろ」
「けど、まだアスナはただの人族なんだから関係ないだろ」
 初対面の相手に名前で呼ばれることは初めてだった。だが、不思議と彼の場合は違和感がなかった。なにより傅かれたりするよりも普通に接してもらった方が気が楽だ。
「そういうもんなのかよ」
「そっ、そういうもんなんだよ」
「なんか、人間だからってバカにされてるような気がするんだけど」
「バカにするつもりはないさ。けど、能力的に劣ってるのは確かなんだ。そんなヤツを怖がってもしょうがないだろ。けど、お前は違う。あの宰相に口論しかけて黙らせたんだから」
 からかうつもりでも、次代の魔王に媚びを売るでもなく本当に彼はアスナに感心しているようだ。正確には興味を持ったと言った方がいいのかもしれない。
「別に凄いわけじゃないって。あれはやせ我慢。いきなり違う世界に連れてこられるわ、ストラトさんから魔法を見せられるわ、魔王をやれなんて言われるわで普通、開き直るだろ。しかも、絶対に家には帰られないって言われたらなおさら」
「普通は逆だって。喚き散らしたり、八つ当たりする方が当たり前。幻想界に紛れ込んできた人族は大抵がそうなるからな」
「えっ」
 これには驚いた。自分以外にも人間がいるという事実に。なにより、こちらに紛れ込むことができるのならば、元の世界に帰られるのではないかと。
「だったら、巧くすれば元の世界に」
 だが、この微かな光明はあっさりとヴァイアスは首を横に振って否定する。
「その辺のことは執事長から聞いてないか? 無理だって」
 確かにそのことは聞いた。正確にはエルトナージュからだけど。
「召喚はできても、転移はできないか」
「そういうこと。もしかしたら、現生界との通路があるのかもしれないけど、その糸口すら見つからないのが現状だから。それとも少ない可能性を追いかけてみるか?」
「・・・・・・やめとく。無駄なこともバカなことも好きだけど、もう決めたから」
「決めたって、なにをだよ」
「魔王になって幻想界を統一する」
 意外にあっさりと言えたことにアスナ自身、驚いた。
 ヴァイアスも同様だったようだ。いや、彼の方が驚きは大きかった。
 彼の表情はエルトナージュの夢を手伝うと言った時の彼女の表情にとても似ていた。
 それが妙におかしくてアスナは笑みを浮かべた。とっておきのイタズラを思いついたときのような笑顔を。
「手伝ってみないか。世界中を引っかき回せるチャンスなんて、そうはないと思うけど?」
「だから、あのとき無茶なこと言ったのか」
 いまだ驚きを抑えきれないままヴァイアスは言った。
「こんなバカなことに付き合えるのは同じバカなヤツだけだからな。魔王だからついてくるヤツはオレには必要ないんだよ」
「知ってるか? そういうのをヤケクソって言うんだぞ」
「オレの場合は嫌がらせかな。オレなんか喚んだことをエルトナージュに思いっきり後悔させてやる」
 呆然とし、正気を疑い、そしてヴァイアスは一つの結論を導き出した。
 坂上アスナはバカであると。それも歴代魔王の中で最もバカなんだと。
 そう思うと途端に笑えてきた。本気のバカについていけるのはホントのバカだけだ。
 それじゃ自分はどうなんだ。このまま平凡に近衛騎団の団長をやるのも良い。だけど、目の前にそれよりもずっと面白いモノをちらつかされて俺は黙っていられるのか。
 答えは否だ。彼はアスナの問いかけに応えるように彼の肩に手をおくと、
「ホント、お前凄いよ」
 それだけ言うとヴァイアスは声を上げて笑った。一瞬、キョトンとしたアスナだったが彼の真意を汲むと彼も笑い声をあげた。
 男二人のバカ笑いをぶち破るように勢いよくドアが開かれた。
 不意打ちのような襲撃者に二人は思わず身構える。ヴァイアスは剣の柄に手をおき、アスナはインチキ拳法のような構えを取る。
 襲撃者はそんな二人の格好に構うことなく突き進む。ノシノシという擬音が似合いそうな歩き方で。
「ヴァ〜イ〜ア〜スゥ!」
「ミュリカ、さん」
 及び腰になってヴァイアスは後ずさった。
 アスナは二人の顔を交互に見ると、
「なに、知り合い?」
「近衛騎団の副官。一応、俺の部下」
「この大変なときに仕事放ったらかしにして何してるのよ!」
 ミュリカは手に持った杖を振り回しながら言った。かなりのご乱心ぶりである。
「なにって、・・・・・・なぁ?」
「こっちにふるなよ」
 と、そこでアスナは気が付いた。
「・・・・・・そういえばそうだよな。お前、ホントに何しに来たんだ? 団長って言ったらそれなりに偉いんだろ。こんなところにいてもいいのかよ」
「こんな時にそんな薄情なこと言うなよ」
「なにゴチャゴチャ言ってるのよ! やることはいっぱいあるんだから」
 まるでアスナのことなど気づいていないかのようにミュリカは彼の手を取ると退室しようとする。
「いっぱいあるって、ミュリカがここに来たらもっと大変になるだろ」
「騎団の中でヴァイアスを連れ戻せる人があたし以外にいると思ってるの? それに今はデュランさんが指揮を執ってるわ。後でしっかりとデュランさんにお説教してもらうから覚悟しておいてよ」
 デュランとはヴァイアスの副長のことだ。ミュリカがヴァイアス個人のパートナーであるのに対して、デュランは近衛騎団団長にとっての守り役だ。
 そして、ヴァイアスは彼のことが少し苦手だったりする。
「うっ」
「分かったんだったら、早く戻るわよ」
「ちょっと待てって」
 ヴァイアスは掴まれていた手を半ば強引に外す。
「なによ、この大事なときに他に大切なことがあるの?」
「アスナの護衛はどうするんだよ。放っておくわけにはいかないだろ」
「へっ?」
 初めてその存在に気づいたと言わんばかりの表情を彼女はアスナに向けた。
 驚いて、不安になって、恥ずかしくなる。見てる側が可哀想に思えてくるほどの表情の変わりようにアスナもぎこちなく、「や、やぁ」と手を挙げてみせる。
「あの、えと、魔王陛下におかれましてはご機嫌麗しく、それで恐悦至極で、拝謁賜りありがとうございます。それでえっと、そう。私、近衛騎団副官を務めさせていただいていますミュリカと申し上げます。それで、えっとえっと・・・・・・」
 あまりの慌てぶりにアスナは困惑するばかり。助けを求めるようにヴァイアスに視線を向ける。彼は小さくため息をもらすと、ミュリカの両の頬をむんずと掴むと思いっきり引き延ばした。
 以外によくのびる。彼は手を上下に振りながら言った。
「落ち着けって。冷静になって考えてみろよ。ここにいるのはまだタダの人族なんだぞ。そりゃちょっと誇大妄想みたいなことを言い出すバカかもしれないけど、基本的には人畜無害だから安心して良いぞ。噛み付きもしないし」
「なんか酷い言われようだな」
 他人事のようにつぶやいてみる。だが、目は据わっている。
 そもそも幻想界統一の誇大妄想はエルトナージュが本家本元なのだから。
「そういうことだから普通にしてろ。なっ」
 摘んでいた頬を強引に振る。強制的に頷かされた形になったミュリカに満足したのか、「納得したな」というと最後にもう一度強く左右に引っ張ると手を離した。
「ったぁ〜〜」
 頬のたるみがないかチェックするミュリカの頭に手をおくと、
「改めて紹介するよ。近衛騎団の副官で俺の相棒のミュリカだ。よろしくな。ほら」
 一度、殺意を込めてヴァイアスを睨んだ後、にこやかな笑みをアスナに向けた。
「ミュリカです。よろしくお願いします」
「こっちこそよろしく。坂上アスナです」
 表情の変化に戸惑いながらも言って手を差し出す。ミュリカは一瞬、困惑の表情を浮かべたが戸惑いがちに手を重ねた。「はい」という頷きと共に。
「挨拶も無事に終わったな。で、いろいろ大変ってなにがったんだよ。何かあったときのために即応体制を取っておくようには指示を出してるはずだぞ」
「だから、団長の貴方がいなくなってどうするのよ。デュランさん一人で大変なんだから」
「そこに何の問題があるんだよ。その辺のところはいつも訓練してるんだ。全力出撃が命じられても三十分以内に状況を開始でき・・・・・・」
 ヴァイアスの言葉尻をうち消すようにミュリカは声を上げる。
「そうじゃなくて、大変なの!」
「少し落ち着けよ。なにが大変なのかさっぱりだぞ」
 困惑以外になにもない。ミュリカのあまりの混乱ぶりに辟易している。
 アスナはこの状況に苦笑するとまだ手をつけていなかったカップに改めて紅茶を注ぐとミュリカの前に差し出した。
「とりあえず、これ飲んで少し落ち着いたら?」
「あっ、悪い」
 ヴァイアスが代わりに受け取る。
「ほら」
「・・・・・・うん」
 カップを受け取り、一口・・・・・・二口。少し落ち着いたのか彼女は小さく息を吐いた。
「それでなにが大変なんだよ」
「エル様が全軍に出撃命令を出されたの!」
「それってオレの言うことが聞けないってこと?」
「違います。エル様は陛下の味方をすると、それに見返してやるとも仰ってましたから全力で陛下の力になることを決められたんです」
「ってことはオレの提案を受け入れたってことかな」
「提案ってなんだよ?」
 ヴァイアスの問いかけにアスナは笑みを浮かべるだけで応えない。その代わりに、
「それよりもこれからの作戦を考えないと。当然、二人とも手伝ってくれるよな」
 お互いに顔を見合わせる二人。
 やがて、ヴァイアスは諦めたように肩の力を抜く。だが、口端だけは笑みを浮かべていた。彼はなにを思ったか不意に腰に下げた剣を抜き、アスナに差し出した。
 それがなにを意味するのか分からないアスナは困惑の表情を浮かべる。
「ちょっ、ヴァイアス!?」
「ミュリカ、近衛騎団とはなんだ」
「こんなときになにを」
「良いから答えろ」
「・・・・・・・・・・・・我らは魔王の剣であり魔王の盾。我らを統率するはただ一人魔王のみ。我らが誇りは魔王と共にあることなり」
 それは近衛騎団に入団した者が一番始めに教えられることである。これこそが近衛騎団の力の証であり、誇り。何より彼らの存在意義である。
「で、なんで今更こんな当たり前のことを言わせるのよ」
「分からないのかよ。俺たちの主は魔王ただ一人、魔王がいるから俺たちが存在する意味があるんだ。そして、フォルキスの旦那は魔王としての器じゃない」
「だから、魔王の器である陛下に助力するのが近衛騎団の務めってこと?」
「そういうこと」
「・・・・・・どうせ、エル様にケンカを売った陛下に就いた方がいろいろと面白かもって思ってるんでしょ」
 ヴァイアスは一瞬固まるがその問いに答えず跪き、剣をアスナに捧げた。
「我が名は魔剣士ヴァイアス。今、ここに我が剣を捧げ、忠誠の証とする」
 どうすれば良いのか分からず目を泳がせるアスナにミュリカは耳打ちをした。
 受け取ってあげればいいんです、と。
 戸惑いつつもアスナはヴァイアスの剣を受け取った。
 初めて持った剣はずっしりと重く、とても自在に扱える代物とは思えなかった。
 刀身は全ての色を吸収するかのように黒く、柄には文字らしき文様が金で描かれている。ただそこにあるだけで強い存在感を持っている。なにより剣には何か、力のようなものを感じる。襲いかかってくるような感じはしないが、圧倒される力を感じる。
 まるで大津波の前に立たされているような感じだ。
 あまりに自分との力の違いに思わず手を離そうとしたアスナをミュリカの声が止めさせる。
「手を離してはダメです!」
「へっ?!」
「これは忠誠の儀式です。陛下が受け取った剣をどう扱うかで全てが決まります」
「それじゃ、これどうしたらいいんだよ」
 どことなく情けない声を出すアスナ。
「ヴァイアスの臣従をお認めになるのでしたら、剣を返してあげて下さい。拒絶するのなら捨てて下さい。今、陛下はその剣を手にしたことでヴァイアスの全ての権を握っているんです。よく考えてその剣を扱って下さい」
 考えるも何もない。これだけの力を持った剣を自分の物にしているヤツが味方になるって言うんだ。断る理由なんかこれっぽっちもない。
「改めて、よろしく」
「はっ。我が力の全てを主のために用いることをここに誓います」
 不思議と厳粛な空気が辺りを包む。剣を受け取ったヴァイアスはやがてゆっくりと顔を上げた。
 そこには満面の笑み。新しい友だちを見つけた子どものような笑みを彼は浮かべていた。
 彼の笑みにつられるようにしてアスナも同じ笑みを浮かべる。
「で、ミュリカはどうする?」
 分かってるくせに、とミュリカは呟くと、
「あたしも味方します。陛下だとヴァイアスのバカを止めるんじゃなくて 一緒にバカをしそうですから」
「なんか酷い言われようだな」
アスナの反応が予想通りなのかミュリカは可笑しそうに笑みを浮かべた。
「当然ですよ。ヴァイアスとすぐにうち解けるってことは陛下がバカ予備軍だっていう証拠ですから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それにあたし、バカには容赦できない質なんです」
無言で視線をヴァイアスに向ける。彼は肩をすくめる。
「彼女、昔っからこうなの?」
「いや、初めてあったときはなんて言うか深窓のお嬢様って感じだったんだよ。コイツ、宰相のご学友でさ」
「コイツってなによ」
 ヴァイアス、あっさり無視。
「どちらかって言ったら人の後ろからこっちを伺うってヤツだったんだ。それがなんでこんなに気が強くなったのか」
「全部、貴方のせいでしょ。社会勉強だって言って街に連れ出されたり、イタズラの後始末を手伝わされたり。そんなことやらされ続ければ誰だって気が強くなるわよ」
「はぁ、あの頃の可愛いミュリカはもうベッドのな・・・・・・」
 言葉が終わることなくヴァイアスの首が盛大に120度ほど回された。頭と顎を持って捻りまで加える。ゴギッ! という盛大な首の関節音を響かせてヴァイアス沈没。
「ダメじゃない、ヴァイアス。陛下の前で居眠りするなんて失礼でしょ」
 落とした張本人は何事もなかったかのようにペシペシと彼の頭を叩く。
 ミュリカの不意の行動に驚くのを超越してアスナは思った。
 怖えぇ〜、と。
「と、とりあえずベッドに寝かしておいた方がいいかな?」
「そうですね」
 さすがにやりすぎたと思ったのか彼女も頷いた。
「それじゃ、ミュリカは足持って。オレはこっちを」
「あ、はい」
 アスナは彼の両脇に手を突っ込み、彼女が足を持ったのを確認すると、「せ〜のっと」持ち上げた。思っていた以上に重い。
 何とかいけるかと一歩、足を後ろに運ぶ。だけど、やっぱり・・・・・・。
「重っ」
 それはそうだ。鎧を纏っている上にあの重い剣まで下げているのだ。二人で分担して持っているように見えても、ヴァイアスの重量のほとんどをアスナが持っているのと同じだ。
ミュリカが担当しているのは彼の足と臑あてだけだ。
「あっ」
 声を上げた時にはもう遅い。ヴァイアスはアスナの手から滑り落ちて腰を打ち付け、頭でフィニッシュ。ハンマーでブロックを叩き割ったような音がする。
 今日の彼は本当に散々である。
 だが、このショックでヴァイアス再起動。これも不幸中の幸いというのだろうか。
「っっ〜〜〜っ!!」
 頭を抱えてうめき声を漏らすヴァイアスの視線が正面のミュリカに向いた。彼女はまだ彼の両足を持ったままだ。かなり偏った見方をすれば彼女がヴァイアスを振り回した結果のようにも見える。
「あの、大丈夫?」
「大丈夫じゃないに決まってるだろ。いきなり首を回すわ、挙げ句の果てには足を持ってオレを倒すわ。なに考えてるんだよ!」
「ちょっと待ってよ。頭を打ち付けたのはあたしじゃない」
「お前以外の誰がこんなことするっていうんだよ。えぇ?」
「それは・・・・・・」
 当然、視線の行く先はアスナである。
 だが、彼を落とした張本人であるアスナは素知らぬ顔でミュリカを見る。まるで犯人は彼女であるかのように。そして、一言。
「黙秘権を行使します」
「そんな。陛下、酷いです」
「ほら見ろ。第一、証拠は挙がってるんだよ」
「証拠ってなによ」
「この状態でまだそれを言うか。見ろ、オレの足」
 そこには動かぬ証拠があった。ヴァイアスの足を持ち上げたまま固まるミュリカである。
「これはその、ねぇ」
 助けを求めるようにアスナに視線を向ける。だが、真犯人アスナは、「改めて黙秘権を行使します」とそっぽを向く。
「やっぱり、お前なんじゃないか」
「あたしじゃないって言ってるじゃない」
「じゃ、誰がやったって言うんだよ」
「・・・・・・それは」
 非難するようにアスナに視線を向けるが彼は反応を示そうとはしない。あくまでも自分は無関係だという態度をとり続ける。
「ちゃんと責任とってもらうからな」
「ちょっと、なんであたしが」
「張本人がそういうこと言うのか?」
「だって、ホントにあたしじゃないんだから」
「あの〜、こっちにヴァイアス来てるって聞いたんですけど」
 アスナは新たな声の存在に気付いたが二人の動向が気になって対処できない。下手すれば矛先が自分の方に向いてしまうのだから。この状況ではヒヤヒヤものである。
「それじゃ、アスナがやったっていうのかよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 ミュリカ、沈黙。アスナ、背中に嫌な汗が流れる。
「ほら、やっぱりそうなんじゃないか」
「だから、あたしじゃないって言ってるじゃない」
「やっぱり、ここにいたんだ。ヴァイアス〜♪」
「もう、分かってよ。あたしじゃないの!」
「どう分かれって言うんだよ。状況証拠だとお前以外に考えられないだろ」
「これからのこと、相談しようと思って色々探しちゃったよ。突然、議場からいなくなったから詰め所にいるのかなって思ったけどいなんだから。デュランさんとかいろんな人に居場所聞いてホント大変だったよ。それにしても新しい魔王陛下はとんでもないよね。まだ、ただの人族なのにあのエルトナージュ様と口論して、言うこと聞くヤツだけ残れって会議を中断させるし。ホントに人族なのかな。あっ、僕らと同じだったらすぐにエルトナージュ様の怖さが分かるか。あっ、僕がこんなこと言ったなんてないしょだからねっ」
 ノックもなしに入ってきた少年は一人でヴァイアスに話しかけていた。
 一見しただけでは女の子と見まごうばかりの容姿。ヴァイアスと同じ茶色の髪に黒の瞳。だが、彼との違いは全体的に柔らかな顔の作りと雰囲気である。鋭角的なヴァイアスと好対照である。
「違うって言ってるじゃない。あたしじゃないの。あたしじゃないあたしじゃないあたしじゃない!!」
「お前がやったお前がやったお前がやったお前がやった!」
「もう! 僕の話を聞いてよ!!」
 魂の叫びとも思える大声に固まる二人。アスナはホッと息を吐く。
「いっつもそうなんだよ。ヴァイアスって重要な話をするときに限って僕の話を聞いてくれないよね。なんで、なんでなの?」
「ちょっとリムル。話をややこしくしないでよ。今はあたしの冤罪を晴らすのが優先なんだから」
「ややこしくってなんだよ。大体、ミュリカはヴァイアスを独占しすぎなんだよ。ヴァイアスは僕の従兄なんだよ。後から割り込んできた人よりもずっと僕の方が優先順位が高いんだよ。ねぇ、ヴァイアス」
「ちょっと勝手に手なんか握らないでよ。これはあたしのなの!」
 二人は肉食獣が威嚇しあうような唸り声をあげながら睨み合っている。突然、ヴァイアスを見た。
『どっち?!』
 突然の乱入者により騒動は訳の分からない方に向かってしまう。もはや完全にアスナは蚊帳の外である。
「ちょっと待て。お前らいきなりなに言い出すんだよ」
「だから聞いてるんじゃない。あたしと」
「僕、どっちが大切なの!」
 あらぬ方向に突き進み大切な時間は刻一刻と削られていく。今のアスナにとっては出血にも等しい。この間にそれなりの作戦を立案できなければ議場での啖呵が意味をなくしてしまう。なにより、カッコわるいことこの上ない。
 どうするべきか。言い争いながらヴァイアスを攻めるミュリカとリムルと呼ばれる少年。ヴァイアスはその二人にあたふたとするのみ。自然に事態の収拾を待つ余裕はない。
 さて、どうしたものかと周囲を見回してみる。・・・・・・残念ながら良いもの発見できず。
 しょうがないかと、アスナは息を大きく吸い込んだ。
「うるさ〜〜〜い!!」
 一同、取っ組み合ったまま動きを止める。
「全部、ヴァイアスが悪い。これで決着、いいな」
「ちょっと待て、俺は」
「決着!!」
「ぐっ」
 自分がヴァイアスの身体を落っことしたことを棚上げにして強引に決着をつけたアスナはようやく新たな登場人物に顔を向けた。
「んで、キミは誰なわけ?」
「へっ?」
 キョトンとするリムル。状況が理解しきれていない様子。
「だから、キミは誰なわけ? ヴァイアスの従兄みたいだけど」
「な、何で知ってるんですか?! やっぱり、僕たち似てるからかな。ねぇ、ヴァイアス」
 ・・・・・・なんでそこで赤くなる。
「あのなぁ。さっき、自分で言ってただろ」
 ため息一つ。今日一日でアスナのため息回数の生涯記録を更新している。助けを求めるように災いの中心点、ヴァイアスに視線を向ける。
「俺の従弟で第三魔軍将軍リムル。・・・・・・冗談みたいだろ?」
 本人を前にして頷くアスナ。
「けど、その冗談が事実なんだよなぁ。コイツ、戦場に立つと性格代わるから。国の内外からは戦鬼とか十剣士とかって恐れられているよ」
「ふ〜ん」
「リムルです。よろしくお願いします。・・・・・・えっと」
「坂上アスナ。こっちこそよろしく」
「・・・・・・えぇっ、ホントに魔王陛下!? そっくりさんじゃなくって」
 今更ながら驚くリムル。というか将軍なんだからさっきの会議でアスナの顔を見ていなかったのかと疑いたくなる。
「お前の周りのヤツってこんなのばっなんだな」
 やれやれと肩を落とす。
「俺も時々、自分の交友関係を考え直そうかと思うときがあるよ」
 ともあれ期せずして近衛騎団のトップ二人に第三魔軍の将軍が揃ったわけだ。
 性格その他諸々問題があるがこの面子なら何とかなるか。
「それじゃ、そろそろ始めようか。作戦会議」
「えっ」
「当然、三人とも手伝ってくれるんだろ? あっ、それからオレのことはアスナでいいから」



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