第一章
第五話 戦場の裏側で
「そろそろ肉をいれて。灰汁を取り忘れないようにな」
火にかけられた幾つもの大鍋を前にしてアスナは指示を飛ばした。
大型料理店の厨房でもここまで大鍋が並べられることはまずないだろう。それはそうだ。近衛騎団一万名分の食事がアスナの指示の元、一気に作られているのだから。
本日の献立は黒パンにポトフ、それとサラダだ。本当なら軍隊と言うことで肉じゃがを作りたいところだったが、これまで立ち寄った街にはしょう油もみりんもそれに近い調味料さえ見つからなかった。ヨーロッパ風の調味料ならばそれなりに多かったのだが。
そういったことで妥協案としてアスナが選んだのがポトフだった。
弱火でコトコトと煮込まれる野菜と肉を前にして満足げに頷いた。
「ドレッシングの準備は出来てる?」
「はい。味を見ていただけますか」
「了解」
テント群の端に設けられた厨房の責任者にアスナはおさまっていた。
幼い頃から祖母に家事全般を叩き込まれ、幻想界に召喚されるまでは共働きの両親に代わって家事の全てを取り仕切っていたアスナである。料理ぐらいお手の物。
と言ってもさすがに一人で一万人分の料理をすることは出来ず各部隊の料理当番に指示を出しながらであるが。
「そこ吹きこぼれてる。もう少し火を弱くして」
本来ならば総大将であるアスナが料理をする必要などない。むしろ威信に関わるということで反対もされたし、彼自身も初陣の失態もあり自重していた。
それでもアスナが料理をすることを決断させるのに十分な理由があった。
はっきり言って日々の食事がまずいのだ。生煮えなんて当たり前、味付けもメチャクチャだ。軍隊組織ということで量や栄養が重要視されるために味の問題は二の次三の次となるのは必然だった。
ヴァイアスにその辺りのことを聞いてみたが、行軍中の食事なんてまずくて当然だと苦笑いが返ってくるのみで改善しようとは思っていないようなのだ。
試しに食材を見てみたが魔王直属の近衛騎団ということもあり、どれも良い物で、逆に悪い物を探す方が難しいぐらいだった。ということは原因は調理しているヤツの腕ということになる。
いきなり全体の料理の面倒を見るなんて言えば断られるのは目に見えている。そこでアスナはヴァイアスたち騎団司令部の舌から説得を始めた。
料理当番には気晴らしだと言って料理を一品作って、夕食に出した。これは幻想界の者たちがどういった味が好みかを調査するためだ。結果、自分と好みは大差ないことが分かった。その一方で甘い物に飢えている女性団員にはチョコチップクッキーを作って配り歩いた。補給物資に含まれている甘い物と言えば粗悪なチョコレートだけだった。それに一工夫して配ったアスナは思った以上に彼女たちから高い評価を得た。
騎団の旗が示すとおり、伝統的に近衛騎団は女性の発言力が大きい組織である。その女性陣のほとんどからアスナは支持を得たのだ。これで地盤はできた。あとはきっかけだけだった。
そのきっかけも意外とすぐにやってきた。司令部の食事を切り盛りする当番の団員が過労で倒れたのだ。料理当番などの些末事はどうしても新入りや見習いが当番となってしまう。いくら最精鋭の近衛騎団に入団が許されたと言っても訓練もそこそこの新人には戦場にいることは過酷なことだ。料理当番がいなくなったことで騎団司令部は困ったことになった。
何しろ司令部の要員は誰もがエリートコースを歩んできていて料理経験などないのだ。司令部の女性の中には料理の心得がある者もいたが、そこは騎団の頭脳である司令部だ。
他にやるべき仕事があってそれどころではない。
かといって司令部権限だと言ってただでさえ、なり手の少ない料理当番を他の部隊から引き抜くこともできない。そこで白羽の矢が立ったのがアスナだった。
騎団のお荷物にして、唯一の暇人である彼以外に当番のなり手がいなかったのである。
本来の当番が復帰するまでの間を条件に、ついにアスナは料理当番の地位を手に入れたのである。そこからアスナは表だって攻勢に出ることにした。
一度手に入れた地位は自分よりも優秀な者が出てくるまであらゆる手段を使って守れというアスナのジイさんの教えの一つがここで活かされることになる。
まず、彼は自分が司令部付きの料理当番となったことを騎団全員に知らせ、余った料理をお裾分けと称して配り歩いた。
まずい食事で軍務に従事していた団員たちは司令部がアスナの美味い料理を日々口にしていることに不満を持つまでそう日は経たなかった。
さすがに表だって司令部に不満を露わにすることはなかったが、確実にアスナの料理を口にしたいと願う兵たちの無言の圧力は無視出来ないまでに高まっていた。
アスナが攻勢に出てから一週間。ついに兵たちにつっつかれて各部隊の料理当番の一部が彼に美味い料理の作り方を教えてもらうべく集まり始めた。
本来ならば不敬なことだがアスナの世話好きな性格もあり、アッという間に各部隊の料理当番はアスナの弟子と化してしまったのだ。そのアスナの教えを受けた料理当番は自分の部隊に戻ると特訓で培った腕を振るい団員たちから絶賛を受けることになる。
毎日の美味い食事は長い行軍で落ち込みやすい士気の維持につながり、騎団司令部もアスナの料理当番就任を認めないわけにはいかなくなったのだった。
そして今、料理当番たちの首座に立ったアスナは料理という奇策を用いて近衛騎団を精神的に掌握、いや餌付けに成功したのだった。
「そろそろ出来上がりだよ。皿の準備は出来てる?」
作戦面においても順調であった。ラインボルト第三の都市、ムシュウまでの行程を半分近くまで消化している。
戦闘らしい戦闘があったのはエルニスでの一戦のみで、これまで小規模の抵抗はあったもののほとんどが騎団の接近に気付くとすぐに降伏し、恭順の意を示した。
そういった連中は後送し、戦力として活用できるように再編成され、ファイラスの包囲を強化する任務に就くことになるのだ。
同じく進軍を続けているリムル率いる第三魔軍も順調に進軍を続けており、今週末には最終奪還地であるゼンに到着、同じく第八軍副将ルマンドもモーブの奪還に成功したとの報告が随分前に入っていた。
また近衛騎団、第三魔軍を援護している副将たちからも何度か革命軍側から諸都市に向けて援軍が送られたが全て撃破に成功したとの報告もあった。帰順した部隊による合流組との連携もとれるようになってきたことも付記されていた。
あまりに順調すぎる進軍にアスナの頭に好事魔多しの言葉がよぎった。そのことをヴァイアスに話すと、
「俺もここまで来るのに軍師が何の手も打ってこないのは疑問に思ってる。だけど、無駄に警戒しても疲れるだけだからな。考え得る手は打ってるから気にするな」
と言ったのみだった。
行軍は奇襲を受けないように伏兵が隠れられるような場所は通らないようにしていたし、もしもの奇襲にもすぐに対応できるように備えてもいた。
だがそれでもアスナの不安は紛れることはなかった。
アスナたち前線で戦う者たちの背後でもまた剣を交えることのない戦いは始まっていた。
戦場が奏でる交響楽も聞こえない後方、首都エグゼリスでの戦いだ。
その一つが内務大臣ガラナスを議長とした戦後処理委員会だ。
まだ革命軍との戦闘は続いているのにと思われるかも知れないが、アスナの召喚と出陣により戦いの趨勢はすでに決しているのだ。
その証拠に革命軍に属していた者たちが「後継者、召喚される」との情報を耳にした途端に手のひらを返したかのように恭順の意を示した。原隊への復帰を望む者、革命軍側にも義理があるとして自発的な謹慎を行う者と様々ではあるが。
近衛騎団、第三魔軍の攻略目標としている都市を占領している部隊はもちろん、革命軍の本隊からも、その半数近くの人員が脱落したという報告もある。
話を戦後処理委員会に戻そう。
彼らの戦いは戦場で命を賭けていない分、軽く見られがちだが実際はそうではない。
戦場が明確に固定されていないため逆に厄介だ。何より彼らが賭けているのは個々人の命ではない。
彼らが賭けているのはラインボルトという国家そのものだ。
仮に戦後処理を失敗すれば国が疲弊し、数多の民が首をくくる恐れもある。
それだけではない。他国が介入してくる可能性もあるのだ。この内乱が終わっても国家を防備する軍隊が半壊状態では、いかに魔王の存在があろうとも介入を防ぐことは難しい。
そのため確実にラインボルトが国家再建に取り組んでいる様を各国に見せつける必要があるのだ。
その第一段階としてすでに物資の調達が始まっている。
戦闘のために破壊された橋や重要施設、城壁、民家などの補修物資。それ以上に重要なのは食糧の確保がそうだ。
ラインボルト軍のほぼ全てが行動している状況の今、圧倒的に食糧が不足している。アスナ派だけですでにエグゼリスの食料庫は空となり、それだけでも足りずに近隣都市はもちろん、進撃経路に点在する諸都市からも食糧の買い取りを行っていた。
これはあくまでもアスナ派だけを見ればである。実際はその三倍近くの食糧が日々、減っているのだ。革命軍が必要としている物資がそれだ。
内乱が始まってからすでに三ヶ月以上が過ぎている。その間、三十万もの兵員の食糧を国家がまかなっているのだからたまったものではない。
ラインボルトには八千万近くの国民がいる。それだけの人数をまかなえるだけの食糧があるのだからあまり問題はないのではないかと思われるかもしれないがそうではない。
収穫を終えた直後ならばまだしも、今は収穫期の一歩手前の時期だ。前年の食糧がもっとも少なくなっている季節と言えば分かりやすいだろう。
そんな時期に大量動員を行えば目に見えて食糧が減ってしまう。またこの物資調達は戦後処理のもう一つの問題とも密接に関係している。
金の問題だ。
国家が大量に物資を欲しがっていると知った商人たちが結託し買い占め、物価が急騰してしまったのだ。これでは国庫の中身を全て使ったとしても必要な物資をそろえることが出来ない。それどころか一部では足りなくなった食糧を求めて小さなデモが起きている。
が、実はこの物価高騰にはもう一つ理由があった。その主役は一般の国民だ。
内乱の勃発に不安を感じた国民たちは一斉に食糧の買いだめを始めたのだ。
確かに物価高騰の最大の理由は内乱だが、その一翼を自分たちが担っていることに国民たちは分かっていなかった。
再び話を戦後処理委員会の動きに戻そう。
物資はあるところにあるが必要な分を購入する金がないという状況に内務大臣ガラナスは思い切った策をとった。
革命軍を支援した商人たちに揺さぶりをかけたのだ。すでに紋章院が革命軍の資金提供者の名をリストアップしていたのだ。
初めはとぼけていた彼らだったがそのことを仄めかすと一転して積極的に協力を申し出てきた。彼らの表向き自発的な協力により当面の物資と資金の心配がなくなった。
もとより商人たちを取り潰すつもりはアスナはもちろん、戦後処理委員会にもなかった。今後の幻想界統一事業のことを考えると彼らの力は必要不可欠だからだ。
それでも内乱を一翼を担ったことには間違いないのだから、これぐらいの罰は当たり前だった。
次いで地方行政の復旧が急がれた。
近衛騎団と第三魔軍が奪還した諸都市に首都から委員会隷下の復旧支援員を送り、現状に適合した復旧計画の策定が始められた。
支援員には復旧作業以外にもう一つ任務を与えられていた。
幻想界統一事業にラインボルトの国力全てを投入できるように各都市の人口と各人の能力、生産力の調査がそれだ。
そのため革命軍の占領を受けていない都市にも彼らは派遣され、内乱鎮圧の協力を名目に調査が行われたのだった。
委員会の役目は国内復旧と再整備だけではない。外にも目は向けられていた。
無用の介入を行わないように他の四大国に釘を差すために外交攻勢にでた。
アスナからの親書、これは外務大臣の代筆だが、を携えた使節団が送られ、それなりに良好な返答を得てきた。
もっとも良好という言葉も広い範囲でという言葉がつくのだが。本当の意味で好意的な返答が返ってきたのは獣王の国サベージだけだ。
海王の国アクトゥスは基本的に介入しないとは言っているがそれが絶対ではないことを仄めかし、竜王の国リーズにいたっては二ヶ月以内に平定出来なければ介入すると言ってきた。最後に冥王の国ラディウスだが外務省はここに使節団を送ることが出来なかったのだ。ラディウスへの道は全て革命軍側に勢力下にあるからだ。いかに第三魔軍がファイラスと南部地域の連絡路を遮断するために動き、近衛騎団が奪還のために進軍しようともそこは支配地域であることに変わりがないのだ。
一度はラディウスへ使節団を送りはしたものの革命軍が主要路や国境に設けた検問所に阻まれてしまったのだ。そこで外務省は、送ることに意味があるとばかりに多少時間がかかるが、海を使ってラディウスに向かうことにしたのである。
昔からの友好国であるサベージには他の三国とは別に特別な要請を出していた。
ラインボルトへの優先的な物資輸出である。自前では賄いきれない物資の調達はラインボルトとして緊急課題であった。
サベージとしては長年の友好国ということもあり支援したい考えであったが内乱中のラインボルトに支援を行えば他の三国から介入であると非難されるのは避けたかった。
使節団はサベージとの協議の結果、どのような形であれラインボルトが平定された後に支援を行うと確約し、それを書面に残すことにも承諾させることに成功したのだ。
さらに委員会が戦後処理と戦場の後方支援に奔走している裏で、決して表に出ることのないもう一つの戦いが展開していた。
王宮府隷下の紋章院とストラト率いる執事団による革命軍の支援者の摘発だ。
紋章院とは名家の登録と管理、名家の証である紋章の作成。そして、王族の世話を行う機関のことだ。だがその裏では国内情勢の監視を行っていた。
情報局が対外的な組織であるのに対して、紋章院は対内的な組織なのである。
調査はすでにある程度終えている。内乱が始まった当初から調査を始めているのだから当然と言えばそうだ。
情報局が調べ上げ、戦後処理委員会に提出した商人たちのリストを彼らはすでに自らの手で作成を終えていた。自らの存在を公表することをよしとしない紋章院は手にした情報を公表することは稀である。重要な意味を持つ情報のみが情報局内部の協力者の名を借りて公表されることになっているのだ。
その彼らが今、持てる力を集中して探索をしているのはただ一人。
革命軍に資金や情報を提供し続けていた支援者たちの元締めだ。
すでにその取り巻きとなっていた名家の称号を持つ者たちの名前と所在地の調査は終えており、証拠と共に情報局に報告している。摘発されるのも時間の問題だろう。
だが肝心の元締めに関する情報が圧倒的に少なかった。
それが何者であるかはすでに判明している。分からないのは所在地だ。
大蔵大臣の要職に就いている彼の養子にストラトはそれとなく所在地を聞き出したのだが大蔵大臣は隠居して保養地で余生を過ごすと言っていたと証言した。だが、その保養地にも彼はいなかった。
考えてみればラインボルトはもとより幻想界をも混乱に巻き込んだこの内乱は元からこの男によって策謀されたものなのではないだろうか。
油断からエルトナージュとの政争で劣勢に追い込まれた彼が一発逆転の策に出たとしても不思議ではない。彼にはそこまでの大胆さも有しているのだから。
かねてから魔王不在の不安と、政争を繰り広げる文官たちへの不満を募らせていた武官たちに現状の安定を名目に内乱を起こさせ、現政府と宰相エルトナージュを政界から追い出し、自らが返り咲こうと考えたのではないか。
この説を裏付ける証拠として、支援者の名家に内乱終結後、自分の復位を推薦してくれれば要職の地位を与えると約束していたそうだ。また武官の中には自分と気脈を通じている者がいるとも。
自らの権力欲のために幻想界を混乱に巻き込んだ第一級の容疑者の名はデミアス。
前の宰相デミアス。その人であった。
総兵力三十万、本隊二十万を公称していた革命軍も瓦解寸前にまで追い込まれていた。
諸都市に配備していた部隊は降伏、もしくは制圧され、本隊はフォルキスが去就の自由を与えたことでその半数が脱落し、十万近くにまで減らしていた。
この無秩序な脱落は軍隊組織としては最悪の事態であった。
軍隊とは上位者の命令で組織的な殺戮を行う存在だ。部隊が歯抜け状態となれば軍隊として形作っている組織力が低下してしまい、もはや軍隊ではなくただの集団と化してしまう。
数が圧倒しているのならばまだしも、大量の脱落者が出たことでファイラスを包囲しているアスナ派の部隊と拮抗している今、致命的な事実であった。
現在、革命軍は丸々残っている第二魔軍を中心にして再編成が急がれていた。
フォルキスは再編成作業を続けている幕僚たちからの報告書に目を通しながら小さく息を吐いた。
「まさかここまで迅速に動くとはな」
後継者、召喚される。この報告を聞いた三日後にはファイラス包囲軍の先遣部隊がファイラス近郊の出城を攻略し、合流した後続部隊と共に当分の間、駐屯出来るよう拡張工事を始めた。
この出城を中心に左右に二万の部隊をそれぞれ配置している。
また、エルニスなどから救援要請で派遣した部隊が奇襲を受けて瓦解している。
すべてがフォルキスの予想を超えて進んでいた。
彼はアスナが動くとしても召喚から一週間後だと考えていたのだ。幻想界に召喚されたばかりのアスナがすぐに宰相派を掌握できるとは微塵も思わなかったのだ。
だからこそ麾下全軍に去就の自由を与えたのだ。
脱落を許さず戦闘に突入すればいつ背中を刺されないとも限らないという不安もあるが、本当の狙いは敢えて脱落者を出すことで残った者たちの結束を固めることができるからだ。
そして予定では反攻が始まる前に再編成を終えるはずだった。
が、その目論見は脆くも崩れ去った。
兵は神速を尊ぶという言葉の通り、今の状況は全てアスナの行動の早さが作り出したものだった。
「編成終了予定日は早くて明後日か」
「はい。参謀たちが急ぎ行っていますが適切に出来た穴を防ぎきれるかどうか分かりません。すでに後継者の軍が攻撃を開始している状況ですから穴は広がるばかりです」
マノアは総大将の認可の印を求める書類を抱えながら言った。
「時間がない。穴も広がるばかり。後継者の召喚から事態は不利になる一方だな。食糧その他の物資はどうなっている?」
「エグゼリス包囲が長期間になると予測していましたので三ヶ月ほどは問題なく籠城することが出来ます。あくまでも我が軍のみに限りますが」
ファイラスはラインボルト第二の都市と呼ばれるだけあって百万を超える人口を誇っている。また都市という性格上、金はあっても長期間、市民を養えるだけの物資を確保してはいない。全ての食糧を集めて、配給制をとっても二週間保つかどうかあやしいところだろう。これは災害時のために備蓄している物資を含めてである。
常時、他都市や農村部からの物資の流通によってファイラスは運営されているからだ。
首都の門と呼ばれるファイラスと言えどもここまで敵軍が侵入してくることがなかったことがこういった事態を招いたと言っても良いだろう。
また革命軍のファイラス駐留の前からエルトナージュは兵を配置しており、物資の流通は滞りがちになっていた。
「何とか出来ないか。市民を餓死させる訳にはいかんぞ。それ以前に暴動が起きれば本末転倒だ」
「ゼンから物資を送るよう命じていますが届くかどうかは不明です。情報では第三魔軍がゼンに迫りつつあるとのことですから」
ラインボルト全土でもそうであるようにここファイラスでも同様のことが起きていたのだ。
「ボウヤが相手だとゼンが落ちるのも時間の問題だな」
「規格外の者が相手では城壁は意味を成しませんから」
「……援軍を送るべきか」
「それは勧められないな」
LDだ。些か表情に疲れを見せている。
「ただでさえ脱落者を出して、まともに動かせる部隊とこちらを包囲している後継者の軍と数の上では拮抗しているんだ。ここで援軍に出せば籠城もままならんだろう。それに包囲軍を指揮しているのは宰相だ。初陣とは言え侮らない方が良い。彼女にはファーゾルト殿が補佐しているのだからな」
「なら、どうするつもりだ。シグルと言えどもボウヤが相手では敗北は必至だぞ」
シグルとは第一魔軍の副将の一人だ。通常、各軍に副将は一人なのだがラインボルト軍の要である第一魔軍にのみ副将は二人配属されている。
そして問題のゼンにはシグル率いる第一魔軍五千を基幹に一般軍の部隊が配備されている。このゼンが各地から送られてくる補給物資の集積地にしているからだ。
「私が行こう」
「お前が? 確かにお前が行ってくれれば心強いが一万の軍勢では」
いかに第一魔軍を基幹としていてもリムル率いる第三魔軍と五分の戦いをするのは難しい。第三魔軍はラインボルト軍でも最も攻性の色が強い軍だからだ。
幻想界にその名を轟かせる軍師と言えども籠城戦ではその力を発揮することは難しいだろう。
「いや。ゼンは放棄する」
「なっ!?」
「マノア、ラインボルトの地図を持ってきてくれ」
「……はい」
広げられた地図を前にLDは現状を改めて把握するように話し始めた。
「現在、宰相派改め後継者の軍はエルニス、モーブ、サリフを陥落させた後、この経路をもって我々が制圧していた都市を陥落させて行っている」
LDが指で指し示す諸都市は彼が作戦で制圧することを示した都市であった。フォルキスが無駄に制圧した都市には目もくれずに第三魔軍はゼンに向けて、進軍を続けている。
「今、問題になっている第三魔軍の最終制圧都市はゼンだと考えて良いだろう。ここを陥落させることで我々が集めた物資を差し押さえ、宰相の包囲に参加するつもりだろう」
次にもう一つの経路をなぞり始める。
「そして、これが近衛騎団の進軍予想経路だ」
LDが地図をなぞり、止めた都市は革命軍が蜂起した都市、ムシュウ。
「第三魔軍が速戦速攻を主としているのに対して騎団の進軍速度は遅い。これは踏破距離の長さから無駄な疲労を貯め込みたくないという目論見もあるのだろうが、本命は後継者が帯同しているからだろうな。そこで」
一度、二人を顔を見る。
「ゼンを一度、放棄してその軍をムシュウに移動させる。他の諸都市に駐留している部隊もそうだ。その集めた戦力をもって近衛騎団にあたろう」
「…………」
「後継者を試すのだろう? 総大将としてここを離れるわけに行かない君に代わって私が後継者と戦おう。すでにゼンを含め諸都市の部隊にはムシュウに移動するように指示を出している。事後報告となってすまないが」
「お前が動くことは構わない。だが、それで後継者にもしものことがあれば」
「私は傭兵だ。雇い主の目的を達成するために動く。君が姫君に平穏な日々を送ってもらいたいと軍を起こしたのと同じように私は君の目的を達成させるために後継者を倒そう」
「……分かった。お前に任せる」
頷くLD。
「すぐに発つことにする。時間が惜しいんでな」
「あぁ」
「ではな」
執務室から出ようとするLDの背にフォルキスは声をかけた。
「死ぬなよ」
「らしくないことを言うな」
小さな笑みを浮かべて銀髪の軍師はファイラスを後にしたのだった。
「大丈夫でしょうか?」
マノアは不安げな表情を浮かべていた。LDの力は信用している。だが、それだけに去り際に見せた微笑が不安をかき立てるのだ。
それはフォルキスも同じだった。
「分からん。任せた以上、信じるだけだ。あいつはあいつの、俺たちは俺たちの務めを果たせば結果は自ずと現れる。そう言うものだ」
それだけ言って背後に控えるマノアを見る。
「明日、第二魔軍全軍をもって出陣するぞ。真に彼らが後継者の下で結束しているのかを試すためにな」
「はい!」
ここにラインボルト内乱の中盤戦を迎えるのであった。
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