第一章

第六話 武力会談 前編

 ファイラスは沈黙していた。
 人々も物の出入りもなく、至る所で湧き出る日常の喧噪も今はない。
 沈黙、いや閉塞と言った方が正しいかもしれない。
 野心と欲望を吸収して躍動するファイラスも今では城門を閉ざされ、出入りも制限されてしまい往時の姿はない。
 だが、ファイラスもただ無為に沈黙しているだけではなかった。
 街を我が物顔で闊歩する者、革命軍の兵たちは堅い軍靴の音を響かせて動いている。
 今や市民たちではなく、彼ら将兵たちがファイラスの主役となっていた。
 しかし、その行き交う兵たちの表情には精悍さのなかに不安も見て取れる。
 自らの意志と義理で残った彼らも後継者への背信に対する恐怖があるのだろう。
 不安と閉塞に染められたファイラスの東側に大きな駅舎がある。荷馬車で賑わっていたであろうそこに完全武装した兵たちが終結していた。
 兵たちはどれも重装甲に槍を装備している。その兵たちの先頭に彼らとは対照的に急所を守る最低限の鎧だけを纏った巨漢がいた。フォルキスだ。
 彼の象徴たる身の丈を超える巨大な剣を騎乗する馬に載せている。
 フォルキスは一度、曇った空を見上げると一同に振り返った。
「多くを語る必要はないと思う。言うべき言葉があるとすればただ一つだ」
 巨大な体躯を思わせない身軽さで騎乗した。
「・・・・・・全員、死ぬなよ」
 無茶な命令だった。
 だが全員がその命令を達成できて当たり前だと言わんばかりに力強く頷き、騎乗した。皆と同じように騎乗したマノアがフォルキスに近づく。
「フォルキス様。出陣のお下知を!」
 力強く頷く。
「鬨の声を上げろ!!」
 おおおおおおおぉぉっ!!
「出陣する!」
 一ヶ月に渡って封じられていた、アスナ派の将兵たちが攻め落とすことの出来なかった城門が今、開いた。
 出陣するのはフォルキス率いる第二魔軍のみ。彼が持ちうる本来の武力(ちから)をもって進撃する。
 目指すはエルトナージュ率いるアスナ派本隊。
 目的は自分たちの行いの正当性を知らしめるために。


 フォルキスが出陣した一方でエルトナージュもまた出城から出陣していた。
 その数、約二万。期せずして出陣した第二魔軍とほぼ同規模であった。
 エルトナージュの出陣を前にファイラスを包囲する両翼の部隊に何度も攻撃を命じていた。彼らの攻撃目的は本来の足止め以外にも革命軍がファイラス防衛のため、どのように兵を配置しているか綿密な調査が行われた。
 攻撃に必要な行動なのはもちろんだがこれにはもう一つ裏があった。
 エルトナージュの初陣を華々しい勝利で飾るためだ。
 彼女はいまさら言うまでもなく先代魔王のただ一人の娘であり、現ラインボルト宰相だ。その彼女の初陣を敗北で終わらせることは出来ない。
 ファイラスの包囲をしているアスナ派本隊全体のことを考えても敗北は許されない。
 実戦で彼女の指揮能力を発揮できたか云々よりも、王女が戦場に出て敗北したという事実が問題なのだ。
 王女であり、人魔の規格外である彼女が破れれば兵の質で劣るアスナ派本隊の士気が落ちてしまうのは想像するに難くない。
 彼女自身もそのことを自覚している。
 馬上にあるエルトナージュは鮮やかな翠の光を集めたような長い髪を今は結い上げ、真っ直ぐに行く先を見つめている。
 普段、怜悧と表される横顔に今は凛々しさを宿している。
 王族としての血がそうさせるのか、彼女の決意がそうさせるのか分からない。
 ただ確かなことがある。彼女の横顔は兵たちを奮い立たせ士気を上げるに十分であったということだ。
 出陣から一時間。
 つと、エルトナージュの目が細められた。彼女の意に従うかのように軍馬も止まる。
「気付かれましたか」
 指南役のように彼女の側につく副将ファーゾルトも視線を交えることなく前方を見据えていた。
「はい。・・・・・・来ますね」
 前方で蒼白い光が閃いた。と同時に今まで聞こえなかった怒濤の如く何かが大挙して押し寄せてくる音が響いてきた。
「全軍に通達。前衛部隊は防御を固めよ。魔法兵、弓兵は敵の突撃力が落ちたところを狙い撃ちに・・・・・・」
「ダメです」
 ファーゾルトの命令をエルトナージュが遮った。
「全軍、左右に分かれ敵を迎え入れなさい」
「ですが閣下、それでは陣形が崩れ命令が伝わりにくくなります」」
「恐らくあれは第二魔軍、フォルキス将軍のはずです。あの方の気性なら、このような状況になれば率先して矢面に出て戦おうとするはず。ここであれを受け止めようとすれば被害が増すだけです」
「分かりました。命令変更。全軍を左右に分け敵軍をかわす。第十二軍は左へ。首都防衛軍は右に移動しろ。遭遇戦だからと浮き足立つな! 各部隊の指揮官は指揮系統の維持を最優先しろ。参謀長、右翼の指揮を任せる」
「ファーゾルト、右翼の指揮は貴方に任せます」
「私は姫様をお守りしなければ」
「命令です。右翼の指揮を首都防衛軍副将ファーゾルトに命じます」
「ですが、私には先王陛下から姫様をお守りせよとのご遺命が」
 命令をうけてなお食い下がる初老の副将にエルトナージュは小さく笑みを見せた。笑みの中に彼女らしからぬ脅えの色をファーゾルトは感じた。
「貴方はまだ知らないからそう言えるのです。人魔の規格外の戦いに敵と味方は存在しません。自分と敵があるのみです。ここに残ればわたしを護ろうとして、わたしに殺されるかもしれません。護衛は不要です。全力で待避し、第二魔軍を包囲殲滅することを最優先としなさい」
 ファーゾルトは気付いた。
 エルトナージュの脅えは敵に対するものでも自分の力に対するものでもない。
 自分の戦いに友軍を巻き込み、殺すことを恐れているのだ、と。
 先王に迎えられ、エルトナージュの教育係の一人ではあったが彼女が、というよりも人魔の規格外がどのような戦いをするのかを知らない。噂で伝え聞くのみだ。
 彼女が自分に対する脅えがどういうことか今は実感できない。恐らくこれからするのだろう。ならば彼女が何者にも恐怖せずに戦える場を用意するのもまた自分の責務と割り切りファーゾルトは彼女の命に伏することにした。
「承知いたしました。ご武運を」
「えぇ、貴方も」
 笑みで宰相軍司令部の面々を見送るとエルトナージュは表情を改めた。
 将でも、宰相でもない。ただ一人の剣士としての自分がそこにいる。
 ・・・・・・まさか初陣でこんなことになるとは思わなかったな。
 時を刻むごとに強く、大きくなる蒼白い光を前にしてエルトナージュは腰の剣を抜いた。一般の兵が使用する物よりも細く軽い。剣には王女が持つような華麗な装飾は施されておらず、実用性のみを追求した簡素な作りだ。とても迫り来る巨大な敵の一撃に対抗できるような代物ではない。
 ・・・・・・そう言えばあの人の初陣も散々だったらしいけど。こちらも負けず劣らず、ね。
 退避命令が伝わりきらなかったのか前衛部隊は次々に敵騎兵部隊に蹂躙されていくのがここからはっきりと見え、彼らの断末魔の声が耳に響く。
 人が弾かれて宙を舞うという非日常的な光景が広がっている。
 ・・・・・・近衛騎団のことだからエルニス攻略戦に鏃を組んだはず。これを見てあの人は自分のやったことを後悔したのかな。
「こんな状況なのに考えてるのはあの人のことか」
 身体を震わせる足音に将兵たちの咆哮を前にしてエルトナージュは俯いて苦笑を浮かべた。
 顔を上げたときエルトナージュの表情には再び凛々しさのみが宿っていた。
 その視線の先には蒼白い光に包まれた、彗星の如く突撃してくる騎馬部隊が、そしてその最先端には壮絶な笑みを浮かべた男がいた。
「フォルキス将軍!」
 軍馬に提げていた大剣を引き抜くと彼の周囲に陽の光ような、紅い金とも言える輝くが生まれる。
 闘気だ。
 彼の闘気に押されるようにして騎馬部隊は二つに割れる。
「エルトナージュ様ぁっ!!」
 大上段に構えたままフォルキスは馬から飛んだ。彼の放つ闘気が剣へと収束していき信じられないほどの巨大な一撃へと変化を遂げる。
 対するエルトナージュもまた蒼銀に輝く魔法力を展開。フォルキスのように収束していき、だが巨大化することはなく剣を蒼い力を放ち続ける。剣を下段に構えて迎え撃つ。
「はああああああぁあぁぁっ!!」
 裂帛の気合いと共に振り下ろされる赤の巨剣に対し、エルトナージュは蒼銀の剣を振り上げた。
 激突。
 二色の奔流が周囲に荒れ狂う。
 ぶつかり合う剣と力の中フォルキスはさらに笑みを濃くする。
「お久しぶりですな、エルトナージュ様」
「そうですね、フォルキス将軍」
 行き場をなくした無秩序な力が互いの覇気に呼応して爆発が起こった。
 生じた爆風は駆け抜ける第二魔軍騎兵部隊の殿を、待避の遅れた兵たちを吹き飛ばしていく。その中で二人は十歩ほどの距離を開けて対峙していた。
「将軍、兵を収めていただくわけにはいきませんか」
「それは無理な話ですな!」
 まるで一歩で距離を詰めたかのようにフォルキスの剣はエルトナージュに襲いかかる。
 彼女はそれを受けるではなく、攻撃という形で弾く。互いの攻撃で攻撃の意志を持った闘気と魔法力の欠片が刃となって辺りに飛び散り始める。
「我々は命を散らした同士のために戦いをやめるわけにいきません」
「後継者に反抗すると仰るのですか?!」
「いいえ。我々が反抗するのは現政権、つまりエルトナージュ様、貴方にです」
 十合、二十合と剣を交わすが二人の力はほぼ互角。
 フォルキスは巨躯から放たれる力と闘気を活用するために幾多の実戦の中で構築した戦技を繰り出し、対するエルトナージュは何人もの武術の師から受け継いだ技に自身の俊敏さと魔法力とを組み合わせた戦技で対抗する。
 力の差はほとんどない。勝敗を決するのは両者の意志のみだ。
「後継者は現政権を認めています。将軍は反乱の罪を犯しているのですよ」
「欺瞞ですな。我々は後継者が召喚される以前から主張は変えていない。我らの行いを反乱と呼ぶのならば初めから反乱軍と呼ぶべきではないのか」
「それは・・・・・・」
 エルトナージュの剣に僅かな迷いが生じる。
「そもそも私が革命軍を指揮する意志を持ったのは国のためであり、貴女のためだ。心優しい貴女では得体の知れない論理で動く政(まつりごと)の舵取りなど出来ない」
「そんなことはありません。大臣方はもちろん、官僚たちもわたしを支えてくれています」
「では、なぜこのようなことになったのです。諸大臣が支えると言われるが、貴女を一番に支えるべき前(さき)の宰相デミアス殿との政争はどう説明されるおつもりですか」
「・・・・・・・・・・・・」
 悔しそうに表情を歪めるがエルトナージュは何も言葉にすることができない。
 全て事実であり、彼女自身が十二分に理解していることだからだ。
 彼女の発する力には変わりない。が、攻撃的な色合いは薄れてきている。
 それに伴いエルトナージュは防戦一方に追い込まれていく。

 その一方でファーゾルトもまた苦戦を強いられていた。
 故意にとは言え軍は敵騎兵部隊という鉄槌によりフォルキスと言う名の楔を打ち込まれたままだ。二つの軍の指揮系統を確保する間もなく第二魔軍の後続部隊が襲いかかってくる。第二魔軍は各個撃破に動いている。
 これでは兵の質で劣る第十二軍では持ちこたえられない。
 あらかじめ敵軍はこうなるよう作戦を立てていたのだろう。宰相軍側には重装歩兵部隊に襲わせて足止めさせ、残る全力で第十二軍に攻撃を敢行していた。
 そのなかファーゾルトは率いるべき宰相軍の指揮系統の掌握を参謀長に任せ、指揮可能な兵力二千をもって第十二軍の支援に向かうことを優先した。
 エルトナージュの命令に反することだが宰相軍の最大戦力は自分だ。ならば一番に支援に向かうべきなのは自分であるとファーゾルトは支援の部隊を率いていった。
 援軍に向かうべく進軍を続ける彼は横目に人魔の規格外の戦いを目にした。
 闘気と魔法力が荒れ狂い、二人が剣を振るうたびに地面は大きくえぐれていく。
 この戦いぶりは驚愕に値する。人魔の規格外とはよく言ったものだ。
 だがあくまでも”人魔”の規格外としてだ。この程度の戦いならば竜の眷属であるファーゾルトでも参戦できる。本当の種族的な強者である竜族が変化した姿での戦いに比べれば児戯にも等しい。
 ・・・・・・規格外と言えども所詮は噂でしかないということか。
 そんなことが頭をよぎったが彼はすぐに頭を切り換えて第十二軍の支援のことだけを考え始めた。
「ファーゾルト副将、敵です!」
 見れば本隊を分断した騎兵部隊だ。彼らと遭遇しないように迂回して進軍していたが裏目にでた。
 悔しげに口元を歪ませるファーゾルトに仕官の一人が震える声で下命を促した。
「副将。げ、下知を」
「臆するな!」
 初陣の脅えを宿した将兵たちに一喝する。
「勇を奮い、心励ませば必ず勝てる。お前たちには私がついている。臆するな!」
 兵たちは青い顔をしながらも自らを奮起させようと強く頷く。
「弓隊前へ!」
 しばらくの後、弓隊がファーゾルトの前に整列し、敵騎兵部隊に向けて弓を構える。
 それよりも僅かに早く敵騎兵部隊は簡単に隊列を整えると動き出した。だが、第一撃に比べて勢いがない。
 彼らはこれまでに縦横無尽に動き回り第十二軍の隊列を崩していたのだ。
 鏃を組むために兵たちは力を使い切ってしまっているのはもちろん、彼らが乗ってる軍馬たちも疲れ切っていた。しかし、彼らはよく訓練されていた。
「突撃!!」
 彼らを指揮するマノアの命令に従い、槍を前面に突き出して突撃した。
「いいか。二度、矢を放ったのち突撃を開始する。・・・・・・放てぇぇっ!!」
 放たれた矢は敵の軍馬を射殺しただけで大した効果はなかった。
 本来ならば上空に射て、落下の力を貫通力として威力を上げるのだが今のような遭遇戦では行うことが出来なかった。それでも牽制代わりにもと思ったが、
「大して役にはたたなかったか。突撃!」
 起伏の少ない戦場で騎兵と歩兵の戦力を比較すると圧倒的に騎兵に軍配が上がる。
 騎兵の最大の武器は機動力と突撃力だ、一般の歩兵ではこれを止めることは難しい。
 だが逆説的に考えればこの騎兵の機動力を潰せば十分に歩兵でも対抗することが出来る。
「敵の足を止めろ。決して離脱させるな」
 ファーゾルトはひたすらに混戦状態になるように戦った。こちらの方が数は多いのだ。
「良いか! 決して一人で戦おうとするな。必ず複数名で戦うのだ!!」
 機動力を殺した騎兵一騎に対して三、四人で当たるように指示して回った。
 一人で戦わざるを得ない者を見つけると彼は自ら率先して槍を手に加勢をし、一騎ずつ倒していった。
 自らの言葉を率先して実行する司令官の姿に兵たちは勇気づけられ、また沸き上がった勇気を無謀と履き違えるようなこともせず、数を頼りに敵騎兵部隊との戦闘を続けた。
「死に抵抗し、勇を貫け! ここが正念場だぞ!!」


 ファーゾルトの思惑通りに質の上での不利を数で補ったのだ。だが彼の策がそこそこ有効となったのはマノア率いる騎兵部隊が疲れていたからなのだが。
 そのマノアは手近にいた騎兵たちに決して自分から離れないように指示を出し、この混戦から脱出する機会を狙っていた。
「はっ!」
 彼女の振るった槍が敵兵四人を吹き飛ばした。
 今や彼女の周囲には肉が裂かれ、骨が断たれる音が絶えない。何より遺体が吹き上げる血煙がマノアの全身を覆い朱に染めている。
 細身の身体から放たれた力とは思えぬ威力。何より普段の彼女の姿を知る者ならば、本当にマノアなのだろうかと思える凄絶な姿だ。
 しかし第二魔軍の者ならばこう言うだろう。
 フォルキス将軍の副官を務めるのならばこれぐらい出来なければ務まらない、と。
 何より彼女は現ラインボルト大将軍、ゲームニスの孫であり、もっとも祖父の才能を受け継いでいるとさえ言われている。
 マノアの才能を示す話としてこういったものがある。
 病死した先代の第三魔軍将軍が後継にリムルを指名しなければ最有力候補として名が上がっていただろうと。
 一介の副官でありながら第二魔軍全体を取り仕切っているのはフォルキスの信頼があるからだけではないということだ。
 その彼女をしてもこの混戦から脱することが出来ずにいた。
「決して私から離れるな。一丸となって敵を押し潰すぞ!」
 さすがに第二魔軍は良く訓練されていた。混戦の中でも良く響く彼女の声に応えてそこここで混乱の中でも小集団が形成されていく。それをマノアは自ら槍を振るい合流していく。
 時間の経過と共に疲れていたはずの質が数を覆そうとし始める。
 主力軍であり、ラインボルト軍で最も実戦経験の豊富な第二魔軍に対して首都防衛軍が就いている任務は専ら首都エグゼリスとその周辺の治安維持だ。
 攻性組織と警備組織では、戦場での力の差は歴然であった。
 マノアの放つ声とさらに濃くなる血煙に応えるように混乱していた騎兵部隊は大きく三つの集団が形作られる。この時点での騎兵部隊の戦死者の人数は全体の十分の一に満たなかった。
 疲労と混戦という状況から考えると異常な生存率の高さであった。だが負傷者を多数出しており戦力の損耗という視点でみれば四割近くを失っている。
 ・・・・・・ここが引き時ね。
 未だ孤立している兵もいるが全体のことを考えると見捨てるしかない。何より革命軍全軍に対してフォルキスは脱出が不可能と判断すれば投降するように厳命している。
 残された兵たちが投降しても粗略に扱われないことを祈るのみだ。
「血路を開きます。全部隊、撤退!!」
 彼女は先頭を切って撤退を開始した。命令が聞こえなくとも撤退に動いたことは残り二つの集団にも伝わっているはずだ。
 それは宣言通りの血路であった。今まで以上に槍が舞い血煙がさらに濃くなり霧のようだ。軍馬の蹄鉄に踏み潰さた兵が朱の泥を作り出す。
 まさに血路。全てを朱に染めんばかりの勢いでマノアたちは突き進んだ。
 その彼女たちの前に同じく騎兵を引きつれた男が現れた。
 力に呼応するように輝く金の頭髪よりも、鋭く強い光を放つ眼光を真っ直ぐに彼女たちに向けている。
 ファーゾルトだ。
「行くぞ!!」
 彼の命令に従い両軍の騎兵が激突し、マノアの周囲で火花が、闘気や魔法力が飛び散る。
「ことここに至ってはその首、頂戴しますぞ。マノア殿」
 ファーゾルトの突き出した槍を弾く。
「それはこちらにも言えることです」
 右上から振り下ろした一撃は防がれるが流れはまだ彼女のものだ。
「今、あなた方はファイラスを包囲していますがそれは絶対のものではありません。エルトナージュ様が出馬なされれば必ずフォルキス様が迎え撃たれます。その間、今のような混戦に陥らなければ軍を統率できるのはファーゾルト様、貴方だけです。今ここで貴方を討てば包囲を打ち破るのも時間の問題です」
 打ち込んでこようとするファーゾルトの槍を弾く。
「私はただの副将ですぞ。他の将軍方を差し置いて本隊を統率する権限はありません」
「権限はなくとも適任は貴方しかいません。ではこういう言い方をしましょうか」
 攻撃を弾かれ小さく生まれた隙をついてマノアは槍を突き出した。
「貴方でなければ簡単に包囲軍を壊乱させることが出来ると」
 浅くだが手応えを感じる。ファーゾルトの左脇腹を切り裂いている。
 本当ならば脇腹を抉っていたはず。さすがは先代魔王が礼を尽くして迎えたリーズの将軍である。彼はマノアの攻撃の間合いを読んで避けていた。
 悔しげに彼女は小さく口元を歪めるが、
「燃えろ」
 突然、槍の穂先から炎が吹き出した。全身を舐め上げ包み込む炎にファーゾルトは巻かれた。彼の騎乗していた馬はもちろん、彼の側で奮戦していた兵たちにも炎は触れた途端に燃え移り、彼らは炭化してしまい崩れ落ちる。
 だがファーゾルトただ一人だけは炎に巻かれるのみ。
「あああああおおおおおおおおっ!!」
 戦場で戦う兵でさえも動きを止める叫び声と共に彼から蒼白い光が吹き出した。
 炎は光と共食いするかのように消えていく。
 後に残ったのは至る所に燻った煙を上げて膝をつくファーゾルトだけだった。
 衣服は燃え尽き、纏う鎧も溶かされて半裸となった彼だが身体自体は軽い火傷を負った程度でしかなった。
「さすがは竜族と言ったところですか。眷属とは言え王族が持つ力は凄まじいですね。黒死槍で焼き尽くせないとは」
 口調こそ冷静さを持っているが驚きを隠し切れていない。いや周囲で戦っていた者全てが完全に動きを封じられるほどの驚きだった。
 黒死槍とは相手を黒い炭になるまで燃やし尽くす炎を宿した魔槍だ。
 あまりに強大な力を持つ故に数多くの持ち主をも焼き殺してきたという曰く付きの槍。
 今ではマノアの力の象徴であり、代名詞であった。
 それを受けてなおファーゾルトは生き残ったのだ。がそれが全てだった。
 炎をうち消し、自身の身体を護るために力を使い果たしてしまっていた。
 膝をつき、息も絶え絶えのファーゾルトにマノアは敢えて表情を消して告げた。
「申し訳ありませんがファーゾルト様の首、頂戴いたします」
 首を刎ねるために黒死槍を振り上げたマノアの耳に空を切る鋭い音が届いた。
「!?」
 半ば条件反射的に槍を振り下ろして飛んできたそれを弾いた。
 槍だ。
「マノア様、あれを!」
 共に戦っている騎兵の声に引かれて彼女は見た。
 整然と隊列を組んだ一団が自分たちに向かってやってきている。
 ここで混戦となっている間に首都防衛軍の増援が送ってきたのだ。今の状況で敵の増援にあえば敗北は必至だ。
 マノアは歯噛みするようにファーゾルトを一瞥すると、
「撤退します!」
 轡の向きを変えると今度こそ彼女たちは撤退した。
 マノアのあまりの強さと、黒死槍に恐怖した兵たちの視線を一身に浴びながら。


 跪き、右手をついて負傷した身体を支えていたファーゾルトがゆっくりと傾く。
「副将!」
 それに気付いた兵が彼を支える。ゆっくりと自分にもたれさせていく。
 兵が集まり彼に簡単な回復魔法で応急処置を始める。
「すまん。・・・・・・状況はどうなっている」
「分かりません。ですが敵は撤退した模様です」
「歳は取りたくないものだな」
 自嘲とも言える笑みをファーゾルトは浮かべた。
 とそこに援軍を率いていた司令が到着した。
「ファーゾルト様、ご無事ですか」
「あぁ、お前たちのおかげで命拾いした」
 ファーゾルトの痛ましい姿に顔をしかめた司令は衛生兵を呼び寄せると処置を始めさせた。衛生兵の治療を受けながらファーゾルトは改めて現状を尋ねた。
「はい。あと二十分ほどで宰相軍、突入開始出来ます。我々は第二陣として攻撃命令を受けています。第十二軍はかろうじて指揮系統を維持しています」
「よろしい。それでエルトナージュ様の方はどうなされている?」
「苦戦を強いられておられます。参謀長は援軍を送ることを決められたようです」
「いかんな」
 震えながらもファーゾルトは立ち上がった。ふらつきながらも一度、大きく深呼吸すると彼は歩き出した。
「ふ、副将?!」
「今、兵を向かわせれば死体の山を築くだけだ。救出には私が行こう」
「ですが副将、今のお身体では」
「眷属とはいえ竜族の身体は頑丈だ。それよりも全軍に通達しろ」
 それでもやはり辛いのか深く息を吸う。
「エルトナージュ様を救出した後、一時撤退する。このような状況では進軍もままならん。責任は私が取る。早くしろ!」
 反論を許さない声に司令は略式敬礼をすると伝令にその旨を命じる。
「誰か馬と槍を用意しろ!」
 先ほどまで満身創痍であったのが嘘のような声だ。
 さすがは竜族。幻想界最強の種族と呼ばれるのもうなずけるタフさだ。


 戦場を阿鼻叫喚の地獄絵図と表現されるがここはそんなものではなかった。
 絶対不可侵の聖域。
 これが最も相応しいだろ。聖域を侵した不届き者を死を持って罰する。
 エルトナージュを救出しようとした兵たちが次々にフォルキスによって屠られていく。
 恐怖に駆られた兵たちは次々に突撃を敢行する。本来の目的は彼らの頭から失われ、もはや生き残るために突撃する。
「邪魔をするなと言っているだろう!」
 兵たちは巨剣に横凪に切られ、血と内容物をぶちまける。だがそれだけでは許さないとばかりにフォルキスの闘気は彼らを焼き尽くしていく。
 それは黒死槍の炎の比ではない。
 闘気とは文字通り攻撃の力だ。それがエルトナージュとの戦いで昂ぶった状態では手加減のしようがない。
 死に抵抗して死に突き進む兵たちの姿をエルトナージュは呆然と見ているしかなかった。
 自分よりも遙かに巧みに扱う強大な力、何より事実を突きつける言葉に彼女は力を奪われていた。
「・・・・・・・・・・・・」
 フォルキスの攻撃はエルトナージュの救出に来ている部隊だけではなくその後方にいる宰相軍の一部にまで及んでいる。
 陽光の如く赤い闘気を絶大な剣の形へと変え振るう。二十名ほどの救出部隊を倒すものではない。宰相軍の一部をも瞬時に焼き尽くしていた。
 上空から見ている者がいればそれがいかにおかしな光景だったのかよく分かっただろう。
 紙を鉛筆で黒く染めたところを消しゴムで消していく。そんな感じだ。
「・・・・・・やめて」
 すでに殺戮ではなくなっている。これはもはや消去だ。
「やめて」
 フォルキスは止めない。さらに剣を伸張させて振りかぶる。
 あれが振られればさらに多くの戦死者が出るのは目に見えている。
「やめてぇぇぇっ!!」
 エルトナージュの叫び声に呼応するようにフォルキスの周囲の地面が隆起し出す。それは人型をとった。ゴーレムだ。ゴーレムは拳を振り上げた。
 対するフォルキスは剣に収束させていた闘気を拳の来る頭上へと展開する。
 己の拳を砕きながらもゴーレムたちは何度となく振り下ろす。
 その間にエルトナージュは地面に剣を突き刺すと両手で空中に何かを描き始める。
 魔導式の展開だ。
 複雑に、そして立体的に文字や紋様が描かれていく。
 魔導式とは黒死槍や魔軍などが装備している武具に描き込まれている自動魔法展開文列のことだ。これに魔法力や闘気などが接触すると力の方向性や動きなどが決定づけられる。
 魔法力の供給さえ受け続ければ半永久的に与えられた機能を稼働させ続ける。だが魔導式を組み上げるためには凄まじく複雑な書式と文列が必要となる。
 子どもでさえ使える簡単な魔法を魔導式として表すことすら難しい。
 今、エルトナージュの両手は同じ速度で動き回り違う魔導式を展開する。彼女が展開しているのは二つだけではない。すでに幾つもの魔導式が空中に描かれている。
 この展開術はエルトナージュのオリジナルだ。
 鉛筆で描いてさえも力を持つ魔導式を、力そのものである魔法力で描けばどうなるか。
 試しに光を放つ魔導式を空中に展開すると通常よりも強い光が長時間に渡って輝き続けたのだ。新技術の発見であったが彼女以外に魔法力で文列を描くことが出来なかった。
 それは人魔の規格外として強大な魔法力を有している彼女だからこそ出来る芸当だった。
 エルトナージュが展開した魔導式は全部で八つ。
 互いに等間隔で彼女の周囲を回る。
「起動!」
 言葉と共に魔法力を放出。魔法力の蒼白い光は展開した魔導式に吸い取られていく。
 魔法力の供給を得た魔導式はゆっくりと球体となり、自らを意味する色彩を持ち始めた。
 この球体の一つ一つに最上級の戦術魔法が込められている。
 魔導式を展開した今の彼女ならば一人で一個軍、二万の兵を倒すことも難しくない。
 とフォルキスを殴り続けていたゴーレムたちが突如吹き出した闘気によって弾き飛ばされた。ゴーレムたちは大地に返ることを許されずに空中で消し去られる。
「やめてくれ、ですと?」
 あれだけ殴られ続けたにも関わらずフォルキスは無傷だ。多少、砂埃で汚れている程度でしかない。
「ならば初めからこのようなことをしなければ良かったのだ!」
 フォルキスは改めて大剣に闘気を収束させ始める。大剣は闘気によって強化され赤く金色に輝く。一カ所に収束した力は今までの比ではない。
「全ては姫様の甘さが一番原因だ!!」
 助走なく、第一歩目から全速力だ。大剣を肩に預けたまま両手で柄を握っている。
 エルトナージュはやるせない表情を作りながらも右手を迫り来るフォルキスに向けた。
 彼女の周囲に展開していた魔導式が彼女の意に従い、全力で攻撃を開始した。
 最上級の戦術魔法を八つも一身に受けているにも関わらず彼の進撃は止まらない。
「おおおおおおおぉぉっ!!」
 彼女の表情に恐怖が宿る。自分たちを生み出した主を護るように八つの魔導式が彼女の前に集まった。振り下ろしたフォルキスの大剣に両断された魔導式の一つの爆発が残り七つに誘爆していく。
 生まれた炎に比べて異常なまでに強烈な爆風が生じた。それはほとんどの魔導式を失い秩序を示すものがなくなった魔法力が最後まで残った風を意味する魔導式に反応してのことだった。
 突然の、それも戦場の中心での爆風に両軍の兵たちは吹き飛ばされ、ところには将棋倒しのようになり両軍共に組織的な行動が不可能となった。これにより押されていた第十二軍は脱出する好機を得た。
 その爆発の中心に二人はいた。
 荒い息で大剣に身体を預けてはいたがフォルキスは両の足で立っていた。一方、エルトナージュは茫然自失の体で腰を地面に下ろしたまま対するフォルキスを見上げていた。
 ・・・・・・負けた。
 そう、負けたのだ。最大の力を用いてもフォルキスを退かせることが出来なかった。持つ力の性質こそ違っていても強さは同じだと思っていた。
 それが通用しなかったのだ。これを敗北と言わずしてなんと言うのかエルトナージュは知らない。
 生涯、初めての完全なる敗北に彼女の気力は果てしなくゼロとなってしまっていた。
「これで終わりですか、エルトナージュ様」
「・・・・・・・・・・・・」
 言葉のない彼女にフォルキスは静かに剣を突き立てた。
「お選び下さい。降伏か、死か・・・・・・」
 決断を迫るフォルキスに、だがしかしエルトナージュは応える言葉がない。
 しばらく視線を交わしたのち、彼は手にした大剣を肩に背負った。
「政から身を引き、以前の穏やかな暮らしにお戻り下さい」
 背を向け歩き出した彼に、
「フォルキス将軍、なぜ」
「一人の武人としても進退を決められない姫様を切っても武功にはなりません。即刻、兵を引かせなさい」
「フォルキス様」
 見計らっていたのかマノアが姿を現した。
「撤退だ。これ以上相手をする価値はない」
 マノアの乗った馬に便乗するとフォルキスは去っていった。もはや一瞥もくれない。
「あ・・・・・・ぁ・・・・・・」
 言葉はなく、だが身体だけは追おうとする。意味のない行為をしていることに自覚して彼女は表情を歪めた。
 悔しい。だけど、認めなければならない実力の差。
 絶対に認めたくない。だけど、すでに認めてしまっているフォルキスの実力。
 それがエルトナージュは悔しかった。
 完全なる敗北に彼女は砂を握りしめて耐えていると、
「姫様」
 ファーゾルトだ。彼自身、酷い姿をしているが表情こそ作っていないが彼の瞳は気遣わしげな色を宿して彼女を見ている。
 彼がここに到着したときにはすでに二人の戦いに決着が付いていた。
 一人蹲り、何かに耐えるエルトナージュの姿にかけるべき言葉はない。
 ならば副将としての言葉を彼は告げた。
「無断で全軍に撤退命令を出しました。処罰はどのようにもお受けします」
「いえ。的確な判断です。良くやってくれました」
「・・・・・・敵将は、フォルキス将軍は」
 個人としては聞くべきことではない。だがここにいるのは副将としてのファーゾルトなのだ。副将として知るべきことは知らなければならない。
 エルトナージュもまだそれを弁える(わきまえる)だけのものが残っていたのかつまりながらもフォルキスが撤退したことを告げた。
「分かりました。ではすぐに出城に戻り、再起を図りましょう」
 ささやかながらも励ましの言葉をかけるがエルトナージュは立とうとはしない。
「立ちなさい! 貴女はこの軍の将です。このようなところで蹲ることは許されません。立ちなさい!」
「・・・・・・・・・・・・」
「立ちなさい!!」
「・・・・・・はい」
 のろのろと立ち上がった彼女の表情には普段の怜悧さも、行軍中に見せていた凛々しさもなかった。
 そこには自分を支える全てを失った、ただの少女がいるだけだった。

 その夜、アスナ派本隊が駐留する出城を警備していた兵は耳にしたという。
 押し殺して、それでも殺しきれない感情を持った泣き声を。
 月が傾くそのときまで聞こえていたという。



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