第一章

第六話 武力会談 後編


 こう言うのを人間離れしたって言うんだろうなぁ。ってラインボルトで軍師やってるんだから人間のはずないか。
 そんなことを思いながら、アスナは傍らで今いる村のことを説明している男を改めて見た。
  銀糸よりも鋭い輝きを発する長い髪は無造作に背中に向かって流されており、ほんの微かな風でも揺れる。細面に切れ長の瞳にスッと通った鼻筋、村のことを語る口は男性にしては小さく思える。細面の男性という理想を体現したかのような相貌だ。
  羨望や嫉妬の外にある彼の姿は美しいと評するよりも怜悧を体現した存在であると言った方が正しいかも知れない。
  彼の姿にアスナはエルトナージュに似たものを感じたが、すぐにそれを否定する。
  性別を除けば二人の美しさの要素はとてもよく似ている。だが決定的な違いがある。
  エルトナージュには幻想界統一の夢や宰相としての責務など色々なもので、その表情に多くの彩りを与えているが、この男には何もない。
  空虚とまではいかないまでも冷めているようにアスナは感じる。
  彼が自分に向ける切れ長の黒の瞳を見る度にそう思う。
「どうかしたか?」
「な、なんでもない。……えっと、そう、こんな村の面積とか人口とかよく憶えてるなって」
  誰が見てもごまかしに見える反応にも男、LDは気にした風もなく、逆に口元に小さく笑みを浮かべただけだ。
「そのどうでも良い些細なことでも時に勝敗を決めることがある。が、実際の所はほとんど役に立たんがな。私の知る限りそんな些細なことで勝敗が決したことがあるのは、ほんの数例だけだ。だが、逆に考えれば絶対にあり得ないとも言えないわけだ。そんな先例があると些細な情報でも手に入れておきたくなる。一種の職業病だろう」
「軍師ってもっと派手な感じがしてたけど、ホントはすっごい地味なんだな」
「それは場合によりけりだ。派手さが欲しければ徹底した演出もするが通常は必要ないだろう。何より軍師があまり表に出過ぎるのは良くない」
「普通だったらこの作戦はオレが立てたんだって言いたくなるもんだろ?」
「自己顕示欲の強い者は軍師ではなく一軍の将を目指した方が良い。軍師はあくまでも将の足りない部分を補うのが役目だ。その影が表に出てくれば将から疎まれる。下手をすれば謀殺される可能性もある。一流の軍師とは決して目立たない者を呼ぶんだ」
「けど、LDは天才軍師って幻想界で知られてるんだろ。一流の定義はそれだけじゃないって」
  アスナの言葉にLDは自嘲めいた笑みを見せる。それが嫌になるほど様になってる。
「天才という評判はあっても一流だという評判はないな。何よりそんな意味のない評判のおかげで雇い主を探すのにいつも苦労する」
「そういうものなんだ」
「そういうものだ。君もそのうちに分かる時がくるだろう。有能な臣下が疎ましいと思うときが」
  それはどうだろうとアスナは首を傾げた。少なくとも自分は有能な臣下がいるのは物凄く有り難いことだと思うけど。
  そう言おうとしたがこの話はこれで終わりだとばかりにLDは話の流れを元の村の現状についてに戻していた。
  小高い丘には設けられた村の運営を行っている管理事務所がある。その隅に立つアスナ派総大将と革命軍軍師。
  敵対する立場にある両者が眼下に広がるのどかな村を見下ろしている。
  両者の素性を知る者がいれば目を疑うような光景だ。
  内乱という状況を考えれば、この二人が巡り会うことが出来るのは戦場のみであったはずだ。
  二人がここにいる理由。
  それはLDがアスナをここに招待したからだ。いや拉致と言った方がより正確だろう。
  彼は知己の暗殺業者にアスナをここに連れてくるように依頼したのだ。
  暗殺業者といっても、彼らは本職の暗殺業だけをやっているわけではない。提示した金額さえ払ってくれるのであれば誘拐や情報収集、密輸と何でもやる。
  幻想界に威名を轟かせる近衛騎団に護られた後継者を拉致する。
  このためにLDがどれだけの金を彼らに支払ったのか想像することは出来ないだろう。
  逆に言えばアスナとの会見にそれだけの価値があると判断してのことだった。
  長年、盾としての任務にのみ就いていた近衛騎団から後継者を拉致することは難しい。そこでLDは下準備として配下の部隊に何度となく攻撃を命じ、小都市の守備部隊には積極的に降伏するように通達を出した。
  長らく戦場に出ることのなかった彼らが、戦えば勝利し、進めば降伏する状況に気をよくしてしまったのは無理からぬことだった。そして、そこに隙が生まれる。
  兵たちの間隙を縫って誘拐犯たちはアスナの身柄を確保し、即時脱出。
  アスナが拉致されたことで動揺の走った近衛騎団をさらに混乱させるために伏せていた部隊に攻撃を敢行させた。
  これにより近衛騎団はアスナ捜索の組織的な行動が長時間に渡って執れなくなった。
  近衛騎団の完全敗北だ。この瞬間、彼らは、
「我らは魔王の剣であり魔王の盾。我らを統率するはただ一人、魔王のみ。我らが誇りは魔王と共にあることなり」
  と自称することが出来なくなったのだ。
  今頃、しっちゃかめっちゃかの状態に違いないだろう。
  参謀や各部隊の隊長が統制を取り戻そうと躍起になり、ブチ切れて暴れ回るヴァイアスをミュリカがはっ倒し、参謀長のアスティークが彼女をなだめている図が容易に浮かんでしまう。
  その拉致されたアスナだがこの通り、あまり普段と変わりなかった。
  非日常的な事態に馴れたというのもあるが、彼の最大の根拠は「殺すつもりだったら気絶してる間に殺ってる」だった。
  ともあれアスナはここ、ティクルという村にいた。
  人口千百五十八名で男女の内訳は大体六対四で少し男性の方が多い。年齢別に見てみると三十代の人口が同規模の村に比べれば多いくらいで他とそう大差はない。
  敷地面積は……これは幻想界での面積単位がどれだけの広さを意味しているのかアスナには実感出来なかったので割愛。LD曰く、結構広いらしい。
  主となる生産物は農作物で収穫高はジャガイモ、麦、葉物の生鮮野菜の順番で多い。村の外れには牧場もあって自給自足を可能としている。
  また村の近くには小川が流れ、地下水も豊富なのだそうだ。ものすごく恵まれた土地だ。
  だが、この村が意味するところを最大に表す言葉はそのような数字ではない。
  たった一言。人族の村、ティクル。
  これだけで十分な意味を持ってるのだ。
  いまいち要領の得ない数字と言葉の説明を終えたLDは初めからこれが目的だったかのようにアスナを散歩に誘った。
「幻想界での人族の地位は底辺以下だ。今でこそ、こうして保護の対象となっているがほんの四、五百年ほど前までは奴隷か愛玩動物、もしくは捕食の対象だった」
「ほしょ!?」
  思わず顔を引きつらせるアスナにLDは力の入っていない笑みを向ける。
「あぁ、安心しても良い。今では人型をとる種族の大半が人族を食そうとは思っていない。が、魔獣たちは君たち人族の味が好みらしいがね」
  その言葉にアスナは今度こそ顔を蒼くした。
  近衛騎団に護られながら進軍している間にも何度か魔獣の襲撃にあっていた。
  ヴァイアス曰く、これだけ頻繁に魔獣の襲撃を受けるのは珍しいとのこと。
  ひょっとしてあれはアスナを食べようとして襲ってきたのかもしれない。
  そっちの方に頭がいきすぎて、LDの言った”人型をとる種族の大半”という言葉の意味を理解できなかったのだが。
「その状況が劇的に変化した出来事、いや発見と言った方が良いだろうな。今は滅んだとある国の王太子が戯れに人族の娘と交わったことがある。娘は懐妊し、生まれたのは人魔だった」
  人族が捕食対象である事実から目を背けるようにアスナはLDの話しに乗った。
「けど、ずっと昔から人間はこっちに紛れ込んでたって話だから、その出来事のずっと前からそのことは分かってたんじゃないのか?」
「そうだな。地方の村落などの小さな、世間単位では多少は知られていただろう。だが、世界に訴えかけるにはあまりにも規模が小さく、当事者たちの発言力もないに等しい。対して王太子の出来事となれば広く知られることになり、人魔が人口の大多数を占めるラインボルトやラディウスなどがそこに目を向けることは自然の成り行きだな。同じ幻想界の者を生む対象であることが分かると人族の状況は一変した。その最たるものがラインボルトだ。この村のように発見された人族を保護する集落を作ることにしたことだな。それが三百五十年ほど前のことになる」
「四百年前じゃなくて? 人間が人魔を生むことがあるってことが分かってから五十年もほったらかしっておかしくないか」
「当時の資料を見てみると、その事実が分かった翌年にはラインボルトで人族保護法案が議会に提出されている。だが、その直後に戦争が始まってうやむやになったのだ。慈善事業に国家が持つ資源を割り当てる余裕がなくなるのは道理だろう」
  ここで言う”資源”とは物資的なものだけではない。金や人材はもちろん、時間さえも資源という言葉でくくられる。
「ともあれラインボルトは幻想界で唯一、国策として人族を保護することになったわけだ。保護政策の内容は至って単純。ラインボルト国内で人族が発見されれば状況に関係なくここのような収容地に集められ、管理官の指導のもとで生活させる。収容地から出ることも外の情報を知ることも許されない、完全に外界から隔離された小世界。だが、幻想界でのゴタゴタに決して巻き込まれることなく平穏無事な一生を送ることが出来る」
「ホントに保護対象なんだな」
  ふと、今は絶滅してしまった日本の朱鷺のことをアスナは思い出していた。
「そうだな。だが、この収容地から出ることが許される例外もある。人魔として生まれた子どもについて外に出る場合だ。本当に少数だが毎年数例ほどある」
「一つ質問いいかな?」
  しなくてもいいのに挙手をする。
「なんだ?」
「もしかして人間同士の間で生まれた子どももひょっとして人魔になるわけ?」
「……そうだな。そう言った基本的なことから話した方が早いな。人魔は元を正せば人族に行き着く」
「へっ!?」
  びっくりである。こういうのも何であるが、あの化け物みたいに強い人魔が元は人間だったとこの男はいうのだから。
「人族がこの幻想界に紛れ込むことから分かると思うが、幻想界と君の生まれた現生界とは繋がりを持っている。異なる二つの世界がなぜ繋がりを持っているか分かるか?」
「…………」
  しばらく黙って考える。が、答えは出てこない。そんなこと分かるはずがない。
  何しろ世界規模の話だ。そもそも世界全体を見るなんて、仮定することは出来ても今の人類に出来る所行じゃないんだから。
「難しく考えることはない。……そうだな。では、こう考えて見てくれ。なぜこの世界が幻想界と呼ばれるのか。我々にとってこの世界こそが現実であるのに、なぜ我々は敢えて幻想の世界だと呼ぶのか。そして君の生まれた世界がなぜ現生界と呼ばれるのかを」
「…………」
  再度、黙考する。現生と幻想。元いた世界が現実に生きる世界であるのに対して、こちら側は幻を想う世界だ。両者は関係ないようでいて繋がりがあるような気がする。
「……あっ」
「分かったか?」
「もしかして元は一つの世界だったっていうふざけたオチとか?」
「それがふざけようのない答えだ。その通り、二つの世界は元は一つだった。より正確に言えば我らが幻想界は君を生んだ現生界に切り捨てられたんだ」
「世界が自分の一部を切り捨てるわけ?」
「そうだ。現生界にいた頃、魔法や亜人などはいないと想っていなかったか?」
「いたら面白いかなっては思ってたけど」
「そう思っている人族は多いな。だが、その考えは”決してあり得ない”ということが大前提になってる。夢の話だとか、あり得ない話だといった思いが魔法などの力や亜人などの存在を世界の片隅に追いやり、やがて世界からも隔離されてしまったというわけだ」
「けどさ、それって少し変じゃないか? だってそうだろ。あり得ないとか、もういないっていう考えだけで幻想界が隔離されたんだったら、例えばずっと昔に絶滅したって思われてた動物がまだ生きてたってこともあるし、今は非常識だってことも未来には常識になってることはいっぱいあるんだから」
  今まで表情のどこかにつまらなさそうな色を宿していたLDに興味の色が加わった。
  それでもよく観察しなければ分からないほど、極些細な変化ではあるが。
「君は面白いな。幻想界の学者が探求する最大の命題の一つに気付くとはね」
「それって誉めてもらってるって思って良いのかな?」
「好きにとってもらって構わない。一度、口にした言葉を受け取った者がどういう解釈をしようと勝手だからな。……さて、その命題、つまり”なぜ世界が分化出来たのか”については諸説紛々として確かな答えはまだ出てはいない。だが、私が気に入っている説ならば紹介できる。二つに分化する前の世界は不安定であったという説だ。不安定であるが故にあらゆる可能性を持ち、あらゆるモノから影響を受けていたというわけだ。二つの世界で行き来が非常に困難になった理由もこの説ならば説明できる。二つに分かれることで世界の性質が完全に固定してしまい半ば以上独立しまった。その結果、強固な壁が出来てしまい二つの世界の往来を難しくしてしまった、とね」
「えっと、つまり大昔の世界は赤ん坊みたいなもので、お前のこういう所は変だって言われ続けてどうしようもなくなって二重人格みたいになったってこと?」
「二重人格とは面白いことを言う。……なるほど、その表現は的を射ているな。二つに分かたれたとはいえ繋がりがあるわけだから。二つの個性を持つが全体から見れば一つであると。君への評価をまた少し変えた方が良いな」
「参考までに聞くけど、今までオレのことどう思ってたわけ?」
「それは聞かぬが華というものだよ。さて、話を人魔に戻そうか」
  はぐらかされたと思いつつも口を挟めないアスナだった。この辺り、微妙に気弱だ。
「世界が分化した際、魔法に代表される力や亜人、魔獣たちだけではなく、それらの存在を日常という名の常識として知っている人族もまた幻想界と共に切り離された。本来、幻想界に属さない人族がこちらで生きていくのは困難を極めたという。長い年月をかけて彼ら人族は幻想界に馴染み、人魔となったというわけだ」
「あのさ……」
  頭を整理中といった表情でアスナは再び挙手をした。
「言わなくても分かる。昔の人族は長い年月をかけて幻想界に馴染み人魔となった。だが今の人族の次世代は人魔として生まれるのはなぜか、だろう?」
  頷く。そこにどうしようもない矛盾を感じるから。
「そうだな」
  とLDは外に地上に目をやり、しばらくするとある一点で止まった。
「見えるか? あの人族が背負っている鍬が」
「うん。……それが?」
「鍬という農具が今の形になった当初は堅い木を加工して作られただけだった。だが、鉄鋼技術が用いられるようになり、鉄板が巻かれるようになり今の形になるわけだ。始めて鍬という農具が作られてからあの形となるまでかなりの時間がかかっただろう。木材を加工する技術の確率だけではなく、製鉄する技術も鉄を巻く技術の発見にも時間がかかる。だが一度、製造方法が確立されれば材料さえ揃えば短時間で作ることが出来る。つまりはそういうことだ」
「えっと……、つまり一度、人族から人魔が生まれるって前例が出来たことで幻想界で人間が生む子どもは人魔になるっていう法則が出来たってことでいいのかな?」
「そういうことだ」
  自分の例えがうまく通じたと思ったのか心持ち機嫌がいいように思える。
  折角、ご機嫌になったところで水を差すのは悪い気もしたが、今後のことを考えるとここでツッコミをいれておかないと、どうなるか分からないとアスナは意を決した。
「あのさ、LD」
「なんだ?」
「さっきの例え、スッゴイ分かりにくい」
「…………」
「…………」
  妙な間と共に見つめ合う男二人。視線を外したのはLDの方だった。
  そして、咳払い一つ。
「さて、話をこの村に戻そうか」
  コイツ、ごまかしやがった。
  とは思いつつもこれ以上ツッコミをいれたらどうなるか怖くて出来ないアスナでもあった。
「隔離という形ではあるが、人族は保護されることとなった。しかし、劇的な状況改善はなされなかった。与えられた住居も土地も劣悪そのものだったからだ」
  劣悪という単語にアスナの図上に疑問符が浮かぶ。
  LDと連れだって村の中を散歩しているが劣悪と呼ぶような環境だとはとてもじゃないが思えないからだ。
  確かにアスナの母方の祖父母がいる山村よりも古い感じはする。だけど今日まで近衛騎団と進軍していて、一時の休息を求めるために立ち寄った小さな町や村で見た家々よりも、今いる村の方がずっと良い生活環境にあると言える。豊かな農地も、牧畜に適した草原も近くにある。
  また簡単なものだが下水道も完備しているし、飲み水は井戸からも近くからの小川からも手に入れることが出来る。これはLDが説明したことだ。
  そのことをLDに問いつめると、
「何も今の状況だとは言っていない。昔のことだ。物事は時系列順に話した方が分かりやすいだろう。君はもう少し人の話を聞いた方がいいな」
  さっきのツッコミに対する仕返しだろうか。
「……さて、当時のラインボルトは人族を保護し、収容することを決定はしたが容れ物は劣悪そのものだった。それはそうだ。国家として圧倒的な少数、それも税収の望めない連中のために多額の予算をつけるのは得策ではないからな」
「福祉事業に意味がないって言うのかよ?」
  些かムッとしながらアスナは言った。福祉事業云々についてではない。
  あくまでツッコミに逆襲されたことに対してだ。
「意味がないとは言わない。個人や極小規模組織が行う善行はともかくとして、国家などの大規模組織が行う善行には何かしら裏があると思った方が良い。例えば君の言った福祉事業は労働者が将来に向けて安心して働ける環境を作る他にも国家は国民を大切に思っている証として、または政権の人気取りなどに使われているわけだ。もっとも福祉事業の担当者の多くは善意をもって職務にあたっているのだろうがね」
  と、LDは足を止め、大きな風車を見上げた。
  意識を取り戻したときにいた管理官の役宅からも見えていたが、側で見上げてみるとその大きさが実感できる。
  その風車の入り口には一人の中年女性がおり、こちらに頭を下げた。
  アスナも会釈で挨拶をする。
「せっかくここまで来たんだ、上ってみないか? こういう機会はそうないと思うが」
  彼はアスナの返事を待つことなく風車小屋の中に入っていった。
  何となく置いてけぼりをくらったような気がしてアスナは小走りにLDの後をついていった。小屋の中は薄暗く上へと続く階段で一度、躓いてしまった。
  登り切った先には光の世界、とまではいかないまでもとても明るい場所だった。常に光が入るように考えて作られているようで室内の暗さは全くない。
  幻想界に来てから一ヶ月近く経っているが未だに夕暮れの空に昼間の明るさというのに馴れない。いや、この空に馴れるだけの余裕がなかったと言った方が正しいだろう。
  近衛騎団のお荷物といってもやることは多い。近衛騎団の総料理長のとして以外にもミュリカに軍事関係からラインボルトの仕組みや主立った重臣たちの名前や経歴の講義を聞いたりとやることは多い。
  その気さくな近衛騎団の連中と共に慌ただしさの中に身を置いていることが、ここが自分のいた世界ではないことを感じさせにくくさせていた。
  こうして少しだが余裕を持てるとそのことがとてもよく実感できる。
「来てみると良い。村の者たちが言った通りなかなかの眺めだぞ」
  言われるままに窓際に立つ。
  緩やかに、そして力強く回る風車の羽の向こうには家々や往来を行き交う人々、その向こうにはアスナの初陣の地であるエルニスで見たような金色の野が広がり、その左手には柵に囲まれた牧場らしきものが見える。点のように見えるのは多分、牛なんだろう。
「感想を聞かせてもらえるか?」
「なんていうのか、きれいだと思う。多分、ここまで来るのに凄く苦労したんだろうな」
「そうだな。彼らは確かに苦労した。開墾し、井戸や水路を造り、住む家を造り、牧場を作る。並大抵の意志がなければ出来ないことだ。……だが、この光景も直になくなるだろう」
「えっ」
  思わず隣に立つLDを見上げる。彼はこちらに視線を返さず、ずっと遠くを見ている。
  相手が男だと分かっていても見惚れてしまうような横顔に小さな憂いを感じる。
「先ほども言ったが国家が行う福祉事業には常に裏がある。しかしこの村を始めとする人族の村だけはその常識が当てはまらない。寂れた収容所のような場所だったここが豊かな村となるには時間と労力だけではなく多くの資源が必要になるのは分かるだろう? 投入された資源に対する明確な見返りがない場所になぜ先王陛下はここまで手厚くしたのか」
  自分に考えるような視線を投げかけてくる。
  彼は容易に答えを提示するのを好まないようだ。あくまで問いかけという形をとってくる。そして出た答えに対して正解や修正を加えてくる。
  それが少しだけ面倒だと思う反面、面白かったりもする。
  そんなことを思いつつもアスナは考えた。
  先王と人間とをつなぐものが何であるかを。
  と、考えるまでもなかった。答えは幻想界に来てすぐに罵声を浴びせかけてきた相手が握っているのだから。
「エルトナージュの母親か」
「その通り。先王最後の寵姫にして姫君の母上、清花(さやか)様の懇願が発端だ。表向きは将来人魔となる可能性のある人族を手厚く保護するのは当然ということになっているがな」
  周りの皆から聞く先王は人格者として定評があったが今の話を聞く限り、人格者というよりも物凄いお人好しなだけなんじゃないだろうかと思ってしまう。
  アスナはまた少し先王の評価が変更することにした。
「で、それとこの村の光景がなくなる理由がどう繋がるわけ?」
「宰相である姫君が来年度からこの地につけられていた予算を撤廃するからだ」
  あぁ、そうだった、とアスナは出会ったときに聞いたことを思い出した。
  エルトナージュは母親の仇である”彷徨う者”を消し去るために幻想界統一を夢見る。だけど、それと彼女が人間を嫌悪する理由が結びつかない。
  人間である母親を今でも慕っているのに、母親と同じ人間を嫌悪している理由が。
  そのことを彼女の幼なじみであるミュリカに聞いたことがあった。
  エルトナージュの母親、清花の身の回りの世話をするという名目でたくさんの人間が村から出ることが許され、比較的多くの自由と豊かな生活が許されていた。
  母親の死の原因となった巡視の旅にも当然、彼らは帯同した。
  そして”彷徨う者”の襲来。
  護衛をあまりつけなかったことが災いして母親とエルトナージュがいる馬車にまで”彷徨う者”たちは接近した。が、馬車の周りにいた人間たちは簡単な武装をしていたにも関わらず戦うことなく恩人であるエルトナージュの母親を見捨てて逃げ出したというのだ。
  この事件でエルトナージュが人間に嫌悪を抱くようになったのは当然だ。
  LDの説明も同じ内容だった。すでに知っている内容だっただけに冷静に聞ける。
  その頭で聞いた彼の話はあくまで人間に対して同情的で、母親を失ったのは人魔の規格外であり、その場で一番強い力を持っていたエルトナージュの責任であると断じている。
  さすがにそれはどうだろうと思うが、予めこの話を聞いていなければ彼の言葉を真に受けていたかもしれない。
  そのことを口にする前に別のものが口を開いた。腹の虫である。
  あまりにご立派な泣き声に飼い主は赤面を禁じ得ない。
  今まで話していた内容がシリアスなだけにカッコ悪いことこの上ない。
「少しは緊張感を持って話を聞けないのか、君は」
  あきれたとばかりに彼は半眼を向ける。対するアスナは乾いた声で笑いながら、
「ま、まぁ腹が減っては戦は出来ぬっていうし」
「現生界の言葉には”武士は食わねど高楊枝”というのもあるだろう」
  見事に切り替えされた。場の雰囲気が雰囲気だけに反論のしようがない。
  何よりLDに言われるまで”武士は食わねど宝くじ”だと思っていた自分が恥ずかしい。
  笑って誤魔化そうとするアスナにLDは小さく吐息。懐中時計を見やると、
「予定よりも少し早いが昼食にするか。少し待っていてくれ。せっかくの見晴らしだ。食事はここで摂ることにしよう」
  そう言い残してLDは階下に降りていった。
  しばらくして幾つかの足音が上ってきた。振り返ってみれば何人かがテーブルと二人分の椅子を持って上がってきた。
  彼らは人間であった。本当にただの人間がそこにいた。
  なぜかそれがとてもよく分かる。幻想界の者から感じる力がないことが良い証拠。
「……ぁ……ぅ」
  妙に懐かしくてアスナは話しかけようとしたが彼らがこちらに向けているのは無視である。よく観察してみれば嫉妬の色を見ることが出来た。
  なぜ自分にそんな感情を投げられるのかアスナには一瞬、理解できなかった。が、少し考えれば誰でも分かることだ。
  知らず知らずのうちに幻想界に紛れ込み、穏やかとは言え村から出ることの許されない彼らと魔王に据えられるために召喚されたアスナ。
  事情も立場も全く違う。共通することは同じ人間であることだけだ。
  アスナは声をかけることも出来ずに彼らがテーブルと椅子を置いている様を見ていることしか出来なかった。
  彼らのうち何人かはアスナに一瞥くれると言葉もなく階下に降りていってしまった。
  断絶。まさにその一言に尽きるだろう。
  幻想界に来てから色々と大変で、悔しさも悲しさも怖さも怒りも経験したが、今ほど強い思いはなかった。その思いを言葉に表すことが出来ずに彼はただ、
「参った。ホントに参ったな、これは」
  右手で顔を覆いながら、そう呟くことしか出来なかった。
  次に現れたのは小太りの中年女性だ。見た感じのイメージでは北欧系だろうか。
  ヨーロッパの昔話に出てきそうなゆったりとしたワンピースにエプロンを身に纏っている。メイド服のようだが、ここは断じて違うと言っておこう。
  その女性はテーブルクロスを広げるとその上に右側にはフォークとスプーンを置き、左側にはナイフを置いていく。
  担当していたであろう仕事を終えても彼女はなぜか出ていこうとはせずに何か言いたそうな視線を送ってくる。
  何とも居心地の悪い雰囲気が二人を包み込もうとする。彼女が言い出すのを待っていたアスナだったが痺れを切らしたのは彼が先だった。
「あの、なにか用ですか?」
  ビクッと身体を振るわせる。おずおずと言った具合に彼女は顔を上げてようやく口を開いた。
「あの、後継者様ですよね」
  母語が違うであろう彼女の言葉が分かる。それ以前に世界そのものが違う幻想界の者たちとも普通に会話が出来ることは少し前までアスナ最大の疑問だった。
  以前、そのことを夕食時に尋ねてみると、いつもは仕事が忙しくて一緒に食べられない近衛騎団参謀長アスティークが答えてくれた。
  彼曰く、幻想界に紛れ込む人族はその中間点での記憶がなく、その間に言葉に関してのみ幻想界に順化するからではないか、と言うことだった。
  今日、LDから聞いた幻想界の成り立ちを含めればそれは本当なのかもしれないとアスナは思っている。
  有名なバベルの塔の伝説では天に届かんばかりの巨大な塔を人間が建てたことを神は怒り、塔を破壊しただけでは気が収まらず人間の言葉をメチャクチャにしたそうだ。
  神という我が儘な存在に否定された統一言語が幻想界に捨てられたとしても不思議じゃないということだ。
  最初の一言が言えたことで女性は勢いを得たのか一気にアスナとの距離を詰めて訴えかけ始めた。
「お願いします。私たちを家に帰して下さい。後継者様にこのようなことを言うのは不敬だと分かっています。ですが、お願いします。どうか家に返して下さい!! お願いします」
  彼女はきっと魔王が途轍もなく大きな力を持っていることを知っているのだろう。
  だが、それでも元の世界、現生界に戻る術はない。
  あまりに真剣で鬼気迫る物がある。下手なことを言えばどうなるか分からない。
  それだけのものを感じる。戦場にも出て、殺されかけたこともあるが、それとは別種の恐怖がある。退くべきものを失った人間の怖さといったもだろうか。
  だが、それでもアスナは正直に話した。あのときエルトナージュが話してくれたこと、今の幻想界には現生界に戻る術は失われている、ということを。
  女性は目を見開き、それでも受け入れられないとばかりに首を振るとさらに詰め寄りアスナの両手を握った。とても強く。
「嘘……嘘よ……」
  うわごとのように呟く。握られた腕は痣が出来るのではないかと思えるぐらいに痛い。
  さらに詰め寄る女性に恐怖と困惑に彩られたアスナは為す術なく後ずさりするしかなかった。
「何をしている?」
  何の感情も宿らない問いに女性は小太りの身体を振るわせると「失礼しました」と逃げるように去っていった。
  彼女のこの態度からここにいる人間は幻想界の者たちを過度に恐れているのかもしれないと感じた。と同時にアスナは安堵の息を吐いた。
「どうした?」
「なんでもない。ちょっと疲れただけ」
  そうか、とだけ言うとLDはアスナに席に着くように促した。
  誰と対峙しても口調は今と同じなのだろうけど、彼の行動の端々にアスナに対する敬意のようなものを感じる。それが魔王の後継者に対するものなのか、それともアスナ個人に対するものなのかは分からない。
  が、それなりの人物であると遇されるのはむず痒いけど悪い気分じゃない。
  さきほどまであったことから考えを切り替えるように小さく深呼吸一つ。
  アスナは促されるままに席に着いた。続くようにLDも席に着く。
  それが合図であったかのように暖かな香りが鼻腔をくすぐり始めた。
  濃い牛乳と胡椒の香りだ。匂いから推測するにクリーム系の料理だ。
  足音ともに運ばれてきた料理はアスナの予想通りであった。
  初めにカップに入ったコーンスープに焼きたてのパン、それとサラダ。最後にやってきた主菜は鶏肉のクリーム煮だ。行軍中には絶対に望めない献立だ。
  アスナの教育で幾分ましになったとは言え、それでも如何ともしがたいものがあった。
  その長い行軍生活で麻痺していた豊かな食事への渇望が今、蘇りアスナを感動の渦へと引き込んでいった。
「軍隊食は辛いものがあっただろう。強引に招待した非礼の代わりに楽しんでくれ。使われている食材の大半はこの村で作ったものだそうだ」
  返事もそこそこにアスナはいただきますを開始した。
  濃い牛乳の甘みと胡椒の香りに包まれた鶏肉は絶品そのもの。暖かなスープもそうだ。何より焼きたてのパンにアスナは驚いた。しっかりとした小麦の香りを感じるのだ。
  はっきり言って感動である。これだけの料理は現生界に戻っても簡単には食べられないだろう。昔ながらの育て方だからこそ出る食材本来が持ち合わせている美味さだった。
  生物の三大欲求の一つを存分に満たすアスナに水を差すようにLDは話し始めた。
「ではここからが話の本番だ」
  LDの前にも一応、軽食が置かれている。サンドイッチと紅茶のセットだ。
  彼は紅茶にだけ手をつけて肝心のサンドイッチにはまったく興味を示さない。
「私が君をここに招待したのは共に食事を楽しみたいと思ったからではない。君に公平な判断をしてもらうためだ」
  口いっぱいにしながらも疑問符を頭の上に出す。
「君の行動の経緯から推察するに、なぜこの内乱が起こったのかを聞いていないはずだ。仮に聞いていたとしても宰相側の恣意が多分に含まれていることは間違いない。何しろ君は姫君に最も近い軍である近衛騎団と行動を共にしていたのだからな」
  確かにその辺の事情は全くと言って良いほど聞いていない。いろいろ忙しかったというのもあるが何よりも一度、突っ走り始めたらそんなことどうでもいいような気がしていたからだ。
  LDの言うとおりここは一つ内乱勃発までの経緯って言うのを聞いておいたほうが良いのかも知れない。
  そう思ったアスナは口の中のものを飲み下すと「聞かせて」と促した。
「全ての始まりは二年ほど前。魔王としての力を制御できなくなり、床に伏した先王が枕辺に姫君と重臣全てを集め、その日、十五の誕生日を迎えた姫君を宰相に任命すると言い出した事に始まる」
「ちょっと待った! 二年前で十五歳ってことはエルトナージュはオレと同い年なわけ!?」
  実を言うと言われるまでエルトナージュを二十一、二ぐらいに思っていたのだ。
「……そうか。君は十七だったか」
「まだ誕生日が来てないから十六だけど。一応、今年で十七」
「姫君もそうだ。しかし……そうか、今年で十七か」
  興味深げに自分を見るLDに憮然とした表情をつくる。女顔とまでいかないまでもアスナは同年齢よりもずっと童顔で何度かそのことをクラスメートにからかわれたこともある。
  小学一年まで祖母のおもちゃとして女の子の服を着せられて、妹とならんで写真を撮られていたことはもちろんナイショだ。
「続き!!」
  半ば自棄気味に声を上げるとLDは両手をあげて「分かった分かった」と降参をした。
「ともあれ重臣一同の前で姫君は先王の命により文官の長である宰相の座に就いたわけだ。姫君の行く末を案じてのことだろうが十五歳の宰相など前代未聞だ。床に伏して前後不覚の状態であったとはいえ先王もそのことをよく分かっていたのだろう。そこで前の宰相デミアス殿を降格し、宰相補佐として姫君の施政の指南役に任命した」
「けどさ、一国の宰相を十五歳の女の子に任せるなんて非常識、誰も止めなかったのかよ」
「もちろん、そういう声もあった。それでも姫君を宰相に就けねばならない理由があったのだ。何故か分かるか?」
  公平な判断云々と言いつつも話し方を変えるつもりはないらしい。
  もしかして、LDって先生やるのが好きなんじゃないのか? などとアスナは思い始めていた。ともあれ、ここで何かしらの答えを言わなければ話は進まない。
  奥歯に挟まった鶏肉の欠片を舌で取り除く作業をしながら考える。
  ……取れた。と同時に解答に繋がる糸口を見付けた。自分の存在だ。
「つまり、後継者の代わりに祭り上げられた」
「概ね正解だ」
「けどさ、エルトナージュは王族だろ? 後継者が見つかるまで王様やっても良かったんじゃないのか?」
「ラインボルトはあくまでも魔王が統治する国家だ。如何に非常事態とはいえ魔王でない者が王位を継げば悪しき前例となる。王族であれば、ラインボルト王になれるのだ、とな。確かに各王家の当主にそのような野心はない。だが、彼らにそのつもりがなくても担ぎ出す者が将来必ず現れる。ラディウスという先例もあることだしな」
  話がずれたな。元に戻そうとLDは居住まいを正した。
「そういった事情から姫君は仮の王ではなく宰相として表に出ることとなった訳だ。それでも事実上、お飾りであるとはいえ宰相には違いない。若輩の宰相に国の運営を委ねるのは心許ない。そこで前の宰相を補佐役に就け国政に滞りがないよう人事を改めたのだが、その思惑は残念ながら裏目に出た。性格的な物もそうだが、両者の施政のやり方が全く異なっていたのだ」
  一息入れるように紅茶を一口。アスナも口の中を綺麗にするために紅茶を一口。
「良い政治家の条件に”清濁、併せ呑む”というのを聞いたことはないか?」
「きれい事でも汚いことでもそれが最善だって思えるんなら躊躇なしに出来る人のことだろ?」
「正確には度量が大きく何事も受け入れることだが、まぁそんなところだ。基本的に両者ともに清濁、併せ呑む人物だが、どちらかと言えば姫君は”清”を好み、デミアス殿は”濁”を好んだ。こういった個人の考えの違いは誰にでもあり、互いにそれなりに納得できる妥協をしながら物事を進めるものだ。が、この両者はその妥協が出来なかった。若年の宰相を迎えるという周囲の不安を払拭しようと自分の方針を貫こうとする姫君と、豊かな政務経験を持つデミアス殿とでは衝突するのは自明の理だった。どちらかが劣っていれば妥協点も見いだすこともできたのだろうが両者ともに優秀だったことが裏目に出たというわけだ」
「けどさ、両方とも優秀でどっちの方が良いって言えない状況なんだったら偉い方の意見を重視するのが普通だろ? それが違うんだったら地位なんか関係なくなるだろうし」
「君の言うことは正しい。が、考えてみてくれ。優秀だが政務経験のない宰相と、つい先日まで宰相として政務を取り仕切ってきた老練の宰相補佐。姫君のことは関係なくこの条件だけを見て、君はどちらの人物の言葉を聞き入れる?」
  自分だったら後者だ。実績ゼロの前者よりも経験豊富な後者の方が頼りになるのは当然だ。政治は遊びじゃないんだから。
  そう判断してしまったアスナは少し苦々しげに「……後者」と答えた。
「そうだろう。……それでも先王という存在があったため表面上は協力して政務を取り仕切っていた。水面下では腹の探り合いや派閥争いなどをしていたがね」
「なんかヤな感じだな」
「政治とはそういうものだよ。自分の意見を貫き通すということはそれだけ大変だということだ。こういったことが気に入らない者は初めから政治などに関わるべきじゃないな」
  と、そこでふとエルトナージュが魔王の後継者になれなかったことをあれだけ悔しがった理由がなんとなく分かった。
  ラインボルトにおいて魔王は絶対存在だ。最高の権威、最大の力を背景に持つ魔王の発言力はまさしく絶大だ。
  魔王であれば煩わしい派閥抗争をする必要もない、魔王であればすぐにでも幻想界統一に動き出すことが出来る。
  なのに自分は宰相で周囲の意見を取りまとめることすら出来ないでいる。それどころか内乱まで起こしてしまい、どれだけの悔しさに心を焼かれたことだろうか。
「さて、表面上の協力体制も先王崩御に伴い終わりを告げた。ある意味においてこの時点から内乱は始まったと言っても良いのかも知れない。この直後、両者は先王の葬儀をどうするかについて、ついに表だった衝突を起こした。姫君は先王の遺命に従い、質素な形を取ることを主張し、デミアス殿は歴代魔王のそれに準じた壮麗な葬儀をするように主張した。論争で葬儀を遅らせ……」
「あのさ、ちょっと良いかな?」
「……なんだ?」
  話の腰を折られて微妙に不機嫌の色を表情に浮かべる。
「魔王って血縁じゃなくて力を受け継ぐことで王位も引き継ぐんだろ? だったらオレの時みたいにしばらく後継者が見つからなかったときにはどうするかっていう……」
  LDが語ったエルトナージュ宰相就任のいきさつを聞いた時から引っ掛かっていた疑問だ。
「ない」
「えっ」
「だから、ないんだ。魔王不在という事態はラインボルト建国以来、一度として起きたことがない。魔王が余命幾ばくもない状況になれば即座に後継者探しが始まり、先王の葬儀と並行して継承の儀が執り行わる。その翌日には即位の儀が予定されている。確かに崩御から即位まで数日間、魔王不在の状況になるが、すでに次代の魔王たる後継者がいるんだ。何の問題もないだろう」
  説明を終えるとLDは「さて」と話を戻す。
「結局、葬儀は遺命と唯一の遺族である姫君の言葉が通り、魔王にしては質素なものとなった。兄のように慕い、長年仕えてきた自分の主の最後を疎略に扱われたとでも思ったのだろう。デミアス殿はその日から明確に姫君を政界から排除しようと動き出した。彼は自身の地盤を確固たるものとすべく政友である重臣や議員たちとの連絡を密にし始めた。重臣や議員からの支持を失わせれば指導力不足として辞任に追い込めると思ったのだろう」
  いかにも政治的でドロドロしてるなと思ったがエルトナージュのとった行動も負けず劣らずの強権発動だった。
「が、姫君もまた人事の刷新という形で自分の教育係や知己の老臣たちが推薦した人物を次々に重臣に取り立て派閥強化に乗り出した。諸大臣の任命権と言う魔王と宰相にのみ許された特権を最大限に活用したわけだ。さすがに名家院を解散させて議員を刷新させることはデミアス殿や議員たちの反発もあって実現しなかったがな。ともあれ多少、質の違いはあっても両者の力関係は拮抗することになった」
  第三者的な視点で聞いてるとまさにどっちもどっちだ。
  あれだけ美味しかった昼食の味が半減するほどげんなりだ。
「この均衡状態は微妙すぎて両者ともに身動きがとれなくなった。両者の主導権争いに重臣や議員たちだけではなく高級官僚たちをも巻き込んだ結果、国政は停滞しがちになり行政機関は開店休業状態となる。五大国の一つであるラインボルトの混乱は他国との均衡をも崩し、リーズとアクトゥスとの間で小康状態にあった領土問題が再発し、小国間でも軍事衝突が起きると幻想界全体をも揺るがした」
  その国力の大きさから五大国の動向のみが注目されがちだが幻想界にもちゃんと幾つもの中小の国家が存在している。翻ってみれば海王の国アクトゥスは海棲族の国家を盟主とした連合王国であり、獣王の国サベージは三つの大きな獣人族を中心とした寄り合い所帯という形で成立しているのだ。
  その国家群の中で魔王と法を遵守するのならば種族に関係なく受け入れるラインボルトは調停役として機能していた。特に先王は調停者としての役割を重視していたため、そういった行動を多くとっていた。
  ある意味において幻想界の歴史上、有数の安定した期間と言えるだろう。
  それだけにラインボルトの混乱は幻想界を揺るがすのに十分な意味をもっていた。
  LDはその辺りのこともアスナに事細かに説明した。
「当然、両者ともにこの状況を良しとしない。事態を安定させるために動いていた。デミアス殿は宰相派の切り崩しという正攻法に出たが、姫君はそれを上回る手段に出た。執事長ストラト殿率いる家令院を取り込み、デミアス派の者たちに探りを入れさせ始めた」
「ちょっと待った。ストラトさんもそんなことやってたわけ?!」
  頷きでLDは肯定する。
  かなりの驚き発言だ。あの温厚な初老の紳士がそんなことをしていたなんて。
「あまり知られてはいないが家令院や紋章院は本来の職務以外にも諜報機関としての側面を持っている。外務省や軍所属の情報局などが外向きの機関とすれば彼らは内向きの、つまり身内の動向を監視する機関だ」
「身内を見張るって言うのは気持ちの良い話じゃないな」
「だが、国家を維持、発展させるためには必要なことだ。国家の衰退や崩壊の原因の大半が身内の離反や造反だ。国家と言う名の化け物を御するための必要悪と思ってくれ。その必要悪を取りまとめているのが王宮府の長である内府だが、事実上の主はストラト殿だ」
「…………」
  アスナの理想の紳士を体言したかのようなストラトがそんな汚れ仕事をしているのが純粋に驚きで言葉が出ない。が、ふと思った。
  ストラトは紳士であることよりも執事であることを選んだんじゃないか、と。
  一流の執事は主が望んだときにはすでに全ての準備を整えている者であると何かの機会に聞いたことがあった。そして彼の仕える主は常に政治の渦中にあるのだ。
「姫君がストラト殿に集めさせたデミアス殿の支持者たちの後ろ暗い事情と、王族としての豊富な経済力を背景に脅迫、買収などの手段を用いて逆にデミアス殿を窮地に追いやった。追求の声は当然、デミアス殿にも向けられた。元々、”濁”の政治手法を好むだけにそういった後ろ暗い事情は豊富にあった。多少、水増ししたと言う噂もあるが彼の個人的な事情の数に比べれば些細なものだろう。所詮、十六の小娘、追い詰めれば容易に根を上げるだろうと高を括っていたデミアス殿は逆にあっさりと失脚させられたと言うわけだ」
「その間、LDたちは何をしてたんだ?」
「我々はその間、着実に蜂起の準備をしていた」
「将軍たちは二人の諍いをなだめて和解させようとか思わなかったわけ?」
「武官が政務に口を出すのは好ましくないというのがラインボルトの風潮だからな」
「文民統制っていうんだっけ」
「そういうことだ。憂慮はしていても両者の間に立とうとした武官は一人もいなかった。少なくとも表立って動いた者はいない」
「何も努力してないでいきなり武装蜂起ってのはメチャクチャじゃないか」
  呆れ半分でアスナは吐き捨てた。
「言っただろう。武官が政務に口出しするのは好ましくない。この場合、初めから武官に与えられた選択肢は二つだけだ。文官たちが自らの力で事を収めるまで静観するか、実力行使に出るかだ」
「どっちにしろ。行動が極端すぎるよ」
「武力の基本姿勢は殺すか、殺されるかだ。万言を尽くしても最終的にはここに行き着く。……さて、蜂起した我々の主張は”現政権の退陣”、”後継者出現まで軍政を敷く”、”内外の混乱を収束させる”といったことを主にしていたわけだ、が」
  そこで改めて視線を向けられる。
「内乱の真っ直中でオレがこっちに召喚されたってことか」
「そう。そして、現在に至るというわけだ。……いや、現在については少しだけ判断材料は不足しているな。これを見てみろ」
  言ってLDが懐から取り出したのは、
「手紙?」
「ファイラスからの戦況報告だ。軍事に関することならば書き手の恣意は少なくするのが常套だ。判断材料としては最適のはずだ」
  と、LDは言うもののこれは……。
「…………」
「…………」
「……あのさ、LD」
「なんだ?」
「書いてる内容がさっぱりなんだけど」
  あまりの返答にLDは盛大にため息をもらすと簡単な説明を始めた。
  エルトナージュ率いる本隊とフォルキス率いる第二魔軍が数度に渡り刃を交わしたそうだ。戦術的に見て、その全てがフォルキスの勝利で終わっている。
  ファイラス攻略を目的としているはずの本隊はファイラスへの攻撃すら出来ずにいる。また、本隊の総司令官であるエルトナージュの指揮能力は刃を交わす度に低下し続けているとのことだった。
  一通り説明を終えるとLDは改めてアスナを見やると小さくため息をもらした。
「一ヶ月近くも近衛騎団と行動を共にしていながら何をしていたんだ。それだけあれば、この程度の報告書の内容が理解できて当然だろう」
「悪かったな。その色々と大変だったんだよ、勉強とか料理当番とかで」
  もちろん未来の魔王としての教育も受けているが、アスナの言う”勉強”とはそのことじゃない。幻想界の風俗習慣を知るために街に遊びに行ったり、女体の神秘を探求すべく女性陣の水浴びを覗こうとして平手打ちをくらったりとホントに色々である。
「料理……本当にそんなことをしていたのか」
  当然、近衛騎団とアスナの動向はLDの監視対象だった。そのアスナに関する報告書の中に「料理当番。本日は野菜炒め」などと書かれていたのだが、LDは間者の冗談か、ただの見間違いとして頭から切り離していたのだ。
  一方のアスナは料理当番をそんなこと扱いされて憮然とした。
「料理当番をバカにするなよ。これでも騎団のみんなには好評なんだぞ。それに今の地位を獲得するのにどれだけ苦労したか知らないからそんなことが言えるんだ」
「そもそもなぜ後継者たる君が料理当番などを引き受けるんだ。他にもやることがあるだろう。そういうことは手すきの者にやらせるのが普通だ」
「そういう考えだから軍隊の食事はまずいんだよ」
「軍隊食にまず必要なのは栄養だ。食べられればそれでいいんだ」
「そんなこと言ってるとオレの手料理、食べさせてやらないぞ」
「と言うことは我々につくという意味だと解釈して良いのか?」
  彼にしては珍しく期待の色がその美しい顔に浮かんだ。が、アスナは無情にも首を横に振った。
「悪いけど、そのつもりはないよ。フォルキス将軍の味方をするつもりはない」
  その一言にLDから表情は消え、能面のようになる。
「では、聞かせて貰おうか。我々の何が気にくわないのか。冷静にこれまでの経緯から判断しても姫君に肩入れしても仕方ないだろう。政務官としてはラインボルトだけではなく国外にも悪影響を与え人族への予算を撤廃し、その報告書からも分かる通り将軍としての能力も三流だ」
「だろうね。でもさ、逆に考えればオレと同い年で、ホントはまだ子どもみたいなものなのに大人と同じ舞台の上に立たされてるんだ。LDは宰相なんかやれないっていうけど、オレが城で感じた限りじゃ大臣たちはエルトナージュに協力しようって頑張ってたし、さっきの報告書もそう。ストラトさんから聞いたんだけどフォルキス将軍の第二魔軍ってラインボルトで一番、実戦経験があるんだろ? その第二魔軍と戦うためにエルトナージュが指揮してるのは魔軍より弱い一般軍と実戦経験なんかなさそうな宰相軍なんだぞ。負けて当然で、もしエルが苦労なしに勝ったりしたらそれこそフォルキス将軍が無能でオレが味方するはずがないって事になるだろ? それにさ、一つ一つの戦いには負けてるけどオレたちの作戦全体から見れば勝ってるんだよ。LDなら分かってることだろ? オレたちの狙いがなにか」
「近衛騎団と第三魔軍で我々が制圧している諸都市を奪還し、残る分力を持ってファイラスを包囲する作戦だろう。ここまで事態が進めば誰でも分かることだ」
  ニヤリと笑みを浮かべる。
「そう。近衛騎団がムシュウを奪還して、オレたちが本隊と合流するまでファイラスにいる革命軍本隊をどんなことをやってでも釘付けにするのがエルトナージュの一番の仕事。そろそろリムルの第三魔軍がゼンを奪還してるはずだから作戦の三分の二は達成してる」
「つまり、姫君はまだ負けていないと、君は言いたいんだな」
「うちのジイさんが将棋打ってる時に言っていたんだ。細かいところで負けてても重要な場所だけ守ってれば勝負には勝てるって」
  LDは改めて椅子に深く座り直すと腕を組みアスナを睨み付けた。
  圧倒されるようなことはないが、それでも身体の奥底を貫かれてるような気分になる。アスナはここでようやくこの人物が名の知れた軍師なのだと実感できた。
  まだ食器の上には料理が残っているのは気がかりだが、これからの話は食事をしながらの気楽なものではないと思い、布巾で口を拭くと姿勢を正した。
「なるほど。確かに大枠として勝利していると判断しているのなら姫君から離反しようとは思わないな。では、君たちの大義はなんだ。我々の掲げる大義を踏みつぶせるだけの大義が君たちにあるのか? まさか軍議の際に掲げた幻想界の統一が大義だとは言わないだろうな」
「……逆に聞かせて貰うけど本当に戦争には大義が絶対に必要だなんて思ってるわけ?」
「大義なくして誰が命を賭けて戦うと言うんだ。大義は幻でも世迷い言でもない、旗とならぶ最高の兵器なんだぞ。兵たちは大義を拠り所として始めて戦うことが出来る。それを必要ないというのは暴言ではないか?」
「けど、オレはみんなに大義なんか見せてない。みんなが勝手に自分のなかに大義ってのを持っただけ。少なくともオレはみんなが持ってるような立派な大義なんかないよ」
「では聞かせて貰おうか。統一のためでも、逆臣の討伐でもない君だけの大義とやらを」
「うっ」
  そこで始めてアスナは言葉に詰まった。目を泳がせ、僅かに赤面。
  突然の挙動不審にLDは眉をひそめ、「どうした」と冷たい口調で先を促す。
  アスナは僅かに俯いたまま、上目遣いにLDを見やる。
「絶対に秘密だからな」
「分かった」
「笑うのも禁止だぞ」
「くどい。君の大義なんだろう、だったら堂々と胸を張って言えばいい。それが大義だ」
  とは言うもののさすがに恥ずかしい。
  それなりに日数が経ってると勢いがなくなってくるもので。自分でも分かる赤面を抑えようと両の頬をパンパンと軽く叩いてみるが収まる気配がない。
  一度、深く深呼吸をするとアスナは顔を上げポツポツと話し始めた。
「なんて言うかさ、その、一言で言ったら放っておけなかったんだ。一人でなんでも出来そうで、実際なんでも出来るんだろうけど。けどさ、なんでも出来るからって放っておいたら暴発するんじゃないかって。オレのこと全力で嫌って怒ってるのに、なのに今にも泣きそうな顔してたんだ。そういうのってやっぱり放っておけないだろ」
  バカな夢を堂々と他人に言えるヤツに会ったとき、自分に実現したい夢がないんなら手伝ってやれと言うアスナのジイさんの言葉もあるが、彼が手伝うと決めた本心はここにあった。
  放っておけない、と。
「それはつまり、姫君のことを言っていると考えて良いんだな」
  組んでいた両腕をとき、全身で脱力しながら言った。
  恥ずかしいのを我慢して話したのに、こんな態度をとられてアスナは頬を膨らませた。
「話せって言ったのはそっちだろ。なのに何だよ、それ!」
「脱力もするだろう。あれだけ偉そうなことを言っていた根元にあったのは女のためだぞ。まったく君には困る。明確に敵対的な態度をとるのなら、こちらも積極的に攻勢に出られるのに。脱力させてこっちの気を削ぐ。まったく」
  やれやれと首を振る彼にアスナはさらに憮然とする。
「良いだろ、別に。そう思ったんだからしょうがないだろ。それにそっちこそどうなんだよ。雇われ軍師に国のためとかそんなのはないだろ。なんでフォルキス将軍に雇われたんだよ」
「強いて言えばフォルキスには私が決して持つことが出来ないモノを持っているからだな。それにアイツは直情傾向が強すぎてマノア一人ではこういう局面での舵取りは出来ないだろうと思ったからだ」
「うわっ、人のこと呆れたなんて言っておいて自分も似たようなモノじゃないか。しかも相手はムッサイ大男。オレよりも最悪。なんか、リムルが喜びそうな展開」
「その点に関しては激しく訂正して貰いたい。少なくとも私にその気はない。断言しておくぞ、頭の中心に書き込んでおけ! いいな!!」
  昔、その手の話でイヤな話でもあったのだろうかと勘ぐりたくなるような激しい訂正要求だ。あまりの激しさに目を丸くするばかり。
「良いか。フォルキスは私の数少ない友人。それ以上でもそれ以下でもない」
「友人、ねぇ。ふ〜ん、友人かぁ」
「含みのある話し方は止めてもらいたい。私たちはそのような関係ではない、訂正してくれ」
  敢えて無視。さっきの仕返しだ。
「じゃ、オレは? オレのことはどう思う?」
「……興味の対象ではある。今まで私の周りにいない考えの持ち主だからな。それよりもさきほどの訂正を」
「それじゃさ、この内乱が終わったらオレの軍師になってくれないかな? LDと話すのは面白いし」
「好き嫌いで軍師は決めるものじゃない。早く訂正してくれ」
「でもさ嫌いなヤツを軍師に迎えるよりも、話してて面白いヤツを軍師に迎えた方がずっといいだろ。で、どうかな?」
「……私が傭兵だということを忘れてないか? 仮に君に協力して幻想界統一を果たしたとする。その後、傭兵である私はどうすればいい。傭兵の飯の種である戦争を奪おうとする君に協力すると思うのか? さぁ、早く訂正してくれ」
「…………」
「……早くしろ!」
「じゃあさ、訂正する代わりにオレの軍師になってよ」
「私の話を聞いていなかったのか?」
「もちろん、聞いてた。だから交換条件。オレはさっきのを訂正する代わりにLDはオレの軍師になる」
「取引材料としてはあまりにも幼稚すぎないか」
「オレは別に良いけど。これがダメならまた考えればいいわけだし。けど、オレに訂正させる機会は今だけだよ。LDとフォルキス将軍はとっても仲のいい特別の友人関係だってみんなに話すから」
  ”とっても仲のいい特別の友人関係”の部分をアスナは抑揚をつけて言った。
「幻想界に名の知れた天才軍師と第二魔軍の将軍との堅く結びついた、行き過ぎた友情美談。この話を聞いたらみんな、色々と思うだろうなぁ」
「……そんなことをして君になんの得がある」
「得はないかも知れないけど、少なくとも面白いと思うよ」
「……まったくそんなつまらない材料で交渉を持ち帰られたのは初めてだ」
  ニィ〜、とアスナは両の口端をあげて笑った。
  してやったり、である。
「降参だ。負けを認めよう」
「それじゃ」
  身を乗り出したアスナにLDは右掌を出して制止させる。
「その前に確かめておきたい。我々につくか否か、その意志を聞かせてもらいたい」
「そっちに就くつもりはないよ。もし、そんなことになったらエルトナージュにこうされる。初めからそういう約束だから」
  苦笑しながら自分の手を剣に見立てて首に当ててみせる。
「なるほど。私は私財のほとんどを無駄なことに使った訳か」
「少なくともオレにとっては完全に無駄って訳じゃないよ。久しぶりに美味い食事が出来たし、噂の軍師とも話が出来て、その上このゴタゴタが終われば雇えるんだから」
「それは君にとっての利益だろう。……まぁ、良い。では、私が君に要求するものは二つ」
「二つって、前言撤回だけじゃないわけ?」
「当然だ。飯の種を奪おうとしている君に協力するんだ。それだけでは足りないだろう」
「じゃ、後一つって何?」
「これから私はあらゆる手段を持って君の命を奪う策を実行する。それらを踏み越えてムシュウにいる私の元に来い。どのみちフォルキスを勝たせるためにはそれしかないからな」
  ゾクッと来た。
  すでにアスナを拉致してここまで連れてきた人物が本気で自分を殺しにかかってくる。
  決して逃がさないと見つめてくるLDの視線に全身が泡立つ。
  逃げることも避けることもできない恐怖にアスナは目を閉じ、小さく息を吸う。
  腹に力を込めて気合いを入れ直す。全力で殺すなんて言われてもこっちは初めから死ぬ覚悟なんか出来てはいない。何よりそんな得体の知れないモノをイメージする事すら出来ない。だったら身体を這いずり回る”恐怖”を足下に叩き付けて、踏み潰してやればいい。
  頭の中で徹底的に踏み潰してやった。
  それが復活しないうちにアスナは目を開けてLDと視線を合わせる。
「良いよ、それで」
  言ってやった。後で怖くなって後悔するかも知れないが、今だけは後悔なんかしてやらない。自分の意地にかけてアスナはそう決めたのだ。
  交渉相手も頷きで承諾する。互いの意思の統一はなされた。
  あと、ここでやるべきことがあるとすれば・・・・・・。
「それでは一つ目の条件を満たしてくれ」
  との口調は真剣で様になっているが内容がアレなだけに不思議と寂しいものがある。
  さきほどまでのシリアス路線からガラリと変わってしまい少し調子を狂わせながらも、
「さっきの発言は撤回します。フォルキス将軍はどうかは知らないけどLDは同性に対して、行き過ぎた友情を感じるような人じゃない。これでいい?」
  満足げに頷くLD。
「ついでに友人に代わって訂正しておくがフォルキスにもその気はない。ヤツは姫君を気にかけ、い……」
「…………」
  何とも言えない険悪な色がアスナを中心に宿り始める。
「へー、そーなんだー」
  見事なまでの棒読み口調にLDは僅かに腰を退かせながら、ここにはいない友人に心からの謝罪を送った。、
「フォルキス将軍って全力で好きな子を困らせる人だったんだー」
「いや、これには色々と訳があって。ヤツにはヤツなりの考えがあって」
「それでも相手にそのことが伝わってなくて困らせてるんじゃ意味ないよなぁ。でも、そーだったんだー。へー、どこかの誰かさんは国のためとかいう大義が必要とか言ってたのにその総大将は女の子を困らせるのに一生懸命だったわけだ」
「うっ」
  アスナの発する雰囲気からして少々、危険である。
  実戦力として比較することもおこがましいぐらいにLDに分があるはずなのに、彼はなぜか危機を感じた。
  人族でありながら後継者の資質を持つ者だからこそ感じる危機感なのだろうか。それとも、これはアスナ自身が生まれもって身につけているモノなのだろうか。
  判別できないものの、ここは天才と称される判断力が下した最も有効だろうと決断にLDは従った。それは余りにも唐突にこう切り出した。
「さて、そろそろ失礼することにしよう」
  適切な言い方をすれば戦略的撤退。俗な言い方をすれば逃げやがった、コイツ、である。
  アスナとしてもまさかLDにそんなこと言われるとは思わなかったのか半ば以上、声を裏返しながら、
「ちょ、ちょっと待った。オレはどうなるんだよ。こんなところで置き去りはないだろ」
「君がここにいることを示唆するものを近衛騎団の野営地に残しておいた。彼らが無能でなければもうじき迎えが来るだろう」
「そう。良かった。さすがにずっとここにいるなんて事になったら正直辛い」
「そこまで分かっているなら、私がここを出たらすぐにここを封鎖することを勧めよう」
  その言葉に改めて自分の使っているテーブルや椅子、それと食器類を持ってきた女性の姿が浮かび上がる。彼らはすでにアスナの中で拒絶と言う名の恐怖の象徴と化していた。
  ここでLDがいなくなれば、あの女性のように大挙して”懇願”しに押し寄せてこないとも限らない。いや、それ以前に女性に告げた真実を虚実と勝手に決めて、アスナだけ現生界に帰ろうとしているんじゃないかと思うのではないのか。
  などと様々な気分の悪い憶測が生まれる。今食べた物がせり上がってきそうなほどに気分が悪い。
  そのアスナの様子を何の感慨も宿っていない瞳で見つめていたLDはたった一言、「ではな」と、告げて背中を見せた。
「うん、それじゃまた」
  アスナにそれ以上、なにも返すことなくLDは去っていった。
  見送った後もいろいろと思うところはあるがもしもの時の身の安全確保が先決だと立ち上がり一階に降りた。
  そこには製粉を終えたばかりの小麦粉を収めた袋が山と積まれている。その一つ一つがかなり大きく、一つ辺り二十キロぐらいはあるだろうか。
  これを入り口で積めばかなり時間は稼げるはずだ。
「食べ物を粗末にするようで気分悪いけどしょうがないよな」
  ムンッと一度気合いを入れると掃除用と思われる箒をドアの取っ手につっこんで即席の鍵にする。外開きの、この扉もこれで少しは開けにくくなったはずだ。
  その後ろにアスナは一つ一つ小麦粉の袋を重ねていく。重労働も良いところだ。
  小麦粉まみれになりながら人間の狂気に脅える魔王の後継者。
  ふとそんなことが頭に浮かんで苦笑。
「結局、なんだかんだ言っても結局はただの人間なんだよなぁ」
  積めるだけ積み終わるとアスナは残りの小麦粉の袋を全部二階に持っていった。
  二階には風車の修理道具やかなり古くなった家具なんかが置かれている。一種の物置だ。
  その中にあるタンスを引きずって階段に封をする。もちろん、それだけでは物足りないから、タンスの上に小麦粉の袋を置いていく。
  もう腕がパンパンで痛くてしょうがなかった。だけど下手をすれば殺されるかもしれないことを考えれば痛いのは全然我慢できる。筋肉痛になっても皆の下に帰れば、軍医の先生ことロディマスに湿布でも貼ってもらえば良い。
「ふぅ。……ごほっ」
  小麦粉で咳き込みながらもホッと一息。と、そのとき外の方が途端に騒がしくなった。ギシギシと木がこすれるような音も聞こえる。怒声のようなものも混じってるような気もしたがアスナは敢えてその内容には無視を決めた。
「さてっと、最後までやらないと」
  乱れた息のまま立ち上がると残った小麦粉袋を手にさっきまで話をしていた三階に上っていった。持ってきた小麦粉袋は五つ。ついでに木炭とロウソクも持ってきている。
  二階の時と同じように今度はテーブルで封をして、その上に小麦粉袋を四つ置く。
  これでかなりの時間は稼げるはずだ。
  一階は小麦粉の山に業を煮やしたとしても壁をぶち破ればいい。だが、二階への侵入はそう簡単にはいかない。足場の悪い階段で二百キロ近くを持ち上げるのはほとんど不可能だ。一階とのときと同じように梯子に上って侵入しようにも壁側にはいらなくなった家具なんかが置いてあって壁を破ってもそれをどけないと行けない。
  それにそこまでの騒ぎになったらさすがにこの村に派遣されている管理官が黙ってるはずがない。
  アスナが何者であるかは知らなくともLDが色々と手配をしていた以上、重要人物であると分かっているはずだから。
  それでも不安が残るわけでアスナは最後の手段を作っていた。
  一つだけ残した小麦粉袋から小麦粉を掬うと皿に振りかけて汚れを落とす。それから持ってきた木炭をナイフで削って粉にしたものを小麦粉と混ぜ合わせる。鉄粉もあれば良かったがさすがにそこまでの贅沢は出来なかった。ともあれ、これで準備完了。
「まさかこんなところでもジイさんの昔話が役に立つなんて思わなかったよ」
  もし万が一、ここの村人がここまで押し寄せてきたらこの粉を吹き付けて引火させれば爆発する。いわゆる粉塵爆弾の一番簡単なものだ。
  もちろん、アスナもただでは済まないだろうが。彼にはエルトナージュからもらったペンダントがある。すでに使い方を教わっているからそう酷いことにはならないはずだ。
  それにこれはあくまでも最終手段だ。こんなもの使わずに済めば一番良いに決まってる。
  出来ることをやり終えてペタリと座り込んだ。はっきり言って疲れた。
  水差しに直接口を付けて、小麦粉が絡んで痛む喉を洗い流す。
  粉っぽいのは諦めるとしてどうにか落ち着いたアスナはこっそりと外の様子を見た。五大国の一つ、ラインボルトの主となる人物とは思えない姿だ。
「うわぁ」
  表は凄いことになっていた。村人全員から見れば少ない方だろうが数十人の男女が入り口を取り囲んでいる。中には鍬や鉈を持ち出している者もいる。
「準備しておいて正解」
  そこに管理官らしき五人の男が住民たちに解散するように命じた。
  が、住民たちは逆に彼らに詰め寄り自分勝手なことを口走り始めた。堂々巡りの彼らはついに手にしていた鍬や鉈を振り上げ、そして……。
「…………」
  さすがにその続きを見る勇気はなかった。狂気に彩られた凄惨な光景よりも、その情景を見れば、時間が経てば自分があぁなるんじゃないかと想像してしまうことの方が怖かった。
  言い表したくないような絶叫を耳にしながら、アスナは一言を漏らすしか出来なかった。
「参った。本当に参ったよ」
  やがてドアを壊す音がさらに激しさを増す。
  管理官をどうにかしてしまい、後がなくなった彼らはアスナを確保してどうにかさせる以外に道はなかった。まだ魔王でもない、彼らと同じ人間だということも忘れて。
  一際、大きな破壊音がした。恐らく壁が破られたのだ。
  叫声と足音が近づく。なりふり構わぬ破壊音が床に座り込んだ尻に響いてくる。
  二階の封に比べればアスナのいる三階を塞ぐテーブルなど簡単だろう。ある意味において二階の防壁こそが最後の砦だ。
  傍らに置いている小麦粉と木炭の混合物を見やる。最後の手段。
「全く、幻想界(こっち)に来てからイベント続きだよ」
  階下で粉が流れ出す音がし始めた。タンスまで壊された。後は小麦粉の袋をどうにかされたら終わりだ。
  小麦粉を掻き出す音を耳にしながらアスナはどのタイミングで粉を爆発させるか考え始めた。正直、防壁を作り、粉を準備することで手一杯になり、そこまで考えが至っていなかったのだ。
  この環境から考えて相手が首を出してきた瞬間に爆発させた方が良いだろうと決めた。
  ただこの爆発の後は本当に取れる手段はない。
  周りを見回すが武器になりそうなものはない。強いて言えば椅子ぐらいだろうか。が、決定打にはならない。
  一際大きな男たちの掛け声とともに何かが勢い良く倒される音がした。それに伴い幾つもの足音がすぐ側まで迫る。今まで篭もって聞こえていた声もはっきりと聞こえてくる。 その声は「殺した」だの、「捕まえろ」だとも、挙げ句の果てには「生きてりゃいい」とさえ言っている。
「これは本格的にまずいな」
  右手でペンダントを握り、起動の言葉を紡ぐ。
  幻想界の者ならばそんな必要はないが、人間であるアスナが起動させるには予め設定された言葉が必要になるのだ。
「失われし空を宿せし者よ。秘めたる力を解放し、我を守護せよ」
  一瞬、ペンダントの蒼の宝石が閃いた。それだけでアスナの周りに防壁が展開する。
  これでペンダントに宿った力以上の破壊力を受けない限り、アスナを傷つけることは出来ない。が、これはあくまで斬撃と魔法に対する防御だ。ハンマーなどでの打撃系にはそれほど大きな効力は持たない。あくまでこのペンダントは非常手段ということだ。
  迫り来る破壊音を前にしてアスナは傍らの混合物が乗った皿と火のついたロウソクを手に取る。と、そのとき。
「貴様ら、なにをしている!!」
  聞き知った声だ。アスナは手にした最後の武器を放り出して窓から身を乗り出した。
  そこにはアスナを敵を切り伏せ、災いから護る盾たちがいた。
  もはや余計な武器など必要ない。そこに最も信頼のおける武力がいるのだから。
  だから、酷く粉っぽくて痛む喉を振り絞って声を上げた。
「ヴァイアス!!」
  白銀に輝く偉丈夫たちが一斉に彼の方に顔を向けた。一様に安堵の表情を浮かべた次の瞬間には射殺さんばかりの鋭い眼光を風車小屋に集まっていた者たちに向けた。
「即刻、解散しろ。俺たちは黙って管理官たちのように殺られるつもりはない」
  ちらりとヴァイアスが向けた視線の先には無惨と表す以外にない骸が晒されている。
  脅しを強めるかのようにヴァイアスを始め、団員たちは剣を抜く。
  普段ならば、彼らの威圧に素直に屈したのだろうが、ここまで騒ぎを大きくしてしまった以上、後には戻れないのだ。人だかりの中から数名の男が飛び出した。
  これがどういう結果を招くか分かる。変えようのない決定事項だ。
  が、アスナだけが、アスナただ一人がそれが出来る。だから叫んだ。
「殺すな!!」
  その言葉と同時についに最後の防壁が打ち破られた。
  振り返ると、そこには勢い良く男たちが飛び込んできた。
  アスナは逃げることも出来ずに彼らに掴まってしまう。
「よ、ようやく捕まえたぞ」
  それはここにテーブルを運んできた男の一人だった。全身、汗にまみれ体臭が鼻につく。
  男に後ろ手に組まれ、そのままアスナは無抵抗に押し倒された。男の流れ落ちた汗がアスナの首筋に落ちる。
「よ、ようやく捕まえたぞ。……さぁ、すぐに俺たちを家に帰せ」
  息も絶え絶えにそう言った。振り向くことも許されず床に頬を押しつけられる。
  見える男の表情からも彼に後がないことを悟らされる。
「さぁ、早くしろ!」
  さらに強く床に押しつけられながらもアスナは男たちに言い放った。
「今の幻想界にオレたちを元の世界に戻せる技術はないんだ。この国の王族と魔導士がそう言ったんだから間違いない」
  実は行軍中にもアスナはイクシスからその辺りの話を聞いていたのだった。
  内乱を収めて魔王になることを決めたものの、それでも元いた世界にはたっぷりと未練がある。こちらに残るにしても現生界(むこう)で身辺整理をしてからにしたかったのだ。
「それに後継者なんて言われてるけど、まだオレには何の力もないんだ。あんたたちと同じただの人間だよ」
「うそだぁぁっ!!」
  悲鳴のような叫び声をあげながら男は何度となくアスナの頭を床に叩き付ける。いつしか温かくぬるっとしたものが頬に流れ始めた。
  意識は混濁しつつも感じるのは痛みよりもその温かさの方がずっと鮮明だった。
  激しい足音ともに不意に場の空気が変わった。
「貴様らぁぁっ!!」
  その怒声の主から自分を護るかのようにアスナは強引に立たされた。首筋には生臭い大きな刃物があてられる。肉屋か何かで使ってる肉切り包丁ではないだろうか。
  ほんの数時間しか経っていないはずなのに目の前で怒りの形相を露わにしている男が酷く懐かしく感じる。
  アスナはいまいちはっきりしない思考のまま微笑を浮かべ、
「迎えに来るのが遅いぞ」
「悪い。全てオレの失態だ」
「でも、最後の最後で間に合ったから許してあげる」
「黙れ!!」
  男は叫び、強くナイフを押しつける。が、斬撃に対する防護を受けているアスナの首を傷つけることは出来ない。今流れる血も床に叩き付けられたからに他ならない。
「下がれ。こいつがどうなっても良いのか!?」
  恫喝にもヴァイアスたちは下がらない。むしろ一歩踏み出すをする。
「さがれっていうのが分からないのかよ」
  しかし逆にヴァイアスは黙ったまま真っ直ぐに剣先を向ける。
「貴様如きに俺たちを脅迫できるとでも思ってるのか。いいか、これが最後の警告だ。アスナを、俺たちの主を即刻解放しろ。それ以上、そいつを傷つけると言うのならば処分覚悟でこの村を消してやる」
「なんでそんなにコイツが大切なんだよ。俺たちと同じ、俺たちと同じただの人間のガキなんだぞ!」
「貴様らとコイツを一緒にするな。内乱という非常事態にも関わらず、並み居る諸将、諸大臣を前にして自分の言うことを聞かないヤツはいらないとまで言ってのけた男だぞ。なにより、コイツは俺が唯一、剣を捧げた主だ。そのアスナをお前たちと同じだなどと冒涜することは許さん」
  淡々と、だが絶対的な威を持ってヴァイアスは言い放った。
「そこまで言ってもらうほど立派じゃないと思うんだけど」
「せっかく決めてるんだから少し黙ってろよ」
「黙るのは良いけど、そろそろどうにかしてくれ。さすがに疲れた」
「承知」
  言うが早いか彼の剣は真っ直ぐにナイフを握る男の右腕に突き刺した。
  激痛で声を上げるよりも先に、
「早く離せ。これ以上、痛みを感じたくないのならな」
  男は涙目になりながらナイフを離した。それは真っ直ぐに床に突き立つ。
  アスナを突き飛ばすようにヴァイアスたちに差し出すと男はそのまま声にならない声を漏らした。今まで人質となっていたアスナはその様を一瞥すると、
「傷の手当をしてやって」
「正気か? 今まであんなことされてたのに」
「もちろん、正気」
  と、団員から手当を受けながらアスナは言った。
「すぐ側でのたうち回られてたら話もできないだろ」
  ヴァイアスは「分かった」と言うと側に控える団員の一人に頷いてみせる。主と長の命を受けた団員は男の側に膝をつくと回復魔法を施してやる。
  さすがに自分たちの主をここまで追い詰めたことに腹に据えているのか、大まかな傷を塞いだだけで済ませた。が、今までやったことを考えれば十分だろう。
  それを横目で見ながら、
「アスナ、この村の処分はどうする?」
  十数人と言えども近衛騎団だ。一時間もあれば消し去る事も出来るだろう。
「とりあえず現状維持で良いよ。どうするかは全部終わってから考えることにする」
「だそうだ。分かったら、その男を連れて即刻、立ち去れ」
  腕を抱えて蹲る男を抱えて彼らは言われたとおりに立ち去っていった。
  それを確認すると、ヴァイアスたちは威儀を正して跪いた。
「ご処分を」
「その必要はないだろ。こうやって助けに来てくれたんだから」
「ですが、我らは主を拉致され、あまつさえ二度もお命を危ぶませました。何とぞご処分を」
  一度目のエルニスは完全にアスナの失態なのだが、ヴァイアスはそう考えていない。
「…………」
「…………」
「……分かった。だったら処分しないことを処分にする」
「なっ!?」
  ヴァイアスを含め、団員たちは驚きで顔を上げた。
  その様が可笑しかったのかアスナは笑みを浮かべながら、彼の肩に手をおいた。
「ヴァイアス、前にエルニスで言ったよな。”軍隊ってところは謝罪よりも結果と態度が全ての場所だ”って」
  頷くヴァイアス。
「オレがみんなの主に相応しくなれるように頑張るように、みんなもオレの近衛騎団に相応しくなって欲しい。それがオレの処分」
「……アスナ」
  跪く一同を見回すと、
「返事は?」
『承知しました!』
  意志のある力強い返事にアスナは満足して頷くと立ち上がった。
「ん。……それじゃ帰ろうか。みんなのいる場所がオレの居場所みたいだから」

 その頃、内乱とは関係なさそうなラインボルト南部の山村で奇妙な出来事が起きていた。
 老若男女の区別なく、住民たち全てがいなくなっていたのだ。
 ラインボルト内乱は新たな展開を迎えつつあった。



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