第一章

第七話 奇妙な報告 前編


「いやぁ〜、たった二食だけというのに随分と久しぶりにアスナ様の食事をいただいているような気分ですなぁ」
  と、相好を崩しながら近衛騎団参謀長アスティークは言った。
  普段は気難しげな表情か、ヴァイアスに対する困った表情ばかり見せている人物がこんな混じりっ気なしの笑顔を見せてると妙に可笑しな気分になる。
  実際、一緒に食事をとっている参謀たちの中には必至で笑いをかみ殺している者もいる。
  それほどまでに彼が笑顔を浮かべるのは珍しい。
「アスティークさんにそこまで言ってもらえると帰ってきて良かったって思えるよ」
  同じ人間ではなく、幻想界の者たちを選んだ理由がここにある。
  共にいて、共に何かを成し遂げようとするのはとても心地が良い。
  それを思うと種族や世界の違いなんて本当に些細な違いでしかないんだとアスナは思う。
  誰にも分からないように一同を見回してみる。みんな、本当に美味そうに朝食を食べてくれている。内乱という現実が嘘のような混じりっ気なしの談笑がここにはある。
  最近はヴァイアスやミュリカ以外にもよくアスナに話しかけてくれるようになった。
  出陣したばかりの頃から作戦上の説明などをしてくれていた参謀たちは少しきつい冗談や食事はなにが良いなどのワガママを言ってくれるようになり、他の団員たちも暇があれば雑談や武術の稽古を付けてくれるようになった。
  こんな奇妙な主従関係は他の国にはないはずだ。いや、魔王という存在を特別重要視しているラインボルトでは特にそういったことには厳しいはずだ。
  それなのに彼らは自然体で自分と付き合ってくれる。それが本当に・・・・・・。
「うん。ホントに帰ってきて良かった」
  無意識ともとれるアスナの呟きに彼らは照れとも、罪悪感とも取れる空気を纏った。
  主を攫われた事実は決して消えることはない。アスナが許していても、彼ら自身が許さない。決意と罪悪感を孕んだ空気を振り払うようにヴァイアスは「さて」と声を上げた。
「お互いに気持ちが落ち着いたところで聞かせてもらおうか」
「ん?」
  フォークを口にくわえたまま傾げるアスナ。
「昨日なにがあったのか。首謀者は誰だったのか」
「もしかしてみんな気付いてないわけ?」
「予想と事実が違うことは良くあることだろ。で、誰だったんだ?」
「LDだよ」
  やっぱりという声が聞こえる。彼らの予想は当たりだったわけだ。
  と言うよりも今、アスナを拉致しようだなんて考えるヤツが誰かなんて選択肢は本当に少ない。フォルキスかLDのどちらかしかいない。
  そのうち、フォルキスはそういった手段を好まないため必然的にLD一人に絞られるわけだ。
「それでなにを話したんだ」
「何だと思う?」
「あのな」
  吐息、一つ。
「・・・・・・粗方、お前を味方に付けようと考えたんだろ。どんなにLDが策を尽くしても後継者っていう要素がない限り、フォルキスの旦那に勝ち目はないんだからな」
「当たり。けど正面切って断ってきたよ」
「ですけど、拉致された上に、あの軍師様を相手によくそんなこと言って生きて帰ってこられましたよね」
  感心した風にヴァイアスの隣に座るミュリカが身を乗り出すように口を挟んできた。いや司令部要員の皆も口を開かないだけでミュリカと同じような目をアスナに向けている。
  アスナを拉致したのは目的のためならば事の善悪に関係なく最大の効果を得られる手段を取る人物だからだ。脅迫や買収が通じない相手ならば自身の色香で魅了し、籠絡することも厭わないだろう。
  例えそれが本人の嗜好に激しく反することであろうと確かな効果があるのならば実行する。それが軍師LDに向けている皆の評価だ。
  そういった要素抜きにしてもあの冷たい視線に射すくめられれば否とは言えないだろう。彼に拉致をされての会見ともなればなおさらだ。
  LD絶対の優位の状況でなお、彼の誘いを断ったアスナは大物なのか、恐怖に対する不感症のどちらかだろうと近衛騎団の面々は思った。が真相はそのどちらでもない。
「LDってそこまでおっかなくないだろ。そりゃ所々こっちを威圧してきたし、小難しいこと言ったりしたけど。基本的には良い人っぽかったし」
  アスナの良い人発言に一同は苦笑を禁じ得ない。人が良いのはアスナの方だ。
「軍師様の素性を知っててそんなことが言えるのはアスナ様だけでしょうね」
「ミュリカもLDが怖いんだ」
「怖いって言うかなに考えてるか分からないってのはあるな。これまでの戦歴が戦歴だけにいつか裏切るんじゃないかってな。何しろあの軍師は傭兵だからさ、どうしてもそう考えてしまうんだよ」
  と代わりにヴァイアスは言った。隣に座るミュリカの皿を狙う。
  アスナは口にくわえていたスプーンを皿の上に戻すと、
「それってかなり寂しいよな。別にLDのせいでもないのに」
「軍師もそのへんのことは分かってると思う。先王が何度も正式に召し抱えたいと仰っても傭兵であることを選んだんだから。どうしても俺たちの間に壁みたいなものが出来るんだよ。まっ、何にせよあの軍師の力はとてつもないってのは確かなことだな」
  目論見はあえなく失敗。ペシッと手の甲をミュリカに叩かれる。
「ふ〜ん。・・・・・・まぁその辺はオレが口を挟めるような問題じゃないか。けど雇った後は出来るだけみんなに誤解されないようにしろって言っておかないと」
  ピシッと音がしなくなった。
  さきほどまで微かだが聞こえていたフォークやスプーンが食器に触れる音が聞こえなくなる。皆、目を丸くしてアスナを見ている。
「な、なんだよ。オレ、変なこと言った?」
「いえ、その、雇った後というのは・・・・・・」
  皆を代表してアスティークが口を開いた。自慢の黒い口髭にスープが付いていてさらに彼の表情を間抜けにしている。
「アスティークさん、髭。スープ付いてる」
「私の髭よりもさきほどのことはもしかして・・・・・・」
  やはりそれ以上言うことが出来ない。敵対しているという状況を考えれば非常識に過ぎる。普通、そんな考えを持つはずがないからだ。
「うん。内乱の一件が終わったらLDを雇うって約束してきた」
『正気ですか?!』
  年齢性別階級の区別もなく彼らは立ち上がって声を上げた。意思統一をする訓練を受けているとはいえ、ここまで見事な統一は難しいだろう。いや、そうじゃなくて。
「もちろん。内乱が終わった後からが本番なんだから。幻想界でも有名な天才軍師を味方に出来たらずっと楽になると思わない?」
「ですが・・・・・・。いえ、はっきりと申し上げます。内乱を鎮圧していない段階でこう言うのもなんですが軍師は明らかな反逆者です。これを不問とすればアスナ様は公平ではないと皆に思われかねません」
「元からオレは公平じゃないよ。公平にやろうと思うんだったら初めから幻想界統一なんてワガママ言い出さないって。それよりもみんなの本心は他にあるんだろ?」
  と言って皆を見回す。誰も、ヴァイアスやミュリカでさえアスナと目を合わせようとはしない。それがどういう意味か分からないほどアスナは鈍感でもない。
「やっぱり悔しいんだろ? オレがLDに拉致されたことが」
  誰もなにも言わない。無言がアスナの言葉を肯定する。
  ふとアスナは思い立った。
  なんでLDがあんな無茶な−−自分を雇いたければ生きて再び会う−−ことを条件に出してきたのか分かったような気がする。
  してやられた近衛騎団に自分の策を打ち破らせることで誇りを取り戻させようと考えたのではないだろうか、と。
  自分でも好意的すぎる考えだなと苦笑が浮かぶ。だけどLDに対して、近衛騎団の面々とあまり変わらない感情を向けているのも確かなことだった。
「それでだ。LDが自分を雇いたかったら生きてムシュウにいる自分に会いに来いって言ったんだ。本気でオレを殺しにかかって来るみたい」
「そんな条件を飲んだのか!!」
  ヴァイアスはバンッとテーブルとを叩いて立ち上がった。幾つかの皿からスープがこぼれる。
  それに眉をしかめつつもアスナは首肯する。
「無茶で無謀で大バカ野郎だとは思ってたがここまでだとは思わなかったぞ!」
  それじゃ今はどう思ってるんだよと切り返したい気持ちをグッと抑えてアスナは言った。
  ヴァイアスの目をしっかりと見据えて。
「無茶で無謀で大バカ野郎でも考えなしにあんな条件飲むはずないだろ」
「それじゃ聞かせてもらおうか。その考えってヤツをさ」
「・・・・・・近衛騎団。オレにはみんながついてる」
  皆が息を飲んだのがよく分かる。
「多分、LDは奇襲とかオレの考えつかないことでオレを殺しにかかってくると思う。普通なら怖くてしょうがないけど近衛騎団(みんな)にならオレの命を預けられるし、近衛騎団(みんな)だったらLDの作戦を噛み破れるって信じてる。これがオレの根拠で考え」
  言うだけ言って皆に視線を向ける。
  これは本心であり、挑発だ。自分の危機を救えるのはみんなだけ。アスナの拉致を阻止できなかった近衛騎団にとってこの一件はLDに対する雪辱戦でもあるのだ。
  皆のことを信じ、頼りにしていることは間違いない。それでもLDに対する脅威は消すことは出来ない。それが出来るのは近衛騎団が一丸となって事に当たらなければならない。
  もし皆の気持ちを一つに出来なければ内乱を収めるどころか、殺されるのは確定だ。
『・・・・・・・・・・・・』
  まだ皆、沈黙を保ったまま。俯いたまま身動きすらしない。
  誰も手をつけることがなくなったテーブルの皿からはいつの間にか湯気は消えてしまっている。
  沈黙に耐えかねたアスナが口を開こうとしたとき、盛大な、そしてあからさまなため息が聞こえた。ため息の主はヴァイアスだった。
「まったく、なんでお前は次から次にやっかい事を持って来るんだよ」
「オレが持って来るんじゃなくて、向こうからやって来るんだよ」
  脱力したのかこれまでになく、彼は大きく肩を落とした。
「考えてみたらそういう主を迎えた時点で俺たちがゴタゴタに巻き込まれるのは決まったってことか」
「ヴァイアス?」
  ミュリカがかけた声に彼は濃い苦笑を浮かべる。
「毒、食らわば皿までだ。こうなったら行き着くところまで突っ走るしかないか」
  ヴァイアスは自分を見上げる副官の頭に手を置くと、
「無茶で無謀で大バカ野郎の考えなしが、ない知恵絞って出したのが俺たちへの信頼だったら応えるしかないだろ。何しろ俺たちは近衛騎団なんだから」
  視線をアスナに戻すと力強く頷く。
「こうなったら俺たちが最後まで面倒見てやる。その代わりお前も俺たちの言うことには素直に聞けよ。軍師のヤロウを取っ捕まえるまで無茶は禁止だ。いいな」
「分かった。よろしくお願いするよ」
「よしっ」
  パンッと大きく手を叩くとヴァイアスは声を張り上げた。
「現時点より騎団総員に常時、第一警戒態勢を命じる。アスナがLDに狙われていることを伝え忘れるな。・・・・・・アスティーク」
  司令部付きの伝令たちはものすごい勢いで朝食を掻き込むと団長の命令を伝えるべく走り出した。ちなみに第一警戒態勢とは簡単に言えば、いつ敵が来ても対処できるようにしておけという意味だ。
「はっ!」
  スープで髭を染めた参謀長が立ち上がる。
「お前はこれからの行軍経路を見直し、軍師に隙を見せない計画を立案しろ」
「了解しました」
「ミュリカ」
「はい」
「団長権限においてお前に本部大隊麾下からもう一つ小隊を預ける。早急に護衛計画を作り直せ」
  すでに一個小隊が彼女の指揮下でアスナの護衛に付いている。それを二倍にするということだ。
「了解しました」
「サイナ」
  呼ばれ長身の女性は返事とともに起立した。彼女は参謀の一人だ。
「ミュリカの補佐を頼む。補強する小隊の選定その他を協議して決めてくれ」
「了解しました」
「よし」
  ヴァイアスは改めて力強く頷くとアスナに視線を向けた。アスナもそれに頷きで返す。
「多分、ここが正念場だと思う。これからLDがどんな手を使ってくるか正直想像もできない。けど、みんなになら信じて全てを任せられる。よろしく頼む」
  全員、起立し威儀を正すとアスナに向けて最敬礼をした。
  アスナもそれに対して答礼する。何度も練習しただけあってそれなりに様になってる。
「行動開始だ!」
  団長の号令の下、途端に先の伝令たちと同じように彼らは朝食を掻き込むとそれぞれの役目を果たすべく飛び出していった。
  残ったのはアスナとヴァイアスの二人。
「どうしてお前はこうもやっかい事に俺たちを巻き込むかね」
  改めてジト目で睨みながら彼は言った。
「始めてあったときに言ったろ。世界中を引っかき回せるチャンスなんて、そうはないと思うけど、ってさ。その予行演習に自分たちをゴタゴタに巻き込むのも悪くないだろ?」
  まったく、と首を振るヴァイアスの表情は、しかし笑みであった。

 緩やかに雲を流す空の下、リムルは遙か彼方を切なげな瞳で見つめていた。
  見つめるその先、遙か南にはヴァイアス率いる近衛騎団がいるはずだ。
  ラインボルト最強の武力集団と言えども、今の騎団には部隊としての実戦経験は皆無だ。
  実戦さながらの訓練を積み重ねても行軍の本当の辛さは訓練では分からない。
  馴れない堅いベッドでもよく眠れているだろうか、行軍中の食事に辛い思いをしていないだろうかと色々とリムルは余計な心配を南に向けてしていた。
  その中でリムル最大の不安してに不満なのは自分のいないところでミュリカといちゃついているのではないかという点だった。
  きっと日中はいつものように言い争ったり、どついたりしてイチャツキ、夜は狭くて堅いベッドの中でお互いの存在を艶やかな音色を奏でながら確かめあうのだろう。
  童顔とはまた異なる柔らかなリムルの表情が歪む。長い睫毛が震え、男としては大きくつぶらな瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
  屋根の上に吹く風に乱される栗色の髪を押さえながら、
「・・・・・・うらやましい。ホントに羨ましいよ、ミュリカ」
  日夜、最愛の男を巡って争う二人だが、ヴァイアスさえ絡まなければとても仲がいい。
  仲のいい姉と弟といった風情だ。が、気心がしれているだけに遠慮がなく、一人の男を巡る争いが激しくなるのだった。
  その嫉妬の対象であるミュリカが今、アスナの護衛任務に忙殺されていてヴァイアスといちゃつく暇がないことをリムルは知らない。
「あぁ、寂しいよ。・・・・・・切ないよ、ヴァイアス」
  もはや日課と化した南に向けた心情の吐露を中断するようにリムルは目を伏せ、小さくため息を漏らした。
  この冷ややかな風の中、もしも、ここで伏せている瞳を開いたとき、目の前にヴァイアスがいてくれたらどれだけ幸せだろうか。
  そんなことあり得るわけがないと分かっている。今、最愛の従兄は遙か南にいるのだから。それでも、それでも、もしかして・・・・・・。
  伏せていた瞳のその先には、
「将軍!」
「わぁぁっぁっああぁぁぁっ!?」
  眼前に現れたのはもの凄い顔だった。一言で言い表せば濃い顔である。
  岩を削りだしたような彫りの深い、黒く日焼けした四角い顔がそこにあった。
  その巌のような顔には不似合いな小さくつぶらな瞳が無言の抗議をしてくる。
  突如、リムルの眼前に現れたのは第三魔軍副長ギルティアである。
  第三魔軍の序列では第三位の彼は年若く経験も浅い将軍を戦術面で補佐をし、またすぐに前線に飛びだそうとするリムルを良く押さえている、ある意味での苦労人だ。
  おほんと嘘っぽい咳を一つすると、
「いつも申し上げておりますが、人の顔を見て大声を上げるのはどうかと思いますが」
「いつも気配を消していきなり出てくるギルティアが悪いんだよ!」
「私はいつでも気配を消して将軍の前に出たことはありません。そもそも十剣士とも呼ばれる将軍に気配を消して近づける技量は私にはないのです。この際ですから申し上げますが・・・・・・」
  これである。この濃い顔の副長はことあるごとに「この際ですから」と言ってリムルを諭そうとするのである。
  それも異常に長く、たまに彼自身、何の用でリムルに会いに来たのかを忘れるほどだ。
「分かった。分かったから、その話はまた今度。・・・・・・ね」
  納得していないが承伏するギルティアにホッと一息。
「それで何の用があったの?」
「はい。ですがここでは何ですので将軍の執務室でお話しします」
  分かったと首肯するとリムルは足下のテラスに向かった。
  もう一度だけ南を振り向く。
  大きく西に傾いた陽の光がリムルの横顔を照らす。
  一日でも早く会えるといいね、ヴァイアス。
  最愛の人に想いを込めてリムルは心の声を南に送った。
  その想いが届いたのか同じ頃、ヴァイアスがくしゃみをしたとか、しなかったとか。

 近衛騎団に続いて首都エグゼリスを発した第三魔軍は順調な進軍を続け、革命軍によって占領されていた諸都市を奪還していった。
  その進軍速度は常に予定を越えており、ラインボルト全軍で最も進撃速度の速い軍との評判は決して虚実ではないことを全軍に知らしめたのだった。
  許された時間を最大限に使い着実に進軍、奪還する近衛騎団とは対照的だ。
  進軍、奪還の速度を維持するために捕虜の取り扱いや諸都市での指示などが疎かになるのではないかと思われた第三魔軍だったが、そういった諸々の処理についても的確に、且つ迅速に行われていた。この処理の早さは進撃速度を上げられる要因の一つであった。
  それら成果は第三魔軍の最終攻略都市であるゼンを予定より六日も早く奪還したことが示している。
  ゼンはラインボルト中央と南部とをつなぐ中継都市だ。中央に送られる南部産の物資は一度、ゼンに集められることもあり経済的にも交通の要所である。
  また現在の状況から考えてもゼンは重要である。
  革命軍の前線部隊を支える物資は南部からゼンを経由して送られている。第三魔軍がこの都市を押さえることでファイラスへの物資の流入を完全に止めることが出来る。
  逆に第三魔軍、近衛騎団の進軍を側面から守っていた両軍の別働隊には今まで以上に多くの物資を送ることが出来る。
  第三魔軍のゼン奪還によりアスナ派はまた一歩勝利に前進したのだ。

 市庁舎の外壁を足場にテラスに降りたリムルはそのまま自分用の仮説執務室に入った。
  そこにはすでに数名の参謀と副官が書類を手に彼の帰りを待っていた。
  リムルの姿を見留めた彼らの敬礼に答礼で返す。そのまま席に着く。
  同じように降りてきたギルティアは咳払いを一つすると報告を開始した。
「まずは現在の我々の状況からですが・・・・・・」
  それを合図に参謀の一人が机の上に書類を広げた。
  リムルはそれらの書類に目を通しながら副長の話を聞く。
  このときばかりは普段の柔らかな雰囲気は消え、凛とした将軍としての気概を瞳に宿している。
  強行軍であったにも関わらず第三魔軍の損害は少なかった。
  負傷者は多数出したものの死者はゼロで済んでいる。近衛騎団がムシュウを奪還した後に行われるファイラス包囲も問題なく参戦できるだけの戦力も残っている。
  この損耗率の低さは第三魔軍の持つ能力はもちろんだが最大の要因はその勇名だった。魔軍は個々人の能力はもちろん、彼らの装備も一級品だ。
  それに対するのは能力的に劣り、貧弱な装備の一般軍である。勝負にならないと諸都市を占拠していた革命軍将兵たちは戦う前から匙を投げていたのだ。
「負傷者の大半は近衛騎団がファイラス包囲に加わるまでに癒える予定です。が、重傷者八十四名は包囲戦の参加は不可能と思われます」
「予定通り重傷者はゼンに残して治療に専念させよう」
  その旨の命令書にリムルは署名をしていく。
「了解しました。損害の大きな部隊は後方に下げるよう部隊を再配置することにします」
「それでいいよ」
「次にゼンの行政に関してです」
  ゼンは都市としても大きく、また革命軍の中継点として活用されていた都市行政機関を正常化させるのは一仕事である。また役人や商人の中には未だに革命軍を支持する者がおり、彼らの摘発も第三魔軍の重要な仕事であった。
  今のリムルは将軍であるのと同時に臨時の行政官でもあるのだ。
  ギルティアの報告を耳にしながらリムルは書類に目を走らせ、必要な書類には署名捺印をしていく。
  一通りの報告と処理が済み、執務室に残ったのはリムルとギルティア、そしてリムルの副官であるフィアナだけである。
「ふぅ。・・・・・・それでフィアナさんの報告ってなに?」
  残ったのが側近だけなのでリムルも楽な姿勢で座り直す。
「はい。ゼン近郊の村で奇妙な現象が起きた模様です」
  普段から冗談も言わない、堅実を大言したような彼女が”奇妙”と言う単語を使ったことの方がリムルにとって奇妙な現象だった。それだけに興味も湧く。
  それはギルティアも同様であったようで「それで?」と先を促す。
「ここから騎馬で半日ほどの場所にヴァンヌという村があるのですが、その村の住民全て、一人残らず消えてしまったそうです」
「消えたって。避難したんじゃなくて」
  内乱の戦禍から逃れようと重要都市近郊から住民が一時的に避難することはよくある。
  が、それでも全員いなくなるというのも確かに異例のことだ。
「はい。消えたそうです。村人全員が避難したとすれば受け入れ先が多少の騒ぎになるはずです」
  騒ぎになれば噂として近郊の町村に話は流れるし、なにより消えたなんて表現はしない。
「原因は?」
「分かりません。噂のみが先行して正確な情報がありませんので。単なる噂と片づけるには物騒ですし、不確定要素を放置して後の禍根となるのも面白くありません。適当な小隊を調査に派遣することを提案します」
「どう思う?」
  リムルは傍らに控えるギルティアを仰ぎ見た。
  ただでさえ巌のような顔が渋面となり怖さ倍増である。二、三秒ほど沈思したのちリムルに視線を移した。
「ファイラスからゼンを再占領しようと一般軍が押し寄せるのではないかと参謀たちが分析している今、噂程度で軽々しく部隊を動かすのは得策ではありませんな」
  革命軍にとってゼンとの間は生命線にも等しい。再占領を考えていても不思議ではない。
  なにより第三魔軍がこの都市に到着した頃にはゼンに駐屯していた革命軍占領部隊はどこかに移動していたのだから。何か企んでいるのは間違いない。
「ギルティアは反対ってこと?」
「通常ならそうですが、予定より早くゼンを奪還できたので多少、時間に余裕があります。フィアナ女史が言うとおり不確定要素を排するのも悪いことではないと思います。将軍のご判断に従います」
  腰掛けた椅子からずり落ちそうなほどに全身を預けながらリムルは唸った。
  実を言うと彼自身も調査に賛成なのだ。が、将軍としての立場から言えば否定的だった。
  今、相対している革命軍の正確な動向がつかめていない以上、一個小隊とはいえ兵を動かすのは好ましくない。また村人全てが消えてしまったという現象が事実ならば一個小隊のみで対処できるとも思えない。
  個人と将軍という立場の違う自分同士の会談は五秒ほどで結論が出た。
  条件を一つ付けることで手打ちとしたのだ。
「それじゃ一個小隊をそこに向かわせることにしよう」
「了解しました。では直ちに部隊の選別を行います」
  と、ギルティアは敬礼をすると踵を返した。が、次のリムルの一言に彼は一歩踏み出した体勢のまま固まった。
「それからその調査には僕もついて行くから」
「今、・・・・・・なんと仰いました?」
「調査に付いていくって言ったんだよ」
  ギルティア、回れ右。そして執務机を両手で叩いた。
「いけません!」
「なんで?」
「お分かりのはずです、将軍。革命軍側の動向が不鮮明である以上、司令官たる将軍が留守にしてどうするというのです。ましてや不明確な情報の調査に同行するなど、他の将兵に示しがつきません」
  リムルはそっぽを向くと咎めるような目つきで副長を見やると、
「ゼンを奪還したら一つだけワガママ言って良いって言ったくせに」
「うっ」
  剣鬼や十剣士などと呼ばれているだけあってリムルはとにかく前線に出ようとする癖がある。童顔で柔らかさの目立つ雰囲気とは裏腹に彼は戦場の緊張感を好んでいた。
  その最前線での幾多の活躍がリムルを将軍の地位にまで押し上げたのだから尚更だ。
  だが将軍となった今、彼に求められているのは剣士として前線で敵を切り伏せることではなく、第三魔軍を勝利に導くことだ。
  アスナ派全体が寡兵であり、作戦の上で最重要の右翼を任された第三魔軍の将に万が一の事があっては敗北は必至だ。
  そこでギルティアはリムルにゼンに到着するまで将軍としての責務を全うすれば一つだけワガママを許すと約束していたのだ。
  軍隊組織にあるまじきことだが、ギルティアには副将ガリウスほど上手くリムルを誘導できない。今の様にエサで釣る方法が常套手段となっている。
  が、今回は場合が場合なだけにそうやすやすと引き下がるわけにはいかない。
「ですが、今の状況をお考え下されば・・・・・・」
「そんなこと言うと、もうギルティアとは約束しないよ」
  そう言われたらもう降参するしかない。大きく項垂れる。
「・・・・・・分かりました」
「やった。それじゃさっそく」
  その旨、手配するよう指示を出そうとする彼を副長は遮る。
「その前に二つ条件があります。一つは将軍の留守中、私に指揮権の委任状を書いて下さること。それと状況は流動的です。四日後には必ず帰還するようにして下さい。よろしいですね」
「分かったよ。それじゃさっそく・・・・・・」
「ではこちらにご署名下さい」
  またもやリムルが言葉を発するよりも先に副官フィアナは数枚の書類を机の上に広げた。
  ギルティアへの全権委任状の他には突然の留守を混乱なく過ごせるように関係各所への命令書、果ては同行する小隊への命令書まで作成済みだ。
「さっすが、フィアナさんだね。準備がいいよ」
「フィアナ女史、これは・・・・・・」
  あまりにかけ離れた男二人の表情にも笑みを作らずにフィアナは言った。
「今回の一件をご報告すればこうなることは簡単に予測できることです」
  それと、と彼女は続けると新たにもう一枚書類を提出した。その書類は、
「フィアナさんも一緒に来るの?」
  それは彼女も調査に同行するための命令書だった。
「当然です。小隊との架け橋役には丁度良いと思います。最大四日とはいえ、将軍と行動をともにするのは小隊の兵たちには酷というものです」
「ひょっとして僕って嫌われてたりするの?」
「兵たちにとっては将軍は雲の上の存在ですし、普段から接していませんから気後れするのは当然です。同行を許可していただけますか?」
「良いけど、仕事の方は大丈夫なの?」
「もちろんです。将軍の補佐も大切な仕事の一つです」
  と、彼女はうっすらと、よく観察しなければ分からないほどの小さな笑みを口元に浮かべると、
「お忘れですか? 私は貴方の副官ですよ」



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