第一章
第七話 奇妙な報告 中編
考え得る限り、第三魔軍で最も不幸なのは自分たちに間違いないと彼らは心の中で断言していた。この状況に比べれば重傷を負って野戦病院で唸っていた方が遙かにまだマシだ。
瀕死の重傷を上回る不幸を前に第三魔軍麾下第二連隊第五大隊第二中隊第四小隊の面々は朝の爽やかな空気の中、顔面蒼白になりながら移動をしていた。
その第四小隊の面々の中で更に深刻なのは小隊長その人だろう。
昨晩、調査任務を拝命してから寝付くことが出来なかったのだから。眼球は見事に充血し、瞼も腫れぼったい。何より目を引くのは彼の、青を通り越した土気色の顔色だ。
緊張や寝不足、その他諸々が重なって今や小隊長はいつ倒れてもおかしくなかった。
小隊長をたった一晩でここまで追い込んだ張本人はすぐ隣で副官と談笑しながら今後の方針を話し合っている。
同年代にしては少し背の低い童顔の男。
第三魔軍の長、リムル将軍、その人である。
とても将軍とは思えない風体の人物を見るともなしに眺めながら小隊長は再び自問自答の世界に埋没していった。
あぁ、なんだってうちの小隊なんかが選ばれたんだ、と。
任務を拝命して以来、何度となく行った自問に答えなど出るはずがなかった。
こういうのも何だが彼ら第四小隊の実力は第三魔軍の中では底辺に位置している。
と言っても彼らが無能であるわけでもない。
例えば一般軍の基準に当てはめれば十分に優秀と呼ばれるだけの能力と技術を持ち合わせている。そういう取り扱いの難しい位置に彼らはいたのだ。
それだけに常に無難な任務や配置を受けることが多いが、部隊の損耗率も他の小隊に比べて格段に低い。今回のような、村人がいなくなったらしいなんて信憑性に乏しい調査に使われるのに打ってつけの小隊なのだ。
重要度の低そうな調査を拝命することに何の疑問も不幸も小隊長は感じることはないだろう。
問題はここから先だ。
こんな噂話の調査になぜ将軍が同行しているのか、だ。
一度は何か公に出来ない特務なのではないかとも思ったこともあったが、いくら重要な任務だからって将軍自らが出馬する理由がない。
それ以前に将軍が小隊と行動を共にする理由そのものが思いつかない。
何より胃が痛いのはリムルがこの第四小隊を率いているのではなく、彼とその副官はあくまでも同行者という扱い、つまりお客様なのだ。
その性質上、この部隊の指揮権はリムルにもフィアナにもない。それどころか場合によっては小隊長の判断で将軍とその副官に命令を下さなければならないのだ。
胃が痛いどころの話ではない。今にも卒倒しそうなとてつもない展開だ。
なぜこのような事態になったのか理由が知りたければ意外と簡単に知ることが出来る。
すぐ側にいる将軍とその副官に尋ねれば教えてくれるかも知れない。
だが小隊長如きが将軍やその副官にものを尋ねるなど出来るはずがない。
こうして、決して生きて這い上がれない沼に填り込んだように小隊長は懊悩に苦しみ続けていた。
第四小隊小隊長ティアーズは二十九歳にして初めて戦死する覚悟を固めたのだった。
今にも死にそうなディアーズに哀れみの視線を送る女性が一人。
リムルの副官、フィアナだ。
彼女には小隊長やその隊員たちの疑問が手に取るように分かる。
いや、このどこか沈んだ雰囲気を察すれば誰でも分かることだ。
なぜ、自分たちなのかと。
それについては答えることが出来る。何しろ彼らを調査部隊に選んだのは彼女なのだから。フィアナがこの第四小隊を選んだ理由、それは小隊の損耗率の低さと任務達成率の高さにある。考課表に記載されている数値に間違いはない。
だがこの数値が何を意味しているのかまではフィアナも調べてはいなかった。数字から優秀な部隊であると判断してのことだった。
それが間違いであったと彼女が気付いたのは今朝、出発前の顔合わせの時だった。
隊員たちは一同、顔を蒼くして、小隊長ディアーズに至ってはいつ卒倒してもおかしくない雰囲気であった。
頼りがいのなさそうな彼らだが、それでも魔軍に入隊を許された人物たちに変わりない。多少不安は残るが小隊として問題はないとフィアナは考えている。
仮に噂が真実であり、戦闘に突入する事態になったとしても戦力的にも問題ない。
なにしろここには人魔の規格外であるリムルがいるのだから。
小隊としても戦力的にも何の問題もない。が、リムルとフィアナを含めた調査隊として見た場合、途轍もなく大きな問題がある。
小隊のリムルに対する萎縮はもちろんだが、最大の問題は指揮権の所在だ。
通常ならば隊の最上位者が指揮権を有するか、指揮官を間に挟んで最上位者が命令を下すことになる。だがこの調査隊は事情が異なった。
リムルには部隊の指揮権も命令権もないのだ。
その旨の同意書を副長ギルティアが指揮権の委任状に紛れ込ませていたのだ。
ギルティアとしてはリムルが羽目を外しすぎないように枷のつもりだったのだろうが、蓋を開けてみればこの通り、今にも死にそうな小隊長の出来上がりだ。
先行き不安に本日、何度目かのため息が漏れる。
そんな彼女の心配も知らずにリムルは久しぶりの開放感に清々しげな笑顔とともに声をかけてきた。
「それはそうとフィアナさん」
「なんでしょう」
「そろそろお昼時だよね」
「そうですね。ですが予定では昼食はヴァンヌに到着してからとなっています。あと一時間ほどお待ち下さい」
「うん。分かったよ」
将軍としての威厳もへったくれもない。これでは窘める姉と弟である。
国の内外から剣鬼と畏敬され、今回の内乱でそれが虚言ではないことを示したとは到底思えない違いだ。
この極端な変化に一部の者はリムルのことを二重人格ではないかと話しているが、常に側近くで彼を見てきた彼女から言わせれば、否、だ。
この極端な違いはただ単にリムルが戦場で真剣になっただけ。
誰もが一つのことに集中すると真面目になり、人が変わったようになる。それと同じだ。
彼が若くして第三魔軍の将軍に推挙されたのは人魔の規格外であったからだけではない。思考の切り替えの上手さが大きく作用したからだ。
ともあれ彼自身の実力はもちろん、若くして将軍にまで昇進した彼は第三魔軍の中でも特別視されている。その彼の実像がこうだったことに調査隊の面々は戸惑っていた。
そう言った曰く言い難い雰囲気の中、調査隊はヴァンヌへと進んでいった。
村と聞いていたが実際の規模は町に近いだろう。木造と石造りの建物が混在する、発展途上の集落だ。ヴァンヌの周辺にも畑が広がっている。が、主産業は林業らしい。
村の北側にある幾つかの山々の斜面には木々が切り倒され、山肌が剥き出しになっているのが見える。主な輸送先は未だ大きな成長を続けるムシュウだろう。
それを考えればこの閑散とした光景は異様の一言に尽きるだろう。
行き交う人も木材を載せた馬車もいない。
しっかりと整備された村の家並みから生活臭だけを取り除いた感じだ。
今のヴァンヌの状況は噂話の通り、
「村人が消えた、か」
小隊の誰かの呟きにリムルを含め、何名かが頷いた。
この光景には反論の余地はないだろう。集落は人がいてはじめて生きるのだと言うことがよく分かる。
ヴァンヌと言う切り離された空間を元の世界に繋げるように良く響く音がした。
皆が一斉に振り返る。フィアナが手を叩いたのだ。
「ここで惚けていても仕方ありません。小隊長、指揮を執って下さい」
「そ、そうですね」
思わずディアーズは姿勢を正した。フィアナの方が彼よりもずっと階級が上なだけにやりにくいことこの上ない。リムルに言われるよりもマシではあるが。
彼は部下たちの方に振り返ると咳払い一つ。
「班構成は各分隊長に一任する。ただし単独行動だけはするな。以上だ、調査を開始しろ。先任、あとは任せる」
「はっ」
小隊の副長格である先任下士官は了解の敬礼を返すと各分隊長に細かな指示を出し始めた。指示を出し終えるとディアーズは自分の指揮を静観していた雲の上の人、二人に振り返った。
そこには感嘆の声をあげて拍手をする将軍と頭を抱えるその副官がいた。
「凄いね、小隊長。僕よりもずっと指揮官らしいよ」
皮肉ではなく、どうやら本気のようなのでディアーズは返答に困る。その彼に救いの手をさしのべたのは当然、フィアナだった。
「それよりも小隊長、今後の我々の行動は?」
「は、はい。村長宅を本部として、全体の指揮及び情報整理を行います。お二方には我々と同行していただきたいのですが」
「将軍、よろしいですか?」
「うん。それでいいよ」
二人の同意を得たことでようやく調査は本格的に動き出した。
小隊を構成する四つの分隊はそれぞれ四方に分かれ、三人ないし四人の班に分かれて調査を開始した。彼らの任務は異常と村人の発見だ。
特にディアーズは村人の発見を重要視させていた。村から何かしらの痕跡を見つけだすよりも、村人から話を聞いた方がいろいろな意味で早く次の対応に進むことが出来る。
と、ディアーズたちは村長宅に足を向けた。
村長宅は中央から北よりにある。山と村の中心部とのほぼ中間点にある。
と、そこでリムルは妙なところがあるのに気付いた。
どの家も軒並み窓やドアが壊されているのだ。
「暴徒か、盗賊でも出たのかな?」
暴徒の可能性もなくはないが、この状況にした主が盗賊であることの方が確率は高い。
ラインボルトは五大国の中でも比較的、治安が良い国家だ。だが犯罪集団が皆無かと言えば否だ。中央はもちろん、地方にも中小の犯罪集団が確認されている。
国家の混乱で治安機構が正常に働かなくなったとなればなおさらだ。
事実、二度ほど第三魔軍に盗賊退治を頼みに村長が尋ねてきたことがあった。
これで間違いなしとばかりに得意げなリムルにフィアナは水を差すように言った。
「それはないと思います。そのようなことだったら”村人がいなくなった”などという噂にはなりません。”盗賊に襲われた”と言う報告が来るだけです」
「・・・・・・・・・・・・」
確かにその通りだ。その通りだけにリムルは何も言えなくなる。ちょっと拗ねた顔をする。が、不意にリムルは足を止めて右を見た。表情も楽から険に変わる。
彼の視線の先にあるのは一軒家。
そこも他と変わらず酷い有様だ。ドアも窓も酷く破られてしまっている。影になってよく見えないが恐らく中も相当酷い有様だろう。
その中へとリムルは入っていった。
「・・・・・・将軍、いかがされましたか?」
「うん。ちょっと」
要領を得ない返事にディアーズはフィアナに視線を向けた。
「何かあるということでしょう。あの方の剣士としての直感は常識の外にありますから」
そう言うと彼女もまたリムルの後に続いた。
副官の言葉を汲み、ディアーズは先任下士官及び兵二名とともに追随した。
屋内も負けず劣らず酷い有様だ。テーブルも椅子もひっくり返り、タンスまで倒れている始末だ。
と台所にまで足を進めたリムルがしゃがみ込んだ。
ディアーズは背後から覗き込むとそこにあるのは乾いた土、そしてぼろぼろの衣服だった。その周囲をよく観察してみれば土と衣服は人を象っているようにも見える。
「将軍、これは?」
「あんまり気分の良いものじゃないね」
掌の土を払うとリムルは改めて周囲を見回した。と彼の視線が土塊(つちくれ)の下にある扉に気付く。
「・・・・・・ここだね」
扉を引き上げるが内から鍵がかけられているのか開かない。
吐息一つ。リムルは腰の小剣を扉に突き立てると、彼は柄に掌を置いた。
小さく、力むような息を合図に小剣を中心に赤い光が四方に走った。剣を媒介にリムルの闘気が放たれたのだ。
「よし」
小剣を抜くと同時に扉はバラバラになり、そのまま地下室に落ちる。そのせいか、それとも地下から吹き上げる緩やかな風のせいか僅かに砂埃が上がる。
感じる風の冷たさに恐らくそこは、台所という立地条件からも保存食なんかを収めている食料庫だろう
制止の声を待たずにリムルは地下室に入っていった。
「将軍、ここは我々が先に」
言うのが遅い。すでにリムルは階段の半ばまで降りている。
「うあぁああああぁぁぁっ!!」
戦場ですらも聞くことは稀な叫び声に小隊の者たちは一斉に腰の剣に手をかけた。
「将軍!!」
未だ地下室から絶叫は続く。いや、リムルの正面からだ。
と、リムルの身体が前に動いた。鈍い音とともに絶叫はやんだ。
「よいしょっと」
絶叫の主、男を背負いあげると振り返った。
「フィアナさん。奥にまだいるから連れてきてあげて」
声をかけられたものの彼女はディアーズに視線を向けたまま動かない。ここでの指揮官はあくまでの彼だ。ディアーズは慌てるように頷くとフィアナは、
「はい」
と、返事をするとリムルと入れ違いに地下室に入っていった。
担ぎ上げた男の体格はとても良い。小柄なリムルが持ち上げている様は不思議な感慨を持たせる。男の手からナイフが落ちる。
「将軍、自分が」
将軍とその副官が働いていて何もしないのは気が引けるとばかりに兵の一人が前に出た。
頷くとリムルは彼に気絶した男を預けた。
「ベッドがあればそこに寝かせてあげて」
「はっ」
「ふぅ。・・・・・・とりあえず生存者三名確保っと」
続いてフィアナが女性とその足にしがみついている男の子を連れて上がってきた。
完全武装した男たちに囲まれ女性は引きつった声を上げ後ずさる。子どもも半泣き。
すかさずフィアナは彼女の背を支えてやり、「大丈夫ですよ」と声をかける。その一方で視線を小隊長の方に向ける。
その意味をはかりかねて数秒、沈黙が流れるがディアーズはようやく思い立ったのか背を伸ばした。
「第三魔軍の者です。この村で異変が起きたと知らせがあり調査に参りました」
「第三魔軍」
呟くと女性から一気に力が抜けた。男の子が不安げに母に声をかける。
大丈夫だからと答えると彼女は「夫はどこに?」と聞いた。
「申し訳ないけど、気絶してもらってます。じきに気付くと思いますが」
と、リムル。
「そうですか」
安堵したのか脱力したままだ。
「話を伺うのは落ち着いてからにした方が良いですね。・・・・・・小隊長は村長宅を確保を優先した方がよろしいかと思います。こちらのご家族が落ち着いたら合流したいと思います。よろしいでしょうか?」
「分かりました。よろしくお願いします」
敬礼一つすると小隊長以下四名は回れ右をした。同じように出ていこうとするリムルの袖を掴むことを彼女は忘れない。そして小さく首を横に振る。
生存者が発見された以上、調査隊の邪魔をするべきではないということだ。
些か残念そうな表情を浮かべるが結局、彼女の意志に従う。
リムルたちは男性の眠る寝室に行くことになった。
台所で勝手をしたリムルは二人分のホットミルクを作って階段を上がっていった。
イヤなことがあったときはとりあえずホットミルク。
これはリムルの家に昔から伝わる家訓の一つだ。
「はい。熱いから気をつけて下さい」
「すいません」
受け取り一口。彼女にもたれ掛かって舟を漕いでいる。
どうするか逡巡したあと結局、リムルが口を付けた。思ってたよりも甘くて美味しい。
「一週間ほど前のことです」
ホットミルクを半分ほど飲み終えた頃、女性は小さく呟いた。
「無理をなさらなくても良いんですよ」
普段の彼女からは聞くことが出来ない優しい声音だ。
「いえ。軍の方が助けに来てくれたんですから。ちゃんと私たちにあったことを聞いていただきたいんです」
「分かりました。ですがご無理はなさらないように」
「ありがとうございます。・・・・・・一週間ほど前の雨の夜に突然、凄い数で襲ってきたんです」
二人の無言が先を促す。
俯いた彼女がゆっくりと顔を上げる。瞳に脅えの色が濃く宿っている。
「”彷徨う者”です」
露骨なほどに硬いの空気が寝室を包み込む。
幻想界にとってその存在は嫌悪の対象でしかない。
恨みや無念を強く残した者たちが死後、蘇った存在が”彷徨う者”だ。死んでしまった以上、晴らすことの出来ない無念の思いを核にして彼らは暴れ回る。
その突発的な出現は天災と呼ぶに相応しい。だが天災と呼ぶには余りにも遺恨が強く残る。彼らを止めるには再び殺してやらなければならない。
出現場所が自分の死んだ場所である以上、生前を知る者が処理を行う場合が多い。
遺恨の強さが生きる者たちの心に深く突き刺さる。
「もちろん村長を初め自警団の人や村の男たちが処理しようとしたんですけど数がもの凄くて次々に殺されてしまったんです」
「一度の”彷徨う者”の出現数は多くても二、三体のはず。大挙して押し寄せるというのは異常です。何か心当たりはありませんか?」
生き返るほどの無念を抱えて、非業の死を遂げる者など余程のことがない限り、この村からは出ないだろう。統計的に大量出現の可能性が最も高いのは戦場跡だ。
リムルたちの知る限り過去数十年、この近辺で合戦があったことはない。
「私にも分かりません。けど、夫の話だと”彷徨う者”たちは墓地から出てきたらしいんです。それに・・・・・・」
「それに?」
「殺された人たち、みんな”彷徨う者”になったそうなんです」
絶句だ。
”彷徨う者”に殺された者たちの一割強が同じく”彷徨う者”になるというのは幻想界での常識の一つだ。一種の伝染性があるとか、無念の一部が殺した者に移るなどという説もあるが詳しいところは不明だ。
それでも殺された者全員が”彷徨う者”になるというのはやはり異常なことだ。
「逃げようとは思わなかったんですか?」
リムルが口を挟んだ。
「もちろん逃げようとしました。けどそう決まったときには村の周りを囲まれていて逃げられなかったんです。ですから、助けが来るまで隠れていようと」
「取り囲まれていた?」
フィアナの問いに女性は頷きで答えた。
彼女はリムルに視線を向けてきた。困惑の表情を浮かべている。恐らくリムルもそうだ。
”彷徨う者”はその名の通り特定の場所に長期間、留まることはないからだ。
組織的に村を包囲したとなればなおさらだ。
戦場跡などで出現した”彷徨う者”たちは集団で動くこともあるが、だからといって組織的な行動をしてはいないのだ。はっきりと言えば、そこまでの知能がなく出来ないのだ。
にわかに信じられるような事態ではないし、彼女の言うような包囲などリムルたちが来たときにはなかったのだから。
だが”彷徨う者”に襲われたのは確かなことだ。彼らは再び殺されると総じて遺体は土に還るからだ。台所に伏していた人型の土塊がその証拠だ。
「信じられない話だけど、村の状況とかを見たらちょっとこれからのことを考え直さないといけないかもね。ここにいても状況把握は出来ないな。悪いけどすぐに小隊長と合流するよ」
言いながらリムルは気絶した夫を担ぎ上げた。
「ちょ、ちょっと!?」
「リムル!」
「異常事態発生だよ、フィアナさん。多分、時間が経てば経つほど状況は悪くなると思う」
振り向いた彼の表情は明らかに戦場での、将軍の顔であった。
「これでも僕の勘は良く当たるんだ」
同じように隠れていた村人たちが各所で発見された。
一様にある種の恐慌状態にあり、事情聴取が出来る雰囲気でなかった。
怪我人や子どもが多かったのも調査が滞っている原因でもあった。
ディアーズはまず村人を落ち着かせるのが最優先だと判断し、村長夫人ーーリムルが発見した家族と同じように地下室に子どもたちと隠れていたーーの許可を得て、炊き出しを行うことにした。
何か口にすれば落ち着く。単純ではあるが、それだけに効果的だ。
手透きの兵たちは誰もいなくなった家屋から鍋釜を持ち出して炊き出しの準備を始めていた。
リムルは助け出した一家をその輪の中に加えるとその足で村長宅に向かった。
発展途上の村らしく村長宅はさほど大きくはなかった。村の運営に支障がないように幾分、建て増ししているように見えるが、他の家々とあまり大差がない。
兵に案内されて、調査本部となっている客間に通された。
「将軍」
敬礼する小隊長と先任下士官に答礼するとすぐに状況報告を求めた。
その内容はあの夫人から聞いた内容と同じ。簡単に纏めるとこうだ。
一週間ほど前に”彷徨う者”が大挙して押し寄せ、村人たちを次々に殺していったこと。
殺された村人たちの全てが”彷徨う者”に変わってしまったこと。
村は包囲されており、逃げることも助けを求めに行くこともできないこと。
また現在のところ生存者数は四十八名。小隊に人員よりも僅かに多い。
「どうする、小隊長」
「殺された村人が全て”彷徨う者”になったというのはにわかに信じがたいことですが、聞き取りの様子からこれらは虚言ではないと判断します。”彷徨う者”二千強に対して我が小隊四十名では生き残った村人を守りきることは不可能です。よって生き残った村人を連れて今日にもゼンに帰還すべきと判断します」
「賢明だね。フィアナさんの意見は?」
「撤退には賛成します。ですがその前に村人に協力してもらい生き残りの再捜索と彼らの当座の生活に必要な物品と金銭の確保を行うことを提案します。ゼンに連れていったとしても事態が落ち着くまで彼らの生活の面倒を第三魔軍が見ることは出来ませんから」
物品と金銭の確保とは各家族の私財だけに留まらない。
死した者たちの私財の回収も含まれる。
村人たちからの反発があることは当然、予測できる。だがそれでも必要なことだ。
収入の道を断たれた以上、一個人の資産だけで数ヶ月も生活することは不可能だからだ。
「分かります。ですがそれらの作業をすれば間違いなく日は暮れます。聞き取りによると”彷徨う者”たちは夜に出現するそうです。出来るだけ早く撤退するべきです」
「では村人たちの今後はどうするつもりですか? 現場の貴方に言うことではありませんが現在、第三魔軍の会計は火の車です。またゼンの地方政庁も然りです。民間の善意を頼るのも非現実的です。半年以上続く内乱に、それ以前からの国内の混乱で民衆は自分のことで精一杯です。この現実を前に他に案があるのなら仰って下さい」
「・・・・・・ですが私には部下たちを生きて帰す義務が」
「貴方も第三魔軍に属する者でしょう。ならば民を守るために戦って死になさい」
反論は出来ないだろうとリムルは思う。なぜなら魔軍は兵以上の兵でなければならないからだ。それは命令の厳守や組織の堅持ではない。兵としてのあり方そのものだ。
彼らが魔軍に属している以上、答える言葉は一つしかない。
「・・・・・・分かりました。村人から有志を募り、再捜索を行え。その護衛には第一、第二、第三分隊を使え。第四分隊は残った村人たちの面倒を見させろ。金品の収集は・・・・・・村長の奥方を呼べ。彼女が適任でしょう、これでよろしいですね」
頷くことなくフィアナはリムルに視線を投げる。
「上出来。このあと村人を纏めるのはフィアナさんの方が適任かな」
何しろ彼女は将軍の副官、書類仕事こそが彼女の本領だ。
「そうですね。私からもお願いします」
「了解しました。・・・・・・それで将軍は?」
ここで仕事がないのはリムルただ一人。
本来、将軍とはそういう存在だ。命令を出し終えれば後は黙って推移を見守り、敗北すれば問答無用で責任を取らされるのが仕事だ。
そんな存在に現場指揮官である小隊長が何かしらの要請を求めることはまず不可能だ。
将軍と副長の署名入りの調査隊の指揮権の委任状を与えられているからといっても相手は将軍、どうしても気後れしてしまう。
かといってこの人員不足の中、ドカッと座られていても迷惑なだけだ。
そんな小隊長の懊悩ぶりにリムルは小さく笑みを浮かべると、
「僕は邪魔にならないように見回りでもやってるよ。夜中に襲われるのは面白くないしね」
その一言にほっとしたのか「了解しました」と初めて小さく笑みを浮かべた。
「時間もないことですし、すぐに行動に移りましょう」
自主的に厄介払いとなったリムルは真っ直ぐに墓地へと向かった。
そこから”彷徨う者”が大量に出現した。
常識を覆す現象に、これは人為的なものではないかと彼自身は感じている。
それが正しいか否かは墓地に行けば分かるはずだ。
もし人為的なものであれば何かしらの痕跡が残されているからだ。何もないとしても”彷徨う者”が集まっている可能性も十分にある。
「これはまた、スッゴイことになってるなぁ」
墓地と呼べるような状況ではなくなっていた。
墓石は打ち倒され、大きな穴が至る所にある。まるで開発に失敗した荒れ地のようだ。
リムルは墓があったであろう場所の前に膝をつき、穴を覗き込んだ。
そこにあるのは中身のない朽ちかけた棺桶だけだ。が、リムルが見ているのはそこではない。
「ふむ」
小さく唸ると他の墓も覗いてみる。状況はどれも同じだ。
「これで村を襲ったのが”彷徨う者”で確定だね」
露出した棺桶は内側から破壊されており、出来た穴も掘って出来たものではなく中から押しのけたようになっている。よく見れば穴の縁には人の手指の跡と思しき窪みも見受けられる。墓石の幾つかには足跡らしき泥の跡がいくつも残っている。
立ち上がりリムルは改めて墓地を見回した。
「ここだけで二百以上が蘇ったのか。戦闘経験がない人には無理かな、やっぱり」
ヴァンヌにももちろん自警団があったはずだ。
彼らの扱いは名目上、警備兵となっているが兵としての訓練は全く受けていない。半年に一度、大都市で行われる研修が関の山だろう。
そんな彼らでは二百以上もの嫌悪すべき存在に対処できるはずがない。
林業の村ということで幾人もの屈強な体つきをした木こりがいたはずだが、それでも物の役には立たないだろう。
自警団の壊乱とそれに追随した男たちが皆殺しにされ、同じく”彷徨う者”となる。数を増したヤツらがさらに村人たちに襲いかかる。
三流怪奇小説の展開だね。
自分の想像に苦笑する。が、力のない物にとってそれが実際に目の前で展開すれば恐怖以外のなにものでもないだろう。
一時間ほど、歩き回ったが大量出現を誘発した何かの痕跡は見つからなかった。
何かあるって思うんだけどなぁ。
と、改めて墓地を見回すリムルの視線が墓地に隣接するようにある建物で止まった。
「聖殿、かぁ」
聖殿ーー正式には鎮魂殿と呼ぶーーとはいわゆる葬儀場のことだ。
それ以外にも”彷徨う者”が墓地から出た場合、聖殿に屋上に設えている鐘が鳴り、村人にそのことを知らせる一種の魔術装置としての役割もある。
だからこそ何かを仕掛けるのならばこれ以上の場所はない。
聖殿に貯め込まれた豊富な魔法力を用いれば、大した労力もなく大規模魔法を展開することも可能だ。
リムルは警戒しつつ聖殿の窓から中を覗き見た。
そこには幾つもの遺体が乱雑に放置されている。幾つかの遺体は生理的な嫌悪を催すけいれんを遺体は続けている。それらの下には何かの術式が展開しているようで赤紫色の光が暗い聖殿の中を妖しく照らしている。
「当たり、だな」
腰の剣を抜く。リムルの表情から柔和さが消え、口元の小さな笑みだけが残った。
喜悦でもなく、苦笑でもない。ただ、小さな笑みだけが残っていた。
剣を抜くという動作を合図にして、リムルの中にある剣士としての彼だけが突出したのだ。ある意味、今のこの姿こそがリムル本来の姿だった。
彼は奇襲をかけるでもなく聖殿の扉に手をかけた。瞬間、小さな火花と供にバシンッと手が弾かれた。はめていた手甲から焦げた臭いが上がるが気にしない。
「封印か。以外に強いな」
考えてみれば当然の処置だ。蘇った”彷徨う者”が無秩序に暴れ出すのは首謀者にとっても面白くないはずだ。蘇生した頃を見計らって纏めて連れて行くつもりなのだろう。
そこからリムルは一つの推測が生まれる。敵は少数である、と。
ラインボルトにはない術を発動させて、放置するはずがない。
リムルは右手の剣でドアを左上に向けて切り上げた。
剣にうっすらと纏わせた剣気ーー剣士は闘気ではなくそう呼ぶことを好むーーが扉とともに封印を切り裂いた。
と、聖殿内の血臭と腐臭が吹き出すように外に広がる。
嘔吐を催す臭いにもリムルは意に介さないかのように踏み込んだ。
地獄と呼ばれる領域が存在するのならば、ここのような光景なのかもしれない。
呻き声ともとれる死者たちの吐息が響き、生を取り戻そうと小さく蠢く血濡れた肉塊。それらを包み込むように澱む、目を開けることすらも困難な異臭の固まり。
そして床に広がるのは腐敗し始めた血液と何かの魔導式。
「・・・・・・・・・・・・」
口端の笑みを消したリムルに蘇生を終えた”彷徨う者”が襲いかかった。
一閃。
人為的に増幅された無念は強制的に切り捨てられ土塊へと帰す。
彼は蠢く肉塊の一つ一つに剣を突き立て、剣気を放ち内部から破壊し続ける。
破壊という名の葬礼。肉が爆ぜる音を哀惜に、見送るは一人の剣士だけ。
吐息一つ。改めて余計な思考を遮断。
血塗れの床に広がるのは巨大な魔法陣だ。複雑に掻き込まれた陣形は剣士であるリムルも良く知った魔法陣の基礎的な組み方だ。
中央に展開したい術の受け皿となる魔法陣を、周囲には増幅用のものを描かれている。出来たその四方には魔法陣を稼働させ続けるための動力として魔法力を貯め込んだ巨大な魔導珠が鎮座している。
その中央の魔法陣の中にある幾つもの基点には幼子の拳ほどの大きさの魔導珠が埋め込まれている。これら魔導珠の中には立体的に魔導式が組み込まれているはずだ。
余談だが埋め込む魔導珠を替えることで、展開する術を変更することが出来る。
リムルは”彷徨う者”の異常発生が人為的なものである証拠として血に濡れた魔導珠を一つ一つ取り外していった。
「証拠の確保完了っと。・・・・・・やっぱり臭うな」
聖殿内の臭いが付いただけではなく、死体を処理した際に付着した血肉からの臭いもある。ここまで濃く染みつくとちょっとやそっとじゃとれないだろう。
こんな状態で戻れば、食事と調査隊が来たことで落ち着いた村人たちが再び、恐慌状態に陥らないとも限らない。村の方の準備が終わるまでどこかで時間を潰すのが吉だろう。
「どっちにしろ村の周りの”彷徨う者”を掃討するつもりだったんだけど」
リムルは頭の中で村の略図を展開した。
ヴァンヌは良質の木材を産出する山々に囲まれ、僅かな平地には畑が広がっている。
地理的、心理的な条件を考えれば”彷徨う者”が潜んでいる可能性が最も大きいと判断したのは、この山裾にある墓地だ。
村人も”彷徨う者”が初めて出現した場所に近寄ろうとも思わないだろうし、聖殿のこともある。ここほど集めておくのに適した場所もないだろう。
だが実際のところは聖殿に押し込められたモノだけだ。それではどこにいるのか。
二千を越えるであろう数を簡単な場所に隠しきれるものでもない。
「って考えるまでもないよね」
リムルが振り仰いだ先には昼の世界に闇を内包した場所、山があった。
幾つもの切り出され、積み上げられた木材の山、働き手が休憩をする小屋。それらを管理する事務所の中を突き進む。木材の強い香りが鼻腔を刺激する。
こういった状況を見ていればこの村の将来が明るかったことがよく分かる。
それだけに村が壊滅寸前に追い込まれたのは痛い。例えば大量移住を受け入れたとしても村が以前の状態に戻るのは難しいだろう。人材の育成には時間も資金も豊富に必要になる。ほとんど初めからやり直すことになるだろう。
そんなことを考えながらリムルは進む。ふと、小さな違和感を感じた。
周囲に視線を動かす。・・・・・・見つけた。
積み上げられた木材の一つに小さな紋様を見つけた。軍で多用されている警戒用に開発された魔導紋様だ。
魔導紋様は単一能で発する力も弱いが大気中に含有している魔法力を回収して発動する魔法陣の簡易版だ。これの最大の利点は作成が容易で使用者が無駄に力を使わずに済むことだ。
「当たりだね」
言いながら紋様を撫でる。細工をして気付かれずに侵入しようかとも考えたが止めた。
奇襲をかけてプチプチと潰して行くよりも堂々と突っ込んで纏めて処理した方がずっと楽だろうから。
山林に、昼の世界に闇が内包世界へと踏み込む。
人の手が入ってはいても、それでも暗い。奥に進むほどに濃くなる。
敵の警戒線を突破して数分、緩慢な動きで幾つもの気配が集まり始める。
二十まで数えたが途中で止めた。ねずみ算式に増えていけば数える気もなくすものだ。
大雑把には二、三百ほどだろうか。これぐらいならリムルには問題ない数だ。
容姿と普段の言動から忘れがちになるものの彼は人魔の規格外なのだ。
歩みを止める。すでに囲まれている。
木々の影から湧き出るようにヤツらは現れる。唸り声のような呼気が怨嗟を奏でる。
視認できる距離にまで近づくと剣気を展開。闇を切り裂くような赤い輝きがうっすらと剣を包み込み、欠けることも折れることもない名剣へと姿を変える。
一歩。二歩・・・・・・。踏み込むごとに動きは加速していく。敵中に突っ込む。
振り下ろした剣は敵を両断する。その軌跡を描く赤の剣気は敵を切り裂くだけに留まらず錐のよう敵の身体を貫き、左右の敵を貫く。伸張しきった剣気は敵とともに爆ぜる。
降る血肉の中、リムルは皮肉を呟くように、
「五の剣、剣山。なんてね」
言ってるそばから加速度的に増える”彷徨う者”たちは押し潰すように飛びかかってきた。一度、剣を降ったとて倒すことの出来ない数にもリムルは動じることなく、身体に剣気を覆うだけだ。
小柄なリムルの身体に次々と覆い被さってきた。”彷徨う者”たちは自身の牙も爪も振るうこともなく数に物を言わせて押し潰しにかかってきた。数十もの死者たちの山が出来る。が、次の瞬間、赤光が閃き、幾つもの剣気の刃が敵を肉片へと切り刻んでいく。
七の剣、無刀陣。
半径二メートル圏内の敵は全て原型を止めることが出来ない。文字通り血の雨が降る。
攻撃こそ最大の防御を体現した無刀陣を展開したリムルを傷つけることはほぼ不可能。例え遠隔攻撃が来たとしても全て切り捨てる。
安全圏を形成したリムルは足下にある手頃な小石をいくつも拾っていく。
投擲、投擲、投擲・・・・・・。
計十四個の小石が敵に向かって飛ぶ。投げられた小石を基点に投げナイフの形状を取る。敵はそれを避けようとするが剣気で形作られたナイフは追尾して逃すことはない。
突き刺さったナイフは先ほどと同じように敵とともに爆ぜる。
三の剣、投擲刃。
半径十メートル圏内の敵を一掃し、吐息一つ。
「準備運動はこんなところで良いかな。そろそろ本格的にいこうか」
小さく深呼吸。手にした剣を握りなおす。
「八の剣、幻影刃」
呟いた瞬間、リムルの姿は掻き消え、周囲を取り囲んでいた”彷徨う者”たちが次々に切り伏せられていった。同時に、それも離れた場所で複数体の敵が倒されていく。
それはまるで敵と同規模の部隊が展開しているかのようだった。
斬檄と呻き声に混じって時折、クックッと言う笑い声が山林に響いていった。
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