カイトとアスカの二人は居間で仲良く、テレビを見ていた。
日曜日の昼は不思議とこれと言って見たい番組がない。
ゴルフのトーナメントやくだらないドラマ、面白くないバラエティが揃っている。
かといって何もすることがないので取り敢えずテレビをつけていた。
サスペンスドラマだ。そろそろ話しも中盤にさしかかってきた。
カイトはミカンを食べながらそれを見ていた。
一方、アスカもテレビを見ているのだが、斜め前のカイトが気になって内容が全然分からなかった。挙動不審ってやつだ。今朝からそうなのだ。
朝食にトーストとおみそ汁を出したのがその良い例。
その原因は今朝にある。

スズメの鳴き声を目覚ましにアスカは起きた。
小さい頃からの習慣で彼女は目覚まし時計が鳴らなくても定時に起きられる。
眠い目を擦りながらベッドから出ようとしたとき妙な違和感を感じた。
わたしの部屋って、こんなに本だらけだったっけ。
畳の上は一面、各種の本で埋め尽くされている。
まだ、寝惚けている脳は状況を良く判断出来ないでいた。
「?」
傍らに妙に温かいものがあるのをアスカは感じ、そっちに目をやった。
・・・・・・・・・・・・!!
眠気は吹っ飛んだ。今頃、衛星軌道上でグルグルしてるはずだ。
彼女の傍らには幸せそうな寝息を立て、眠っているカイトがいた。
何でここにカイトくんが!?
叫び声を上げそうになったが、必死でそれを飲み込む。
何で、何でカイトくんがわたしの部屋にいるの!? ・・・・・・はっ!
アスカは着衣に乱れがないかチェック。・・・・・・大丈夫だった。
少なくとも間違いはなかったみたい。
ほっと息を吐くアスカ。その時になってようやく周りの状況に彼女は気付いた。
ここって、カイトくんの部屋!?
顔を振って部屋の全容を確かめる。どう見てもカイトの部屋だ。
畳一面に散乱した本、テーブルの上のパソコンにマイこたつ。それに本棚に机。
何処からどう見てもカイトの部屋だった。問答無用にカイトの部屋だった。
何で、わたしがカイトくんの部屋にいるの!?
記憶を遡ろうとしても思い出せない。有馬に酒を飲まされたところまでしか記憶になかった。その後は綺麗さっぱり消えている。
もしかして、酔ったところをカイトくんに引っ張り込まれて。
その光景を想像して、思わず赤面するアスカ。
だが、それは断じてあり得ない。絶対に無いはずだ。
彼女はそう固く信じていた。・・・・・・でも、と言う気持ちもあった。
アスカがおたおたしているとむっくりとカイトが起きた。
一つ、大きな欠伸をする。
「おはよう」
寝惚けながらもカイトは朝の挨拶をする。
「お、おはよう」
カイトは寝ぼけ眼の笑顔を浮かべていた。
全く、邪気のない笑顔だ。

と言うわけでカイトは今朝、何があったのか全く知らなかった。
その上、彼はアスカが少しおかしいことにも気付いていない。
今朝のトーストとおみそ汁の組み合わせも、こう言うのもありかなとしか思っていない。筋金入りの鈍感である。
テレビの上に置いている時計が三時を指した。
少し調子の外れた鳥の鳴き声がする。
「よしっ」
カイトは立ち上がると自室の方に歩いていった。
「?」
それをアスカは小首を傾げて見送った。
しばらくして、戻ってきたカイトの手にはノートとはちまきが握られていた。
ノートをこたつの上に置くと彼は気合いを入れてはちまきを巻いた。
はちまきには赤で『必勝』の文字が書かれていた。祐介から餞別に貰った物だ。
「これを巻くと高校受験の時を思い出すよ」
「それを巻いて勉強したんだ」
ゆっくりと首を振るカイト。
「これを巻いて、お百度参りしたんだ」
「ははははっ、はぁ」
乾いた笑いをするアスカ。
数日前にカイトの部屋を掃除したときに出てきたテストの点を見て、ある程度の免疫を持ってはいたがさすがに彼女もこれには驚いた。
「ところでカイトくん。どうしたの、はちまき巻いて?」
「あぁ、これから『戦い』に行くんだ」
はちまきの『必勝』の文字が眩しい。
「ついに決意してくれたんですね。勇者になることを」
アスカは感動した。事ある毎に彼女はカイトに勇者になる修行をして欲しいとお願いし続けてきた。だけど、その度に彼は誤魔化してきた。
そのカイトが自分から『戦い』に行くと言ってくれた。
アスカは嬉しくて思わず抱きつきたくなったが、今朝のこともあって自重した。
「いや。勇者になって世界平和に貢献するのも重要かも知れない。けど、今回のはもっと重要なんだ」
もしかして、宇宙平和?そこまで、考えてたなんて。
「アスカ、手伝ってくれるよね」
「はい、勇者様」
もう、彼女の脳裏には今朝の事は綺麗さっぱり消えていた。
カイトが勇者としての自覚を持ってくれた事が素直に嬉しかった。
「それじゃ、これをよろしく」
そう言ってカイトはすでに用意していた用紙をアスカに手渡した。
「何、これ?」
それを受け取ったアスカは呆気にとられてしまった。
用紙には103号室 木内さん 104号室 中山さんと店子のみなさんの名前が書き連ねてあった。
「もちろん、今月分の家賃の納入表だよ」
「えっ!?」
「死活問題なんだ」
アスカの勘違いだった。思いっ切り頭を垂れ、落胆したのだった。
そんな彼女の思いを余所にカイトは気合いの入った表情をしていた。
カイトの生活費はこの家賃だけだ。福祉、保険、維持費を差し引いた額がそうだ。
食費などの生活費はもちろん、カイトの学費もここから出る。
確かに死活問題で世界平和よりも重要な戦いだ。
その事をカイトはアスカに蕩々と説明した。
そして、それに納得した彼女は快く加勢してくれることを承諾してくれた。
カイトは心強い味方を得たのだった。

玄関前でカイトは高らかに宣言した。
「作戦名 奇麗なバラには刺がある 始動」、と。
そして、アスカの手を取るとお互いの健闘を祈ると二手に別れた。

カイトの担当はマンション町中の上層部。つまり、四階より上全部だ。
この上層部は3LDKの造りで住人の大半は夫婦とその子どもで構成された家族が住んでいる。
彼らは決してカイトとは戦おうとはしない。ちゃんと家賃を払ってくれる。
彼らは家賃を払う事よりも世間体を重要視するからだ。
つまり、他人から家賃も支払えないような家庭だとは思われたくないのだ。
このマンション町中には拡声器ババア川崎さんとこの奥さんがいるのだ。
もっとも、上層部の人々は家賃をしっかりと払えるだけの経済力を持っている。
ただ、当たり前の事をやっている。それだけだ。
彼らは大家にとっては素晴らしい人々だった。
カイトは笑顔と共にそれぞれの部屋を回って家賃を回収していった。
一方、アスカが向かった下層部はその逆だ。
下層部の住人の大半は大学生やフリーター、独り者で構成されている。
造りも彼らのような人目当てのワンルーム。
彼らは上層部の人々とは違い、世間体よりも金を最優先する。
マンション町中に住んでいるだけのことはあり、彼らは手練手管に長じた人々で構成されている。そのため、カイトもこの層から家賃を回収するのは困難極まりない。何時も数名、回収し損ねてしまう。まさにここは戦場だった。
しかし、その戦場の最中をアスカは平然と勝利していった。
下層部の人間は世間体などは気にしない。異常なほどに。
だが、アスカが玄関前で「お家賃を戴きに来ました」と言えば、途端にドアは開かれ、泣きながら家賃を支払っていく。
彼らに世間体を気にする神経はない。しかし、美少女に対する気概だけはあった。
彼女に金払いの悪い男だと思われたくない!! そう思うのだ。
これはもう男の哀しい性としか言いようがない。
男とは斯くも哀しい生き物なのだ。
そして、遂にアスカは最後の部屋へと到達した。『105』号室に。
この部屋の主はカイトを相手に幾多の死闘を潜り抜け、そして勝利した人物。
上層部の人々は彼をマンション町中の影の支配者と呼び、そして、下層部の人々は恐れと尊敬を込めて下層部の化身と呼んでいた。
アスカはその恐怖の扉のインターホンを押した。
鉄の扉は重々しい音と共に開いた。
「こんにちは。皇聖院のおじさま」
「おぉ、アスカくんか」
そう、下層部の化身とはじっちゃんのことだった。
「どうしたんだね」
「お家賃を戴きに来ました」
と、元気に言ったアスカにじっちゃんは後ずさりした。
い、いかん!今月はDVDプレイヤーを買って金がいない!!
ならば、何時も通り、追い返すか。し、しかし。
うぅ、これがカイトだったら・・・・・・。
普段はカイトに新作OVAやゲームを貸してやると言って誤魔化していた。
それで引き下がるカイトもカイトなのだが。
それはともかく、じっちゃんは額に汗を浮かべた。
彼がここまで動揺するのは珍しい。
彼もまた、アスカに良いところを見せるかどうか悩んでいたのだ。
は、払うか。しかし、ここで払えば儂は餓死する!
じっちゃんの心の天秤が傾いた。
「済まんが、今は手持ちが無くてな」
言いにくそうに、実際、苦悩し、苦悶の表情を浮かべている、じっちゃんはそう言った。
済まん、アスカくん!儂はまだ、ここで朽ちるわけにはいかんのじゃ。
ビデオの録画だけは途中で止めるわけにはいかんのじゃ!!
じっちゃんは心の中でアスカに謝罪した。
「そうですか」
落胆したように頭を垂れるアスカ。
済まん!済まん、アスカくん!!
心の底から詫びるじっちゃん。
「なるべく早くお願いします。そうしないと、カイトくんが餓死しちゃいます」
アスカは両手を胸の前で組み、じっちゃんを見上げた。
彼女の声は僅かに鼻声だった。小さく鼻を啜る。
「!!」
じっちゃんは滂沱した。涙が後から後から止めどなく出てくる。
おたくは美少女に弱い。特に美少女の涙に。
「アスカくん。ちょっと、待っておれ!」
彼は部屋にぶっ飛んでいった。
部屋は意外なことに奇麗に整理整頓されていた。
世間ではおたくは汚い、不潔の代名詞とも言われているが、実際はそうじゃない。
おたくはちょっとした傷や汚れが気になってしまう。
故にプロのおたくは奇麗好きなのだ。
じっちゃんは神棚の上に置かれた封筒を手に取り、感慨深く見つめる。
神棚にフィギュアが置かれている。巫女さんの恰好をしている。
じっちゃんは一度、神棚の方を見た。
気のせいかフィギュアが笑ったように見えた。
一つ頷くとじっちゃんは玄関へと走り出した。
「さぁ。これを持っていくのじゃ」
突き出された封筒を手にしたアスカは中身を確認した。現金が入っていた。
「いいんですか」
「いいんじゃ。持っていくがいい」
涙を流していた。滝のような涙を。
「ありがとうございます」
「うむうむ」
じっちゃんは何度も頷いた。そして、思った。
カイトよ。この借りは必ず。
後日、じっちゃんはカイトの部屋から貸していたビデオを回収したのだった。
「それじゃ、失礼します」
「うむうむ」
こうして、アスカの戦いは無事に終わった。全勝である。
彼女は可愛らしいクシャミを一つ残して家へと戻っていったのだ。
「風邪かな?」

その少し前からアスカの活躍を影から見つめる者が一人。
トレンチコートを着て、顔はサングラスに大きめのマスクが覆っている。そして、すっぽりと帽子を被っている。いかがわしさと怪しさが同居している格好。
近くにお巡りさんがいたら必ず職務質問をしたはずだ。
あの娘、やるわね。・・・・・・おじさんを倒すなんて。
考えてみたらあたしも同じ手でおじさんを倒したんだっけ。
昔の事が思い出される。
もう、お分かりだろう。この妖しい人物は凪だ。
なんだかんだ言ってもアスカの事が気になったのだ。
有馬があそこまで持ち上げたのだ。気にならないはずはない。
職員会議が終わり、有馬の誘いを宥めてすかして蹴り飛ばして、ここにやってきたのだ。
そして、アスカを発見するなり、彼女は一定の距離を置いて、尾行を開始した。
ご近所に挨拶が出来るなどの凪が用意した関門をアスカは見事にクリアーしていく。そして、最後の関門であるじっちゃんからお家賃を戴けるかどうかも見事にクリアーした。見事の一言に尽きる。
分かったわ。二人の仲は認めて上げる。非公式にだけど。
がんばるのよ。
凪はサングラスとマスクを外し、溢れ出た涙を拭いた。

その凪を見つめる者が一人。
マンション町中の妖怪と評される川崎さんとこの奥さんである。
数時間後、マンション町中に妙な噂が流れたことは言うまでもない。




おまけ



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