時と場所が変わって、ここは酔っぱらいの巣窟。二丁目泥酔横町である。
そこら中、酔っぱらいの人々が歩き回っている。
肩を組み合って調子の外れた歌を歌っている人、電柱に説教する人、店の影で密かにケロケロしている人とある意味での修羅場と化している。
彼らこそ、我らが日本を支える人々。その名はサラリーマン。
日夜、リストラと住宅ローンと家族に脅える企業戦士達の休息地。心の洗濯。
それがここ二丁目泥酔横町である。
その中の一軒、居酒屋よっちゃんから一人の男が出てきた。
「ありがとやした!」
威勢の良い声と共に外に出た男は冬の冷たい空気に身震いした。
コートの襟を正す初老風の男性。冬田一雄教頭だ。
千鳥足で彼は歩き出した。
彼の顔は紅潮し、目は完全無欠に座っていた。
傍目にはイケナイお薬でいっちゃったように見える。実際、いってるのだが。
絶対無敵の酔っぱらい。それが今の彼だ。
「何処に目ぇつけとんじゃい!」
剃り込みの入ったパンチパーマに眉毛のない目が教頭先生を睨み付けた。
眼光で髭が剃れそうな鋭さを彼に浴びせかける。
化石と呼ばれても不思議じゃない格好をした兄ちゃんとぶつかってしまったのだ。
「何とか言えやぁ!!」
男は冬田教頭の胸ぐらを掴み上げた。
鋭い目で睨み付ける。謝るんなら今しかない。
だが、次の瞬間、冬田教頭は逆に睨み返した。
こちらはひごのかみ。つまり、小刀のことだ。
ぶつかり合った視線は火花を散らして一進一退を続けていた。
この緊張状態に気付いた酔っぱらいのみなさんも固唾を飲んで成り行きを見守る。
「何とか言ったらどうやぁ!」
化石兄ちゃんの気勢と共に彼の眼光が攻勢に出る。
眼光が冬田教頭の面前まで迫る。
瞬間、冬田教頭の目が見開かれた。
「ばかも〜ん!!」
冬田教頭の一喝が泥酔横町に木霊した。
静まるのは夜明けしかないと言われる泥酔横町が水を打ったように静かになった。
この瞬間、冬田教頭の眼光が化石兄ちゃんの眼光を押し切った。押し出しだ。
酔っぱらった彼は熱血最強になれるのだ。
「いい若い者がこんな所で何をしているんだ!」
「・・・・・・・・・・・・」
化石兄ちゃんは何も言えなかった。何もせずブラブラしていただけだから。
「何か君にも為すべき事があるだろう。若者がこんな所でぶらぶらしていちゃいかん!!」
そして、ビシッと指を指す。
「為すべき事を見つけ、邁進するんだ!」
「は、はい」
化石兄ちゃんは完璧に冬田教頭の気迫に飲み込まれてしまった。
それどころか、兄ちゃんのひねた心までも正したのだ。
「分かれば宜しい」
一つ、頷くと再び千鳥足で歩き始めた。
「あの・・・・・・お名前を」
肩口に振り向く。
「何、名乗るほどの者じゃない。がんばるんだぞ」
こうして、冬田教頭は皆の熱い視線を浴びながら泥酔横丁を去ったのだった。
化石兄ちゃんはこの日を境に更正し、後に伝説の鳶職、韋駄天の庵司と呼ばれるようになる。人との出会いが人を変える。

一方、説教した本人である冬田教頭は一人愚痴をこぼしながら、帰宅の途に着いていた。
千鳥足でふらふらと歩いていた。
ここが坂道だったら確実に転げ落ちているだろう。それほど、彼は酔っていた。
彼がこれほど酔うことは珍しい。煙草は全く吸わないし、酒も嗜む程度。
酒は飲んでも飲まれるな。これが彼の酒の嗜みだ。
酒を飲むなら飲み尽くせの有馬とは全く正反対だ。
その彼がこれほど酔うにはもちろん理由がある。
「くほぉ〜、お父さんはへらいんらぞぉ〜」
呂律が回っていない分、迫力に欠ける。だが、言いたいことは分かる。
彼も、現代に生きる夫であり、おとうさんなのだ。
家の中では邪険に扱われている。たまの休みで家にいると邪魔者扱いされる。
世帯主であり、大黒柱であり、稼ぎ頭であるはずなのに、何故か家族から温かく迎えて貰えない。哀しいかなこれが現実。たまには酔っぱらいたくもなる。
「お父さんは偉いんだぞぉっ!!」
教頭先生の叫びが犬の遠吠えと一緒に響き渡った。
「うるせぇ〜ぞ、酔っぱらい!!」
返ってくるのは罵声のみ。あぁ、無情。
がんばれ! 日本のお父さん!!
しかし、これが原因でここまで酔っぱらった理由じゃない。
多少は含まれているけど、それはちょっとした塩コショウのようなもの。
本当の酔った理由は職場での問題だ。
教員達の授業態度には真面目一徹、教育委員会万歳の彼にとっては堪えられないものがあった。しかし、林海学園最後の砦と教育委員会から称される彼は一生懸命がんばっている。例え、毎日胃薬を飲むことになろうとも。
そんな彼でも溜まったものを吐き出さなければやってられない。
それが今日、限界に達したのだ。ストレスの決壊だ。
決壊させた主原因は理事長と校長。つまり、有馬と凪の二人。
毎回の事とはいえ、職員会議の騒動は十分に決壊させるだけのものを有している。それに加えて、職員達の喧騒。決壊してもおかしくはない。
彼としては理事長と校長は毅然としていて欲しいのだ。何時如何なる時も。
それは少年時代に巡り会った教師への憧れからでもある。
毅然とし、真面目に物事に取り組む。それが彼の教師としての目標でもあり、今までそれを実践してきた。顔中の皺がその証。
そんな彼が何故、林海学園にいるのか謎ではあるのだが。
「おっととととと・・・・・・!!」
千鳥足はついに衝突、もつれ合い見事にぶっ倒れた。
ぶっ倒れただけではおさまらず、倒れた勢いで道脇の祠を盛大に壊してしまった。
小さな社は滅茶苦茶に壊され、中に納められていた御神体らしき小さな水晶球はアスファルトの道路の上で粉々になっていた。
街灯の光を反射して、キラキラと輝いている。
普段の彼なら一気に青ざめ、警察に出頭し、『一身上の都合により』と書かれた辞表を提出しているはずだ。
だが、今の彼は向かうところ敵なしの酔っぱらい。そんな事はお構いなしに、
「痛いじゃないか。誰だ、こんな所に祠なんかを作ったのは!」
と、悪態を付く始末。
『全くその通りだ。この祠のお陰で一体どれだけ我が難儀したことか』
何処からともなく返事が返ってきた。抑揚のない声だ。
地の底から沸き上がるような、それでいて良く響く声だ。
「誰だ!?」
冬田教頭は辺りを見回した。が、どこにも人の姿はなかった。
見えるのは電信柱から伸びる影。
ただ、妙にはっきりとした気配だけがあった。
『今の我は身体を持たぬ。永き時の末に朽ち果ててしまった』
「は?」
聞いているだけで背筋から冷や汗が流れ出しそうな声。
だが、今の冬田教頭は絶対無敵の酔っぱらい。そんな事を気にするはずがない。
『男よ』
「何だ?」
『汝の身体を我に捧げる気はないか?我に捧げれば、今では味わうことの出来ぬ快楽を与えてやろう。どうだ?』
「・・・・・・・・・・・・」
目を閉じ、腕を組み、黙考する冬田教頭。
『どうだ?』
「持ってけ、泥棒!」
なにをどう判断したのか彼は承諾した。
酔っぱらいには正常な判断力は無いのだ。
『感謝するぞ』
その言葉が発せられた瞬間、街灯が消え、周囲を漆黒の闇が包み込んだ。
闇の中心にいた冬田教頭は穏やかな流れを感じ、それに身を任せた。
母の胎内に戻る。そんな安らぎと闇を感じていた。
永遠とも一瞬とも感じられる時が流れた次の瞬間、そこには整然と立つ冬田教頭がいた。否、冬田教頭だった者がいた。
今の彼は異常なほど強い眼光と精気に満ち溢れていた。
「改めて感謝するぞ。身体、無くして力は発せぬのでのな」
冬田教頭ではない者の哄笑が響き渡る。
それに呼応するように獣の遠吠えが聞こえた。






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