翌日、フィーナはフェイに連れられ街にやってきた。
街と言ってもフィーナの知っている煉瓦造りの商店が立ち並ぶような場所ではない。そこら中に落ちている石で組み上げられ、泥で固めている建物が乱立している。そして、そこら中からは威勢の良い声が響いている。商人達の声だ。
だが、フィーナにはその声は届いていない。
彼女は顔一面に赤面し、俯きながらフェイの後に続いていた。
赤面の理由は昨晩にある。
二人はベッドを共にしたのだ。
フェイは元々一人暮らしなのでベッドは一つしかない。
どうやって寝るか多少、揉めたが最終的にはフェイの強引な理屈で収まった。
その理屈とは『フィーナが風邪をひくのは嫌だし、オレも風邪ひくのは嫌だから一緒で良い』というものだ。
お陰でフィーナは緊張して一睡も出来なかった。
そして、その緊張は今も続いている。
「よう、フェイ。街に来るなんて珍しいな。ん? その女は」
「フィーナって言うんだ。昨日、襲われそうになってた所をオレの者にしたんだ。それよりも、ウィルダム爺さんはまだ生きてるか?」
「まだまだ、健在だよ。また、上の話しでも聞きに来たのか?」
「まぁな」
「お前も好きだよな。まぁ、爺さんの話しは面白いには面白いがな。ところでフェイ。もう、やったのか?」
「まだ、やってねぇよ」
男はフェイの首に腕を絡ませ、声をひそめて言ったがその声はフィーナにも十分聞こえていた。
「ははははっ、照れるな照れるな。何事も素直が一番だぞ」
「だから、やってねぇって言ってるだろ!! それに昨日、会ったばかりなのにやれるかよ」
赤面しながらフェイは言い放った。
「そう言うことにして置いてやるよ。それよりも爺さんに会いに来たんだろ。早く行って顔を見せてやれよ。じゃあな、嬢ちゃん」
男は一度、大きくフェイの背中を叩き、笑いながら歩いていった。
「ったく、相変わらずだな。行くぞ、フィーナ」
歩き出すフェイの後をフィーナが続く。
「あの人、誰?」
「オルバの事か。あのオッサンは親父の友達だ。あぁ、見えて結構有名なミウルス使いなんだぜ」
昨晩、フェイの両親の事を聞いた。
彼の母親はフェイを産むとすぐに亡くなってしまった。
そして、父親はまれに生まれる突然変異のミウルスを鎮める為に出ていったきりで、行方不明になっている。

「あれだ。あれが、ウィルダム爺さんの家だ」
泥を積み上げて作られた家とは明らかに造りが違う。
しっかりとした煉瓦で作られている。街の人ととは格が違うのだろう。
フェイはノックもしないでドアを開けるとズカズカと中に入っていった。
「フェイ、いいの? 勝手に」
「いいんだいいんだ。そんな小さな事を気にする人じゃないから」
「で、でも」
「いいからいいから」
笑顔で手招きをするフェイの促されてフィーナは家の中に入った。
奥の部屋に入ると暖炉の前に座った老人がいた。
長い白髪と髭が彼の生きてきた年月を物語っていた。
それよりもフィーナの目を引いたのは暖炉に填め込まれたプレートだった。
「爺さん。こいつはフィーナだ。これからよろしくな」
「相変わらず唐突なヤツじゃない。私はウィルダムだ。よろしくなフィーナ」
そう言うと老人は眉を緩ませた。
「天空を舞う白鳥・・・・・・王家の紋章」
ポツリと呟いたフィーナの一言に老人の眉が上がった。
「フィーナ、フィーナ・リスティと申します」
フィーナはスカートの裾を持ち、ゆっくりと膝を曲げた。
「リスティ・・・・・・。お前さん、リスティ家の者か!? 父の名は?」
「ロルスインと申します」
「そうか、あの悪ガキが娘を授かったか。それで、父はどうしたのだ?」
「・・・・・・・・・・・・」
彼女は黙り込んだまま俯いた。
「愚問だったな。そなたがここにいると言うことはそう言うことだからな」
「・・・・・・・・・・・・」
フィーナは返事をしなかった。
「二人とも知り合いかなんかだったのか?」
「この方はラー・フィス国王子ウィルダム殿下よ」
「だった、じゃよ」
その昔、浮遊大陸で起きた戦乱の中で勇名を馳せた英雄がいた。
戦乱終息間際に彼は突然、その姿を消した。
そして、彼は現王の叔父にあたる。
彼の名はウィルダム・セル・クライ=フィスと言った。
「じいさん、そんなに偉かったのかよ。それならそうと言ってくれれば良かったのに」
「言えばどうなった?」
「肩ぐらい揉んでやったのに」
「ははははっ、ありがとよ、フェイ。だが、今はただの老いぼれに過ぎない。ただ、この街の行く末を見守る事だけを楽しみにしている老人よ」
「と言うことはウィルダム爺さんはこれからもずっと爺さんって事だな」
「そういうことじゃな。フィーナよ」
「はい」
彼女は小さく返事をした。
「お前には何か違う力を感じる。何があったのだ?」
フィーナの脳裏にあの光る巨人の姿が浮かび上がった。
その巨人に殺された人々の血の海。
暖かな力の事を。
「・・・・・・・・・・・・」
しかし、フィーナにはどうしてもその事を口に出来なかった。
彼女には自分の家族が皆、死んでしまった事を認められないでいたからかもしれない。それを認めてしまったら今のフィーナには生きる支えが無くなってしまうかも知れないからだ。
「では、ワークの樹はどうした?」
「!!」
微妙な間が流れた。
「なぁ、オレにも分かるような話しをしてくれよ」
その間をフェイが破った。
「少し黙っておれ」
ウィルダム老は静かに窘める。
「ちぇっ」
「・・・・・・枯れました。ワークの樹は枯れました」
消え入るような微かな声でフィーナは答えた。
「そうか、枯れたか。ならば、完全守護の力はお前に宿っているのか。見たであろう。その力の具現を」
「光の巨人、ですか」
「その様な姿で現れたか。完全守護の力はお前に危害を加えようとする者から絶対に護ってくれる。如何なる手段を用いてでもな。例えそれがフィーナの意思に反することでも」
「何故、そんな力が私に」
「これは儂の推測ではあるが。恐らく、ワークの樹がお前を護ろうとした結果だろう。ワークの樹は己の命を媒介にしてお前に完全守護の力を与えた。お前はワークの樹に好かれていたのだよ」
「そんな、私なんかに」
「ワークの樹のフィーナを守りたいと言う気持ちだけは分かってやってくれ。フェイよ、フィーナを守ってやれ」
「良く分かんないけど、フィーナはオレの者だ。守るのは当然だろ?」
「そうじゃな」
ウィルダム老の眉が僅かながら下がった。


街は闇に埋もれた世界を切り裂いたかの様に光を放っていた。
その光の有り難みが何であるか知る由もない者達は酒場で騒いでいた。
その酒場から男が二人肩を組みながら出てきた。
「ちっ。おい、背中を触るんじゃねぇ。傷に響くだろうが」
「おう、悪い悪い」
「くそっ、あのガキが。飛んでもねぇことしやがる」
「そうだよな。俺なんか両腕だぞ。もう少し腱が切れる所だったんだぞ」
「ったく、ついてねぇ」
男はそう言って小石を蹴る。
「今度会ったらただじゃおかねぇ」
「そうだそうだ!」
「詫び入れても許してやらねぇ。ション便漏らして命乞いするまでやってやる」
「ははははっ。その後、あの女を捕まえて」
「へへへへっ」
「はははははははっ!!」
笑い声を上げていた男は突然、その表情を強ばらせた。
「どうしてやろうか。なぁ」
「・・・・・・・・・・・・」
「おい、どうした?」
「あ、あいつだぜ」
誰も聞いてはいないのに何故か男は声を潜めた。
「おっ、あの女も一緒だ。どうする、不意をついてやっちまうか」
「駄目だ駄目だ。あいつら、ウィルダムじじいの家から出てきやがった。あのじじいの知り合いじゃ、下手に手は出せねぇ」
「くそっ、運のいいガキ共だぜ」



星空だ。当たり前のように輝いている。
月はそれらを包み込むような優しい光を放っている。
「星がきれい」
「そうか? オレには何時もと同じ様に見えるけどな」
「きれい」
上の大地にいた頃は夜になっても何かしらの光があった。
その光は星や月の光を隠してしまっていた。
「いい人ね。ウィルダムさんって」
「まぁな。でも、時々口うるさい時もあるけどさ」
フィーナは小さく笑った。
「何にせよ、今日は爺さんの所で飯が食えて良かったよ」
ウィルダム老の家でフィーナは上と同じ様な食事をした。
たった一日しか経っていないのに何年もしていなかったような感じがした。
大きな影が二人を覆った。
二人は顔を上げるとそこには巨大な何かがあった。
それは明らかに二人の方に降りてきていた。
「な、何だよ。・・・・・・あれ」

降り立った、それは二体の土塊で出来た巨人だった。
身長だけでも有にフェイの三倍はある。
「骸騎兵」
フィーナはポツリと呟いた。
彼女を庇う様にフェイは緊張感を持って骸騎兵を睨み付けていた。
「オレ達に何のようだ!」
一拍おいて、
「女を捜している。上から来た髪の長い女だ。そうだな、丁度お前の肩ぐらいの背丈だ。知らないか?」
フェイはすぐフィーナの事を探しているのだと分かった。
背中からフィーナの震えを感じてる。
「知らないな」
端的に答えるフェイ。
「後ろの奴はどうだ?」
一瞬、フィーナは肩を震わせ、首を左右に振った。
「・・・・・・顔を見せて見ろ」
背中からの震えが増した。
「こいつはそんなのじゃねぇよ。人捜しなら街に行ったらどうだ」
「いいから見せろ」
「だから、こいつはそんなんじゃ無いって言ってるだろ!!」
「邪魔だ。どけ!」
右の骸騎兵がその手を振り、フェイを弾き飛ばした。
「フェイ!!」
フェイの身体は数回転がり、止まった。
彼はすぐに起き上がった。
「逃げろ、フィーナ!!」
「でも」
「いいから、逃げるんだ!!」
フェイの声に突き動かされたかのようにフィーナは駆け出した。
「フィーナ!? あの女だ」
「あいつはどうする」
「放っておけ。どうせ、何も出来やしない」
左にいた骸騎兵は宙に浮かび上がり、フィーナの後を追った。
一拍おいて、もう片方の骸騎兵も歩き出した。
「止めろぉっ!!」
フェイは剣を振り、骸騎兵の脚を切り付け続けた。
だが、それは骸騎兵を覆っている岩を僅かに砕く程度だった。
「くそ、くそっ!」
ひたすら、フェイは剣を振った。
「邪魔だ」
骸騎兵は軽く、フェイにとってはきつく、脚で払った。
「わぁぁぁぁっ!」
その衝撃でフェイの意識は昏倒した。

空からフィーナを追っていた骸騎兵は彼女の前に着地した。
後ろからも骸騎兵は来ている。
「諦めて戻るんだ。素直に戻ると言うのだったら、両親の墓前に案内してやる」
「!!」
「いくら、罪人とは言え貴族だ。それなりの墓は用意されている」
骸騎兵はその手でフィーナを捕まえようとした。
「いやぁぁぁぁっ!!!!」
「な、何だ!?」
フィーナの身体が緑色に光ったのだ。
驚いた骸騎兵が身を引くと、その右手は崩壊した。
「!?」
光は具現化し、一人の巨人を形作った。
その瞳には明確な意思だけが存在した。
『守る・・・・・・護る・・・・・・まも・・・・・・』
実体はない。だが、力と意思だけがそこにいる。
純粋な意志は最高の力を有する。
純粋な以外に最高の力を有するに値しない。
巨人は視線を集中させた。
視線を送られた骸騎兵は動くことが出来なかった。
生物には等しく恐怖を有している。恐怖は生物に通常以上の力を発揮させる。
だが、死に対する恐怖はそれとは違う一面も有している。
過度の緊張で身体を硬化させてしまう。
それは相手が自分よりも遙かに強大な時により顕著にでる。
骸騎兵はまさにその状態になっているのだ。
「・・・・・・いやだ。・・・・・・死にたくない」
か細い消え入りそうな声は風に流されていった。
その恐怖は周りに放出され続けた。
だが、純粋な意志のみを有する巨人にはそれを捉える心を有してはいない。
純然たる意思『完全守護』以外有してはいない。
巨人はその手に剣を発した。
「・・・・・・・・・・・・」
もはや、目標となった骸騎兵に声を上げることすら出来ない。
もう片方の骸騎兵も恐怖で動けない。
だが、目標のそれとは比ではない。
巨人は無駄な動作もなく剣を振り下ろした。
骸騎兵は頭部から両断され、血を吹き出し、ただの紅く染まった土塊へと還っていった。ただ、それだけ。
「わ、わぁぁぁぁぁっ!!!!」
その衝撃で残りの骸騎兵はようやく恐怖という名の呪縛から己を解き放つことが出来た。
骸騎兵は巨人を背に逃げ始めた。だが、それを巨人は許さない。
守護すべき者に対して一度でも危害を加えた者は絶対に殲滅する。
もし、ここで逃せば将来の禍根になる恐れがある。
巨人は身体を骸騎兵に向け、視線を集中させた。
恐らく骸騎兵はその視線を感じているだろう。それは心臓を捕まれている様な気分だろう。
「やめて」
巨人は瞬時に骸騎兵との間合いを詰め、剣を振り上げた。
目標は何もないのに蹴躓いた。
そのせいで剣は骸騎兵の頭部を外し、肩口から剣は降りた。
それでも骸騎兵はその形を崩し、土塊へと還っていった。
土塊の中から軽鎧を纏った兵が這い出てきた。
「あ、あぁぁっぁあぁっ」
兵士は叫び声を上げた。
彼は視線が泳いでいた。
不意に兵士の眼の中にフィーナの姿が飛び込んできた。
全ての元凶はあの女だ。
兵士は剣を抜き、フィーナに向かって走り出した。
あの女を殺せばおれは生き残ることが出来る。
死ななくて済む。
「・・・・・・・・・・・・」
フィーナの眼に恐怖の色が宿った。
だが、声が出なかった。
眼前まで兵士が迫った。
「死ねぇぇぇぇぇっ!!!」
兵士は剣を振り上げた。
その瞬間、兵士の身体は弾けた。
フィーナは全身でその血を、その肉を浴びた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
フィーナの絶叫が大地に響きわたった。


10

男は窓際に立ち、一つため息をついた。
「困ったことになりました」
「確かに。『完全守護』の力が発動するとは。どうなさるおつもりか? 正直、あなたがどのような手を打つのか興味がある」
「すでに手は打ってあります。奴隷は幾らいても困りませんからね。それよりも兵士達の遺族にはどのような報告を?」
豪奢な椅子に座った男はワイングラスを回しながら、
「国境警備中に落雷に遭い死亡、と言う事にしておきました」
「妥当ですね」
「技術部からの報告です。素材が戻り仕出しすぐにでも実行可能だそうです」
「もうじき、下準備が終わるか」
男は外を眺めながらほくそ笑んだ。


11

フィーナの身体から水滴が落ちた。
全身に浴びた血は今、彼女の足下に溜まっている。
哀しかった。だけど、何が哀しいのか分からなかった。
フィーナは手で顔を覆った。止めどなく涙が流れる。
彼女は声を殺して泣いていた。
「どうした、フィーナ」
その声を聞き付けたフェイが飛び込んできた。
「そうだった!」
フェイは彼女が行水している事を忘れていた。
「フェイ!」
涙を流したフィーナは正面のフェイに顔を上げた。
「あぁ、悪い。悪かった」
「フェイ!!」
ただならぬフィーナの雰囲気にフェイは真顔に戻った。
「・・・・・・フェイ」
彼女は両手を自分の顔に当て、叫びに近い泣き声を上げ言葉を続けた。
「私の、私の目の前でお父様が、家のみんなが殺されて。気が付いたら、私が兵隊を殺してて、それで、それで」
「フィーナ」
フェイはゆっくりとフィーナを抱きしめた。
彼は自分の胸の中で泣き続けるフィーナの柔らかな髪をゆっくりと撫で続けた。
やがて、フィーナの嗚咽は収まる。
フェイはゆっくりと彼女から身体を離すと自分の手をフィーナの両肩に置いた。
僅かながら、フィーナはフェイの顔を見上げる。
唇が触れ合う。
一瞬、驚いたように瞳を見開いたが、フィーナはゆっくりと目を閉じた。
彼女の瞳から一筋の涙が流れた。悲しみの涙ではない。
長いようで短い時が流れると、どちらとも無く唇は離れた。
フェイはフィーナの身体を抱え、ベッドに横たえた。
「あっ」
「大丈夫。力を抜いて」
フィーナが安らげるようにフェイは彼女の髪を数度、ゆっくりと撫でた。
「・・・・・・うん」
フィーナの身体から強ばりが消えた。

朝日の優しい光が窓から射し込んできた。
その光でフィーナは目覚めた。
「んん・・・・・・」
彼女は身体を起こした。
不意に昨晩の事を思い出して、赤面した。
自分が今も一糸纏わぬ姿だと言うことにも。
フィーナは横を見た。
すぐ横で寝ていたフェイの姿なかった。
彼女はフェイの姿を探そうと首を振った。
だが、やっぱり、そこにはいない。
「起きたか。こいつを着ろよ」
そこにはフェイの笑顔があった。
「うん」
フィーナも笑顔で応えた。
「朝飯にしようぜ」
「うん」

テーブルの上にはこの前と同様に肉の塊が置かれている。
フェイは手際よく肉を皿に切り分け、フィーナの前に出した。
「ほら、胡椒。昨日、爺さんからもらったヤツ」
「うん」
フェイは自分の皿に軽く振るとそれをフィーナに渡した。
彼女は塩胡椒を振り掛けると瓶をテーブルの上に置いた。
「今日な。昨日、爺さんに頼んでたのを取りに行って来るから。フィーナは留守番を頼むな」
「うん」
「何か、さっきからうんばっかりだな」
「うん」
「ほら」
「うん・・・・・・あっ」
「ははははっ」

街に着くなり、フェイは黒山の人だかりを眼にした。
「何だ、あれは?」
人だかりを横目にしながらも彼はそこを通り過ぎた。
ウィルダム老に頼んでいた物とはフィーナの身の回りの物だ。
下の大地では浮遊大陸の者が身に付けるアクセサリーや服などは権力者の力の象徴になるのだ。街の実力者にフィーナの着ていたドレスをウィルダム老に頼んで物々交換を申し出て貰っていたのだ。
フェイはウィルダム老宅のドアを数回叩いた。
そして、返事を待たずにドアを開ける。何時ものことだ。
「爺さん、頼んでた物なんだけど。爺さん?」
彼の声を聞き付けて初老の女性が奥から姿を現した。
「あっ、フェイさん」
「コルさん。爺さんはどうしたんです?」
「ウィルダムさんは少し体調を崩されて寝込んでます。何かご用があったんですか?」
この初老の女性は年老いたウィルダムの世話をしている。
「爺さんに頼んでいた物があったんだけど」
「あっ、その事ですね。最近、とみに物忘れが多くて。それなら、ウィルダムさんの手紙と一緒に私が交換に行って来ましたよ。少し、待ってて下さいね」
しばらくして、コルは手提げを持ってきた。
「はい、これ。そうそう、フィーナさんでしたっけ。私も一度お会いしたいわ」
「今度、爺さんの見舞いに一緒に来るよ」
「そうね。それまでにウィルダムさんには元気になって貰わないとね」
「あぁ。それより、コルさん。何か、街が騒がしかったけど」
コルは窓の外を見た。
「上の大地から誰かが来たらしいのよ」
老女は何か哀しそうな顔をした。
話しはしないが昔、何かあったのだろうか。
「ふぅん。また、狩りにでもいくのかな」
「どうでしょうね」
少しの間が流れた。
「それじゃ、そろそろオレ」
「あら、もう帰るの?」
「フィーナも待ってるし」
「そうね。近い内にまた、いらしてね」
「うん。そうするよ」
「最近、夜は冷え込むから寝冷えに気を付けるのよ」
「大丈夫だよ。フィーナと一緒に寝てるから。それじゃ」
「まぁ」
彼は一度、コルに笑顔を見せウィルダム老宅を後にした。


12

フェイの足取りは軽かった。
それが何故だかは彼にも分からなかった。
そんな彼を付けている者がいた。
フェイに傷付けられた二人だ。
「まさか、こんなに早くチャンスが訪れるとは思わなかったぜ」
「このまま、ヤツの家まで付けて寝込みを襲うか?」
「お前、聞いてなかったのか?」
「何を?」
「今日、上の大地のヤツが来たのは知ってるだろ。そいつらがあの女を捜してるんだよ」
あの女とはフィーナのことだ。
「って事はあの女の居場所を教えてやれば、俺達は」
「そうだ。俺達は上の大地の住人になれるんだ」
「すげぇ。大出世じゃねぇか」
「お互い、しくじらない様にな」
「もちろんだ」
下の大地の者にとって浮遊大陸の者達に対して畏敬の念を持っていた。
まれに褒美と称して浮遊大陸に連れて行かれることがある。
浮遊大陸に行った者は二度と下の大地に戻ってくることはなかった。
その為、下の大地の者は浮遊大陸はこことは比べ物にならない程、素晴らしい場所なのだと言う、妄想に駆られているのだ。
だが、その実は下の大地の者達を奴隷にする為に浮遊大陸に連れて行っているに過ぎない。
浮遊大陸の者も上の大地に連れて行ってやるとだけ言っている。
待遇などは全く話してはいない。いや、話す必要がないのだ。
奴隷として使い捨てるだけなのだから。
彼らが下の大地に戻ってこないのではなく、戻れないのだ。
この二人もその妄想に取り憑かれてしまっていた。






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