第一章

第四話 着れない、乗れない、戦えない? 前編

 宰相派、反撃を開始す。
  この急報は瞬く間に首都エグゼリスを駆けめぐった。王城と各軍の駐屯地とを頻繁に行き来する伝令や身なりの良い武官たちの動きが自然と戦が始まることを報せていた。
  作戦会議での決定を聞いた各軍の参謀たちはすぐに与えられた任務を全うできるように現場での部隊配置と行軍計画の作成に着手。現場指揮官たちは兵たちと共に急遽作り上げた駐屯地の撤去とその資材を馬車に乗せ始めた。エグゼリス周辺に駐屯していた八万近くの兵は嫌でも高まる戦意のなか戦場に向かうべくそれぞれの役目を全うしようとしていた。
  高揚感に包まれているのは兵たちだけではない。エグゼリスに住まう者たちもまた同じように動き出していた。まず、各軍の輜重部隊は籠城や凶作のために備蓄していた食料庫を全て開放し、その倉庫群を中心に運送業者たちの大型馬車が終結をし始めた。この戦乱を利用して宰相派に恩を売ろうとする商人たちは資金や物資の提供を申し出てきた。それだけではなく都市の若者のなかには義勇兵として参戦することを申し出る者まで現れた。だが、武器の扱いはもちろん行軍の仕方も分からない彼らを戦場に送るわけにはいかないので予備軍に所属させて下士官たちに訓練をさせることにした。
  内乱終結後も軍に残るというのなら、戦力の補充が比較的容易に行える。
  彼らがこうした自発的な動きを見せたのには訳がある。兵たちの高揚感が伝染したこともあるが、実際のところは宰相派の軍が出陣すれば結果はどうあれエグゼリスで市街戦が行われることはないだろうと考えたからだ。
  宰相派が勝てば支援した見返りに幾ばくかの恩賞にありつけ、もし負けても市街戦に巻き込まれずに済むと考えたのだ。何しろここはラインボルトの首都、魔王のお膝元なのだから無茶なことはできないと。
  この彼らの確信は、アスナが後継者として召喚されたことが裏付けとなっていた。
  双方の考えの違いはあってもエグゼリスはその全ての力をもって出陣の準備を始めていた。

 そのころ、アスナは宛われた部屋でストラトに手伝ってもらいながら鎧を脱いでいた。
  出陣を前にして鎧を着ているのではない、脱いでいるのだ。
  さきほどまで彼も近衛騎団の者たちと同じ鎧を纏っていたのだが、普段から鍛えていない彼では正直、重すぎた。何しろ全重量は三十キロ近くある。
  戦場に出る以前の問題でただ立っているだけで疲れてしまう。
  こんなクソ重いもの着てよく走り回れるな、とヴァイアスたちに感心するアスナだったが実はこれにはタネがある。近衛騎団や魔軍といった精鋭軍の鎧の各所には小さな半球体が取り付けられている。この半球体、補強珠が自らに貯め込まれた魔法力を用いて鎧の重量軽減を行っているのだ。これだけ便利なのだから全ての兵にもこの補強珠付きの鎧を纏わせれば良いと考えるだろうがそうはいかない。重量軽減といった大きな力を持つ補強珠は制御が難しく魔法の素養をもつ者でしか扱えないのだ。
  そんなことを知らないアスナはひたすらに重い鎧から解放され、そのままベッドの上に倒れ込んだ。はっきり言って纏っているだけで疲れた。
「ストラトさん、どうしましょう。鎧が着れないってまずいですよね」
「そうですな。近衛騎団が護衛に付くとは言え、万一ということがございますので。今、アスナ様が纏っておられる服にも多少の防御力がございますが」
「ホントですか!」
「はい。ですが、それで戦場に立つのは些か問題があるかと」
  参った。まさか戦場に立つだけでこんなにも苦労するとは思わなかった。
  アスナはベッドに突っ伏したまま一人唸り声を上げていた。
  その彼の様子に苦笑を浮かべたストラトは「手がないわけではありません」と話し始めた。文字通りアスナは飛び起きた。
「なんです、それ」
「はい。城の宝物殿の中に白龍の鎧と呼ばれる宝物がございます。その昔、このラインボルトに深手を負った白龍が舞い降りたことがあり、当時の魔王はその白龍を手厚く看護することを命じられたのです。その恩に報いるべく白龍は自らの鱗を王に与えたと伝え聞きます。白龍の鎧はその鱗から作られているのです」
「へぇ、龍もいるんだ」
「はい。龍は孤高の獣とも呼ばれ、主もしくは友と認めた者以外には身に触れさせることがない尊き存在にございます。その白龍の鱗から作られた白龍の鎧は龍が持つ守りの力を宿しているのです。私も何度か目にしておりますがとても美しい鎧にございます」
「へぇ。けど、やっぱり鎧なんだから重いじゃないかな」
「羽のように軽いとは申しませんが、鱗で出来ているので獣の皮で作られた鎧と同じぐらいの重さです。アスナ様でも問題なく纏うことができるかと」
「だったら、それを持ってきて下さいよ」
「申し訳ありませんがそれはなりません」
「えっ、なんで」
「宝物殿の鍵は先王よりエルトナージュ様に預けられております。まずはエルトナージュ様のお許しをいただかなければなりません」
  エルトナージュという名前を聞いてアスナは思いっきり肩を落とした。
  彼女を説き伏せるのは骨が折れる。それに今、自分を試されている以上、こっちからは頼みづらい。かといってこのまま出陣するのはかなり不安がある。
  ベッドの上で唸りながら転がっているとノックがした。
「はい」
「少し話があります。よろしいでしょうか?」
  噂をすればなんとやらである。エルトナージュだ。
  ゴロゴロしててもしょうがない。当たって砕けろとアスナは話すことに決めた。
「ちょうど良かった。こっちも君に話があったんだ」
「話ですか。なんでしょうか」
「うん。……あのさ、ちょっと宝物殿の鍵を貸してくれないかなぁって思って」
「何に使うおつもりなんですか?」
「まぁ、何というか白龍の鎧って言うのを借りようかなぁって。ほら、この鎧だと重すぎて身動きでいないから。鎧とかなしで戦場に立つのはやっぱり危ないだろ。だから……ダメかな?」
「ダメです」
  にべもないお言葉である。
「なんでだよ。防具なしで出陣するってやっぱりまずいだろ」
「宝物殿に所蔵されている宝物は全て魔王の物であり、国の物です。わたしの一存で使用するわけにはいきません」
「でも、宝物殿を管理してるのはエルトナージュなんだろ」
「あくまで管理しているだけです。所有者はあくまでも魔王以外におりません」
「だったら問題ないんじゃないの? 一応オレ、後継者ってことになってるし」
「後継者は後継者です。まだ、魔王ではありません」
「ケチ、石頭」
「何とでも仰って下さい。それに宝物殿に納められている武具は強力なものばかりで危険です。それにお忘れですか。わたしたちはこの戦いで貴方がラインボルトを率いるに値する人物であるか試すと言ったことを」
「だったらどうすればいいのさ。防具とかがないんじゃ……」
  言い終わらない前に彼女は何かを差し出した。楕円の蒼い珠のペンダントだ。
  なぜか彼女はそっぽを向いている。
「近衛騎団が守護するのですからこれで十分です」
  ペンダントを乗せた右手をさらに差し出す。なぜか頬がうっすらと赤くなっている。
「エルトナージュ?」
  分からないといった風にペンダントと彼女の顔を交互に見る。
  いつまで経っても受け取らないアスナに業を煮やしたのかエルトナージュは歩み寄ると、
「これをどうぞ!」
  押しつけるようにしてペンダントを渡した。
「使い方はミュリカにでも聞いて下さい。それでは失礼します」
  早口でそれだけ言うと彼女は逃げるように回れ右をして部屋を出ようとする。
「ちょっ、エル!」
「エルだなんて呼ばないで下さい!」
  噛み付かんばかりの声を上げてエルトナージュは去っていった。
  あまりのことに呆気にとられたアスナの背中でストラトが小さく吹き出した。
  振り返ると笑いをこらえているストラトの姿があった。
「ストラトさん?」
「申し訳ございません。あまりにも姫様らしからぬことでしたので」
「そうなんですか?」
「はい。それよりも何を受け取られたのですか?」
「ペンダントみたいなんですけど」
  手のひらに乗せたそれをストラトの前に差し出す。
  ストラトは少し驚き微笑を濃くした。
「ストラトさん?」
「良い物をいただきましたな。それは魔導珠と呼ばれる物です。恐らく護りの力が込められているはず。詳しい使い方は姫様が仰ったとおりミュリカ殿にお聞きした方がよろしいかと」
「へぇ」
  何も分かってない風なアスナにストラトは小さく苦笑すると足下に散乱している鎧の片づけを始めた。
  出陣までまだ時間はある。その間、この一人で悩みや責任を背負い込もうとする年若い主が不要な緊張に囚われないようにするのが自分の役目だと定めたストラトは次にどんな話をしようかと考えていた。
  いやでも軍靴の音は近づいているのだ。だったらギリギリまでなんでもない話をするのは罪ではないはずだ。

 予想外の問題が起きていた。出陣の土壇場になってそれはないだろうと言うような大問題だ。これでは本当に戦にはならない。
  ある意味、予測してしかるべき事態だったのだろうが、ミュリカもあまりの忙しさに失念していた。いくら新兵を教育する教導軍の下士官たちでもこんな短時間ではどうしようもないだろう。第一、この土壇場になってあんなことを言うのは卑怯だ。
  悪いのはアスナなのに、文句を言われるのは絶対に自分だ。これは間違いない。
  絶対に割に合わないと思う。
  かといって自分からアスナの面倒を引き受けたのだから誰にも文句が言えるはずがない。ヴァイアスは騎団全体の指揮を執っているし、副長のデュランは別働隊の準備をしている最中だ。とてもじゃないがアスナの面倒を見ている余裕なんかない。
  理性ではそのことをよく分かっているのだが感情がそれを許そうとはしない。
  なんだってこんな土壇場にあんなことを言い出すんだろう。
  馬に乗ったことがないだなんて。
  厩舎に居並ぶ名馬を前にしてミュリカは盛大にため息をもらした。普段は気にならない馬の獣臭さが妙に鼻について苛立たせる。
  出陣まで残り二時間。集合は出陣の一時間前の予定だから残り時間は圧倒的に少ない。
  その上、アスナの出陣を止めることもできない。
  先ほど自分も出陣すると将兵の前で演説をしたのだから。
  今、思い出しても見事なまでのやせ我慢演説だったなとミュリカはアスナを誉めてやりたいところだが、こういう事態になると分かっていたのならあらゆる手段を講じてでも止めるべきだった。
  アスナの演説を聞いた将兵は士気を高ぶらせ己の使命を全うしようと動き回っている。
  こんな状況で彼の出陣を取りやめにしたら、ただでさえ数の上で劣勢なのだ。ここで士気を落としてしまったら敗北することは目に見えている。
  エルトナージュの許可をもらって魔王所有の名馬を使うことを許されたもののどの馬も初心者が乗るには危なすぎる馬ばかりだ。
  気性が荒いわけではない。力が強すぎるのだ。
  幻想界の馬は現生界でいう天馬そのもの。誇大ではなく駿馬であれば、一日で万里を駆けることも不可能ではない。その中でも軍馬は機動力や対魔法防御能力を強化させるために魔導処理が施されている。
  素人が、それ以前に並の人族が制御できるような代物ではないのだ。
  いっそのこと食料なんかと一緒に馬車に乗せてみるか。多少、車酔いするようなことはあっても落馬の危険はない。うん、これは良いアイデアだ。
  思わずグッと拳を握り、会心の笑みを浮かべるミュリカ。
  だが、彼女はすぐに重大なことを思い出し、再び白くなった。
  近衛騎団は全軍が見守る中、第一陣として出発するのだ。
  全軍が見守る中、ラインボルト最精鋭軍である近衛騎団の勇士たちと共に物資を満載した馬車に乗って出陣する総大将。
  ダメだ。カッコ悪すぎる。これでは全軍の士気が落ちてしまう。
  だったら全軍から見えない位置まで馬で移動し、途中から馬車に乗り換えるのはどうだろう。これなら少なくとも第二陣以降の部隊の士気が落ちることはないはず。
  ……これもやっぱり、ダメだ。得意技がやせ我慢のアスナでも、馬は敏感に彼の不安を感じ取り、彼を乗せることを嫌がるかもしれない。出陣前のある種独特の空気の中では、それが顕著に現れる可能性は十二分にある。下手すれば落馬なんてことも……。
「あぁぁ、もう。どうすれば良いのよ」
  馬小屋の前で頭を抱えるミュリカに彼女を苦しめている張本人が声をかけた。
  ストラトが影のように彼に従っている。
「どう。オレの乗る馬、見つかった?」
  人の苦労も知らないで暢気な顔をしているアスナに思わず彼女は殺意を抱いた。
「な、なに。どうしたんだよ」
  あれでも一応、主なんだからとミュリカは深呼吸を三つ。どうにか落ち着いた。
「何でもないです。ちょっと、対処できない事態に少し殺意を覚えただけですから」
「よくわかんないけど、無理しないようにな」
  俯いて肩を振るわせるミュリカを横目に、
「ではアスナ様、私は仕事に戻らせていただきます」
「ごくろうさまでした」
「ミュリカ殿、後はよろしくお願いします」
「あっ、はい。分かりました」
  仕事に戻るストラトの背中を見送ると、
「で、馬は見つかった?」
  ダメだ。この人族は事態の深刻さをまったく理解していない。ミュリカはついに決意してはっきりと言うことにした。
「……アスナ様、一つ提案があるんですけどよろしいですか?」
「なに?」
「馬ではなく馬車での移動に変えませんか?」
  多少、士気が低下することよりもアスナの安全の方が大切だ。……しかし、
「やだ」
「なんでですか。素人に軍馬は制御できないんですよ」
「だって、カッコ悪いだろ!」
  殴ってやろうかとミュリカは半ば以上本気で思った。
  恐らく全軍の士気なんてことを考えてはいないだろう。純粋にカッコ悪いからとしか考えていないに違いない。あたしがそう思うんだから決定的だ。
  何しろ人を振り回せて平気なところが某騎団の団長そっくりなのだから。
  そう思ったらミュリカのなかでプツンと何かが切れた。
「もう! はっきりと言わせてもらいます。アスナ様は仰ることが唐突すぎるんです。この土壇場になって馬に乗ったことがないなんて仰られてもどうすることもできないんです。次善策として馬車に乗ったらどうかって提案すればカッコ悪いからって仰るし。分かってるんですか。言うのは簡単でしょうけど、実行する身にもなってください」
「……ミュリカさん?」
「それにご自分がヴァイアスを落っことしたのにあたしのせいにしましたよね。ホントに大変なんですよ。この一件が終わった後、絶対にあのときの借りだって言ってあたしに恥ずかしいことさせるに決まってるんですから。分かってるんですか。ホントに恥ずかしいんですよ!」
  真っ赤になって、涙を浮かべながらミュリカは訴えた。
  あまりに事態が切迫しすぎてついに感情の一部が決壊してしまったのだ。
「ちょ、ちょちょいちょい待った、待った!」
「責任取って変わりに恥ずかしいことやってくれるんですか?! もしそんなことしたら浮気ですからね。いくらアスナ様でも許しませんよ」
  見事なまでに支離滅裂である。あまりにも話の方向性がずれてしまいアスナは狼狽えるしかない。考えてみれば幻想界に来てから自分が全体を振り回しているのか、自分が振り回されているのか分からない。少なくともミュリカの暴走の前には無力そのものだ。
「ただでさえリムルのことで手一杯なのにこれ以上、不安のタネが増えたら対処できなくなるんですから。絶対に絶対にぜぇ〜ったいにダメですからね!」
「ミュリカ、落ち着いて。なっ」
「これが落ち着いていられますか! ヴァイアスとすぐに意気投合するから何となく怪しいなぁなんて思ってたらやっぱり……」
  ダメだとばかりに空を仰ぐアスナ。空は雲一つなく朱に染まっている。
  そのアスナの襟をミュリカは掴んだ。興奮しすぎて涙目になっている。
「聞いてるんですか、アスナ様!」
「聞いてます。はい、それはもう」
  と、アスナの危機を救うように声が割り込んできた。天の助けだ。
「出陣前で気が高ぶるのも分かるが厩の前で騒ぐでない。馬たちが脅えておるぞ」
  見ればそこには鞍も轡もつけてない葦毛の馬がいるだけだ。他に誰もいない。
  改めて周囲を見回してみるが誰もいない。馬だけだ。なのにミュリカは唐突に、放り出すようにアスナから手を離し背を伸ばして馬に頭を下げた。身代わりが早い。
「お久しぶりです」
「相変わらずのようだの、ミュリカ」
  馬が口を動かし喋っている。アニメとかではそうでもないがリアルだとかなり怖い。
  その証拠にアスナはやや腰が引けている。
「馬が馬だ!」
「馬には違いありませんけど。アスナ様、あからさまに仰るのは失礼です」
「いやでも、馬なんだぞ!?」
「鹿には見えませんね」
  妙に楽しげな口調だがアスナはそれどころではなかった。何しろ馬が喋っているのだから。そんな彼の態度が可笑しかったのか馬は声を上げて笑った。
「いや、失礼した。そうか、貴方が後継者殿下であられたか」
  馬はゆっくりとアスナをなめるように見えた。猛獣に出くわしたかのようにアスナは冷や汗をダラダラと流しながら固まった。
「そう堅くならんでもよろしかろう」
「無理もありませんよ。幻想界でもしゃべる馬なんて滅多にいないんですから。現生界出身のアスナ様が驚かれるのも無理ありません」
「それもそうだの」
  そう言ってどこぞのご老公よろしくカラカラと笑ってみせる。
「ホントにしゃべる馬なんだ」
  アスナもさすがに認めなければならなかった。幻想界なんだからしゃべる馬がいても不思議じゃないと。それでも喋っている姿が不気味であることには違いないのだが。
  おっかなびっくりで首筋を触ってみる。どこか気持ちを落ち着かせる温かさが伝わってくる。惜しい気もしたがどこかくすぐったそうなのでアスナは手を離した。
「確かに私は馬だが、いくら幻想界と言えども天然物のしゃべる馬はおらんよ」
  ってことはこのしゃべる馬は養殖物? なんてことがアスナの頭をよぎった。
「元は魔導士だったんだがの。ちょっとした失敗で馬になってしまったのだよ」
「はぁ、さすがは幻想界だな。変身の魔法もあるんだ」
  馬は頷きで肯定する。
「だがの、少しでも魔法の制御に失敗するとこの通り、元に戻れんのだよ。後継者殿下もくれぐれも変身の魔法だけは使わぬようになされ」
「確かに魔王が馬だとカッコがつきませんよね。あっ、坂上アスナです。よろしくお願いします」
「これはご丁寧に痛み入る。首都防衛軍魔法部隊顧問イクシスと申す。といっても立派なのは肩書きだけでの、このようななりで生き恥をさらしておる」
「そんなことありません。教えを受けた者はみんな、イクシス様を尊敬してるんです。少なくともあたしはそうです。それにそのお姿だって敵に囲まれたゲームニス様をお助けするために無理をしたからで」
「はははっ、ミュリカはいい子だの」
「…………」
  なんと返していいのか困ったミュリカの視界にどこか残念そうなアスナが映った。
「どうかなさったんですか?」
「……エドじゃないんだ」
「……はい?」
「な、なんでもないなんでもない」
  ミュリカとイクシスの二人は顔を見合わせ首を傾げる。気を取り直すようにイクシスが言った。
「それはそうと、このようなところでどうした。そろそろ出陣ではなかったのかね?」
「アスナ様の乗る馬を探しに来たんです」
「ならば、適当に見繕えばよかろう。この厩にはいずれ劣らぬ名馬ばかりそろっておるではないか」
「それがアスナ様、乗馬経験がないそうなので」
「そうなのかね?」
「は、はははっ」
  ばつが悪くて思わず後頭部をかくアスナ。
「それは困ったの。幻想界の馬は現生界で言うところの天馬。乗馬経験のない者が乗るのはちと無理があるの」
「そんなぁ」
  どこか諦めを含んだアスナの反応にミュリカは少しだけムッとした。
  自分の時には無理を押し通そうとしたのに。
「イクシス様からもお願いします。アスナ様に馬車での移動を勧めて下さい」
「ふむ。では私に乗って行かれるかね、アスナ殿」
「いいんですか!」
「うむ」
「やった!」
「ちょっ、ちょっと待って下さい。これから戦場に向かうんですよ!」
「分かっておる。だがの、第一線を退いたとはいえ些かも体力は衰えておらん。むしろ馬になってからの方が調子がいいくらいだからの」
「そうじゃなくてですね」
「それ以上、言うでないミュリカ。少年というものは多少無理をしてでもカッコつけたいもの。そして老人はその手助けをしてやりたいと思うものなのだよ」
「ですけど!」
「これが最後のお務めなのだよ。少しは私の我が儘を聞いてもよかろう?」
「最後って」
  あまりに突然な言葉にミュリカは言葉を飲み込んでしまう。
「そろそろ隠居しようと思うての。それにアスナ殿の初陣の供をするのは有終の美を飾るのにこれ以上のものはないと思うがどうかね?」
「どうかと聞かれても」
  馬面でイクシスは笑みを浮かべた。
「では、行きますぞ、アスナ殿」
「はい」
  アスナはご機嫌に返事をする。
  いかにも仲の良さそうな一人と一頭の後ろ姿がとても理不尽に見えた。乗馬経験のないアスナのために奔走していた自分は一体、なんだったんだろうと思えるくらいに。
  今日はずっとアスナに振り回されっぱなしだと改めて思う。いや、考えてみると自分の人生はいままでずっと他人に振り回されてばかりのような気がしてきた。
  というよりも自分の周りにいるのはアスナのような他人を振り回して平気な者ばかりだ。
  エルトナージュ然り、ヴァイアス然りと。
  なんでこうなんだろうと肩と一緒にため息も落ちる。
「ミュリカぁ」
「時間がないのであろう? 早く準備をするぞ」
  いくつか複雑な表情を浮かべたがやがてミュリカは小さくため息をもらした。
「待ってくださいよぉ」
  結局、一番の原因は他人に振り回されても、それを心のどこかで楽しんでしまっている自分がいるからなのかもしれない。
  ミュリカはそんなことを考えながら一人と一頭の後を追った。
  出陣まで時間はあまりない。テキパキと指示をしないといけない。そう、いつも通りに。



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