第一章
第八話 朱と剣
エルトナージュは次々と起こる事象に対処しきれず、気落ちしていた。
眼前のファイラスから出陣する革命軍と刃を交えて早くも一ヶ月以上が過ぎたが、ただの一度もフォルキスを撃破することが出来ずにいた。
勇将であるファーゾルトから優れた評価を得ている彼女が完全に後手に回っているのだ。
フォルキス率いる第二魔軍と、エルトナージュ率いる第十二軍と首都防衛軍とでは兵の質が全く違うのだから敗北しても不思議ではない。だが彼女は図上演習において何度となく現役の一般軍の将軍をうち負かしているのだ。
にもかかわらず彼女はフォルキスに勝てない。それは明らかに将としての器が違うからだろうか、と彼女は初戦から自問自答する日々が続いていた。
第三者的な視点で見れば、これはエルトナージュが自分で自分を追い込んでいるだけだ。その証拠にフォルキスと相対するときの彼女は将軍としてではなく一兵士として戦っているからだ。人魔の規格外であるフォルキスを止められるのは自分しかいないという自負もあって彼女は前線に出ているのだろうが、実際はフォルキスが彼女を自分の前に引きずりだそうとしているのだ。
それはフォルキスを始め革命軍の首脳陣がエルトナージュの指揮能力に少なからず脅威を抱いているからに他ならない。
彼女を前線に引きずり出して指揮を執らせないようにすれば後は兵の質と数に勝る革命軍が優位となるのは自明の理だ。
この一ヶ月の間に行われた戦闘回数は、小競り合いを含めても十四回。このうち、彼女が指揮を執った六回は全て彼女が勝利しているのだ。
だがフォルキスと相対した残り全てには敗北している。力と言葉で徹底的に打ち負かされていた。
このような状況であってもファイラスの包囲を堅持出来ているのは彼女の優秀さからか、それともアスナに負けたくないという意地なのか。
どちらにせよ彼女は現状維持をすることに精一杯だった。
それだけでも頭が痛い状態なのに彼女にはもう一つの責務があった。
ファイラス包囲軍の総司令官であると同時に、エルトナージュはラインボルトの国政を司る宰相でもある。
首都エグゼリスから送られてくる数々の書簡に目を通し、軍務の合間にそれを裁断していくのだ。諸外国がラインボルトに手出ししないように外交交渉を展開している今、彼女に求められている案件の全てが判断に苦慮するものばかり。
不眠不休で幾つもの処理を続ける彼女にファーゾルトたちは少しでも身体を休めるように彼女に進言するが聞き入れようとはしない。
限界状態に耐えているエルトナージュに追い打ちをかけるようにリムルの第三魔軍から報告が上がった。
何者かの作為により一つの村が”彷徨う者”にされてしまったと。
それに並行するようにファイラス周辺の町で”彷徨う者”が大量出現したとの報告が飛び込んできた。
特に”彷徨う者”を嫌悪する彼女は頭に血が上り、一般軍の部隊に討伐命令を下したのを最後に倒れてしまった。
医者の見立てでは疲労と睡眠不足、それに栄養失調まで重なっていた。
「・・・・・・ここは?」
目覚めたエルトナージュの目に低い天井が映った。
カーテンの隙間から差し込む光はまだ明るい。
身を起こす。
見れば彼女は今、寝間着を着ている。出陣以来、着替えることがなかったものを何故か今着ている。そもそも持ってきていることすら知らなかった。
「何で・・・・・・」
小さな頭痛が襲ってきた。それに耐えるように頭を押さえているとノック音とともに誰かが部屋に入ってきた。
「失礼します。・・・・・・姫様、お目覚めでしたか」
と、部屋に入ってきた老女が声をかけてきた。彼女はエルトナージュの幼い頃から身の回りの世話をしている侍女のシアだ。エルトナージュの出陣に際して同行してきたのだ。
「わたしはどうしたのですか?」
「お倒れになられたのです。憶えておられませんか?」
言って彼女はエルトナージュにカーディガンをかけてやる。
「・・・・・・・・・・・・」
思い出した。そのことがはっきりするとすぐにいろいろなことが気になり始める。
「シア、どれぐらい気を失っていたのです」
「三日ほどです。・・・・・・お脈を拝見いたします」
痩せ細った彼女の右手を取る。この老女には医術の心得がある。
「三日も! すぐにファーゾルトを呼びなさい」
「落ち着いて下さい。まずはお体を労って下さることだけをお考え下さい」
「そう言うわけにはいきません。わたしは・・・・・・」
「不敬を承知で申し上げますが、今の姫様では将軍方にご迷惑をおかけするだけです」
「シア!」
「事実でございましょう。現に体調管理も出来ずに倒れられた姫様のせいで数多くの方々にご迷惑をかけているのですよ。体力も戻られていない今、出ていかれても、さらなるご迷惑をおかけするだけです」
幾つか簡単な検診を行うとシアは吐息を漏らす。
「お体は弱っておりますがしっかりと養生されれば問題ないでしょうね」
「・・・・・・・・・・・・」
表に出て指揮を執りたいが老侍女の言葉に反論することが出来ない。それでも目でそのことを訴えるエルトナージュにシアは小さな笑みを浮かべた。
「今はご自愛ください」
言ってベッド脇のテーブルに置かれたコンロに魔法で火をつける。沸いたお湯で薬湯を煮出す。独特の甘酸っぱい臭いがエルトナージュの鼻腔をくすぐり始める。
「ミュリカ様からお手紙が届いておりますよ」
「ミュリカから?」
「はい。すぐにお持ちいたします。それまでこれを飲んでお待ち下さい」
渡された薬湯をジッと見る。はっきり言ってエルトナージュはこの薬湯が苦手だった。口にしたときは甘酸っぱいのに喉を通るときには苦いのだ。
それがどうしようもなく嫌なのだ。
幼い頃から彼女の世話をしているシアである。もちろんそのことを知っている。彼女は少し意地悪な笑みを残して退室した。
「・・・・・・甘苦い」
彼女の呟き以外には外から微かに聞こえてくる兵たちの声のみ。彼女に遠慮しているのか普段よりもずっと小さい。注意していなければ掻き消えてしまいそうな声だ。
顔をしかめながら薬湯を飲み干したエルトナージュは久しぶりの静けさに身を委ねていた。今、口にしている薬湯は滋養強壮だけではなく気持ちを落ち着かせる効能もある。
考えてみればこんな風に静かな時を過ごすのは父である先王が床に伏して以来、なかったことだ。不謹慎ではあるが今まで貯め込みすぎていた余計な力が抜けていっているようだ。
目を閉じて静けさに身を委ねているとシアが戻ってきた。
「お待たせいたしました。・・・・・・少しは落ち着かれたようですね」
「これをもう一杯飲まされるくらいなら無理をしてでも落ち着きます」
「あらあら。幼子(おさなご)のようなことをおっしゃって」
「シアの前では皆、同じ様なものでしょう?」
「そうかもしれませんね。ミュリカ様からのお手紙、いかがなさいますか?」
頷きと右手を差し出すことで応えたエルトナージュにシアは笑むと手紙をペーパーナイフと一緒に手渡した。
「こうしてお二人が長い間、離れて過ごしているのは初めてですね」
彼女の母が”彷徨う者”に殺されることになる巡視の旅でも二人は長い間一緒にいなかったが、敢えてそのことに言及はしない。
「ケンカをしていても勉学と修練の時間は一緒でしたから」
懐かしむようにエルトナージュは言った。
「そうですね。お互いのことが気になって先生方に良くお叱りを受けていましたからね」
「む、昔のことです」
心持ち赤面して彼女はそっぽを向いた。
随分と久しぶりに見る彼女の子どもっぽい仕草にシアは笑った。
「シア」
「ふふふっ、申し訳ありません」
と、慌ただしげなノック音とともに誰かが部屋に入ってきた。
「姫様がお目覚めになられたとお聞きしましたが」
「ファーゾルト様! いくら軍学の師と言えども勝手に女性の部屋に入るのは許されません!」
「いや、その・・・・・・申し訳ない」
「前にもそうおっしゃいましたよ」
「うぅ・・・・・・」
幻想界でも名の知れた老将が何の力もないただの老女に諫められているのは妙に可笑しい。エルトナージュは我慢しきれずに小さく笑ってしまった。
「それぐらいにしてあげなさい」
「ですが」
「わたしは気にしていません」
「・・・・・・分かりました。ファーゾルト様、次はありませんからね」
「うむ。・・・・・・その、申し訳ありません」
シアに睨まれて彼は姿勢を正した。
「お茶の準備をして参ります。ですがくれぐれも姫様にご無理をさせないようにお願いします。よろしいですね」
「うむ」
「では、失礼します」
改めて睨まれてファーゾルトは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
シアが出ていくとまたもや耐えられずクスクスと笑い始めた。
「シア殿にはかないません」
「そうでしょうね。先王陛下もシアにだけは頭が上がりませんでしたから」
先代魔王である父がただの侍女に諫められている姿を思い出して改めて笑みが漏れる。
ばつの悪そうな顔をしていたファーゾルトだったが随分と久しぶりに笑っているエルトナージュに密かに安堵した。
「随分と顔色がよろしくなりましたな」
「三日も寝ていれば回復します。それよりも状況は?」
「姫様にご無理をさせるなと言われたばかりですぞ」
「どちらにせよ。気になって寝られないのです。聞かせて下さい」
「・・・・・・了解しました。姫様がお倒れになられたあと、各軍の将軍方を召集し協議した結果、不肖このファーゾルトが指揮権をお預かりしております」
「正当な判断ですね」
「ありがとうございます。・・・・・・また三日前から合戦は行われておりません。その間に部隊の配置変更を行い、兵たちには休息をとらせております」
「”彷徨う者”の討伐はどうなっています?」
「そちらはまだ報告が来ておりません。ですが、送った魔導珠の方は解析作業を最優先で行うとエグゼリスから報告が来ております。また組み込まれた魔導式を不用意に解析しようとすれば自壊するように作られているようで、解析には時間が必要とのことです」
「厄介ですね」
「はい。我々と同じように”彷徨う者”に対処するために第三魔軍はゼン周辺に兵を展開したため戦力が低下しております」
「リムル将軍がいれば問題ないでしょう。それで・・・・・・近衛騎団はどうなっています?」
「順調のようです。来週半ばにはムシュウ攻略を開始できるとのことです」
「そうですか」
「しかし、アスナ様は大した方ですな。召喚されて間もないただの人族でありながら、あの近衛騎団が自らの主として認めたそうですぞ。報告書を見た将軍方も一様に驚いておられました。再びお会いするのが楽しみですな」
ファーゾルトもまさか餌付けされたのがきっかけだとは思うまい。
というよりも誇り高い近衛騎団を餌付けしようと考えるほうがどうかしているのだ。
「姫様、いかがなさいました?」
言葉を噤んで表情を消したエルトナージュにファーゾルトは、無理をさせたかと思った。
「いえ、なんでもありません。それよりも・・・・・・」
と、ノック音がした。エルトナージュの許しの声に従いシアが人数分のティーセットを台車に載せて持ってきた。
シアはベッド脇に座るファーゾルトに一瞥くれた。
このようにお許しを得てから入室するのが当たり前ですと言わんばかりに。
その後、細かな打ち合わせを済ませ、三人で雑談を始めた。
シアとファーゾルトはエルトナージュを幼い頃から良く知っている。話の中心は当然、幼い頃の話題となる。失敗談や自分たちの目を盗んで城を抜け出したことなど。
「それではそろそろ失礼いたします。くれぐれもご自愛下さいますよう」
「はい。後は任せます」
頷くとファーゾルトは「失礼しました」との言葉とともに退室した。
「相変わらず声の大きな方ですね」
「元気づけてくれているんですよ」
「あの方も元リーズの王族なのですから品位というものを持っていただきたいものです」
「手厳しいですね、シアは」
「女心の分からない方には手厳しくもなります」
「そうですね」
とエルトナージュは改めてミュリカからの手紙を開封した。
その内容は前線で戦っているとは思えないほど暢気なものだった。
日々の些細な出来事を冗談混じりに綴られていた。
なぜか残り一枚でミュリカの手紙はこう締められている。
『といったところです。色々と大変ですけど問題なく進軍を続けています。
エル様は何事も一生懸命やりすぎる方ですから、ちゃんと休息をとるようにしてくださいよ。
それでは作戦を無事に成功させて、お会いできる日を楽しみにしています』
見透かされてる。
さすがは幼なじみといったところか。
『追伸。
最後の一枚はアスナ様からです』
「なあぁっ!?」
「なんて声を上げるんです」
「す、すいません」
『何度、読み返しても女の子に送る手紙じゃないんですよね。
どうか呆れないで最後まで読んで下さい。それでは』
どういうことだろうと思いつつエルトナージュは最後の一枚、アスナからの手紙に目を通し始めた。
「・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・読み終わった。
彼女にしては珍しく盛大なため息をもらした。あまりの珍しさにシアが声をかけた。
「手紙になにか困ったことでも書かれていたのですか?」
「読んでみれば分かります」
「よろしいのですか?」
エルトナージュは「えぇ」と応えると身体をベッドに預けた。
脱力である。
読み終えたシアもまた何とも言えない脱力感に包まれていた。
「ミュリカ様が書かれたとおり女性に送る内容ではありませんね」
「それ以前に戦場からの手紙とは思えませんね」
「大物か、それとも・・・・・・といったところでしょうね」
「本当に」
とエルトナージュはもう一つ息を吐く。
「いろいろと考えていた自分がバカらしく思えてきます」
苦笑とともに彼女は顔を上げた。
「シア。食事を用意して下さい」
「食欲があるのですか?」
「えぇ。こんな人が魔王になるんです。わたしたちがしっかりとしないといけないでしょう」
「そうですね。ではすぐに食事をお持ちいたします」
シアが退室するとしばらくしてエルトナージュはまたアスナの手紙に目を通した。
手紙にはこう書かれている。
『死にそうになったり、落馬したり、殴られたり、勉強したりでいろいろ大変だけど一応、こっちは元気にやってます。戦争やってるのにこんなこと言うのもおかしいけど結構、楽しんでたりもしてます。騎団のみんなもいい人たちで良かったです。
そっちもいろいろと大変だろうけど頑張れ。
そうだ。そっちに合流したらオレの作ったご飯を食べさせてあげる。騎団のみんなにかなり好評だから期待しているように。それじゃ〜。
追伸。
フォルキス将軍は危険です。注意するように』
窓から差し込む光はいつのまに朱を宿し始めている。
その眩しさに目を細めながらぽつりと呟いた。
「ホントに何を考えてるんだろう、彼は」
幻想界でも夜は闇が空を染め上げる。
アスナの知っているどこかくすんだ闇ではなく、漆塗りのような艶のある、とても深みのある闇だ。
月を中心として無数の星が輝いている。
下手な宝石で彩られた飾り箱よりもずっと美しい。闇だけならば、どこまでも深く飲み込まれそうになるが、空に輝く天体があるだけで自分が大地に足をつけているのだという安堵を感じる。
幾つもの篝火が近衛騎団のテント群が照らし続けている。暖かな光が闇が持つ恐怖だけを焼き尽くしているようだ。
その篝火に集まって団員たちは雑談をしていた。
LDにいつ強襲されるのか分からない状況にも関わらず彼らは平素とあまり態度を変えることがない。それがアスナにはとても頼もしく思えた。
「アスナ様」
声の主はミュリカだ。
彼女は今、ヴァイアスより本部付き参謀であるサイナとともにアスナの警護を交互に行っている。今日はサイナの担当の日だが時間が空いたので様子を見に来たのだ。
少し離れた所に警備の団員が数人立っている。
「みんな、元気だよなぁ。今日も攻撃があったのに」
「気持ちが高ぶってるんですよ。連戦連勝だし、重傷者はそこそこ出てますけど戦死者はゼロなんですから。前からラインボルト最強だって言われてましたけど実績がありませんでしたから。みんな自分たちの強さに自信が持てるようになったのが嬉しいんですよ」
「そっか。けど、そろそろ二、三日丸々休憩した方が良いんじゃないかな。ミュリカも結構、顔色悪いし」
「そう言うアスナ様が一番、顔色が悪いんですよ。正直、アスナ様がここまで頑張って下さってるのが私たちには驚きなんですから」
「そうかな?」
言われて顔に手を当ててみる。確かに少しだけ頬が痩けているような気もする。
それに身体の方も痩せた、というよりも引き締まったのかも知れない。
「そうですよ。幻想界の一般の方たちでも私たちの行軍に付き合うのは大変なんですから」
「行軍って言ってもイクシスさんに乗せてもらってるだけだし、作戦行動中はただ座ってるだけなんだから。みんなに比べたらずっと楽だよ。凄いのはみんなのほうだって」
「謙遜しなくても良いですよ。アスナ様が作って下さる食事のおかげで士気が落ちないで済んでいますし、今じゃ、アスナ様がいて下さるだけでみんな頑張ろうって思えるんですから」
アスナは面映ゆい笑みを浮かべた。真っ赤になってる。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどスッゴイ照れくさいよ」
「良いじゃないですか。みんなアスナ様のことが好きなんですから」
「ミュリカも?」
「はい。エル様と同じくらいに」
「それじゃもう少し頑張ればヴァイアスも超えられたりして」
「こら。どさくさに紛れて人の女を口説くんじゃない」
ドスッとアスナの頭にチョップが入った。かなり重い一撃だ。
「ぃったぁ〜。・・・・・・籠手付きでチョップすることないだろ!」
「天誅だ。それとテントに戻る時間なのに外にいた罰だ」
ミュリカは蹲るアスナの頭を優しく撫でてやる。小さいが膨らみをある。
「やりすぎよ、たんこぶ出来てるし」
アスナの頭を撫でるミュリカの手がエメラルトグリーンに光る。治癒魔法の光だ。
こういった魔法が効きにくい人族でもしないよりもましだ。
治療を終えると同時に得心したとばかりに彼女は顔を上げた。
「・・・・・・あっ、そうか」
ニタ〜っとした笑みを浮かべてミュリカはヴァイアスの顔を覗き込んだ。思わず仰け反るヴァイアス。心持ち赤くなっているような。
「ヴァイアス、アスナ様にヤキモチ焼いたんでしょ?」
「ん、んなことあるか!」
「ホントに〜」
そっぽを向こうとするヴァイアスが視線をそらしてもすぐにミュリカは回り込んで、ホントに〜と聞いてくる。
「ないない、んなことは絶対にない!!」
声を大にして断言しているが暗がりでも分かるほど赤面していては説得力なんかあるはずがない。
「あぁ、なんだ、これが二人の日課だってことはこの一ヶ月でよく分かったから。けど、もう少し自重してくれると嬉しい」
「何が分かったんだよ。理解不能なこというんじゃねぇ」
やれやれとばかりにアスナは首を振ると、わざとらしく咳払い。そしてジト目でヴァイアスを睨むと、
「人前でノロケるんじゃない。それともこれってヴァイアスの羞恥プレイ?」
「これのどこがノロケなんだよ。それにプレイってなんだよ、プレイって!」
「だって・・・・・・なぁ。みんなもそう思うよね」
いつの間にかアスナたちの周りに団員たちが集まっており、そうだそうだとアスナに同意したり、お互いに囁き合っていた。
ヴァイアスが大声を上げたからこうなったのだ。自業自得である。
その中でミュリカ一人だけが嬉しそうに頬に手を当ててくねくねしている。恐らく勝ち組は彼女だけだ。
「お前ら、とっとと仕事に戻れぇ!」
徹底的に赤くなったヴァイアスの大声に押し出されて団員たちはきゃーと赤紫色の叫声をあげて走り去っていった。
そして残ったのは当然、アスナ、ヴァイアス、ミュリカの三人。
「ヴァイアス、人気者だな」
「お前とは一度、じっくりと話し合う必要があるな」
「それで何かあったのか?」
平然とアスナは言った。十分にからかってやったと満足げだ。
「あのなぁ、人の話を聞けよ。・・・・・・まぁ、いいか」
完全に脱力するヴァイアス。吐息一つで姿勢を元に戻す。
「ケルスに送った使者が戻った。詳しい話は中でしよう」
「うん。・・・・・・っとそのまえに」
一歩を踏み出したアスナは足を止めた。
「どうした?」
「ミュリカ、あのままで良いの?」
彼女はまだ、くねくねと照れていた。本日二度目の籠手チョップ炸裂。
近衛騎団が単独で奪還を予定している都市は残り二つ。
LDがいるムシュウと、先ほど後継者からの通達として使者を送ったケルスだ。
ケルスを奪還すればムシュウまで一気駆けできる。
近衛騎団はLDとの決戦に備えてこのケルスで三日間の大休止を入れることにしていた。
そういった事情から出来るだけ無傷で奪還しておきたい。本音を言えば降伏勧告を受け入れて欲しいのだ。
そのため、降伏すれば罪には問わない旨を書いた書状を使者に託し、降伏を促したのだ。
「それで向こうの返答はどうだったんだ?」
テント内の椅子に腰掛けながらアスナは聞いた。二人にも席に着くように促す。
「降伏を受け入れるとさ。だけど正式な降伏は俺たちが到着してからだそうだ」
「良かったじゃない。こっちの都合通りにすんなりと降伏してくれて」
だがヴァイアスは同意しない。
「どうした? 難しい顔しても似合わないぞ」
「籠手チョップ」
三発目、炸裂。
「おぉおおぉぁぁ・・・・・・」
頭を抱えて蹲るアスナにヴァイアスは冷ややかな目を向けて、
「こういうときぐらい真面目になれよ」
「ヴァイアスもね」
お茶の準備をしているミュリカに睨まれて彼は首をすくめる。
籠手チョップを食らってかなりご機嫌斜めだ。今晩の秘密会議はお流れだろう。
「・・・・・・それで何か問題でもあるのか?」
頭をさすりながらアスナは聞いた。
「すんなりと行き過ぎてると思ってな。考えてもみろ、ケルスを俺たちが奪還すればムシュウまで一気駆け出来るんだぞ。それを軍師が見過ごすと思うか?」
「今までが様子見のような攻撃だったからね。・・・・・・どうぞ、アスナ様」
「ん。ありがと」
ミュリカから受け取り一口。
幻想界のお茶も結構好きになっている。たまに緑茶が懐かしくなるが。
「しかもその全てがこっちの小さな隙を狙ってくるような攻撃ばかり。多分、俺たちが実戦で培った戦術や部隊配備方法を調べ上げているんだろう。ここらで一発デカイのが来ると思った方が正しいって俺を含めて司令部の連中は考えてる」
ヴァイアスもミュリカからお茶を受け取り一口。味がしない。出涸らしだ。
彼女を睨むと、ふんっとそっぽを向いてアスナの近くに座る。
「なるほどね。みんなはこの降伏が罠かもしれないって考えてるのか」
「降伏したと見せかけて、大休止中の俺たちの寝込みを襲うかも知れないってのが一番有力だな」
「送った使者はケルスに駐留してる部隊の指揮官と直接会って降伏することを聞いたんだろ?」
「あぁ。口では何とでも言えるからな」
「けど、本当に降伏するつもりかもしれないわよ。私たち近衛騎団がここまで来たってことは大勢は決したって意味でもあるんだから。アスナ様が来られて、内乱の意義が失ったんだからこんなことで死にたいとは思わないはずでしょ?」
「ミュリカが言ってることも正しいんだ。だからアスナに判断してもらいたい。罠かも知れないことを承知で降伏を受け入れて予定通り大休止を取るか、降伏の受け入れは適当な一個大隊に任せて俺たちはムシュウに向かうか。それとも降伏は書面でのみ受け入れてこのまま素通りするか。大まかにはこの三つだ」
言葉はない。三人の茶をすする音だけが聞こえる。カップの中が半分になる頃、アスナが口を開いた。
「指揮官としてのヴァイアスに聞くけど・・・・・・客観的に見てみんなの疲れ具合はどう?」
「限界とまでは言わないが疲れているのは確かだな。軍の指揮官としては休ませてやりたい。だが近衛騎団の団長としてはお前の身の安全が最優先となる」
「分かった。・・・・・・それじゃ予定通りケルスで休憩をとろう」
「理由を・・・・・・聞いても良いか?」
「オレのこと心配してくれるのは嬉しいけど、今はみんなに休んでもらった方がいいと思う。本番はムシュウを取り戻すことなんだからさ。ここで無理しない方が良いだろ。それにさ、オレたちが無理をしてへろへろの状態でムシュウに来るようにってLDがこんなことしてるのかも知れないだろ?」
「分かった。アスナの言うとおり予定通りケルスで大休止をとろう」
「それじゃ明日の降伏式の準備をすぐにしないといけませんね」
「あっ、うん・・・・・・そうか」
「アスナ様?」
「ん? どうした」
同時にアスナに声をかけてきた。こういうところはホント呼吸があってる。割り込む隙間がないと思えるほどに。
「いや、降伏式やらなきゃダメだったんだっけって思ってさ」
言ってアスナは近くのタンスの中に収められている小剣を取り出した。
柄の部分が女性の三つ編みのようになっている以外、これといった装飾はない。
この小剣は指揮官全てに与えられる指揮権の象徴だ。
ラインボルト独立戦争を始めるのに際して、初代魔王リージュは自らの長い髪を売って、仲間の剣を手に入れたという逸話から国軍の指揮官はこの小剣が与えられるのだ。
そしてラインボルトでは降伏の証として指揮官は相手にこの小剣を差し出すのが倣いとなっている。
初陣での前後不覚状態を別とすればアスナは降伏式でこの小剣を受け取っている。
「まさか、まだ緊張するなんて言うんじゃないだろうな」
「それとも式の手順を忘れちゃったんですか?」
「そうじゃなくて、また後継者『殿下』って呼ばれるんだなぁって思ってさ」
はい? とばかりに二人は口を開けてお互いを見やる。
「未だに様付けで呼ばれても違和感があるのに、殿下だぞ、殿下。殿下って言ったら王子様でオレなんかとは違ってもっと気品があるはずだろ? オレなんかどう飾り付けても殿下には見えないだろ」
「今更、なに言ってるんだよ。お前はその上の『陛下』になるんだぞ。今は準備期間だと思って少しでも馴れておけ。この一件が終わったら今以上に『殿下』とか『陛下』とか呼ばれるんだからさ」
「馴れろって言われて馴れるもんじゃないしさ。って今、気付いたけどもしかしてエルってオレの義妹(いもうと)ってことになるのか!?」
ラインボルト王家を継ぐということは王家に養子に入るということでもあるのだから。
「一応、そうなりますね」
ちなみにヴァイアス、ミュリカともにアスナたちと同い年だ。
「あっ、けどお義姉様って可能性もあるかも。アスナ様、お誕生日はいつですか?」
「えっと、それについては黙秘します。とにかくエルトナージュはオレの義妹ってことで」
「なに訳の分からないことおっしゃってるんですか」
「だってさ、生まれてからずっと長男やってきたのに今更、お姉ちゃんが出来ても困るだろ?」
「・・・・・・理由ってそれだけか?」
「オレにとっては重大なの!」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
あまりのバカバカしさに場の空気が固まる。
「・・・・・・ヴァイアス、やっちゃえ」
「おう!」
「うわぁっ、ちょっ、ヴァイアス!?」
この後、近衛騎団秘伝の尋問術によりアスナの誕生日が判明。
アスナの誕生日はエルトナージュのそれよりも二週間ほど早かった。
どうにかお兄ちゃんとしての地位を守り抜いたアスナだったがその代償として腹筋を酷く痛めてしまった。
教訓、くすぐりすぎは危険である・・・・・・。
馬子にも衣装という言葉があるが今のアスナはまさにその通りだ。
近衛騎団に入団すると同時に支給される団員用の礼服に身を包み、騎団の女性陣に囲まれながら髪を整えられ、簡単な化粧が施されていく。
着せ替え人形扱いされているようであまり良い気分ではないが出来上がった自分を姿見で見るとそこそこらしく見えてしまうのだから文句も言えない。
文句は言えないのだがやたらと嬉しそうに着付けなどをしてほしくない。
・・・・・・それよりも、その、目のやり場に困る。
アスナは完全に赤面をしてあらぬ方向に視線を向けようとするがそこにも女性団員がいてあまり意味をなさない。
魔軍や近衛騎団は鎧の下に内服として身体にピッタリとしたスーツを身に纏っている。
これは鎧の脱着を容易にするために邪魔な要素を排した設計になっているのだ。普段はこれの上に保温性のある上着やズボンなどを着込んでいるのだが即応体制の今はスーツだけだ。そのため女性が持つ柔らかく美しい線がしっかりと浮き出している。
・・・・・・なんだって騎団の女の子ってみんな美人なんだよ。
こういう状況になれないアスナにとっては嬉しいよりも恥ずかしいほうが先に立つ。
女性陣だけではない。男性陣も美男子揃いとは言わないが同性から見ても魅力的な容姿か雰囲気の持ち主ばかりだ。
・・・・・・エルの親父さんってそう言う趣味の持ち主だったのかな。
そうじゃない。近衛騎団は実戦に出ることが極端に少なく儀礼的な場面に活用されることが多かったために強さと同時に容姿にまで気を配ることになったのだ。
耳まで真っ赤にしながら目を泳がせ続けるアスナが可笑しいのか彼女たちは彼の着付けを本当に楽しそうに行う。その上、多少過激なスキンシップまでしてくるのだからたまったものじゃない。股間にえっちなテントが出来ているのが良い証拠。
もっともアスナが彼女たちに不埒なことを命令するようなヤツではないから、面白がってこんなことが出来るのだ。
女性陣の歓声とアスナの狼狽える声をまき散らしながら準備は進んでいった。
その一方でケルスからの使者が到着していた。
こちらはアスナとは違い屈強な男たちに囲まれていた。
使者は所持品はもちろん、服を脱がされ暗器を所持していないか調べられていた。不審物がないことを確認されると使者の両手には魔法を使用不可能にする腕輪が填められた。
準備は整った。降伏式が始まる。
私室であるテントから女性団員を引き連れてアスナは出てきた。
彼女たちはすでに武装を整え、表情も戦闘用のそれに変えている。彼女たちはそのままアスナの護衛の任に就く。
その彼らをヴァイアスが出迎えた。
「準備完了」
「こっちも完了だ。ケルスの包囲と周囲に警戒線を張った。少なくとも奇襲を受けずに済むはずだ。やってきた使者も不審物を所持していないし、念の為の処置もした」
「後はなるようになれだな」
「あぁ、だけど注意するに越したことはない。こっちに来たのは駐留部隊の指揮官じゃないんだからな」
「おかしくないか、それ?」
通常、降伏にはその場にいる部隊の最高指揮官が行うのが通例だ。アスナもこれまでの経験からそれぐらいは知っている。
使者を立てるのは守備する都市と密接に関係する部隊や連隊以上の大規模部隊、もしくは貴人が率いる部隊だけだ。
通常、大隊程度では使者を立てる必要がないのだ。
「向こうの指揮官が不調を訴えているからだそうだ。こっちから迎えに出したヤツもそれを確認してる」
「だったらしょうがないな」
「ったく不確定要素ばかり重なりやがる」
ため息混じりにヴァイアスは言った。簡単な打ち合わせを終えたころ使者の準備も完了したと報告が入った。
ヴァイアスは了解の頷きをすると、アスナに顔を向けた。
「行こうか」
降伏の受け入れは、普段、作戦指揮を行っている大きなテントの中で行われる。
普段置かれている巨大なテーブルや書類棚も今は撤去され、中央に長い絨毯が敷かれ、それを挟むように両脇には兵たちが武装した出で立ちで列んでいる。
彼らの間を進みながらアスナは上座に設えた椅子に腰掛ける。ヴァイアスはそのアスナの背後に後見人の如く立つ。
準備は整った。アスナは一度、深呼吸をする。
「よしっ、使者を連れてきて」
「はっ」
しばらくしてテントに入ってきたのは軍の礼服に身を包んだ、これといった特徴のない男だ。もっとも騎団の団員たちのように魅力的な容姿の者たちを見慣れているからそう感じるだけなんだろうとアスナは思い直した。
降伏しても武人としての誇りだけは失わないとばかりに使者は真っ直ぐにアスナを見て、進んだ。アスナから十歩ほど距離をおいて使者は平伏した。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。後継者殿下におかれましては・・・・・・」
との前口上に始まり、使者の自己紹介に続く。
使者は第一魔軍第三連隊隷下第二大隊の本部付き仕官なのだそうだ。
「そちらの指揮官が病に伏していると聞いたが大事ないか?」
馴れない偉そうな口調でアスナは言った。降伏を受け入れるときはそうしてくれとヴァイアスたちに言われたからだ。初めは舌を噛んだりして大変だったがそれなりに様になってきた。
「お心遣い感謝いたします。医師の見立てでは過労であるとのことです」
「そうか・・・・・・。降伏が終わった後、見舞いに行こう。それさえ済めばお前たちもオレの配下だからな」
「ありがとうございます。・・・・・・では」
団員の一人が絹の布で覆われた膳を使者の前に出した。
使者は携えてきた指揮官の証である小剣を抜き、鞘とともに膳に乗せた。
団員の手によって小剣はアスナの前に差し出された。
降伏式は忠誠の儀とよく似ている。
降伏を受け入れるのならば小剣を鞘に収め、断るのならばその小剣をもって使者を殺害するのだ。もっとも降伏を受け入れるのだから降伏式が行われるのだが。
昔からの倣いであると同時に命をも差し出してでも降伏したいとの意思を示すことの方に意味があるのだ。
アスナは団員によって捧げられた小剣を前にして一度使者に視線を向けた。
微動だにせず、自分が降伏を受け入れることを待っているように見える。
周囲も静かなものだ。今のところ問題はない。
・・・・・・降伏式の間に奇襲を受けるってのは思い過ごしみたいだったな。
仮に奇襲を計画していたとしてもここまで厳重な警備を張っていれば簡単に突破されることはないはずだ。
小さく息を吐いて、身体の力を抜く。思っていた以上に力が入っていたのに気付く。
降伏を受け入れよう。
アスナは小剣を手に取った。目の端で何かが動いたような気がした。
トスッ・・・・・・。
捻られた手首の感触、無表情な使者の顔。そして胸を貫く違和感。
「アスナァッッ!!」
ヴァイアスの声から生まれかのように赤い闇がアスナの意識を押し潰していった。
降伏式を包み込んでいた警戒と緊張は現れた炎と爆風とによって焼かれ、消し飛ばされた。テントの布は焼かれ、それを支える幾つもの柱は倒された。
その中にいた者たちもまた然りだ。
団員たちの幾人は防御の態勢をとることが出来ずに昏倒している。意識のある者も事態を飲み込めずに異常に静かだ。
「アスナァッ!」
あまりのことに動きがとれなかった団員たちを叱咤するようにヴァイアスの絶叫に近い声が響いた。
ヴァイアスはテントの布を切り裂いて姿を現した。
「お前たち、何している。早くアスナを捜すんだ! 誰か早くロディマス(先生)を呼んでこい!」
怒声に尻を叩かれた団員たちは必至になってテントを処理し始めた。燻っている火を魔法で消し、アスナが隠れていそうな場所に被さっている布を切り裂いていく。
「クソッ、クソッ、クソッ、クソックソォ!!
感情を隠すことなく全身で苛立たしさを表しながらヴァイアスはアスナを探した。
「ヴァイアス!」
周囲の警護をしていたミュリカたちが駆け寄ってきた。もう一方の護衛であり、降伏式に立ち会ったサイナたちはすでに捜索を開始している。
「早く見つけろ! アスナを捜すんだよ」
「ヴァイアス、まさか!」
「あぁ、その通りだよ。アスナがやられたんだ!」
「貴方が側についていながら何をしてたのよ!」
「分かってる。全部、俺の責任だ。そんなことよりも早く捜すんだよ」
ヴァイアスは必死だった。泣きそうになりながら、いや実際、涙を流すことなく泣いていた。みっともないまでに表情を歪ませながら彼はアスナを、自分の主を捜した。
喚くことも、八つ当たりすることも、自責の念にかられることもなくヴァイアスはただただ必死にアスナを捜した。
あまりにらしくないヴァイアスの形振り構わぬ姿にミュリカたちは絶句したもののアスナの捜索に参加した。
「団長、アスナ様を発見しました!」
その報告に何よりも早く身体を動かしたやはりヴァイアスであった。
行く手を遮る柱などを踏み越えて辿り着いたそこには目を背けたくなるような光景だった。
胸を朱に染めて、横たわるアスナの姿だった。胸にはあの、降伏の証として差し出された小剣が突き立っている。心臓があるであろう場所は深紅に染まり、その彼の側には朱に塗れた小剣が転がっている。。
あまりにも酷い現実を前にさらに表情を歪ませるがヴァイアスは立ち止まることなくアスナの側に跪いた。首もとに手を当てる。
指先に微弱だが鼓動を感じる。・・・・・・まだ生きてる。生きている!
「まだ生きてるぞ! はやく、はやく先生を連れてこい! 大至急だ!!」
背後を振り返る。ヴァイアスが言う前にミュリカとその隣にいた団員は足下のテントをひも状に切り裂いていた。サイナも同様にして比較的、清潔であろう箇所を切り裂いて、それをアスナに噛ませた。続いてミュリカたちがアスナの手足を縛ろうとした。
「・・・・・・!?」
瞬間、アスナの目が大きく見開いた。
「んんんああああぁぁっぁっ!!」
「押さえ付けろ!」
誰に言われるよりも早くヴァイアスはアスナの両手を上げさせて押さえ付けた。
今まで経験したことのない激痛にアスナは暴れた。痛みに耐えるように耳を塞ぎたくなるような絶叫を上げ、全身で暴れる。
腕はしきりに突き立つ小剣を抜こうとするがヴァイアスはそれを許さない。
人族とは思えない信じられない力で暴れるアスナをヴァイアスに押さえ付けてもらいながらミュリカはどうにか腕を縛り付けた。
一方の暴れる足は簡単には押さえ付けることが出来ずに二人がかりでどうにか両の足を押さえ付けていた。
「はやく退かんか!」
怒声とともに軍医のロディマスが到着した。
「先生、アスナが!」
「分かっている」
彼はアスナの状態を見て一瞬、顔をしかめたもののすぐに必要な処置を始めた。ロディマスは鞄の中から香炉を取り出し、火をつける。甘い香りが立ち上る。
アスナにそれをかがせると今まで暴れていたのが嘘だったかのように静かになった。
この香炉から出る煙と香りには睡眠と沈痛作用があるのだ。
だがこの場では出来ることは限られる。すぐにしっかりとした施設のある病院で手術をする必要がある。処置の手を休めることなくロディマスはヴァイアスを見た。
「なにをしている。早くケルスを掌握しないか。とにかく病院を確保しろ。小僧を殺したくなかったら早くしろ」
言いながらロディマスは止血を行い、簡単に傷の縫合を行う。
全身の火傷には微弱な冷凍魔法をかけて冷やす。気道も火傷している可能性があるためロディマスに同行していた軍医はアスナの口に挿管し、呼吸できるようにする。
「分かった。アスナのことお願いします」
ついで軍医はアスナに点滴を施す。
「ミュリカ、ここは任せる。確保したらすぐに搬送出来るよう準備しておけ」
「了解!」
返事とともにアスナの搬送に必要な物を集めるようにミュリカは指示を飛ばした。
と指示の途中で思い出したように彼女はヴァイアスに振り返った。
「ヴァイアス、分かってると思うけど」
「アスナが望まないことはしない、安心しろ。これ以上、失態を重ねてたまるか」
頷くとミュリカは指示を再開した。
「ケルス駐留部隊の指揮官に伝達。降伏を受け入れる。近衛騎団は現時点からケルス接収を開始する。抵抗するならばそれなりの対応をとる。以上だ、行け!」
伝令に口頭で命じると次の指示に移る。
「第二大隊は市庁舎と病院を確保しろ」
第二大隊はケルス奪還戦では先鋒部隊として一番に突撃する予定だった。
「第四、第五大隊はケルス駐留部隊の武装解除を行え。第三大隊は警戒を密にしろ。第一及び本部大隊は現状維持だ。状況により兵力を投入しろ」
了解の声とともに伝令たちは動き出した。
アスナ、凶刃に倒れるの報は近衛騎団全体を動揺させた。
自分たち近衛騎団が護衛していたにも関わらずアスナに凶事が襲ったのはLDに拉致されたのに続いて二度目だ。そのどちらもが首謀者がLDなのだ。
エルニスでの一件を含めればアスナは三度も命を危険に晒していることになる。
その中でも今回は特に酷い。降伏に来た使者を装った暗殺者に小剣で胸を突き刺されたのだから。
彼らが動揺とやり場のない怒りを抑え付けられているのはアスナがまだ存命だからだ。仮にアスナが暗殺されていればこのケルスはもちろんLDのいるムシュウも血で染められていたはずだ。
その彼らの胸に今あるのはただ一つ。
自分たちの動き次第でアスナを助けられる可能性は大きく変わる、と。
ケルスの市庁舎に飛び込んだ伝令はすぐに駐留軍の指揮官に事情説明を求めた。
「後継者が凶刃に倒れた。これは貴殿らの差し金か」
伝令からのこの尋問はケルス駐留軍の司令部はひっくり返った。
これで降伏がなったと思っていた矢先にこれなのだから。
病床に伏した指揮官は飛び起きて弁明した。
「我々の降伏の意思に変わりません。ましてや後継者を暗殺しようなどと考えるはずがありません」
「その言葉に偽りはないな」
「はい」
「承知した。貴殿らの降伏を受け入れよう。現時点よりケルスは近衛騎団が掌握する。直ちに配下の部隊に武装解除を命じ、ケルスで一番設備の整った病院に案内しろ」
「了解しました。・・・・・・すぐにその旨、兵たちに伝えろ」
「はっ」
あまりの事態に半ば動転していた仕官の一人が左手を胸に当てるちぐはぐな敬礼をして退室した。
病院の所在が伝えられ、伝令はすぐに騎団本営に戻った。
騎団によるケルス掌握が進められる中、アスナは兵たちに伴われて病院に搬送された。
ミュリカも同伴することを主張したがロディマスに止められた。
ヴァイアスが暴挙に出ないように見張っていろと。実際、今のヴァイアスを止められるのはミュリカしかいないだろう。
ロディマスにアスナのことを託すとヴァイアスたちはケルス掌握を優先させた。
悔しさを胸に押し込めて、アスナが目覚めたとき無様なケルスを見せないために。
病院に搬送されたアスナはすぐに手術台に乗せられ、手術の準備が忙しく進められる。その中、ロディマスを含めた医師は手術方法の検討を行っていた。
刃物による刺し傷による傷の治療など軍医をやっていればそう珍しいことではない。一般的に戦場では剣を持って戦うと思われがちだが、戦場で兵たちが受ける傷は槍によるものが大半を占めていることからも分かるとおり刺し傷が一番多いのだ。
だがここでロディマスたちが問題としているのは輸血のことだ。
人族であるアスナに人魔の血を輸血しても酷い拒絶反応を起こすのではということだ。
いくら人魔が人族から進化した種だと言っても、それで輸血できるとは限らない。
言ってみれば遺伝子が近いからと言って人間に類人猿の血を輸血するようなものだ。
輸血もなしに手術を行うのは危険だ。かといって人魔の血を使う危険を侵すわけにもいかない。逆に言えば輸血の問題さえ解決すればアスナを助けられる可能性はグンと上がるのだ。
「ルピアの水を使おう」
ロディマスの言葉に医師たちは渋面した。
このルピアの水を使うことはまさに最終手段だということだからだ。
この魔法薬は別命、幻想の血液とも呼ばれ種族に関係なく血液の代わりに使用できる。だが問題もある。使用後四ヶ月間、免疫力が低下し、魔法薬が効きにくくなるという副作用があるのだ。
医師たちの渋面は術後の合併症を心配しているのだ。ただでさえ体力が低下しているところ追い打ちをかけるように免疫力まで低下するのだ。
もし後継者に何かあったら責任をとりきれるものじゃない。
「責任は私がとる。今は後継者を救うことだけを考えておれば良い」
ロディマスは看護婦にその旨、伝えると消毒を開始した。
動き出した彼に医師たちは意を決した。
準備は出来た。ロディマスは一度、医師たちとその補佐をする看護婦たちを見た。
すでにルピアの水の注入を始めている。
「では、始めるぞ」
手にしたハサミで傷口を縫合していた糸を切り、器具を使って切断面を広げて固定する。切断面を改めて止血し、胸部に溜まった血液を吸い出す。
「・・・・・・両方とも損傷がないな」
必要以上に張りつめていた空気が程良い緊張へと緩む。
ロディマスたちが一番心配したのは心臓と肺への損傷だ。小剣が突き刺さった場所が場所なだけに最も気を使っていた。
改めて血を吸い出し、綺麗にすると他に損傷がないか調べる。特にはない。
暗殺と聞いたときロディマスは小剣に毒を塗られているのではと思ったが、それだけは杞憂に過ぎた。
指揮官が使者に手渡すところから近衛騎団の者が付き添っていたのだから当然と言えば当然だ。人目のある中で毒を塗る隙はない。
必要な処置を施して、傷口の縫合を開始する。
この当たりは軍医なので手慣れたものだ。その一方で身体のあちこちにある火傷に軟膏を塗るなどの処置も施されていった。
全ての処置は終わった。後は経過を見るだけだ。合併症を起こさないことを期待するのはもちろんだが、ルピアの水が人族にも使えることを祈るのみだ。
アスナが手術を受けている頃、ヴァイアス率いる近衛騎団は着実にケルスの掌握を進めていた。
ケルスの市庁舎にいる駐留部隊の指揮官たちを一時的に拘束し、その配下の兵たちを分散させて、武装解除を行わせた。
駐留部隊の兵たちも指揮官が病床にいるなかで近衛騎団と相対して生き残れるとは思っていなかったので従順に指示に従った。近衛騎団の団員たちの緊迫した表情がそれをさらに促すことになった。
突然の近衛騎団のケルス掌握に動揺する市民たちに理解を求めるべく有力者を集めて、団長直々に事情説明を行った。それが功を奏したのか市民たちに大きな混乱はなく時間が経過するとともに静かになっていった。
次いでヴァイアスが訪れたのは軟禁状態にあった市長と会見した。
有力者たちに行った事情説明に加えてしばらくの間、ケルスで大休止をとる許可を求めた。市長に当然、否はない。たとえ何か言いたかったとしても口に出せるような雰囲気ではなかったのだが。
必要な手続きを終えたヴァイアスはその足で病院へと向かった。
病院の周辺はミュリカとサイナが指揮する護衛部隊によって取り囲まれていた。
玄関前でソワソワと立つミュリカはしきりに左右を見てヴァイアスが到着するのを待っていた。
「ミュリカ、落ち着いて」
同じく玄関前で警備をしているサイナが声をかけた。
「団長ならもうじき、ここに来る予定なんでしょ」
「えぇ、もうそろそろ来るはずよ。だからこうして・・・・・・」
「だから少しは落ち着いて。一番気落ちしてるのは団長のはずよ。私たちもお側近くで警護に当たっていたけれど、団長はアスナ様の背後に立っていたのよ。それなのに護れなかったんだから。あのとき、現場にいなかった貴女がそんな調子でどうするの」
「・・・・・・そうね。ごめんなさい」
「私たちでは団長に何も言えないから。ミュリカが励ましてあげて」
「うん。ありがとう」
無理にでも笑みを作り、彼女は小さく深呼吸をした。
病院を振り仰ぐ。アスナのことは当然、心配だがヴァイアスの方が彼女にとってはもっと心配だった。無理をしているのは分かっているのだから。
普段から自信があるように振る舞っているが彼もリムル同様に弱さを抱えている。
リムルほど重症ではないがヴァイアスも似たようなところがある。
近衛騎団という信頼しあえる仲間はいるが友だちが全然いないのが良い証拠だろう。
と、ヴァイアスが馬を駆ってミュリカと合流した。
「アスナの容態は?」
顔色が蒼白だ。そして無駄に息も荒げている。
「手術は成功したけど」
「けどって、なんだよけどって」
ヴァイアスは彼女の肩を掴んで力任せに揺すった。
「痛いって」
「わ、悪い。それで・・・・・・」
必要な手続きを終えて張っていた気が大きく緩んだのか普段の彼らしからぬ行動だ。
あまり今の彼を人前に出すべきじゃないとミュリカは思った。
「ここじゃなんだから、詳しい話は中で。サイナさん、悪いけどあとをお願い」
頷いてくれたことに感謝してミュリカはヴァイアスを引っ張って病院内に入った。
病院は近衛騎団が制圧下においているため、外来患者はいない。入院患者も病室の出入りを制限している状況だ。
誰もいない病院というのはそこにあるだけで不気味な印象を与える。
廊下を進んで病室の中に入った。
看護婦の詰め所で予め誰もいない病室の場所を聞いていたのだ。
「それでアスナは大丈夫なんだよな」
「落ち着いて。・・・・・・さっきも言ったけど手術は成功したの。その手術に先生はルピアの水を使ったの」
「・・・・・・そうか」
ヴァイアスもルピアの水のことは良く知っている。実際、自分に使用した事はないが術後の経過を慎重に見ないといけないのは有名だ。
「ルピアの水を使えば輸血の代わりになるのはヴァイアスも知ってるでしょ。けど先生の話だとルピアの水を人族に使ったことがないらしいの。だからもしかしたら拒絶反応があるかもしれないからまだ容態は安定してないの」
「・・・・・・そうか」
さっきまで動揺していたのが嘘のようにミュリカは落ち着いていた。目の前にらしくないほど狼狽えている人物がいるのだから、どうしてもそっちに気が取られてしまう。
それが自分にとっての生涯の相棒ともなれば尚更だ。
「もし一度でも拒絶反応が起こったら覚悟してくれって、先生が」
ヴァイアスの肩が大きく震えた。自責に押し潰されそうになっているのが、彼の表情からもよく分かる。
「ミュリカ、俺・・・・・・」
「アスナ様に顔向け出来ないのはあたしも、あたし達も同じ」
震える彼の右手を彼女は両手で包み込むように握った。
「何にもまして護らなきゃ行けない主を三度も危険を晒して。今日なんかは暗殺されかけて今もアスナ様は生死の境を彷徨ってる。近衛騎団として許されることじゃないよね。アスナ様を護るために計画まで立てたのにこれじゃ目も当てられない」
「・・・・・・・・・・・・」
「どんな顔してアスナ様の前に出れば良いのか正直、あたしにも分からない。・・・・・・分かるわけないよ」
「どうすれば良いんだよ、俺たち」
「分からない、分からないよ。けど、ヴァイアスだけでもいつも通りにして」
「無茶言うなよ。俺たちが、あのときアスナの一番側にいたのに何もできなかった俺なんだぞ」
「無茶なのは分かってる。分かってるけどいつも通りに振る舞ってて。みんなも、あたしも不安なの。だからヴァイアスだけでもしっかりしてて。それだけでみんなも、ううん、あたしも少しはしっかり出来るから。しっかりしてみせるから」
「ミュリカ」
「・・・・・・ゴメンね。こんな無茶なことしか言えなくて。ホントは励まして上げるつもりだったのに。大丈夫だからって」
包み込んだヴァイアスの右手を彼女は自分の額につけた。
俯き、肩を震わせながらミュリカは、ゴメンね、と繰り返す。
「そうだな。こういうときだから俺がしっかりしないといけないんだよな」
「ヴァイアス」
顔を上げたミュリカを強く抱きしめた。頭に口づけするようにヴァイアスは彼女の髪に顔を埋めた。
「今は出来ることをしよう。アスナが目覚めたときすぐに謝れるように」
「・・・・・・うん、うん!」
アスナはこれまでずっとやせ我慢を続けてきたのだ。
今度は自分たちの番だ。アスナを自分たちの主にしたいのならば、何がなんでも今、やせ我慢をしなければならない。
なぜなら、彼らは近衛騎団なのだから。
アスナの暗殺未遂から二日が過ぎていた。
早急にケルスを奪還し、大休止をとる予定だった近衛騎団だったがやることはまだ多い。
降伏し、武装解除した駐留部隊の管理や職権を停止させられていたケルスの警備兵たちに復帰を命じ、その指揮権を近衛騎団に委譲する手続きが進められた。
予定ではケルス奪還の翌日には後続の補給部隊が到着するはずが未だに到着する兆しがない。何か不測の事態が起きたのか、ただ単に遅れているだけか分からないが。
どちらにせよ、遅すぎる。そこでヴァイアスは調査のために小隊二つを向かわせた。
ケルス周辺の警戒も当然、行われている。刺客を放った後、何らかの行動にLDは出ると思われたがそれもない。伏兵を配されていないことが確認された後、予定通り近衛騎団一万の兵を三分割して、休息、準待機、警戒の交代体制をとった。
アスナの容態を気にして休息をとろうとしない団員も多数出たが休息も任務の一つだと各部隊の指揮官を通じてのアスティークの一喝に団員は渋々、休息をとった。
その一方で騎団司令部は多忙を極めていた。今まで駐留部隊支援のために行われていた市政を正常な状態に戻し、休息のために必要な陣地の構築を指揮し、補給部隊が到着するまで必要な当面の物資の調達、また自分たちの面倒を見るための処理だけではなく駐留部隊が築いた防護柵や町中に掘られた塹壕の処分なども行われた。
そういった諸手続のなかでヴァイアスたち司令部が一番頭を抱えていたのが住民たちの非協力的な態度だった。
「参ったな。奪還はしたものの掌握できずか」
書類に目を通しながら自嘲するかのように呟いた。その彼の横顔を西日が照らす。
昨晩からずっと書類仕事に忙殺されていたが、それに対する効果が上がる気配が全くないのだ。
「有力者たちの返答は相変わらずか?」
「はい。住民を混乱なく鎮めておくのに手一杯で騎団に協力する余裕がない、とのことです」
有力者たちと交渉を行っていた仕官はやや疲れ気味に答えた。彼も朝からずっと有力者一人一人と交渉を続けていたのだ。それで成果らしきものがなかったのだからよけい疲れもする。何より彼自身が協力を取り付ける自信がなかった。
「そうか」
嘆息するヴァイアス。
「彼らの立場からすれば無理からぬことですよ。革命軍の駐留以来、ケルスは人の出入りはもちろんですが、物資の流通量が著しく低下しています。商人たちはもちろん住民も多大な不利益を被っていますから。自国の兵とは言え、半年以上も占領されていれば幾つか問題が出ても不思議ではありません。我々がケルスを奪還した今も彼らの状況は変わっていないんです」
「・・・・・・愚痴はそれだけか?」
「申し訳ありません」
「いや、いい」
自分ではどうしようもな状況に苛立っているのを自覚してヴァイアスは心の中で反省した。部下に当たってもしかたがない、と。
「今日はもう休め。明日からも引き続き交渉を頼む」
「了解しました」
仕官は敬礼をし出ていった。残ったのヴァイアス一人。
市庁舎内に設けられている客室を仮のヴァイアス用の執務室としている。
落ち着きのある調度品に囲まれているが今の彼にはそれを楽しむ余裕は全くなかった。
紅茶を一口。そして小さくため息。
「俺たちだけじゃこのざまか」
傾く太陽に目を細めながらヴァイアスは呟いた。
「自他共に認めるお荷物がこんなに役に立ってたなんてな」
降伏の受け入れや都市への協力要請は儀式的にアスナの仕事だった。
ただ一言二言、声をかけるだけ。たったそれだけのことが今となっては十二分な効果があったのだとよく分かる。
後継者の、ひいては魔王の権威。
これまで奪還した都市の有力者たちは近衛騎団に協力したのではなく戦場に出ることを厭わない後継者を支援していたのだ、と。
何より今回はアスナ暗殺未遂だ。その情報は伏せているが有力者たちは知っている。
苦しい状況をおしてまで、主を護れなかった近衛騎団に協力しようとは誰も思わないだろう。
「”我らは魔王の剣であり魔王の盾。我らを統率するはただ一人、魔王のみ。我らが誇りは魔王と共にあることなり”・・・・・・何が盾だ。クソッ!」
自分の膝を悔し紛れに叩くと立ち上がった。
今、必要な書類は全て処理し終えている。アスナの様子を見に行こうとドアに向かって一歩踏み出したとき、ノックがした。
「なんだ!」
自然、声が荒くなる。ドアを開ける人物もそれを真っ直ぐに感じたのか、
「荒れているな」
「先生。・・・・・・アスナになにかあったんですか!?」
顔を見せたロディマスに掴みかかってきたヴァイアスを押し返しながら、
「少しは落ち着かんか」
乱れた服を正して、ロディマスはふぅとわざとらしく息を吐く。
「私がここに来ているということは小僧に容態に変わりないと、少し考えれば分かることだろう」
「・・・・・・すいません」
「司令部の連中もそうだが、中でもお前さんが一番の重症だな」
「・・・・・・・・・・・・」
「さて、小僧の容態だがまだ様子見といったところだ。少なくとも悪くはなっていないよ」
「・・・・・・それを聞かせるために?」
それだけなら昼過ぎに一度、報告を受けている。わざわざロディマスが直々に報告に来るようなことではない。
「それもあるがどちらかと言えばこちらが主(しゅ)だな。当分の間、小僧は面会謝絶とする」
「なっ!? どういうことだよ、それ! やっぱり、アスナになにか」
「落ち着かんか。お前さんはここで仕事をしていたから知らんだろうが小僧と親しかった連中が時間を見ては見舞いに来ていて、私はもちろん病院関係者にとっても邪魔なんだよ」
「あいつら」
ヴァイアスの頭の中で何名か候補が挙がる。後で厳重注意だ。
「小僧に今、必要なのは安静に出来る環境だ。それは分かるね?」
「はい」
「それからミュリカ嬢ちゃんを護衛から外せ」
「どういうことだよ、それ。何のためにミュリカを護衛につけているか先生だって分かってるだろ」
「分かってるよ。だが今、あの子が小僧の世話をする必要はないだろう。それに護衛だけならサイナ嬢ちゃんがいれば十分。何よりお前さんを止められるのはあの子だけだしな」
「止めるって、俺もか!」
「当然だ。団長だけ特別扱いでは他の者が不満に思うだろう」
何より今、ヴァイアスをアスナに会わせても悪循環になるだけだ。ただでさえ自分を追い詰めている彼をさらに追い詰める結果にしかならないのは明白だ。
と、再びノック音がした。
ヴァイアスは一度、ロディマスを見た。入室を許すか否かだ。
直にお暇するつもりだった彼に否はない。
「構わんよ。私もそろそろ戻るつもりだったしね」
それでは、と言葉を残してロディマスは出ていった。
入れ違いに入ってきた仕官は敬礼をするとヴァイアスに書類を提出した。
それは先ほど到着した報告書。
「リムル将軍からの報告です」
報告に将軍の名が出ることは稀だ。大抵が所属する部隊、この場合は第三魔軍からということになる。個人名での報告は何かしら特別な意味がある場合のみ。
ヴァイアスは一抹の不安を抱きながら書類に目を通し始めた。
報告を終えたロディマスは散歩がてら街の状況を見回った後、病院に戻った。
後継者が入院していることもあり、病院周辺は相変わらず近衛騎団による警備で物々しさはあるものの患者や病院関係者の出入りは許されていた。
もちろん持ち物検査や可能ならば身元確認が行われているが。
団員たちに顔の知られたロディマスも例外ではなく病院に戻る際には持ち物検査と彼が本物であることを確認する身分証の提示が要求される。
王城エグゼリスに出入りすることの許される近衛騎団の団員たちが所有するそれは特殊な魔法が施されているため、そう簡単に偽造することは出来ない代物だ。
身分証を提示してようやく病院に戻ったロディマスは一服する前にアスナの様子を見に行くことにした。今の時間は担当の看護婦が様子を見に行っているはずだ。
二階にあるアスナの病室前にはやはり騎団の団員による護衛が就いている。ここで身分証を提示してようやく中に入れるようになっている。
やれやれと思いつつドアをノックし、返事も待たずにロディマスは病室に入った。
そこにいたのは胸の傷だけではなく身体の至る所を火傷して全身を包帯で巻かれたアスナだった。
「先生、お腹空いたんだけど」
開口一番、これである。あれだけのことがあったにも関わらず以外と元気だ。
アスナが目覚めたのは術後の翌朝のことだった。爆発の衝撃で頭部を強く打っていたため、目覚めるのに時間がかかるのではないかと思われたが、その心配はいらなかったようだ。話せるようになったのは昨日の夕方ごろだ。
リクライニングのようなベッドに身を預けている姿は痛々しいが、それは外見だけで、経過は順調だった。今のところルピアの水による拒絶反応は見られない。
全身にあった火傷も重度のものはなく、ロディマスの見立てでは完治すれば痕も残らないとのことだった。側で看護婦が包帯の交換を行っている。
「調子はどうだね?」
「全身が痛がゆくてすっごい気持ち悪い」
「痛み止めを使ってるからそれで済んでいるんだ。完治するまで我慢しなさい」
昨日、目覚めたときには麻酔が切れており、全身を襲うあまりの痛さにアスナはのたうち回った。アスナは痛み止めの効果に感謝しながらも、
「分かってるけど。掻きたいのに掻けないのって正直つらいな」
「気持ちは分かるが掻かないようにな。王の身体に火傷の痕が残るのは見栄えが悪い」
「うん。それにしてもやっぱり魔法って凄いよな。あのとき、絶対に死んだって思ったのにこうして生きてるんだから。ホント、先生には感謝だよ」
言ってアスナは胸の傷があるだろう場所を撫でながら言った。
アスナはまだ知らされていないのだ。魔法薬の類が一切効かない状態にあり、拒絶反応が起きれば終わりという綱渡り状態にあることを。
思いの外、早く目覚めたことと経過が良好であることを鑑みて、ロディマスはそれを伝えないことを決めた。必要以上に不安を与えるべきではないと。
軍医であるロディマスは病は気からという言葉を信奉している。彼の経験から同程度の重傷者であっても生き残ることを望んだ者の方が生存率が高いのだ。
「それは姫様に申し上げた方が良い。お前さんの命を救ったのはあれだからね」
「うん」
二人の視線は自然に側の棚に向けられる。
その上にあるのは蒼い珠を砕かれたペンダント。エルトナージュから貰ったお守りだ。
ペンダントが丁度、胸の上にあったために小剣は心臓には到達せず、破損したときに展開した魔導式がその後の爆発の大半を受け止めていたのだ。
冗談のような偶然。言葉にすれば途端に陳腐となるが当事者たちにとって”奇蹟”以外の何者でもなかった。
アスナに上げたエルトナージュもこんなことになるとは予測しなかったことだろう。
ペンダントを渡してくれたときの、真っ赤になった彼女を思いだして自然に笑みが浮かぶ。
「先生。エルってさ、いつもああなのかな? 人に物を上げるとき真っ赤になってさ」
「さてな。そう言うことはミュリカ嬢ちゃんに聞いた方が良いんじゃないかね。あの娘は姫様のご学友だからね」
「前に聞いたよ。そしたら何か勘違いしたみたいでオレとエルをくっつけるんだぁって張り切って大変だよ。エルのこういうところが良いとか毎日聞かされるんだから、下手な洗脳よりも悪質」
「どう転ぶかはこれからのお前さんたち次第だね。私たちからすれば仲良くしてくれるに越したことはない」
「仲良くもなにもバタバタしてたから、まともに話をしてないんですよ」
「だから、これからだよ」
おざなりに聞こえる返事をしながら包帯その他の交換を終えた看護婦から詳しい容態の報告を受ける。専門的な言葉の羅列でアスナには何を話しているのかよく分からない。
それでも報告を受けたロディマスが心持ち安堵したように息を吐いたことから悪い話じゃないだろうとは予測できた。
「安心して良い。経過は順調だよ。本当に身体におかしな所はないね」
「痛がゆいの以外はないよ。さっきも言ったけどお腹空いたぐらい」
「術後、しばらくはダメだ。まだ身体に負担が大きい」
「けど・・・・・・」
情けない顔をするアスナに答えるように腹の虫が唸り声を上げる。入院経験のないアスナにとって点滴生活は正直、つらいものがある。点滴と言っても必要な栄養の供給だ。
「一昨日からずっと何も食べてないのはさすがにちょっと」
「・・・・・・分かった。明日の朝、検診をして今よりも回復していたら食事を用意しよう」
「えぇぇ〜・・・・・・」
「本当はもう二、三日はダメなんだぞ。食い意地を張って悪化したなんてことになったら笑い話にもならないだろう」
「そうだけど・・・・・・」
一応、納得はするものの、それでも食事への欲求は押さえがたいものがあった。
ロディマスもその気持ちはよく理解しているが、医師としてそれは断固として却下した。
ブツブツと文句を言うアスナを余所に彼は看護婦に必要な指示を出すと、改めてアスナに向き合った。
「さて、少し難しい話をしようか」
雰囲気を変えたロディマスにアスナはやっぱり自分の身体になにかあるのかと身構えた。そのことを察したのか彼は「そうじゃない」と首を振って否定した。
「近衛騎団のことだよ」
「騎団に何か問題でもあったんですか?」
「問題がないとは言わないが、それは予想の範囲内だよ。それよりも問題なのは彼らの処分だ」
「処分って・・・・・・何の?」
本気で分かっていないようだ。なぜ騎団を処分しなければならないのか。
「近衛騎団の主であるお前さんを殺されかけたんだ。それも厳戒態勢のなかでだ。何かしらの処分をしないわけにはいかないだろう」
「けど、こうしてみんなのおかげで生きてるんだけど」
アスナは本心でそう思っている。
結果として暗殺されかけた上にこうして重症になったがそれを招いたのは全て自分なのだ。状況から考えてこの件の首謀者はLDで間違いない。
彼を自分の軍師にするためには多少の危険を侵しても良いと考えていたし、今回のように重症を負わされることはなかったが、アスナが知る限りでは五度ほど暗殺者が襲いかかってきている。恐らく、知らされていない分を含めれば二桁は超えているはずだ。
今回は致命的な出来事だったがこれまでの成果を考えれば帳消しにするのに十分だとアスナは思っているのだ。
第一、この幻想界で安心して全てを任せられるのは彼ら近衛騎団だけなのだから。
人が良いと言えばそれまでだが、アスナは昔から一度信じた相手は最後まで信用するところがあった。それは幼い頃の日課だったアスナのジイさんとの散歩中に聞かされた昔話が大きな影響を与えてるのだろう。
「やっぱり、処分なんてやらなくて良いと思うんだけど」
「お前さんはそれでも良いかもしれんが他の者が、特に団長の坊主がそれでは納得せんぞ」
「そう言うところは責任感強いもんなぁ、ヴァイアスって」
普段は結構、チャランポランなのにと思ったがさすがに口にはしなかった。
「これまでとは違い、今回は一つ間違えれば主を殺されかけたんだからね。それも坊主の目の前で」
「そう言えばそうだったっけ」
思い出せば今でも身震いがする。
あのとき、感じたのは痛みでも熱さでもない。冷酷なまでに襲いかかってくる”死”の恐怖だった。
臭いも触覚も当然、目に見えるモノでもない。だけど圧倒的な存在感。
今も身体の中で蠢いているようなその感覚を奥底に押し込めるように目を閉じ、大きく深呼吸をした。
「大丈夫かね」
「うん。あのときのことを思い出してただけだから」
「そうか。この話はこれぐらいにしておこうか」
が、アスナは首を振った。
「無理はせんでもいい。坊主に面会謝絶を言い渡しておいたからゆっくり考えればいい」
アスナを安静にさせる意味も、もちろんあるが本当の所はどういう処分を下すかをゆっくりと考えさせるためだった。
重症を負っていてもアスナはもう自他共に認める近衛騎団の主だ。
不本意であろうと何らかの処分を下さないといけない。それが主の責務なのだから。
「先生、こういうときの処分って普通、どんなの?」
「通常は極刑だな」
「極刑って、もしかしてこれ?」
と手刀で自分の首を当ててみせる。
「そうだ。今回はお前さんが生き残ったことを差し引けば、解任と無期限の蟄居謹慎といったところが妥当だろうね」
「うぅ〜ん」
包帯の下で渋面を作る。
これまでの慣例に従えば、どちらに転んだところでヴァイアスとは二度と会うことは出来ない。彼がいなくなるということはミュリカもいなくなることだ。
ひょっとしたら他の騎団の団員たちもアスナが処分を下さなくても辞意を表明するかもしれない。それで一番困るのはアスナ本人に他ならない。
なんだか自分が処分を下すはずなのに、自分で自分を処分しているような気がしてならなかった。
「無理をして考えなくても良い。ゆっくりと誰もが納得できる処分を考えれば良い。さぁ、今日はもう休みなさい」
「うん」
と頷くが考えるのを止めようとはしない。
こういうところはアスナの良いところでもあるが、困ったところでもある。
「明日、食事をするのだろう。無理をして食事を取りやめにされたいかね?」
「それは嫌だけど。・・・・・・先生、ヴァイアスにとって一番、嫌なことってなにかな?」
「聞いていなかったのかね? 無理をせずに休みなさい」
「うん。ヴァイアスって言うよりも・・・・・・剣士か、うん。武人にとって一番、嫌なことってなにかなって方が良いか。先生、分かる?」
「・・・・・・・・・・・・」
「先生、お願い」
僅かな睨み合いはアスナに軍配が上がった。
「武人にとって一番辛いことは戦えないことだよ。分かったらもう休みなさい」
「・・・・・・戦えないことか」
「休みなさい!!」
青筋立てた顔を思いっきり近づけられては言うことを聞かないわけにはいかない。
「うん、はい、分かりました」
苦笑しながらアスナは深くベッドに身を預けた。
目を閉じて、眠るような体勢にはしたものの頭はしきりに動いていた。
どうするのが一番良いんだろう、と。
リムルから近衛騎団にもたらされた情報は”彷徨う者”の大量発生についてのものだった。これが人為的なものであると強調された報告書にヴァイアスはすぐに対応策を立てるべく動き出していた。
だが眼前のムシュウにはLDと彼に率いられている一万もの軍勢が残っている。アスナは予備戦力だと考えていたようだが、彼らはラディウス方面の国境守備軍なのだ。
内乱が起こしても外からの介入を許すわけにはいかないためにこれだけの兵力を残していたのだ。
数の上では同規模だが、兵の質では近衛騎団に利がある。だが敵はLDだ。
どういう行動に出るか予想がつかない。
この状況で出現するかどうか分からない”彷徨う者” のために兵力を割く余裕は近衛騎団にはない。かといって無視することは恐らくアスナの意思に背くことになるはずだ。
打開策の一つとして降伏し、恭順を示した元・ケルス駐留部隊を分割して近隣の町村の守備に就かせることが提案され、すぐに実行に移された。
だがそれでも十分とは言い切れない。
頭を痛めるヴァイアスたちにミュリカは口を挟んだ。
「ゲームニス様に救援を求めるのはどうかしら?」
近衛騎団を除くラインボルト軍の総帥である大将軍だ。
エルトナージュとデミアスによる政争と、それに続く内乱に嫌気がさし故郷に引きこもってしまっているのだった。
そしてその彼を慕って第一魔軍の中核と一部の将兵が彼に付き従っている状況だ。
ゲームニスの故郷はケルスから馬で一日ほどの場所にある。
だがそれだけに近衛騎団からの救援に応じてくれるか分からない。
参謀の一人からその旨のことが発言されたがミュリカはさらに言葉を続けた。
「今は打てる手は全部打った方が良いと思います」
「他に意見はあるか?」
「救援を求めるのは結構だと思いますが、国軍に借りを作るのはあまり良くないと判断しますが」
魔王直属の独立機関としての意地がそう言わせているのだ。
近衛騎団と国軍は対立する関係にはないが親密であるとも言い難い。お互いに不可侵であることを無言で了承しあっているような関係なのだ。
その相手に救援を求めるのはやはり面白くないのだろう。
「貸しを一つ返して貰うと思えば良い。過去をさかのぼれば国軍が我々に救援を求めたことの方が多いんだからな」
と、アスティークは言った。
確かに近衛騎団は国軍に対して救援要請という貸しは多い。だがそれはエグゼリスの守護組織として戦争が起きても積極的に動かなかったからにほかならない。
それでも国軍に対して多くの貸しがあるのもまた事実だ。
アスティークの言葉に納得したのか参謀は頷きで了承の意を表した。
改めてヴァイアスが発言を促したが誰からも言葉は発せられない。
「よし。大将軍に使者を送る。良いな」
その後、騎団全部隊の状況報告などがなされ、解散となったときノックもなしに団員が会議室に飛び込んできた。
「何事だ!」
アスティークの一喝にも動じることなく団員は敬礼をした。
「後続の補給部隊が多数の”彷徨う者”に遭遇。その数およそ二百。救援を求むとのことです」
「言ってるそばから。・・・・・・即応可能な部隊を救援に向かわせろ。アスティーク、後は頼む」
「了解しました。大将軍への使者の準備も始めます」
「頼む」
途端に動き出した会議室から出てヴァイアスはミュリカを伴って執務室に戻った。
「ったく次から次に一つも問題が解決しやがらない」
「そう言わないの。一つ一つ解決するしかないわよ。それに後続の補給部隊と合流すればケルスに関する問題は同行してる文官に任せられるんだから」
「その文官が無事だって言う保証はないけどな」
「ヴァイアス・・・・・・」
「悪い」
笑みを見せるがやはりぎこちない。無理をしているのがミュリカでなくてもよく分かる笑みを。
「いま出来ることを一つ一つやるしかないんだよな。俺がいなくなる前にどこまで出来るか分からないけど」
「そんなこと・・・・・・言わないでよ」
ミュリカは俯き唇を噛んだ。彼女も彼にどういう処分が待っているのか予想している。
お互いにそれを受け入れるために、敢えて言葉にしなくても分かっていることをヴァイアスは口にした。
「妥当なのは斬首、良くても蟄居謹慎だな。どちらにせよ俺はここから去らないといけないってことだ。ミュリカとも、な」
ミュリカは歩みを止めて彼の腕を掴んだまま肩を震わせた。
言いたい。
一緒に逃げよう、どこか誰も知らない場所で一緒に生きようと言いたい。
だけどそれは許されないことだ。法や道義など関係ない。
彼自身が、そしてミュリカもそうすることを許さないのだ。
だから今、彼女が出来るのはいつも通りの自分でいること。
そう理解していても出来なかった。出来るわけがなかった。
ヴァイアスは掴まれる腕をそのままに振り返ることなく言葉を続けた。
「お前は残れよ。アスナやサイナ、エル姫には絶対にミュリカが必要なんだから。約束だぞ」
彼女に返事はない。
「な?」
返事の代わりに彼女は笑みを作った。酷くおかしな笑みを。
「ヴァイアスがエル様のことをそんな風に呼ぶのは久しぶりね」
「今の俺にけじめもなにもないだろ」
ヴァイアスもミュリカと同じように幼い頃から王城エグゼリスで暮らしてきた。
ミュリカ同様にエルトナージュとも彼は幼い頃から親しくしている。
人魔の規格外としての力が強く現れ始めたことに伴い、彼は近衛騎団への入団を果たしている。最年少入団と言えば聞こえは良いかも知れないが体の良い厄介払いだった。
王族の武術指南も務める近衛騎団に入団すれば同じ人魔の規格外であるヴァイアスとエルトナージュが顔を合わせるのは必然のことだった。ミュリカとの出会いもその頃だ。
近衛騎団の団員見習いとして訓練を受けているとき以外は大抵三人で過ごした。
その頃、彼はエルトナージュのことをエル姫と呼んでいたのだ。
「お前が騎団に入るって言い出したときはすっげえ恨まれたんだよな」
戻った臨時の執務室は荒れ放題となっている。いろいろな苛立ちはもちろんだがミュリカが側にいなかったから出した物が出しっぱなしのままになっている。
「こんな汚い部屋を見せられたんじゃ放っておけないし。・・・・・・もう、これじゃどこに便箋があるか分からないじゃない」
「悪かったな。お前みたいに整理整頓が上手くないんだよ」
「ヴァイアスのは整理整頓以前の問題じゃない。これじゃどこになにがあるか分からないわよ」
「そこが甘いんだよ。俺にはどこになにがあるか分かってるんだから」
「だったらどこに便箋があるのよ」
「・・・・・・ほら、ここに」
机の端にある書類の束の下から騎団の紋章であるリージュの横顔の印が推された便箋が数枚出てきた。下敷きになっていた割には皺の一つもついていない。
が、便箋救出の代償に上に乗っていた書類が雪崩を起こした。
その様にミュリカは盛大にため息をもらした。
「どこに何があるか分かっててもこれじゃ意味ないじゃない。やっぱり整理整頓は必要ね」
「そう言う意味じゃ俺もエル姫に文句言えないな」
「当たり前じゃない。ヴァイアスの面倒を見ようなんて物好き、幻想界中さがしてもあたしぐらいよ」
「自分でそう言ってるようじゃ、終わりだな」
「そうよ。だから最後の最後まで責任とってよ」
「あぁ、最後の最後まで責任をとってやる。覚悟しておけよ」
「望むところよ」
そう言って二人は吹き出した。
先の短いであろう最後までともにあろうと。
その翌日。
昼も半ばを過ぎた頃、近衛騎団の主立った者たちに召集がかかった。
アスナが呼んでいる、と。
ヴァイアスたちは指定された時刻までに目の前の仕事を片づけると威儀を正し、アスナが入院している病院へと向かった。
アスナが呼んでいる、ということは処分を言い渡すことを意味している。
彼らにはもう覚悟は決まっている。いやどんな処分が待っているのかすでに分かっている。だが処分を受けることになる騎団首脳部の面々に悲壮感はない。
ただ最後の最後まで誇り高き近衛騎団の一員として醜態を晒さないようにと。
病院前ではロディマスが待っていた。
これから何があるのか当然、彼も分かっている。その上で彼は普段と変わりないような態度をとっていた。
「覚悟は出来ているようだね」
「・・・・・・あぁ」
身元証明が行われた後、彼らはロディマスに伴われて院内に入っていった。
廊下にはアスナの護衛として配備された団員たちが整列して敬礼をしている。
ヴァイアスたちは返礼をすることなく歩みを進める。だが彼ら一人一人の顔を胸の奥に刻みつけながら。
二階にある病室。そこにアスナはいる。
扉の前で護衛をする団員とともに病院での護衛責任者であるサイナが立っている。
彼女自らが改めて全員の身元確認を行うと、
「アスナ様がお待ちです。・・・・・・どうぞ」
そう言って彼女はドアを開けて全員に入室するように促した。
頷きヴァイアスたちは入室した。
部屋は後継者が使用している割には寂しい感じがした。病室なのだから当然なのだが。
ベッドに横たわるアスナは同じく入室したロディマスの手を借りて身を起こした。
と、ロディマスはベッドを操作してソファのようにすると、彼をゆっくりともたれかけせた。
その間、ヴァイアスたちは敬礼するでもなく、跪くでもなく、彼らは平伏していた。
言い訳もなにもしない。ただ命じられた処分を受け入れると全てで表していた。
「ご処分を」
皆を代表して発したヴァイアスの言葉にベッドに横たわったアスナは、
「やっぱり、それを先にしないといけないか」
小さく吐息。
「顔を上げていつも通りしてくれ。そんなんじゃ話しにくい」
アスナの許しを得て、彼らはゆっくりと顔を上げた。
どの顔も覚悟を終えている。あとは受け入れるだけの表情だ。
彼ら一人一人の表情をアスナは受け止めるように見つめた。
「みんなももう理解しているとは思うけど、今回ばかりは事実上の処分なしという訳にはいかない」
普段の彼が発する声より小さいがずっと強い意志が宿っている。
「オレを守るために最善を尽くしたことは理解している。だけど戦場では結果が全てだってことはオレよりもみんながよく分かっていることだと思う」
睥睨する。これまでになく強い視線をヴァイアスたちは一身に浴びた。
処分に手加減はしないという意思を肌で感じる。
「ここでオレが甘い処分を下しても納得しないだろう。だから考える限りで最も重い処分を下すことにした」
最も重い処分。・・・・・・死罪。
その場にいた者たちの幾人かが肩を震わせた。
「これはオレもよく考えた末に決めたことだ。だから反論することも許さないし、変更もしない。そのことだけは肝に銘じておけ。良いな」
『承知いたしました』
全員の了承の声にアスナは鷹揚に頷いた。
「先生」
一声かけるとアスナはロディマスの手を借りてベッドから出た。
薬で散らしているとは言え、それでも消えない傷の痛みを抑え付けて彼はヴァイアスの眼前に立った。
「ヴァイアス、ガルディスを渡せ」
「はっ」
命じられヴァイアスは腰の剣、魔剣ガルディスを抜き、アスナに捧げた。
あのとき、彼の忠誠を受け入れたときと同じように剣から押し寄せるような力を感じる。だがアスナもこちらでいろいろな力を触れたからあのときのようなカッコ悪いことはしない。
アスナはガルディスを手にしたまま、処分を口にした。
「ヴァイアス、お前の利き腕はオレが貰う。それをもって全ての処分とする」
「なっ」
「アスナ様、それは!」
「黙ってろ!!」
ミュリカたちの声を押し潰すようにヴァイアスの一喝が病室に響いた。
どんな処分であろうとも受け入れる。口を挟むことは許さないとの意思が込められていた。
「ご命令通り、我が右腕を捧げます」
言って彼は右腕を守る籠手を外し始めた。ただ静かに。
アスナの言い渡した処分の重さを噛み締めながら。
利き腕を取り上げる。
それは武人にとって最も最悪の処分だった。恐らく死罪よりも重い。
戦場を駆けめぐり戦いを続けること。それが武人の存在意義であり、誉れそのものだ。
敵と刃を交わせば当然、幾多の傷を負う。中には利き腕を切り落とされることもある。
そうやって出来た傷は彼ら武人にとって悔しさでもあるが、戦いによっては名誉とすることもできる。だが戦うことなく利き腕を取り上げられれば、もう二度と戦うことは出来ない。戦うことの出来ない武人は当然、放逐される。
消すことの許されない不名誉を背負いながら、生きていかなければならないのだ。
誇り高い近衛騎団の、それも団長がそのような処分を受ければ世間の耳目は注目する。
これほど最悪な処分もないだろう。そしてアスナにしか下すことの出来ない処分だ。
「・・・・・・どうぞ」
袖をまくり上げたヴァイアスは真っ直ぐ横に右腕を掲げた。
アスナは頷いた。そして改めて皆を見る。
「よく見ていろ。これはヴァイアスだけではなく、お前たち全員に対する処分だ」
吐息。そして、アスナは剣を振り上げた。いくらこれまで修練をしたからと言ってもまだアスナには剣で腕を切り落とすことはできない。が今、彼が手にしてるのは魔剣だ。
ガルディスが魔剣としての力を放ち始める。
魔剣とは使用者の力を持ってその力を発揮する剣だ。だがガルディスはその範に漏れる。
ガルディスはそれ単体で力を発することの出来る剣。
そしてその力とは、あらゆる力の流れを断ち切る力。それは身体を生かす力も含まれる。
振り下ろした剣に僅かな抵抗を感じつつも、剣はヴァイアスの右腕を切り落とした。
すとん、と右腕が床に落ちる。だがすぐには朱は吹き出さない。
しばらくは残された腕の筋肉で血管を締められたいたが間もなく朱が吹き出し始めた。
「ヴァイアス!」
ミュリカが近寄ろうとするがヴァイアスの視線がそれを押し止める。彼女は下唇を噛んで動くことが出来なかった。
「これで全ての処分は済んだ。・・・・・・先生、すぐに止血してやって」
アスナの側に控えていたロディマスはすぐに言われた処置を始めた。ミュリカも弾かれたように彼の側に近づいて処置の手伝った。
痛みに歪む表情を浮かべるヴァイアスの視線を受けながらアスナは手にしていたガルディスを捨てた。
それまで黙って処分を受け入れたヴァイアスはアスナのその様を見て、ついに目を大きく見開いた。捧げた剣を捨てられる。それはヴァイアスを捨てるということと同義だ。
俯き肩を大きく震わせた。それは腕を失った痛みからの震えではない。
声を発することなく肩を震わせ続けるヴァイアスの前にアスナは跪いた。
アスナの視線の先には鮮血に浮かぶ男の腕があった。彼の腕よりもずっと太くて逞しいそれは、もうアスナの所有物だ。
恭しくという言葉に相応しく、アスナは大切に両の手で男の腕を捧げ持った。
まだ温かく、そして力強さを感じる。
「これでこの腕はオレの物になったわけだ。そしてヴァイアスはもうオレの臣下じゃない」
「・・・・・・・・・・・・」
ヴァイアスに返事はない。ただ声を殺すのみだ。
全てが現実である証を示すようにアスナの手には男の右腕、足下にガルディスが転がっている。
ミュリカがもの凄い顔で睨んでいるのを無視してアスナは言葉を続けた。
「ヴァイアス、オレの言ったとおりだな」
「・・・・・・はい」
「よし。これで全部、白紙に戻ったわけだ。その上でヴァイアスに提案」
立ち上がり、手にした腕を彼に差し出した。
「この腕を対価にオレの臣下になれ。規格外のお前だったらすぐに元通りになるはずだからな」
「なっ!?」
顔を上げる。そこにあるのは無様としか言いようのない顔だった。
それはヴァイアスだけではない。ミュリカも、その場にいた騎団首脳陣も似たような顔をしていた。
「勘違いするなよ。オレはちゃんと処分を下して、まだ生きてるのにそのことを喜んでくれないで、一人で悩んでるヴァイアスを捨てたんだ。側にいて欲しいのはオレと一緒にバカをやってくれるいつものヴァイアスだ。今のヴァイアスをオレは臣下にしたい」
「ア・・・・・・スナ」
「よく考えて返事をしろよ。この腕を受け取ったらガルディスみたいに手放すことは絶対に出来ないんだからな」
それはアスナにも言えることだった。そして裏を返せばこの腕をヴァイアスが受け取れば二度と彼を捨てないと言っていることと同義なのだ。
重い処分は下すがこれまで通り側にいて貰うにはどうすればいいのか。
考えすぎて一度、体調を崩してまで出した結論がこれだった。
アスナは彼らを捨てるつもりなど欠片も持っていないのだから。
「いくらここが病院でも時間が経ちすぎるとくっつかなくなるぞ」
「謹んで・・・・・・頂戴いたします」
頷き、アスナは差し出されたヴァイアスの手に腕を置いた。
「改めて、よろしくなヴァイアス」
「はっ。我が力の・・・・・・全てを主、のために用いるこ、とをここに誓います」
あのとき、王城での忠誠の儀が終わったときのように、そこには満面の笑み。新しい友だちを見つけた子どものような笑みを彼は浮かべていた。
彼の笑みにつられるようにしてアスナも同じ笑みを浮かべる。
だけどあのときの違いはヴァイアスの笑顔が酷く情けないものだった。
「で、ミュリカはどうする?」
と、ヴァイアスの代わりにアスナが言った。
「あのときと同じこと言わないで下さいよ」
「それじゃ決まりだな」
「・・・・・・はい」
「よしっ。それじゃ先生、ヴァイアスの腕をちゃっちゃとくっつけちゃって。そうだ。ヴァイアスには謹慎処分も付けておこうか。ちゃんと腕が治るまで安静にしておくこと。ミュリカはその監視するように」
「承知しました、殿下」
「・・・・・・ヴァイアス」
ジト目でアスナ。ふっと力を抜いて彼は言い直した。
「了解したよ、アスナ」と。
「手術の準備は出来ている。すぐに行くぞ、外には担架も準備している」
ロディマスに促されてヴァイアスは歩き始めた。当然、ミュリカも付き添って。
そのヴァイアスの背中にアスナは声をかけた。
「早く治して見舞いに来いよ。ここでぼぉっとしてるのは暇なんだから」
「そう言うお前こそこっちに来いよ。俺とミュリカで歓迎してやるから」
「ったく、謹慎処分って分かってる? くれぐれもミュリカといちゃつかないように。ほら、ちゃっちゃと行けよ。脂汗、浮かべてみっともない」
「お前が引き留めたんだろうが!」
「はいはい、分かった分かった。それじゃ、またな」
「お前なぁ!」
「ヴァイアス!!」
むんずと彼の耳を掴むとミュリカはそのまま病室の外に連れ出した。
「それではアスナ様、失礼します」
「あぁ」
一礼するミュリカにひらひらと手を振ってアスナは見送った。
まるでそれを合図にしたかのようにドアが閉まるとアスナの身体が傾いた。
「アスナ様!」
側にいたアスティークが咄嗟にアスナを支えた。
「・・・・・・ありがと。ちょっと目眩がしただけだから。悪いけど、ベッドまで運んでくれる」
「はい」
男に抱きかかえられるのもなんだかなぁ、と思いつつもアスナはアスティークの手でベッドに戻された。
「ふぅ。・・・・・・ヴァイアスの腕が元に戻るまで騎団のことはアスティークさんに任せます」
「了解いたしました」
「ん。それじゃさっそくだけど状況説明してくれる?」
「まだご無理をなさらなくても」
「あの腕、斬ったのは騎団全体の処分だってことは分かってるよね?」
「それは、もう」
「それでその腕を近衛騎団の団長であるヴァイアスが受け取ったってことは騎団全員がオレの我が儘に振り回されるってことだよ。そう言うことだから状況説明をお願い」
アスティークの負けである。彼は盛大にため息をもらして現状説明を始めた。
説明を耳にしながらアスナは窓の外で翻るリージュの旗を見た。
旗は強い精気をもって風を受けている。旗は無言でこう告げている。
我らは近衛騎団なり、と。
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