第一章
第十話 ムシュウ陥落
悔いのない決断を。
自分の謝罪を受け入れず、その言葉のみを残して、旧友(ロディマス)は去った。
見上げれば貴石を散らしたような艶のある漆黒の空が広がっている。
風は冷たいが不快ではない。
コルドンの家並みは”彷徨う者”の脅威が消えたことで緊張が緩んだのか、普段よりも騒がしく感じる。その中をゲームニスは一人、歩く。
今、大将軍として最も最善となる選択はなんであろうか。
考えるまでもない。国体の護持こそが武人としての最大の存在意義だ。
これまで通り、不名誉を背負うことになろうと内乱中のラインボルトに介入する可能性のあるラディウスに備えるべきだ。
だが、状況は自分の予想を超えたところにある。
”彷徨う者”の大量発生。それが人為的なものであると判明し、かなりの数の指揮者が国内に浸透していることも予想される。
言うなれば、今のラインボルトは合併症を患った状態だ。
この状況下でラディウスの介入が始まれば、自分の思った通りの展開となるのか非常に怪しい。事ここに至って大将軍である自分がこの地に貼り付いている意味があるのだろうか。
国体の護持を考えるのならば、早急に後継者がこの内乱を鎮圧することが望ましい。
そのためには余計なことに煩わされることなく事を決してもらった方が良い。
そう考えるのならば、
「・・・・・・加勢すべきなのだろうが」
だが、ゲームニスはその一歩を踏み出すことが出来なかった。
自分が動けば、まず間違いなく国内はさらなる混乱を招くことになる。
後継者が立案した作戦、つまりフォルキス率いる革命軍本隊をファイラスに封じ込め、その間に重要都市を奪還する作戦は戦線を拡大させない効果もあらわしている。
ラディウス独立に至る内乱に次ぐ規模にも関わらず市井の被害が最小限に止められているのはそのためだろう。
そこにゲームニスと言う名の新たな火種を投入すればどうなるのか。予測は出来るが、実被害はどこまで及ぶか見当もつかない。
「・・・・・・・・・・・・ふぅ」
吐息が漏れる。
悔いのない決断を。そのための最後の一押しが足りない。
決断に対する踏ん切りだけはどれだけ歳を重ねても馴れることはない。決断を恐れる表情と雰囲気を隠すことばかりが巧くなる。
決断を下すために欠けた要素がなんであるのか分からない。それさえ見つかれば・・・・・・。
「閣下」
「ブルーバリか、どうした」
振り向かずに聞く主に家令は礼をする。
「はい。殿下がお目覚めになられました」
「・・・・・・そうか」
返事に家令は無言で辞去した。
ゲームニスは客室の前に戻ってきていた。
未だに決断に必要な要素は揃っていない。だが時間は刻一刻と流れるのみだ。
ならば後継者と言葉を交わすことで決断を下そうとゲームニスは思った。
経緯はどうであれ、ラインボルトはこの少年を中心に回っている。今も、そして恐らくこれからも・・・・・・。
ノックをする。
僅かな間の後、上擦った「はい」と言う返事がかえってきた。
ゲームニスは改めて威儀を正すとドアノブを回した。
「失礼いたします、殿下」
入室し、最敬礼をしたゲームニスの目にベッドに身体を預ける後継者と、甲斐甲斐しく看護していたであろう騎団の女性参謀が映った。
「お加減はいかがですかな」
アスナに声をかけながらゲームニスの目に手頃な大きさに切られたリンゴを乗せた皿が見えた。
うさぎに切っているところから、この女性はなかなか多芸のようだ。
「おかげさまで、この通り元気だよ」
どことなく憮然とした口調に、ゲームニスはまぁ、これが普通の対応だろうなと思った。
要請を断った者を歓迎するはずがない。
「今になってヴァイアスとミュリカの気分を味わうなんて。・・・・・・これからは自重しよう」
「殿下?」
「・・・・・・なんでもない。自分がやったことは自分に返るってことを実感してるだけだから」
なぜか参謀が赤面している。何があったかは不明だが大したことではなさそうだ。
「大事にはならなかったようで安堵しております」
「ありがとうございます。・・・・・・さっきの続きですか?」
「いや。今は殿下と言葉を交わしたく参りました」
「・・・・・・私はお邪魔のようなので」
辞去しようとするサイナの手をアスナは握った。
「ここにいても良いよ。大将軍はただ単に雑談しに来たんでしょ」
余りにも大雑把な表現にゲームニスは苦笑し、頷く。
「ほら。と言っても大将軍の椅子がないから・・・・・・」
「では、私が持って参ります」
「ん〜。・・・・・・サイナさんはここに座って」
ぽんぽんと後継者はベッドの縁を叩く。
「ですが」
「いいからいいから。・・・・・・それで大将軍、話って?」
あまりの態度の軽さに気勢を削がれたが、ゲームニスは咳払い一つで改めて威儀を正すと参謀の座っていた椅子に腰掛けた。
戸惑いを見せていた参謀に頷いてやると、彼女はそっとベッドの縁に座った。
その光景に些かムッとした表情を浮かべていた後継者はそのままの顔をゲームニスに向けた。
「殿下。何故に御自身が戦場に出ようと思われたのです。後継者としての自覚がお有りになるのならば、王城で指揮を執られるべきです」
「やっぱり、今のままじゃそう言う話題になるか。その質問に答える前に大将軍はどこまでオレのこと知ってるんですか?」
「殿下がどのような方かは正確にはわかりません。私が存じ上げていることは近衛騎団の者たちに好かれていることと、幻想界統一を目指すと公言されたことのみです」
「それじゃもう分かると思いますよ。幻想界統一をしようって言った張本人が城に閉じこもっていたら誰だって一緒にそんなバカをしようだなんて思いませんよ。それにうちのジイさんが言っていたんです。一人じゃ出来ない大きなことがやりたかったら自分が一番にやり始めないと誰も手伝ってくれないって」
「それは君たち騎団も分かっていることなのか?」
ゲームニスは視線を参謀、サイナに向ける。彼女は頷く。
「はい。我々はそのことを承知でアスナ様に従っています」
「・・・・・・なるほど。では、殿下はなぜ幻想界を統一なさろうと考えられたのです。不敬を承知で申し上げれば、殿下は幻想界のことを何も知らない現生界の方。召喚されてすぐに幻想界統一だなどと言い出すとは到底思えないのですが」
途端、後継者は破顔した。何が可笑しいのかくくくっと笑い始めた。
「アスナ様?」
「殿下」
図らずも二人の声が重なる。
「いや、ゴメン。なんか、みんな同じことを聞くんだなって思って」
「みんな、とは」
「エルトナージュもLDも同じことを聞いたんですよ。幻想界のことを何も知らないクセにって」
ひとしきり笑い終えると後継者はサイナに水をもらい一口飲んだ。
「さてと、これから先の話は誰にも内緒。棺桶に入っても誰にも言わないって約束できるんなら話す。大将軍、約束してくれますか? サイナさんも」
ゲームニスは頷きを持って答えた。サイナもまたしかりだ。
後継者はそれに納得したのか同じく頷くと訥々と話し始めた。
その理由はあまりにも呆気にとられるものだった。
幻想界統一を願ったのはエルトナージュであり、後継者はそれを手伝ってやりたいと考えたからだと言うのだ。
確かにエルトナージュの望み、”彷徨う者”の消滅を実現するためには幻想界の統一は必要だろう。だからといって・・・・・・。
「大将軍が言いたいことは分かるよ。”彷徨う者”は戦争で命を落とした人ほどなりやすい。それなのに幻想界統一なんてやったら余計に増えるんじゃないかって」
まさしくその通りだ。
「だけど、エルトナージュが見てるのは統一した後の幻想界なんだよ」
「・・・・・・なるほど。確かに姫様ならばそのようなことを考えても不思議ではない」
ゲームニスもそのことを良く知っている。
慟哭する先王アイゼルとは対照的に感情を表に出すことなく母の葬儀を済ませた姿が思い出された。ひょっとしたらあの時から幻想界を統一し、”彷徨う者”を消し去ることを考えていたのかも知れない。
「オレも”彷徨う者”を実際に見て、襲われたからエルトナージュの言うことは分かる。オレも”彷徨う者”を消し去るのには賛成だから。だけど、そのためだけに幻想界を統一しようだなんてって思う人は当然いると思う。今は内乱中だからそれを何とかしようって一致団結してるけど、内乱が終わった後はどうなるか分からない」
後継者は再び、コップの水を口にした。
「いくら魔王がいて、五大国の一つに数えられていても、ラインボルトは軍事力では最弱の国なんですよね。そんな国で幻想界統一をやるだなんて言うヤツを新しい魔王にしたくないって考えるヤツも当然、出てくるはず。内乱の後、殺されるかも知れない」
「そこまで分かっていながら、幻想界統一の意志は変わらないと仰るのですか」
「うん。オレにはもう守りたいと思うものがないから」
「近衛騎団も、ですか」
後継者はゆっくりと首を振り、サイナの手を取った。
「サイナさんや、騎団のみんなとは一緒にいたいだけだよ。オレよりもずっと強いのに守るだなんて可笑しいだろ」
そしてサイナに微笑みかける。照れているのか彼女は顔を赤くしている。
「それに暗殺されるかも知れないけど、本当にされるとは限らないんだ。現にLDの刺客に殺されかけても、みんなのおかげでこうして生きてるんだから」
「では、殿下」
ゲームニスは立ち上がるといきなり後継者の首を掴んだ。
余りにも自然な動きにサイナはそれを防ぐことは出来なかった。
「私がこのようなことをする可能性も当然、承知されていたわけですな」
「・・・・・・もちろん」
首を掴んだと言ってもそれほどきつくはない。多少息苦しい感はあるだろうが、手は首を覆う程度でしか力を込めていない。
だが、殺そうと思えばすぐに出来る。魔法を放てば簡単に済むことだ。
背後で殺気立っているサイナにもすで牽制を加えている。容易に動くことは出来ない。
「この状況、どのように切り抜けられますか?」
「それはお互い様、かな」
「・・・・・・むっ」
いつの間に抜いたのか短剣の切っ先がゲームニスの腹部に当てられていた。
「これでも何度も殺されかけた身だから用心に越したことはないってね。この短剣には先生に頼んで結構、えげつない毒が塗ってあるから下手に動かない方が良いですよ」
「なるほど。・・・・・・これが殿下のお覚悟ですか」
真っ直ぐにゲームニスを見据えて頷く。
「それに、何だかんだ言っても殺されるのは勘弁だから」
睨み合いが続く。
ゲームニスの背後に立つサイナは手を出すことが出来ず歯痒さを表情に浮かべている。
「・・・・・・それで大将軍。これ、どうしましょうか?」
「どう、とは?」
「さすがに味方になって欲しい人に短剣を突きつけたままでいるのは心苦しいから」
「この期に及んでまだそのようなことを仰るのか」
「言うよ。ここまで待たされたんだから是が非でも味方になってもらわないと困る」
首に手を当てられたまま後継者は笑みを浮かべる。何の力も入っていない笑みを。
「殿下。誰にでもそのようなことを仰っているとすぐにお命を落とされますぞ」
「そうならないように大将軍にも味方になって欲しいんだ」
言って後継者はゲームニスを突きつけていた短剣を捨てた。
「アスナ様!?」
サイナは危惧の声を上げた。だが、ゲームニスは小さく吐息をすると後継者の首から手を離した。
「今後、今回のようなことがあっても今のような対応はおとりになられないようお願いいたします」
「それじゃ!」
身を乗り出した後継者にゲームニスは頷いた。
「このゲームニス、後継者殿下にご助力いたしましょう」
”彷徨う者”の討伐をゲームニスが承諾したからと言ってすぐに行動に移れるわけではない。
軍を動かすためにはまず、行軍計画を立案し、兵を動員し、それに見合った軍需物資を確保しなければならない。
現段階で揃っているのは兵の動員だけだ。と言ってもこれでは全然足りない。約一個大隊で事に当たるには明らかに兵数不足だ。敵の所在が、ラインボルト中部ないし、南部としか判明していない以上、広く兵を展開する必要がある。
特にヤツらは地方の小さな町村の住民を”彷徨う者”にして兵力としてしまうため、現状ではどうしても対症療法的な手段しか行使できないのが現状だ。
かといって、手持ちの一個大隊を分散配置しても効果はない。どうしても国内から兵力をかき集めなければならない。それも内乱にさらなる混乱を与えないような方法で、だ。
そこでゲームニスは彼同様に内乱に関与しないと決めた一部の将兵たちを活用することにした。自分が何もせずとも彼らは動くだろうが、初めから指揮下に置いて動かした方が混乱も少ないだろうとの判断からだ。
事を円滑に、且つ強制力を持って進めるために命令書には自分だけではなくアスナにも連名で署名してもらうことにした。
「署名するのは良いけど、みんなオレの名前なんか知らないだろうから意味ないんじゃないかな」
「殿下のお名前を知らずともラインボルト軍の士官で私の名と花押を知らぬ者はおりません。その私との連名であれば偽物と疑う者はおりますまい」
「そう言うものですか」
テーブルの上に置かれた命令書を手に取り、まじまじとゲームニスの署名と花押を見た。
「なんか、連名って言うよりも箔付けのためみたいな感じだ」
「よくお気づきになられましたな」
書記官や手の空いた達筆な団員を総動員して書かせた命令書の束に次々と署名と花押を描いていく。その手を休めることなく、感嘆を声音に混じらせながら言った。
「およそ命令書と言う物は内容の正当性や有効性よりも責任の所在がどこにあるかを明確にすることにこそ意味があります」
「なるほど。よく分からないヤツからの命令に従おうだなんて思わないもんな」
「そう言うことです。ご理解いただけたところで、殿下もご署名下さい。・・・・・・なにか?」
「その殿下って言うのは止めてもらえないかな。自分じゃないみたいな気がするから」
「ではなんとお呼びすればよろしいのです?」
僅かに呆気にとられたような表情を見せるゲームニスにアスナは上目遣いで、
「出来れば名前で呼んでくれると嬉しいんだけど」
小さく、だがはっきりと分かる笑みを見せるとゲームニスは頷いた。
「承知いたしました、アスナ様」
素直に自分の頼みを聞いてくれたことに驚いて、一瞬間抜けな顔を見せたが、ゲームニスの応えを消化しきるとアスナはニィと笑みを見せた。
二人が署名をする命令書には二つの特徴がある。国内を荒らす”彷徨う者”を大将軍ゲームニスの指揮下で行えば、後継者召喚後の行動について罪には問わないと言う点と、命令書に目を通した後でも指揮下に入らずに単独で討伐すれば職を追放すると言う点だ。
こうすることで国内に散った兵たちを柔軟性を持って活用することができる。
その辺りの質問をするアスナに一つ一つにゲームニスが丁寧に答えていた。やがて話題も尽き、沈黙が降りる。二人の筆を進める音だけが聞こえる。
暖かな湯気をたてていた紅茶が冷めてしまった頃、ふとゲームニスが筆を休めることなく話をふってきた。
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なに、大将軍」
「それです。仮にもアスナ様は後継者。私のことなどゲームニスと呼び捨てにして下さって結構です」
「そう、なんだろうけど。なんて言うか、大将軍ってオレのイメージにぴったり合ってるんだ。だから・・・・・・、駄目かな」
名前で呼ばない代わりにアスナはゲームニスに敬語を使わないのだ。最近では周囲の者が必要以上に気を使わせないように極力、敬語を使わないようにしている。
「いえ、光栄に存じます」
畏まるゲームニスを面映ゆい顔で見るとアスナは照れ隠しのために強引に話の方向を変えた。
「そうだ! 大将軍たちって内乱が始まってからずっとコルドンにいるんだよな。一個大隊って言う大所帯の世話をする必需品も一緒に持ってきたって聞いたけど、これからの”彷徨う者”の討伐に必要な物資は足りてるの?」
「ご安心を。当面は問題なく行動できるだけの物資は確保しております」
外ではゲームニスが貯め込んでいた物資を荷馬車に乗せている最中だ。恐らく窓を開ければ、その喧噪が聞こえてくることだろう。
「けど、半年以上も千人近くの兵を養うだけの物資って洒落にならない量だと思うだけど」
「その辺りはこれまで培った人脈を活用させていただきました」
人脈、つまりこれまで軍に物資を卸していた商人たちのことだ。何度かゲームニスの鶴の一声に助けられたことのある彼らは彼の要求するだけの物資を用意してくれた。
内乱で物価が乱れている状況にも関わらず適正価格より僅かに安い値で卸した彼らだからこそ、ゲームニスはこれまで助けてきたのだ。
その代金はゲームニスがコルドンに来る前に軍の会計から確保していた軍費だ。行軍を始めてから必要となる物資はその都度、立ち寄った都市で購入すれば良い。内乱と言うことでラインボルト国内は物資不足に陥っているが、ゲームニスの名と”彷徨う者”の討伐という大義名分があればさほど大きな問題にはならないだろう。
「と言ったところです。ただ長期戦になれば、我らも動きにくくなることは間違いありません」
「そうならないようにオレたちが頑張るんだな」
「はい。ですが、ムシュウには軍師殿がいると聞きました。相手があのLDとなれば如何に近衛騎団を率いておられるからと言っても一筋縄ではいきませんぞ」
「分かってる。・・・・・・そう言えば、LDって元はリーズに雇われててラインボルトとは敵だったんだよな。その頃のLDってどんなだったか大将軍は知ってる?」
「はい。私も何度か手を焼かされましたからな」
白い口髭を歪ませながらゲームニスは苦笑した。
「あの男が天才と評される最大の要因は用兵の妙にあります。例え自身が寡兵であっても敵を騙し、打ち倒す」
「何をするか分からないってことか」
「そう言うわけでもありません。軍師殿の策を後で検証してみますとその全てが正攻法の組み合わせであって、取り立てて目新しい動きではないのです。ただ敵にそうと覚らせないと言うだけです。それこそが軍師殿の真価と言えましょう」
「正攻法こそ最大の奇策、か。・・・・・・どうかした?」
些か驚いたような顔をするゲームニスにアスナは小さく首を傾げた。
「いえ、軍師殿も以前、同じ様なことを申したことがあったので少し驚きました」
「拉致されたときに少し話したことがあるからその時に感化されたのかも」
と楽しげに話すアスナに今度こそゲームニスは目を見開いた。
「拉致ですと!?」
「大将軍、汚い。唾飛んだぞ」
「そのようなことはお気になさらずともよろしい。やはりお考えを改めた方がよろしい。王となるべき者を拉致し、あまつさえ死に追いやろうとした者を雇い入れるなど前代未聞です」
「これはオレとLDの賭けなんだ。オレを殺すLDの策を潜り抜けて、ムシュウまで行くって言う賭けなんだ。いくら、大将軍でも口を挟まないで欲しい」
「私が言うのもなんですが、アスナ様は御自身を暗殺しようとする者を信用できると思っておられるのですか」
「出来るよ。LDは幻想界に名の知れた傭兵だから。傭兵との繋がりっていうのは結局の所、金の繋がりでしかないんだ。だけど、それって雇い主よりもたくさん金を積めば裏切らせることが出来るってことだよな」
「確かに。過去、傭兵団の裏切りが原因で戦に破れた例は幾らでもありますからな」
「けど、LDはそれをしない。少なくとも分かっている経歴でLDは一度も裏切ったことがないんだ」
LDを味方にすると決めたときからアスナは騎団の者たちに彼の詳しい経歴を聞いていた。どのような不利な状況であっても決して離反することはない。彼が戦場から離れる理由はただ一つ。契約が切れたからだ。
それが例え自身がいなくなれば全滅してしまうことが明白であっても変わりない。彼は傭兵であり、これからもそうあり続けるだろう。
一つ所に身を置かず、ただ転々と雇い主を替えていく。そして誰も彼を掴まえることが出来ない。
故に『流水』、天才と評されるLDのもう一つの呼び名だ。
「それにこの賭けはLDが言い出したことなんだ。これを反故にするって言うんならオレだって考えがあるんだ」
「捕らえて処刑なさるのですか」
首を振るアスナ。そしてニヤッと不吉な笑みを浮かべる。
「幻想界中にLDの噂を有ること無いこと織り交ぜて広めてやる」
もちろん、それにはフォルキスとの禁断の友情美談も含まれる。
約束したのに破ったのだから当然、公言して然るべきものだ。万人がどう言おうがアスナが決めたのだからこれはもう決定事項だ。
意地悪な復讐を夢想してクツクツと笑うアスナを些か不気味そうに見ながらゲームニスは、よくこれで近衛騎団が主に迎えたなと思いつつ筆を進めたのだった。
少なくともアスナのLDを雇う意志に変わりが無いということだけは分かった。
あるいはこの強引さが近衛騎団を引っ張ってきたのだろうかとゲームニスは思った。
初対面の時のあの啖呵と、今の子どもっぽい言動。そのどちらもがアスナを形作る要素であり、故に近衛騎団はアスナを主に迎えたのだ。
「アスナ様、手が止まっておりますぞ」
「あっ、ゴメン」
山となっていた命令書は残り僅か。
外ではゲームニス麾下の第一魔軍の兵と同じようにアスナに帯同した近衛騎団の団員たちも出立の準備を整えている。
別室ではサイナが今回の件に関する報告書を認めているはずだ。報告すべきことが多岐に渡っているため苦労していることだろう。
残りの団員はムシュウまでの行程の確認や馬の世話、必要な需品の積み込みを行っている。
兵たちの出陣にコルドンの村人たちもそれを手伝っている。
彼らの表情に不安が滲んでいるのも仕方のないことだろう。詳しいことは伏せられているが未曾有の”彷徨う者”の群が村のすぐ近くにまで迫っていたと言うのだから。
いや、死者たちが放つ濃密な死臭がコルドンまで漂ってきたのだから隠しようがない。
そのほとんどをゲームニスたちが弔ってやったとは言え、完全ではない。
ゲームニスたちが去った後、また襲われたらと思うと戦う術のない彼らには不安でしかたがないのだ。
その不安を幾らかでも解消しようとゲームニスは二個小隊にコルドンを守備するように命じていることも知っているがそれでも不安なのだ。
村人たちが協力しているのはゲームニスの大将軍としての責務を理解しているからに他ならなかった。
出陣の時は近い。コルドンにいる全ての者たちがそのために動いていた。
六十万人都市と呼ばれているが、実際の人口はもっと多いだろう。
その人口密度はラインボルトでも有数の高さを誇っている。
そこで生を営む者たちの悲喜交々、全ての感情を飲み込み躍動するこの巨大都市を印象づけている物がある。
城壁だ。
古い都市に良く見受けられる城壁が幾重にも作られている。
もし上空から見れば、それは歪な年輪のように見えただろう。
都市を覆う城壁の数は計五つ。この城壁を年輪と評するのはあながち見当違いではないかもしれない。城壁は都市がある程度、成長するにつれて建造されたのだから。
城壁は都市とそこに住まう者たちを外敵から守るために存在している。
それではその外敵とは何であるか。南、である。
空が澄んだ日であれば高い塔からうっすらと見える国境地帯のその先。
冥王が治める大国、ラディウスがある。
この都市はラディウスの進軍を阻む軍の駐留によって成り立ち、ラディウスとの交易によって財を成した都市。故にそこに住まう者たちは自分たちの都市をこう評する。
戦端都市、ムシュウと。
LDとその配下の将兵が陣取るムシュウは異様なまでの静けさを漂わせていた。
ラディウスの侵攻を止めるために増強され続けた城壁を持つその都市は拠点と言うよりも城塞そのものと言って良い。
守りのために都市計画がなされ、そのために幾つもの仕組みが施されたこの都市が貝のように閉じてしまうといくら近衛騎団と言えども長期戦を余儀なくされる。
彼らが全力で事に当たればさほど時間をかけることなく陥落させることも出来るだろう。だが、近衛騎団の目的はあくまでムシュウの制圧であって、消滅ではないのだ。
ムシュウに到着した近衛騎団はすぐにヴァイアスの指揮の下、包囲を開始した。
拉致、暗殺未遂と近衛騎団としては意趣のあるLDをアスナが合流する前に捕らえようと考えていた。そのための方策はすでに立案されている。
騎団にもムシュウそのものにも損害がであるが名誉回復のためならば多少の損害はやむなしと言うのが彼らの総意だった。そのための行動は非常に素早いものだった。
だが、その彼らの士気を嘲笑うかのような事態が起きた。
ムシュウから離れた場所に設営した司令部で指揮を執るヴァイアスの元に前線指揮官たちから次々に報告が送られてきたのだ。
「はぁ! 城門が開いているだと!?」
「はい。それだけではなく、城壁には全く兵の姿が見えません」
「どういうことだ?」
「そんなの彼に聞いても分かるはずないじゃない」
と、ミュリカ。
「確かにそうなんだが。・・・・・・アスティーク」
伝令からの報告を参謀たちに纏めさせている参謀長に振り仰いだ。
「こちらも同様です。どうやら、ムシュウの第五城壁の城門全てが開かれ、兵も配されていないようです」
「しかし、どう言うことだ?」
「分かりません。軍師殿の策である可能性は十二分にあると思いますが」
「そうだな。ゼンから大半の兵を引き抜いていったって話だからな。罠である可能性は十分にあるだろう」
「では、威力偵察をさせますか?」
威力偵察とは、攻撃を加えて敵の戦力その他を偵察する行為だ。
損害を出すことは免れないが、かなり正確な敵戦力を把握することが出来る。
僅かな逡巡の後、
「・・・・・・いや、止めておこう」
相手はLDだ。こちらが威力偵察を行うことは予測済みのはずだ。
こちらがそれを行っても実体を見せることはないだろう。むしろ、わざと情報を漏らして自分たちを翻弄するかもしれない。
どのような劣勢であっても、挽回してきたLDの戦歴を知るだけにヴァイアスは迂闊に手を出すことができない。これまでのように力押しで勝てる相手ではないのだ。
「団長、どうなさいますか」
「・・・・・・様子を、見る」
ぬかるんだ泥に車輪を取られかけたり、倒木を避けたりと多少、手間取ったがアスナを乗せた馬車は問題なく山道を抜けることが出来た。
サイナの話によると、道を完全に塞いでいた岩や倒木は先行している歩兵部隊が可能な限り取り除きながら進んでいるから問題は起きないだろうとのことだった。
実際、そうだった。ただ難を言えばエラく馬車が揺れて少し酔ってしまったことぐらいか。もっともロディマスのように大きな揺れでたんこぶを作らなかっただけマシだろう。
昼過ぎに山道を抜け、どうにか街道に合流できたのは一番星が顔を見せた頃だった。
街道に出ると同時に馬足が静かになり馬車の揺れも収まった。
いくら広い街道とは言え、さきほどまでの爆走を続けては事故を起こす危険もある。なにより日中、走り詰めだった軍馬にこれ以上、無理をさせることが出来ないからだ。
早く近衛騎団本隊と合流するに越したことはないが、ここで軍馬を駄目にする方が明らかに損だ。軍馬一頭を作る費用もそうだが一晩、しっかりと休ませてやれば今日と同じように爆走させることが出来るのだから。
「どうにか街道に出られたみたいだな。今日、泊まる町までどのくらい?」
「そうですね。・・・・・・二、三時間ほどで到着すると思います」
「アイシンって宿場町だっけ」
騎団がムシュウ到着までに滞在する最後の町だからアスナも名前を覚えていた。
当初の予定では遅くともアイシンで騎団本隊と合流する予定だったのだが、いろいろとあってこんなに遅れてしまった。
そのいろいろの一端であるサイナは地図を見ながら応える。
「地図で見る限りではそれほど大きな町ではないようですね」
「そうだな。規模はそれなりだが活気のある宿場町だな」
医療鞄の中身を整理しながらロディマスは口を挟んだ。薬瓶などは割れていないが、その他の細々とした物は少し大変なことになっているようだ。
「先生、行ったことあるの?」
「何度かな。ムシュウがラディウスとの国境に近い軍事的にも経済的にも重要な都市であることは知っているね」
頷くアスナ。大都市に限ってだがそう言ったことをこれまでの行軍中の講義で教えてもらっている。
「ラディウスとの交易で儲けている裏で軍を貼り付けて睨み合いをしてるんだろ?」
「アスナ様、もう少し言いようがあると思います」
あの夜以来、少しだが彼女の口調は親しげなものとなった。アスナはもっと普通の口調で話して欲しいが、主従の関係をしっかりと敷いておきたいサイナが妥協したのがこんな感じだった。
「そうかな」
「そうです」
「・・・・・・それじゃ、これからはもうちょっと気を付ける」
「はい」
お互いに小さく微笑を交わす。良い雰囲気に水を差すようにロディマスは咳払いをした。
「話を続けても良いな」
「あ、うん。お願いします」
二人とも赤面して初々しいことこの上ないが、同席しているロディマスとしては堪ったものではない。
「うむ。・・・・・・三十年ほど前になるか。ラディウスがラインボルトに侵攻してきたことがあってな。一時期、アイシンは前線基地となっていたのだよ」
「ってことは、先生、そこで怪我人の治療をしてたんだ」
頷くロディマス。
「そうだ。包囲され、孤立したムシュウで籠城していた友軍を救出するための戦いが繰り広げられ、毎日のように負傷者がアイシンに後送されてきたよ」
「へぇ。・・・・・・それで戦争はどうなったの?」
「痛み分けだな。二年ほど戦争は続いたがラディウス軍はムシュウを抜けられずに撤退、そして何だかんだで休戦だ」
「うわっ。ムシュウって、二年も保ったんだ」
「そうだ。あそこは南部防衛の要だから初めから最低でも五年は籠城できるように作られておる。それだけにそこに陣取る軍師殿をどうにかするのは難しいぞ」
「う〜ん、案外、ヴァイアスたちがもうムシュウを落としてたりして。コルドンに行く前になんか妙にみんな気合いが入っていたから」
そんなことは全然なかった。
数度に渡る威力偵察の結果、ムシュウ第四、第五城壁に挟まれる第五街区には人っ子一人いないことが判明。司令部ではおそらく第四、第三も同様だろうと言う判断が下されている。
兵だけがいないのならば撤退したのではないかという推測も立てられるがムシュウの住民までもが忽然と姿を消してしまっているためどう判断して良いのか苦慮してしまう。
「あのクソ銀髪! 絶対にオレたちを舐めてやがる!!」
偵察を行った兵からの報告で第四城門までもが開門していることが判明したのだ。
それを耳にした途端、ヴァイアスご乱心である。ちなみにクソ銀髪とは当然、LDのことである。
「城壁なんか関係ない。オレが直々に出向いてって城壁ごとあのクソ銀髪を消してやる!」
「落ち着いて下さい、団長。そのようなことをすれば今度こそアスナ様に見放されます」
アスティークが身体全部を使って司令部用の天幕から出ようとするヴァイアスを止める。
本来の彼の制止役であるミュリカはただ単に駄々をこねているだけだと言わんばかりにヴァイアスが散らかした書類その他の整理をやっていたりする。
「大体、何だってこの都市はこんなややこしい作りをしてるんだよ!」
近衛騎団が手出ししにくい理由はLDがムシュウの城門を開き、誘い込んでいるかのような態度をとっているからだけではない。
最大の原因はムシュウの構造そのものにある。
ムシュウは対ラディウスの防衛の要として、五つの城壁によって守られている。そして、この城壁の門は一直線に中央街区に続いているのではなく、全て異なる場所に城門が設けられているのだ。
LDがいるであろう中央に到達したければ、城門を求めてムシュウを駆けずり回らなければならなくなるのだ。
街と言うのは伏兵を配しやすく、幾つもの罠を展開することが容易な地形だ。何よりムシュウはラディウス軍の侵攻を受け止めることを第一の存在意義としている都市だ。
いくら近衛騎団とは言え、この都市の防衛機構の全てを知っているわけではない。下手に攻めれば罠と伏兵に翻弄されるのが関の山だ。
何より城責めの基本は城兵の三倍の兵数を用意することだ。
現在の近衛騎団の兵数が一万を切っているのに対して、ムシュウに立て籠もるLD率いる革命軍は初期の一万人に加えて、ゼンから引き抜いてきたと言われている兵も増員されている。恐らく、ムシュウ、ゼン間にある都市を占拠していた兵も引き抜いていったであろうから、かなりの増強がされているはずだ。
はっきりと言えばまともな勝負にならないのだ。
それに加えて城門を開け放つと言う心理的圧迫までLDは加えてきている。
ただでさえ劣勢なのだ。不用意に手を出して、無駄に兵力を損なえない。
「だぁぁぁぁっ! やっぱり、俺が行くぅぅっ!!」
「あぁ、もう! うるさいわよ、ヴァイアス! 誰かぁ、縄持ってきて。このバカ、ふん縛るから」
「バカってなんだよ、バカって! 第一、俺が縄で縛られて喜ぶ訳ないのはお前が一番良く知ってるだろ」
「バッ、バカッ!」
思いっきり投げたカップは見事にヴァイアスに命中した。
「そう言うところがバカなんだって自覚してよ。良いから、暴れてないでどうすれば良いか考えなさい」
と言いながらもすでに陽は沈み始めており、行動を起こすことは出来ない。
今、ヴァイアスたちに許されるのは休息と今後、どうするかを検討することだけだった。
だが、簡単に策が思いつくのならばすぐにでも攻略を開始している。
結局、ヴァイアスに出来たことは偵察を繰り返し、第五街区に敵が潜んでいないことを確認しただけに止まった。
名誉挽回と息巻いていただけに団員たちの苛立ちは募る一方だったが、ヴァイアスたち首脳部は翌日も有効な手を打つことが出来なかった。
そして、再び日が沈み始めた頃、一台の馬車とそれを守る騎兵が猛烈な速度で騎団本隊と合流を果たした。
馬車の制止とともに下車した人物は少し蹌踉けながら数時間ぶりの外の空気を味わった。
「・・・・・・はぁ、やっと着いた」
紅玉のような赤い夕陽に照らされた彼の表情は疲れてはいるが、晴れ晴れとしている。
「しばらくはこんな大急ぎの馬車には乗りたくないな」
「同感です。・・・・・・アスナ様、足下にお気をつけ下さい」
「うん。・・・・・・サイナさんもね。先生も早く降りたら。外の方が気持ち良いよ」
「気持ちは嬉しいがもうしばらくこのままでいさせてもらう。お前さんは早く坊主に顔を見せてやれ」
動くこともままならないとばかりにロディマスは青い顔を見せる。
「分かった。それじゃ、またあとで」
あまり力の入っていない手で馬車の扉を閉める。御者を務めている兵に頷きかけると馬車はゆっくりと騎馬が集められている場所へと向かった。
ちなみにイクシスは軍馬と同じ様に一日中全力で走るなど不可能なため、ゲームニスの護衛の下、近衛騎団がファイラスに向かう途中で寄る都市で待機することになった。
出陣してから一ヶ月、イクシスやヴァイアスたちの指導もあって、今ではアスナも怖がらずに馬にのることが出来るようになったため、問題にはならないだろうとの判断からだった。
アスナとサイナは馬車の到着とともに出迎えた団員の先導で司令部の置かれたテントに向かった。
「・・・・・・なんか、みんな元気ないな」
と言うよりもどこか後ろめたさを団員たちが発しているような気がする。
それは自分が車酔いになっているからと言うわけではないとアスナは思う。
「その辺りのことは団長にお聞きするのがよろしいでしょう」
「そうだな。今日はこれまでのことを聞いて動くのは明日だな」
ほどなくして案内された天幕にアスナたちは通された。天幕の内部は相変わらずの書類その他で乱雑になっているが、そこにいるべき者たちは整列し、最敬礼をもってアスナを出迎えた。皆、笑みを浮かべているがどこか生彩に欠いている。
「無事のご帰還、お喜び申し上げます」
一同を代表して、ヴァイアスはアスナに挨拶をした。
ヴァイアスたちの態度に何かあるなと思いつつもアスナは普段とあまり変わらない態度で手を挙げた。背後ではサイナが同じく最敬礼をしている気配を感じる。
「ただいま」
「身体の方を心配したが無事で済んだみたいだな」
「あぁ、先生が色々と面倒見てくれたからね。それにサイナさんも良くしてくれたし」
意味ありげにアスナは背後で控えるサイナを見た。イタズラな笑みを浮かべるアスナにサイナは些か頬を赤らめる。天幕の暗さで皆には分からなかっただろうが。
「それで大将軍の方はどうだった?」
態度でアスナに席を進めながらヴァイアスは聞いた。アスナの着席とともに場は軍議へと移行する。
「いろいろとあったけど大将軍は味方になってくれたよ。オレの名前で大将軍に”彷徨う者”の討伐に関する全権を与えたけど良かったよな」
「動いたのか、大将軍が」
思わず身を乗り出すヴァイアス。他の司令部要員たちも小さくだがどよめいた。
アスナの態度からある程度、予想はしていただろうが実際に彼の口から聞かないと信じられなかったのだ。
ゲームニスが堅物ではないが、自らの信念を曲げるような人物ではないことはラインボルトではつとに有名だ。自らの意志で故郷に引きこもったゲームニスをアスナは引っぱり出したのだ。驚くなと言うほうに無理がある。
「アスナ様のお言葉を疑うわけではありませんが。あのゲームニス閣下をどのようにして動かされたのです」
「ちゃんと話をしただけだよ。まぁ、その辺の詳しいことは後で有ること無いこと交えて話すから。それよりも・・・・・・サイナさん」
「はい。これまでの経緯を纏めた報告書です」
「ご苦労」
受け取り目を通し始めたヴァイアスを一度、見るとアスナは着席している司令部要員たちを見回した。どの顔もゲームニスを動かしたことに対する畏敬の念に近い面持ちだ。
その彼らがアスナの話を聞けば、この表情をこれから驚愕に変わるのだろう。
事態は洒落にならないぐらい切迫しているが、正直、彼らがどんな顔をするのかが楽しみだったりする。不謹慎だと言われてもしょうがないかもしれないが。
「細かいことは後で報告書を読んでもらうとして、率直に言うぞ。今回の”彷徨う者”の大量発生は人為的なものであると証明する証拠が回収された」
どよめく。アスナはそれを止めることはせずに話を続ける。
「それからオレたちがコルドンに向かう最中に”彷徨う者”の群と遭遇した。正確な数字はさすがに分からないけど、その中を突っ切った感覚と大将軍の話から考えると数万単位だったと思う。つまりそれだけの数の村や町がヤツらに潰されたってことだ」
「なぜ、コルドンにそれだけの数の・・・・・・そうか」
参謀の一人が発言するも、自分の言葉から答えを導き出したようだ。
「そう。多分、大将軍を狙ったんだろうな。内乱に首を突っ込んでなくても大将軍の影響力は凄いからな。もし、それがラインボルト全土に広がったら今以上に混乱するはずだろう。多分、敵はそれを狙ったんだ」
場が静まり返る。日暮れの清浄な静けさとはまるで違う。受け入れがたい事実を受け入れるために必要な間と言ったところだ。
だがアスナは彼らが事態を飲み込むのを待つことなく話を続ける。
彼らならば話を聞きながらでも十分に出来ることだと信頼しているからだ。
「さっきも言ったけど大将軍に”彷徨う者”の討伐に関する全権を与えた。大将軍と同じように内乱に加わってない連中には大将軍の麾下に入るよう命令書を書いた。討伐軍はそれなりの数が揃うと思うけど大将軍だけで殲滅できるとは思えない。大将軍もそう言ってたしな。だから、オレたちも早くこの内乱を収めてそれに加わらないといけない。ちなみにエルトナージュとリムルにはヴァイアスに渡したのと同じ報告書を送ってるから多分、軍が勝手に動くなんてことはないはずだ」
一気に喋ったからさすがにのどが渇いた。
何か飲み物をと口にするよりも早くサイナが水の入ったコップを差し出してくれた。
「・・・・・・どうぞ」
「ありがと。・・・・・・ふぅ」
一息でコップの半分ほどを飲むと改めて見回す。アスナの報告を飲み込む静かさがある。
アスナはそれを促すように、「オレからの報告は以上だ」と締めくくった。
しばらく間が空く。それを破ったのはヴァイアスだった。
「次は俺たちの番だな」
立ち上がると卓の上に広げられたムシュウ周辺の地図を指さした。
「見ての通りムシュウは五つの城壁に囲まれた都市だ。その辺りのことは前に話したな」
「あぁ。細かい所も合流する前にサイナさんとロディマス(先生)から聞いたよ。ラディウスからの攻撃を二年間も凌いだ堅固な都市、と言うよりも城か」
「そうか。それじゃ、すぐに部隊配置を話しても良いな」
「うん。そっちの方が助かる」
アスナの返事に頷き返すとヴァイアスは地図上に展開させている駒を指さしながら状況を説明する。
近衛騎団の大半の部隊は城門前に集結させ、一個大隊をそれとは正反対の方に配置している。これにより敵守備兵を分散させることが出来る。だが、現状ではその配置は全くの無意味であった。・・・・・・なぜなら。
「城門が開いてて、誰もいない?」
「そうだ。明らかにこれは罠だろう。降伏するなら使者か、本人が来るのが筋だからな。けど、それがない以上、罠としか言えないだろう」
「開けっ放しねぇ。・・・・・・ムシュウに住んでる人たちは?」
「第五街区、つまりここだな」
と、地図上にある第五、第四城壁に挟まれた場所を指さす。
「ここにいたはずの住民はいなくなっていることは確認済みだ。恐らく中心街区までの全ての住民がムシュウからいなくなっていると俺たちは推測している。そうでなければムシュウを包囲してから今日までのこの静かさは説明できない」
「全住民って、そんなこと出来るのかよ。オレたちに気付かれないでなんてどう考えても常識外だろ」
「その常識外を軍師はやったんだろうな。住民を避難させて、俺たちと交戦するつもりだったんなら理由は分かる。だけど、その肝心の兵の姿が見えない」
「分からないことづくめか。それじゃ確かに攻められないか」
よしっ、とばかりに立ち上がると、
「その城門を見に行こうか。百聞は一見にしかずって言うしさ」
阻むために立ちふさがり、防ぐために威圧する。そして守るために存在している。
見上げる者をただただ萎縮させ、突破することは不可能だと言わんばかりにそれは聳えている。それは文字通りの、圧倒、この言葉を体現したような存在だった。
優に高さ十五メートルはあるであろうその巨体の口である場所は門と言うよりも、小城のような作りをしている。死角がないように銃座が置かれ、守りを堅固にしている。
有効な攻城兵器でもなければ攻略は不可能だろう。だが、一般的にも攻城兵器として活用される魔法部隊の攻撃をもムシュウの城壁はものともしない機能を有している。
戦闘となれば、城壁内部に埋め込まれた幾つもの魔導珠を発動させるのだ。言ってみれば城壁そのものが巨大な対魔法障壁とも言えるのだ。
この城壁を破るためには戦術級の、つまり”魔王の残光”並の魔法を使用するしかない。
だが、それすらも前回の対ラディウス戦で二度も戦術級魔法の洗礼を受けたにも関わらずこの城壁は存在し続けたのだ。
守りに徹すれば、幻想界でも有数の堅牢さを誇る城壁が今は開け放たれている。
それは受け入れるためには決して見えず、軍勢を食らおうと待ちかまえている魔獣のように見える。
存在が示す威圧と、現実感を狂わせるような静寂とが相まって得も言われぬ不気味さを演出していた。
「・・・・・・・・・・・・」
アスナの身体が震える。城壁が放つ雰囲気に夜気が染まったのか必要以上に冷たさを感じた。
「寒いのでしたら、私の上着を・・・・・・」
言いながらボタンに手をやるサイナに顔を向けて止める。
「大丈夫。それよりも後で何か温かいものが飲みたいから用意しておいてくれる」
「分かりました。すぐにご用意します」
「うん、よろしく」
サイナに小さく笑みを送ると、アスナは表情を改めてヴァイアスを見た。
「それにしても、見事に開けっ放しだな。人ごとだけど防犯が心配になるくらい」
「これから押し入ろうって言う俺たちに言えた義理じゃないけどな」
「まぁね。・・・・・・で、みんなにこれをどうにか出来る作戦ってあるのか?」
口惜しげにヴァイアスは首を振った。
「策があるんだったらもう動いてるよ。正直、こんなことをされるとお手上げだ。ムシュウ内部がどうなってるか分からない以上、手の出しようがない」
「けど、オレたちにはあまり時間がない、と」
「あぁ。だからといって力攻めもできない」
騎団としてはお手上げと言うことだ。攻城戦で必要なのは兵の質ではなく数だ。
その数が圧倒的に足りない現状ではどうすることも出来ない。
もちろん出陣前からムシュウ攻略が困難であることは分かっていた。だが、ここまで来ればすぐに降伏するだろうと言うのが近衛騎団の、と言うよりもアスナ派全体の算段だった。
しかし、いざ蓋を開けてみるとこうである。軍師LDはゼンとそれ以外の都市から兵を吸収し、ムシュウに帰還した。そして今のこの状況である。
ここに来て予定が狂ってしまった。
「・・・・・・それじゃ、オレが口出ししても良いんだよな」
「何か策でもあるのか?」
「策って言うほど立派でもないけどな。現生界にも今と同じ様な状況があったんだよ。もっとも、門の上で琴を弾いたり、掃除をしたりとふざけたおまけ付きだったけどな」
言ってイタズラな笑みを浮かべるとアスナは単純な、しかしとても困難な作戦を披露した。別の作戦案を提示できない彼らに強硬な反対に出ることは出来ないが大きな困惑を見せた。だが、アスナは彼らの困惑を吹き飛ばすように、
「大丈夫だって、何とかなる。もし罠だったとしてもみんなならそれを噛み破れる」
結局、アスナの策が採用されることになった。
有効な策がなく、このまま包囲を続けるわけにもいかないためと言うのが一番の理由だった。前代未聞の策に司令部の面々は戸惑い、ヴァイアスに至っては、「これは戦じゃないな」と苦笑いを浮かべた。
そして発せられた命令書を見た各部隊の隊長たちも司令部要員たちと同じ様な顔をしたが、命令書の最後にアスナの直筆で書かれた一文を見て、ヴァイアスと同じく苦笑を浮かべたのだった。
作戦開始は翌日の午前十時と決定された。
淡く暖かな明かりが天幕内を照らす。蛍光灯のような不躾で無遠慮な光とは違う、柔らかく包み込む光の中にサイナはいた。
与えられた天幕の中で彼女はアスナの護衛として司令部を離れている間に溜まっていた決済の処理に追われていた。
部下たちからの報告書に目を通し、然るべき書類をしたため印を押す。
それなりに骨の折れる量だが、彼女が不在の間に大したことはなかったため簡単な書類仕事で終わることが出来るだろう。
書類の大半が終わりを見せた頃、天幕に外気が吹き込んできた。
「こんばんは。ちょっとお邪魔して良いかな」
顔を見せたのはミュリカだ。笑みと手提げ袋を持参している。
「もう少し待ってくれる? すぐに仕事を終えるから」
「えぇ。その間にお茶の準備をしておくね」
笑みとともに頷くと書類仕事を続けた。
音でテキパキとお茶の準備が進められているのが分かる。ポットに水を足し、コンロに魔力を注いで火を付ける。湯が沸くのを待っている間にカップその他の準備をする。
淀みなく動く心地よい音を耳にしながらサイナは話しかけた。
「アスナ様の護衛は?」
今晩はミュリカの担当となっている。さすがにサイナも疲れているだろうし、参謀としての職務に復帰する必要があるからだ。
「さっきヴァイアスに追い出されちゃった。きっと今頃、二人して有ること無いこと交えてバカ騒ぎしてるんじゃないかな」
「・・・・・・そう」
アスナの天幕に入れ替わり立ち替わり人が出入りして騒々しいことになっているはずだ。後一時間もすればロディマスが飛び込んできて大喝、それでお開きとなるのだろう。
容易にその光景が想像できてサイナは微笑を浮かべた。
ほどなくして柔らかな香りが鼻腔をくすぐり始めた。
「・・・・・・どうぞ」
書類仕事の邪魔にならないようにカップを置いてくれる。お茶請けにはクッキーが三枚。
「ありがとう」
手早くペンを走らせて一段落付ける。
そして、一口。鼻から抜ける香りもそうだが、お茶の温かさが少し固まっていた身体を解してくれる。サイナが持っている茶葉に比べて香りが甘い。
「良いお茶ね。ミュリカの?」
「アイシンに寄ったときに買っておいたの」
物資の供給に優遇されている近衛騎団と言えども、さすがに嗜好品にまで気を配ることは出来ない。一般軍のそれと同じだ。そこで団員たちはそれぞれの私費で好みのものを購入しておくのだ。
不思議なもので、ただこうしてお茶を二人で飲んでいるだけで時間がゆっくりと流れているように思える。
明日はアスナが提案した策を実行することになる。
前代未聞で、本当にこれでムシュウを落とせるのかも分からない。仮に前例があったとしても、今回もそれが有効策となるとも限らない。そう言う策だ。
失敗すれば全滅することもあり得ると言うのにサイナの心は穏やかなままだった。
彼女の主は我が儘でどうしようもない無茶をする人だが、少なくとも悪い結果にだけは導かない。それだけは何があっても信じられる。
そんなことを考えながらサイナは書類をファイルに纏めるともう一口、お茶を飲む。
「いきなりこんなこと聞くのも何かなぁって思うんだけど」
「・・・・・・なに?」
「アスナ様と、寝た?」
「なっ!? い、いきなりなにを!」
誤魔化しようのないほど赤面するサイナにミュリカは、はぁ、とため息をもらした。
「・・・・・・やっぱりね」
「え、やっぱりって。・・・・・・その」
「サイナさん、コルドンに行く前と雰囲気が凄く変わってるから何となくね。気付かないのは男連中ぐらいじゃないかな」
自分では以前とあまり変わらないでいたつもりだが他人の目にはそう映らなかったようだ。
「それに、なんかアスナ様を見る目が妙に親密っていうか、ねぇ」
「・・・・・・・・・・・・」
反論の仕様がない。もし、反論すればアスナとのことが間違いとなる。
それはそう思うのは、自分を受け入れてくれたアスナに失礼だ。
「からかうのはこれぐらいにして、本当にそうなの?」
俯き僅かな逡巡の後、彼女は顔を上げ真っ直ぐにミュリカの目を見て頷いた。
「・・・・・・ミュリカには申し訳ないけど」
ミュリカがアスナとエルトナージュとをくっつけようと画策しているのは近衛騎団では周知の事実だ。
「あっ、そう言う意味で聞いたんじゃないから。・・・・・・二人の合意の上で、よね」
変わらず赤面しながらサイナは頷いた。
自分から襲って、返り討ちにあって、最後は合意の上だったので間違いはない。
「そうれならしょうがないか。・・・・・・そっかぁ、サイナさん寵姫になるのか」
「私は、寵姫にはならないから。アスナ様も分かって下さってるし」
「えっ。けど、・・・・・・あたしが言うのもおかしいと思うけど、ホントにそれで良いの?」
「私に、寵姫なんて無理だから」
手にしたコップを弄びながら、お茶に映る自分の顔を見る。
自分の判断に後悔しているようには見えない。とてもすっきりとした顔をしている。
「それに寵姫にならなくてもお側近くにいられるから」
顔を上げる。そして何の力も入っていない笑みをミュリカに見せた。
「だから、お二人を娶せようとしているミュリカの邪魔はしないから安心して。私からもそうして下さるよう申し上げているから」
お二人、とはもちろんアスナとエルトナージュのことだ。
「えっ」
「けど、アスナ様の性格を考えると今みたいな強引さで推すよりも、出来るだけお二人がご一緒できる機会を多く設けて差し上げる方が良いと思う」
「ちょっと」
「内乱を収めたら・・・・・・」
決して無理をしているように見えない。それが何故かとても痛々しく見えた。
大切な、とても大切なことに気付かない。だから、見ていて痛々しい。
「サイナさん!」
ミュリカは身を乗り出すとサイナの手を握った。
「やっぱり、無理してるでしょ」
「無理をしているつもりはないけど」
「気付いてないだけ。サイナさん、アスナ様のこと好きなんでしょ」
「えぇ・・・・・・。けど、ミュリカは姫様の味方じゃない。私のことなんかより」
「もちろん、エル様が一番。けど、サイナさんやアスナ様、あたしが大切だって思う人に幸せになって欲しいって思うのはおかしいことだとは思わない」
「気持ちは嬉しいけど、私はもう気持ちの整理がついたから」
「それが無理してるってことじゃない。せっかくアスナ様のことが好きになったのに諦めないでよ」
「諦めた訳じゃない。私はアスナ様に剣を捧げた。だから、臣下としてお側にいられる。それだけで私には十分だから」
「もう、なんで分かってくれないのよ。エル様とアスナ様、それにサイナさんの三人で一緒にいられる方法を考えてって、なんで気付いてくれないのよ!」
「・・・・・・ミュリカ」
サイナは手にしたティーカップを机に置いた。正面に座るミュリカはカップを手にしたまま俯いた。
「ゴメンなさい。これ、あたしのワガママだから。エル様に幸せになって欲しいけど、そのために誰か、あたしの知ってる人が何かを我慢してるのは嫌だから」
サイナが決めた立場とミュリカが願った未来、それを互いに主張した後に残ったのは沈黙だけだった。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
静かだ。
聞こえる音は微か。遠く聞こえるそれは明日の準備に奔走している団員たちの喧噪だろうか。それともアスナの天幕から聞こえる大騒ぎだろうか。
机を見れば湯気を立てなくなったお茶と、まだ手をつけていないチョコチップクッキー。
歪な、いかにも素人な形。少し焼きすぎたそれは、話す口がなくとも全てを語っている。
アスナが初めて作り、広めたクッキーだ。アスナの料理をきっかけに団員の何人かが料理することに目覚めている。将来、近衛騎団の秘密の名物になるかもしれない。
そして、アスナと自分たちとを繋げるものの一つ。
「・・・・・・おかしな話ね。お二人の関係はまだ何の形にもなっていないのに。私たちの話しは、もうアスナ様と姫様が供にあることを前提になってる」
「当然じゃないかな。だってあの、アスナ様なんだから。それにその辺のことはサイナさんが一番良く分かってると思うけど」
「そうね。そうかも知れない」
アスナはそう言う人なのだ。
人をゴタゴタに巻き込むことが平気で、一生懸命に無茶をする。
にも関わらず、気がつけばいつの間にか巻き込まれた者の心にアスナがいる。
あのエルトナージュと言えどもアスナの前ではただの一生懸命な女の子になるだろう。
自分がそうアスナに見られていたのと同じように。
そんなことを思うサイナをミュリカは微笑を持って見ている。
「さてっと、そろそろお暇するね」
言って一息にお茶を飲み干す。いつの間にかお茶請けのクッキーもなくなっている。
「ヴァイアス、そろそろ先生に追い出されてる頃だろうし。警護に戻らないと」
「そうね。それに団長の面倒をミュリカが見て上げないと明日が大変だろうし」
「ホントに大変。ヴァイアスの面倒を見て上げられるのはあたしだけだからしょうがないんだけど」
「誰にも団長を譲るつもりがないくせに」
からかいそのもののセリフにもミュリカは嬉しそうに破顔する。
ヴァイアスの周りも何だかんだと騒がしい。その中心にいるのが本当に楽しいんだろう。
「それじゃ、おやすみなさい」
「お休みなさい。今日は冷えてるから風邪ひかないようにね」
「ありがと」
笑みと言葉を残して天幕を出ようとしたミュリカの足が止まった。振り返る。
「さっきあたしが言ったことは本心だから。もう一度、考えてみてくれると嬉しい」
言いたいことは全て言ったとばかりに彼女は軽やかな足取りで今度こそ天幕を出ていった。
外からは風の音と、遠くからの喧噪が聞こえる。
その音に身を浸しながらサイナはミュリカにぶつけられた言葉を反芻していた。
彼女の言葉は整理された彼女の気持ちを乱すと同時に、また違った選択肢も置いていった。
それは作戦と呼ぶにはあまりにもそうは見えない。
団員たちは皆、完全武装をしているが手にした武器には欠片も殺気はなく、ただ真っ直ぐに前だけを見て、行進を続ける。
立ち並ぶ槍の穂先は真っ直ぐに線を引いたように並び、騎兵の隊列は決して乱れることがない。隠しようのない緊張を漲らせながらも、その立ち姿は紛れもなく威風堂々。
掲げられた近衛騎団の証、リージュの旗は精気に満ち、誇り高い。
街頭に立つ者は誰一人おらず、歓呼の声も好奇の視線もない。だが、彼らにそのようなものは要らない。
掲げたリージュの旗と彼らの主が見ている。
たったそれだけで身を引き締め、誇りを胸に抱くことが出来る。
その行進のほぼ中央にアスナはいた。
軍馬に騎乗し、左右をヴァイアスとアスティークが控え、その後方に司令部の面々が続く。その様は見る者が誰もいなくとも華やかだ。
アスナが取った策とは、素直にムシュウに入城することだった。
ただ、これだけは団員たちに厳命していた。
例え攻撃を受けてもアスナからの命令がない限り、防御に徹し、行進を続けること。
無茶苦茶ともとれる命令に団員たちが不安を抱きながらも、それをおくびにも出さないのは昨夜、各部隊に送った命令書に記されたアスナの手書きの一文があったからだ。
「近衛騎団なら出来る」
と、あまりに根拠のない自信に団員たちは不安に思う自分たちの方が変なのではないかと思ったとか思わなかったとか。
決して乱れることのない歩調で進むアスナたちは今、第三城門を目前にした。ここを抜ければ第三街区に入る。ここから先は偵察任務では分からなかった未知の領域。
にも関わらずアスナは変わらず満足げな表情にほんの少しの不安を混ぜ合わせたような顔をしていた。
「それにしても立派だよなぁ。これ作るのにどれだけの金がかかったんだろう」
「こう言うときまで下世話な話をするな。もう少し気を引き締めろ」
「そうです。ここから先は何が起こるか分からないのですからな」
左右から窘めの声がする。小声ながら力の入った声に少し首を竦ませる。
「・・・・・・了解」
やがて城門が作る濃い影がアスナを覆い始める。
口を開けて城門の中を良く観察してみると、ここにも守りの工夫がなされているのが分かる。
第一として木造の大扉があり、第二に左右から城門のほぼ中央に一直線に敷居溝があり、左右に収納された鉄壁を雨戸のように引き出せるようになっている。そして最後の第三の仕組みとして天井に何かが収められている。
「アスティークさん、あそこからは何が出て来るんですか?」
アスナの緊張感のなさに小さく吐息をするとアスティークは説明をした。
「あそこからには鉄格子が納められています。有事の際にはこの扉、鉄壁、鉄格子で敵の侵攻を防ぐのです」
「凄い頑丈な作りだなぁ。・・・・・・けどさ、魔法で攻撃されたらさすがにひとたまりもないんじゃないかな」
これまで近衛騎団が行使した攻撃魔法はどれも強力だ。一発、二発は耐えられても集中して攻撃を受ければ破られる。
現生界では大砲の誕生と発達により、城壁が消え去った。だが、幻想界では大砲以上の破壊力を有する魔法が存在しているにも関わらず城壁は変わらず存在し続けている。
「そうならないように魔法障壁が展開されるんだろ。特にこのムシュウは城壁そのものに魔導式が何重にも組み込まれてる。言ってみれば城壁の一つ一つが巨大な守りの魔導珠になってるってことだな」
「なるほど」
首にかけた壊れた蒼のペンダントを弄る。
この小さな魔導珠でさえもあの爆発からアスナを護りきってくれた。それをこの城壁全体に組み込んだとなれば、例え戦術級と呼ばれる魔法でさえも耐え抜くことが出来るかも知れない。
それを考えれば、ムシュウの城門を閉じなかったLDの行動にヴァイアスたちが不安を覚えるのも無理はない。
ふと、そこでアスナは思った。
「そいえば、ヴァイアス」
「あのなぁ、アスナ。もう少し、真面目にしてくれ」
「これが最後だから、なっ」
盛大にため息を漏らし、ジト目をアスナに向けながら「・・・・・・で、なんだ?」と聞いた。
「この城壁が凄いってことは分かったけどさ、もし、城門が閉まっててLDが完全防御してたらどうするつもりだったんだ?」
「うっ・・・・・・」
「はぁ。・・・・・・良いよ、それでなんとなく分かったから」
視線を前に戻す。ゆっくりと家並みが流れていく。
建ち並ぶ商店などの建物にはまだ、人が住んでいた生活感が残っている。
それだけに町並みの寂しさをアスナは強く感じる。
隊列が変更された。前後は変わらず二列縦隊で行進を続けているが、アスナの周りだけ鱗形陣が敷かれた。
「ヴァイアス」
「人影らしきものが見えた。何もできないだろうが一応、気を付けておけ」
アスナは表情を改め、頷く。
「分かってると思うけど・・・・・・」
「俺たちからは絶対に手は出さない。お前の命令があるまで現状維持、だろ?」
アスナは頷き返す。
こちらからは絶対に手出ししない。それがこの作戦とも言えない行進の要だった。
相手が開門することで心理的な圧迫を加えてくると言うのならば、こちらからも攻撃的ではない行進をもって侵入して圧迫を加えるというものだ。
LDが何を考えてこのようなことをしたのか分からない以上、それに近い行為を行って拮抗状態をアスナは作り出したのだ。
もし、兵が勝手に攻撃を行えばこの拮抗状態はあっさりと崩れてしまうだろう。
これはアスナとLDの勝負だった。
どちらが将として優れているか。下した命令を徹底させ続けるかの勝負だった。
そして、この状況下となっては二人の声は完全に兵には届かないだろう。後は兵一人一人の心の内にある両者の存在感だけが御することが出来る。
何か影のようなものをアスナは視界の隅で捉えた。ほんの一瞬だったが確かに何かが動いた。
LD配下の兵なのか、それともムシュウに残っていた住民なのかは判断しかねる。
ただアスナの目にも捕らえられたと言うことはヴァイアスや他の団員たちはもっと多くの影を捕らえているはずだ。
それでも団員たちはアスナの命を守って胸を張り、堂々と行進のみを続ける。
別命あるまで決して彼らは動かない。アスナはそう信じることが出来る。
そうなれば今や舞台の上に立っているのはアスナのみだ。
この形のない緊張に耐えきれるのかが勝敗を分けることになる。
いや、そもそも初めからLDは自分たちを戻れない場所まで引き入れて、とてつもない罠にかけるつもり何じゃないのか。
このムシュウは五つの城壁を持つ堅固な都市だ。前後の城門を完全に閉ざされてしまうと容易に閉じこめられてしまう。まさに袋の中のネズミだ。
心なしか目端を掠めるように現れる影の数が多くなってきたように思える。
自分に対する疑念が沸き上がる。
本当にこれで良かったのか。もしこの判断が間違っていたら自分だけではなく近衛騎団約一万名もの命を危険に晒すことになる。
そうなったときの責任を取ることが出来るのか。・・・・・・出来るわけがない。
出来るわけがない。だったら、だったら・・・・・・。
「アスナ様」
不意に声をかけられて振り返った。
戦場には不釣り合いな柔らかな微笑を浮かべたサイナが頷きかけてくれる。
たったそれだけで身体の力がスッと抜ける。
アスナは一度、深呼吸をすると背筋を伸ばして、胸を張った。
やはり、一人で舞台の上に立っていたのではない。ただ気付いていなかっただけで、側には近衛騎団という名の共演者がいてくれている。
ならば最後まで演じきってみせる。後継者であろうと、魔王であろうとも。
もう影が動いても気にしない。自分には近衛騎団がついていてくれるのだ。
何かあったとしても、何とかなる。決して悪い結果にだけはならない。
それだけは何の根拠がなくても、胸を張って言える。
これまでがそうだったのだ。だったら、これからだってそうあり続けるはずだから。
そして、遂にアスナは第一城壁を抜けて、政庁や国境守備軍の司令部などが置かれた中心街区に到達した。
ムシュウと言う都市が生まれたときから存在するこの街区は都市の変遷とともに姿を変えていった。都市そのものから、富裕層の街となり、今ではムシュウの公共施設が集中した、文字通りの核と化している。
今、近衛騎団はムシュウの市庁舎を取り囲むように布陣し、騎団司令部はそれに相対するように布陣した。
「それにしても立派だよなぁ」
見上げながらアスナは感嘆の声を漏らした。
「市庁舎って言うよりも立派な城だよな」
「ムシュウの市庁舎は、と言うよりも中心街区は例えここまで敵に攻め込まれても籠城し続けられるように作られてるからな。ここには市政を行う役所と警備本部、それに国境守備軍の司令部までおかれてるラインボルトでも珍しい場所だ」
「それだけにLDがどこにいるかすぐに見当がつくってことか」
「そういうことだ。・・・・・・それでどうする? すぐに捕縛に向かわせるか?」
「いや。オレが行く。LDはムシュウにいる自分の下に来いって言ったんだ。だったらオレが行かないと約束破ったことになるだろ」
「はぁ。・・・・・・分かった」
「なんか、いやに素直だな。反対されると思ったのに」
本当に意外だと、アスナは目を見開いた。
「諦めたんだよ。そう言う顔してる時のお前になに言っても意味がないってな。その代わり護衛にオレが着いて行くぞ。それに・・・・・・」
と、振り返りお目当ての人物を視界に納める。
「ミュリカとサイナも着いてこい。何かあったらお前たちがアスナを外に連れ出せ」
『了解』
そして改めてヴァイアスはアスナと向き合う。
「文句はないな」
「あぁ、初めから一人で行くなんて考えてなかったし。一緒に来てくれた方が頼もしい」
「決まりだな。アスティーク、後は任せる」
「承知いたしました。お気をつけて」
アスティークだけではない。その場にいた全ての団員がアスナに向けて最敬礼をした。
頷きをもってそれに応えるとアスナは三人を見、改めて頷く。
「それじゃ、行こうか」
「って、そこそこカッコよく市庁舎に入ったのに、この展開はないよなぁ」
思いっきり肩を落としてげんなりしながらアスナは言った。
「しょうがないだろ。俺たちもムシュウに来たのは初めてなんだから」
四人は今、市庁舎一階の玄関前にある受付にいた。
もちろん案内役の受付嬢はいない。その変わりに美女二人が受付横に立てかけられた案内板を見ている。
「市長室は四階、国境守備軍の軍令部は地下三階のようです。どちらに参りますか?」
無骨な鎧を纏ってなお、美しさを損なわないサイナに見惚れながらもアスナは考える。
LDならばどちらにいるだろうか、と。
サイナの隣に立つと案内板にある略図を見る。
徹底抗戦の構えを見せるのならば地下だろう。これだけ防備を固めている場所だ。
秘密の部屋や抜け道が用意されていても不思議ではない。そしてそういった場所を作るのには地下が向いている。
だが、LDは徹底抗戦の構えはおろか、防備すら固めていない。
その彼が今更、地下に隠れるとは思えない。
それに、関係ないかも知れないが今日は晴天だ。テラスに出るときっとLDは絵になると思う。・・・・・・決まった。
「四階に行こう。多分、LDはあそこにいる」
「根拠があるんですか?」
と、ミュリカ。彼女の姿は普段とあまり変わりないがよく観察すると魔導珠と思しきものが軍装に取り付けられている。魔法攻撃が主の彼女にはこれで丁度良いのだろう。
「あるよ。LDに拉致されたとき外の景色がよく見える風車の中で昼御飯を食べたんだ。だから、多分LDって高いところが好きだと思うんだ。だから四階」
胸を張って言えるような根拠でもないのにアスナは自信満々である。
「・・・・・・まぁ、アスナってこういうヤツだよな」
「そうね」
途端に二人は笑い出した。これまでの緊張がなんだったのかと馬鹿らしくなるほど盛大に。
「ちょっ、笑うことじゃないだろ。・・・・・・サイナさんまで!」
「も、申し訳有りません。ですが・・・・・・」
「三人してなんだよ。もう良い! オレ一人で行くから!!」
四人だけの受付にアスナの怒鳴り声と、足音までもが響く。まっすぐに右手の廊下に向かう。その彼をサイナが止めた。
「なに。もう、謝っても遅いからな」
「いえ、階段でしたら左の廊下です」
思いっきり赤面。まさに恥の上塗りである。
一段一段を確かめるように上っていく。
これまで攻撃がなかったからと言って、これから先もないとは限らない。
アスナ以外の三人はいつ奇襲を受けても対抗できるように戦闘態勢で警戒をしている。
「・・・・・・・・・・・・」
現生界では何度か市庁舎に行ったことのあるアスナの目にはあまり大差ないように映った。確かに西洋風の装飾が至るところになされているが、その雰囲気は同じだ。
普段は人でごった返しているであろう場所がこれだけ静かだと、夜の学校に忍び込んだ時のような薄ら寒い感じがする。
そして、アスナたちは目的の四階に足を踏み入れた。
「・・・・・・・・・・・・なんていうかさぁ」
そこはもう別世界。先ほどまで役所にいたはずなのに、今いる場所は宮殿を切り取ったように豪奢だ。石壁は乳白色に大理石の質感を持ち、所々に絵画が飾られ、床には赤い絨毯が敷かれている。
「これだけ差が付けられると下の階にいる人たちが良い気分をしないんじゃないか?」
「日常業務をこんなところでしたいか? 市民もこんなところに何かの手続きに来たいと思うか?」
「・・・・・・そう言うことか」
豪奢にすることで下級役人はここに来ることで気を引き締めることになるだろうし、一般の者に場違いだと思わせる。それはある意味、結界とも言える。
近衛騎団の三人は王城で馴れているのか堂々としているが、根本のところが小市民であるアスナは微妙に腰が引けている。
「アスナ、もっと胸を張れ。それじゃ、おまけその一にしか見えないぞ」
「分かってる!」
そして、遂に目的の場所、市長室前に到着した。
「やっぱり、こういう場合はノックするべきなのかな」
「好きにしろ。任せる」
「なんか今日のヴァイアス、ノリが悪いなぁ」
「アスナ様が脳天気すぎるだけですよ」
左右の廊下を警戒しながらミュリカは突っ込んだ。
三人の緊張を適度に解そうと思ったからなのだが、裏目に出てしまったようだ。
咳払いをするとノックをする。一拍の後、「どうぞ」という聞き覚えの声がドアの向こうからした。
アスナはヴァイアスに頷きで意志を伝えると彼は勢い良くドアを開けた。
そこはとても日当たりのいい場所だった。開け放たれたテラスからは微風が吹き込み、カーテンを揺らす。
配置された調度は落ち着きがあり、この部屋を管理する者の品の良さを感じる。
都市長室のほぼ中央にその男は立っていた。
吹き込む微かな風に銀の髪を揺らし、それに見合った引き締まった長身の男が切れ長の瞳をアスナたちに向けている。
口元に浮かべた小さな笑みが決して歓迎されていないわけではないことを示していた。
人族の村ティクルであったときと変わりのない姿だった。
「遅かったな。君たちが気兼ねなく入ってこられるように全ての城門を開けておいたのだが、何か都合の悪いことでもあったのかね?」
そして相変わらず微妙に口が悪い。
「立ち話もなんだ。そこにかけてくれ」
「貴様ぁ、その態度はなんだ!」
さすがに我慢できなかったようだ。ヴァイアスとしてはLDにからかわれたも同然。
ムシュウに兵の姿はなくその上、都市長室にさえも護衛の兵がいないのだ。
兵を使わず、ただ城門を開いておくだけで自分たち近衛騎団を二日も足止めさせたのだから。逆ギレではあるが怒っても不思議ではない。
「ヴァイアス!」
一歩、二歩と踏み出したヴァイアスをアスナが押し止めた。
くっ、と我慢するような声を漏らし、ヴァイアスは姿勢を戻した。
「ほぉ。報告書にあったが、どうやら誇張ではなく近衛騎団を飼い慣らしているようだな」
「飼い慣らしただなんて人聞きの悪い」
「忠誠という言葉を使っても事実は変わらんよ」
「ホンッとに微妙に性格が悪いんだから」
「その私を雇おうだなんて言う君はどうなんだ?」
ニヤリとイタズラな笑みを浮かべる。
「懐が深い、じゃダメかな」
彼にしては珍しく目を見開くと、クククッと笑い出した。
「いや、失礼。やはり、君は面白い。これまでの雇い主とは明らかに違う」
「すいませんね、変わり者で。それはそうと、お客さんにお茶も出さないわけ?」
「そうだな。少し待っていろ」
「そ、そう言うことはあたしがしますから。お二人は話を続けて下さい」
続きの間――恐らく給湯室に続いているのだろう――に向かおうとしたLDをミュリカが止めた。
「心配するな。茶に毒を盛るつもりはない」
「そうそう。LDとの約束を果たしたんだ。未来の雇い主を殺すようなことはしないって」
余りにもお気楽なアスナの言葉に一同はため息をもらす。
「本人を前にして言うのも何だが、ヴァイアス団長、よく彼をここまで連れてきたな」
労いとも賛嘆ともとれる口調にヴァイアスは曰く言い難い表情をした。
手玉に取られたことに対する憤りはまだ消えていないが、これまでの苦労を第三者が理解してくれるのは純粋にありがたいからだ。
「それどういう意味だよ」
「そのままの意味だ。私が茶に毒を盛らないと確信するのは君の自由だ。だが、私が傭兵だということを忘れているぞ。将来の雇い主よりも、今の雇い主を優先するのは当たり前のことだろう」
呆れたとばかりにアスナを見ていたLDは視線をミュリカに移した。
「私にそのつもりがなくとも、君たちが気にするだろう。茶の用意は任せよう。隣の給湯室に必要なものは揃っている。自由に使ってくれ」
「わかりました、サイナさんも」
「えぇ」
「ちょっと待った。サイナさんちょっとこっちに来て」
「・・・・・・はい」
と近づいてきた彼女にアスナは何かしら耳打ちをした。
「承知しました。・・・・・・ミュリカ、申し訳ないけど」
分かってると頷くミュリカ。
それではと二人はアスナに最敬礼を送るとそれぞれ向かうべき所に消えていった。
「それじゃ、聞かせてもらおうか。なんであんなふざけたことをした!」
ばんっ、とヴァイアスはテーブルを叩いた。
「ふざけたとは心外だな。結果としてこうなってしまったが、あれは現状で取りうる最高の策だと思うのだが」
「城門を開けただけのが? 確かに何かあるんじゃないかって不安にさせるけど、それだけだろ」
と、アスナは口を挟む。
「なるほど。無知が幸いしたと言うことか。ヴァイアス団長、君ならば聞いたことがあるはずだ。ムシュウには数多くの仕掛けが存在していることを」
「それぐらいオレも知ってる」
「では、殲滅機構のことは知っているか?」
ヴァイアスを見る。彼は知らないと首を振る。
「いくら近衛騎団の団長と言えども、そこまでは聞かされていないだろう。こればかりは秘中の秘だからな」
「それじゃ、なんで貴様がそれを知っている」
敵意剥き出し、というよりも拗ねているような口調だ。
「私はこの内乱が始まるまでラインボルトの軍師だったのだぞ。それぐらいの情報は閲覧する権利がある」
「ふ〜ん。それで、その殲滅機構って?」
「・・・・・・・・・・・・。ムシュウの全てを炎に埋める罠だ」
一拍おく。
二人とも声がない。ラインボルト第三の都市とも呼ばれるムシュウを炎に埋めるなど尋常ではない。
「自爆の意味は大雑把に二つに分けられる。ヤケクソか、初めから計画されていたかの違いだ。そしてムシュウは後者になる」
「ちょっと待った、ここってラインボルトでも三番目に大きな街なんだろ。そんなことしたら」
「当然、焼失する。ここに来るまでムシュウと言う都市を見てきただろう。この中心街区を核として五つの城壁が存在している。そしてその城門は一つとして同じ方向に作られていない。これは守りを固めると言う意味もあるが、ムシュウの奥深くまで侵入した敵を逃がさない意味もある」
アスナとヴァイアスの顔に理解の色が浮かぶ。
「もう分かったようだな。中心街区を落とすためにはムシュウという都市を駆け回らなければならない。それは中心街区から外に出るためには来るときと同じ道を辿る必要があることでもある。その上、要所ごとに炎を生み出せばさらに逃げにくくなると言う算段だ」
そしてLDはヴァイアスを見る。
「君たち近衛騎団と言えども生き残ることはまず不可能だろう」
「そんなことはない。俺が城壁をぶっとばして脱出路を造ってやれば」
「確かに人魔の規格外である君が全力で戦術級魔法、魔王の残光あたりを放てば城壁の一部を破壊することも可能だろう。だが、それで周囲の炎を消し去ることが出来るのか?」
なにより、とLDはアスナに顔を向けた。
「中規模都市すらも消し去ることの出来る魔王の残光の衝撃に彼が耐えられると思うのか?」
LDはヴァイアスの答えを待つことなく話を続ける。
「そう、不可能だ。第一、私の目的は君たち近衛騎団の殲滅ではなく、彼の命を貰い受けることだ。第二街区あたりで発動させれば、間違いなかっただろう」
LDの話にアスナは昔、聞いた祖母の戦争体験を思い出した。
空を埋め尽くさんばかりの爆撃機による、空襲である。
一般的に空襲と聞けば爆弾が投下されると思われがちだが、戦争末期に使用されたのは焼夷弾だ。爆風によって人や建物を破壊する爆弾とは違い、焼夷弾は炎を振りまく代物だ。
水をかけた程度では消し去ることの出来ない凄まじい炎は木と紙で出来た家屋に容易に着火を許した。至る所で起きる際限のない火災に街は包まれる。
逃げ場を求める人々を追いかけるように炎が道を走り、人を炭へと変えてしまう。
当然、近くの川に飛び込んだ者もいたが、水の上にすら炎は走り、人々を焼く。
アスナの祖母は幸い生き残ることが出来たが、どこをどう逃げたのか覚えていないと言う。ただ熱と色、そして人々と声だけが深く祖母の心に焼き付いたと言う。
もし何かを間違えればそれをこのムシュウで再現され、渦中にはアスナ自身がいたのだ。
「オレたちを焼き殺すつもりだったってことだな」
アスナはLDを睨んだ。が、それは暖簾に腕押し、糠に釘だ。
LDはあっさり、「当然だろう」と受け流す。
「君を殺すと言ったのを忘れたか。私の放った刺客が失敗した以上、近衛騎団の守りが堅固になるのは間違いない。そうなればいくら手練れの刺客と言えどもことを成すことは不可能に近い。ならばムシュウを失うことぐらいで君の命を奪えるのなら安いものだ」
「オレにそこまでの価値なんかない」
「君自身がどう思おうと私は、ある、と断言するぞ。魔王の後継者であることを差し引いてもだ。いいか? 君は瓦解寸前だった宰相派を纏め上げ、反撃を開始させ、圧倒的優位に立っていた私たちを逆に追い込んだ。その間に長らく真の意味で主を迎えなかった近衛騎団を掌握し、静観を決め込んでいた大将軍を動かした。それだけのことが出来る人物が他にいると思うか。いると言うのなら、それは近衛騎団を初め君に付き従っている者たちだけではなく、敵対する私たちをも愚弄することになるぞ」
そして、LDはたたみかけるように対面に座るアスナに向かって身を乗り出した。
「ラインボルトだけではない。残り四大国はもちろん、中小の国家も君の行動を注視している。その君に価値がないと言えるのか?」
「だったら、何でやらなかったんだよ。それにあの影は・・・・・・」
「あれも罠の一つだ。あの影が君たちの隊列を崩すよう誘ったんだ。すでにムシュウ奥深くまで入り込んだ以上、そう簡単に逃げ出すことは出来ないと思うが、近衛騎団の結束は侮れない。ひょっとしたら君を生き残らせるかもしれない。ムシュウ一つを犠牲にするんだ。失敗する訳にはいかないだろう?」
罠の渦中にいた身としては頷きたくはないが、意見には納得できる。それだけに納得できないことが一つある。
「オレが言うのもなんだけど、そこまで準備しておいて、なんで実行しなかったんだよ」
ここに来てLDは小さく息を漏らし、ソファの背に深くもたれた。
「・・・・・・君が全ての解を得たからだ」
意味が分からない。アスナはLDと約束はしたが、何一つ問題を出されていないのだから。
「このムシュウを犠牲にすれば、余程の何かがない限り、君を殺すことが出来ただろう。だが、私と君との間には約束があった。君がムシュウにいる私の下にくれば次の雇い主として認めてやると言うな。私の下に来るにはムシュウに入らなければならない。だが、ムシュウに入ると言うことは私の罠に飛び込むことと同じだ。これではあまりにも不公平だろう?」
「まぁな。殺されかけてまで来たのに、待っているのは火の海じゃ割に合わない」
「だから、私は君がここに来られるための条件を勝手ながら定めておいた」
そう言ってLDはアスナの前に人差し指を立ててみせる。
「騎団の到着から三日以内に入城すること」
次に中指、薬指と言葉を続けるごとに指を立てていく。
「入城してからまっすぐにこの市庁舎に来ること。私の放った影の誘いに乗らないこと」
最後に小指を少し不器用に立てる。
「そして、最後。この都市長室に来ること。もし、一つでも間違えれば君は死んでいた」
「・・・・・・一つ、疑問がある。市庁舎に来たら、ここに来るのは当たり前だろ?」
「そんなことはないはずだ。ここに来るか、地下の国境守備軍の司令室に行くかどうか悩んだはずだ」
言われてみればそうだ。どちらにLDがいても不思議ではない場所だから。
「参考までに聞くけど、もし地下に行ってたらどうなってた?」
街が火の海となっても市庁舎の地下に到達するまでそれなりの時間がかかる。ヴァイアスが側にいれば脱出することも出来るかも知れない。
「司令室の扉を開けた瞬間に山と積んだ爆炎系の魔法を込めた魔導珠が発動するように仕掛けておいた。地下が崩れるほどの火力の魔導珠を用意したからヴァイアス団長の守護魔法で爆発を逃れても落盤には耐えられないだろう。納得したか?」
納得すると同時に恐ろしくもなった。自分たちはなんて細い綱を渡ってここまで来たのかと。自分の思いつきとヴァイアスたちの躊躇がなければ今、こうしていないのだ。
「いや、まだだ」
「ヴァイアス?」
「軍師、あんたがアスナを新しい雇い主と認めるか確かめるためって理由は一応、納得した。だけど、今のあんたはフォルキスの旦那の軍師だ。あんたの行動はフォルキスの旦那を裏切ってる。いつもこう言ってたよな。他の傭兵はどうだか知らないが、自分は契約期間が過ぎるまで決して裏切らないって。次の雇い主を試すために今の雇い主を裏切るようなヤツをアスナの側に置くわけにはいかない」
「ヴァイアス、オレは・・・・・・」
「悪いが、こればっかりは聞かないぞ。俺もよく言われるけど、お前は危なっかしすぎるんだ。・・・・・・軍師、その辺、どうなんだよ」
アスナに視線を移すことなく彼は言った。
「確かにヴァイアス団長の言うとおりだな。君たちの目からは私の行動は矛盾を抱えているように見えるだろう。が、それは誤解だ。フォルキスがなんと言って戦闘の続行を宣言したか聞いていないか?」
『・・・・・・・・・・・・あっ』
期せずしてアスナとヴァイアスの声がはもった。
「そうだ。フォルキスは”後継者が真に我らラインボルトの民を率いる器であるか試す”と言ったんだ。そして、私はその意志に従ったまでだ。仮にこれまでの私の策で命を落としたのならば、その程度の人物だったということだ」
二人とも本日、何度目かの理屈では分かるが、納得は出来ないと言う表情をしている。
だが、こういう時の切り替えの早さはアスナに軍配が上がる。
過程はどうであれ、今こうして自分はLDとの約束を果たしてここにいる。
なら、ここですることは後一つだけだ。
「それじゃ、LDは負けを認めるんだ」
「・・・・・・客観的に見て、君たちの勝利だろうな」
「そういう言い回しをするんだ」
ニィ〜、とアスナは両の口端をあげて笑った。
それがLDに約束を取り付けたときの笑みと酷似しており、彼は無意識のうちに及び腰となる。何か再び厄介なことになるのではないか、と。
不意にノック音がした。アスナの許可の声に従い入ってきたのは今までどこかに行っていたサイナだった。
「さすが、サイナさん。ちょうと良いときに戻ってきてくれたよ」
「ありがとうございます。・・・・・・ですが、その、本当によろしいのですか?」
彼女の声音はなぜか戸惑い、と言うよりも哀れみの方が強い。
そして、彼女の視線はアスナではなくLDに向けられている。
「良いの良いの。こういうのはやっぱり、けじめが肝心だから。ってことで、LD」
「な、なんだ」
ポンとLDの肩に手を置く。そして妙に爽やかな笑みを浮かべる。
「みんなの前で、敗北宣言しようか」
「なっ。ちょっと待てっ! なぜ、私がそんなことをしなければならないんだ!」
「なんでって、さっき言っただろ。けじめだって。ほら、こっちとしてはオレが殺されかけるって洒落にならないことをしてくれたからさ、ここでLDの口からズバァッと敗北宣言してくれないと後でつまんないことになりそうだし。ってことでヴァイアス、よろしく」
「了解っと。で、どこに連れてくんだ?」
アスナの意を汲んだヴァイアスはLDに逃げる隙を与えることなく羽交い締めにしてしまう。離せと暴れるが一見しただけで分かる優男のLDがヴァイアスから逃れられるわけがない。
「テラス」
答えてアスナは奥の秘書室に声をかける。
「ミュリカもお茶は後でいいからさ。LDの敗北宣言なんてお金払っても聞けるもんじゃないだろ」
分かりました、と返事がくる。ぱたぱたと言う駆け足とともに合流したミュリカを交えアスナたちはテラスに向かった。
サイナの手で開かれたガラス戸の向こうは意外に広くちょっとしたお茶会ぐらい出来るだろう。テラスに一歩踏み出せば、群衆と化した団員たちの喧噪がアスナの身体を浸す。
アスナが姿を見せると同時に喧噪は止み、直立不動の姿勢をとる。
「ほら、LD」
楽しげな口調でアスナはLDを促す。諦めたのかため息をもらすと、羽交い締めにされて皺の寄った服を正す。そしてついにアスナの横に立った。
ついに姿を見せたLDに団員たちは無言の殺気を放った。
それは空気を伝播し、毒ガスのようにLDに襲いかかった。実際に浴びせかけられていないアスナでさえ及び腰となるそれを一身に受けながらも、LDはあまり表情を変えない。
風に銀の髪を流し、怜悧のみを宿した細面の顔がテラスの上から団員たちを睥睨する。
それは決して強い視線ではなく、また団員たちからはLDの姿が見える程度のはずなのに、ただ睥睨するだけで怖気を催すほどの殺気が沈静化していく。
なんか言葉を発したわけでも、魔法を使ったわけでもない。ただ睥睨しただけ。
アスナはLDの怖さの一端を見たような気がした。
やがて、真の意味で静かになる。それは夜の海岸で細波の音を聞いているような感じだ。
LDはさらに一歩を踏み出し、手摺りに手をかけた。
「諸君!」
それはとても良く通る声だった。この細身の身体から発せられたとは思えないほど大きく、それでいて聞く者の芯を射抜く矢のような鋭さがあった。
「私はここに認めよう。諸君らは私の放った刺客から主の生を守り、ムシュウにおいては影の気配に動じることなくここまで来た。それは称賛に値する行動だった。私はこの胸に深く刻みつけよう。諸君らは誇り高き勝者であると」
とても敗北宣言だとは思えない。むしろ自身が近衛騎団が勝者の地位を与えたと言わんばかりの態度とセリフだ。
だが、どの国の将軍や軍師でも、今と同じ様な敗北宣言を行う。
敗北し、全てを失っても誇りだけは譲らない。兵家とはそう言うものなのだ。
ある意味、幻想界に名の知れたLDにここまで言わせたのは立派と言えるだろう。
事実、団員たちの中には感無量とばかりにLDの敗北宣言の余韻に浸っている者もいる。
同じテラスにいて、すぐ側で聞いたヴァイアスたちも同じ様な面持ちだ。
が、それで納得しない人物がここに一人。アスナだ。
彼は武人としての規範などに囚われない人族の少年だ。故に、
「あのさ、LD。その言い方って、思いっきしエラそう。もっとこうズバッと敗北宣言してくれないと困るんだけど」
と、ジト目で言ってのけた。
これにはさすがに他の三人も動じた。同じ武人としてこれ以上の敗北宣言をさせるのは忍びない。
「アスナ、あのな・・・・・・」
「ヴァイアスは黙ってろ。言ったろ、これはけじめだって。それにオレはヴァイアスたちみたいな武人じゃないから、さっきみたいな言い方をされても分からない。だから・・・・・・」
「・・・・・・まったく君はいつも無理難題をぶつけてくるんだな」
「軍師、良いのかよ」
「毒、食らわば皿までだ。ヴァイアス団長、君の心遣いには感謝しよう」
そして、LDは改めて団員たちを見た。その姿勢に何の気負いもない。
ただ事実を自らの口から、認めるために声を発した。
「私の、負けだ」
その瞬間、世界が止まった。いや、そうヴァイアスたちは錯覚したのだ。
あのLDが、否定しようのないほど完璧な敗北を宣言したのだ。
敗北者にある卑屈も自棄もそこにはない。ただ賞賛のみがそこにあった。
それ以上の言葉は不要。そして、それ以上を求めるべきでもない。
だから、気がついたときにはその場にいた全ての者が最敬礼をしていた。
「これで満足したか?」
「・・・・・・うん。けど、もう一つだけ」
「何だ。この際だ、全て君の言うとおりにしてやろう」
「オレのことは名前で呼んでくれると嬉しい」
LDは俯くと口端に笑みを浮かべた。この男には珍しい混じりっ気のない笑みだった。
「了解したよ、アスナ」
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