第一章

第十一話 ラメル撤退戦 後編

 罠にはまった。
 率いる兵とともに疾駆しながら、そのことを知った。
 情報源がサイファの放った斥候からの通信だというのが皮肉といったところか。
 ベルナは手綱を握り締めながら小さく歯ぎしりをした。
 敵の罠にかかった友軍はもちろん、圧倒的な兵数を過信して罠があることを考慮の外においた自分自身に対する怒りだった。
 今にして思えば罠が待ち受けている予兆は幾つかあった。
 殿軍として姿を見せるのは常に近衛騎団のみだったこと、あからさまとも思える撤退の仕方、戦死者は少なく負傷者が多いということ。
 そのことに気づかなかった自分が許せなかった。
 ベルナと同じくサイファの斥候からの通信を聞いた周囲の騎兵たちが指示を仰ぐべく自分たちの将に顔を向けた。しかし、視線を向けた先に彼らは一様にギョッとした。
 普段から負の感情を見せないベルナが表情はもちろん、身体全てで怒りの気配を振りまいていた。
 誰もが声をかけかねる中、続報が彼らの頭に響いた。

 −−行方不明となった先鋒部隊の一部が壊滅状態となって発見−−

 この通信を合図にしたかのように同じ報告が四つ、立て続けに送られてきた。
 反論の余地もなく自分たちは罠にはまっている。
 その一番原因は過信であり、一度動き出して引っ込みがつかなくなったこと。そしてなにより、国境地帯とムシュウとの間の本当の意味での正確な地図がなかったことだ。
 ラインボルトを征服し、自らの正統を証明することを至上命題とするラディウスにとって何にもなしてラインボルトの地形の測量は重要なことだった。
 そのため多くの予算を割いて、測量を続けているのだが、それでもラディウス側は正確な地図を常に持っていることは出来なかった。
 なぜならラインボルト側がそれ以上の予算と労力を割いて、守りに適した地形に換え続けてきたからだ。いくらラディウス側に地図があると言ってもその正確さは街道の周囲のみだ。少し脇道に逸れればそれだけで現在位置が分からなくなってしまう。
 地図の大切さをよく理解していながらこのような事態を招いたことがベルナにとって悔しくてたまらなかった。
 そして何より、敵の術中に填っていることを分かっていながら軍を止めることが出来ないことだ。この状況である。各軍の将軍たちも自軍の状況を把握しているとは思えない。
 今のところ、ベルナ麾下の第七軍は奇襲こそ受けてはいないがこの強行軍でかなりの数の兵が脱落、もしくは他の軍に紛れ込んでいる可能性は十分にあった。
 退くか、進むか。
 どちらが正しいかと言えば明らかに前者だ。敵は寡兵だが、それだけに身軽に動き回ることが出来る。その上に地の利は敵のものなのだ。
 いかに圧倒的な兵数で攻めているとはいえ、今のラディウス軍は長大と言っても良いくらいに長い列となっている。
 これでは有効な対処など望むことはできない。兵数が同じであったとしても敵は近衛騎団だ。兵たちには手も足も出ずに蹂躙されることになるのは請け合いだ。
 そして何より敵には人魔の規格外がいる。
 死体に馴れた古参兵と言えども、第二十三軍のあの惨状を目にすれば及び腰になるのも無理はない。それが新兵ともなればなおさらだ。
「・・・・・・そういえば」
 トゥージェン将軍の第二十七軍は先の辺境国への懲罰の折り、かなりの損害を受け、新兵のみで補充を受けていた。そのために自分とともに第二陣としたのだ。
 第一戦での突撃が遅れた理由の一端はここにあった。
 もしかしたら、すでにトゥージェンの第二十七軍はその大半が脱落しているかもしれない。
 新兵に途中で行動を変更する器用さを求めるのは酷だし、なによりあの惨状を目にしても戦意を維持できるとは限らないからだ。
 自分の判断の甘さが原因なのか、自分よりも相手が上手だったのか。
「・・・・・・考えても仕方がないな」
 苦い薬のような悔しさを強引に飲み下し、ベルナは前を見た。
 口の中に砂埃が入ることも厭わずに声を張り上げた。
「敵が姑息な罠を巡らそうとも我が軍ならば切り伏せることが出来る! 我らには戦神ナインレーゼの加護があることを忘れるな!」
 戦を司る女神ナインレーゼとはリーズ、ラディウスを中心として広まっている教団の主要神の一柱のことだ。
 あらゆる武具の担い手であり、絶対無比の戦術家でもある女神の存在意義は時として軍部においては冥王よりも権威があるのだ。
 そして、ナインレーゼの加護を口にした将軍は負けることは許されない。もし、負けることがあれば戦後、極刑に処せられナインレーゼへの贖罪とされるのだ。
 もちろん、このような規定は軍法内にはないが教団の影響を強く受けているラディウスでは不文律と化していた。
 ベルナは決して退くことの許されない場所へと自ら立ったのだ。そしてそのベルナの意志は周囲の者たちによって少しずつ伝播していった。
 ベルナをはじめとする将兵は決戦に向けて、少しずつ戦機が熟しつつあるのを感じ始めていた。

 それは一方的な殺戮であった。
 血飛沫と叫び声とが絶え間なく繰り返される。ただ確かなことは着実に殺戮を彩る楽曲が小さくなっていることだった。
 組織的な行動を許さず、騎兵の突撃であけた穴に飛び込んだ歩兵が槍を振るい、残りの兵は矢や魔法を放ち敵兵を殲滅していく。
 兵数では変わらず敵の方が多いのだが、地の利と個々人の実力、そして何より士気の高さは圧倒的に彼らに有利だった。安直に言葉を選ぶのならば、狩りだろう。
 近衛騎団が誘導して罠を張り、待ち伏せていた第一魔軍が仕留める。そして、獲物はラディウス軍である。
 つまりラディウス軍は近衛騎団の奇襲と撤退の繰り返しによって長い隊列は分断され、誘導されていたのだ。そして、誘導された先には第一魔軍という伏兵が待ち伏せていたのである。
 少ない兵力を無駄なく配置した第一魔軍の部隊は完全に戦場の主導権を握っていた。未だに戦意を持ち続けている敵兵を集中的に叩いている反面、戦意を失い、逃亡する敵を敢えて見逃していた。
 寡兵である以上、逃亡兵にまで気を回せないこともあるが、そうしている本当の理由は別にある。もし、逃げることもできない状況になれば、敵は改めて戦列に加わり死に物狂いで戦うだろう。そんなことになれば、数に劣る第一魔軍の部隊が破れるのは目に見えている。
 それにこの戦いはムシュウへの撤退が目的なのであって、殲滅が目的ではない。そもそも軍は敵を戦闘不能にすることが目的なのであって、全滅させることなど考えていないものなのだ。
 ・・・・・・しかし、と待ち伏せ部隊を任されたザルトビートはこの状況を見ながら、別のことを考えていた。
 この作戦を立案、実行している近衛騎団への頼もしさもあるが、それ以上に彼の心を動かしているのはアスナの存在だった。
 伸るか反るかの局面が連続し、兵数で見れば圧倒的に敵の方が有利であることも知りつつも、この策を承認した後継者の胆力に畏敬の念を覚えていた。
 いや、考えてみれば軍師LDがムシュウで張り巡らせた策をものともしなかったのだ。その罠がどんなもので発動条件を知っているザルトビートが指揮を執っていても、やはりLDの術中に填っていただろう。
 そこまでいくと、もはや傑物と呼ぶよりも、−−人族にこういう表現を当てはめるのはおかしいがーー怪物と呼んだほうが正しいのではないだろうか。
 魔王に据えられるためだけに召還された存在であり、幻想界の者に比べて身体能力に劣り、魔法も使えない彼が今の時点でこれだけの胆力を見せている。
 そのアスナが魔王となればどうなるのかと考えるだけでも恐ろしい。
「司令、いかがなさいましたか」
 護衛を兼ねている副官が気遣わしげな声をかけてきた。
「いや、何でもない」
 そういって思考を切り替える。
 たとえ末恐ろしい少年であろうと内乱にラディウスという要素が加わった今、この少年の胆力が必要になるだろう。
 そして、栄光ある第一魔軍の兵として敵に対ラディウス防衛戦の要衝ムシュウをむざむざ渡すことは許されない。
 今は眼前の敵を壊滅し、早急に次の行動に移ることを考えるべきだ。
 思考は切り替わる。
 ラインボルトの将来を憂慮する国民のものから、作戦遂行中の軍人のものへと。
 この場での戦いは圧倒的に第一魔軍が優勢。だが何時までもそれを保っていられるわけではない。混乱しつつも古参兵たちは身体が覚えた通りに隊列を整えようとし、新兵を叱咤している。
 このままでも勝利することは出来るが、時間はそれを許さない。
 ザルトビートは小さく息を吐いて、吸った。
「待機部隊に突撃を命じろ。ここでの戦いにケリをつける。戦場はここだけではない。早急に次に移動する。近衛騎団に無様な姿は見せられないぞ!」
「了解!」
 副官は下馬すると、待機部隊が伏せている場所まで駆けていった。
 状況は逡巡することを許さない。全ては近衛騎団との連携にかかっているのだ。
 一つのずれが確実に状況を悪化させ、取り返しのつかない事になりかねない。
「合流までの残り時間は?」
「二十三分後の予定です」
「思ったよりも時間をとったな。では、待機部隊突撃後、我々も攻撃を開始する。準備をしておけ」
 了解の声にザルトビートは頷き、視線を改めて戦場に向けた。
 未だ抵抗を続ける敵の側面を狙うように突撃する待機部隊を見ながら彼は思った。
 魔王に即位した後継者がその後、どういう行動をとるのか予測はつかない。
 ただ一つだけ確かなことがある。
 今、眼前の敵を退けなければラインボルトはさらなる危難に晒されることになる。
 それだけは断固として許せない。
 待機部隊が接敵した。隊列を組み直しつつあった敵はこの突撃で再び崩れる。
 叫びと血飛沫は加速的に、そして止まることなく終わりへと導いていく。ザルトビートはそれに拍車をかけるべくさらなる一撃を加える。
「突撃!」
 撤退戦は最終局面を目指して突き進んでいく。

 赤の空を作る幻想界の太陽はすでに西に傾いている。
 強い西日をも遮るように文字通り林立する木々、そして膝上近くまで自生する下草。鬱蒼とまではいかないが濃く草木の生い茂る防風林は日中でもかなり暗い。
 ムシュウの近くにあるということもあり、領民たちの憩いの場として活用されそうなものだが軍事的な意味合いから領民が不用意に近づくことを許していない。
 名目上はそうなのだが、見張りを立てていないから誰でも出入りできる。だが、領民はわざわざ外に出るよりも都市内に何カ所か設けられた公園に足を運んでいる。
 日差しも良いし、虫に刺される確率もぐっと低い。そういった理由で子どもが度胸試しでたまに入る以外には誰もそこにはいかない。
 例外として国境守備軍が調査と称して年に数回防風林に入るぐらいだ。
 それだけに今、防風林に潜み、ムシュウの様子を伺っていたフォーモリアスは今、防風林の主ともいえる羽虫の洗礼を受けていた。
 目の前を飛び、頬に止まり、耳元で羽音を鳴らす羽虫に顔をしかめつつも彼は身動き一つせず城門を監視していた。
 反面、周囲には彼と同じように待機をする騎兵たちは煩わしそうに虫を手で追っていた。
「・・・・・・・・・・・・」
 わずかな動きでも敵に察知される可能性があるため、フォーモリアスは視線のみでそれを窘めた。騎兵は謝意の黙礼を彼に返す。
 フォーモリアスは手にした懐中時計を見た。
 ここに潜んで大分時間が過ぎている。兵たちも焦れ始めているのが分かる。
 宮中での権力闘争では待ちの時間も重要な要素となる。素知らぬ顔で結果が出るのを待たねばならぬその戦いに勝ち続けてきたフォーモリアスにとっては、まとわりついてくる羽虫に苛立つことはあっても、ムシュウに駐留する近衛騎団の残りが進発するまで待つことは苦痛ではなかった。
 だからといって兵たちも同様かと言えば全くの否である。
 自分が目を光らせているここですらそうなのだ。他の場所で潜んでいる騎兵たちはもっと焦燥を露わにしているはずだ。
 この状況では彼が御することが出来るのは手元にある彼ら二個小隊のみ。他の部隊に関しては各人の作戦に対する意識を信じるしかない。
 連れてきたのはフォーモリアスが選抜した部隊だ。全幅の信頼をおいているが、
 ・・・・・・ままならぬものだ。
 そう思いつつ彼は四度、瞬きをした。目に入ろうとした羽虫がどこかへと飛ぶ。
「閣下!」
 小さいが強い興奮を帯びた声で騎兵の一人がフォーモリアスに話しかけた。
 騎兵が何を言いたいのか分かっている。彼は頷きをもってそれに応えた。
 彼らの眼前で城門を潜り抜けてくる威容の集団がいた。
 集団が纏う鎧は派手ではないが威を感じさせ、整然と隊列を組み駆けていく様は畏敬の念を抱かずにはいられない。それが例え敵対する立場であったとしても。
 近衛騎団の威容に騎兵たちが目をとられている間にもフォーモリアスは進発した近衛騎団の兵数、兵種を見ていた。
 規模は三千四、五百ほど。兵種は重装歩兵を中心に軽騎兵、魔法兵、歩兵の部隊で構成されている。増援として投入するには十分な編成だろう。
 敵増援部隊が視界から消える。あれだけの数がいたのに整然と速度を落とすことなく進撃する様は見事の一語に尽きる。
 ・・・・・・あれは見習うべきなのだろうな。
 それを見送りながらフォーモリアスはムシュウに突撃する機会を伺っていた。
 彼の周囲では近衛騎団が姿を消したことで突撃命令を急かすような視線を全身で感じる。
 騎兵たちの興奮が熱となって伝わってくるような気配すらある。
 それでもフォーモリアスは突撃命令を下さない。
 まだ近すぎる。もっと敵増援部隊には離れてもらわなくては困るのだ。
 ムシュウで事が起きたことを悟られては困るのだ。何より防風林とは別の場所で待機している歩兵部隊が突入できなければムシュウ制圧を完遂できたとは言えない。
 時計に目を落とす。
 近衛騎団が姿を見せてからすでに十分近くが経っている。敵の移動速度を鑑みると、あと二十分は時間をとる必要がある。
 三十分は間を空けたいというのがフォーモリアスの正直な意見だった。
 ムシュウ突入後、速やかに城門の開閉装置を制圧し、待機させていた歩兵部隊の突入後、城門封鎖するのが作戦の概要だ。
 その全てを完遂するためには最低でも三十分は必要だと考えているからだ。
 しかし、騎兵たちの様子からあと十数分、待機させることは難しいように思えた。
 再び、時計に目を落とす。敵増援部隊の出発から二十五分近くが経過している。
 あと五分だ。しかし、騎兵たちの焦燥も限界に達しつつあった。
「閣下! ご命令を!」
 そう声をかけた騎兵だけではなく、他の者たちも同じように血走った目をしている。
 これ以上、押さえることは彼らの戦闘意欲に水を差すことになるな。
 フォーモリアスは彼らに力強く頷いてみせる。
「これより、ムシュウ制圧を開始する!」
 了解の声はない。ただ最敬礼をもって騎兵たちは応えた。

 フォーモリアス直率の二個小隊が飛び出すと同時に防風林のそこここに潜んでいた騎兵部隊が次々と姿を現した。その数、二百五十八騎。
 単純に考えれば、敵増援部隊の数がおおよそ三千四、五百ほどだからムシュウに残留しているのは五、六百ほどになる。
 兵数で考えるならば敵は二倍だ。
 しかし、敵は籠城の準備に追われているはずなので、実際に即時対応できる兵数はそう多くはないはずだ。
 フォーモリアスは自身に確信を与えるため、そう心の内で語りかけた。
 城門が迫る。門扉だけではなくいくつもの鉄格子をも有したその城門はラディウスにとって重厚や堅牢という言葉では足りない。まさしく峻険という言葉に尽きる。
 先頭を駆けるフォーモリアスは城門に畏怖を感じつつも突き進むことをやめない。
 まさしく眼前に城門が迫ったとき、敵襲を知らせる半鐘が鳴った。
 すぐに警戒任務についてた敵兵が姿を見せ、フォーモリアスたちに向けて魔法を放ってくるがもう遅い。フォーモリアス麾下の先頭部隊はすでにムシュウに入場を果たしていた。
 その感慨を心の内に押し込めてフォーモリアスは駆ける。
 城門を抜けた先の街並みに一瞬だけ感嘆の念を覚えた。
 ラディウスとの南北貿易によって生み出される富を象徴するかのように見事なまでに整備された街並みが広がっている。
 これだけの都市はラディウスでもそうはない。王都か、ロジェスト公爵領などの一部の公爵領が有するのみだろう。
 普通は、敵対する国家と接する場所にあるような都市がこれだけの街並みを持てるようなものではない。
 南北貿易による富だけでは説明がつかない。やはり、あの城壁が領民たちの心の拠り所となっているのだろうと領主としてのフォーモリアスが結論づけた。
 その感慨を消し飛ばすようなものに彼は目を見開いた。
 街並みの向こうにさらなる城壁があるのだ。そう、ムシュウは五つの城壁を持っていると聞いている。その第二城壁なのだろう。
 ・・・・・・しかし、これは。
 今、自分たちが潜ってきた城壁が再び眼前にあるというのは心理的な重圧は筆舌に尽くしがたい。まともに攻めれば第一城門だけでも手こずるだろうに、それが再び目の前に現れるのだからたまったものではない。
 それがあと四つも控えているとなるとなおさらだ。
 第一城壁の確保のみを行うフォーモリアスでさえそう思うのだから、実際に攻め続けてきた過去のラディウス軍の将兵の心中はどのようなものだったのだろうか。
 フォーモリアスは数十年前の北伐でのムシュウ攻略戦を思い出して背筋が凍る思いだった。
 過去への夢想は彼の左翼で駆けていた騎兵が魔法で吹き飛ばされたことで止められてしまう。
「くっ!」
 爆風に煽られるがすぐに騎馬の体勢を戻す。
「防御を固めよ! ここでやられては元も子もないぞ!」
 初老のものとは思えぬ大音声だ。それぞれの制圧場所に向かう騎兵たちはさらに強固な防御魔法を展開して作戦の完遂を目指して動く。
 フォーモリアスもその点では変わらない。城門を制圧すべく入り口に向かって駆けていく。
 防御魔法に遮られ周囲で爆発が起こる様を横目に見つつも彼は周囲に気を配っていた。
 敵は近衛騎団なのだ。警戒には十分すぎるということはない。その点は兵たちにも徹底させている。その彼の目からもムシュウが今、籠城の準備に入っていることが分かる。
 其処ここに集められた物資が積まれ、それがすぐにでも配分できるような体制が整えられているのも分かる。この状況から推測するに敵は・・・・・・。
「敵は撤退戦を行っているのか!?」
「閣下?」
「続く歩兵部隊に伝えよ! 早急にムシュウ入場を果たせとな。敵は撤退戦を行っている。我らのムシュウ制圧が全ての帰趨を決定付ける! 比類なき名誉か、死か。この二つしか選択肢はないとな!」
「了解いたしました!」
 騎兵が離れていくのを見送るとフォーモリアスたちは下馬し、城壁内部に突撃した。
「よいか! 城門の制御室の確保を最優先するのだ。敵兵の殲滅は後続に任せるのだ!」
「おぉぉうぇあ!?」
 突撃しようとした兵が返事をあげると同時に吹き飛ばされるという訳の分からない現象が起きた。突撃した三人全てが外に放り出された形だ。
 何事かとフォーモリアスたちは馬上槍を構える。
 入り口から目をはずすことはないが、目端に入る兵の一人は槍かなにかで刺突されたようだ。鎧の下の内服が血に染まっているのが分かる。
 残った二人は打ち身に苦い顔を見せつつも立ち上がる。些かふらつきを見せるが彼らの目はしっかりと入り口を見据えている。
 入り口の陰からまず姿を現したのは槍の穂先。続いて姿を見せたのは斧。そして、その反対側には鋭い鍵爪がある。
 斧槍と呼ばれるものだ。
 穂先で突き、斧で叩き切る。そして、鍵爪で引っ掻き、叩くと用途はかなり広い。
 どの国の歩兵でも長槍を標準装備としているが、近衛騎団はこの斧槍を主としていた。
 見た目の美しさも理由の一つだが、近衛騎団の活躍の場は王城であるため、あまり長すぎると城内では使いにくいというのが最大の理由だ。
 完全に姿を現した斧槍は通常のそれとは大きく異なる箇所がある。
 斧の部分が凄まじく大きいのだ。全体の大きさの六分の位置を占めるだろうか。
 それはもはや、斧槍と評するよりも戦斧と言った方が正しいかもしれない。
「狙いはやはり城門の制御室か。だが、そこは今、我々に任されている。お引き取り願おうか」
 言葉とともに斧槍の担い手が姿を現す。
 巨漢だ。フォーモリアスよりも頭一つ分以上に上背が高く、纏う鎧を押し上げるように筋肉が隆起している。
 近衛騎団の鎧が持つ優美さを殺し、逆に威厳を生み出していた。
 豊かな髭を蓄えたその顔がまっすぐにフォーモリアスたちを睥睨する。
「・・・・・・返事は言わずもがな、か!」
 言って髭の巨躯は斧槍を振り上げた。
「放てぇぇっ!」
 フォーモリアスの命令で兵たちは爆炎系魔法を放った。右肩、頭部、腹部、左太股に着弾し、炎と爆風とを撒き散らす。吹き出した炎は男を瞬間的に抱き込む。
 その炎が消え去らぬうちに兵二人が槍を突き出してくる。
 瞬間、炎が膨れ上がった。
「なっ」
 炎の赤よりもさらに鮮烈な紅を伴って炎は四散した。
 四散する炎を引き連れるようにして姿を現したのは焦げ茶色の獣毛で覆われた巨躯だ。熊と人とを組み合わせたような姿。羆双族(ひそうぞく)の獣化した姿だ。
 四散した炎は斧槍の斧部に巻き付いていく。そして、獣毛の巨躯は炎を完全に振り払うような勢いとともに踏み込み、ブオンッという風を切るにはあまりにも重々しい音を引き連れて斧槍を振り下ろした。
 斧は右にいた兵の肩口から入り、鎧もなにも関係なく両断するもまだ勢いは止まらない。斧槍は二人目の身体の半ばまで破壊してようやく斧槍は止まった。
 そう、止まったのは斧槍だけだ。先端に巻いていた炎はその苛烈さをまして兵の身体を焼いていく。
 そして、獣毛の巨躯は動きを止めない。。
 獣毛の巨躯は斧槍の握りを変えてさらに一歩を踏み込む。手にした斧槍が再び振り上げられようとする。
「っっ・・・・・・!!」
 斧槍の食い込んだ背骨を砕くような動き、そしてなにより炎に全てを焼かれる痛みで兵は絶望的な、声なき絶叫をあげる。
 一方の上下に両断された兵は叫びをその歪んだ表情にのみ浮かべるのみ。それすらも振り上げられた斧槍の一撃でつぶされ、下半身はさらなる巨躯の一歩に踏みつぶされてしまう。
 ただの一撃のもとで生み出された凄惨なる朱の彩りが巨躯の獣毛を照らす。
 その巨躯を前にしてフォーモリアスは怯えるよりも先に身体が動いていた。
 突き出した槍が剛の音とともに遮られる。重い。が、穂先を引いて次の一撃を加える。
 相手が一撃必殺を信条とするのならば、こちらは手数を増やして相手の隙を伺うのみ。あれだけ巨大な斧槍を扱うのはいかに獣人と言えどもそう長くは持たないと判断したのだ。
「ここは私に任せ、先に行け! 早急に制御室を制圧するのだ。これは厳命だ!」
 了解の言葉もなく兵たちは入り口に飛び込んでいく。
 獣毛の巨躯はそれを遮ろうと身体を向きを変えるが、フォーモリアスは槍を突き出してそれを許さない。
「貴公はここで討ち取らせてもらう」
 兵たちが完全に姿を消したのを確認するとフォーモリアスは距離をとった。
「後れをとったか。やはり、普段から司令部であれこれとしていれば身体も鈍るというところか。一段落ついたら、総員で再訓練する必要があるな」
「司令部、なるほど。北朝の近衛には羆双族の参謀長がいると聞いたが貴公か」
 羆双族は獣人のなかではさほど大きな勢力ではないが、その巨躯から繰り出される力と闘気の扱いの巧さにより高い戦闘力を有する種族として知られる。
 爆炎系魔法を闘気でねじ伏せて、斧槍に巻き付かせたのが良い証拠だろう。
「近衛騎団参謀長アスティーク。そのバレジの紋から推察するに・・・・・・」
 バレジとはフォーモリアス家の開祖が手にしていた槍の銘だ。その槍の意匠がフォーモリアスの肩鎧に彫り込まれている。そして彼が手にしている槍こそが、そのバレジなのである。
「貴公はトランディア・フォーモリアス殿と見受けるが如何か」
 フォーモリアスはほぉと感嘆の声を漏らした。
「仮にもリージュの旗を掲げる者にまで知られているとは光栄の限りだ」
「将軍の地位に不相応な権力を有する者に注視するのは当然のことと心得るが? それが敵対する国家であるのならば尚更ではないか?」
「北朝の近衛はそのようなことにまで気を回すのか」
 苦笑を浮かべる。
「貴公に名乗らせた以上、私も名乗りを上げさせていただこう」
 言葉を交わすことで決着を遅らせる算段だ。勝敗は別として、この羆双族の参謀長をこの場に釘付けにすることが出来る。少なくとも城門の制御室の制圧まで時間を稼ぐことが出来る。
「正統ラインボルト第十七軍司令官トランディア・フォーモリアス。魔王陛下の勅命によりムシュウを制圧する。貴公の首はその証として陛下に献上することにしよう」
「お名乗り見事。されど、貴公の願いを叶えて差し上げることは出来ませんな。我らの主がそれを許されていない」
「ムシュウを死守せよと後継者は言ったか」
「・・・・・・いや」
 獣毛に覆われてもはっきりと分かる笑みをアスティークは浮かべた。
「アスナ様の厳命はただ一つ。死ぬな、と。我らが一人として死ななければムシュウが守られることは道理であろう」
「戦場を知らぬ者の妄言だな」
「ご自身殺されかけ、それでももなお我らを信じた結果の妄言だ。それを現実のものとせぬ者は近衛騎団にはいないと心得ていただこう」
「貴公らの忠誠心には敬意を払おう」
 遠くから地鳴りのような音が迫ってくるのが分かる。
「しかし・・・・・・」
 フォーモリアスは笑みを浮かべた。それには幾分か安堵の色が見て取れた。
「むっ」
「貴公の首は献じられることに決まったようだぞ」
 二人とも視線を向けるようなことはないが、音で分かる。
 フォーモリアス麾下の歩兵部隊の突入が始まったのだ。城壁の上から団員たちが攻撃を加えているが焼け石に水である。
「大勢は決した。降伏すれば命までは取らないが?」
 正直、自分とアスティークとでは力量に開きがある。
 獣人と人魔という種族的な差を抜きにしても、アスティークの方が技量は上だ。
 数度、槍を交わしただけでそれが分かった。時間をかければ確実に負ける。
 勝つためにはこちらの手の内を読まれる前に決着を付ける必要がある。しかし、それすらも危険がともなう。
 参謀長といえども、自他共に北朝最強と評される近衛騎団の一員だけのことはある。
 フォーモリアスはアスティークをそう評していた。
 おそらく撤退戦を後継者に進言したのはこの男だろう。
 これだけの武威を持ちながら、参謀という頭脳集団を束ねているのだ。その知略は並々ならぬもののはずだ。
 そのアスティークが防備の手薄となったムシュウに奇襲がある可能性を考えないはずがない。
 フォーモリアスの危惧を遮るようにアスティークは斧槍の穂先を彼に向けた。
「お忘れか? 我らが近衛騎団であることを!」
 そして斧槍を突き出す。フォーモリアスはそれを交わすが、直線の動きだったものが強引に円運動に変わる。斧部がフォーモリアスに襲いかかる。
「くっ!」
 受け止めるが、重い。そして、熱い。
 斧槍に闘気を纏わせているのだろう。ただ受け止めるだけでフォーモリアスの纏う鎧を焼く。全身を防御魔法で覆っていてもこれである。
「我らは魔王の剣であり、魔王の盾。武具が降伏するとお思いか!」
 獣化した羆双族の膂力に人魔が勝てるはずがない。それが闘気によって強化されているのだからなおさらだ。
 斧で押し切られる前にフォーモリアスは力任せに槍で押し返すと間合いを取った。
「ならば、その首を勝利の証として頂戴しよう!」
 宣言とともに黄金に輝き、そしてそれは稲妻と化した。
 一撃、二撃、三撃と稲妻の如くの速さで穂先が繰り出される。
 雷光が閃く。
 それがどのような軌道を持っていたのは判別することはできない。ただそれが稲妻である以上、それに対処する思考を待っていれば、どう足掻いても間に合わない。
 それでも追い付こうとするのならば稲妻が放たれる前に動かなければならない。アスティークはまさにその通りに動いていた。
 フォーモリアスの放った槍の軌道のうち二つまでは斧槍の一撃で相殺することはできたが残り一つはその身で受けることになった。
「っっっ〜!!」
 落雷。
 槍に纏った荷電粒子は逃げ場をアスティークに定め、一気に流れていく。
 闘気を纏うアスティークに雷を通したのは彼に手にしていたのは魔槍の類であったからだろう。
 闘気はその名が示すとおり闘うことに特化した力だ。それだけに並の魔法などものともしない。それはさきほどの爆炎系魔法を受けても平然としていたアスティークが証明している。
 しかし、魔剣や魔槍といった魔具の類を使えば闘気を切り裂き、貫くことができるのだ。
 もちろん魔具の担い手、相手の闘気の強さにより出来るか否かの結果に分かれるのだが、闘気を有する者に対抗するには魔具を使うのが一般的だ。
「・・・・・・はぁ、はぁ、はぁ」
 斧槍の石突きを地面に付き、全身から煙りを立ち上らせている。
 荒い息。獣毛や肉の焦げた深いな臭いを全身から発しながらも眼光は決して衰えない。
「バレジの稲妻を二つも潰すとは見事。しかし、一撃でも食らえばもはや戦うことは出来ますまい」
 居丈高にそう言うフォーモリアスだが、実際はかなり消耗をしている。
 魔具はその名が示すとおり、その秘められた力を行使する際には代償として魔力を大量消費してしまう。それを三度も立て続けに放ったのだ。無理もないことだった。
 しかし、この無理は十分な効果があった。
 アスティークに一撃加えられたこともあるが、ムシュウ入城を果たした歩兵部隊の一部が合流を果たしたのだ。
「閣下、ご無事でしたか」
 頷きでフォーモリアスは応えた。
「城門の制御室はこの奥だ」
 歩兵たちはすぐさま展開して、槍ぶすまを作る。
「・・・・・・アスティーク殿、これが最後の機会だ。即刻、降伏されよ」
 フォーモリアスがここまでアスティークを捕らえることに固執する理由はただ一つ。
 近衛騎団参謀長を虜にすれば、それだけ武名が上がるからに他ならない。
 少しでもムシュウ攻略の価値を上げるつもりなのだ。
「存外、貴公も物覚えが悪いと見える。先ほど申し上げた通りだ。我らはアスナ様のご命令により、折れぬ剣であり、砕かれぬ盾となったのだ。それよりも・・・・・・」
 息を一つ深く吸い込むとアスティークは姿勢を正し、改めて斧槍をフォーモリアスに向けた。
「今度は我らから貴公らに降伏を勧めよう」
 その言葉を合図にして、城壁の内部への入り口から団員たちが姿を現した。
 ラディウス兵たちは現れた団員たちに警戒の視線を向けると同時に距離をおいた。
 ドスッという音の連続と同時に両勢力の中間点に五個、朱に染まった鎧を纏った物体が落ちてきた。城門の制御室を制圧しようと突撃した兵たちだ。
 両勢力の距離はさらに開き、近衛騎団側は完全に槍ぶすまを作り上げる。
 そして遺体が降ってきた場所、城壁の上を見ればそこには整然と団員たちが並んでいた。
 アスティークの命令があれば即座にラディウス兵めがけて魔法攻撃を開始するはずだ。
「答えを聞かせていただこう。降伏するか・・・・・・」
「否だ!」
 フォーモリアスの叫びとともに再び、雷光が閃いた。
 そしてついにムシュウでの戦いは本格的に動き出したのだ。

 その頃、サイファも行動を開始していた。
 先鋒を任せたルイア副将率いる第十七軍のさらに前方ではサイファの命を受けた騎兵部隊が後方からベルナの救援に向かうこと、そしてこのまま進めば敵の術中に填ることを喧伝して回らせた。それと同時にベルナがどこにいるのか情報収集もさせていた。
 もちろん彼らの行動を阻害する動きもあったが、全責任は上将であり、バルティア家嫡子であるサイファが取ることを明確にしたことで道を譲らせたのだ。
 将軍や士官といった戦場で鳴り響く通信を耳にしていた者たちは渋々といった態度をとりながらだが、道を譲ることに同意したのだった。
 彼らも撤退したいと思いつつも退くに退けない状況だったのだ。国境地帯制圧軍の指揮権は剥奪されていても上将であることには代わりがない。
 各軍の将兵が入り乱れての進軍で統率することが難しい状況だったのだ。
 そこに自分たちよりも上位者であるサイファの命令は渡りに船だったのである。
 道をあけさせた上で第十七軍は整然と隊列を組んだ上で駆けていく。
 数の上では心許なくとも、統率のとれた軍は例え圧倒的多数であっても隊列も組めない烏合の衆よりもずっと大きな戦果を挙げることが可能だ。
 しかし、道をあけさせることは出来たが、肝心のベルナの行方がわからないことが判明した。
「ベルナの行方がわからないだと?」
 前方で情報収集を任せていた士官から報告があった。
「はい。将軍閣下の足取りはつかめていません」
 集めた情報によると近衛騎団の奇襲による分断、撤退による誘導の連続でかなり兵が分散している。その分散させられた中にベルナがいるというのだ。
「ベルナにつけていた魔法部隊はどうしている? 目を離すなと厳命したが」
「彼らの行方もわかりません。この状況から推察するに、敵の奇襲により討ち死に。もしくは、我らと同様に第七軍を捜索中ではないでしょうか」
 この混乱状態だ。どちらの可能性も十二分にある。
「わかった。第十七軍には真っ直ぐにムシュウに向かい、友軍の撤退を支援せよと命じろ。オクタヴィアには分断された部隊の撤退支援をさせろ」
「了解いたしました」
「では、閣下。我らの今後の行動は?」
「ベルナの救出を最優先とする」
 サイファの言葉だけを聞けば、私情のみの命令に聞こえる。しかし、ラディウス軍という視点で見れば他の将軍の救出に力を注ぐよりもベルナの方に力を注ぐ方が有益だ。
 もちろん、私情が全くないとは言わないが。
「閣下! 先ほどから上がってくる情報によりますと第一魔軍も動いているようです・・・・・・」
「なんだ、はっきりと言え」
「不確定情報としてご報告します。近衛騎団が姿を消したと。そして、待ち伏せをしていた第一魔軍が一様に同じ方向に移動しているとのことです」
「ムシュウ方面にか?」
「いえ、西に向かっていると」
「何かあるのは間違いないな」
「如何なさいますか?」
「・・・・・・オクタヴィアに任せるか」
「お言葉ですが、敵の予想集合地から最も近いのは我らです」
 集められた情報を元にサイファは状況を整理し直す。
 判断基準は二つ。ベルナの救出と、国境制圧軍の瓦解を防ぐこと。
 敵が集結しているということは、なにかしら大きな動きを見せるということだ。そして今のこの混乱状態に大がかりな行動にでられれば国境制圧軍は瓦解してしまう可能性は十二分にある。
 かといってベルナを見捨てるようなこともできない。
 最大出力で自分がベルナに撤退を命じるかとおも思ったが即座に却下する。そんなことをすればベルナは意固地になって進撃を続けるだろう。なぜか、サイファに対してのみ、ベルナは頑なな態度をとる傾向にあった。
 ならばどうするべきか。
 思考が走り、出た結果は単純明快だ。
「敵の殲滅を優先しよう。この状態で大規模な行動に出られるのは危険だ」
「・・・・・・よろしいのですか?」
「ベルナならば、しばらくは持ちこたえられるはずだ」
 頷く。
「敵の同行を調べ、何かしらの行動に出るのであればそれを潰す!」

 ラメル第九十八地区。
 そこに第一魔軍副将オードは麾下部隊を集結させつつあった。
 この場に到着した部隊はオード以下の参謀たちの指示に従って、待機場所で姿を隠した。
 ラメルはその歴史から古戦場として知られ、ラインボルトはラメルを決戦の地として活用できるように改造を施している。
 その一つがこの第九十八地区だ。
 景観としては他の場所と大差ないが、それとなく大岩をおいたり、塹壕を掘ったりして伏兵を配するのに適している。ここに兵を伏せればラディウス方面から来る敵には姿を完全に隠すことが出来る。
 この場所の詳細が書かれた地図にはそのあたりのことが自慢げにそれとなく書かれていた。
「確かに自慢したくなる気持ちも分からないでもないな」
 オードは手にした地図と実際に兵が潜伏している場所とを見比べたが、見事に姿が隠れている。幻影魔法でさらに見えにくくしているのだからなおさらだ。
 これだけのものを設計、建造した工兵部隊には敬意を表するが実際に運用して効果があるか否かというのは難しいとしか言いようがない。
 確かに勝敗を別にすれば、伏兵は少数の兵でも多数の敵を撃滅することが可能だ。
 しかし、伏兵は移動せずにじっと待たなければならないのに対して、敵は斥候を周囲を警戒させながら進軍するのだ。
 伏兵のいそうな場所はどういった地形かを察知する訓練を受けている斥候にばれずに攻撃を開始できる可能性は低い。
 そしてなにより、伏兵を配した場所に敵が来るとは限らない。
 どうしても伏兵のいる場所に誘導する者が必要になってくる。
「実際、近衛騎団は良くやってくれている」
「近衛騎団側が撤退戦を提案してくるとは正直、思いませんでしたからな」
 オードの直率部隊の大隊長が言った。
「全くだ。軍師殿の命令と情勢から帰順を決めたが、しかし即座に撤退、ムシュウに籠城するよう命じられるとは思わなかった」
「閣下の予測では一戦交えたあとでの撤退でしたが。本当に予想外でしたな」
 そうだなと頷く。
 背後から足音が迫ってくるのが分かる。振り返ると若い士官が敬礼を寄越してくる。
「全部隊、集結完了いたしました。現在、待機場所に移動中」
「分かった・・・・・・」
 手元の懐中時計を見る。あと十分ほどで近衛騎団が敵をつれてくることになる。
 頷く。
「では、我らも配置場所に戻るか。全部隊に通達! 予定通り近衛騎団通過の後、攻撃開始せよ。近衛騎団が見ていることを忘れるな!」
「了解いたしました」
 敬礼をすると士官と大隊長は部隊に駆けていった。
 一人残ったオードは一度、大きく深呼吸をする。
 そして、十秒ほど敵が来る場所を睨み付けると踵を返した。
 砂塵が舞う。
 陰は伸び、西に傾いた陽はオードの半身を強く照らし出す。
 撤退戦開始以来、最大規模の戦いが始まる。

 兵たちは事実上、制御不能な状況に陥っていた。
 近衛騎団による度重なる奇襲により、兵力を分断され、組織力をも潰されること以上に兵たちは何度となく奇襲をかけては撤退を繰り返す近衛騎団の態度に自分たちは優勢に戦いを展開していると勘違いしていた。
 それも当然である。戦場に飛び交う通信も彼ら一般兵のほとんどは聞こえていないのだ。
 仮に聞こえていたとしても虚言だと判断する可能性は十分にあるだろう。
 友軍が、自分たちが負けているなどと大っぴらに通信するはずがないのだから。
 そしてなにより、彼らの眼前には出世の種となる近衛騎団がいるのだからなおさらだ。
 実際に近衛騎団の奇襲と撤退とを目にした兵の大半は頭に血が上ってしまい現場指揮官たち諸共、その姿を見れば追いかけることを繰り返していた。
 敵を誘導するのに最も重要なのは敵に自分たちは勝っているのだと勘違いさせることだ。近衛騎団の動きは見事にそれを実現していた。
 そう、見事には違いないが・・・・・・。
 やられる方としてはたまったものではないだろう。
 状況をどうにか挽回出来ないかと思考を走らせるベルナは奥歯を噛みしめながら、状況把握につとめる。
 正直な話、麾下の第七軍も組織力を残しているのはベルナの周囲、前後左右を固める一個大隊のみだった。今、ベルナに残された本当の意味での兵力はそれだけだった。
 この兵力を如何に活用するかで戦局は変わってくる。
 敵側がどのような罠を張っているのか詳しくは分からない。しかし、それがどんなものであるのかはある程度、予測できる。
 釣野伏、つまりわざと負けて敵兵をおびき寄せて伏兵で叩くという戦術を使ってくる。。
 今の状況、これまでの通信がそれを裏付けている。
 どの瞬間に敵が討って出てくるかまでは分からないものの、敵がどういう作戦をとるのか分かっているのだから対処の方法もある。
 被害は大きくなるのは間違いないだろうが、敵の策を食い破るためには仕方がない。
 兵は消耗品だと言う考え方は好きではないが、この際仕方がない。
 歩兵が敵を防いでいる間に敵を食い破る策を実行する以外に道はないだろう。
 ベルナは決心した。
「伝令!」
 すぐに隣を走る伝令に命令を伝えると、掌握している大隊にもその旨伝えるよう指示を出した。

 ベルナの対抗策が実行に移されているとき、前方ひたすらに駆ける歩兵部隊はなかなか埋めることの出来ない近衛騎団との距離に焦りのようなものを感じている者が増え始めていた。こうして走り続けて二十数分が経過しているのにだ。
 敵は金属製の鎧を纏って自分たちと同じく足で駆けているのに追いつけない。
 それに対する畏怖はあるが、それ以上に近衛騎団を倒すことへの闘争意欲が強かった。
 なにより追いつけないまでも引き離されてもいないことだった。
 そして彼ら自身は気づいていないが、歩調が緩むと近衛騎団側から攻撃が加わり、敵の戦意を煽っていた。
 もちろんラディウス兵のなかにも何かあるのではないかと思っている者も多かった。実際、戦闘意欲の高まりで頭に血の上っている者よりもずっと多い。
 一歩を踏み出すごとに少しずつ、確実に退いた方が良いのではないかという気持ちが高まってくるのを兵たちは感じつつあった。
 そう一度、思ってしまうと近衛騎団を追いかけ始めたときのような戦闘意欲はなりを潜め、逆に冷静に物事が見えるようになる。
 兵たちだけではない。むしろ兵よりも現場指揮官である小隊長、中隊長級の士官たちの方がそういう空気をより敏感に感じていた。
 現場での叩き上げが多く数を占めているのだから当然である。
 かといって彼らに上級指揮官にその旨、諫言する勇気もなく、仮にあったとしてもこの状況ではその上級指揮官がどこにいるのかが分からない。
 彼らに出来ることと言えば、部下たちを掌握して活路を見いだすことなのだが、近衛騎団を追いかけている間に兵たちは離散してしまっている。
 幾つも戦場を知る古参兵ならば、所属部隊に関係なく指揮官の元に集結して突撃することも可能だが、どの兵もそれほど実戦経験があるわけではない。
 ラディウスは五大国に数えられるだけの国力と兵力とを持っている。
 その大国に戦争をふっかけるような国は皆無だ。
 逆にラディウスはラインボルトに対する北伐、周辺の中小国に対する懲罰を行い、侵攻作戦ばかりを行ってきている。
 ここ二十年以上はラインボルトに戦端を開くようなことはなく、もっぱら勝てて当たり前の中小国への懲罰や内乱に対してのみ軍は動いていた。
 それだけにこのような状況を想定することは出来ても、実際に指揮官や兵がそれに対応できるとは限らない状況だった。
 対するラインボルトは北にリーズと言う最大の敵対国とその従属国によって、頻繁にちょっかいを出されているため、戦慣れした部隊を多く抱えていた。
 はっきり言ってこの差は大きい。
 なにより今、彼らが刃を交えているのはラインボルト全軍の中核たる第一魔軍であり、ラインボルト最強の近衛騎団なのだ。
 その事実を改めて認識した叩き上げの現場指揮官や兵たちはそれでもなお駆け続ける。
 ベルナのナインレーゼの宣誓、そしてそれ以上に場の雰囲気に飲み込まれて止まることは許されない。彼らに許されるのはただひたすらに駆け、罠があったとしても自らの血肉によって道を作り出すほかなかった。
 そして・・・・・・。

 眼前に近衛騎団のものと思しき一団が真っ直ぐにこちらに向かって駆けてくる。
 そしてその背後からは有象無象と呼ぶに相応しい乱れた軍勢がこちらに迫ってきているのが確認できた。
 敵を誘導してきた近衛騎団が左右に分かれ、散開した。
 合図だ。
「攻撃開始!!」
 腹に響くような足音を押し返すような命令が発せられた。
 ラメル第九十八地区に幾つもの火柱が立ち上がった。その数、二十三。
 第一魔軍副将オードの命令により攻撃が開始されたのだ。
 オードの直率部隊による魔法攻撃を合図に第一魔軍の兵たちは動き出した。
 この場に召集された兵力は三千五百。
 その内ラディウス軍の突撃を正面から受ける部隊の総数は二千。残りは側面から包囲するように攻撃を行っている。
 すでに隊列が崩れていることと相手の突撃力によって共倒れになることを嫌い、騎兵の突撃は行っていない。
 思いっきり敵兵と衝突することになるが十分に持ちこたえることが出来る。
 相手は地面をも大きく抉る魔法部隊渾身の一撃にかなり勢いを殺されつつも、怯むことなくこちらに向かって突撃してくる。
 そして接敵。思い切り鉄槌で地面を叩き付けたような音がし、それに押し出されるようにして砂塵が待った。
 やはり、全力で駆けてきた者を押しとどめるのは難しく。敵の攻撃を直接受けた中央の部隊は後退を余儀なくするが、程なくして押し返すことに成功する。
 それと同時に左右から迫った歩兵部隊が接敵。敵が散開して中央の部隊を飲み込むことを阻止する。しかし、それでも敵の数は多い。包囲しきれなかった敵は周囲を駆け回る騎兵部隊の餌食となっていく。
「敵を止めることに成功! 戦局は予定通りこちらに有利に展開しております」
 おぉ、と言う感嘆の声が司令部から漏れる。
 オードは頷きを持って応える。そして臨席する参謀たちに、
「数の上では敵が優勢だ。綻びが出来た箇所には適宜、予備部隊を投入することを忘れるな」
 と言っている側から数カ所、包囲に綻びが生じつつあるとの報告が上がった。
「第六中隊に三個小隊を左翼に回させろ! 残りは別名あるまで待機だ!」
「敵左翼への重圧が大きくなっています!」
「先の命令は取り消す。第六中隊は全力を持って敵を押し返すよう伝えろ!」
「了解!」
 次々と飛び込んでくる情報を処理し、敵の攻撃に対処していく。
 その情報の大半はある程度予測済みのものだ。しかし、これだけで終わるとは誰も思ってはいない。
「敵左翼、内部で隊列が整いつつあります! 数カ所で魔法による反撃を受けています」
「予定よりも早いが魔法部隊を投入し、対抗させろ。騎兵部隊の一部を割いて、魔法攻撃に参加させろ!」
 騎兵が魔法攻撃を行うのはおかしいように見えるが、騎兵の運用の仕方は敵戦列に突撃を加えることだけではなく、戦場を縦横に駆けめぐって矢を射かけることも含まれている。
 これを上手く運用できればかなり戦局は有利に展開させることが出来る。
 実際、命令を受けた騎兵部隊は戦場を駆け回り、歩兵部隊の支援を効果的に行い、多くの戦果を挙げていた。
 現在のところ、第一魔軍の攻勢は一方的だが、しかし余裕があるとは言えない。むしろ、予備兵力を必要最低限のみを残して、残る全ての力を出し切っているからこそ対抗できているのだ。

 ここが正念場である。
 ベルナはこの戦いをそう定めた。
 周囲では絶叫と爆発が連続して起き、兵たちの叫び声が耳の奥にまで響いてくる。
 しかし、ベルナの第七軍はむざむざとやられているわけではなかった。
 まるで防波堤を決壊させた水のような勢いで押し返そうとしている。
 ある程度まで押し返すことは出来たが、さすがは第一魔軍と言ったところでそれ以上押し返すことは出来なかった。
 それでも戦いは第一魔軍が優勢であることには変わりない。
 敵は全力で自分たちを包囲し、兵数での不利を封じ込めようとしている。
 だが、裏を返せばそれだけ敵も余裕がないと言うことか。
 ・・・・・・機会を間違えなければ立場を逆転できるはずだ。
 そうベルナは確信している。
 ベルナが採った策は実行すれば一気に形勢が逆転するようなものではない。どちらかと言えば地味な策で、有効打となりうるかはなにも知らされていない兵たちの動きによる。
 もし、その策が潰されてしまった場合は友軍を踏み潰してでも、敵中突破を敢行してでも戦局を変えるつもりだった。
 第七軍のほぼ中央にいるベルナの位置からは確実に周囲の兵たちが打ち倒されているのが分かる。どのような光景が繰り広げられているかまでは分からない。
 だが、ベルナの鼻腔に乾いた砂の臭いだけではなく、朱の臭いを強く感じる。
 叫びは続く。赤い霧は濃くなる一方だ。
 外周部では死が量産されている。目に見える範囲でそれが行われている。
 しかし、ベルナは直率している大隊は動くことを許していない。
 それどころか魔法による支援攻撃すらも禁じられている。なぜなら彼らは予備戦力として活用することになるからだ。無駄なことに力を割くわけにはいかないのだ。
 時が来るまではなにがあっても動くことは出来ない。
 彼らもそれが分かっており、例え眼前で友軍が爆発で吹き飛ばされても整然と隊列を組んだままだ。
 戦闘開始から十数分。
 変わらず第一魔軍で戦いは進んでおり、敵は予備戦力を全て投入しているように見える。それでも全体としての状況は拮抗状態となっていた。
「閣下!」
 副官の声に頷く。そろそろ動き出すはずだ。
 ベルナの命令はただ一つ。
 敵が戦力を出し尽くし、拮抗状態となったとき突撃を行え、と。
「・・・・・・来ました!」
 姿を見せたのは数十騎もの騎兵たちだ。
 罠が待ち受けていることは分かっていた。ならば罠にかからずにいる部隊が外から増援に来れば罠をうち破りやすくなる。
 ベルナの考えはすなわち、そういうことなのだ。
 そのためにベルナは麾下大隊を除く騎兵の三分の一を別働隊としていたのだ。
 別働隊の周囲に青白い光が集まり始める。鏃を組む準備を始めたのだ。
 すぐに姿を現した別働隊に対応しようと第一魔軍の騎兵も動き出すが、本来対応するはずの騎兵の半数近くが包囲支援に出払っていて数が足りない。
 鏃をぶつけ合う場合での勝敗は純粋な騎兵の数、もしくは騎兵の個々の強さだ。
 数の上ではラディウス軍、質の上では第一魔軍といった具合だ。
 そして、両者は加速を重ねて、最高速度に乗る。周囲を覆う防御魔法は蒼を越えて白くすら見える。
 両者が激突する。拮抗する力は削り合い、小さな燐光となって飛ぶ。
 接触は一瞬。
 蒼の防御壁を消し飛ばされたのは、第一魔軍の方だった。
 鏃通しの競り合いに負けた第一魔軍側の騎兵は落馬し、踏みつぶされる者、軍馬ごと弾き飛ばされる者とほぼ壊滅状態に陥った。
 第一魔軍騎兵部隊を弾いた別働隊だったが、競り合いでかなりの力を消耗してしまった。
 纏う防御魔法はかなり薄くなったが、それでも鏃として十分機能するだろう。
 別働隊は方向を変え、右側面から突撃を敢行した。
 第一魔軍の兵のみならず、友軍までも犠牲にすることになるが事態を打開するためには仕方がない。
 その辺りの許可はベルナが行っている。
 通常ならばそのような命令は出さない。つまり、それだけ状況が逼迫しているのだ。
 再び全速に乗った別働隊はついに突貫した。
 包囲に穴をあけ、友軍までをも穿つことになったが、十分な効果を上げた。
 兵たちもなぜ別働隊がこのようなことをしたのか、瞬時に理解し、包囲に穴をあけようと文字通り大量に血を流しながら、切り開き始めた。
 第一魔軍にもう予備戦力はない。つまり、穴を塞ぎたくともそれが出来ないと言うことだ。
 戦局はベルナ有利に傾き始めていた。

 ラディウス第七軍の別働隊が右側面に突撃を加えようとしているところを見ている一団があった。
 ベルナたちに気づかれないように集結していた近衛騎団である。
 純白の鎧は血と砂埃に汚れ、各々の表情にも濃い疲れが見える。
 しかし、それをねじ伏せる意志をその身に宿し、瞳は戦意に輝かせていた。
 その彼らの最前列でその光景を見ていた青年がやれやれと言った感じで頭を掻いた。
「やっぱり一筋縄にはいかないか」
 ヴァイアスである。周囲の皆と同じように、いやそれ以上に疲れを見せているが毅然とした態度と普段と変わらぬ雰囲気を纏っていた。
「さすがはロジェスト公爵家の秘蔵っ子ね」
 ヴァイアスたちがここにベルナを誘導した理由は至って簡単だ。
 追撃軍の中で最上位者がベルナだったからに他ならない。追撃軍全体を分断、混乱させ、その上で最上位者を討てば、ムシュウを本格的に包囲しようとは思わないはずだ。
 近衛騎団、第一魔軍のこれまでの行動はその全てへの布石であった。
「だな。家名に恥じぬ能力ってのは噂だけじゃないみたいだな。けど、実際のベルナ個人の力量はどんなものだろうな」
「・・・・・・試してみる?」
「当然。・・・・・・第四大隊は包囲に開いた穴を塞いでやれ。第一魔軍からの要請は遵守するように。残りは俺とともに敵後方を攻める。第四大隊が動き出したのを合図に俺たちは動くそのつもりでいろ。オード副将に事後承諾だがそのことを伝えておけ。礼儀だからな」
 伝達内容を伝連に伝えると、ヴァイアスは行動開始を命じた。
「よしっ、行け!」
『了解!』
 ヴァイアスのもとに集合していた大隊指揮官たちは略式敬礼をすると自分たちの麾下部隊の元へと駆けていった。ヴァイアスとミュリカも同様だ。
 そして程なくして第一魔軍同様に潜んでいた団員たちが移動を開始した。

 第一魔軍は危機的状況に陥りつつあった。
 敵別働隊の攻撃により包囲が破られ、そこから傷口を広げられ続けていた。
 穴を塞ごうにも予備兵力はもうない。かといって司令部そのものと穴の補填に使えば全体の統制がとれなくなり、別のところで支障が必ず出る。
 現場の兵たちの奮闘に期待するほかないのだ。
「報告します! 近衛騎団、敵右側面及び後方に対して攻撃を開始しました!」
「本当か!? しかし、予定では・・・・・・」
 第一魔軍副将オードは卓を叩き付けながら立ち上がった。
 予定では近衛騎団はわずかな休息と敵の攪乱に当たっているはずだった。
「失礼します」
 天幕に入ってきたのは近衛騎団の団員だ。団員の最敬礼にオードは返礼する。
「団長の言葉をお伝えに参りました」
 オードは頷き、承ろうと威儀を正した。
「副将閣下の承諾なく騎団を動かしたことを謝罪いたします。しかし、これも全ては後継者とラインボルトのため、寛大にお許しいただけると幸いです。以上です」
 近衛騎団の問題児扱いされていても、団長にはかわらないか。
「了解した。ヴァイアス団長にお伝え願いたい。貴公らのご助力に感謝の言葉もない。栄光ある近衛騎団と共闘出来ることを誇らしく思うとな」
「ありがとうございます。では、右側面に攻撃中の第四大隊には副将閣下よりの要請を尊重するように団長から命じられております。必要な箇所に投入していただけると幸いです」
 伝令は要請という言葉を使っているが、実質的にオードに近衛騎団の一部を預けたことを意味している。
 これにはオードを初めとした司令部の面々は驚くとともに軽い興奮状態となった。
 何しろ魔軍の副将とは言え、近衛騎団の一部を委任されることは前例がない。
 これまで委任を許したのはラインボルト軍最高司令官である大将軍のみだ。これに興奮しないわけにはいかない。
 もはやオードたち第一魔軍司令部は近衛騎団の横槍に抗議するつもりはなくなっていた。
「近衛騎団、接敵しました。敵を押し返し始めています!」
 安堵の歓声が沸き起こる。
「重ねて礼を申し上げるとヴァイアス団長に申し伝えていただきたい」
「了解いたしました。それでは失礼します」
 伝令の敬礼に第一魔軍司令部の面々全てが最敬礼をもって応えた。
「近衛騎団の助力が得られた。適宜、必要な箇所に投入できるように調整を行え。近衛騎団の信頼に応えずに敗退したとなればゲームニス閣下に合わせる顔がないぞ」
 覆された戦局は再びラインボルト軍有利に傾き始めていた。

 何度となく突撃と撤退を繰り返してきたとは思えない勢いでヴァイアス率いる近衛騎団はベルナの第七軍の背後に突撃を行った。
 第一魔軍の包囲にばかり気を取られていたため近衛騎団の接敵に対処するのが一拍遅れた。
 先鋒を任された第四大隊騎兵第二中隊及び第三中隊は鏃を組んで敵中深く食い込んでいく。それだけではなく、騎兵第一、第四中隊が第二撃として突撃した。
 そして、出来た穴に向かってヴァイアスは歩兵部隊を投入し、敵部隊を真っ二つに割いていく。
 やられたら、二倍にして返す。まさしくその言葉の通りだった。
 ヴァイアスの防御魔法の庇護下にある団員たちは敵の槍も魔法もものともせずに突き進む。その様は常識外れも良いところである。
 歩兵部隊によって切り裂いた空間に魔法部隊が投入され、手当たり次第に敵に射撃を行う。狙いを定める必要などない。放てば必ず命中するのだから。
 しかし、その近衛騎団の突撃は敵の中央付近で押しとどめられてしまった。
「なんだ!」
 団員たちとともに突撃していたヴァイアスが異変に声を上げた。
「敵に押しとどめられているようです」
「原因は分かるか?」
 と、前方の状況報告に団員がヴァイアスの元に駆けてきた。
「報告します。先鋒部隊は敵将の直率部隊と接触。押しとどめられています。中央には一角獣の紋章があります」
「一角獣の紋章。・・・・・・ロジェスト家の秘蔵っ子か!」
「はい。敵将周辺のみ整然と隊列を組まれ、付け入る隙がありません」
「なるほどな。・・・・・・よしっ、現状維持だ。このまま敵の傷を広げてやれ」
「で、ヴァイアスはどうするつもり?」
 と、ミュリカ。その目を見ればなんと答えるのかは分かる。
 すでにヴァイアスは疲れ切っている。それでも今ある全力を使おうとする彼へのお目付役だ。ここでヴァイアスに何かあればアスナに対して顔向けできないし、近衛騎団としても大きな損失だ。
 しかし、側に自分がいれば無理はしないだろうとのミュリカは判断したのだ。
 なにも知らない人が聞けば、ただの自惚れだと嘲笑うかもしれない。
 だけど、あたしとヴァイアスはそれだけのものを積み上げてきたんだ。
 嘲笑われても構わない。ただの自惚れだろうと構わない。あたしがそう自負しているんだから。なによりヴァイアスもあたしと同じなんだから。
「当然、俺が前に出る」
 と、なにが可笑しいのかミュリカは小さく笑った。
「どうした?」
「なんか、アスナ様みたいなこと言うから」
「・・・・・・うるせぇ」
 戦場には不釣り合いな面映ゆい顔でヴァイアスは少しだけ赤面した。
「とにかく前に出るぞ! 足りない部分は任せたからな」
「もちろんよ。ヴァイアスの面倒を見るのはあたしだけの特権なんだから」

 近衛騎団の突撃をどうにか受け止めたベルナは必死に巻き返しをはかっていた。
 隊列を組み、敵に付け入る隙を与えずに押し返す機会を伺うが近衛騎団も容易にそれを見せることはしない。
 再び状況はベルナ不利に固まってしまう。再び状況が覆されたのだ。
「敵包囲部隊勢いを取り戻しました。このままでは押し切られるのは時間の問題です」
 そんなこと言われるまでもなく分かっている。
 問題はこの状況にどう対処すればいいのかだ。
「閣下。ことここに至っては撤退もやむなしかと」
「キストリア!」
 第七軍副将を思いっきり睨み付ける。ナインレーゼの宣誓をした以上、撤退するなど許されることではない。
 例え生きて帰ることが出来たとしても軍法会議の末、処刑が待っているのは目に見えている。ならば、ここで華々しく散った方がずっと良い。
「責任は全て私がとります! 閣下は国の将来に必要となられる方です。このような場で命を散らせてはなりません」
「しかし、私は!」
「今は言い争っている場合ではありません! 全部隊に通達! これよりラメルに撤退する。総員血路を開くのだ!」
「キストリア!」
「時間はありません。後ほど、閣下の手で処分されることを楽しみにしております。この旗をお借りしますぞ」
 ロジェスト家の一角獣をあしらった紋章を旗持ちから奪い取るとキストリアは、では! と言う言葉と笑みを残して周囲の兵とともに突撃を血路を開くべく近衛騎団の中へと躍りかかった。
「キストリア!」
 死を覚悟した副将と兵の後を追おうとするベルナを副官が進路を塞いだ。
「どけっj!」
「お待ちください閣下! キストリア副将の思いを汚すおつもりですか! 副将は責任をとると仰ったのです。閣下は何としてでも生き残り、副将に敗戦の罪を被せなければならないのです」
「しかし! 部下を捨て駒にするような真似など」
「議論する必要はありません。今は奪取することのみをお考えください!」
「・・・・・・・・・・・・」
「閣下!!」
「撤退する! 副将キストリアの脱走により戦闘続行が不可能となった。一度、ラメルに帰還して再起を図る」
「聞いたな! 即座にラメルに帰還する! 血路を開け!!」
 おぉ!! と言う鬨の声とともにベルナの直率部隊は撤退を開始した。
 友軍をも踏みつぶしての撤退は凄惨を極めた。比喩でもなく彼らの通った後は朱に染まっていた。

 最前列に飛び込んだヴァイアスは団員たちの制止の声も無視してひたすらに敵将の首を求めて剣を振るい続けていた。
 魔剣ガルディスの力の前に敵兵は鎧諸共、簡単に切り捨てられていく。
 そのヴァイアスの背にぴったりと張り付いて離れない少女の姿があった。ミュリカだ。
 彼女は相棒の願い通りに疲れ切っている彼の不足分を十分に補うべく、周囲に魔法を連射していた。
 普段、副官として前線に立つことのない彼女だが、その実力はかなり高い。近衛騎団に入団が許されていることもそうだが、なにより人魔の規格外であるエルトナージュと遜色ない技量を持ち合わせているのがその証拠だろう。
 幼い頃からエルトナージュと同じ訓練を受けてきたことは伊達ではない。
 敵の防御魔法をも上回る威力の魔法を連続して繰り出すミュリカとそれでも近づいてくる敵をヴァイアスが切り捨てる。
 その上、二人の攻撃の間隙を縫って攻撃が届いたとしてもヴァイアスの防御魔法がある限り傷つくようなことはない。
 この二人が動き出した以上、止めることが出来るのは主か、疲労のみだった。
 そして今、ヴァイアスとミュリカの両脇を固めるように団員たちが突き進む。
「ヴァイアス、あれ!」
 ミュリカの指し示す方向に一角獣の紋章が描かれた旗が目に入った。
「よしっ! ミュリカ!」
 頷くと同時に彼女は手にした杖を振り上げた。
 と同時に彼女の頭上に無数の魔導矢が現れる。しかもただ魔法力を矢の形としているだけではなく、それぞれ炎や冷気、雷と属性を与えられている。
「・・・・・・ってぇぇっ!!」
 ミュリカによって作り出された魔導矢が一斉に飛ぶ。
 狙いを定めることなく放たれたそれは弾雨そのものだ。容赦なく降り注ぐ矢の雨は容赦なく敵兵を射殺していく。
 弾雨に敵兵が怯んだ隙をついて団員たちが突撃を再開し、旗の下までの道をつける。
「ご苦労さん」
「ヴァイアスもね」
 表情にこそ出していないがかなり疲れているはずだ。
 ラメルでは単騎で敵を壊滅に追い込み、その後も団員全てにかけていた防御魔法を維持しているのだ。無理が出ているのは当然だ。
 それでもヴァイアスは戦うことをやめない。そして勝利するだろう。
 そう確信しているからこそミュリカはそれ以上、言葉をかけずに笑みを送った。
 ヴァイアスも似たような笑みを返すと再び走り始めた。
 先行していた団員たちが両脇で戦闘を繰り広げている間を二人は駆ける。
「切り抜けるのだ! ここが正念場だぞ」
 一角獣の旗の下で指揮を執る馬上の男が見えた。
 その様は堂々としており、間違いなく将器の持ち主に違いない。
 しかし、噂に聞くロジェスト家の秘蔵っ子ではないのは明らかだ。若年の将軍と聞いているのに今、目の前で指揮を執っているのは四十を少し過ぎた辺りの男だ。
 どう見ても違う。となれば・・・・・・。
「だまされたか!」
 ヴァイアスは歯ぎしりをするもすぐに思考を切り替える。
 この戦況である。敵将はそう遠い場所にはいないだろう。となれば、決断は一瞬。
「ここの連中は任せる! 俺たちは引き続き敵将を捜す。行くぞ、ミュリカ!」
「えぇ!」
 ミュリカの返事とほぼ同時に敵指揮官が兵とともに凄まじい勢いで押し返してきた。
「そうはいかん! 貴公らにはここで私たちの相手をしていてもらおう」
「はっ。そこまでロジェスト家の秘蔵っ子が大切かよ!」
「閣下は将来、国の大事を任されるようになられる方だ! このような詰まらぬ場所で散らせるわけにはいかん」
 と、指揮官と両翼に騎兵を引き連れて突撃してきた。
「だったら、なおさら簡単に逃がすわけにはいかないな!」
 ヴァイアスは魔剣ガルディスを手にして迎え撃つ。
「それはこちらにも言えること。近衛騎団団長ヴァイアス!」
「見知り置き感謝する! ミュリカ!」
「分かってる! ヴァイアスは疲れてるんだから」
 ミュリカが杖を構え、魔法を放とうとした瞬間、二人を庇うように団員たちが隊列を組んだ。団員たちは斧槍を構え、敵を迎え撃つ。
 数名が軍馬に蹴り飛ばされたが押しとどめることに成功。初撃で二騎、打ち倒した。
「ここは我々に任せて、団長と嬢はそこらにいる団員を掻き集めて、敵将の下へ向かってください!」
「分かった。任せる。・・・・・・行くぞ、ミュリカ」
 頷く彼女とともにヴァイアスは背を向けた。
「貴様、逃げるか!」
「俺たちはもう撤退戦をやってるんだ。そんな挑発に乗るかよ」

 左脇腹、右太股、右肩にフォーモリアスの魔槍バレジによって貫かれ、その他にも数限りない傷を追っていた。
 それがこの十数分でアスティークが受けた傷だ。
 身体の至る所を朱に染め、それでもなおこの巨躯の参謀長は一歩も譲る気配はない。
 むしろ傷を負うほどに戦意を増しているように見える。
「貴公、不死身か?」
 槍の穂先でアスティークと競り合いながらフォーモリアスは言った。
 個人的な武術の技量では圧倒的にアスティークに分があったが、フォーモリアスは兵をも自分の武具として戦っていた。つまり、兵たちに攻撃をさせ、その間隙にバレジを放ち、巨躯の参謀長に一撃を加え続けていたというわけだ。
 魔槍バレジは過去に落ちた稲妻を封じ込めて作られた魔槍だと言われている。その稲妻を何度となく受けて無事だった者は父祖よりの伝聞でも聞いたことがない。
「一度や二度貫かれたところで我が盾は砕かれぬ!」
 アスティークは穂先を弾き、小降りながらも斧部をフォーモリアスに叩き付けた。
 重い一撃にフォーモリアスは体勢をわずかに傾ける。
「前に出よ!」
 フォーモリアスの命令が飛ぶが兵たちは動くことが出来ない。
 ラディウス兵のほとんどが団員との戦いに必死で、フォーモリアスの支援に動けない状況だった。
「いつまでも同じ手が通じるとは想わぬことだな!」
 体勢を崩した敵に追い打ちを駆けるべくアスティークはその巨大な斧槍に似合わぬ小刻みな一撃を連続して叩き付けた。対するフォーモリアスは何度か防ぎきることが出来ず傷を大量に作っていく。
 突く、突く、叩ききる、返す刀で引き裂く、そしてまた、突く・・・・・・。
 バレジの穂先が余所を向く。その隙を逃さずアスティークは大降りに斧槍をふるった。
「くぁっ!」
 アスティークの体重をも乗せた一撃にバレジは主の手から離れた。
 体勢を崩しつつもフォーモリアスは腰の剣を抜いた。しかし、それを構える暇も与えず、
「これにて終わりにいたしましょうぞ!」
 振り上げた斧槍を振り下ろした。しかし、フォーモリアスも戦いなれていた。
 強引に振り上げた剣を斧槍にぶち当てて、その軌道を変えた。頭頂から両断しようとしてたそれはフォーモリアスの左肩に入り、左腕を切り落とした。
「閣下!」
 ラディウス兵が強引に割り込んできた。その隙にフォーモリアスは兵たちの中に逃げ込んだ。
「逃がさん!」
 逃げた獲物を狩ろうと踏み出すが、敵兵に阻まれて思うように進めない。
 なによりフォーモリアスから受けた傷が酷く、出血の多さに目眩までし始めていた。
 それでも進もうとするアスティークを団員が前に出ることで止めた。
「参謀長は傷の手当をなさってください。それに我々の務めはムシュウを守りきること。ひいてはこの城門を守ることではないですか。敵を打ち倒すこととは別と心得ます!」
「後数分もすれば、部隊が帰還します。敵の掃討は彼らに任せるべきです」
「・・・・・・そうだな。しばらくここは任せる」
 牽制しつつアスティークは城壁内に入っていった。
 傷が酷い。三度の雷撃に身体の内側にもかなりの損傷がある。そして異様に体が熱い。
 敵兵から姿の見えないところまで入るとアスティークはそのまま倒れた。
 さらにアスティークの身体は熱を持ち、獣化が解けていく。
「参謀長!」
「騒ぐな。しばらく休むだけだ。別働隊の帰還までここを死守せよ」
「了解しました」
 言いながらも団員はアスティークの鎧を脱がしにかかる。
「それから、私が倒れたことはアスナ様や団長には伏せておけ」
「しかし」
「留守番中に倒れたと知られては格好がつかんだろう」
「そういうことなら、了解しました」
「では、任せる」
 そう呟くようにして言葉を残すとアスティークは目を閉じた。
「お目覚めまでに決着をつけることをお約束します」

 数分後、ムシュウを発したはずの近衛騎団別働隊が戻ってきた。
 ムシュウ再入城とともに左右に分かれ、城門内に入る入り口の警備と制圧を開始した。
 その統率のとれた行動から彼らの行動が全て予定通りであったことを示していた。
 城壁制圧もままならぬ状態であったフォーモリアス率いる第十七軍別働隊は壊滅へと追い込まれていった。
 いくつかの歩兵部隊は城壁制圧を諦め、撤退しようとしたが城門で待機していた近衛騎団別働隊の本隊が待ちかまえており一方的な蹂躙をされる始末であった。
 逃げられぬことが分かった兵たちは無謀な突撃を行ったり、降伏したり、建物に立て籠もったりした。それを別働隊は一つ一つ処理していく。
 そして、アスティークに腕を奪われ、逃げ出したフォーモリアスもとある民家の中に立て籠もっていた。
「閣下、もはや我々に逃げ場はありません」
 簡単な応急処置を施しながらラディウス兵は言った。
 すぐ外を近衛騎団の部隊が通り過ぎていく。
「・・・・・・そうか」
 熱を帯びた痛みに脂汗を額に浮かばせながらフォーモリアスは答えた。
「逃げ場はないか。追い込んだ我々が今度は追い込まれるとはな」
 負けである。フォーモリアスとアスティークの個人的な勝負は痛み分けと言ったところだが、指揮官としてはアスティークに軍配が上がっている。
 そう彼は内心で認めた。
 権力を有する貴族であるフォーモリアスに降伏をすることなどできない。自分の命惜しさにこれまで営々と築き上げてきたフォーモリアス家を潰えさせることなど許されない。
 それに例え降伏したとしてもその後、どういう扱いを受けるかは予想できる。
 自分の知っている情報を吐き出させるだけ吐き出させると、捕虜解放と称して本国に強制送還される。そして、国家反逆罪もしくは機密情報漏洩罪により死刑の上、フォーモリアス家断絶となるだろう。
 ならばどういう死に方ならばフォーモリアス家の家名を傷つけずにすむだろうか。
 ここにいる四名の兵とともに敵陣に突撃を駆けるか。
 ・・・・・・そのようなことをしても、雑兵と同じ扱いで死ぬだけだ。
 自分の名は愚か者として本国に伝わることになるだろう。
 ならば、自害して果てるか。敵の手に掛かることなく果てる様は悲壮感を与えるだろう。しかし、それも一時のことでしかない。
 せいぜい、葬儀が行われるまで息子にお悔やみの言葉がかけられる程度だろう。
 それでは困る。この自分が命を散らせるのだ。その代償に見合ったことがなければならない。
 フォーモリアスは顔を上げた。そこには壁がある。
 彼は俯き勝利を手にしたような、しかし昏い笑みを浮かべた。
「筆をもて」
「閣下、いったい何を?」
「良いから持ってこい」
「・・・・・・承知いたしました」
 そう命じられた兵もフォーモリアスが何を考えているのか理解した。程なくして兵は家の中から便せんと墨汁、そして筆を持ってきた。
「ご苦労。お前たちは隣室で控えていろ」
 兵たちは最後となる最敬礼をフォーモリアスに送ると隣室に向かった。
「・・・・・・さて」
 部下たちの背中を見送ると彼は生涯最後の文を認めようと筆を取った。

 十数分後、ついに隣室から気配が消えた。
 車座に座っていた彼らは互いの顔を見合い、頷きあった。
 ・・・・・・終わったのだと。
 彼らは立ち上がるとゆっくりと扉を開いた。
 そこには血溜まりに身を沈めたフォーモリアスがいた。
「・・・・・・閣下」
 誰かの呟きに兵たちは扉の前で永の眠りに就いた将軍に最敬礼を送った。
 一歩を踏み出す。
 亡骸があると言うだけで室内はしんとした冷たさが降りてきたような気がする。
「おい!」
 先頭を歩いていた兵が何かに気づいた。その視線の先には壁がある。
「閣下の、遺言か」
 それは壮絶なものだった。壁に大きく書かれた遺言
 内容もそうだが、彼らが背筋を震わせた最大の原因は朱で書かれていることだった。
 フォーモリアスはその最期を締め括る言葉を自分の血で書いていたのだ。
「この閣下の遺言を本国に持ち帰るのが俺たちの役目だな」
「そうだな。だけど、どうやってここから脱出するんだ。とてもじゃないが抜けられるものじゃないぞ」
「難攻不落の城塞都市ムシュウは外からの攻撃を防ぐだけではなく、内に抱えた敵も逃がさないということか」
 兵たちはどう動くべきか討議していると、一人が何気なく卓の上に目を向けた。
 そこには便せんが一枚置かれていた。
「おい。これって閣下からの命令書じゃないのか」
 言葉に全員の視線が卓に向けられる。
 そこには確かに神経質そうな文字で書かれた命令書が認められていた。また命令書には今後の行動までが記されていたのだ。
 命令書の内容を要約すると、自分の遺言を本国に伝えること。そしてその方法としてフォーモリアスは近衛騎団に降伏し、自分の遺言を見せろとのことだった。
 時間がかかるかもしれないが捕虜となっても疎略には扱われることなく、安全に本国まで送還されるだろうと記されていた。
 戦いの末、自害して果てた敵将の遺言を託された者を粗略に扱うようでは一国の近衛足り得ないからだ。
 兵たちは一度頷き合うと隠れていた家を出ていった。

 我はラインボルト第十七軍司令官、トランディア・フォーモリアス伯爵である。
 幾多の戦場にて伝家の魔槍バレジをもって軍功を重ねてきた。それはただただラインボルトと魔王陛下の御為である。
 我は陛下とナインレーゼの威光の下、悲願たるムシュウ攻略に乗り出した。
 我が軍の勇壮なる姿にて入城を果たすも、武運拙く制圧するに能わず。
 我が御霊をナインレーゼに捧げ、故国に武運が与えられんことを願う。
 フォーモリアス家当主として最後の命を残す。
 我が子、ラディアよ。軍に復帰をし、我が仇を討つのだ。
 ラインボルトと魔王陛下に永久の祝福があらんことを祈る。

 ここにムシュウ防衛戦は実質的に終結したのだった。
 フォーモリアスの率いたムシュウ制圧部隊は壊滅し、ある者は投降し、ある者は降伏を良しとせず戦死することを選んだ。
 勝者である近衛騎団別働隊は捕虜の管理や負傷者の手当に追われることになる。

 混乱した戦況のなかで隊列を組んで移動する様はどうしても目立つ。
 必要な人数を掻き集めながら戦場を駆け回っていたヴァイアスがその集団を見つけたのは必然であったかもしれない。
「見つけた!」
 しかし、両者の間にラディウス兵がいてヴァイアスたちは思うように進むことが出来ない。団員たちが一丸となって敵兵の群を切り裂こうとするがなかなかうまくいかない。
 その騎団の隊列のほぼ中心でミュリカは準備を始める。
 一瞬だけ振り返り自分に頷きを送ってくるヴァイアスに同じように頷き返すと同時に彼女は右の腕輪に埋め込んでいた球、魔導珠を三つ取り外すとミュリカは素早く手にした杖の先端部に埋め込む。
 杖は変形を始める。杖は下部から二つに割れ、先端部を中心として固定されることで一つの形を取る。
 洋弓だ。
 魔法力で擬似的な弦が張られる。弓を引く。
 しかし番える矢はなく、その代わりに魔導珠が埋め込まれた握りの辺りで青白い光が放たれ始める。魔法力の光だ。
 限界まで弦を引く。
「どいて!」
 ミュリカの声に押されて団員たちが一斉に射線上から退く。
 魔法力の青が強く閃く。
 放たれたのは、やはり矢ではなく、埋め込まれていた魔導珠だ。
 魔導珠は追い付くべき敵将の部隊のすぐ後方で割れ、爆ぜた。そして、中から幾重にも折り重なった魔導式が展開される。展開された魔導式はお互いに干渉し合い、必要とされる文列を互いに補完し合う。そして完全に展開され、そこから生み出されるのは、
「第一級爆炎魔法、その劣化版よ!」
 ミュリカの声に従って、魔導式は言葉通りの結果を生み出す。
 魔導式の中心に小さな炎が生まれる。そして、それは膨張し、強大な炎の球体となる。次の瞬間には炎の球体は地面に落着、一気に炎が広がった。
 上級魔法によって生み出された炎はそれに対抗しうるだけの力を持たねば生き残ることは出来ない。ラディウス兵はその力無き者たちであった。
 となれば結果は明白である。炎に飲み込まれた彼らが炎の中で消し炭となるのは当然のことであった。
 同じく近衛騎団もその炎に飲み込まれたが彼らにはヴァイアスの防御魔法に加えて、自分たちの周囲に広範囲を守護する防御陣を敷いていたため無事だった。
 ヴァイアスが直接指揮する近衛騎団でなければこんな無茶は出来ない。
 防御魔法の庇護下にあるヴァイアスたちは炎が収まらぬ今を好機として再び駆けだした。
 周囲は赤に彩られ、時折、黒い何かが転がっているのが見える。
 その中をヴァイアスたちは突き進む。
「久しぶりに見たけど、相変わらずめちゃくちゃだな」
「エル様謹製の杖だからね」
 この杖はエルトナージュの魔導式展開術の開発の課程で出来た副産物の一つだ。
 魔導式の効果的な展開方法の研究の試験器として作られたのだ。開発の終了に伴って研究の協力をしていたミュリカはエルトナージュからこれを譲り受けたと言うわけだ。
 実際、魔導杖としても一級品で使い勝手も良い。
 そのため一時期、製品化の話も持ち上がったが制作にかかる費用が莫大でとても製品化出来ないと言う結果に終わった曰く付きの魔導杖でもあったりする。
 ともあれ、ミュリカの一撃で道は出来た。
 敵将に向かって真っ直ぐに駆けていく。
 相手は魔法至上主義を掲げるラディウスの将軍であり、その直率部隊だ。多少の損害はあっただろうが、これぐらいで全滅するはずがない。
 炎が急速に消えていく。魔法で作られた炎は魔法力が枯渇しては顕現し続けることは出来ないのだ。
 そして炎が消えた後に残ったのは幾つもの人の形をした炭と、防御態勢を固めた敵部隊の姿だった。
「追い付いた!!」
 壮絶な光景に息を詰めていた敵部隊はヴァイアスたちの突撃に虚を突かれる形となった。
 ミュリカを初めとして魔法による支援を受けながらヴァイアスたちは駆けていく。
 手にしたガルディスが主の意志に従い、魔剣としての力を放ち始める。
「迎え撃て!」
 幾分、萎縮していたラディウス兵は敵将の叱咤に背中を押されて、槍の穂先をヴァイアスたちに向けた。
 ミュリカたちの支援攻撃が着弾。敵兵の幾人かが吹き飛び、その間隙を縫ってヴァイアスは敵中へと躍り込んだ。
 振られるガルディスの魔剣としての力は、あらゆる力の流れを断ち切る力だ。
 四方から槍が突き出されてくるがヴァイアスは自身の闘気で強化された身体能力をもって避けていく。そして、ガルディスが振るわれる度にその者が生きている力を断ち切っていく。
「そこの敵将! ロジェスト家の者だな。その首、頂戴しようか!」
 敵将の纏う鎧は他の者とは一線を画すものだ。豪奢であることはもちろんだが、よく観察すれば鎧の各所に魔導珠が埋め込まれていることが分かる。
 どれだけの性能なのかはさすがにヴァイアスも判断が付かなかった。少なくとも近衛騎団のものよりも強固な守りを持っているはずだ。
 その証拠にあれだけの炎を受けても身体そのものは無傷なのだから。
 何より、その相手は、真に高貴なる者 、と言う幻想を纏うという。
 高貴ささえも感じる超然とした雰囲気。そして、それなりの姿をさせれば女生にすら見える容姿。この敵将がロジェスト家の秘蔵っ子だとヴァイアスは確信した。
 しかし、その豪華なる鎧もガルディスの前ではさほどのことはない。
 馬上の主は迎え撃つべく、手にした槍を構えた。
「断る! 私はこのような場で命を散らすつもりはない!」
 突き出される槍の穂先が頬を掠めるがヴァイアスは避けきった。そして、やられたら倍にしてやり返すとばかりにガルディスを振るった。
 切り裂きの力を持つガルディスは槍を両断しただけに止まらず、敵将の軍馬の前脚さえも切り落とした。
「くっ!?」
 敵将は軍馬が倒れる直前に後ろに飛び、同時に腰の剣を抜いた。
 ヴァイアスは敵将が剣を抜ききる前に動く。手にした剣は下段に構えたまま接近する。
 そして、左切上にガルディスを振るう。敵将の剣に当たる軌道だがガルディスならばそれすらも切り裂いて、討つことができる。
 しかし、ガッと言う甲高い音を持ってガルディスの一撃を敵将の剣は防いだ。
「魔剣か!?」
「そうだ。将軍任官の折り、父より下された魔剣だ。銘をシュタルヴィアと言う」
 告げると同時に敵将はガルディスを弾くような動きで剣を抜いた。
 ・・・・・・ガルディスを弾いたってことはかなりの業物だな。
 ヴァイアスはあの一撃でそう判じた。
 魔具同士の鬩ぎ合った場合、優劣を決めるのは担い手の技量以上に魔具としての格がそれを決める。
 ヴァイアスのガルディスは格付けを行うならば一級に位置する代物だ。そのガルディスの一撃を受け止めたと言うことは同等、もしくはそれに準じるだけの力を持っている証だ。
 そして、シュタルヴィアもまた敵将を自身の主と認めているようだった。
 周囲では団員と敵兵とで戦いが展開している。ヴァイアスと敵将の周囲のみが空白地として残されている。それは両者の一騎打ちに水を差さないことの意思表示に他ならない。
 沈黙は一瞬。互いに剣を構え直すと動き出した。
 上段から振り下ろされるシュタルヴィアを下段から振り上げるガルディス。両者の接触に火花が飛ぶ。一瞬の競り合いはガルディスの勝利となる。
「くっ」
 弾かれたシュタルヴィアの隙を縫ってガルディスは敵将の頭頂に振り下ろされる。
「もらっ・・・・・・!?」
 ヴァイアスは言いようのない不安に彼は体勢を変えて、シュタルヴィアに向けて振り下ろした。そして、その不安は的中する。
 シュタルヴィアから何かの力が放たれた。迎え撃つガルディスはそれを両断する。
「同じ!?」
 シュタルヴィアから放たれた力はガルディスと同じ、あらゆる力の流れを断ち切る力。しかし、当のガルディスはこの力が自分とは異質であることを告げてくる。
 あまりに異質な感覚にヴァイアスは距離を取る。敵将の魔剣の本質が分からない以上、むやみに近寄ることが出来ない。
 体勢を整えた敵将は退くヴァイアスに追い打ちを駆けようと踏み込んでくる。対するヴァイアスは左手を敵将に向け、魔導矢を放つ。
 計三発。倒せずとも少しの牽制にはなる。
 魔導矢は真っ直ぐに敵将に飛ぶ。敵将はシュタルヴィアを振り回し魔導矢全てを切り捨てた。
 ・・・・・・十分な間は取れた。
 ヴァイアスは後退していた身体を止め、前に踏み込む。
 敵将はまだヴァイアスが自分の間合いに入っていないにも関わらず剣を振り下ろした。
「焦ったか!」
 しかし、その判断は違う。振り下ろされるシュタルヴィアから力が放たれる。それはヴァイアスの放った魔導矢そのものであった。
「はっ!」
 身体の各部署が悲鳴を上げながらもヴァイアスは急制動をかけ、その上で体勢を変えて飛んでくる魔導矢を迎え撃つ。
 形勢は逆転。
 魔導矢に続いて敵将がヴァイアスに斬りかかってくる。
 ・・・・・・魔導矢を相手にしていたんじゃ間に合わないな。
 ガルディスはシュタルヴィアを迎え討つべく振られる。瞬間、三発の魔導矢がヴァイアスに着弾する。しかし、彼には自身が張った防御魔法がある。着弾の衝撃はあるものの負傷するようなことはない。
 ガルディスとシュタルヴィアが違いに火花をあげて、鬩ぎ合い始める。
「なるほどな。その魔剣、敵の攻撃を一時的に吸収して返す力を持ってるのか」
 つまり、魔法であれ、闘気の技であれ、ガルディスが持つ特殊な力であろうと一時的にその力を複写する力を持っているということだ。
「敵に答えを言う愚か者がどこの世界にいる」
「言う必要なんてないさ。俺の目の前でそれが起きてるんだからな」
「ならば、そう思い込んでおけ」
「あぁ、そうさせてもらうよ!」
 力による鬩ぎ合いはヴァイアスに有利である。敵将は自分の不利をすぐに認め、互いに剣を弾き距離を取る。一合、二合と剣がぶつかり合うたびに火花が飛ぶ。
「確かにその魔剣はやっかいだよな。相手が強いヤツになればなるほどその真価を発揮するんだからな」
「北朝の近衛は団員に言葉遣いも教えないのか」
「当然、やってる。けどな、俺たちの主は必要以上に堅苦しいのが嫌いなんだよ。威儀を正すべき時にそうしていれば良いんだよ」
「近衛にあるまじき言葉だな」
「もう俺たちは宮中で飾られるだけの剣じゃないってことだ!」
 宣言ともとれる言葉に周囲の団員たちは威勢をあげて呼応する。
 自分たちは装飾品ではないと。使い潰されようとも、それでもなお折れぬ剣であると。
 ヴァイアスは周囲の威勢に背を押されて前に出る。その主の意志に従いガルディスは決着を告げる甲高いとともにシュタルヴィアを弾く。
 ガルディスを妨げるものは何もない。
 これまでの憂さを晴らすようにガルディスは魔剣としての力を発して振り下ろされる。
 致命的な状況であるにも関わらず敵将の瞳は戦意を失わずにヴァイアスを睨んでいる。そして手にしたシュタルヴィアを今にも振り上げようとしている。
 死に直面してなお戦意を失わない。その有り様はまさしく、幻想を纏うに相応しい。
 見事だ!
 ヴァイアスは言葉ではなく、迷いなく振り下ろすガルディスを持って賞賛する。
 ただ一つ心残りがあるとすれば、敵将の名乗りを聞けなかったことだ。
 振り下ろすガルディスが作る音とは別の鋭い音がヴァイアスの耳に響いた。何かが来る。
 右半身にざわめくような感覚を覚えて、彼は反射的に飛来する何かを切り払った。
 と同時にヴァイアスは横っ飛びに避ける。シュタルヴィアの切っ先が彼の左腕を浅く切る。幾分、弱体化しているとは言え、ヴァイアスの防御魔法を切り裂いたシュタルヴィアは確かに第一級の魔剣に違いない。
 さらに距離をあけようとするヴァイアスと、追いつめようとする敵将の間に影が飛び込んできた。
 馬の嘶きが響く。そして両者の動きを止めるに十分な意志が放たれた。
「両者とも、そこまでだ!」
 馬上の男は威風を纏っていた。髪は乱れ、砂埃にまみれて酷い姿であってもそれは変わらない。例え兵卒の纏う粗末な武装であったとしても見るものが見れば彼をこう評したであろう。
 彼の者は将軍である、と。
 突然の乱入者にヴァイアスと敵将だけではなく、その周囲で戦っていた者も動きを止めた。
「我は第八上軍司令官、バルティア公爵家嫡子サイファである。友軍の撤収支援に来た。両者とも剣を収めよ!」
「邪魔をするな、サイファ。まだ決着はついていない!」
「確かにお前と彼の決着はついていないな。だが、指揮官としてはどうだ。大局の分からないお前ではないだろう」
「くっ!」
 そこまで言われて敵将は悔しげに下唇を噛んだ。
「貴公らにとってもこれ以上の戦いは無益だろう。これまでの行動から推察するに必要最低限の軍勢でムシュウを守備し、その間に内乱に決着をつけるつもりなのだろう。この状況だ。すでに目的の大半は達している以上、無闇に血を流すこともないだろう」
「ここで手打ちにしようと言うことか」
「そうだ。貴公らにとっても悪い話ではないと思うが」
 確かにそうだ。これ以上、戦っても無益でしかない。
 それにもし、サイファの申し出を断れば彼の麾下部隊が戦列に加わることになる。そうなれば戦況はさらに泥沼と化すのは目に見えている。
「良いだろう。但し、条件が二つある。一つは撤退は自力で行え。この状況では団員全てに俺の声を届かせることは出来ないし、第一魔軍は俺の管轄じゃないからな」
「了解した。で、もう一つは?」
 ヴァイアスは頷くと今まで剣を交えていた敵将に視線を向けた。
「貴公の名を聞かせていただきたい」
「だそうだが、どうする?」
 どこか揶揄するようなサイファの声に敵将は拗ねたような態度をとり、
「名を訪ねるのであれば、まず貴公から名乗るのが筋だろう」
 ヴァイアスは苦笑するとともに、改めて威儀を正した。
「我は近衛騎団団長ヴァイアス。後継者坂上アスナの臣たる者だ」
 敵将は頷くと返礼であると言う態度を持って名乗りを上げる。
「お名乗り見事。我は正統ラインボルト第七軍司令官ベルナ・ロジェスト伯爵。見知り置き願おう」
 ヴァイアスは頷きをもってそれに応える。そしてこれ以上の戦意がないことを示すようにガルディスを鞘に収めた。
「では、これにて失礼しよう。・・・・・・ほら」
 言ってサイファはベルナに手を差し伸べる。
「なんだ、その手は」
「将軍たる者が徒歩で戦場を離れるわけにはいかないだろう」
「しかし・・・・・・」
 渋るベルナの腕を取るとサイファは強引に引っ張り上げた。
「しっかり捕まっていろよ」
「・・・・・・分かっている!」
 そしてサイファは最後にヴァイアスを見ると、
「再び戦場で見える(まみえる)ことを願おう」
「俺としてはあんたたちとは剣ではなく、杯を交わしたいと思ってるよ」
 ヴァイアスの言葉は率直すぎる好意の現れであった。
「さて、どうかな。・・・・・・撤収する! 総員、迷わずついてこい!」
 多くの意味が隠れた笑みを見せるとサイファは軍馬に鞭を入れた。
 ラディウス兵は戸惑いを浮かべながらも上将であるサイファの命に従い、戦線を離脱し始めた。
 二人の背を見送ったヴァイアスはその場に思いっきり背中から倒れ込んだ。
「ヴァイアス!」
 すぐに駆け寄るミュリカに彼は力無い笑みを見せ、
「疲れた〜」
 と気のない言葉を吐いた。ミュリカの口から安堵の息が漏れる。
「もう、心配させないでよ」
「・・・・・・悪い」
 彼の側にミュリカはしゃがみ込む。
「けど、あんなこと言って良かったの? 敵に内通しているんじゃないかって勘繰られるわよ」
「そのときはそのときだって。それにアスナも今回のことを聞けば、あの二人を味方にしたいって思うんじゃないか?」
「それは、そうかもしれないけど」
 と、ため息をもらす。
「それで、これからの行動はどうするんですか、団長?」
「そうだな。第一魔軍司令部にさっきのやりとりを伝えろ。それから騎団はここに集結させろ。集結次第、ムシュウに向かうぞ」
 了解の声とともに団員たちは疲れ切ったヴァイアスのために最低限の護衛を残して団長命令を実行すべく駆けていった。
「これでラディウスとは一段落ついたな。次はフォルキスの旦那が相手か」
 そう、まだ内乱は終結していないのだ。
 早急にエルトナージュ率いるアスナ派本隊と合流し、この内乱に決着をつける必要がある。ここでの戦いは内乱に付随する枝葉に過ぎない。
 本番はこれからなのだ。
「その前に・・・・・・」
「ん?」
「一晩、ゆっくりと休まないとね」
「そうだな」



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