第一章

第十二話 ファイラスに響く歌 後編


 軍使を送り、決戦の日時を決定する慣習は古くからあるが今でもそうやって戦いに挑むような例はない。
  騎士と呼ばれる者たちはそのような決戦を夢見るだろうが、現在の幻想界ではそのような戦いは行わない。戦場で強敵と認めた相手に名を尋ねることはあっても、わざわざ軍使を送るようなことはしない。
  だが、ラインボルトだけではなく他国をも動揺させた内乱の決着は古式に則った戦いが相応しいだろう。
  アスナからの軍使が来たのは城門を開放してから四日目のことだった。
  そう、アスナはたった四日で七十万を越えるファイラス市民と投降した約十二万もの将兵の身の振り方をどうするか決定し、それを処理してのけたのだ。
  フォルキスの見立ててでは七日以上かかるとみていたから尚更だ。
  すでに傷の癒えた彼は威儀を正して軍使を迎え入れた。
  通常、軍使の口上は居丈高で言葉の端々に相手への挑発が籠もっているものなのだが、今フォルキスの前で続けられる口上にはそういったことは一切ない。むしろ敵である自分たちに敬意を払っているのだ。
「二日後の午前九時を持って決着を付けたいとの仰せです」
「承知した、と殿下にお伝え願いたい」
「分かりました」
  そこまで言うと軍使は小さく咳払いをした。
「ここからは軍使としてではなく、アスナ様の個人的な使者としてお言葉を伝えます。そのことを踏まえた上でお聞き下さい」
「分かった。聞かせて頂きたい」
「これが終わったら一緒に食事でもしませんか? オレの作った料理はそこそこみんなに評判だからフォルキス将軍にも是非に。・・・・・・以上です」
  これから死兵として戦いに赴こうとする男にこのような暢気な言葉を贈るなど常識外れも良いところである。だが、フォルキスは気分を害するようなことはなかった。
  むしろ目前の決戦ではなくアスナがその先を見ていると察して大声で笑った。
「ははははっ・・・・・・。機会があれば是非にと。それから出来ることならばニンジンは外していただければありがたいと伝えて頂きたい」
  フォルキスの大笑いに釣られたのか軍使も微笑を浮かべた。
「それじゃ、そのときを楽しみにしています。・・・・・・将軍が招待に応じて下さった場合にはそうお伝えせよと命じられました」
  そして、軍使は一歩後退し、完璧な最敬礼をしてみせた。
「主の願いを聞き届け下さり誠にありがとうございます。私もその時が来ることを楽しみにしております」
「期待に沿えるか分からないがな」
  というフォルキスの言葉には一切言及せずに軍使は辞去した。
「・・・・・・フォルキス様」
「分かっている」
  軍使を見送ったフォルキスはマノアに促されて彼の周囲に林立する残存部隊の幹部たちを見回した。
  どの顔も精悍であり、欠片も悲壮感はない。ただ、自分たちの責任を全うするのだという意志が彼らの瞳に宿っていた。
「聞いての通りだ。決戦は二日後の午前九時だ。現時刻より準備を開始しろ」
  了解の声とともに幹部たちは出陣の準備を行うべく駆けだしていった。
「マノア、オレの剣はどうなっている?」
  フォルキスの象徴とも言える大剣は五日前のリムルとエルトナージュとの戦いにより幾つもの罅と欠けとを受けて剣としての機能を失っていた。
  現状のままでは本気で力を振るうフォルキスに付いていくことは出来ない。修復するように命じてはいるが短期間で済ませられるほど簡単なものでもない。
  好意で残ってくれた鍛冶職人が修復を行ってくれているが伝え聞いた話では修復には最低でも一週間は必要とのことだった。
「順調に作業は進められていますが間に合うかは微妙です。急がせますか?」
「悪いがそうしてくれ。明後日の一戦で折れないようにしてくれればそれで良いと伝えてくれ」
「承知いたしました」
  敬礼をし、その旨鍛冶師の下に伝えに行こうとしたマノアにフォルキスは声をかけた。
「他にも何かご用がおありですか?」
「・・・・・・いや。暫くしたら視察に行って来る。書類は執務室に運んで置いてくれ」
「分かりました。それでは失礼します」
  改めて頭を下げたマノアの背を見送りながらフォルキスは小さく息を吐いた。
「あぁ言った以上、な」
  あの日、泣きながら好きだと告げてくれた彼女を妹から一人の女性として見ると言ったものの、すぐに気持ちを切り替えることは出来ない。
  あまりにも兄妹として過ごした時間が長すぎるから。
  しかし、女性として見ると約束した以上フォルキスは言葉を噤むしかない。
  すぐに後継者に投降しろ、と。
  二日後には死を前提とした戦いを始めるというのに考えているのはマノアの心配とは少し可笑しかった。
  お互いの立ち位置が変わってしまっても彼女を大切に想う気持ちに変わりない。常に傍らで自分を見上げていた少女が今も変わらず自分の側にいてくれている。
  死を前にして狼狽えることがないのは責任を果たす覚悟以上に彼女の存在が大きいのかも知れない。
  二人の関係が変わったあの日以来、自分はマノアをどう見ているのか考えていた。しかし、未だに答えは見つかっていない。それでもマノアが変わったことは察していた。
  相変わらず憂いの表情を見せることもあるが、晴れやかな笑みを時折浮かべるようになった。
  ・・・・・・考えてみれば、アイツのあんな笑顔を見たのはいつ以来だ?
  思い浮かぶのはゲームニス邸で駆け回っていた幼い二人の姿だった。あの時、マノアは本当に良く笑っていた。
  気付けば尖塔の上に来ていた。
  見上げる空は澄み切った朱に彩られ、戦場の空気などどこにもない。
  空が近い。想えばゲームニス邸厄介になっていた頃もこうして屋根の上に登って空を見ていたものだ。
「そういえば俺の真似をして降りられなくなって泣いたこともあったな」
  そのあと、泣きじゃくるマノアを背負い降りたのだ。考えてみればそれ以来、屋根の上に登ることはなくなった。
  大きく息を吸い込み、吐く。そして思考を改める。
  城壁の向こうに広がる光景に目を向ける。
  そこには布陣を終えた後継者の軍があった。
  第一陣として第三魔軍があり、それを支援するように宰相軍が三隊に別れて左右と後方にある。そして、本陣にいる後継者を守護する近衛騎団が構えている。
  一般軍はそれぞれを支援、もしくは予備兵力扱いとなっている。
  活躍の場を与えられなかった将軍たちからの文句が相当あったろうに、それをねじ伏せこのようは布陣となっている。
  見事だと素直に思った。
  こちらの正面突破の意図を受けての布陣だからだ。これならば不要な戦いをすることなく決着を付けることが出来る。
「ありがたいことだな」
  不本意な戦いではあったが最後の最後で良い相手と巡り会うことができた。
  この内乱の最後を締め括るのに相応しい戦いを行うことが出来るはずだ。
  マノアのこととは別としてフォルキスはこの状況に満足していた。
  いや、出来ることなら後継者の下でラインボルトの行く末を見てみたいとも思ったが、決して許されることではない。
  人魔の規格外である自分を恐れず、正面から受けて立つことを後継者が選んだことに満足すべきだと思った。
  風が少し肌寒くなってきた。
  フォルキスはもう一度、後継者がいるだろう近衛騎団の陣地を目に焼き付けると尖塔を降りていった。

 アスナがいる本陣は相変わらず慌ただしく動き回っていた。
  通常、配下の軍から連絡員として何人か参謀格の士官が派遣されてくるものだがアスナはそれを排除して近衛騎団で占めさせた。
  今、新しい人が加わっても誰がどんな役目をしているのか分からなくなるからというのが表向きの理由だが、実際はアスナが発案した作戦を実行するのを邪魔されたくなかったというのが大きかった。その証拠に策を実行するフォルキスと正面からぶつかることになるからという理由で第三魔軍、宰相軍からは士官の派遣を許している。
  その上座で許認可の署名を書き続けるアスナの下にファイラスから帰還した軍使が報告に戻ってきた。彼のすぐ側にはエルトナージュが控えている。
  革命軍側は進んで残留しただけあって将兵ともに士気を堅持しており、また悲壮感は全くないとのことだった。
「それでフォルキス将軍はなんて言ってた?」
「機会があれば是非にと。また、出来ることならばニンジンは外していただければありがたいとの仰せでした」
  その返答にアスナは口端を釣り上げた。
「それじゃ頑張って作らないとな。ごくろうさま」
  傍らにいるエルトナージュに振り仰いだ。
「準備の方はどう? 将軍たちにバレてない?」
「今のところ露見してはいないようです。順調に進められていると報告を受けています」
「しかし、本気でこのようなことで決着が付くと思っているのですか」
「この期に及んで賛成した人がなに言ってるかなぁ。まっ、何とかなるんじゃないかな。フォルキス将軍はオレの招待に応じてくれたわけだし。・・・・・・けど」
  そこまで言ってアスナは執務机に立てかけている剣をポンポンと叩いた。
「これでどうにか出来なかったら、約束通りコイツで首を刎ねて良いよ」
「・・・・・・・・・・・・」
  僅かに眉を動かしたエルトナージュにアスナはクククッと笑った。
「・・・・・・なんですか?」
「いや、何となく心配してくれてるのかなぁと思っただけ」
「誰が! わたしはただ・・・・・・!?」
  突然、張り上げたエルトナージュの声に本陣で作業をしていた団員たちの視線が二人に集まった。気まずそうに彼女は顔を逸らした。心なし頬が赤いように見える。
  アスナは今度こそ笑みを濃くして団員たちに「なんでもないよ」といって作業再開を指示した。
  そっぽを向いたままのエルトナージュは小さく「わたしはただ、その、これ以上戦死者を出したくないと思っただけです」と、呟くように言った。
  その物言いがこれまでミュリカに植え付けられていた彼女の性格と一致してさらに笑みが強くなる。しかし、アスナの口から出たのはそのことへの言及ではない。
「大丈夫大丈夫。何とかなるよ、きっと」
  不思議とそういう確信があった。
  その根拠は何かと尋ねられてもアスナには答えることは出来ない。ただ何となくそう思っただけだ。
  何かよく分からないモノに背中を押されているような気がするのだ。それが決して悪いモノではないと確信できる。
  その見えぬ力に後押しされてアスナが望む最高の決着へと状況は進んでいた。
  誰もそのことに気付かない。だが、皆の動きは間違いなくそこへと導くための活力に満ちている。それはまるで何かの祭典を準備しているかのようだった。
  そう、決戦ではなく決着を求めるために状況は動き続けていた。
  LDは言った。今のアスナは”英雄”であると。
  何の力もなく、部隊を思いのままに動かせる方法も知らないただの人族の少年だが、しかし今のアスナは英雄なのかもしれない。
  常人では成し遂げられないことを行った人物のことだ、とLDは定義した。これとは別の条件を加えることが出来るかも知れない。
  誰もが思うバカげたことに皆を巻き込む雰囲気を持った人物と。
  しかし、当のアスナはそんなことは考えていない。
  ただ大丈夫だ、何とかなるという確信があるから突っ走っているに過ぎない。
  そして、彼に反発しているはずのエルトナージュも気付かぬうちにアスナの雰囲気に引っ張られていた。
  何とかなる、きっと大丈夫。
  決着へと。決戦ではなく、決着を手にするために彼らは突き進んでいた。

 風が頬を掠める。
  眼前にいる兵たちは幾多の戦いの末に得た負傷が癒えてはおらず、彼らが手にしている槍にも小さな刃こぼれが見受けられた。
  しかし、兵たちの立ち姿はこれ以上にない。まさしく威丈夫そのものである。
  林立する槍で線を引いているかのように美しく隊列が組まれている。
  彼らが、見るも無惨な敗残兵の姿を晒していたとは誰も思わないだろう。
  損傷と汚れが目立つ鎧を纏っていても、彼らに侮蔑する目も言葉もかけられることは出来ない。
  近衛騎団の立ち姿が壮麗であると評するならば、彼らは勇壮の一語に尽きる。
  ファイラスの城門前で布陣する彼らの姿を見つめる男の姿があった。
  真っ直ぐに迷いのない瞳を遠い敵陣にいる相手へと向ける巨躯である。
  もはや迷いはない。
  澄み渡る蒼い空の下、勇壮なる兵を率いるその男の立ち姿は一枚の絵画のようでもあった。だが、もしこの場に最高の絵師がいたとしても、この荘厳なる一瞬を画布に閉じこめることは不可能だろう。なぜなら刻一刻と全てが変化し、美しさと威厳が増していくのだから。
  巨躯はもちろん周囲の兵たちも変わっていく。しかし、変化の行き着く先はただ一点。
  彼らが求め行く先へと、ただ真っ直ぐに、その一点へと。
  定められた時刻まであと十分・・・・・・。

 高まる一方の鼓動とは裏腹にアスナの表情は普段とあまり変わりない。
  しかし、良く観察してみれば彼の頬が強張っているのが見て取れる。アスナは必死になってやせ我慢をしているのだ。いつものように。
  本陣の上座に腰掛け、決着の時を待っている。
  そっとエルトナージュが寄ってきた。そして幾分気遣った声で、
「緊張しているのですか?」
「・・・・・・してる」
  虚勢を張ろうか迷ったがアスナは素直に今の気持ちを口にすることにした。むしろこの決着の時に緊張しない方が可笑しいんじゃないかと思い直したのだ。
「これまで何回もこうやって戦いが始まる前を経験してるけど、今日のはちょっと違う」
  そういうとアスナは立ち上がり、そのまま本陣のある天幕から外に出た。
  空を見上げる。
  澄み切った蒼の空が広がり、薄い雲が空に彩り与えている。
  これから決着を付けるのだとはとても思えない。空だけを見れば長閑そのもの。
  しかし、アスナの眼前にあるのは完全武装した彼の武具たちであり、その遙か向こうまで兵たちが隊列を組んでいる。本当に現実を失いそうになる光景である。
  ほんの一ヶ月ほど前まで、幻想界のことなどなにも知らない何処にでもいる高校二年の男子だったのだ。
  目覚めてみれば魔王の後継者にされ、勢いのまま幻想界統一と内乱鎮圧を宣言し、今に至る。自分が戦争を主導し、暗殺されかけるなどの異常事態も経験した。
  その中で立場を気にしないでバカを言い合える友人を得、掛け替えのない女性にも巡り会った。こんな自分を慕ってくれる近衛騎団の皆も大好きだ。
  そして、好かれていないと分かっているのに、それでも手を貸してやりたいと心から思ってしまった女の子にも出会った。
  本当にこの一ヶ月はこれまでの人生で最も濃密だった。
  現生界での日々を今でも夢に見ることがある。妹や弟への心配ももちろんある。
  しかし、ここで得たものを投げ捨てて家に帰ることはもう出来ないだろう。
  気付けば幻想界に馴染んでいる自分がいたのだ。
  相変わらず空の朱だけは馴れないが、幻想界にも蒼き空があることを知った。
  広がる空は一面の蒼。現生界でもそう見ることの出来ない鮮やかな蒼が広がっていた。
「そういえば今日は蒼天日でしたね」
  今朝、呆然と空を見上げるアスナにエルトナージュはそう言葉をかけた。
  幻想界に来た頃、空の朱に驚いたアスナにエルトナージュは、この世界の太陽では現生界のような青空を常に作り続けることはできない。伝説では我々の先祖が太陽から力を奪ったからだとも、超越者が力に奢った先祖を罰するために太陽の力を封じたとも言われていると言った。
  しかし、今は蒼天が空を彩っている。
  二ヶ月に一度、月は強い輝きとともに力を放つ。太陽はその力を受け取り青空を作り上げているのだと、学者たちは結論づけているが、本当のところは分からないそうだ。
  もう、見ることは出来ないと思っていた青空がここにもある。
  アスナにはそれがとても嬉しかった。幻想界の人や物にも馴れたが空だけは馴れなかった。恐らくこれはずっと続く違和感なのかも知れない。
「定時まであと十分ほどです」
  少し遅れて外に出たエルトナージュの声よりも自分の鼓動の方が大きく聞こえる。
  少しでも落ち着こうと大きく深呼吸をする。そんなことをしたところで緊張も不安も消えることはない。
  だけど、広大なる蒼い空を見ているときっと大丈夫だと思える。
  アスナは現生界から、青き空の大地から召還されたのだから。

「定時まであと五分です」
  いつもと変わらぬ冷静なマノアの声にフォルキスは大きく頷いた。
  兵たちの顔には恐れも後悔もない。ただ決然とした意志があった。
  前日、フォルキスは全ての将兵に手紙を書くように命じた。家族でも親しい友人でも誰でも良い。言葉を残したい相手にそれを送るようにと。
  幸い都市長が責任を持って送り届けると約束してくれたので間違いなく彼らの言葉はなにがあろうと受取手に届けられる。
  フォルキスはゲームニスに向けて手紙を書いた。
  マノアを巻き込んでしまった謝罪とこれまで受けてきた多大な恩への感謝の言葉だ。
  両親への手紙はない。書いたところで受取手がいない。フォルキスの両親は流行病を患い、その最期を彼が看取ったのだから。
  叔父夫婦にも書こうかと思ったが、良い思い出などない場所に残す言葉もない。
  他にも友人、知人に宛てても手紙を認めた。もちろん、弟妹のように思っているエルトナージュ、ヴァイアス、ミュリカ、リムルにも残している。
  容姿からあまりそういう印象がないが、フォルキスは筆まめな男だった。
  もしかして自分が手紙を残したいから、その口実に麾下の将兵にそのように命じたのかもしれない。
  言葉を残すべき相手には全て手紙としてファイラスの都市長に託した。
  あとはただ一人に言葉を返せれば悔いを残さずに済む。
  傍らにいるマノアは黒死槍の穂先に取り付けられた覆いを取り外した。そして、再び彼女は時計に目を落とした。
「フォルキス様、定時まであと三分です」
  そう報告されたがフォルキスは頷きを返さない。そのままマノアを見つめ続ける。
「あの、フォルキス様?」
「この二日、色々と考えた」
「・・・・・・えっ」
「もう妹ではないと言ったが、それでも側にいてくれるのは有り難いと思ってる。・・・・・・お前が贈ってくれた言葉に対する返しにはならないが」
  頷く。変わることのなかった思いを認めるように頷く。
「マノアのことを大切に思っている。立ち位置が変わってもそれは変わらない」
  彼女は開いた左手で口を覆った。見開いた彼女の瞳はすぐに涙で潤む。
「・・・・・・こんな返し方しか出来ない男ですまん。だが、これが俺の正直な気持ちだ」
「そんなこと、ありません」
  溢れ出た涙は頬を伝い彼女の細い指を濡らす。
「決着の時が近づいている。だから、もう泣くな」
「は、い、・・・・・・はい」
  返事をすると彼女は手指で涙を拭った。幾分、目が赤いが悪いことではなかった。
  マノアに贈りたいと思った言葉を彼女が受け取ってくれた証なのだから。
「定時まであと一分です」
  フォルキスは表情を改めた。彼個人のものから、革命軍総司令官としてのものへと。
  軍馬の腹に取り付けられていた大剣を引き抜く。一度、頭上で振り回したのち肩に担いだ。同様に周囲の兵たちも槍を構える。
  高まる意志が急速に戦機が熟していく。
  将兵ともに頬が赤くなり、戦いを前にした熱とそれを統御する冷静さとが鬩ぎ合い戦機というなの果実を熟させていく。
  そして、爛熟の時を迎えた。
「定時です!」
  マノアの叫びにも似た声を鍵として、決着への扉が開かれる。
  頷き、自分自身に語りかけるように「始めるぞ」とフォルキスは呟いた。
  そして、天高く剣を掲げた。陽の光を受けて大剣が輝く。
  フォルキスの大剣は修復が完了したばかりで剣としての美しさは皆無だった。その有り様は鉄塊そのものだ。しかし、この場においてのみ鉄塊は勇壮なる剣であった。
「突撃開始!」
  フォルキスの命を携えた伝令が友軍の中を駆けめぐる。
  突撃開始、突撃開始! と声高に命令を伝えていく。兵たちの興奮は最高潮に達し各々の得物を握り直す。突撃命令が下されて五分後、ついに革命軍は動き出す。

 第一陣である第三魔軍陣地も定時になったと同時に動き出した。
  現場指揮をリムルより委ねられたガリウスは矢継ぎ早に命令を下した。
「こちらは一万五千。そしてあちらは五万か。突破されるのも時間の問題、か」
「副将」
  ガリウスの副官が窘めるように声をかけた。
「もとより我々の任務は堤防のようなものだ。いや、濾過器と言った方が良いかもな」
「濾過器ですか。言い得て妙ですね。甚だ不本意ではありますが」
「そうだな。基本的に魔軍は派遣軍の中核を為すのが本来の役目。第一陣として敵と組み合うのは本意ではないな」
「ですが、他の者に先陣の栄誉を譲るぐらいならば、些末なことですが」
「つまり、そういうことだ。革命軍の一撃を受け止められるのは我々しかいないと殿下は考えておられると言うわけだ」
「まさしくその通りかと」
「では、その期待に応えるとするか」
  そういって立ち上がる。まるでそれを見計らっていたかのように参謀はガリウスの前に立った。
「全部隊、副将のご命令を待っております」
「よしっ。受けて立つぞ! 総員に第三魔軍の兵として恥じぬ戦いを期待する!」
  参謀たちは全員起立し、勝利を誓うかのように敬礼をしてみせた。

 幾つもの騎馬部隊が鏃を組み、真っ直ぐに駆けていく。それは地上の彗星と呼ぶに相応しい美しさと勢いがある。ただ真っ直ぐに、愚直なまでに真っ直ぐに。
  その騎馬部隊の一隊を率いるブレンはその蒼に満たされた視界の中、この戦いを思った。
  初めはこの国の混乱に嫌気がさし、武力を用いてでも収めようと考えたのが参戦の切欠だった。そして、敬愛するフォルキスが革命軍の総司令官であることも後押しした。
  後継者の出現とその後の戦闘で何度もファイラスから脱走しようかと考えたこともある。しかし、結局彼は今もフォルキスの下で戦っている。
  第二魔軍に属する者としての惰性はもちろんある。しかし、それ以上に後継者に自分たちラインボルトの民を導く力があるのかを試したかったのだ。
  だから戦っている。そして、今の彼ら騎兵部隊の役割は単純明快である。
  今組んでいる隊列の名の通り、第三魔軍に鏃となって食い込み、続く歩兵部隊の浸透を促す。そして、それによって広げられた傷口をフォルキスが突き進むのだ。
  ただただ、真っ直ぐに。後継者に一太刀浴びせるために。脇目も振らずひたすらに、真っ直ぐに。
  後継者を試すと宣言したフォルキスに全てを託したからこそ自分たちは戦える。
  防御魔法の向こうに見える敵陣が迫ってくる。あと十数秒で敵魔法部隊の射程圏内にはいるはずだ。
「敵の射程圏に入るぞ! 防御魔法の強化を始めろ!」
  怒声に近い大声を張り上げても土煙を上げて疾駆する軍馬が地を蹴る音にかき消されて兵たちには聞き取りにくいことだろう。しかし、しかと聞きとったのか戦いの常套手段だからなのかは分からないが兵たちは指示したとおりに防御魔法の強化に全力を傾ける。
  蒼の薄布に包まれていたかのように見えていた景色は、今度こそ蒼白によって塗り込められてしまった。流れるように魔法力が後方に流れる防御魔法だが、これでもまだ完全に敵の迎撃を突き抜けるためには力不足だ。
  しかし、これが今の自分たちの全力なのだ。後は武運に身を任せ、戦意を持って前に突き進むのみだ。
  ・・・・・・来るな。
  思ったと同時に周囲で爆発が連続して起きた。敵射程圏内に入った証だ。
  爆炎系魔法の影響で舞い上がった土塊が彼らを覆う防御魔法にぶつかるのが分かる。
  ぶつかってくるのは土塊だけではない。時折、蒼の壁に赤いモノが混じるのが見受けられる。他の部隊の騎兵が爆発に晒されたのか鮮血を撒き散らしながら身体の部位をブレンの隊に叩き付けているのだ。
  その赤に対して思うことはある。しかし、彼らの死を悼むのは全てが終わった後で十分だ。死者たちもそれを望んでいる。
  ・・・・・・かなり近づいたな。
  ブレンがそう思う根拠は彼らの防御魔法を打つ魔法に変化があったことだ。威力のある爆炎系魔法から、魔導矢系魔法が含まれ始めたからだ。
  魔導矢は一発一発は爆炎系ほどの威力はないが、その代わりに連射が可能だ。
  それだけに接近すればするほど魔導矢を集中して受けることになる。事実、ブレンの隊は蒼の壁は赤や黄の点に浸食され始めている。
  ・・・・・・これ以上は持たないな。さすがは第三魔軍か。
  安定した高い戦力を持つ第二魔軍とは異なり、第三魔軍は進撃速度と攻撃力に秀でている。今自分たちが行ってる戦法を得意としているのは彼らの方。
  自分たちの十八番なのだ。どう対処すれば良いのか第三魔軍はよく分かっている。
  騎兵の突撃力を弱体化させるために魔法による集中射撃を行い、勢いと数を減らす。
  その上で重装歩兵を前面に押し立てさらに討ち減らす。そして、後方に陣取る歩兵部隊を持って残る分力を殲滅するつもりなのだろう。
  だから、これは勝負なのだ。自分たちが相手をしているのは第三魔軍ではなく後継者なのだ。そう、ブレンたち第二魔軍騎兵部隊に限れば第三魔軍に穴を開ければ自分たちの勝利なのだ。戦死しようが、虜囚の身となろうが勝利を胸に抱くことが出来る。
  だから、真っ直ぐに。ただひたすらに突き抜けることだけを考える。
  と、ブレンは額の生え際に嫌な感触を覚えた。彼は自分の直感に身を任せることにした。
「・・・・・・総員、速度を上げろ。集中こうげ・・・・・・」
  命令は爆音によって覆い隠された。
  真正面に炎の赤が現れたと思った瞬間、爆発によって砕かれた前衛三騎の破片がブレンに襲いかかった。条件反射なのか、生存本能がそうさせたのかは分からない。
  しかし、爆発の直前ブレンは鏃を維持することを放棄し、自分への防御を優先させた。
  爆発の炎と熱だけは防ぐことは出来たが部下たちの血と部位だけは防ぐことは出来ずに彼の全身は朱に染まった。出来たことは右腕で視界を守っただけだった。
  続けざまに襲い来る魔導矢に肩や脇腹を受けながらブレンは麾下部隊の状況を見た。最前列にいた二人は先の爆発を受けて身体を砕かれている。第二列の一人は右肩から胸を抉られるようにして上半身を吹き飛ばされている。騎馬も重度の火傷を負ったようで狂ったように、焼け焦げた遺体を乗せながら疾駆している。そしてもう一人も無傷ではないが戦闘続行可能のようだった。ブレンは手信号で鏃の再構成を命じた。
  先ほどから爆炎系魔法による攻撃はない。そして眼前には隊列を組み、自分たちの突撃を待ち構える重奏歩兵の姿が見える。
  ブレン自らが率先して最前列に身を晒して鏃を組む準備を始める。兵たちもブレンの手信号と意志に応えて再び鏃を組む。
  誰一人として無傷な者はいない。しかし、戦意は失われてはいない。
  ならば戦える。二重に設置された馬防柵も水平に槍を構える重奏歩兵の隊列も関係なくただ真っ直ぐにブレンの隊は突っ込んだ。

 第三魔軍司令部は蜂の巣をつついたかのような慌ただしさの中にあった。
  すでに第二魔軍の騎兵部隊に隊列を乱され始めているのだ。軍隊とは兵一人一人の強さも大切だが、それ以上に重要なのは一糸乱れぬ統率である。
  それを崩された今、その応急処置に司令部は忙しかった。次々と報告される戦況に応じてガリウスは予備兵力を投入していく。
「革命軍の浸透を止めることが出来ません。敵は我が方の戦列中央を通過したとのことです」
「魔法部隊の移動はどうなっている!」
  ガリウスの問いに参謀の一人が起立する。
「予定より若干遅れています。いくつかの部隊が敵との乱戦に巻き込まれているようです」
「対処法はあるか?」
「司令部付きの部隊をあてることを進言します」
  魔軍は武術、魔法ともに優れた者たちで構成されている。本職の魔法部隊には劣るが応急処置としては十分に使えるはずだ。
「よし、第二大隊を使うことを許可する。そのように調整しろ」
「了解しました」
  略式敬礼をすると参謀はすぐに職務に戻った。
  このやり取りの間にも状況は目まぐるしく変化している。第三魔軍にとって不利な方向へと。
  ガリウスは刻々と変化する戦況図を睨みながら有効打はないか思考する。
  兵一人一人の強さでも質でも決して引けを取らない。しかし、場の雰囲気と集団としての得手不得手がある。
  元々、第三魔軍が攻勢の軍だということもあるが、それ以上に革命軍の将兵は死兵として戦っていることが大きい。
  死を受け入れて戦う者ほど厄介な敵はいない。何しろ生き残ることを考えに入れていないのだから、命と戦える身体さえあれば延々と戦い続ける。
  第三魔軍が相手にしているのはそういう存在なのだ。
「さすがはフォルキス将軍というところですか」
  どことなく殺気だった空気を無視するような穏やかな声だった。思わず怒鳴ろうとしたガリウスだったが自分の副官は常にこうだということを思いだし飲み込んだ。
  それに熱した頭を冷やすには丁度良い。ガリウスは副官、ローエンが差し出したお茶を受け取った。
「・・・・・・そうだな。第三魔軍の得意技を自分たちで受けることになるとはな」
「これまでの運用のされ方のせいか。攻撃に特化していますからね。将兵にとっては良い経験になるでしょう」
「内乱が終わった後にその辺りを見直してみるか。攻撃は最強でも、守りが最弱では話しにならんからな」
「そうですね。・・・・・・それよりも、先ほどから戦況を見てみますとこちらの意図とフォルキス将軍の意図とが見事に重なっているように思えます」
「お前もそう思うか」
  そういってガリウスは戦況図を指さした。
  現在、革命軍は第三魔軍の戦列中央を錐のように食い込んでいる。それでいてまったく勢いが弱まってはいない。
「主に我が軍と戦闘を続けているのは錐の戦端にいる第二魔軍騎兵部隊と一般軍の部隊だ。本命である第二魔軍本隊は一般軍の皮を破って外に出ようとはしていない。それだけじゃない。その第二魔軍本隊を覆う皮はもう一枚在る」
「その二枚目の皮が宰相軍と戦う皮となるのでしょうね」
  ガリウスは頷く。
「そして、第二魔軍は近衛騎団と衝突する」
「はい。その第二魔軍すらもフォルキス将軍を殿下のもとへ送り込むための守りに過ぎません」
  ため息を漏らし、受け取ったお茶を一気に飲み干す。
「こうなるとますます第三魔軍(我々)は前座扱いだな」
「どれだけ我らが精強であり誇り高くとも、殿下にとっては駒の一つでしかないということでしょう」
「第一手として使われたことを喜ぶべきか。・・・・・・第一軍と第十二軍はどうなってる!」
「第十二軍は予定通り後十分ほどで敵後方と接敵します。第一軍は、出遅れたようです」
  第一軍とはケルフィン指揮下の部隊だ。ガリウスは舌打ちした。
  指揮官としては愚鈍だとは思っていたが、この大切な時にまで愚鈍とは。
「あの男はなにをしている!」
「臆したか、何事かあったのか。どちらにせよ援軍到着は遅れそうですね」
「援護を受けるはずだった我々には第十二軍を援護する余裕はないか」
  第三魔軍の後方に移動する第一軍を一瞥するとガリウスは声を張り上げた。
「第十二軍には独力で敵後方部隊に対処するよう伝えておけ」
  了解の声とともに待機していた伝令が駆けていく。
「それと第一軍にその旨、知らせて置いた方が宜しいかと」
  第一軍と第十二軍とで無用の混乱を起こさないようにするためと、戦後ケルフィンに文句を言わせる余地を残さないためにだ。
「そうだな。そのようにしてくれ」
「了解いたしました」
  ガリウスは頷きで応えるだけで再び戦況図に視線を戻した。
  第三魔軍としての状況としては芳しくないが、全ては両軍首脳部の思惑通りに進んでいる。

 もし、上空からのこの戦場を見る存在があったとすれば一見する限りではフォルキス有利で進められているように見えただろう。
  中核であり本命である第二魔軍は戦力を温存したまま第二陣である宰相軍と接敵しようとしており、その勢い衰えてはいない。
  革命軍将兵は敵中突破で疲れていることもあるが、それでも勢いは止まらない。
  現時点であっても敗者であり、後継者の首を獲ったところで勝者にはなれない。むしろ反逆者として名を残すことになるだろう。だが、それ故に後悔しないよう全力を振るう。
  その一撃に切り裂かれた第三魔軍は深手ではないもののすぐに追撃できるような状況でもない。状況の再確認と行動可能な部隊の選定を行うだけではなく、内に取り込んだ病巣(てき)の除去にも追われていた。
  偶然なのか、故意なのかは分からないが無視できないだけの敵兵が第三魔軍の内部で戦闘を続行しているのだ。その上、遅れて到着した第一軍の一部が戦功を得るために友軍と衝突すら起こしていた。
  明らかにフォルキス有利に状況は展開しているが、よくよく観察してみると実際はお互いに微妙な状況にあることが分かる。革命軍側は確かに第三魔軍を両断し、今も動きを止めていないがそのための代償も少なくはない。第二魔軍が第三魔軍を突破するまでに革命軍の半数近くの将兵が戦死、ないしは第三魔軍内部や第一、第十二軍との戦闘で脱落してしまっている。
  前方で爆発が起きた第二陣を相手にする第二魔軍副将ファレス率いる五千強が接敵したのだ。ファレスにはフォルキス麾下の本隊を除く部隊全ての指揮権を委任している。
  彼女の指揮の的確さと必要とあれば前線に出ることも厭わぬその有り様に将兵たちから尊敬を浴びている。それが美しい女性であるとなれば尚更だ。
  ファレスに任せれば、平時は治安維持活動に用いられる宰相軍を蹴散らし道を付けることが出来るはずだ。老練なファーゾルトが相手では苦戦するだろうが、兵の質の差で圧倒できるはずだ。幾ら何度も実戦を潜り抜けてきたとしても所詮、宰相軍は警察組織。軍事組織の敵ではない。
  それよりも・・・・・・。
「気になりますか」
  併走するマノアが声をかけてきた。
「第一陣にリムルがいないのは気になる。それだけじゃない。宰相軍と接敵したにも関わらず姫様も出てこない」
  接近戦も十分以上に行えるがエルトナージュの本領は魔法による遠隔攻撃だ。第三魔軍と宰相軍の間にはそれなりに広い間隔があったので彼女の攻撃があるとフォルキスは判断していた。しかし、蓋を開けてみればこうである。
  予想ではリムル、エルトナージュ、そしてヴァイアスと順次に人魔の規格外がぶつけられると思っていた。別の見方をすれば、そうするのが一番楽にフォルキスを討てる方法だ。
  それをしないということは・・・・・・。
「何かあると考えた方が良さそうですね」
「そうだな。だが、なにがあろうと噛み砕いてみせる」
  言うと同時に顔を上げたフォルキスの視界には空を黒く染めるかのような矢が襲いかかった。この大量に矢を放つ戦法は宰相軍を通常の軍として扱うには難ありと判断したファーゾルトが生み出した苦肉の策である。
  矢の消費量を考えると頭も痛くなるが、兵を無駄に損耗するよりもずっとましだ。なによりそれなりの成果も出している。
  死を降り注ぐ雨の如く飛来する矢に対してフォルキスは背に担いだ大剣に自身の闘気を宿して一閃した。空を覆った黒は闘気の赤に焼かれていった。
  もちろん、全てを迎撃することは出来ない。かなりの数の矢が兵たちに襲いかかった。
  しかし、兵たちの勢いは止まらない。さらに速度を上げて、宰相軍へと食らい付こうとする。そこに伝令がフォルキスの下に駆けてきた。
「報告します。右翼より第六軍、左翼より第十五軍が迫ってきています!」
  僅かな思考で命令を下そうとしていたフォルキスに新たな伝令が駆け込んできた。
「ファレス副将よりの具申です!」
「許す!」
「露払いは我らのお役目。閣下はただ真っ直ぐに進軍下さい。以上です!」
「ならば、俺たちが追い付くまでに何とかしろと伝えておけ」
「了解いたしました」
  返事すると同時に伝令は轡の向きを変えると全速力で駆けていった。
  それを見送ることなくフォルキスは自分と併走する残りの伝令に顔を向ける。
「念のために左右の部隊に敵が接近していることを報せておけ」
  了解の声と同時に伝令二騎はそれぞれが向かう方向へと走りだした。
  伝令用の軍馬は騎兵が用いるものに比べ脆弱ではあるが、その分だけ早く走ることが出来る。フォルキスが騎乗する軍馬よりも早く伝令たちは駆けていく。
「第三魔軍も愚鈍ではありません。背後から噛み付かれるより早く宰相軍突破を果たすべきです」
  珍しく積極策を具申するマノアに周囲の将兵たちは隠すことなく驚きの表情を浮かべた。どちらかと言えば彼女は堅実な策を好むからだ。
「だが、マノア殿。これ以上、進撃速度を上げれば脱落者が出る。そうなれば本末転倒だろう」
  フォルキスの護衛部隊の指揮官はそう反論した。
「他の軍ならば問題です。ですが、我々は最精鋭たる第二魔軍なのです。この程度で音を上げる者はいません。そもそも、この作戦はフォルキス様を後継者の下までお連れすること。後継者がフォルキス様の一太刀に耐えうるだけの人物であるかを試すためなのです。それをお忘れなく」
  本来、軍隊で精神論など掲げても意味など無い。確かに戦意の有無は大いに影響するが、根性で戦局を左右する勝利を掴めるはずがないのだ。
  マノアが言っているのはつまりそういう絵空事だ。しかし、今の革命軍は「後継者がラインボルトの主に相応しいか否か」などという戦場では見えにくいモノをフォルキスの一太刀をもって見極めようとしている。
  そう、彼らは納得のいく負け方をしたくてこんなことをしているのだ。
  マノアや護衛部隊の指揮官はもちろんいつでもフォルキスの命を全軍に告げられるよう伝令たちも駆け出す準備をしている。
  彼らの視線はフォルキスに集中する。僅かに俯いて沈思していた彼は顔を上げると命令を発した。
「進撃速度を上げる。ただし、脱落者は即時、降伏するよう命じておけ」
『了解いたしました!』
「いけっ!」
  フォルキスの命令の下、残った伝令全てが駆けていった。
  進撃速度を上げれば、間違いなく脱落者が出る。彼らには降伏するよう命じたがそれに従わずに戦う者もいるだろう。中には降伏したところでそれを受け入れて貰えないかもしれない。降伏した者は捕虜として扱うべしと軍規にはあるが、血気に逸った兵たちが粗暴な振る舞いをすることは多々ある。だから、降伏を許す命令も気休めでしかない。
  しかし、詭弁に過ぎないが脱落者を気にしないで済む効果はある。
「進撃速度を上げるぞ。遅れず付いてこい!」
『了解!』
  ただ駆けていく。愚直なまでに真っ直ぐに。
  全ては後継者に一太刀浴びせるために。

 第三陣である近衛騎団陣地では突撃してくるフォルキス率いる第二魔軍との衝突に備えて、団員たちは闘争心をあらわにしていた。
  アスナの無茶な頼みに苦笑しつつも、最終的には彼の思い通りになるだろうと確信しつつ彼らは来るべき決戦の時を待ち構えていた。
  沸き上がる主の命を果たそうとする責任感と闘争心が綯い交ぜになって高まる士気で大気が歪んで見えるかのようだった。
  どのような形であれこの一戦で決着がつくという理由だけで士気を高めている他の将兵との違いがここにあった。
  近衛騎団を除く部隊にとってアスナは後継者という名の旗でしかないのだ。アスナと苦難をともにした近衛騎団との温度差はどうしても存在していた。
  そして、その温度差は近衛騎団内部にもあった。副長デュランが率いていた別働隊との温度差だ。
  アスナがヴァイアスたちと潜り抜けてきた戦いという経験の有無がこの差違を生み出していた。デュランたちも逐一ヴァイアス率いる制圧部隊から報告を受けて、アスナがなにをしでかしてきたのか知っている。だが、それでヴァイアスたちと同じ心境でアスナを見ているかと言えば否だ。伝聞はどう足掻いたところで経験には追いつけない。
  もちろん多少の共感や敬意を別働隊の団員たちも持っているが、アスナとヴァイアスたちのように互いに全てを預けられるような間柄でもないのだ。
  そのためかアスナに懐疑的な目を向ける者や、人族を主に迎えるなんてと不平を零す者も少なくない。仕方の無いことなのかも知れない。
  ある日突然、召還された人族の少年がいきなり主になるのだから疑問や不平が湧くのも当然というものだ。そして、時間の経過とともに自ら近衛騎団を率いて出陣すると言った
勇気とこれまでの戦績があろうと人族を主として迎えるには抵抗があるのだ。
  彼らはどこまで行っても近衛騎団。
  自分たちの主は、魔王ただ一人。それが彼らの唯一絶対の誇り。
「本物か、幸運か、ただの山師か」
「副長?」
  近衛騎団司令部でデュランは戦況図を眺めながらそう呟いたデュランに彼の側近くで務めを果たしている参謀の一人が声をかけた。
「殿下のことだ。これまでの経緯を知っていてもそういう疑いを持ってしまう。因果なものだな」
「参謀長が今のことを耳にすれば間違いなく怒鳴られますよ」
「あの髭の堅物がなぁ。・・・・・・エイク、お前はどう思う?」
「主語が抜けていますよ。その質問は先ほどの副長の呟きにでしょうか?」
  あぁ、とデュランは頷く。戦況図は目まぐるしく変化している。
  宰相軍は必死になって抑え込んでいるが突破されるのも時間の問題だろう。むしろ、第六軍と第十五軍が挟撃を開始するまで良く耐えていると言えるだろう。
  警察力に毛の生えた程度の連中を使ってファーゾルトは良く保たせている。さすがは先王自ら迎えに行くほどの人物だ。それでも兵の質と勢いの違いは如何ともしがたく突破されるのは確実だ。近衛騎団の出番は近い。
「私の見解はどれでもないです」
「殿下に忠誠を誓う者の意見とは思えないな」
  からかうような口調のデュランにエイクは小さく苦笑を浮かべた。
「山師になるには人が良すぎ、幸運と呼ぶには続きすぎです。かと言って本物だとも言い難い」
「では、お前の意見はなんだ?」
「陳腐な表現で申し訳ありませんが、原石かと」
「お前の言う申し訳ないが、誰に向けてのものなのかは敢えて聞かないぞ。しかし、原石か。独自色皆無な表現だな。もう少し面白い表現を心がけた方が良い」
「しかし、原石が磨かれる様を側で見るのは楽しいことだと思いますが」
「三十点だな。だが、その表現には一理ある。見目の悪い石ころだと不平を漏らすより、その中に存在するかもしれない宝石を見付けることの方が楽しいというわけか」
  ヴァイアスたちとデュランたちの温度差を端的に表現した形だろう。
  もっとも、デュランは別働隊の団員たちとは別の視線でアスナを見ていた。
  ヴァイアスとともにある者としては理想的だな、と。それは幼い頃の彼を知っている者としての意見だった。
  身に余る力の制御をフォルキスが教え、軍略をファーゾルトが授けたように、デュランは近衛騎団の団員としての心構えや礼節を叩き込むのに加えて、一人の男としての在り方までも教えた人なのだ。
  そしてなによりエルトナージュに気を使って、思いを告げられずにいたミュリカを焚き付けてヴァイアスとくっつけてしまったのは他ならぬデュランだった。
  人魔の規格外故に誰も彼に近づかず、そして誰に対しても距離を取ろうとするヴァイアスとバカを言い合えるアスナを有り難い人物だと思っていた。だが、アスナが近衛騎団に相応しい主であるかは別問題だ。
  ふと、デュランの表情に苦笑が浮かんだ。
「どうなされましたか?」
「いや、ラインボルト全てが殿下を試すのだと大騒ぎしているのが少し可笑しくてな」
  ラインボルト史上、これほど魔王の後継者として認めるか否かで大騒ぎされた人物はいない。魔王の力を継げる器を持っているならば素性など関係なく魔王に据えた国とは思えない騒ぎようである。
  史上初の人族出身の後継者というだけでなく、そういう意味でもアスナは初めての存在だった。
「この大騒ぎが静かになったとき、今度は我々が殿下に試されるのかもしれん」
「アスナ様ならやりかねませんね。現に近衛騎団なら出来ると何度無茶な命令をされたことか」
  と、エイクは心底楽しげにそう言った。デュランたちのやり取りを聞いていたのか司令部要員の数名も同じような笑みを浮かべながら作業を続けている。
「・・・・・・つまり、お前たちは殿下といるのが楽しいわけか」
「端的に申し上げればそうかもしれません。我らは剣であり、盾です。死蔵され、城で飾られるより使われる方が楽しいではありませんか」
「そのために血に濡れても、か?」
  エイクは上官に無礼を承知で苦笑を浮かべた。
「お忘れですか? 我らはすでに使われた剣なのです」
「なるほど。言われてみればその通りだ。そして、抜き身の剣となった我らを上手く扱えなければ、殿下ご自身が怪我をするというわけだ」
「その通りです。しかし、アスナ様ならば大丈夫でしょう。持ち主としてではなく、我らと共にあることを望まれたのですから」
「我らが誇りは魔王と共にあることなり、か。そうあれば良いのだがな」
「そのためにアスナ様を試しておられるのでしょう?」
「全くその通りだ」
  そう答えるとデュランは立ち上がった。
  戦況図は宰相軍が今まさに貫かれようとしている様を描いていた。三十分後には宰相軍の包囲を革命軍は破ってくるはずだ。
  左右を第六軍と第十五軍が挟み、背を第三魔軍に噛み付かれている状況でどれだけの兵が抜けてくるのだろうか。いや、そんなことはそもそも関係ないのだ。
  思うところは色々あるだろうが、彼らは近衛騎団なのである。
「予定通りに始めるぞ! 伝令! 第二、第三歩兵連隊を前進させろ。革命軍が姿を見せ次第、攻撃開始だ。他の配置に付いている連隊には攻撃開始と同時に動けと伝えておけ!」
  ちなみにその内訳はこうだ。第一騎兵連隊は始めに接敵する二個連隊の支援及び孤立した敵を倒し、第三歩兵連隊は前衛の二個連隊を抜けてきた敵の相手をすることになっている。そして、第二、第四魔法連隊はその支援。残りは予備として適宜投入される。
  デュランの命令以下、参謀たちは動き、伝令たちは勢い良く駆けだしていった。
  ようやく本格的な出番の到来にこれまで以上に活気を持ち始めた近衛騎団司令部をもう一度見回すとデュランは腰を落ち着かせた。
  命令を下している間にも戦況図は目まぐるしく変化している。三十分後と予想したがひょっとしたらもう少し早く宰相軍の包囲を破るかもしれない。
「これで問題はないはずだが、相手はフォルキスだからな」
  今は敵対している友人を思いデュランは苦笑した。
  いつか勝負をつけてやると張り合ってきたことがこういう形で実現するとは思わなかった。指揮官としてのデュランはこの状況を大いに楽しんでいたが、フォルキスの友人としての彼はどうしても困惑してしまう。しかし、それは押し殺す。
  今は戦闘中なのだ。指揮官としての責務を全うすべきだとデュランは思考を改め戦況図を睨み続けた。

 近衛騎団と革命軍が衝突しようとしてその頃、第一陣である第三魔軍は状況収集に忙殺されていた。
  フォルキスの突破を許し、それでも突撃してきた革命軍のうちの四割近くを抑え込むことに成功したがそのために隊列は大きく乱れてしまい、追撃態勢に移れないでいた。
  本来、第一軍と第十二軍が第三魔軍が抑え込んだ敵を挟撃し、その間に簡単に部隊を整理し、追撃に移る手筈となっていた。だが、その肝心の両軍が上手く機能していない。
  予定通り攻撃を開始した第十二軍を邪魔する形で第一軍が動いたのだ。その上、戦場の混乱故か第十二軍司令部は第一軍の部隊に追い立てられた敵兵によって蹂躙され、それに追い付いた第一軍の部隊も加えて混戦状態となり、司令部としての機能が麻痺したのだ。
  これを知ったガリウスは即座に第一軍将軍ケルフィンに向けて伝令を向かわせ、詰問したが当のケルフィンは部下の不始末として後で処分をしておくとしか言わなかった。
  本来ならば戦況を混乱させた責任をケルフィンにとらせるべきだったが、逆にこの状況がそれを許さなかった。第三魔軍司令部が第十二軍の指揮を代行していたからだ。
  魔軍ということで一般軍よりも規模の大きな司令部を持つとはいえ、瞬時に代行できるわけがなく第三魔軍は状況を維持し続けるのが精一杯の状況だった。
  それでも戦況はガリウスたちに有利に運び始め、投降する敵兵も多くで始めていた。
  アスナからも降伏するようなら受け入れて粗略な扱いをしないように厳命を受けていたこともあるが、これ以上戦闘を続行しても全体の戦況には何の意味もない。ガリウスは敵兵が降伏し始めたことを知ると即座に免死の旗を全軍に掲げさせた。つまり敵兵が投降し安いようにしたのだ
  元々、フォルキスから自分が包囲を突破したら降伏するように厳命されていた革命軍の将兵は第三魔軍と第一、第十二両軍が掲げる免死の旗を目にして次々に投降していった。
  投降した敵兵の監視を第一軍、第十二軍とその指揮を代行していた参謀たちに任せ、追撃に移ろうとしたその時、伝令が駆け込んできた。ケルフィンの、第一軍よりの伝令だ。
「失礼します!」
  伝令は真っ直ぐにガリウスの下に来ると敬礼をした。それに答礼するとガリウスは「何の用だ」と用件を話すよう促した。
「追撃のお許しを頂きたく参りました」
「第一軍には第十二軍とともに残敵掃討及び捕虜の監視を命じられていることを忘れたのか?」
  ガリウスは露骨に深いな表情を見せた。
  第一軍の突撃の遅れの影響で予定よりも多く敵の突破を許してしまっていたからだ。
「もちろんです。しかし、将軍は先ほどの汚名を雪ぎたいとの仰せです。すでに残敵掃討の任は副将に任せられ、お許しいただければすぐにでも追撃に移れます」
  そのために本来与えられた任務を疎かにしているのではないかと、ガリウスは思ったが現状を鑑みるとこの申し出はありがたかった。
  元々、第一軍の動きの鈍さが原因なのだが今はそれを無視することにした。
「追撃に使う規模はどれぐらいだ?」
「約四千です」
  悪くはない数だ。
  それに現在、第三魔軍が組織的に投入できる兵数はそれを下回る。体制が整うまでの時間稼ぎをさせるには都合がいい。
  それに軍では無視できない派閥を持つケルフィンに貸しを作るのも悪くはない。ガリウスは今の地位も待遇にも満足しているが、作っていて損はない。
  第一陣の指揮官として、そして個人としての打算からもガリウスは判断を下した。
「許可する。ただし、我々が動き出した後は支援に回るように」
「ありがとうございます。その旨、将軍にお伝えします」
  伝令は敬礼をするとすぐに自陣へと駆けだしていった。
  その背が見えなくなるのと同時にガリウスの副官が彼に声をかけた。
「・・・・・・宜しかったのですか?」
「構わんさ。使える兵力を無駄にして、後から殿下に文句を言われるよりましだ」
「・・・・・・では、仰るとおりに」
  返事までに少し間をおいたことにガリウスは不審を感じた。
「なんだ。含むところでもあるのか?」
「これで戦後処理の際、ケルフィン将軍の発言力を高めるのではないかと危惧したまでです」
「そのことか。俺も考えないでもないが、まずは勝たないと戦後処理もないだろう」
  そういうと彼の副官は小さくため息を漏らした。
「なるほど、だから副将なのですね」
  それだけを言い残すと参謀たちに第一軍が追撃に出ることを伝えに行った。
  何か言ってやろうかとも思ったが、周囲で忙しく動いている参謀たちに遠慮して自重することにした。
  戦況図に目を向ければ状況は目まぐるしく変化し続けている。
  革命軍残党という名の錐は宰相軍を貫きそうだし、その錐の側面を第六軍と第十五軍が挟撃しているが苦戦しているようだ。
  そして錐の先端に隠されたフォルキス率いる第二魔軍は近衛騎団と衝突する時を待っている。戦闘の中心はすでに手の届かないところにある。
  華々しい戦功を手にすることは出来なくとも、疎かに出来ることではない。
  むしろ、残敵掃討や捕虜の監視など目立たない任務を確実にこなせる者でなければ将軍は務まらないとガリウスは思っている。
  そして、どちらかと言うと彼はそういう地味な任務の方が好みだった。
「再編成完了まで後どれぐらいだ?」
  問いに参謀の一人が起立して答えた。
「予定では後十分ほどで完了します」
  頷くとガリウスは再び戦況図を睨み、どこに部隊を投入すべきか思案し始めた。
  それと時を同じくして一般軍の殻を破り捨て、第二魔軍が近衛騎団の前に姿を表していた。

 過度の集中のせいか時間の流れが遅く感じる。
  降り注ぐ魔導矢の豪雨の中、敵陣へと駆けていく。防いでも防ぎきれない攻撃に彼、ランディアはもちろん周囲で併走する戦友たちの身体は傷ついていく。
  目に映るのは前を走る兵の後ろ姿のみ。獣が吼えるよりも強く大きな声とモノクロの光景の中、一つの色だけが鮮烈な色彩として認識できる。
  血の赤だ。その色のみが生きている、生きていた証だと叫ぶようにはっきりと魅せる。
  視線を上に向ければさらに濃い赤が見える。敵なのか友軍なのかは分からない。
  ただはっきりしていることは一つだ。爆発に巻き込まれた者は何者であれ、衝撃で身体と内臓を壊され死から免れることは出来ないということ。
  前方で戦友の遺体を踏みつけても進軍を止めることはない。足を止めることは死者への冒涜であり、何より今はその時ではない。
  不意に横合いから鏃を組んだ騎兵が突っ込んできた破壊鎚のように隊列を乱され、兵を潰されるも、その身で受け止めると騎兵を包囲して攻撃を加える。その騎兵を救おうと新たに数個の鏃が食い込み混戦となる。
  ランディアはそれを横目に見つつ前進を止めない。そして接敵。
  いやに間延びした悲鳴が耳朶を打ち、血の赤よりも濃い臭いが鼻腔が持つ機能を潰してしまう。視角、聴覚、味覚さえも刺激するその渦中へと切り込んでいく。
  持つ槍を振るい、敵の隊列の乱れをついてさらなる前進を企てる。しかし、敵もそうそうそれを許さない。むしろこちらの方が押され気味となっている。
  駆けていた者と待ち構えていた者との間にある差がここになって出てきたのだ。
  しかし、大きく退くことはない。後方から魔法による支援攻撃で敵が怯んだ隙に切り込んでいく。だが、それはこちらとて同じことだ。
  両軍の境界線には血と屍が土塁のように敷かれ、それでも戦うことを止めない。
  敵は近衛騎団であり、その団長による防御魔法がある以上重傷すら負わすことは出来ない。しかし、それでも前進することは止めない。
  押しては退き、退いては押すを繰り返していたが、それも長くは続かない。
  赤光が閃いた瞬間、敵兵が吹き飛んだのだ。それは闘気のよる攻撃だ。
  上半身を切り飛ばされ、その上に開放された闘気が敵兵の直中で拡散され殺戮を広げていく。敵兵の血と屍を持って血路を開いたのだ。そして、そこから友軍が浸透を始める。
  敵兵もこうなることを予期していただろうが実際に自分たちが受けたことで少なからず動揺が走った。ランディアはその隙を逃さずに槍を突きだし、さらなる前進を始めた。
  戦友も彼に続く。始まった浸透は止まることなく血と肉片とが先ほどよりも激しく舞い始める。抑えきれないと判断したのか敵はむしろ積極的に自分たちをその身に受け入れて勢いを殺そうとしているのが分かった。
  罠に突っ込むようにも思えたがむしろこの状況は第二魔軍にとって願ってもない動きだった。第二魔軍に与えられた任務も他の革命軍麾下部隊と同様に単純明快。
  近衛騎団を混戦に引きずり込み、フォルキスの邪魔をさせないことだ。
  そのためにならば本来、忌避すべき混戦も望むところ。
  ランディアは所属する部隊の隊長の声に後押しされるように突き進んでいく。
  こうして血飛沫の上がる中を突き進みながら、彼は思った。
  近衛騎団はもはや抜き身の剣であると。
  ランディアだけではなく軍に属する多くの者が戦場で使われぬ剣だと嘲っていた。これまで何度も合同で演習を行い、その手際の良さも知っていたが実際にこうして戦火を交えるとその印象は随分と変わった。
  しかし、ランディアたち第二魔軍将兵はラインボルト軍最精鋭であるという自負と死兵としての覚悟が近衛騎団を圧倒し始めた。
  彼と戦友たちは必死になって戦った。後続の部隊の浸透が楽になるように前進を続けた。
  左腕や右脇腹に軽くはない傷を受けた。ズボンを朱に染めるほどの出血をしてもランディアは手にしたパイクを手に戦うことを止めなかった。
  だが、それも長くは続かない。意識は朦朧とし、戦いの叫びも遠い。痛みは熱としか感じられない。それでも前進する。だが、敵の一人が付きだした斧槍の穂先を胸に受けてランディアはその命を散らした。
  戦場はまた一人の兵士の命を飲み込んだ。全体で見れば些細なことでしかない。しかし、一人の兵士が死んだことだけは変えようのない事実だった。

 一人一人の姿は見えなくとも、彼らの空気だけは遠く離れていても感じられる。
  薄布にくるまれているかのように砂埃が巻き上がる戦場の中から聞こえてくるのは怒声と叫び声。それはまさに死を生産する殺戮機械の駆動音そのものだった。
  そして、その始動スイッチを押したのは紛れもなくアスナであった。
  それが堪らなく怖かった。
  偉そうなこと、威勢の良いことを言っていても怖いことには変わりなかった。
  結局のところアスナはまだ十六の少年にすぎないのだ。
  それでも、自分の言ったことに対する責任は自分でとらなければならないことはアスナもよく分かっている。しかし、この状況に対する責任なんてどうやればとれるというのか。
  過去の戦争を顧みると戦争に対しての責任は敗者が一方的に負うことになっている。では、もう一方の勝者はどうなのだろうか。
  やっていることは同じ。いや、殺戮という面で見れば勝者の方が罪深い。
  しかし、その殺戮に対する責任など取ることはない。
  戦場で響き渡る叫び声に自我を壊されるのではないかと思うほどに怖かった。
  これまで何度も戦場に立ったが、未だに馴れる様子は全くない。
  初陣のときのように自分も皆の役に立とうだなんて無茶なことは考えずに、自分にしか出来ないことは何かを考え始めたことは大きな進歩だが、それで何かが変わった訳でもない。残酷で無責任なことだが、正直に言えば革命軍も第三魔軍や一般軍の将兵が死のうが傷つこうがあまり実感は湧かない。
  だけど今、眼前で戦闘を繰り広げているのは自分に好意を持ってくれた人たちであり、自分と一緒に無茶を潜り抜けていた仲間たちなのだ。
  その彼らを殺し、殺される戦場に押し出したのは他でもないアスナなのだ。
  それが堪らなく怖い。こんなことに対する責任の取り方も分からなければ、顔も声も知っている者たちが殺戮機械の歯車としなければならなかったことが果てしなく怖い。
  本当は泣き叫んでこの場から逃げ出したい。全てを放棄して、布団に包まって震えながら全てが終わるのを待っていたい。
  だけど、それは許されない。
  状況や突然与えられた後継者としての立場は実はあまり関係ない。
  自覚してしまったから、彼らが望む限り、彼らに相応しい主でいようと。
  みっともなく泣いて、鼻水垂らして、小便を漏らしたとしても最後の一線だけは絶対に後退しない。それが今のアスナに出来る精一杯だった。
  顔を蒼くして、震える身体をどうにか抑え付けて虚勢を張っていた。
  ふと横を見上げれば自分と同じように蒼い顔をしているエルトナージュがいた。
  先ほどから微動だにせず、真っ直ぐに戦場を見ている。一滴蒼の絵の具を混ぜたような白皙の仮面を付けているようにアスナには見えた。
  その表情がさらにアスナから現実味を失わせてしまう。
  彼女に近い者以外では今のエルトナージュの表情こそ本来のものなのだが、アスナにはそれが仮面に見える。
  無表情の仮面の下には自分と似たようなことが渦巻いているのではないだろうか。本当に何も思っていないのであれば仮面など付ける必要なんてないんだから。
「・・・・・・エル」
  アスナは出来るだけ顔に浮かんでいた怯えを追い出してからエルトナージュに声をかけた。
「なんでしょうか?」
「戦況はどうなってるか説明してくれるかな? 想像でも良いからさ」
  本来、アスナがいる場所が本陣となり、各軍を統御するのが普通なのだが今回に限りそのようなことはなされていなかった。
  フォルキスの、ひいては革命軍残党の狙いはアスナの首一つ。
  となれば彼らが敵中突破を敢行するのは目に見えていた。ファイラスで籠城していた彼らに伏兵を配することは出来ないだろうし、何よりファイラス周辺はとても見晴らしが良くなってしまっている。本来はちょっとした林などが点在していたのだが、この一ヶ月の間に両軍兵士たちの手によって伐採されてしまったのだ。
  必要とする分の薪が供給量に追い付かなかったのだ。それはファイラスに籠城している革命軍側とて同じことだった。むしろ都市内に市民を抱えていた革命軍の方が物資に関しては切実な問題だっただろう。
  ともあれ、そういった事情で今のファイラスは視界を遮るようなものが全くないので奇襲という手を使うことが出来ない。
  何よりフォルキスの真っ直ぐな性格とこの状況を考えれば敵中突破を実行するだろうことは少し考えれば誰でも分かることだ。
  そして、その推測が見事に当たったことは現状とエルトナージュの説明が証明していた。
「デュラン殿は第二魔軍を抑えていますが、フォルキス様を止めることは難しいでしょう」
「となると、予定通りフォルキス将軍はオレたちのところまで来るんだな」
  エルトナージュは言葉ではなく小さな頷きで答えた。
  あの暴風のような殺戮がここで展開される。そう考えるだけで全身に汗が浮かび、喉が痛いほど乾いてしまう。
「・・・・・・エルは戦争をどう思う?」
「どう、とは?」
  恐らく彼女はアスナが何を聞きたがっているのか分かっているはずだ。しかし、敢えて分からない振りをした。
「幻想界を統一する以上、戦争を避けるなんてことは絶対に無理だ。これから何度もこういう事が起きる。エルはそれに耐えられる? 自分の夢を実現させるためなら、この叫びに耐えられるのか?」
  僅かに彼女は俯いた。その時、見せた表情は明らかに迷いがあり、間違いなくアスナと同じ表情だった。
  瞳を数秒閉じ、小さく息を吸い込むと彼女は顔を上げた。そして、アスナと目を合わせた。
「わたしは耐えるつもりはありません」
「必要な犠牲として、割り切るのか?」
  それも一つだ。もしかしたら、この割り切る考え方が一番楽で真っ当なものかもしれない。戦争はどう足掻いたところで大量の死人が出る。その叫びに耐えられるほど強くはないし、強くあろうとして自分を壊しては元も子もない。
  エルトナージュは小さく首を振った。
「この叫びに耐えることも、必要だったと割り切ることも出来ません。わたしは、受け止めます。全ては無理でも、わたしに出来る精一杯を持って受け止めます」
「・・・・・・凄いな」
  戦争に対する姿勢は人それぞれだ。絶対の正解はなく、人の数だけ正解がある。
「正直な話し、まだオレにはそういう答えが見つかってない。今あるのはエルの夢を手伝ってやりたいってのと、この内乱を終わらせたいってのしかないんだ。エルは、本当に凄いな。ちゃんと自分なりの答えを持ってて」
「・・・・・・・・・・・・」
  エルトナージュは何も言葉を返さずにアスナを見ていた。
  自分に向けられる黄玉の瞳が何を意味するのか分からない。お互いに何も口にせず視線を交わす二人にミュリカは自分の考えを割り込ませた。
「今はそれで良いんじゃないですか? 幻想界に来られてから今日まで落ち着いて何かを考える時間なんてなかったんですから。これから見付けて下さればそれで良いと思います」
「・・・・・・そうだな。オレにとってこの内乱は、オレが魔王になって良いのかどうかの試験だから色々と考え過ぎだったかな」
「考えるのは悪い事じゃないですよ。ですけど・・・・・・」
「お話中、失礼します。革命軍残党の一部が抜けて参りました!」
  強く頷く。
「今はフォルキス将軍に勝つことが最優先だな」
  アスナは腰掛けた椅子の手摺りを一度、強く握り、大きく深呼吸をすると立ち上がった。
  その立ち姿は軍装そのものである。近衛騎団と同じ内服の上にサイナに頼んで用意してもらった鎧を身に纏っている。
  一度、自分の周囲にいる者たちを見回すとアスナは声を張り上げた。
「我が不敗の盾よ、襲い来る敵の刃を防ぎ、」
  突然のアスナの声にヴァイアスを始めとする団員たちは姿勢を正し、その言葉に傾注する。
「我が最強の剣を持って、斬り伏せよ!」
  ちらりとエルトナージュを見れば、少し驚いた顔をしている。アスナは不思議と気分が良くなった。彼女の仮面のような表情を崩すのは楽しいのかも知れない。
  五十数名からなる了解の声を一身に受けてアスナは彼らを一度見回し、力強く頷いた。
「勝ちにいくぞ!」
  団員たちは手にした得物を掲げて時の声を上げた。
「よしっ! それじゃ、予定通りリムルはフォルキス将軍と将軍の護衛とを切り離してくれ。エルはその援護。本営の全力をもって護衛とぶつかれ! ヴァイアスはオレの守備と全体の守護だ!」
  再び上げられる了解の声とともにリムルと団員たちは動き出した。その彼らの守護を任されたヴァイアスは防御魔法を彼らに対しても展開する。
  防御魔法しか取り柄がないとヴァイアス自身は卑下するように言うが、これまで一万名もの団員全てに魔法、物理攻撃を防ぐ防御魔法で守護をし、それを維持することなど尋常ではないことだ。それに集中するのではなく、団長として騎団の指揮をし、自ら戦場を駆けさえするのだ。
  それは人魔の規格外としての能力云々を越える彼だけが持つ天分そのもの。
  ヴァイアスの守護を受けた団員たちはリムルを先頭にして駆けだしていった。
  ここに残るのはアスナとヴァイアスだけになるはずが、なぜかもう一人動かずに残っている者がいた。エルトナージュだ。
  先ほどまで今から始まる、そしてこれからの戦いに脅えていたとは思えない堂々たる態度で命令を下したアスナに少なからぬ驚きを覚え、動き出す機会を逸してしまったのだ。
  アスナは怒気すら宿った目で彼女を睨むと叫んだ。
「なに呆けてる! リムルの支援をしろと言ったはずだぞ、エルトナージュ!」
「は、はい!」
  押し出されるようにしてエルトナージュは馬を駆ってリムルの支援に向かった。
  その彼女の背を見送ったヴァイアスはアスナを見た。
  先ほどまでの強気な態度はどこにいったのか、再び頭の中で色々なことが渦巻いている顔をしていた。恐らくこの命令で良かったのか悩んでいるのだろう。
  余りに似つかわしくない鎧姿のアスナの肩を叩いた。これまでの都市攻略を命じた後、必ずと言っていいほどこうやって思い悩む彼にヴァイアスは同じ言葉をかけ続けていた。
「大丈夫。お前は間違ってない。それにお前が心配するほど俺たちはやわじゃない」
  一度、二度とアスナに理解させるように彼は肩を叩いた。
「それよりも心配なのはお前の方だよ。フォルキスの旦那に真っ二つにされるなよ」
「ヴァイアスが守ってくれるんだから大丈夫だろ」
「信頼してくれるのはありがたいけどな。フォルキスの旦那は間違いなく俺たちの中で最強だぞ」
  俺たち、とは人魔の規格外五人の中でという意味だ。
「自信ないのか?」
「そうじゃない。過信するなってことだ。良いか、今は自分を一番に信じろ」
  そこまで言うとヴァイアスは軽い口調に改めた。
「それで勝てたら儲けもの、負けたときは真っ二つになるんだ。気楽にいけ」
「下手な発破のかけかただなぁ。ミュリカに聞かれたらなんて言われるか分からないぞ」
  そう切り返すとヴァイアスはいつものように、うるせぇと悪態をついたのとほぼ同時だった。強い突風がアスナたちを襲ったのは。
  そう、リムルたちが接敵したのだ。

 近衛騎団の隊列を突き抜けた先にフォルキスが見たのはは開けた空と大地であった。
  空はラインボルト東部に存在する幻想界最大の湖、オリティア湖よりも蒼く済んでおり、浮かぶ雲は銀嶺の如くだ。その蒼空の下に広がる大地は雄大。
  それ故にフォルキスは一瞬、自分が何をしているのか分からなくなってしまった。
  血と叫びと死の戦場の中にこの美しい光景を目にして戦意を奪い取られてしまったのだ。
  いや、そうではない。
  空の蒼は珍しく心奪われる光景に違いないが、戦場であろうと平穏な村落であろうと変わらずそこにあり、戦場を抜けたからあったのではない。戦場の空に、大地にもこの美しさはあったのだ。何も特別なことではない。
  後継者は蒼天日に決着を付けようと思ったのだろうか。
  ふと、そんなことを思いついたがフォルキスは浮かんだ考えを否定した。
  そこまで器用ではないだろう、と。
  恐らくただの偶然。しかし、蒼天を有する現生界の後継者が決着に指定したのが蒼天日というのも出来過ぎている。
  後継者は幻想を宿しているのだろうか。それが蒼天日の今日に決着を付けるよう促したのかも知れない。
  理由はなんであれ、面白いことには変わりない。
  自然、口端に笑みが浮かんでしまう。
  久しく味わうことのなかった戦場の高揚感にフォルキスの笑みは濃くなる一方だ。
  どのような結果になろうとも最後にこんな良い気分を与えてくれた後継者にフォルキスは感謝した。
  少し遅れてフォルキスに追い付いたマノアがエルトナージュたち後継者に就いた人魔の規格外が一斉攻撃に出るはず。しかし、フォルキスは三人の相手をせずに自分たちを盾にして後継者の下へ向かって欲しいと言っているが、彼は即座にそれを却下した。
  フォルキスの目に真っ直ぐに単騎でこちらに向かってくる人影の姿を見たからだ。
  その姿に見覚えがあった。リムルだ。
「散開しろ!」
  すかさずフォルキスは下命した。
  精神安定剤たるヴァイアスが側にいるので前回ほど簡単にはあしらえないはずだ。なによりまともに人魔の規格外同士がぶつかれば、ともに突き抜けてきた部下たちをも巻き込むことになる。
  だが、マノアは自分たちはフォルキスの露払いのためにいるのだと抗議の視線を送ってくるがフォルキスは首を振って拒否をする。
「お前たちはいるであろう後継者の守備部隊の相手をしろ。規格外には規格外をぶつけた方が効率が良い」
  それに後継者にしても好都合だろう。
  ここまでくればフォルキスも後継者が何を狙っているのかおおよその見当がついている。
  後継者は自分の配下にある人魔の規格外を逐次投入して、フォルキスの力を削いでいく戦いではなく集中投入することで一気に決着をつけようと思ったのだろう。
  確かに兵の中で規格外同士をぶつければ敵味方に関係なく多大な被害がでる。
  このようにある程度、部隊から離れた場所に本陣を置き、距離をとっておけば兵の損害を最小限に収めることが出来る。少なくとも兵の直中でぶつかるよりもましだ。
  そしてそれを行う理由は明白だ。
  後継者は自分を生きたまま捕らえることで自身の勝利を確たるものにしようと考えているのだろう。
  死という結果に変わりはないが、戦場での討ち死にと裁判を経ての刑死では少し意味合いが違ってくる。
  前者の場合はあくまで抵抗者として人々の心に残ることになる可能性がある。しかし、後者の場合、罪人として貶めることが可能な分、後継者を祭り上げやすくなる。
  まだ少年である後継者を魔王として仕立てる礎の一つにしようというわけだ。
「もし、好機があれば俺が到着しなくとも、後継者に一矢報いろ!」
  フォルキスの良く通る太い声が自分をここまで守ってきた兵たちに向けられる。
  それに応えたのはマノアではなく護衛部隊の隊長であった。
  彼は力強く頷くとただ一言、「御武運を」とだけフォルキスに伝えると兵たちにその旨、命じた。兵たちが散開する中でマノアだけがフォルキスを見上げたままだ。
「行け。後継者にお前の槍捌きを見せつけてこい」
「・・・・・・御武運を」
  それ以外にもなにか言いたそうだったがマノアはそれだけ告げると轡の向きを変えた。
「・・・・・・・・・・・・」
  三秒ほど彼女の背を見つめるとフォルキスは正面を向いた。
  そこにはまっすぐにこちらに駆けてくるリムルの姿が見える。お互いの速度から考えると後二十秒ほどで剣を交えることになる。
  フォルキスは肩に担っていた大剣の握りを改めて確かめる。
  ファーゾルト率いる首都防衛軍が放った矢の嵐を迎撃したときの感触からこの大剣はあまり保たないことが分かった。
  長時間の戦闘にはついてはいけないだろう。予備として腰に一振り剣を提げているが出来ることならば最後までこの大剣を使いたい。
  護衛部隊とリムルとが交差する。迎撃してくるかとも思ったが予想通りリムルは彼らを素通りさせている。
  狙うはフォルキス一人。そう言わんばかりにリムルはまっすぐにフォルキスに向かってくる。
  望むところだとフォルキスは手にした大剣を自身の闘気で覆う。自身が破壊される悲鳴とも、最期の戦いに歓喜する声ともとれる軋む音を上げる。
  それに呼応するようにフォルキスも叫び声を上げながらリムルに向かっていく。
  再接近すると同時にリムルは大上段から剣を振り下ろした。対するフォルキスは袈裟懸けに大剣を振り下ろした。
  剣気と闘気。戦う意志の込められた似て非なる力がぶつかり合った。
  切り裂く朱と燃えさかる紅の衝突は敵対する相手に届くことなく周囲に拡散していき、それから逃れることの出来ない軍馬を切り裂き焼いていく。
  断末魔の嘶きを上げながら死ぬ軍馬に気を止めることなく二人は剣を交わし続ける。
  リムルの剣に焦りはなく冷静に剣を振るっている。数日前までの狂騒はない。
  精神安定剤たるヴァイアスが後方にいるからだろう。
  ・・・・・・これは簡単には抜けないな。
  下段より襲い来る細身の長剣を身を逸らして避けると左拳をリムルの頬に叩き込んだ。体制の悪さからさほどの効果はないだろうが、体勢を崩すことは出来た。
  フォルキスはその隙を逃さずに追撃に出る。彼は手にした大剣をリムルに向けて突き出した。剣としての鋭利さなど皆無だが闘気を帯びたそれは十分以上の破壊力を持っている。
  対するリムルは無理に剣で受け止めようとはせず手刀に剣気を宿らせて大剣にぶつけ軌道を逸らした。大剣はリムルの首筋を裂き、焼いていく。
  通常ならばそれだけで絶命するはずだが、リムルは人魔の規格外である。首を完全に落とされない限り、この程度では死なないし、死ぬこともできない。
  リムルは体勢を整えようとはせずにそのまま大剣に首筋を這わせながらフォルキスに向けて突進していく。闘気の紅とは異なる赤を散らせながらリムルは左手で作った手刀をフォルキスに向けて突き出した。
  剣気を帯びたそれは鎧を貫き闘気で守られたフォルキスの身体すら貫いた。
「五の剣、剣山!」
  叫びと同時にリムルの手刀が貫いた傷口から朱の光が漏れ出す。放たれた剣気はフォルキスの腹中で三本の錐と化し、両脇腹、背中から突き出た。
  言うなれば体内で三つ又の槍が生まれたのと同じ事が起きたのだ。
  腹中をずたずたに裂かれながらもフォルキスは立っていた。
「人魔の規格外が、この程度で止まるはずがないだろう!」
  フォルキスは左手でリムルの頭を掴んだ。
「止めたければ頭を貫け!」
「リムル!」
  エルトナージュの声がするもフォルキスを止めることは出来ない。
  瞬時に左腕に収束された闘気をリムルを掴む掌の中で爆発させた。爆発による破壊はリムルの頭部だけに止まらず闘気を放ったフォルキスの左手指の骨や爪すらも爆ぜさせた。
  それだけでは満足せず彼はリムルの頭を地面にめり込ませる叩き付けさらなる打撃を加えようとする。それと同時にフォルキスの周囲に蒼い魔法力そのものの球体や炎の塊が襲いかかった。
  連続して発生する火球が発する熱は闘気で守られた彼の身体をも焼き、爆発が身体を引き裂こうとするがフォルキスは微動だにすることはない。
  それと同時にエルトナージュはこの期に及んでも彼に対して手加減しているのが分かる。
  彼女ならば戦術級、それこそ最上級に位置する魔王の残光を連続して放つことが出来るにも関わらずそれを使ってこない。
  これで後継者が自分の捕縛を求めていることが決定的となった。
  だが、手加減されて止められるフォルキスではないし、なによりそれで決着がついたと納得することもできない。
  連続して起こる爆発に身を焼き、裂かれながらフォルキスは叫んだ。
  爆音で掻き消され、誰も耳にすることがなくとも叫んだ。
  ふざけるな、と。
  怒声そのものであったそれは音としてではなく、火柱として体現された。
  リムルの頭部を握っていた左掌から放たれた闘気が生み出したそれはエルトナージュの攻撃を飲み込み、さらに拡大していく。
  自身の放出した闘気の紅の中、彼は先ほどから自分に攻撃を行っていたエルトナージュがいた方向に右掌を向けた。拡大し、フォルキスを中心に円錐状に放たれていた闘気の一部が錐のように伸び彼女に襲いかかった。
  優秀であっても本気を出した人魔の規格外の相手をしたことのないエルトナージュは前振りのない巨大な闘気の放出に驚き、闘気で出来た錐への対応が遅れた。
  どうにか直撃だけは避けたものの、フォルキスの意を受けて爆発した闘気に吹き飛ばされてしまった。
  一方、フォルキスの全力の一撃を至近で受けたリムルの顔は鼻は折れ、頭皮や顔の皮膚ともに焼け爛れ、腫れ上がった唇の向こうにある歯は幾つも折れてしまっている。
  顔を捕まれた瞬間、咄嗟に防御魔法を顔に展開したおかげで原形をとどめているが二目と見られない表情であることに変わりはない。
  リムルにこれだけの負傷を与えた代償は少なくない。自身の放った闘気により彼の左腕も酷い傷を負っていた。
  だが、右腕が無事ならばそれで構わない。それだけで十分、後継者に一撃加えることが出来るからだ。
  フォルキスは気絶したリムルに一瞥することなく大剣を拾い上げると一歩を踏み出した。しかし、リムルから受けた腹部の負傷は重く簡単に無視できるようなものではない。
  大剣を地に突き立てそれに身体を預けるとフォルキスは自身に内在する魔力を身体の治癒に傾けた。しかし、それもほんの十秒ほど。
  人魔の規格外に常識外れの治癒力があると言ってもこんな短時間で治るはずがない。それなのにフォルキスはこれ以上の休憩は不要だと大剣を肩に担い駆けだした。

 フォルキスから離れたマノアたち護衛部隊は無人の野を行くが如く突き進んでいた。途中、リムル、エルトナージュと交差したが二人とも自分たちに意識が向いていないことを感じマノアは周囲の兵たちとともに駆け続けた。
  ファイラス入城の際は青々と美しい林に覆われていたのが今では荒涼とした地が広がるのみ。無惨としか言いようのない光景だが、蒼い空と何もない地の対比がとても美しく感じられた。
  天と地の狭間に白く輝く一団が真っ直ぐに自分たちに迫ってきているのがマノアには分かった。自分たちと同じく主の護衛として最後まで残った者たちだ。
  これ以上は決して通さないという意志が感じられるほどの雰囲気を放ちながら彼らは駆けてくる。苦戦となるのは必至。
  他の部隊に守られながら突き進んでいたとはいえ戦場の中を駆け続けるのは通常以上に疲れる。対する敵はこれまでずっと本陣にいたので疲労なんて全くない。
  数の上では第一魔軍に有利だが、近衛騎団の背後にはヴァイアスがおり彼らの守護を司っている。不利ではあるが負けるつもりはない。いや、決して負けない。
「射撃用意! 弾種、魔導矢!」
  護衛部隊の隊長が号令をかける。それと同時にマノアを含めて騎兵全てが射撃体勢をとる。彼女はフォルキスの副官であるがこの部隊では一兵士ということだ。
「三度の斉射の後、突撃する」
  了解の声はない。だが、誰もが雰囲気と態度で応じていた。
  両者の距離は急速に縮まっていく。馬の揺れに身体を合わせながら攻撃命令を待つ。
「放てぇ!」
  騎馬部隊による斉射が始まる。その間に歩兵部隊が乱れた隊列を整え、突撃の時に備える。マノアたちは第二斉射を始めようとしているが応戦してくる気配はない。
  それもそのはずだ。ヴァイアスによって守られた彼らが魔導矢如きに気を煩わせる必要はないのだから。それでも僅かばかりの勢いを殺すことも、隊列に乱れを作ることも出来るだろう。そこに生まれる小さな有利を積み重ねて勝利を掴むのだ。
  三度の斉射が終わった。隊長は手にした槍を後継者の護衛部隊に向けた。
「突撃!」
  三度の斉射の間に隊列を整えた歩兵部隊は槍を構えて突撃する。騎兵はその両脇を固め、敵の隊列の隙を伺う。だが、さすがは近衛騎団である。全く隙がない。
  出来たとしてもすぐに修正されてしまうのだ。
  正攻法以外に道はないとマノアは併走する隊長にその旨、具申しようと思ったがその必要はなかった。彼は頷きで分かっていることを示した。
  威勢が上がる。それに呼応して敵からも上がる。
  二つの戦意は重奏し、そしてついにぶつかった。

 勢いがある分、両部隊が衝突した直前は第二魔軍側が優勢であったがヴァイアスの守護と無用な者は何人たりとも通さないという気概が敵を押し返していた。
  それでも完全にマノアたちを押さえ込むことは出来ず一進一退の状況が続いていた。
  乱戦ではないものの一つ間違えばそういう状況に陥る戦場の直中をサイナはミュリカとともに馬上で槍を振るっていた。
  本来、魔導士としての戦い方が本文であるミュリカだが、一通り武具の扱いを教わっている。別の見方をすればそれぐらい出来なければ近衛騎団の団員である資格はないのだ。
  今、彼女たちアスナの護衛部隊の役割はフォルキス以外の何者も通さないことだ。
  そのため戦闘にのみ集中することは許されない。僅かに生まれた隙をついて突破される恐れがあるからだ。何しろ敵の方が兵数が多いのだ。
  油断すれば即突破される恐れがある。最後の控えとしてヴァイアスがアスナの側にいるが彼の手を煩わせるようなことは団員としての誇りが許さない。
  何よりサイナはアスナに無様な姿を見せることが嫌だった。私的な理由が原動力となっているが、彼女の槍捌きの前に敵兵は次々に血祭りに上げられていったのは間違いなかった。血飛沫が散る中を舞うように槍を振るう様は、彼女の美しさも相まって恐怖すら振りまいていた。
  もし、アスナが戦場で舞うサイナの姿を見れば震えながら見惚れていたことだろう。
  彼女の槍が一瞬、動きを止めた。その好きを逃すまいと敵兵が手にした槍を突き出すが彼女のすぐ側で奮戦していたミュリカが防いだ。
「不用意に動きを止めないで!」
  彼女の叱咤の声が届いていないかのように彼女は僅かに後退すると左斜めを睨んでいた。
「サイナさん!」
「抜かれる!」
  騎兵が三騎、団員たちの壁を突き抜けようとしている。今すぐに動けば間に合うはずだ。
  そうサイナは判断すると周囲の団員たちに指示を出した。
「ここは任せる。ミュリカ、貴女は私と一緒に来て!」
「けど!」
  ミュリカはともかくここでサイナが抜ければ押し返されてしまう。
「黒死槍の炎が見える。あれの前じゃ団長の守護も意味がないでしょう!」
  魔具は闘気や魔法力による守りを切り裂き、破ることが出来る。もちろん、生半可な代物ではヴァイアスの守護を破ることは出来ない。
  しかし、黒死槍は第一級の魔具であり、長らく担い手がなく王城エグゼリスの宝物殿にて封印されていたほどの魔槍だ。その担い手が完全に魔槍を自分のものとしているのならば尚更だ。
  自分たちを抜いていくことを許容するぐらいならば、多少押し返されるぐらいなんでもない。
  サイナはもう一度、周囲の団員たちに「ここは任せる」と命じると返事を待たずに轡の向きを変えて駆けだしていった。
「あぁ、もう!」
  と、ミュリカは相手をしていた兵を槍で叩き伏せ、追い打ちとばかりに魔導矢をぶち込むとサイナの後を追っていった。

 ミュリカを伴ってサイナは駆けた。
  ラインボルト軍でも有数の槍の使い手であり、黒死槍の主でもあるマノアと言えども立ちふさがる近衛騎団の壁を抜けることは容易ではない。
  炎を撒きながら放たれる槍の一閃は並以上の兵では受け止めることすらかなわない。例え受け止められたとしての黒死槍の炎に焼き殺されてしまうのがおちだ。
  サイナはいつでも使えるように腰に提げた水の入った小瓶の位置を整えるとマノアの下へと急行した。戦闘に関わらず第三者の視点で戦況を見てみると一進一退が続いている。
  さすがは第二魔軍と言ったところだが、時間が流れればヴァイアスの守護のある近衛騎団側に戦況は傾いて行くはずだ。
  楽観視することは出来ないが、このまま状況が推移していけば勝利は間違いない。
  しかし、不確定要素がまだある。それがマノアの存在だ。
  万が一のことでしかないが、彼女の槍がヴァイアスを屠り、アスナに一撃加える可能性は十二分にある。
  サイナがまずマノアの相手をしたところで五割の可能性が四割になる程度だ。
  それでも可能性が少しでも減るのならば動くべきなのだ。
  マノアたちがフォルキスの露払いであるのと同じようにサイナたちもそうなのだから。
「抜かれた!」
  サイナたちの到着よりも僅かに早くマノアと彼女が率いる騎兵三騎が壁を突き抜けた。
  四者ともに負傷と疲れで傍目にも満身創痍だが、油断できない空気を彼女たちは纏っていた。
「ミュリカお願い!」
  振り返り自分の後ろに続くミュリカに声をかけるとサイナは小瓶に入った水を槍に流しかけた。
  サイナが手にしている槍は上質の物だが魔具の前では乱造した槍と大差ない。
  ただでさえ槍の腕で差が開いているのだから、得物だけでも対抗できるものを用意しなければ話にならない。
  その対抗策が小瓶に入っていた水だ。彼女たち海聖族は水の精霊と好かれ、相性も良い。小瓶の水を呼び水にして黒死槍に対抗できるだけの水流を槍に纏わせたのだ。
  その水流は瀑布を切り取ったかのようである。
  彼女の背後から連続して魔導矢が放たれる。ミュリカの援護兼牽制が始まった。
  サイナは軍馬に無理をさせながら必死にマノアの後を追う。
  彼女の追撃に気付いたのかマノアは兵を散開させアスナの下へと向かわせると自身はサイナに向かってきた。
  彼女の手にした黒死槍もサイナの槍と同じように炎を穂先に巻くと突撃してきた。
  サイナは槍を構えると馬の腹を蹴った。彼女の駆る軍馬は大きく嘶くとこれまで以上に勢い良く走り出した。
  二人が交差する瞬間、先に動いたのはマノアだった。彼女の突き出した槍をサイナは弾いて防いだ。ただの一合でサイナの槍が纏っていた水の勢いは弱まってしまってしまった。
  人馬一体という言葉がある通り良い騎兵は思った通りに馬を操ることが出来る。しかし、兵と馬とが別個に存在している以上、兵は馬を操ることが第一となり槍を振るうことは二の次になってしまう。それはサイナにも当てはまることだった。
  それがこの一合の結果を呼んだのだ。
  魔力さえ吸収できれば力を発揮し続けられる黒死槍と、自身の術として制御しなければならないサイナの瀑布の槍との差がこういった形で出てしまった。
  サイナは交差で出来た距離を埋める間に再び腰に提げた小瓶の水を槍にかけ瀑布の槍に変える。両者の距離は急激に詰められ再び槍が合わせられる。
「退きなさい、サイナ! 後輩と言えども邪魔立てるなら容赦しません!」
「ここから先に行くことが許されているのはフォルキス将軍ただお一人。士官学校時代、お世話になったからと言ってお通しするわけにはいきません!」
  言葉を交わしながら二人の槍の応酬は続く。三合、四合と槍はぶつかり合い二人の周囲をサイナの槍を纏う水から生まれた水蒸気が覆う。
「ならば貴女を倒して進みます。フォルキス様の手を煩わせずとも私の黒死槍で」
「だからこそ通すわけにはいかないんです。例えこの槍が届かずともマノア様をここで押し止めて見せます!」
  サイナが突き出した槍をマノアは受け流すように弾くと黒死槍を大きく振った。それをサイナは紙一重で交わすが、黒死槍は執拗に彼女を捉えようと追う。
  騎馬の上ということで思うようにマノアほど上手く立ち回れない。
「ならばここで死になさい」
  マノアの槍の動きがさらに早く、鋭くなる。もはやサイナはそれについていくので精一杯となり、反撃する余裕がない。
  その彼女たちの横を一人の巨躯が駆け抜けていく。
  左腕は使い物にならず、腹部からも大量の血を流しながら駆けていく。それに反して彼の相貌は壮絶そのものである。まるで戦場そのものを体現するかのような存在が彼女たちのすぐ側を通っていった。
「フォルキス様!」
  あまりの姿に動揺したマノアの隙をついてサイナは攻勢に出た。
「お分かりのはずです。フォルキス将軍もアスナ様との決着を望んでおられるんです。邪魔をしてはいけません!」
  叫びは二人の周囲を覆っていた水蒸気に変化を与えた。
  微細な水滴が全て弾丸のようにマノアに向かっていった。

 空と大地の狭間を駆けてくるフォルキスの姿はアスナたちからも確認できていた。
  フォルキスが放つ闘気が否応なく肌を刺す。
  アスナの側に控えるヴァイアスもアスナに鋭い視線を向ける。
「本当に、良いんだな?」
「・・・・・・あぁ。他にもっといい手があるのかもしれないけどフォルキス将軍を納得させるにはこうするしかないと思うから」
「分かった。だったら、後はお前の好きなようにしろ」
  そこまで言うとヴァイアスは苦笑を浮かべた。
「いつもお前に言われてることだけど、死ぬなよ」
「そっちこそ、オレに断り無く勝手に死ぬなよ」
「了解。先、行くぞ」
  そう言うとヴァイアスは剣を抜き放つとフォルキスに向かって駆けだしていった。
  対するフォルキスは血で身体を朱に染め、動かなくなった腕を引きずりながら真っ直ぐにアスナの下へと向かってきている。
  もしかしたら、自分に向かってくるヴァイアスのことなど眼中にないのかも知れない。まだ、二人の間にはかなりの距離があるというのにフォルキスの眼光が見えているかのような錯覚をアスナは覚えていた。
  フォルキスの戦意に射竦められると同時にアスナはある種の感動を覚えていた。血達磨となり、戦鬼の如き形相になりながらもここまで来たのだ。
  それは、こんな姿になってまで一太刀浴びせようと思う価値がアスナにあるとフォルキスが言っていることと同義であった。
  ならば自分が正面から決着をつけようとしないで誰がするというのだ。
  相変わらず漏らしてしまいたいほど怖いし、鎧の下の身体は小刻みに震えている。だけど、もう逃げようとは思わなくなっていた。
  何の力もないただの人族が強者の代名詞たる人魔の規格外に正面から戦いを挑むなど常軌を逸しているとしか言いようがない。
  ヴァイアスの守護とサイナが用意してくれた特注の鎧。
  そして、アスナを守るために割れてしまったエルトナージュから貰ったペンダント。
  これだけの物があっても絶対に勝てると未だに断言することは出来ない。だけど、大丈夫だと、それだけは確信できる。
  アスナの眼前ではヴァイアスとフォルキスの戦いが始まっていた。
  初撃から下半身を朱に染めて大剣を自在に振り回すフォルキスにヴァイアスが押されていた。自身の負傷など問題にすらならない些細なことだと叫ぶかのように右腕一本で大剣を振り回していた。
  闘気で右腕を強化しているのかフォルキスの一撃はとても重くヴァイアスはそれを受け止めることしかできなかった。一切、負傷していないヴァイアスが満身創痍のフォルキスに押されているのだ。
  アスナの目から見てもヴァイアスが手を抜いているようには見えない。両者の剣がぶつかり合うたびに、闘気の余波が地面を抉っているのだから。
  だと言うのにフォルキスを倒すどころか攻勢に出ることさえ難しいようだった。
  しかし、防戦を強いられる状況も長くは続かなかった。
  アスナには気づけなかった隙を着いてフォルキスは本格的な攻勢に出たのだ。
  傷だらけの身体のどこにそんな力があったのか、フォルキスは大剣を巧みに操ってヴァイアスに生まれた小さな隙を押し広げていった。
  そして、ついに決定的な一撃が振るわれた。動かないと思われていたフォルキスの左腕がヴァイアスの頬を打ったのだ。
  思いがけない一撃に僅かに蹌踉めいたヴァイアスの隙をついてフォルキスは大剣を大上段から振り下ろした。
  辛くも彼は手にした剣で大剣を受け止めることが出来た。しかし、それこそがフォルキスの狙いである。
  フォルキスは無茶な体勢にも関わらずヴァイアスの左脇腹に戦斧のような蹴りを叩き込んだ。防御も何も出来ないままそれを受けたヴァイアスの身体はそのまま蹴り飛ばされてしまった。
  そして、残るはアスナとフォルキス。ただ二人のみ。
  その感慨に耽る暇もなくフォルキスは動いた。無理な体勢から蹴りを放ったことで足に負担がかかったのか足捌きが妙におかしいが、そんなことを気にする余裕などアスナにはない。
  フォルキス同様にアスナも抜き身の剣を手にして走り出した。
  その動きは人族のものとはとても思えない機敏なものである。それもそのはず、今、アスナが纏っている鎧は身体強化を行う魔導珠が大量に使用されている。
  防御力など度外視して、機敏さのみを追求した代物なのだ。全てはこの一騎打ちのために用意されていたのだ。
「あああああああああっ!」
  アスナは恐怖を踏み潰すかのように叫びながら駆ける。
  自分でも信じられない勢いで迫る巨大な壁を前にして今だけは身体の震えもなにもない。
  フォルキスが真っ直ぐに自分に向かってくるのと同じくアスナも彼に向かって駆けた。
「うおおおおおおおおっ!」
  叫びとともにフォルキスは今ある渾身の力を込めて、大剣を袈裟懸けに振り下ろした。
  対するアスナも彼の首に向けて剣を突きだした。
  しかし、鎧で動きを強化されているとはいえ、ただの十六歳の少年と歴戦の勇将とでは動きに違いが出て当たり前。
  アスナよりも早く放たれたフォルキスの大剣は、蒼の光に阻まれてアスナを両断せずに自身の刀身を二つに砕かれてしまった。ヴァイアス渾身の防御魔法がアスナを守ったのだ。
  それでも攻撃の全てを消し去ることは出来ない。肩口に鈍器で殴られたような衝撃を受けた。下手をすれば気絶してしまうほどの痛みであったが、アスナは必死に奥歯を噛みしめてそれに耐えた。
  それは決して分の良い賭けではない。
  だが、アスナはその賭けに勝利し、フォルキスの首の付け根に魔剣ガルディスを突き付けたのだ。ただの人族にフォルキスの纏う闘気を貫くなんてことは出来ない。
  しかし、ガルディスはありとあらゆる力の流れを断ち切る。それは闘気も例外ではない。
  幻想界では非力と言えるアスナでも、ガルディスを持ってならばフォルキスの首を貫くことが出来る。
「貴方の負けだ!」
  それは宣告であり、気を抜けば朦朧としてしまいそうになる自分を叱咤するためにもアスナは叫んだ。
「まだだ!」
  拒絶の声は拳となってアスナを襲った。それを避けることなど不可能。
  アスナは剣を突き付けたまま微動だにしない。いや、動けないのだ。
  その彼の代わりに動いたのはヴァイアスだった。彼は引き絞られたフォルキスの右拳が砲弾のように放たれようとした瞬間、上腕を切り落とした。
「もう一度言うぞ。貴方の負けだ! 貴方に残されている道はただ一つ。オレの所有物になることだけだ!」

 槍を交わすたびに生まれるマノアたちの周囲に生まれる水蒸気はサイナの制御下に置かれ、微細な水滴は間断なく彼女に襲いかかっていた。
  それは攻撃力を伴うものではないがマノアの集中を乱す一助となっていた。それでも状況はサイナに有利とは言い難かった。
「貴方の負けだ!」
  アスナの宣告はマノアたちの耳にも届いていた。
  二人は一瞬、対峙を止めそれぞれの恋い慕う者の方へと顔を向けた。今まさにヴァイアスの手によってフォルキスの腕が断ち切られていた。
「フォルキス様!」
  言葉はそれ以上出ず、マノアは形振り構わず立ちふさがるサイナの左脇腹を槍頭で突いた。すぐに槍を引くと槍杆、つまり柄の部分でサイナの首を打ち据えた。
  僅かな間とはいえ首を後ろに向けていたサイナはそれをまともに受け、倒れ伏した。
  彼女に一瞥くれることなくマノアは駆け出すとアスナに向けて、黒死槍を投擲した。
  元々、投げ槍ではないのだが彼女の意志が宿ったかのように炎を捲く槍はアスナに向かって飛んだ。

 飛来する黒死槍はしかし、アスナを貫くことはなかった。
  フォルキスの左腕がそれを阻んだのだ。貫かれた彼の腕を炎が焼くが彼は表情を変えることなくアスナを見ている。
「フォルキス様、どうして!」
  悲痛とも思えるマノアの声にも彼は振り向くことはなかった。
  闘気で守られ、黒死槍の炎を抑え込んだとは言え、彼の腕の皮膚は剥け、膨れ上がっていた。激痛に叫んでも不思議ではない。なのに彼は一言も苦悶の声を漏らすことはない。
「所有物にすると?」
「あぁ、勝者は敗者を自由にする権利がある。だったら、オレは貴方を自分の物にする」
  現代ではそうあることではないが、敵将を自分の所有物とすることはままあったことである。数ある英雄譚でもそうして腹心を得た者が語られたものもある。
  もちろん、実際の戦争で敵将を所有物にするなどほとんどあり得ない。
  だが、皆無ではないのだ。アスナはそのことを騎団の団員たちから夕飯時の四方山話で何度もその手の話を聞いた。アスナがこんなことを思いついたのはそれが遠因だった。
「敗北とオレの所有物になることを認めろ!」
  動きはない。そして、あるのは沈黙のみ。
  蒼天と大地の狭間で聞こえるのは遠雷の如き戦場の声。
  アスナは黙ってフォルキスの応えを待つ。もし、否であれば喉元に突き付けた魔剣ガルディスで彼の命を奪わなければならなくなる。
  それは、フォルキスを所有しようという権利とともに与えられた義務だった。
  リムルの応急処置を終えたエルトナージュがぼろぼろの衣服を外套で隠しながら姿を見せた。もはや自分に手出しできる状況にはないことを悟り、黙って成り行きを見守っている。
  やがて、フォルキスはアスナに小さく問いかけた。
「一つ、お聞かせ願いたい。殿下はなぜここまでして敵将である私を欲しがるのです」
  未だに消えることのない挑む者としての目が見据える。
  アスナは自分の方が喉元に剣を突き付けられているような気がした。しかし、決して目をそらすことはしない。アスナのジイさんの教えなのだ。
  睨み合った以上、先に視線を外した方が負けだ、と。
  だから、絶対に自分からは逸らさないとばかりに睨み返すと、アスナは言い放った。
「幻想界を統一するためだ!」
  エルトナージュたちの思いももちろんあるが、最終的に帰結するのはこの言葉なのだ。
  幻想界の統一。
「そのために貴方をオレの物にする。誰にも文句は言わせない」
  二人の睨み合いはフォルキスが俯くことで全てが決した。彼は跪くとアスナに対して頭を垂れた。
  言葉はない。しかし、彼の態度が全てを物語っていた。
  アスナはそれに魔剣ガルディスを鞘に収めることで応えた。
  やがて、フォルキスは身を起こすと勝者と蒼き空を讃えるように高らかに歌い出した。
  歌の名は「豊穣の季節(とき)」。
  それはラインボルト国歌であり、初代魔王リージュが最も愛したといわれる実りを喜ぶ歌。
  フォルキスの歌声にアスナの側にいたヴァイアスが苦笑しながら、それに加わった。
  二人の歌声はアスナの護衛部隊と包囲を突き抜けてきた第二魔軍の将兵に届いた。それが何を意味するのか察した彼らはお互いの武器を収めて二人の唱和に加わった。
  やがて、それは全軍に広がり何度も、何度も唱和が続く。
  それは勝者のみがあげる凱歌ではない。勝者も敗者もなく内乱が終結し、ラインボルトが再び一つとなったのだと歌声が響く。
  ファイラスの地に響く歌声は高らかに告げる。
  ここに、内乱は終結したのだと。



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