第三章

第一話 鉄板会議


 晩餐を一緒にしよう。
  今朝方、何の前触れもなくエルトナージュに届いた招待状に書かれた一文だ。
  修辞もなにもないあまりにも簡潔すぎる用件のみ書かれたこれに彼女は頭痛を覚えた。仮にも招待状なのだから、それなりの体裁を整えろと言いたくなる。
  送り主はエルトナージュへの気安さを表したつもりなのかもしれないが、とても女の子に宛てて出す招待状ではない。全くもって不作法極まりない。
  このような唐突なことをする人物は彼女の周囲ではただ一人。アスナだけだ。
  へたくそな本文の字に比べて、アスナの署名だけは妙に奇麗だ。それだけで彼が日々、署名をし続けていることが伺える。
  考えてみればアスナは幻想界の文字を修得している最中だ。今の彼ではこれが精一杯。言葉を飾る余裕などないのだろう。
  それでも、だ。招待状なのだから、字の上手い秘書官に書かせれば良いだろうに。
  それは恥ずべきことではない。むしろ、そういった雑事も秘書官たちの仕事の一つなのだから。
  さらに一歩進めて考えれば、自筆での招待状をもってアスナのエルトナージュへの誠意なり、好意なりを示していると読みとれるのだが彼女は敢えてそこまで考えを進めようとはしなかった。
  正直に言えば、アスナの存在を持て余していた。
  嫌われていると知りながら、自分に向けてくる好意に。
  どのような意味合いのものであろうとも好意を向けられるのは悪い気はしない。むしろ、彼を利用するには好都合だ。嫌われていても味方をするとまで言ったのだから尚更だ。
  アスナには利用価値がある。内乱を終結に導いた功績と名声やLDを軍師として有していることだけではない。彼自身は自覚していないが、文官を大切にしている姿勢が軍の増長を抑えることに功を奏している。また、頻繁に旧革命軍側の将兵の様子を尋ねるので不当な扱いを極力許さないような空気を作り出していた。
  こういったことは内乱中、革命軍と敵対していたエルトナージュには出来ない。どうしても宰相派に有利な状況を生みだしてしまう。
  対してアスナは宰相派を用いて内乱を鎮めたが実際に用いたのは軍とは独立した近衛騎団だ。その近衛騎団は内乱において最大級の戦功を掲げている。
  第三魔軍も大きな功績を挙げたがファイラスでの決戦を前にしてリムルの独断専行によって幾らか霞んでしまった。
  宰相派は勝者に違いないが、アスナの前でそれを誇れる者は誰もいないのだ。そして、そのアスナが旧革命軍との融和の旗振り役をやっている。
  軍務省が立案した再編成計画よりも随分と早く進捗しているとの報告を受けている。
  当人は何もしていないと思っているかもしれないが、しっかりと周囲に影響を及ぼしている。
  エルトナージュもそういった点ではアスナの存在を渋々ながら認めている。
  ラインボルトを取り巻く状況を鑑みれば、アスナを排除出来ない。ならば、積極的に利用すれば良い。理屈ではそう分かっていても行動に移れない。
  人族に対する忌避感からアスナを使いたくないと彼女は自分に言い訳していた。
「…………」
  窓に視線を向ければすでに陽が暮れ、時の刻み手はじきに六時半を示そうとしている。
  招待状に記された時刻は七時。アスナの招待を受けるのならば、もう執務室を出ていなければならない。
  ……どうしよう。
  執務机に広げられた書類を見るでもなしに眺めながらエルトナージュは迷う。
  出席すればアスナと晩餐だ。対面に座った彼と言葉を交わしながら一時を過ごすことになる。そうなれば容易にどんなことになるか想像できる。
  必死に取り繕った表情や態度を崩され、睨み付けても彼は困った笑顔を浮かべながら受け取りがたい好意を向けてくるに決まっている。正直、困る。
  では、辞退すれば良いのだが、それはそれで面倒なことになるのは目に見えている。
  体調不良を理由にすれば、お節介にも見舞いに来るかもしれない。それよりもアスナに体調管理もできないと思われるのは癪だ。
  ならば、仕事が残っていると言うのはどうだろう。宰相という立場は執務時間が正確に決まっているようなものではない。良い考えに思えたがすぐに却下する。
  変なところで用意周到なアスナのことだ。本日中に処理しなければいけない緊急の案件がないことを調べていることは十分に予測できる。だったら……。
「なんでさっきから逃げることばかり考えてるんだろ」
  ため息が漏れる。悩むべき懸案は他に山積しているというのに今のエルトナージュにとって最大の問題はアスナとどういう関係になるかであった。
  どうしても、彼を前にしようとすると無駄に虚勢を張ったり、及び腰になる。
  彼女自身、そんな自分を持て余していた。
「何なのよ、本当に」
  八つ当たり気味にエルトナージュは机に置かれた招待状を指先で弾いた。二つ折りに畳まれた招待状が開き、アスナの汚い字を見せつけてくる。それが妙に憎らしい。
  コンコンッ、と軽快なノック音が響いた。耳に馴染んだ調子に何となく誰が来たのか分かったような気がする。
  どうぞ、と入室の許可を出すと執務室に顔を出したのは予想通りのミュリカだった。
「こんばんは、エル様。お迎えに来ましたよ」
  敵はさらに上手だったようだ。昔からエルトナージュはミュリカを邪険に出来ない。
  小さく吐息をすると彼女は執務机に広げていた書類を纏め始めた。
  ミュリカを言い訳にして、エルトナージュはアスナからの招待を受けることを決めたのだった。
「あれ、今日はとっても素直ですね」
  意外だとばかりにミュリカは驚いてみせる。手にはトートバックを提げている。
「いやだと言っても、なんだかんだと理由を付けて引っ張っていくつもりなんでしょう?」
「ははははっ。そうなんですけどね。それじゃ……」
  持ってきていたトートバックを執務机の上に置き、中から白い長袖のTシャツに水色の襟が広いTシャツ、明るい焦げ茶のリボンスカート、緩めのロングソックスが並ぶ。そして、白のブラジャーも用意される。
「これに着替えて下さい」
  並べられた服は、以前ミュリカが街にヴァイアスと遊びに行った時にエルトナージュへのお土産にと買い求めたものだ。一度は袖を通したがあまりにも自分らしくなくてタンスの肥やしになっていたはずだ。
「べ、別にこのままでもいいでしょう?」
「ダメですよ。アスナ様から出来るだけ楽な服で来て欲しいって言付かってますから」
  回りが気楽な格好なのに一人だけドレス姿なんて浮きますよ、などと言いながらミュリカは有無を言わせずにエルトナージュを立たせる。
「だけど、わたしにはこっちの方が自然だから……」
「はいはい。それじゃ、失礼しますね〜」
  ミュリカはエルトナージュの背後に回ると胸元から腰までを締める紐を解き始める。
「ミュリカ! だから、わたしは……」
「恥ずかしがらなくても大丈夫です。とっても似合ってるんですから。それに一度しか袖を通して貰えないのはこの服も可哀想です」
「そ、それはあの後、すぐにお父様が倒れられてわたしたちの周囲も慌ただしくなったからで」
「だったら、今日が良い機会です」
  墓穴を掘ってしまった。考えてみれば真面目な話以外でミュリカに口で勝ったことは一度もない。エルトナージュは諦めのため息を小さく漏らした。
「あれ、今日はなんだか諦めが良いですね」
「どうせ引っ張って行かれるんなら、遅刻するようなことしたくないからよ」
「それはそれは。だったら手っ取り早く済ませなくちゃいけませんね」
  ミュリカは馴れた手付きでドレスの紐を解くと花びらから花心を露わにするように、白くほっそりとした肩をなぞりながら脱がしていく。
「エル様の肌。相変わらず白くて奇麗ですよね。手触りもとっても滑らかだし。同じ美容品使ってるのに何でこうも違うんだろう?」
「ミュリカだってとっても奇麗な肌をしていると思うけど」
  心持ち赤面しながらエルトナージュは返す。
「ありがとうございます。だけど、素材の差は大きいですよ。あぁ、もう羨ましいなぁ」
  そう言いながら彼女の手はエルトナージュの脇に滑り込み乳房を保持する金属を取り外す。胸と腰に取り付けられたこの金属は内に小さな防御用と重量軽減の魔導珠が埋め込まれている。有事の際にはここから防御魔法が展開され、上半身と下半身を守ってくれるようになっている。ちなみにこれらはコルセットとガーターに取り付ける形となっている。
  護身具の取り外しと分かってはいるが、ミュリカの手付きはいつも妖しい。背後から手を回されて触れられているとどうにも赤面を禁じ得ない。彼女の作業はいつも丁寧で優しいので文句を言う訳にもいかず困ってしまう。何度かカチンッと取り外しの音が小さく鳴り、ドレスの襟の部分がずれて胸元に溜まる。そして、恒例であるかのように漏らすミュリカのため息を背中に感じた。
「エル様。またちょっと立派になってる」
「…………」
  恨み言のような呟きに冷や汗が浮かぶ。
「やっと追いつけたと思って喜んでたのに。ずるい」
  そんなこと言われてもエルトナージュにはどうすることもできない。ミュリカに助言出来ることがあるとすれば規則正しい生活ぐらいだ。いや、些か特殊だが軍隊生活をしているミュリカはエルトナージュよりもその方面では優秀だ。むしろ、最近のエルトナージュの生活は微妙に不規則だ。宰相としての処理すべき仕事が山積しているのだから当然だ。
  では、他に何か言えるようなことはあるか。食生活や運動などはどうだろうか?
  これもミュリカの方が色々と気を遣っているはずだ。何しろエルトナージュは豊胸のために特別に何かしている訳じゃないんだから。言えることがあるとすれば。
  ……素材が違う。なんて言えるわけないじゃない。
「って、ミュリカ! 何を勝手に人の胸を触ってるのよ!」
  いつの間にかコルセットまで外して、持ち上げるようにしてエルトナージュの胸を触っている。
「エル様の奇麗な胸に触ってあやかろうかなあって」
「わたしの胸はどこかのご神体じゃないわよ!」
「あはははははっ」
  心底、楽しそうに笑うミュリカに「まったく」と眉を顰めるエルトナージュだったが内心では彼女の笑顔と同じくとても楽しかった。
  こうやってミュリカと何でもないことでじゃれ合うなんて本当に久しぶりのことだから。
「アスナ様とのこと、どうするのか本気で考えた方が良いですよ」
  ミュリカがぽつりと呟いた。
「……え?」
  絨毯の上に膝を着いて椅子に腰掛けるエルトナージュに靴下を履かせる手を止めることなくミュリカは言葉を続ける。先ほどまでと声音が全く変わっている。真剣だ。
「正直に言えばアスナ様は危険です。上手く言葉にするのが難しいんですけど、周囲に誰がいるかで変わってしまう方だと私は思います」
「君側の奸は常にどこでも……」
「そういう意味じゃないです。良くも悪くも感化されやすいんです。行軍中、こっそりと私たちにどんな主だったら近衛は喜んでくれるか尋ね回ってました。普段はエル様もご存知の通りあんな方ですけど、公の場だと一変します。ご本人は一生懸命やせ我慢しているだけだって仰ってます。だけど、あれは私たちがお話しした歴代魔王の武勇伝なんかに影響された結果だって私は見ています」
「…………」
「今も内乱中と変わりません。あの頃はヴァイアスや上級指揮官の姿勢や武勇伝を元にして新しい自分を作り上げたように、今はエル様や大臣方を見てどういう態度が相応しいのかを考えてらっしゃるはずです」
  多分、意識はしてないでしょうけどね、とミュリカは困ったような笑みを浮かべた。
  少し緩めに靴下を履かせ終わると次はスカートと同色の革靴を履かせる。
「もしこのままエル様とアスナ様が上手くいかないようなら、間違いなく周囲の誰かがエル様を罷免するようアスナ様に言うでしょう」
  国政は遊びじゃないのだから当然だ。そして、宰相になりたいと思う者は幾らでもいる。
「その後に誰が宰相になるのか分かりませんけど、まず碌なことにはなりませんよ。誰だって武勲の誉れ高いアスナ様の顔色を窺うようになるでしょうし、アスナ様の方もそんな者たちを信頼するはずがありません。このまま内乱の後遺症を引きずることになるかも」
「わたしにどうしろって言うのよ」
「何も。わたしはエル様は好きなようにすれば良いって思ってますよ。国のために我慢しようとしてもエル様の性格だとやっぱり碌なことにはなりませんし。だけど、一つだけ言えることがあります」
  右の靴を履かせ、奇麗に靴紐を結ぶ。次は左の靴だ。
「アスナ様はエル様の味方です。それだけは絶対に信用出来ますよ」
「なんでそこまではっきりと言えるのよ」
  左の靴も履かせ終わったミュリカは満面の笑みをエルトナージュに見せた。
「私もアスナ様もエル様のことが好きだからに決まってるじゃないですか」

 アスナの私室は王の私的な空間である後宮の中で最も過ごしやすい場所にある。まだ仮ではあるがこの城の持ち主なのだから当然の権利と言えるだろう。
  だが、それだけに色々と問題もあった。晩餐の会場であるアスナの私室はつい先ほどまでエルトナージュが仕事をしていた宰相府からはそこそこ歩かなければならない。
  ……私服で、である。
  宰相府に突如現れた私服の少女二人に職員たちは面食らった。それがエルトナージュとミュリカだと判明した瞬間、驚愕の表情を浮かべるのだから内心、彼女は不安であった。
  ……そんなに変かしら。
  決して、変なんて事はない。ミュリカが着替えの際に誉めた通りよく似合っている。ただ、普段のエルトナージュの印象からかけ離れすぎていた。
  人から注目を集めることに馴れてはいるがどうにも居心地悪い。
  いつもの威厳はどこにいってしまったのか、ミュリカの影に隠れるように歩いている。俯き気味の顔は朱に染まっている。どこからどうみても年相応の可愛い女の子にしか見えない。
  一方のミュリカは堂々としたものである。
  たまにヴァイアスと連れ立って街に遊びに行くのでこういった服装に馴れているからかもしれない。どちらにせよ普段とは違う服を着替えさせられたせいで自分が自分じゃないような気がしてならなかった。着替え終わった後で姿見の前に立たされたとき見知らぬ他人が映っているような気すらしたほどだ。
  エルトナージュはアスナの招待を受けたことを後悔し始めていた。こんな格好で彼の前に出たらなんてからかわれるかわかったものではない。
  そもそも、何故自分がこんな気分になるのか分からない。取りあえず、彼女は全てアスナのせいにしておくことにした。
  長い道のりを経て、ようやくエルトナージュはアスナの私室前までやってきた。ここに到着するだけで一気に疲れてしまった。
  そんなエルトナージュを楽しげに見遣ると、ミュリカは軽快な調子でノックをした。
「は〜い」
  返事から数秒。ガチャッとドアが開き、顔を出したのはアスナだ。
  黒のシャツにベージュのパンツといった出で立ちだ。胸元が少し膨らんでいるのはエルトナージュから貰ったペンダントをしているからだろう。
「……へぇ〜」
  感嘆の声を上げながらアスナはエルトナージュたちの出で立ちに魅入った。
「な、なんです?」
  虚勢を張るような声を出すエルトナージュにアスナは破願する。
「いや、うん。その服、似合ってる。ドレス姿も格好良いけど、今の方がずっと可愛いかな」
「なななっ!?」
  エルトナージュが何か言う前にミュリカは彼女の背後に回って前に出す。
「ですよね。エル様、可愛い服も似合うのにいつも大人っぽい服ばっかりなんですよ」
「ってことは、今のはミュリカの?」
「私からのプレゼントです」
「やるなぁ、ミュリカ。今度、エルを引っ張って街に遊びに行くとかしたいかも」
「良いですね。エル様って出不精だから丁度良いです」
「そっか。だったら……」
「おーい、立ち話なんてしてないで中に入れてやれよ」
  部屋の奥から声が来た。ヴァイアスだ。
「まぁ、この話は後でゆっくりするとして……」
  そう言ってアスナは半身を開き、執事たちがやるように胸に手を当てて一礼をする。
「どうぞ、お姫様方。今宵は私の招待に応じて頂きありがとうございます」
  冗談でもなく二人はお姫様である。エルトナージュとミュリカはスカートの裾を持ちアスナに一礼すると、
「ご招待下さり、光栄に存じます。変わった趣向があるとミュリカより伺い、楽しみにしていました」
「それはなにより。確かに料理も含めて変わった趣向だから二人も楽しんで貰えると良いな」
  とアスナは言うと部屋の奥へと足を進めるよう促した。
  どういうこと、とミュリカに視線を向けたがどうやら服以外のことは彼女も聞かされていなかったようだ。王城で用意したものだからそう驚くようなものはないだろうとエルトナージュは歩みを進めた。そして、彼女たちの目に入ったのは、
「……はい?」
  鉄板とLDである。
  六人掛け出来る大きめのテーブルの中央にデンッと鉄板が鎮座し、これに対抗するように下座の席にはLDが腰掛けている。居心地悪そうに席に着いているヴァイアスが目に入らないほどの変な光景である。
  テーブルに鎮座する鉄板にはすでに脂がひかれているためか黒光りし、微かな揺らぎをみせて自分が持つ熱を誇示しているように見える。
  対するLDは泰然自若。静かな冬山の如く腕を組み、瞑目したままだ。冷たい銀糸の髪と相まってその印象を強くしている。普段から纏っている黒の長衣姿であることもその一助となっている。
  誰も予想だにしなかった光景にエルトナージュとミュリカは固まってしまった。
  本来ならばヴァイアスのように白シャツに赤いネクタイ、そしてジーンズという気楽な格好が普通なのだが、この光景の中ではLDの姿こそが正しいように見えてしまう。
「……鉄板とLD」
  思わずエルトナージュはそう漏らしてしまった。
  この部屋の有様を一言で表すのならばこれ以上の言葉はない。
  鉄板とLD。これ以上にないのである。

「はははははははっ」
  鉄板とLD。
  彼を部屋に招いて準備の整った椅子に座らせた時に頭に浮かんだことと同じだった。
  ヴァイアスにはまた別の意見があるようだが、アスナにはこれ以上の言葉は見つからなかった。
「それ、オレも頭に浮かんだ。なんかLDに似合わないよな」
「それは……まぁ」
  アスナと同じことを思い浮かべてしまったのが不服なのかエルトナージュは少しだけ頬を膨らませた。それが可愛くてアスナはさらに機嫌良く笑う。
「見せ物にするつもりで呼んだのなら、これで失礼するが」
  不愉快極まりないとばかりの口調のLDをまぁまぁとアスナは宥める。聞けば及び腰になるだろう声音にも関わらず平気な態度だ。
「怒らない怒らない。ネタにされるのも人徳の一つなんだしさ」
「ならば、誰彼構わず玩具にするのも君の人徳ということか?」
「誰でもって訳じゃないさ。ちゃんと弄って面白い人だけで遊んでるんだから」
「全く厄介な性癖の雇い主に仕えることになったよ」
「それもまた運の尽きってことで」
  やれやれとLDは小さく首を振った。
「さてと、それじゃ始めよっか。……あぁ、悪い。忘れてた」
  空席の隣で立ったままのエルトナージュに詫びるとアスナは椅子を引いた。すでにミュリカはヴァイアスの手で彼の側に陣取っている。こっそりと彼の短めのネクタイを直しているのが微笑ましい。
「さっ、どうぞ」
「ありがとうございます」
  ようやく腰を落ち着けることが出来たエルトナージュは憮然とした表情のまま熱せられた鉄板を睨むLDを見遣る。
「なぜ彼がここに?」
  小声で隣のアスナに尋ねる。彼の存在に違和感を感じてしまうのだろう。
「もちろん、招待したからに決まってる。何だかんだでまだ一緒に御飯したことなかったからさ。せっかくだから一緒にご招待って思ってさ」
  そう言うとアスナは別のテーブルに用意していた瓶を手にして、それぞれのグラスに手ずから注いでいった。瓶の中身は弱い果実酒だ。
「それじゃ……」
  グラスを持ち上げる。エルトナージュたちも同じようにグラスを手に取る。
「かんぱ〜い」
  口にした果実酒は口当たりが良く、弱いものだ。LDには物足りないだろうがあまり酒精に強くないアスナにはこれぐらいが丁度良い。それにLD用に少し強めの酒も用意しているから問題ないだろう。
「一通り用意したから焼けたものから好きに食べていってくれ」
  言いながらアスナはお玉を突っ込んだボールを手にした。ボールの中身をお玉で掬い、鉄板の上に乗せていく。脂の弾ける音が妙に楽しい。
「……それは?」
「今日の主菜はお好み焼き。幻想界(こっち)にも似た料理があるかどうか知らないけど、少なくともエルはこういうの食べたことないだろ?」
「そう、ですね」
  未知なる食べ物を前にしてエルトナージュは難しい顔をする。
「LDは?」
「私もないな。野菜や肉を小麦粉に混ぜ込んで食べるのは初めてだ」
「そっかそっか。万が一、お好み焼きが気に入らなかったとしても肉とかソーセージとかも用意してるから心配しなくても良いからな」
  と、人数分鉄板にお好み焼きを作ると残った隙間にソーセージを置いていく。
「ヴァイアス、火加減ちょっと弱くして」
「了解」
  魔導珠の扱いにまだ不慣れなアスナに代わって火の番はヴァイアスがやっている。
「みんなに食べて貰いたいってのだけじゃなくて、たまにはこういう雑な料理が食べたかったんだ。ほら、城の料理はどれも手が込んでるだろ?」
  そう言う割にアスナの作ったお好み焼きも相当手が込んでいる。
  小麦粉、キャベツ、鶏の胸肉は元々王城の厨房にあったが所謂、お好み焼きソースがなかったため、それに近いソースの味を調整してソースを作った。それと同時に生姜の甘酢漬けも作っていた。ただ、鰹節と青海苔が無かったのはアスナとしては非常に残念だった。
  あれば生地にも旨味を加えることが出来たのだが。つくづく和風出汁の素は日本料理には欠かせないと痛感した。
  また、現在も先に茹でていたスパゲッティをお好み焼きソースで炒めて、それをオムそばにして各人の皿に載せた。焼き上がるまでこれを摘んでいようということだ。
「相変わらず、こういう時は色々と手際が良いよなあ。しかも、美味いし」
「そこはほら、幻想界に来るまで日常的にやってたことですから。それに久しぶりだからちょっと気合い入ってるし。……味の方はどう?」
  口に出していないが、今日の主賓はエルトナージュだ。
「美味しい」
「良かった。お好み焼きもこれと同じソースをつけて食べるから大丈夫だな」
  と、アスナは心からの笑みを浮かべた。
  焼き上がったお好み焼きは好評だった。馴れない味に皆、最初驚いたようだったが二口、三口目からは口に運ぶ勢いが増した。
  雑なお好み焼きと美人さんであるLDというどうにも不釣り合いな光景をからかったり、お好み焼きをナイフとフォークで上品に食べるエルトナージュはやっぱりお姫様だと思ったり、和やかな雰囲気のまま食事は進む。
  全員が二枚目のお好み焼きに手をつけ始めた頃、ポツリとアスナが呟いた。
「ここでちょっと相談があるんだけど」
  四人の視線がアスナに集まる。それぞれの顔を順番に見るとアスナはソースの付いた口元を釣り上げて不敵に笑った。
「ラインボルトのこれからをどうしよっか」
『…………』
  唐突なアスナの言葉に全員の動きが止まった。鉄板が弾く脂の音だけが耳に届く。それが妙に現実味を感じさせるのが可笑しい。
  アスナはニヤリと笑って目を丸くする全員を見回す。
  不意打ち成功。やっぱりこういうのは面白いとアスナは実感した。
  惚けたようにソーセージをくわえたエルトナージュに笑みを見せると大きく頷く。
  パリッと食欲をそそる素敵な音を立てて彼女はソーセージを噛み切る。
「ラインボルトのこれからをどうするかを話すには些か不真面目だな」
  と、LD。視線を移せばナプキンで奇麗に口元を拭いている。
「だが、アスナに限ればこれ以上に相応しい場はないと思えるのは何ともしまりのない話だが」
  そこまでいうとLDは自分の口元を指さした。慌ててアスナも口元を拭う。
「真面目な顔を突き合わせるのも良いだろうけど、どうせなら美味いもの食べながらの方がいいだろ」
  気分を改めるためにもお茶を飲んで、口の中をスッキリさせる。
「それに今日、みんなを招待したのはこういう話がしたかったからだしさ。さすがになにもなしにこの面子を集めるのは注目集めるだろうしさ。ただの食事会だって思われるように自分で夕飯の用意をやったりした訳だし」
「ウソつけ。趣味と実益を追求しただけのくせに」
  呆れ顔でヴァイアスが突っ込む。
「まぁ、そうなんだけどさ。ということで作戦会議を始めよう。エルも良いよな」
「え、えぇ。ですが、すでに各省庁は事態を収めるために動いています。ここで方針を転換するのは……」
「ちょっと待った、エル姫。アスナ、そういう話をするのならオレとミュリカは席を外す」
「なんでさ?」
「あのな、アスナ。俺たちは近衛だ。近衛騎団は政治に口出しをしない。ただ、魔王の剣であり、盾であることを誇りとしている。これからの話は近衛として口出しはもちろん、耳に入れるわけにもいかない」
「革命軍に反撃する作戦を立てるのは手伝ったくせに」
  ボソッと呟いたアスナの一言にヴァイアスは硬直。
「あ、あれはお前に剣を捧げた臣として助言をしただけで」
「だったら、今も問題ないだろ。ヴァイアスはオレの臣下として、ミュリカはエルの妹分として意見を言ってくれれば良いんだから」
  それに、とアスナは背もたれに身を預けて二人を見る。
「仲間はずれにしたら後で拗ねるくせに」
「んなことあるかっ!」
「ヴァイアス、本当の事だからって興奮しないの。けど、アスナ様。私たちがそういう話の席にいるのは本当にいけないことなんですよ。近衛騎団の独立性の問題にも抵触しますし。ここで話したことが外に漏れなくても何度もこういう会合を開けば感付く方も出るでしょうから。そうなれば、近衛騎団はちょっと困った立場になります」
  と、言い募ろうとしたヴァイアスを抑えてミュリカはアスナに諭すような口調で言った。
  困ったことになった場合、アスナは近衛騎団を庇うことが出来るのかという意味を含めて。
  アスナはそれを間違えることなく汲み取ったことを示すように頷いて見せた。
「大丈夫。忘れたのか? もうすぐ二人とも演習に行くんだぞ。こうして一堂に会するのは今日だけ。感付かれるようなことにはならないさ。それに万が一の時も心配しなくても良い。オレはオレを信じてくれる剣と盾を絶対に裏切るようなことはしないから」
  それにさ、こういうのって何か悪巧みしてるみたいで面白いだろ? と続けた。
「ったく。分かったよ。近衛騎団団長としてじゃなくて、ただの俺として話を聞く。これで良いな。ミュリカもそれで良いか?」
「えぇ。話に勢いがつきすぎないように監視しないといけませんもんね」
  と、ミュリカはエルトナージュに目配せし、話のバトンを彼女に返す。
「話を戻して、貴方は今の政府のやっていることが気に入らないということですか?」
  現在、ラインボルト政府を統率し、方針を決定したのはエルトナージュ自身だ。しかし、言葉に冷たいものはない。むしろ、アスナが何を考えているのか探るような声音だ。
「いや、そんなことない。それぞれにやってることに文句はないよ。内乱の後始末に関しては本当に頑張ってくれてると思う」
  避難民の問題も未解決ながらも帰還できる者は戻り、戻れない者には可能な限り、避難先での定住などの支援がなされている。また、国内の物資不足を解消するために様々な政策がとられ、治安維持政策も積極的に行われている。地域によって復興の進捗度は異なるものの全般的には順調と太鼓判を押して問題ない。
「なら、外交問題ですか?」
「そう。なんか弱腰に過ぎると思うんだ」
「それは貴方の思い過ごしです。全ての交渉は硬軟取り混ぜて行っていますから」
  違う違う、とアスナは骨付き肉を刺したフォークを振りながら否定する。
「交渉のやり方に文句が有るんじゃないんだ。上手く言えないんだけど出来るだけ穏便に丸く収まるようにしてるって感じるんだ」
「それはそうです。今のラインボルトに強硬路線に動くための余裕はありません。それは分かっているでしょう」
「うん。分かってる。それはそれで間違ってないんだけど、今のゴタゴタした状況って逆に好機だと思うんだ。オレたちの最終的な目標は幻想界統一なんだからさ」
「…………そう、ですね」
  幻想界の国際情勢は非常に流動的だ。それはラインボルトが内乱によって力を減じたことだけが理由ではない。むしろ、昨今の国際的な注目はリーズ、アクトゥス間にある領土問題の激化だ。十年に渡って交渉が続けられているが、その間にリーズ国内で武断派が勢力を持ち始めており、戦争の回避は難しいだろうとの見方が有力だ。
  その証拠に昨今、両大国は周辺諸国の取り込みに躍起になっている。言うなれば国家間の勢力が再編成されようとしている。
  エルトナージュはこれに極力参加せずに力を蓄えることを考え、アスナはこれを機にラインボルトの勢力拡大をしようと言っているのだ。
「それで思うんだけどさ。幻想界統一って言っても戦争やって色んな国の領土を分捕るよりもこういう機会を利用して発言力とか影響力とかを大きくしていった方が楽だと思う。自分の国の内乱の後始末だけでもこれだけ忙しいのにそこら中で戦争なんかやってたら恨みばっかり買って得られるものは殆どないだろうし」
「だが、君の言う絶対的な発言力を今のラインボルトが持つことは不可能だぞ。これは内乱前からそうだ。五大国が有する国力が均衡していたからこその現在の五大国体制なのだからな」
  と、LDは言う。五大国中、最も豊かなリーズでも他の大国に対して圧倒的な優位ではない。
「うん。それは分かる。だから、どうしてもどこかの国を併合する必要がある。それでどうせ戦争やるなら出来るだけ楽をしたい」
  そこまで言うとアスナは二枚目のお好み焼きを平らげる。すぐに三枚目に突入するか少し悩むが、話を進める方が先だと思い、アスナは隣席のエルトナージュに視線を投げる。
「こんな風に考えてるんだけど、どうかな?」
  この場でアスナが同意を求めるべき相手は彼女一人だ。
  ヴァイアスとミュリカは不承不承この場に残っているがあくまでも助言者としての立場だ。LDは雇い主であるアスナが方針を決定したらそれに沿った方策を提案する立場。
  国家としての方針に口出し出来るのはこの場ではアスナとエルトナージュのみだ。
「…………」
  国家再建や外患の排除といった短期的なものならばアスナも文句はない。だが、今のラインボルトには中、長期的な国家戦略が見えないと言いたいのだ。
  政府内でも幾つか案が出たが明確な発起人となるべき人物がいないため、本格的な検討は為されなかった。アスナを旗振り役に据えて今後の長期戦略を検討すれば良かったのだが、エルトナージュの忌避感が短期目標である国家再建を優先させてしまっていた。
「何か具体的な案があるのですか?」
「具体的ってほどじゃないけど。一つある。アクトゥスと同盟を組むんだ」
「現状でも苦しいのにさらにリーズとの問題にも口を挟むつもりですか?」
「ゴメン、ちょっと言葉足らずだった。結果的にはリーズと睨み合うことになるだろうけど、そんなに酷いことにはならないと思う。ラインボルトもアクトゥスも大国だよな。ってことはその周りには友好国とかそういうのがあるはずだ。そういうの全部ひっくるめて一つの同盟を組めばかなりの勢力になると思う。幾ら強いリーズだって、何の準備も無しにラインボルトとも戦争やりたいとは思わないはずだ。やる気だとしても準備に時間をかけるだろうから、その間に国の建て直しが出来るんじゃないかって思うんだ。それに同盟の名前でエイリアとロゼフとの交渉がかなり有利に運べると思う。どうかな?」
「その案は何度か政府内でも出たことがあります」
「何かこの案に拙いところってあるのか?」
  ティーカップを見つめていたエルトナージュが小さく頷く。
「ラインボルトとアクトゥスの大同盟に対抗して、リーズとラディウスが同盟を組む可能性があります。両国ともに離れていますから互いの利害が一致しやすいですから。それともう一点。サベージの動向です」
  五大国の一つ、獣王の国サベージの主要三種族のうち天鷹族と聖虎族は親リーズ、ラディウス派に属している。また、現在の獣王は聖虎族だ。
「あぁ、そっか。場合によってはリーズ、ラディウスの同盟にサベージが参加するかもしえないのか。ゴメン、そこまで考えてなかった」
  ため息一つ。自棄食い気味に三枚目に手を伸ばす。少し焼きすぎたのか底面がカリカリしている。だが、それも趣深し。
「今の状況は取っ掛かりになると思うんだけどなぁ」
  皿に取ったお好み焼きはソースが余剰に多すぎる。ソーセージを二本確保して、それにつけて食べる。肉汁たっぷりである。
「だが、その考えは悪くない」
  LDだ。箸休めなのかサラダを食べている。手にしたフォークにはプチトマトだ。
「どのような形であれ幻想界を統一するのならば、アスナの言うとおり現状を活用しない手はない。その同盟相手としてアクトゥスは最良だろう」
「では、貴方も彼の意見に賛成だと言うのですか、LD」
「その通りだ、姫君。雇い主が順当な判断をするのならばそれを支持するのが傭兵というものだろう」
  と、プチトマトを口にする。気に入ったのかさらにもう一つ。
「確かに姫君が想定した通りのことが起きると私も推測している。だが、私は幾らか楽観視している。ラディウスの経済は破綻寸前だからだ」
「破綻って、一応五大国の一つだろ? そんなことになる前に財務官僚とかが色々と調整したりするような気がするんだけど」
「だが、その威光が通じるのは王家の領地である天領と商人たちだけだ。確かにラディウスの国土は広大だが、その全てを王家が自由に使うことが出来ない。貴族の領地がかなりある。国の経営に使える金は意外なほど少ない」
「だけど、その少ない金でラディウスは動いていたんだろ。それって何か変じゃないか?」
「だからこその領土拡大だ。連中の領土経営方法は単純にして明快だ。奪い取った領土の住民全てを農奴にして搾り取れるだけ搾り取ることで国を保ってきた」
  農奴にしてしまう理由はそれだけではない。領地経営を行う官僚の不足と統治能力のない新領主が楽に領地経営が出来るようにするためという側面もある。
「領土拡大が頭打ちになりつつあることが貴方の根拠ですか。LD」
「その通りだ、姫君。新領地の住民を次々と農奴にしていれば不満は溜まる一方だ。そのはけ口として武功を立てれば平民の出であれ、農奴の出であれ貴族に取り立てられるが、それではもう抑えきれないところまで来ている」
「だからこそ仇敵のラインボルトと事を構えて国民の目を逸らそうとするんじゃないのか?」
  口に入れたお好み焼きはどうやら当たりだったようだ。鶏肉が密に入っている。
「その可能性はもちろんある。だが、ラディウスはすでに幾つかの戦線を抱えている。そこに新しくラインボルトと事を構えても返り討ちに会うだけだ。あの国は武に偏重しているが、それだけに勝てない戦は避けるはずだ。ラインボルトが相手となれば王家と言えども、十二公爵家の同意が必要になる。だが、ムシュウ侵攻が失敗に終わった以上、ラインボルトへの本格的な侵攻はないと見ている」
「面子とかそういうので意固地になって動き出すことは?」
  これまで聞き知ったことで得たアスナのラディウスへの印象は貴族社会ということだ。利益を追求することも重要だが、同時に体面を取り繕うことも重要なはずだ。むしろ、体面のために利益を度外視することだって考えられる。
  そのアスナの疑問をLDは否定することなく、
「もちろん、そうなることも予測出来る。だが、それと同じぐらい今回の失敗を切欠として政争が起こる公算がある。ヴァイアス団長。君が剣を交えた相手はバルティア家とロジェスト家の者だったな」
「サイファ・バルティアとベルナ・ロジェストだな。二人とも厄介なヤツだよ。正直に言えば正面から相手をしたくない相手だ」
  これまで一言も発さず黙々と食事を続けていたヴァイアスが言った。
「サイファ・バルティアの義父はラディウス大将軍、ベルナ・ロジェストの父は宰相の立場にある。二人の失脚を狙う者が動き出すには十分だろう」
「身内の失態には違いないだろうけど、それで失脚するほどのことか?」
「この言い掛かりははあくまでも切欠だ。先代、当代のバルティア、ロジェスト両家の当主は英邁だったようでかなりの力を蓄えている。それを王家は警戒し、少しでも力を削ごうと公職から追放しようと画策しているはずだ。確かにラディウス王家は最大勢力だが、両家が手を携えれば拮抗することも難しくない。それを王家はもちろん他の公爵家も恐れている。要するに大きく飛び出た杭を打とうということだ」
  王家は常に家臣たちの必要以上の富裕を嫌う。いつしか自身の足下を掬おうとする挑戦者になるかもしれないからだ。だから、王家は常に家臣たちに目を配っている。
  だが、ラディウスは王位の簒奪が出来ない仕組みになっている。彼の国は正統なる魔王の国、ラインボルトを自称しているからだ。
  もし家臣が王位を奪えばその瞬間、国の根幹を為す欺瞞が失われてしまい、瞬く間に求心力を失ってしまう。国家としての体を為せなくなってしまう。
  また、王の世襲制度は確立され、親政つまり王自らが政治を行う原則が確立されている。それは歴代のラディウス王が家臣の簒奪を恐れたことと同時に絶対的な王権を求めた結果だ。
  ”魔王”のチカラを得られないからこそ、ラディウス王家は国内での唯一絶対の権力を維持することに心血を注いでいる。レムニア教団の教えを国教として補強しているほどだ。
  LDはそういったことを簡単に付け加えたが、アスナはいまいち納得しきれない。
「いや、うん。そこら辺は何となく分かったけど、やっぱり罷免する理由にしては弱すぎると思うんだけど」
「だから言っただろう。罷免する理由の強弱など関係ない。冥王は自身が持つ絶対的な王権を使用すれば済む話だ。ラディウスに限らず王権の強い国では珍しくもなんともない」
「なんて言うか開いた口が塞がらないって言うか。無茶苦茶だな」
「その無茶苦茶な力を持つ者を王と呼ぶんだ。心しておけ、アスナ。君もその王になるんだからな」
「う、うん……」
  LDはお茶を含み喉を濡らすと話を続ける。
「これから起こるであろう政争がどの程度の規模になるかは予測がつかない。数日で決着が付くかもしれんし、長期化するかも知れない。が、どうなろうとラインボルトがすべき事は一つ。ラディウス上層部が出来るだけ混乱するよう工作するだけだ。そしてもう一点」
  LDは視線をアスナを通り越してエルトナージュに向ける。
「姫君が憂慮しているリーズとラディウスの同盟だが、私も十分にあり得ることだと思う。お互いに利があるのだからそうなって当然と考えるべきだ。リーズはアクトゥスからカトリス島を奪還するために、ラディウスは建国以来の国是であるラインボルト統一を実行に移すために利用できる。だが、この同盟締結には問題がある。アスナ、なんだか分かるか?」
「えっと、そうだな。……お互いに遠すぎて情報のやり取りとか連携がし難い、とかかな」
「その通り。両国合同の作戦を立てることが出来ないのはもちろんだが、物資や援軍のやり取りが難しい。陸路はラインボルトが封じており、海路はアクトゥスが封じている」
「空路は? 竜族って翼があるんだし飛べるんだろ?」
「伯爵級の力を持つ者であれば行き来することも出来るが伝令以上のことは出来まい」
  リーズでは位階の高い者ほど大きな力を持つ傾向にある。力の過多だけではなく当主が立てた功績も十分に考慮されるが、最重要なのは力の大きさなのだ。
「となれば鍵を握るのはサベージということになる。天鷹族、聖虎族は当然彼らに協力をする。問題は賢狼族がどう動くかだ。二種族に同意してサベージの国論を一つにすれば、ラインボルトから恨まれ、もしリーズ・ラディウスが勝っても発言力は低下する。逆にこれまで通りラインボルト支持を続ければ国を割ることにもなりかねない。万が一、ラインボルトが負けるようなことになれば反逆者として族長以下主要な者が処刑され、種族として取り返しのつかない打撃を被ることになる。正直、賢狼族がどう動くのか予想がつかない」
「エルたちって確か賢狼族の次の族長と仲良いんだよな。その辺、どうなんだ?」
「分かりません。現状は非常に流動的ですから。ただ、族長のヴォルゲイフ殿が現状を変えれば支援することもやぶさかではないとの意志ですから、まずはわたしたちが現状を動かさなければ始まらないでしょうね」
「ですけど、心情的にはこれまで通りラインボルトとお付き合いしたいようですよ。エル様だけじゃなくて私にもニーナ様からのお手紙を頂きましたし」
「ニーナ?」
「賢狼族のしっぽ姫だよ。ガキの頃、ニーナの兄貴のアストリアと一緒にラインボルトに遊学していたんだ。ニーナってのは愛称で、正式にはニルヴィーナだ」
  と、ヴァイアス。何故かいじけたような口調だ。デザートのアイスクリームに八つ当たりしているかのように崩している。
「一人だけ手紙貰えなかったからって拗ねないの」
  ミュリカの言葉に得心する。あとの処置は彼女に任せれば十分だ。
「つまり、三人の幼なじみか」
「そうなります。国のためにもわたしたちの心情としても賢狼族には敵に回って欲しくない」
  喋り続けて喉が乾いたのだろう。LDは温くなったお茶をポットから注ぎ、口を潤していた。小さな吐息一つ。
「そうだな。だが、それだけにラインボルトが彼らに対して何をすべきかは明白だ。賢狼族が離間しないよう打てる手は全て行う。それだけだ」
  そこまで言うとLDは鉄板に残ったお好み焼きをとる。これで五枚目。よく食べる。
  残る一枚はヴァイアスと目で譲り合った結果、半分に分けて処理することが決まった。
「その賢狼族だが、族長の名で海王に機嫌伺いの使者を送ったと聞いたが」
「外務省からそのような報告を受けています。我々だけでは心許ないと思ったんでしょう。元々、賢狼族とアクトゥスの関係は良好です。取り立てておかしなことではありません。恐らく戦争が起きたとしても早期決着すると見ているんでしょう。わたしたちが積極的な介入をしなければカトリス島の北半分と賠償金で終戦となるはずですから」
  つまり、それだけ手に入れればリーズは十分に戦争で利益を上げられるということだ。
「妥当な判断だ。敢えて彼らと少し距離を取り、仲裁役にして賢狼族の発言力を維持させる方法もある。が、当面ラインボルトが決定すべきなのはアクトゥスとの同盟をどうするかだ。これは向こうからの提案なので返事をしない訳にはいかん。姫君、政府内ではどういう意見が出ている?」
  エルトナージュもLDに負けることなく鉄板の上に残ったものを口に運んでいる。見かけによらず健啖である。
「意見は二つに分かれています。同盟を結ばずに物資援助のみを行い、頃合いを見計らって両国の仲裁に入ろうという意見と積極的に同盟を結ぼうという意見です」
「あぁ、つまりあれか。人様のゴタゴタに首を突っ込まないで自力で自分の世話をしよう派とロゼフとエイリアをブッ倒すためにアクトゥスを利用しよう派ってことだな」
  アスナなりの要約にエルトナージュはコクンと頷いて肯定する。
「だから、攻めるにせよ守るにせよ積極さみたいなのを感じなかったのか」
「ことはラインボルトの将来を決める事ですから、軽々しく動くわけにはいきません。もし、貴方の考えを皆に公表するのならば第三の意見、いえ同盟推進派を勢いづかせることになるでしょうね」
「反対派の説得はオレの仕事になるんだな」
  と、苦笑混じりにアスナは言った。
「そうなるな。だが、現時点で諸大臣や軍に話すのは第一段階までに止めておいた方が無難だ」
「第一段階? あのさ、LD。アクトゥスと同盟組んで勢力を拡大しようってので終わりじゃないの?」
「君の最終目標は幻想界の統一だろう。絶対的な覇権を手にすると言った方がより正確だな。その為にはただの同盟で済ませるわけにはいかない」
  LDはこっそりとアスナに注文していたオムそばを三分割し、そのうちの一つを皿に取る。思った以上に気に入ったようだ。
「第一段階はアスナが提示した通り、ラインボルト、アクトゥスの同盟を基軸としてそれぞれの友好国、属国を纏めた同盟を締結し、ロゼフ、ラディウス、エイリアとの問題を排除する。優先順位は今言った通り。ワルタを占領しているロゼフ軍を駆逐し、然るべき手段をもってロゼフを制圧する。ロゼフとの戦争はラインボルト単独で行った方が望ましい。理由は分かるか、アスナ?」
「内乱で疲れてるって言われてるけど、ロゼフぐらい叩きつぶせる力はあるんだぞって示すためだろ?」
「その通り。それともう一点。同盟発足当初は参加を呼びかけた国々の殆どは様子見をしているだろう。このロゼフとの戦争で各国の加盟に弾みをつける意図もある。ラディウスに関してはこれまでの方針通り睨み合いを続けながら、撤退並びに謝罪を要求し続ける。これに同盟の非難を加える。これの意図するところは何か分かるかね、姫君?」
「世論形成のためですね。ラインボルトは武力ではなく対話で両国間の問題を解決したいと世界に示し、悪いのはラディウスだと印象づけるための。ラメル進駐の経緯もありますから効果的でしょうね。武力行使となった場合、何かと有利に事を運びやすくなりますし、将兵の士気も違ってきます」
  エルトナージュにも話を振ったのは彼女ならば過たずに解答を口にしてくれるからだろう。もしかしたら、場の統一感を狙ってのことかもしれない。
「世論が醸成するまでの間にエイリア上層部との接触を重ね、親ラインボルト派を増やす。だが、謝罪と賠償はさせず表向きは突っぱねさせる。ミュリカ嬢、何故だか分かるか?」
「そうですね。ラディウスを刺激しないためでしょうか。ラインボルトとエイリアの関係修復はラディウスにとって面白いことじゃないでしょうし。それにエイリアは常にラディウスから軍事的な圧力を受け続けています。性急にラインボルトと仲直りしようとすればそのラディウス軍がエイリアに雪崩れ込んできて、折角作った親ラインボルト派を逮捕されてしまうからでしょうか」
  ミュリカの解答にLDは満足げに頷いてみせる。教師面をするのが楽しいのかもしれない。いや、誰かに設問の解答を述べさせている間にオムそばが食べたかっただけという可能性も……。
「正解だ。私か姫君の側で仕事をした方がミュリカ嬢の才能を活かせると思うが、どうだ?」
「おい、アスナ。これの首落として良いか?」
  敵意むき出しでLDを睨むヴァイアス。
「ダメ」
「え〜っとですね。こういうことなんで辞退させていただきます」
  照れて良いものか悩む顔でミュリカはLDに会釈をする。
「ならば、しょうがない。ヴァイアス団長に愛想を尽かしたらいつでも声をかけて欲しい。君に相応しい仕事を提供しよう。さて、ヴァイアス団長」
  ヴァイアスの反論を止めるようにすかさず彼に問いを投げつける。
「エイリアとの関係を修復する時期はいつ頃だと考えるか言ってみたまえ」
「ラディウスと戦端を開いた時が一番だ。エイリアに反旗を翻させて、連中の苦労を増やせば良い」
「それが第二段階。ラディウスとの統合だ」
  切り分けた二つ目のオムそばを皿に取る。
「ラインボルトがアクトゥスと同盟を組めば、どのような形であれリーズとラディウスは軍事同盟を組むことになる。そして、リーズとの同盟を名目にラディウスはラインボルトに宣戦布告する。この段階での目標は大まかに三分割することだ。一つはラインボルトが併合する分、もう一つはラディウスによって併呑された地域を改めて国家として作り直す分、残りはラディウス王家を逃げ込ませる地域の三つ。一度の戦争で完全に併合出来るほど狭くはないからな」
「だったら、リーズへの対処はどうするんだ?」
  アスナの問いにLDは事も無げに、
「フォルキスにやらせる」
「はい!?」
「確かアクトゥスからフォルキスの身柄を預かろうと申し出があっただろう。それを我々にとって都合が良いように解釈する」
「……あっ」
「姫君は分かったようだな。そうだ。リーズに対応するためにはそれ相応の戦力を送らなければならない。だが、ラディウスとの戦いの方が武功を挙げやすい。手伝い戦をしたくない将軍たちの心理を逆手に利用して、フォルキスの罪を赦免。将軍としてアクトゥスに派遣する」
「第二魔軍はアクトゥス行きか」
  と、呟くアスナ。
「いや、そうはならない。第二魔軍はラディウスに投入する。フォルキスは中隊規模の部隊を率いてリーズとの戦いに投入する。ヤツには竜狩りをして貰う」
  それは過去の再現。先代魔王アイゼルの時代に起きたリーズとの戦いでフォルキスは幾つも竜族の首級をあげている。フォルキスは竜族にとって天敵といっても過言ではない。
「アクトゥスにとってもその方が都合が良いだろう。アクトゥスにとっても厄介なのは竜族そのものだ。それをフォルキスが狩っていってくれれば残った兵たちを討つのは難しくない。それにいくら友軍とはいえ他国の軍が我が物顔で歩いているのは面白くないだろうしな」
  もちろん、派遣する部隊はフォルキスとその中隊だけでという訳にはいかない。二万名ほどの部隊を投入しなければならないだろう。
「そして、リーズとの戦闘でフォルキスに武功を立てさせ然るべき時を見計らって第二魔軍将軍へと復職させる。指揮能力に疑問はなく、竜狩りで武功を挙げたのだから軍からも文句は出にくいはずだ。ラディウスを下し戦後処理が軌道に乗った後、第三段階に移行する」
  最後のオムそばをLDは自分の皿に載せる。そして、アスナは最後の締めのアイスに突入する。ひんやりとして甘くて美味だ。
「第三段階、同盟の強化とアクトゥスの解体だ」
「待った! ラディウスと戦争やった後すぐにアクトゥスとやりあうのかよ」
「慌てるな、アスナ。アクトゥスは本来、海聖族の国号だ。それが複数の中小国が連合を組むことで大国として成り立っている。だが、同盟が強化されアクトゥスとさして変わりがなくなれば、ラインボルトとの付き合いを重視した方が得だ。この段階でのラインボルトは広大な領土と莫大な国力を有する超大国となっているのだからな。幻想界の過半を制する同盟の盟主として君臨するラインボルトの発言力は絶大だ。リーズと言えども無碍には出来ない。覇権は確立され、これをもって幻想界統一としても構わないだろう」
  当然、LDが提案した戦略の通りに事が運ぶはずがない。途中でこの戦略に気付いて対抗策を講じる者も出てくるだろう。頓挫してしまう可能性も十分にある。
  それでも無策で事に望むよりも遙かにましだ。
  アスナは自分が考えていた以上に大きな視点で戦略を立てているLDを内心で称賛した。思わず、彼のアイスクリームにウェハースを追加してしまう。
  改めてLDが提案したことを反芻する。
  もし、この戦略を実行に移すとなれば、幻想界は動乱の時代に突入することは間違いない。
  命を、財貨を、家族を失い時代を嘆く者が多く出るだろう。
  そういった悲劇に見舞われた者たちの恨みをアスナは一身に受けることになる。それを想像して身体が震える。
  同時にラインボルトの王になること、エルトナージュの味方であることをアスナは決めている。それらを秤に掛ければ、結論はすぐに出る。
「魔王になるんだからな」
  呟くと胸の底にすとんと何かが落ちた。
  幻想界で認識されている魔王がどのようなものなのか未だに実感できない。だが、アスナにはすでに魔王とは何者であるのか明確な形を想像することが出来る。
  魔王、魔王、魔王……。
  それは世界を求める者の名。
  強大な力がなくとも、頼るべき者がいなくとも、その身にぼろを纏おうとも関係ない。
  なぜなら、魔王の名を冠する者のみが世界を求める権利を有しているのだから。
  だから、世界を求めよう。王の義務を果たし、その対価として権利を行使するのだ。
  アスナは一度、大きく息を吸い込んだ。身体ごとエルトナージュと向き合う。
「オレはLDの提案を採用しようと思う。エルの意見を聞かせてくれ」
  しばらく逡巡して見せた後、彼女はアスナと向かい合い威儀を正した。
  黄玉の瞳に確固たる意志を宿して、エルトナージュは大きく頷いた。
「貴方に同意します」
「うん、うん……」
  破顔したアスナはエルトナージュに右手を差し出した。
「改めて宜しくな、エルトナージュ」
  一度、アスナの顔と右手を交互に見た後、エルトナージュはアスナの手を握った。
「こちらこそ、坂上アスナ」
  彼女の中にあるわだかまりは解消されてはいない。だが、ここにアスナとエルトナージュの盟約は為されたのだ。それだけは間違いない。
  アスナの手を握る彼女の手指にはしっかりと力が込められているのだから。




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