第三章

第五話 対ロゼフ宣戦布告


 ロゼフの外務省庁舎にラインボルトからの使節団が到着したのは早朝のことであった。
  外務大臣ネレスは彼らを自分の執務室で出迎えた。
  使節団の団長は見知らぬ男であった。中肉中背の特に印象の残らない容貌をしている。
  彼らと挨拶を交わし、団長が持っている冊子に目がいった。それが何なのか容易に予想がつく。宣戦布告文書だ。
「やはりこうなるのですね。いや、無理もないと言うべきなのでしょうな」
「後継者殿下を始め、我が国首脳は皆、怒りで身を震わせております。冷静に受け止め、平和的な解決を模索しようという意見を口に出来る雰囲気ではありません。むしろ、なるべくしてなったという諦めの声ばかりです」
「残念です。とても……」
「我々も同じ心境です。シェアーズ氏より言付かってきた言葉があります」
「お聞かせ下さい」
  団長は頷く。
「”両国が剣を交えることになったが、我々の友情に変わりはない。大切な局面では誰よりも誠実であろうとした貴方の友誼を得られたことを心より誇りに思う。再会の時を心待ちにしている”とのことです」
「ありがとうございます。使者殿。彼に私も同様の気持ちである。景勝地にて酒を酌み交わせる時を得られるよう努力するとお伝え願いたい」
「わかりました。必ず伝えます」
  感謝の意を示すようにネレスは会釈をする。そして、両手を差し出した。
「冊子を受け取らせて頂きたい」
  だが、使者は首を横に振った。
「後継者殿下より、御前にて読み上げよとのご命令を受けております。拝謁のお許しを頂きたい」
「承知しました。すぐに王城へ参内し、お許しを得ましょう」
  御前にて宣戦布告をさせろいうラインボルトの要求は意外にもあっさりと認められた。
  ネレスの願い出を聞いたロゼフ王ベイジェス六世が直接許可をしたのだ。
  児戯的な性格を持つこともあるが、彼の心の多くを占めたのは実権を宰相や軍に握られたお飾りの自分が戦争を感じることの出来る唯一の機会だと思ったからだ。
  当然、宰相らは王の御前で宣戦布告文を読ませることに反対したが王の意思は固く不承不承認めるしかなかった。

 謁見の間は荘厳の一語に尽きた。
  天井は高くロゼフの歴史が描かれている。壁面には象嵌で装飾がされている。
  中央には謁見者が歩くべき赤い絨毯が敷かれている。その左手には宰相を筆頭とする文官が、右手にはロゼフ軍総帥を初めとする軍関係者が居並んでいる。
  そして、中央の階(きざはし)の上にはロゼフの主たる国王ベイジェス六世の起立した姿がある。それら全てが謁見者を圧倒させる。王たる威厳をこの部屋にある全てで演出しているのだ。
  絨毯の上を使者は歩いていく。毛足が長く少し頼りない感覚を覚える。
  その彼の背後には使者を介添えする式部官と外務大臣ネレスが続く。
「使者殿、そこで立ち止まり下さい」
  玉座より十歩手前の場所で使者は立ち止まった。一礼をする。
  王が腰を落ち着けた空気を感じる。即座に式部官が声をかけてくる。
  使者は手にしていた宣戦布告の冊子を開いた。ちらりと見たベイジェス六世の表情には何もないように見えたが、それだけではないように見える。
  どことなく面白がっている風な印象を受けた。圧倒的国力差があるラインボルトと開戦しようとしているのにどういう心境なのだと使者は思った。
  しかし、それ以上は考えないことにした。これからこの無形の表情が驚きで変わることを楽しみにすることにした。
  唐突に大声で自分の名を呼ばれて驚いた。すぐに浮かびそうになった表情を消す。
「ラインボルトよりの書簡を奏上なされます」

「旧領を復せるとの名目の下に行われたワルタへの進軍により、ラインボルト国、ロゼフ王国両国の友誼は危機に瀕す。我が国は貴国に存在する一部盲動主義者の愚行であると判じ、また貴国との友誼を尊重すべく交渉による妥結を求める。
  貴国外務大臣の誠意ある対応に敬意を抱く。国王代理、この誠意に心打たれ改めて以下の要求を貴国に提示し、これをもって最後通牒と為す」
  そして、使者は声の限りをもって最後通牒の内容を口にする。誰一人聞き逃すことのないように、耳を塞いだとしても届くように。
「一つ、ワルタ及び周辺町村から即時ロゼフ軍の撤退。
  一つ、シェティ講和条約の再確認。
  一つ、本事件の主導者をロゼフによって処罰すること。尚、この件に関してラインボルトから口を挟むことはない。
  一つ、相互不可侵条約締結に向けて交渉を行う。
  一つ、両国の相互発展を目的としてロゼフに対し経済協力を行う」
  再び声に静かさを取り戻す。しかし、それは次への力を溜める一時。
「これはひとえに五百有余年に及ぶ両国の友情を堅持するためなり。
  ラインボルト国王代理、外務大臣は国内急進派を連日説得し、彼らの理解を求める。
  されど貴国により我が国の最後通牒を一蹴される。側聞するに貴国宰相はこの最後通牒を一読することなく拒否したとあるが、我が国にそれを確かめる術なし。
  また、勅命によりワルタへの増兵が決すると知り、もはや貴国との友情は我らラインボルトのみが思い浮かべていた夢想であったと失望するなり。
  ワルタ進軍は一部盲動主義者による愚行であると判じたは我が国の失態である。貴国は我がラインボルト国に対し、明確なる敵意と侵略の意志を有していると断じるものなり。
  未だ胸に宿る懐旧の情を封じ込め、我らは断固たる行動をもって貴国に対することをここに表明する」
  ちらりと見たベイジェス六世は顔を強張らせていた。一番最初の反撃は成し得た。
  そして、使者は傲然と言い放った。謁見の間を圧するかのように宣言した。
「よって、ここに我がラインボルト国はロゼフ王国に対して宣戦を布告するものである」
  身動き出来る者は誰一人いなかった。荘厳さを演出するための静寂ではない。
  秘匿された事実に、何よりラインボルトの怒りの大きさに圧倒されていた。
  自分たちとの友情を堅持するために、撤兵を条件に経済協力を申し出たにも関わらず一蹴された。ラインボルトが激怒して当然だと誰もが思った。
  そして、名指しされた宰相は泡を吹かんばかりに青ざめている。
  彼の青写真では軍事圧力を加えつつラインボルトにワルタでの決議を突き付け旧領を奪還するつもりだった。ラディウス軍がラメルにいるのだから自分たちと開戦するとは全く考えていなかったのだ。
  しかし、彼も一国の宰相であり権力を有する者である。青ざめていても表情に変化はない。頭の中では今後の展開をどう乗り切るかを必死に考えている。
  そしてネレスに全ての罪を被せることにした。彼を好む者は多くない。また自分が持っている権益を少しばかり融通すれば乗り越えられると考えた。
  何より開戦間もない今、宰相が交代すれば国が混乱するだけなのだ。
  そのネレスは使者から宣戦布告の冊子を受け取っていた。
「これより我がラインボルト国は、ロゼフ王国と戦争状態となります」
「これより我がロゼフ王国は、ラインボルト国と戦争状態となります」
  二人は宣戦布告文を手渡したことを証明する書類に署名し交換した。
  この時をもって両国は開戦したのだった。

「宣戦布告がされた頃かしら」
  ちらりと時計を見たエルトナージュが呟いた。時計の針はもうじき十二時を指そうとしている。アスナはそれに「うん」と呆けたような生返事をした。
「……アスナ?」
  彼の視線の先にはエグゼリスの町並みが広がっている。
「開戦。開戦かぁ。不謹慎なのかもしれないけど、なんかスゴイ変な気分だ」
  しかし彼が見ているのはそれよりも先なのかもしれないとエルトナージュは思った。
「色々と責任は感じてるけど、妙に気楽でもあるんだよなぁ。……緊張しているのにのんびりしてるっていうか」
  アスナの気分は彼女にもよく分かる。何かを命じて結果を待つだけになった時に感じる気分だ。結果がまだでない緊張と、万事を尽くして成功を確信しているから気楽でもある。
「……けど、悪い気分じゃないと思いますよ?」
「うん、悪くない。だから、妙な気分なんだよ。例えば何かを作る計画を立てて業者に発注した。後は完成を待つばかりだったら何も考えずに今の気分に浸ってれば良いけど。今やってるのが戦争だからさ。この気分を楽しんで良いのかなぁってさ」
「わたしは、良いと思うけど。むしろ、それがアスナの資質じゃないかしら」
「…………」
「内乱中も、今日までもアスナは心の何処かで楽しんでいたはずよ」
  それこそがアスナの強さの源泉だと今ならば分かる。彼と接して、ミュリカからの手紙を読んで知ったことからもそれが伺い知れる。本人は気付いていないかも知れないが。
「幻想界をわたしたちの好きなように変えると言ったのはアスナでしょう。それはきっと凄く楽しいことだって。この戦争もその変化の一つよ。楽しんで、今よりも良くなるんだったら誰にも遠慮は要らないわよ」
「……そっか。エルは上手いこと言うなぁ」
  そうしてアスナは笑った。程良く緊張を得た良い笑顔だった。
「それじゃ、不謹慎の極みを楽しもうか。それこそが……」
「王たる者の特権よ」




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