第四章

第四話 戦気の高まり

「我々にとっても敵にとっても時間が勝敗の鍵を握っていると言っても過言ではない」
  外で沸き上がる歓声を押し潰すようにディーズは言った。
  ワルタ市民への恐怖を一軍の将としての意識でねじ伏せている。恐怖に思考を割り振る余裕はないのだ。
「我々はリーズ、ラディウスが重い腰を上げるまで時間を稼がねばならん。そのためには何としてもこのワルタ市を保持し続ける必要がある」
  自分たちの策源地だからというだけではなく、ワルタ市議会の名において祖国復帰を宣言させたのだ。ここで軍を退けばワルタ進駐の政治的な裏付けがなくなってしまう。もし、ワルタ市を放棄すればリーズ、ラディウスが介入する口実がなくなってしまう。
  ロゼフ軍は軍事上でも政治上でも終戦するまで絶対にワルタ市を握り続けなくてはならない。
「だが、ワルタ市の現状はこの通り。今後、策源地としての機能は著しく低下するものと思われる。場合によっては暴動が起きる可能性すらあるだろう」
  大きく分厚い右手で長卓の表面を撫でる。長い年月と煙草の脂を吸い込んでとても深い色合いとなっている。
「有り体にいえば我々は占領間もない敵地にいると考え……」
「悲嘆すべき状況であることは全員が分かっている。問題はこれからどうするかだ!」
  トナム将軍は卓を叩きながら遮った。濃い髭に隠れた口元は幾らか引きつっている。
「打って出るしかなかろうな。籠城するにも市民たちの元気が良すぎる」
  占領軍と市民の衝突は一方的な虐殺へと発展する。幾らか歴史を学んだ者ならば誰でも知っていることだ。”解放”を謳い、その結果が生きることからの”解放”では笑い話にもならない。
「初めから全軍で打って出れば良かったのだ。あの頃ならば各個撃破も出来たはずなんだ」
  出席者の誰かが吐き捨てるように言った。誰もが内心で思っていることだ。
  しかし、これを口実にディーズを責める者はいない。
  ワルタ解放軍内部で意見が割れていたからではない。ディーズには本国から枷を填められていたのだ。
  増援部隊を用いてワルタ市を堅持せよ、という命令が彼の元に届いていたからだ。
  解釈次第で打って出ることも可能なのだが、ディーズはそれをしなかった。
  彼は陣地や砦に増援を送り、事前に決められていた陣地間での連携を強化することで対応出来ると確信していたからだ。これならば本国からの命令に反することはなく増援を活用できる。
  この決断はワルタ解放軍首脳部の主流意見でもあった。
  だから、先ほどの出席者の言葉は悔恨以上の意味はない。ディーズは小さく咳払いをすると話を続けた。
「このままではワルタ市を策源地として維持することは困難だ。我々は何としてでも勝利を掴まねばならない。私が言う勝利とは決戦による勝利ではない。小競り合いでも何でも構わない。とにかく勝利し、それをワルタ市で喧伝する。勝利の証として捕虜が得られれば最上だ」
「それはつまり……」
  武官の呟きにディーズは頷いてみせる。
「我々が勝利することでこの熱狂を冷ます。あれだけ派手に喧伝したのだから、大多数の市民は数日中には我々が撃破されるものと夢想しているだろう。しかし、我々が小さな勝利を重ねることで市民たちに冷や水を浴びせることが出来る。これまでの従順さはなくなるだろうが、少なくとも暴動の心配はなくなるはずだ」
  市民たちもバカではない。今は熱狂の渦の中にいるがもうしばらくすれば冷静さを取り戻し、安心して大騒ぎが出来る時まで待とうとするだろう。
  こういうときに何かしら動くバカは極少数しかいない。
  それだけならば穏便に逮捕出来る。今は不必要に市民たちを刺激するべきではない。
  もし、暴行事件などが起きれば瞬く間に収拾のつかない事態に陥ってしまう。
  刺激するのならば自分たちの勝利をもって行うべきだ。喜びが大きかった分だけそれが成されない時の失望は大きい。
「我々は早急に勝利を得る必要がある。しかし、大局としては時間を稼がねばならない。敵増援が来ることが予想できるため兵力の消耗は可能な限り割けたい。そこでこの地で一戦に及ぶ」
  長卓の上に広げた地図を指さした。そこには山々に囲まれたヒキメ平野が広がっている。この地には農業や林業を営む小さな村が幾つか点在し、その中央をワルタ市とレルヒ――ラインボルト軍が集結しつつある都市、を結ぶハラード街道が通っている。
  第一魔軍がこの街道を使って西部前衛陣地群を破壊したことからも敵の進軍路だと予想されている。
「近在に集落がある以上、敵は慌てて出てくるはず。そこを態勢を整えた我々が各個撃破するのだ」
  会議室に満足げな呻きが漏れる。これまでの方針が受け身だっただけに彼らの反応は好意的だ。攻めの姿勢は気分を高めてくれる。少し落ち着けさせる必要がある。
  この策は賭けの要素――戦いは全てを用いた賭博とも言えなくもないが――を多分に有している。作戦の成否を決定付けるのは自軍の奮励ではなく、ラインボルト側がどれだけ物資を集積出来ているか、だ。
  軍隊はただそこに存在するだけで物資を消費する存在だ。それが何かしらの目的で動き出したら、その消費量はさらに増加することになる。
  現在、ラインボルト軍はレルヒに腰を据えて、別々に進軍していた部隊の集結をはかっている真っ最中だ。最終的には六、七万の兵が集まることになる。
  レルヒに駐留する六万の兵隊を維持するには六万人分の水と食料、それと馬の水と食料が必要になる。これを毎日運び込まなければならない。目眩がするほど膨大な物資だ。
  もちろん、この全てを兵士が自分で背負って行軍するわけではない。
  ワルタ市は近いので、余裕をもって五日分も携帯すれば十分だろう。残りは馬車で送ってもらうことになる。
  つまり、兵隊をワルタ市に送り込むだけでも五日分。作戦を完遂させるためにはさらにたくさんの物資が必要になる。
  仮に一日八万人分の物資を運べる輸送力がラインボルトにあったとする。そうなると一日に集められる物資の量は二万人分。単純に考えれば三日かかって一日に必要な物資を集積できる計算になる。何かしらの事故の影響でさらに数日かかる可能性もある。
  ラインボルトの弱みはここにあるとディーズは見ている。
  レルヒを奪い返されてからまだ日が浅いため、殆ど物資は集積されてはいないはずだ。今ならばこちらが動いても相手は大部隊ではないだろう。
  なにしろラインボルトは自軍の維持だけではなく、奪還した都市の市民たち向けの物資も輸送しているのだから。兵站能力は破綻寸前のはずだ。
  それがどれだけ厳しいかディーズは身を以て知っている。彼自身も物資に悩まされて、逐次投入の愚を犯さざるを得なかったのだから。
  ロゼフ軍は相手が動こうと動かなかろうと勝利できることに変わりはない。
  だがしかし、とディーズは思う。
  敵の輸送力がこちらの予想を上回っていたら?
  過剰反応を呼んだ場合は?
  その時は覚悟を決めるしかない。
「貴官らに心に留めておいてもらいたいのは一撃を加えた後、速やかに次の行動に出なければならないということだ。敵が撤退に移った場合、例え我が方が圧倒的に優位な状況であろうと追撃は行わない。我々の目的は時間を稼ぐこと、勝利を得ることだ。下手に追撃に出ればこちらが各個撃破されるかもしれない。敵は無能ではないのだからな」
  無言の同意にディーズは頷きで返した。
「よろしい。それではこれより作戦の概要を話す」

 約五日後、ワルタ市を出発する部隊があった。規模は二個連隊。ロゼフ軍は緊急時に備えて待機していた部隊の全てを動かしたのだ。
  目標はヒキメ平野にある集落を奪還すること。
  宣戦布告以来、守勢であり続けた自分たちが攻勢に出ると知り、騎士たちだけではなく兵士たちも意気揚々と行軍している。
  槍だけではなく食料などを収めた重い背嚢を背負って長距離を歩くのは苦行そのものだ。
  立ち上がるだけでも一苦労な荷物を背負って長距離を歩かされるのは聞くだけでも心が折れそうになるほど辛い。
  となれば士気の面で不安がある状態で長駆行軍をやらせれば、戦うこともなく脱落者や脱走者多数で戦争どころではなくなってしまう。
  歴史上でも脱落、脱走、病気で戦えない状況に陥った例は幾らでもある。
  しかし、彼らは元気だ。戦いを前にして強張っているが顔色はとても良い。
  なにしろ、ついに攻勢に打って出るのだ。詳細は教えられていないが必勝の策もあるという。あのラインボルト軍が行った喧伝によってヒビを入れられた士気を持ち直していた。
  彼らの足取りも力強く、無駄話をする余裕すらあった。
「お前ら、貝食ったことあるか。貝」
「あるよ。ガキの頃は良く川で採らされた。お袋に袋一杯に採ってくるまで返ってくるなとか言われたっけな」
「ばっかだな、お前。そんなちっさいヤツじゃねぇよ。こんなでっかいヤツだ」
  と、兵士が両手の親指と人差し指を合わせてみせる。
「嘘吐け。そんなデカイ貝があるかよ。貝ってのはちっさくてちまちまして食うのが面倒なヤツのことを言うんだよ」
「はぁ、これだから田舎者は嫌だ。海にはこんなデッカイのがゴロゴロとしてるんだよ」
  山国出身の兵士たちは胡散臭げに彼を見ている。ダズもその一人だ。
「ブーチさん、ホントにそんなデカイのがあるんですか?」
「ん? あぁ、本当だ。昔、演習で海の方に行ったとき俺も食ったことがある。あれは美味かったな」
  古兵の証言に若い兵たちは一斉に感嘆の声を上げる。話を持ち出した兵士は、ほら見ろと自慢げだ。
「海の水は塩辛いから焼くだけで美味いんだ。それよりも貴様、なんで貝の話だ? まさかこれまで貝みたいに閉じこもってたから何もできなかった。だけど、これからは違う。敵に目にもの見せてやる、なんて続けるつもりじゃないだろうな?」
  意地悪くブーチがそう行ってやると若い兵士は図星だったようで、
「う゛っ」
  と、言葉を詰まらせた。周りの兵士たち大爆笑。
「ばかもん。下らんことを言った罰として今度、海の方に演習へ行ったら隊の皆に貝を奢るんだぞ。全員、忘れるんじゃないだぞ」
『了解で〜す!』
「そんなぁ〜」
  情けなく項垂れる兵士に再び笑いが起きる。
  このような情景が隊列のそこここで見受けられた。
  色々と心得た下士官や古兵たちが若い連中の気分を盛り上げているのだ。
  指揮官たちも同じように兵士たちを鼓舞して回っている。手加減してやるのはここまでだ。人魔どもに一泡吹かせてヤレなどなど。
  普段は遠目に拝することすら出来ない貴族たちに叱咤されて兵士たちの頬は紅潮している。
「よいか! 魔王不在のラインボルトなど恐れるに足りず。ましてや奴らを統率するのは人族の小僧だ。我らの勝ち鬨の声をエグゼリスまで届かせて、小僧を寝床に篭もって脅え竦ませるのだ!」
『おおぉ〜!』
「ロゼフ万歳!」
「第三十二槍兵連隊万歳!」
  連隊長シオツ準男爵の激励に兵士たちは歓声をあげる。あちこちで万歳三唱が沸き上がる。シオツは満足げに笑うと自身も兵たちとともに豪声をあげる。
  歓声と下品な軍靴を共にして兵士たちは突き進む。
  目指す先はヒキメ平野。その地を敵と自身の血で朱に染めるために。
  彼らはひたすらに前へと突き進んでいく。

 戦時中の役所と軍は対立しがちになるものだ。
  前者は兵士たちが乱暴狼藉を行わないか戦々恐々と、物資や資金を奪っていく軍を睨む。後者は自分たちの後方支援に役所が積極的に携わるものだと独り決めして相手の事情を考えない。お互いに立場があり、果たすべき職務が異なるからと言えるかも知れないが、もっとも端的に表現するならば、日常と非日常は決して相容れないといったところかもしれない。しかし、面白いのはホンの一時でも職務から離れれば個人として気楽な付き合いが出来ることだ。
  ホワイティアとレルヒ市長ステインはともに夕景を眺めながらグラスを傾けていた。
  軍とレルヒの協力に関する協議という名目だが、実質は激務に追われる二人の僅かな息抜きだ。となればお互いに気楽な場所が良いとステインの友人が自身の屋敷の一室を提供した。饗されるのは葡萄酒一本と小皿に載せられた酒肴のみ。
「随分と人も物も流れ込んでいるというのに私たちの酒肴がこれだけというのはおかしなものですな」
「そうですわね。お互いに部下たちが気を遣ってくれているのだからもう少し良い物を楽しんでもよさそうですのにね」
「全くです。贅沢好きだと自負しておりましたが、ここ数日で実は貧乏性であるのを隠すために贅沢をしていたのではないかと思うようになりましたよ」
  ステインは丸い腹を撫でた。恰幅の良さは貫禄に通じるが、彼の場合は些か丸すぎる。
「ふふふっ」
「部下たちの前ではこれまで楽をさせてもらっていたから、その給料分の帳尻合わせをしていると言っていますがね」
「私もです。十万を越える部隊を率いるのは軍人としての誉れですけれど、些か忙し過ぎますわ。後継者殿下があれこれと気を回して下さっているおかげで物資に関しては心配せずに済んでいるのは幸いですわね。お互いにとっても」
「まさにそうですな」
  動き出した軍隊は大食らいだ。そして、これまで占領され耐乏生活を強いられていた都市もそうだ。その両者が一つところにいれば物資を巡って争いが起きる。
  戦時中に同胞で揉めるのは不幸以外の何者でもない。
「内乱中、ご自身も近衛とともに戦ったそうですから、その時に学ばれたのでしょうな」
「そうかもしれませんわね」
  二人の想像通りだった。内乱中、近衛騎団は首都からの輸送と立ち寄った都市から必要な物資を得ていた。しかし、当てにしている都市の方が物不足に悩んでいて物資調達に苦労したことをアスナは経験しているのだ。
  そして、もう一つ。
「部下に、満足に飯を食わせてやれなかったのが一番辛かった」
  というジイさんの話が心に残っていたからだ。
  だから、アスナはその辺り徹底させた。
  兵隊には常に暖かな食事が与えられ、翌日に疲れを残さないよう寝床にも気配りをした。
  娯楽に関しても手抜かりはない。劇団や楽団と契約をして慰問に行かせた。
  そして、下半身の問題。兵士たちの性欲処理に関しては特に注意するように命じていた。実を言うと内乱中、サイナとそういう関係になるまでアスナ自身が大変だったからだ。
  ヴァイアスたちから勧められても個人的な主義と度胸の無さ故にそういう店に脚を運ばなかったが、溜まるものは溜まる。こればかりはどうしようもない。
  近衛騎団の食事事情を改善するという使命、そして幻想界戦史大全 第八巻と右手の力を借りてどうにか乗り切った。どうしようもなく情けない話だが、サイナに手を出したのも好意や愛情からだけではない。その事はサイナもよく分かっている。
  二人の始まりを正しく表現するならば、共犯者、というのが適切かもしれない。
  騎団のおまけの自分ですらこうなのだから、実際に戦う兵たちはもっと大変だろうというのがアスナの結論だ。だから、アスナは下半身問題は食事や寝床と同じ、いや病気の問題も絡むからそれ以上の心配りをしていた。
  このアスナの命令は軍の考えと一致していた。
  拡大王ルーディスが始めた大外征、その後の地方の反乱、魔獣退治やリーズ、ラディウスとの小競り合い。最近では先の内乱の経験から食事、睡眠、性欲、娯楽の四つを上手く制御することが勝利への第一歩と考えている。
  だが、これを実現するには膨大な資金が必要になる。となれば他の省庁との予算の奪い合いが発生してしまう。そこにアスナの鶴の一声である。
  他の省庁の文句を余所に軍は多額の予算を獲得して新たな名誉を得る戦いへと突入していた。尤も全てが軍の思惑通りであった訳ではない。
  内務省その他が軍の兵站活動に相乗りして奪還した地域の復興をすべきだと主張したのだ。自分たちの仕事に口を挟まれては困ると軍は難色を示したものの、現地の治安と民心の安定は必要不可欠という観点から彼らの嘴を入れざるを得なかった。
  となれば、ここでも問題になるのはやっぱり予算である。
  蒼い顔の大蔵卿曰く、「無い袖は振れません」と会議の場で言わざるを得ないラインボルトはもう一つの財布である王宮府に資金提供を求めた。
  そして、王宮府はワルタ市、ロゼフで商売をするという訳だ。
  国の上層部のあれこれはともかくとして現場にて総指揮を執るホワイティアや地方行政を担うステインにとっては大量の物資が送られてくることは有り難いことだ。
「そういえばワルタ市議会がロゼフへの復帰を歓迎する旨の決議を出しましたが、これについてエグゼリスから何か聞いておられますか?」
  市議会に友人でもいるのだろう。何に利用するにしてもその手の情報はあるにこしたことはない。
「いいえ。何も聞いていませんわ。どのような背景でそういった決議が出されたのか、その経緯を知りたいとは思っているでしょうけれど。殿下はお優しいお方ですから嘘偽りなく全てをお話になればお許し頂けるのではないかしら」
  もっとも、国政に乗り出す道はこれまで以上に狭くなるだろうが。
「ご寛大な処置ですな」
  ステインはあからさまな安堵をしてみせた。あぁそうなのね、とホワイティアは気付いた。彼はワルタ市にいるのかもしれない友人を気遣ったのではなく、ワルタ市という例を出して自分の心配をしていたのだ。
  市長も大変ね。ホワイティアは少なくなったステインのグラスに酒を注いでやった。自分のグラスにも付き合い程度に注ぐ。この酒は辛すぎて彼女の好みではない。
「ありがとうございます、将軍」
  ともあれ、ホワイティアに物資その他の心配はない。
  街道沿いの宿場町や駅伝は強化され、途切れることなく馬車が行き交っている。
  その中に人馬族――所謂ケンタウロス――の姿も見える。彼らはエイリアに蹂躙されたアシンに多く住んでいる種族だ。騎兵としてこれ以上にない資質を持つ彼らなのだが、種族的にすこぶる温厚な気性であるため農業や運送業を生業にしている者が多い。
  極少数の軍に籍を置く人馬族の殆どが教導部隊、つまり兵たちの訓練を担当する部隊へと配属される。いつも実戦さながらの訓練を続けているために練度、士気ともに最高であり、幻想界最強の騎兵なのではないかと言われている。
  欠員の補充がとても難しいため人馬族のみで構成された実戦部隊が編成されることはないだろう。その彼らが前線近くまで荷馬車を牽いてきてくれているということはラインボルトが本気であることを意味している。
  アシンが壊滅して職を失った彼らへの救済策だとしてもありがたいことに変わりない。
  そしてもう一つ重大な意味を持っていた。遠いアシンの地にいた臨時雇いの人馬族がここまで物資を運んできたということは、ラインボルトが予定していた兵站線の構築を完成させたことを意味していた。
  二人はその後は難しい話はせずに雑談をしていた。やはり飲み足りなく、ホワイティアは甘めの果実酒をステインの友人に持ってきて貰おうか逡巡していた時、扉を些か以上に乱暴に叩かれた。
「どうぞ」
  ステインの許しを得て入室したのはホワイティアの副官であった。
「ご休憩の所、申し訳ございません」
  副官は市長に謝意を示すと自分の上官に小声で耳打ちをした。ピクリと右眉が上がった。頷き、「そう」とだけ返事をすると彼女は立ち上がった。
「市長、これにて失礼させていただきます」
「ご武運をお祈り申し上げております」
  副官の表情から察したのだろう。彼は一礼してホワイティアを見送った。
  向かう先はワルタ方面軍が司令部を構えているのは公民館だ。

「総員傾注! 方面軍司令官閣下が入室される!」
  司令部付きの下士官が号令をかける。
「気を付け! 礼!」
  が、実際に動いたのは極少数だけだ。殆どの者は気にすることなく仕事を続けている。
  戦陣であれば例え魔王がやってきたとしても仕事を優先することが最上の礼儀であるというのがラインボルトの気風である。
  極少ない礼をした者にホワイティアは答礼を送ってやると副官を従えて、司令官の椅子へと腰掛けた。すでに彼女の参謀長であるファインズを始め司令部の主立った者たちが待ち構えている。
「本日未明、ハラード街道上を敵二個連隊相当の西進を確認。街道沿いに配置していました捜索部隊は後退をしつつ監視を続けております。続いて、我が軍の状況ですが予めご指示のあった通り第十五軍はご命令があり次第行動を開始できます」
  ファインズの状況説明を聞き終えたホワイティアは机の縁を撫でた。
「二個連隊、ね。それなりの兵力には違いないけれど、それなり以上でもないのよね。この状況下で何が出来るとも思えない」
  すでにレルヒには約七万五千の兵が集結している。
  シグル副将率いる第一魔軍一万の兵はすでに食べ残した敵に睨みを利かせるために先陣を務めている。彼らに対してたったの二個連隊で何が出来るとも思えない。
「ファインズ、貴方の予想は? 敵は何を考えているのかしら」
「今、入っている情報だけから推測すればヒキメ平野に点在する集落を制圧するつもりかもしれません。軍事的な観点からは重要な意味はありませんが、政治的な失点を幾らか回復できるのではないかと思います」
  政治的な失点とは、ワルタ市で行った喧伝のことだ。
「単純に兵の士気を鼓舞するのが目的と考えられますが……」
「納得は出来ない、でしょう?」
「はい。ロゼフ本国より十万もの援軍を迎えたと聞きましたが、それも各地の陣地に分散配置していたため、今ワルタ市に駐留している部隊は少なく見積もって七万、最大で八万ほどではないかと思われます。我々よりも大きいですが、それでもワルタ市東部の陣地群へ増援を送らなければなりませんし、ワルタ市の維持にも兵力は必要です。あれやこれやで我々にぶつけられる兵力はほぼ同数の五、六万ほど。士気の高揚は重要ではありますが、今の段階で二個連隊のみを動かすのは兵力の浪費です」
「ということは何かしら裏があるということね。挑発かしら」
「だと思われます。自国民が敵に襲われそうになっていると知って放置出来る指揮官は極少数ですから。即応部隊を引っぱり出して、それを伏兵とともに挟み撃ち、といったところではないでしょうか」
  と、どこか皮肉げにファインズは言った。
  戦争全体には影響のない場所を争って無意味に血を流し続けた事例は幾らでもある。
  軍を送って自国民を助けたいというのは人の情として分かるが、そんなことよりも戦争全体に影響を与えることに兵隊を使った方が最終的な悲劇の数は減る。
  何がどう正しいのかなど誰にも分からない。ただ、一つだけ確実なことがある。
  現場にいる国民にとってはたまったものではないということだけだ。
「何かしら? 私が自国民を見捨てる血も涙もない指揮官だと言いたいの? ……まぁ、良いでしょう。兵站参謀、物資の集積状況はどう?」
「当初の予定通りに集積は進んでいます。糧秣その他需品の集積は期日の五日後には完了する見込みです。ですが、兵站部からはこれ以上物資の輸送量を増やすことは困難であるとの報告も受けています」
  と、眼鏡で痩身の兵站参謀は報告した。
  ちなみに兵站参謀と兵站部は別個の存在だ。彼の仕事はワルタ方面軍の将兵全てに物資が行き渡るよう差配することが仕事。兵站部は各地に設置した集積地に物資などを届ける手筈―荷馬車の交通整理や駅伝の管理、集積地の警備など――を整えることが仕事になる。
「仮に第十五軍を動かすとすれば、物資の集積はどれだけ遅延するかしら?」
  出撃準備が完了していると言っても、彼らに与えられた本来の任務は敵がレルヒに向けて進撃してきた際、他の部隊が出撃するまで時間を稼ぐことだ。
  レルヒとワルタ市の中間にある集落を防備するためではない。
  もし、集落を奪還するのならばそれなりの糧秣が必要になる。往復で四日。戦闘が長引く可能性を考慮して最低でも五日分は欲しいところだ。
  となると最低でも二万名分の物資が九日分。レルヒに駐留する部隊の三日分を使わなければならなくなる。ならば派遣する部隊を減らせば良い、という訳にもいかない。
  敵が何を考えているのか分からなくとも罠である可能性は十分にあるのだ。半端な部隊を派遣して返り討ちにあったりしたら目も当てられない。
「最低で三日。最高で十日以上と思われます」
  何しろ相手は集落の住民たちを人質に取っている形になっているのだ。安全を重視すれば時間が掛かり、送る物資も増える。
「十日はさすがにいただけないわ」
  ワルタ市奪還のために必要最低限の物資が集まるまで十五日以上かかってしまうということだ。それだけの時間を空費してしまうとリーズが首を突っ込んでくるかもしれない。
  それは拙い。政治的にも軍事的にもラインボルトが不利となる。
  いや、ということはもしかして……。
「リーズの参戦を促すための時間稼ぎでしょうか」
「……そうかもしれないわね。さすがにリーズとの戦争は勘弁してもらいたい」
  そう言いながら頭の中では目まぐるしく今後の方策を思案している。その中から妥当と思われる策を選び出す。苦笑を浮かべると彼女は参謀長に必要な情報を確認する。
  それを終えると一度、深く椅子に腰掛けて息を漏らす。酒の匂いが含まれた自分の吐息に笑みを濃くする。
  あの辛い酒と同じ様に世の中も私好みには動かないわね、と思った。
  喉の奥から酸っぱい物が湧き出てきているような気がする。意識して、意識しないようにする。
  大軍を率いる昂揚や戦闘を前にした興奮は素晴らしい。だけど、自分に課せられた責任の重さに胃が痛くなる。当然だ。彼女の戦いの結果、ラインボルトの今後の戦略が変わってしまうのだ。ひょっとしたら敗北を切欠にリーズが動き出すかもしれない。こんな責任など放棄してしまいたくなる。
  そんなこと出来るはずもない。彼女は方面軍司令官であり、将軍の地位にある者なのだ。一個人として最高の名誉を与えてくれた後継者に勝利を返さねばならない。
  何か嬉しいことをして貰ったら、ちゃんとお礼をしないといけないのよ。
  そう幼い頃の娘に教えたのだから尚更だ。母親が娘に教えたことに反するわけにはいかない。
  そういえば方面軍司令官の俸給はどうだったかしら。この責任の重さと釣り合いがとれるのかしら、と益体のないことを思った。
  勝利を収め、責任を果たしたら退役しよう。夫のパン屋を手伝うのは今よりも気楽で幸福な毎日を送ることが出来るだろう、と彼女は重要な命令を発するたびに思う。
  しかし、彼女はいつもそれを直前になって撤回する。
  家族との平穏な毎日よりも苦心の末に勝利を勝ち取ることが好きなのだ。
  全く度し難い。そんな自分に変わらぬ愛情を向けてくれる夫と娘に心より感謝している。
  無駄なことを考えている間に届けられた情報に目を通して自分の考えを纏めていく。
  机の端に置かれた家族の肖像画を見る。家族とのんびり賜暇を楽しむには勝利するしかない。ならば、決まりだ。勝利しよう。
  彼女は自分の構想を口にした。参謀たちは一様に目を丸くした。
「という所だけれど、意見はあるかしら?」
  兵站参謀が挙手をした。それに対して発言の許可が与えられる。
「閣下の策は妥当だと思いますが、実現のためには市長、王宮府の同意が必要です。現状を鑑みますに同意を得るのは難しいのではないかと存じます」
  真っ向から反対意見を述べる兵站参謀にファインズらの視線が集まった。
  司令官が方針を明らかにした以上、参謀はそれに反することを口にすることは出来ない。彼らの立場で出来るのはその方針に沿った意見のみ。
  となれば、彼の発言には続きがある。皆はそれを待った。
「負担を一カ所に強いるのではなく、複数箇所に分散させれば同意を得やすくなると思います」
  彼が何を言いたいのかすぐに彼女は理解した。
「道理ね。けれど、すでに輸送量は限界なのでしょう?」
「兵站部がそう言っているだけです。進軍路に存在した敵の兵站線を吸収していますので、まだ幾らか余裕があるように思えます。ご命令を頂ければすぐにでも計画案の作成に取りかかれます」
「何日短縮出来るかしら?」
「一日。全てが順調に進んだ場合は二日の見込みです」
  この状況で二日の短縮は大きい。折角ロゼフ軍が生き餌を投げ入れてくれたのだ。それを逃す訳にはいかない。
「良いでしょう。すぐに取りかかりなさい。ファインズ、作戦立案を開始しなさい。それと今後も監視を続けるように。ただし、可能な限り交戦は控えるよう厳命します」
  そして、傍らに控える副官を見上げ、
「市長と王宮府の担当者に面会を求めて。早急にね。後は伝令を用意して頂戴」
「各都市に向けてのものでしょうか?」
  と、副官は聞いた。
「違うわ。第八軍と大将軍閣下に宛ててよ。伝令が移動する時間を考えないといけない。文面はそうね……」
  彼女が口にした内容を復唱すると副官は敬礼をして手配を開始した。すでに兵站参謀は動き出している。
「こういう時はいつも思うけれど機族の方が常時、軍に協力してくれるとありがたいのに。噂に聞く竜兵でも良いわね」
「機族の方々とは協定がありますし、竜兵の方はまだ実験中隊が創設されたばかりですから」
  機族は情報のやり取りに関して優れた特性を有している。彼らは同族間でならば外部に情報を漏らすことなく、且つ伝達距離も長大でワルタ市からムシュウまで通信することが可能だ。ラインボルトは魔王という存在が持つ求心力と機族たちを介した情報による結合力によって存続していると言っても良い。いわば国家の枢機を担う存在なのだ。
  それだけに軽々に命のやり取りをする場に赴くことは出来ない。
  彼らが戦場に立つのは特定条件下のみ。そういう契約を建国王と交わしている。
  一方の竜兵は翼龍を用いた兵科のことだ。正式には竜騎兵という。
  サベージの鳥系獣人、リーズの竜族に対抗する新たな手段として創設された兵科なのだが、正直まだ使い物になるのか分からないところがある。
  現在はどういう使い方が良いのかを研究している真っ最中だ。
  伝令、捜索任務になかなか良好な成績を残しているため、そういった使い方をした方が良いのではないかという意見が大勢だ。
  攻撃魔法を使うと翼龍が驚いて、竜士――乗り手のこと――を振り落としてしまう事故が多発しているからだ。
  余談だがラインボルトにはいないが、幻想界には翼龍を用いて戦うことの出来る竜騎士が存在している。
  何にせよワルタ方面軍には両者とも配属されてはいないので、進軍とともに整備し直した連絡網に配備した馬と伝令を務める鳥系獣人を使った伝令を用いることになる。
「かといって作戦上、彼らを使うわけにもいかない。無い物ねだりの愚痴をこぼしても仕方ない。敵が折角、垂れてくれた釣り糸を引き上げないうちに生き餌に食らいつくわよ」
  了解しました。と、彼らはそれぞれの役目を果たすべく動き出した。
  ホワイティアは村落を巡る小戦を始めるつもりは毛頭ない。
  彼女はワルタを巡る戦いの決戦を決意したのだ。

「急なお呼び立てに応じていただき、皆さまありがとうございます」
  ホワイティアはレルヒに搬入される物資に関係する者たちに一礼した。
  場所は市庁舎内にある会議室だ。レルヒ市長ステインを始めとするレルヒの重職、王宮府、内務省の担当者が集まっている。
「時間がありませんので、さっそく本題に入らせて頂きます」
  軍からの召集に皆の表情には不審の色が見て取れる。彼らの不安は現実のものとなる。
  ホワイティアの提案を聞いた彼らの表情が驚愕から、果たしてどう変わるのか。
「レルヒに搬入される市民向けの物資の四分の三を融通していただきたいのです。同時に労働力の提供もお願いします。もちろん、強制ではなく募集という形で行わせていただき、些少ではありますが報酬のお支払いもいたします」
  驚愕。そして、怒号。中には卒倒しそうなほどに青ざめている者もいる。
  一分ほど彼らが静まるのを待ったが、当分収まる気配はない。むしろ放置すれば彼らの熱は誰かが倒れるまで上がりそうだ。
  彼女は会議室の入り口で歩哨のように立っている下士官に視線を送った。
  彼はホワイティアが任官した際につけられた小隊下士官だ。彼女に軍隊の現実を教え、今は従兵長として身の回りの世話を任されている。
  初老の従兵長は両手を背中で組み、鉄の棒を飲み込んだような姿勢で叫んだ。
「ご静粛に願います!」
  大喝である。獣に吼え立てられたかのように出席者たちは固まってしまった。
  ホワイティアも陸軍幼年学校の営庭を思い出して、思わず背筋を伸ばしそうになったほどだ。内心の恥ずかしさを紛らわすために敢えてゆったりとした動きで一礼した。
  強引に鎮められた会議室の中で挙手をした人物がいた。王宮府の担当者だ。
「どうぞ」
「理由を伺っても宜しいでしょうか、将軍。物資の搬入計画は予定通りに続けられています。なぜ、そんなに物資の集積を急がれるのですか。その点をお伺いしないことには誰も納得は出来ません」
「無論です。現在、敵二個連隊が西進中。目標は街道の南北に点在する集落であると予想されます。我が軍はこの敵の動きに対応せねばなりません」
「同胞の危機に参じるため、というのは尤もなことだと思います。ですが、それで四分の三を融通せよというのは筋が通りません。すでに軍は相当な物資を集積されているはずです。手持ちの物資だけで十分に対応可能なのではないですか?」
  と、レルヒ市長であるステインは言った。市長の立場でなくとも残った四分の一で暫くの間、過ごせと言われて「はい」と頷ける訳がない。
「その通りです。市長の仰るとおり、この程度のことならば手持ちの物資だけで十分に対処できます」
「では、なぜ」
  と、身を乗り出すステイン。その目は幾らか血走っている。
  彼には市民に対する説明責任があるのだ。そして、彼らの恨みを買うのも彼だ。
「彼らは時間稼ぎをしているのです。小さな戦いを繰り返して兵と物資の消耗を狙って動いていると我々は見ています」
  そして、一番大事なのは主導権の問題だ。
  これまでラインボルトはワルタを巡る戦いの主導権を握っていた。もし、ここで敵の思惑に乗れば、主導権が移ってしまうかもしれない。
  そうなればラインボルトにとって面白くない事態になる。
「では、なぜ彼らは時間稼ぎをしているのか。それはリーズの参戦を待っているからではないかと推測しています」
  再びどよめきが起こった。そういえば機密ではないけれど、彼らにはそのことを知らせていなかったわね、とホワイティアは思った。
「リーズに参戦の意思があるのか否かは分かりませんが、あまり悠長に構えていると介入してくる可能性は十分にあるとエグゼリスは見ているようです」
  自分の言葉の意味が出席者全てに浸透するのを見計らい、彼女は続けた。
「作戦の詳細は機密ですが、我が軍はこの状況を利用し、ワルタ地方での戦いに決着をつけるつもりでいます。そのための準備はすでに進めております」
  彼女はすでに必要な部署に発令をし、伝令を送っている。
  何しろ時間との勝負なのだから、打てる手は打っておかなければならない。
「あとは必要な物資と労働力の問題だけなのです。どうか、ワルタ解放のためレルヒ市民のご助力をお願いいたします」
  深々と頭を下げる。しかし、どこからも同意の声はない。苦吟、とも取れる呻き声のみだ。
  リーズの参戦は絶対に避けたい、なにより一日でも早く戦争が自分の側から離れて欲しい。だが、それと同じぐらい今日の食事も大切なのだ。
  露骨な言い方をすれば、大義名分だけでは腹は膨らまないのだ。
「将軍のお言葉はよく理解できました。誠にごもっとなことかと。しかし、四分の一というのはさすがに無理です。それでは病人や老人、子ども、赤ん坊を抱えた母親にすら満足に食料を支給することが出来ません。せめて二分の一はないと」
「では、三分の二を融通していただくというのは如何でしょうか?」
「…………」
  返答は無言。額には汗を浮かべている。
  ホワイティアの言いたいことは分かる。それでも彼の立場では頷くことは出来ない。
  自国を防衛するための戦争とはいえ、軍の要求に唯々諾々と従うのは次の選挙での彼の当落に関わってくる。良い悪いに関係なく、軍に対して毅然とした態度を示す市長というのは人気が出るものだ。
  当面の市民生活と自分の将来を考えれば簡単に頷けるものではない。
「他都市からも融通してもらうというのは如何でしょう」
  と、王宮府の担当者が言った。
  同じ事を切り出そうと思っていたホワイティアは内心で笑みを浮かべた。自分で提案するよりも受け入れられやすいだろう。
  しかし、王宮府から自分たちを援護する提案するというのはどういうことだろうか。
  両者は特に仲が良い訳ではない。だが、少し考えれば分かることだった。
  つまり、王宮府には王宮府の立場があるということだ。
  彼らはワルタ市で商売をする。であるならば、都市機能が無傷であることが望ましい。
  ホワイティアは決戦に及ぶといった。幻想界において決戦とは堂々たる会戦で雌雄を決するということだ。ワルタ市に惨禍が及ばない可能性があるのならば、それを選択することは当然だ。
「軍はレルヒから物資を融通してもらい、レルヒは他都市から不足分を融通してもらうのです。二、三日は多少困ることになると思われますがそれ以降は安定するでしょう」
  そして、ちらりとステインを見た。
「幸いにもレルヒの皆さまは災害用の倉庫や商家の蔵に、非常時に備えて物資を収蔵しておられるようです。先見の明はまさにこの様な時のことを言うのでしょうな」
  王宮府はしっかりと物資の横流しを把握しているぞ、ということだ。
  レルヒ側の出席者は皆、顔を青ざめている。こうなった以上、貯め込んでいた物資を放出しなければならない。王宮府に睨まれたらどうなるかわかったものではない。
  この噂は他都市にも伝わることだろう。となれば、こちらの要請を各都市も従順に受け入れるはずだ。何だかんだで物資の横流しは起きているのだ。
  そういった連中に警告をする意味もあるのだろう。
横流しの問題は別として、このレルヒへ物資を融通する件は、幾らか気の利く者ならば自身の人気取りに使うだろう。
  さして市民の懐が痛まない援助は人気集めには格好の材料なのだから。
「各都市へは将軍の方から要請して頂かなければなりませんが」
「もちろんです。無理をお願いしているのですから、私に出来ることなら何でもやりましょう。ステイン市長、如何でしょうか?」
「各都市から援助が確約されるのであれば了承しましょう」
「分かりました。では、要請は市長との連署ということでよろしいでしょうか?」
「無論です」
「ありがとうございます。皆さまのご助力によりワルタ地方を完全に奪還する作戦を発動できます」
  そう。これで勝利することが出来る。
  艶やかな笑みを彼女は浮かべたのだった。

 各市町に対する要請書をしたため、新たな兵站計画の裁可などを済ませ、ホワイティアが指揮官集合をかけたのは夕刻になりつつある頃だった。
  当然、各市町からの返事はない。近場であればすでに届いているだろうが、遠方に向かわせた使者はまだ馬上、もしくは空中にあるはずだ。だが、大方の返事が届くまで待っている時間は彼女にはない。皮算用も良いところだが、同時進行でなければ間に合わない。
  王宮府が本作戦に同意しているのだから、各市長が否を唱えることは非常に困難だ。
  それだけに皮算用でなくなる可能性もかなり下がる。
  それでも最終的に恨まれるのは軍であることに代わりはない。
  大会議室には全ての上級指揮官たち――連隊長以上、ホワイティア直轄の独立編制の大隊長も含まれている――が集められている。
  彼らも大まかにだが、何が起きているのか耳にしている。
  敵が村々を占拠し、村民を脅かしている。良識的な軍人であれば義憤に駆られる状況だ。
  それでもこの大会議室に集められた人数はあまりにも多すぎる。
  単純に迎撃・解放作戦を行うだけであれば集合を命じられる人数はもっと少ない。
  全指揮官集合を命じられたということは大規模作戦が待っているということだ。
  これからどのように自分たちが動くのかと討議している者、煙草をくわえ雑談に興じる者と様々だ。場にはある程度の緊張感があったが、それ以上ではない。
「司令官閣下、入室されます!」
  衛兵が声を張り上げた。ファインズらを従えたホワイティアが入室した。
  目のあった者には会釈を返す。
  壇上に立つと同時に同じ衛兵が号令をかける。
「総員、敬礼!」
  大会議室にいる全ての者が腰を曲げて礼をする。ホワイティアも小さく頭を下げて答礼を返す。
「皆、楽にして。着席を許します」
  全員の着席を確認する。出席した高級将校たちには戦意に満ちているのが分かる。
  どのような苦境に陥ろうと勝機を掴めると確信できるほどの気迫だ。
  これまでの勝利。祖国の解放。
  そして、これから自分たちは英雄になるのだ、という高揚感。
  その全てが彼らの気迫を作り上げている。
  ホワイティアは勝利を渇望する男たちの視線を一身に受けて、身を震わせた。
  だからこそ軍人はやめられない。この男たちの情念こそが彼女を軍に捉えているもの。
  彼女にとって夫となる者は二人といない。仮に何か途轍もない不幸が襲いかかり、夫が落命したとしても後添いを得ようとは思わないだろう。
  それほどまでの愛情を向けられる相手がいるにも関わらず、男たちの視線に胸を高鳴らせてしまうのはある種の背徳感がある。
  鶏冠を聳やかしている部下を前にしたら誰だってそうなると夫は娘の前では笑っている。
  ホワイティアの夫は魔獣討伐の際に受けた怪我が元で予備役編入を余儀なくされた将校だったから今の彼女の気分が分かっている。その一方で夜になると何も言わず彼女にとって二人といない男なのだと身も心も蕩けそうなほどに思い知らせてくれるのだが。
「すでに耳に入っていると思うけれど、ロゼフ軍が動き出しました。我々はそれに対応しなければなりません」
  男たちの顔がさらに引き締まる。
「今後の行動に関する詳細は後ほど参謀長にさせます。状況を要約すれば敵二個連隊相当の兵がハラード街道を西進、その途中で南北に別れコスタなどの集落を制圧しました。我が軍の斥候が監視を続けていますが現在までに目立った動きはありません」
  今のところ民に何らかの危害が加えられてはいない、ということだ。
  全体としては些細な、しかし当人にとっては災厄としか言い様のない出来事は起きているかもしれない。それが発展して虐殺が起きたとしても斥候部隊には交戦を許されてはいない。彼らは例え眼前で村民が殺されても見ていろと命じられている。
「敵の行動は我々を誘う罠であると推測されます。我々が派遣した救援を撃破するだけではなく、この集落を巡る戦いで彼らは主導権を握り返そうとしているというのが司令部の考えです」
  指揮官たちの中には小さく頷く者の姿が見られた。
  主導権――戦う場所と時間を選べる自由のことなど。これこそが重要なのだ。攻めるにせよ、守るにせよ主導権を握らないことには目的を達成することは出来ない。そして、これを握ることこそが指揮官に求められる。
「恐らく彼らは数度の勝利を得た後、ワルタ市へと撤退するでしょう。我々は敵の再来に備えてある程度の部隊を村落に貼り付ける必要が出ます。そうなれば正面兵力、物資の減少は避けられません。更なる戦果を望む彼らが輸送隊を襲うものと考えて間違いありません。街道を挟んで睨み合いの状況が長く続けば、ロゼフ側からの働きかけによってリーズが参戦する可能性が大きくなることは間違い有りません」
  リーズが参戦しないように外務省も様々な努力を続けている。万が一、長期戦となり、リーズが参戦してきても軍は外務省を責めることは出来ない。
  そもそもこの状況を生み出したのは軍の反乱が原因であり、何より軍事力も外交を支える重要な要素だからだ。隙があれば付け込まれるのは世の常識だ。
  リーズからすれば、弱っているラインボルトを更に痛めつけて、アクトゥスとの問題に実力を伴った介入が出来ないようしたいと考えても不思議ではない。
  ロゼフ如きに手こずり、自国の領土すら奪還できないのであれば、自分たちが介入したとしても大した反撃を受けることもない。またラインボルトはラディウスにも備えねばならないので大事にはならないだろう、と。
  見も蓋もなく極端な言い方だが、それなりの軍事力があるからこそ相手は戦争という強硬手段を控えて、交渉の席に着くのだ。
  いくら欲しい物があっても、怪我をするのでは割に合わない、ということだ。
  素早くワルタを奪還すれば、ラインボルト軍は健在であると対外的に示すことになる。
  見方は様々にあるが少しでも早くワルタを奪還するに越したことはない。その点を改めて指揮官たちに話したホワイティアは一拍の間をおいて声を張り上げて宣言した。
「我々が今後とる行動はただ一つ。決戦のみ!」
  歓声が沸き起こる。ホワイティアは満面の笑みをもって彼らの覇気に満足を得た。
  そして、傍らに控えるファインズに頷きかけて彼に場を譲る。
  彼はそれに応えて、連れてきた新米将校二人にワルタ―レルヒ間の街道の地図を中央の台に広げさせる。その間にさらに詳細な現状報告をファインズが行った。
  咳一つ。そして、指し棒でレルヒ―ワルタ間の街道の中間点を指し示す。ここには南北に分かれた支線の合流点がある。
  ワルタは多くの鉱山を有する地だ。その為、全体として山がちな風景が広がっている。
  街道とその支線はこの山々を縫う様に通っている。その合流地点には幾つかの村落がある。村民たちはすでに避難してきており無人となっている。
「我々はこのヒキメ平野にて決戦を行うことになります。本作戦はこの戦争の帰趨を決するものとなることは間違いないでしょう。理由は先ほど方面軍司令官閣下の仰られた通りです。つまり、我々に求められているのは完全無比なる敵軍の殲滅にあります」
  ファインズはそこで一呼吸分の間をおいた。
「本作戦は五段階をもって構成されています。第一段階は敵に対する陽動作戦を行います。
  この任を第一三○一連隊長を上将として第一三○一歩兵連隊、第一三○二歩兵連隊、第一三○四騎兵連隊を充てる」
  この連隊は元々ホワイティア麾下の第十三軍を使いやすいように再編成した部隊だ。
「キアリス連隊長、貴官らの任務は村落へと伸びる支線の確保にある。
  敵軍の目的は各村落の救出に派遣される貴官らを殲滅し、少しでも兵力差を広げて市街戦へ突入することを躊躇させることにあると考えられる。
  つまり、彼らがそれだけ本気で貴官らを殲滅にかかるということだ。
  各支線付近には伏兵が配され、貴官らの接近を察知した敵はワルタ市より援軍を送るだろう。予想される敵兵力は二、三個連隊。貴官らは支線に潜む敵兵の殲滅に時間をかけすぎると敵に挟撃されることになる事を留意して貰う。
  敵伏兵の殲滅が完了次第、警戒線を構築せよ。敵増援の撃破を主任務とし可能な限り抗戦を続け時間を稼ぐのだ。可能な限り」
  つまり作戦予定時刻まで限界まで戦え、但し限界を超えそうなら上手く後方に下がっても良いということだ。キアリスも司令部の命令の意味を飲み込んだことを示すように頷いた。
「尚、村落の解放の為の行動を行うことは禁止する。解放はワルタ市を奪還した後に行う。敵が村民たちを人質にとるのならば敵軍を人質にとって悪い道理はない。彼らには生き餌となって貰う。無駄に刺激することは厳禁とする」
  人質は生きているからこそ価値がある、ということだ。
「承知しました。我らが同胞を人質に弄ぶ愚か者どもを翻弄し、最後には殲滅してご覧に入れます」
  景気付けるようにキアリスは叫びで応じた。
  ファインズは頷きと男性的と評するしかない笑みで彼の気勢を讃えた。
「ヒキメ平野の決戦予定地の確保の後、山々の丘陵を利用してハラード街道並びに各支線を封鎖し陣地腺を構築する。これには第十五軍に各軍より抽出された工兵、魔導兵による臨時編制の部隊、そして臨時徴募した市民たちを付与した上で投入します」
  指名を受けた第十五軍司令官ビオス将軍は誇らしげに胸を張っている。
  彼に向けてファインズは一つ会釈をする。
  彼はラインボルト軍では土木屋として知られている。自分たちは弱卒なのだから陣地線を構築し、それを拠点として粘り強く戦うべきだというのが彼の主義だ。
  派手な会戦にて決着を付ける誘惑を真っ向から否定する珍しい将軍であった。そして、このヒキメ平野での決戦の青写真をホワイティアに献策したのも彼であった。
  兵の損失を少なく勝利したいホワイティアにとっては有り難い献策であった。
  相手は魔導士の数が少なく、陣地線を構築する防壁と空堀の破壊が困難であり、何よりもすでに陣地線構築の為の資材はすでに敵が用意してくれている点が大きかった。
  ヴィレン・ブロムが司令官を務めたワルタ市前衛守備陣地群の残骸だ。
  あちこちから石材を集めてる必要もなく、木材は伐採場やレルヒに蓄えられていた木材が挑発した。廃屋を取り壊して、資材に変えてもいるのだからその徹底ぶりが伺える。
  ワルタ地方は山林が多く、伐採するだけならば簡単に木は手に入る。だが、木材とするには伐採した木を乾燥させないと使い物にならない。
  容易にホワイティアが大量の木材を手に入れられたのにはもちろん理由がある。
  ワルタ地方は鉱工業と林業が盛んな地域だが、平時から需要以上の木材はない。
  にもかかわらず、彼女は簡単にそれも大量に手に出来た。
  ロゼフ軍が各地の陣地群建設のために大量の木材を欲していたからだ。
  レルヒを占領していたロゼフ軍がこれらに放火する前にラインボルト軍は確保していたのだ。陣地構築に必要な人手もすでに集まり始めている。
  有志の青少年から本業の大工、炊き出しの手伝いをしたいと奥様方まで応募してきている。必要を満たせるだけの人数は確保できつつある。
  後は的確な指揮を執れる人物さえいれば良い。そして、それがビオスだ。
「ビオス将軍、貴官ら第十五軍の任務は重要だ。陣地を構築し、且つ同胞の解放の為に参じた勇気ある国民たちを守らねばならない。彼らを一人でも戦死させることは我が軍にとって敗北以上の恥辱である。故に総司令官閣下は貴官がこの任に耐えるられないと言うのであれば、特別に辞退を許すとのお言葉である。ビオス将軍、如何か」
「お気遣いは無用に願います。見事、ご期待に応えてみせます。後の世までの語りぐさとなる防衛戦を勇者たちと共に構築してみせましょう。後続の将兵諸君らは心安んじて敵軍との決戦に臨まれたい」
  立ち上がり胸を叩いて自信のほどを述べるビオスに激励の拍手が起こる。
  ファインズは頷いた。
「陣地群完成、布陣をもって第二段階の完了とします」
  そして、彼は一人の女将に顔を向けた。翡翠色の髪を纏め上げている。
  彼女は第六軍司令官ミスラ将軍だ。
「左翼をミスラ将軍率いる第六軍、右翼をシェアト将軍率いる第二軍にお任せする。敵軍は両翼の打通に全力を挙げることになると推測される。また、貴官らの背後を敵軍が衝く可能性もある。警戒を緩めない様に留意していただきたい」
「了解いたしました。参謀長、その点において一つ質問があります」
  と挙手をするミスラ将軍。
「なんでしょう、ミスラ将軍」
「仮に背後より敵の反撃を受けた場合、これを完膚無きまでに殲滅しても構いませんか?」
  穏やかな面差しの女性だが、彼女の行動はその容姿とは裏腹にその行動は苛烈極まりない。彼女の質問に答えたのはホワイティアだった。
「もちろんよ、ミスラ。許しもなく女の背中を襲う不届き者は殲滅されて当然」
  二人は青年士官時代からの仲だ。部隊演習での決着を付けられない度に殴り合いのケンカをしては、一緒に謹慎処分を受けていた間柄だ。二人の友情は些か過激だが強固だ。
「承知しました。夫を持つ女に手を出す愚かさを身を以て教えてさしあげます。翌年は草木の成長が著しいことでしょうね」
「……んんっ」
  ファインズは咳払いをした。
「シェアト将軍。貴官からの質問はありますか?」
「いえ、ありません」
  女将二人に圧倒されたというよりもこの二人はいつもこんな感じだ。触らぬ神に祟りなし、あまり口を挟まない方が良いというのが軍上層部ではよく知られている。
「なお、第二、第六軍ともに陣地構築を手伝っていただくことになる」
  両者とも否はない。むしろ、当然だという表情で頷いている。
  野戦陣地が早く出来上がることに越したことはない。なにより、背後から来るかも知れない敵に供えて一個軍を遊ばせるのは時間の無駄というものだ。
  専門的な技術を必要としない空堀、土塁などを作ることに参加させた方が良い。
「では、続いて中央ハラード街道上に展開するのは第一魔軍、第十五軍がこれに当たります。第一三○一歩兵連隊を初めとする先遣部隊は防御陣地完成後、予備兵力として後退します。中央陣地群の指揮をシグル副将にお任せします。また、本部直轄としていた第一○一実験砲兵大隊を陣地防御に付けます。随意に活用されるように」
「了解しました。総司令官閣下は心安んじて総指揮に当たって頂きたい。拡大王の時代に謳われた岩窟族の突撃(山津波)を見事跳ね飛ばして見せましょう!」
  シグルの意気に応えるように将帥たちは拍手と威勢の声を上げた。
「尚、第一魔軍は陣地群完成まで前衛部隊の援護を行って頂く。こちらの予定よりも早く敵軍が動き出した場合は先遣部隊を吸収し、陣地群完成まで睨み合いを続けて頂く。陣地群完成後は頃合いを見て後方にて布陣をしていただく」
  簡単に概略を説明すれば、
  キアリス率いる先遣隊が陣地構築の邪魔者を排除し、敵軍の動きを監視し、
  シグル副将率いる第一魔軍はその後衛として、非常事態の備え、
  シェアト将軍率いる第二軍、ミスラ将軍率いる第六軍、そして、第十五軍が陣地群を構築する。陣地構築の総指揮はビオス将軍に委ねられている。
  そして、敵が本格的に動き出したら第一魔軍並びに先遣隊は後退し、陣地群に布陣。
  ホワイティアの総指揮の下で決戦に臨む、という次第だ。
  広げられた地図を前にしてファインズは作戦の解説を続ける。続けて彼が指し示したのはワルタ市の東部を守る敵防衛陣地。
「我々が敵を誘引し手薄となったワルタ市を第八軍が奪還します」
「しかし、ワルタ東部の陣地群は強化され続けていると聞きます。如何に第八軍といえども突破には時間が掛かるのでは?」
  決戦に及びワルタ軍を撃破したとしても全滅させることは不可能。多数の敗残兵がワルタ市に逃げ込み、籠城させてしまう。これでは敵を誘引した意味が無くなる。
  早急にワルタ市を奪還し、敗残兵が逃げ込まないようにせねばならない。
  ワルタ市を早期に奪還できればロゼフ軍は拠点を失わせることが出来る。
  そうなればロゼフ軍はまずホワイティアらを撃破せねばならず、強固な陣地群に何度となく突撃を繰り返すことになる。激しい戦いになることは間違いない。それでも陣地に篭もるラインボルト軍は有利に戦うことが出来る。
「その点はご心配なく。すでに後継者殿下のお許しを得て、大将軍閣下にご足労願うことになっている」
  人魔の規格外は戦略兵器として扱われる。
  彼ら自身が前線で力を発揮するには魔王の許しが必要だ。
  ラインボルトの切り札なのだ。妄りにその力を使わせる訳にはいかない。
  そして、ゲームニスは数多の戦いを潜り抜けてきた将帥であり、個人としても世界に名を轟かせる勇士でもある。その彼の出馬は否応なく勢いを付ける。
  この作戦は絶対に成功するという自信を出席者たちに与えた。
  仮にロゼフ軍がワルタ市で立て籠もるのだとすれば、それもまた良しだ。その時は一番最初の作戦通りに行動すれば良い。
  この陣地群もワルタ市に対する付け城にして、敵の兵站線の遮断に一翼を担わせれば良い。そもそもこれだけの条件を満たさなければ完遂できない作戦が無茶なのだ。
  ホワイティアとすれば幾らか敵をおびき寄せてこれを殲滅し、ワルタ市に立て籠もるロゼフ軍に早期降伏を促せられればそれで良かった。
  個人としても、軍人としても市街戦などしたくはない。叶うことならばこちらの思惑通りに事が済んで欲しい。王たるものの武運が国軍にも与えられるのならば、あの幸運な後継者を戴く自分たちも主君の武運の欠片でも与えられても不思議ではない。
  願わくば全てが上手くいくように……。
  この間、ファインズはテキパキと兵站計画の説明が行われている。区切りごとに質問を受け付け、その度に彼は簡潔に解答を行っていく。
「司令部はアスト山に置き、ここから総指揮を執ります。第一三○三歩兵連隊は別命あるまで司令部の警備にあたって貰う」
「承知しました」
「第六○三独立強襲戦隊もまた同様である」
  第六○三、との部隊番号に一同は曰く言い難い表情を浮かべた。
  そんな雰囲気の中、戦隊長であるヴィゾルフは気にした風もない。いつものことだと言わんばかりの体だ。
「了解いたしました。我が戦隊将兵一同、総司令官閣下のご期待に添えるよう準備を整えております」
  第六○三独立強襲戦隊は空に生きる者たちで編成された戦隊だ。
  ラインボルトはどのような種族であろうと魔王と法に従うのであれば受け入れることを国是としている。それ故に多くの種族が住まう国だ。
  それでも空を飛ぶことの出来る種族は限られ、また軍に入隊しようとする奇特な者はさらに少ない。ならば、その少ない資源を分散させるより、一極集中して用いるべきだと運動している者たちがいる。その運動の中心人物がヴィゾルフだ。
  彼は陸海とは別の空軍という組織を作ることを考えている。
  この一戦は彼らにとっても意義のあるものだ。集中して用いた航空戦力が如何に強力かを見せる部隊としては最高だ。ワルタ市解放の最終戦ともなればその効果はさらに増す。
  確たる戦果を挙げれば後継者の耳にも届く。そうなれば大きな前進だ。
  故に彼ら第六○三の士気はワルタ方面軍において高い水準に保たれている。
「よろしい。では、最後に総司令官閣下よりお言葉がある。総員傾聴せよ」
  全員が威儀を正して直立不動の姿勢を取る。
  ファインズは一礼して、ホワイティアに席を返す。
「……」
  彼女は出席たちを見回した。どの表情にも戦意が充ち満ちているのが分かる。
  戦意は、狂気と同じく伝播する。ならば、彼らの戦意は間違いなく部下たちにも広がることだろう。ホワイティアの役割は彼らのうちから湧き出る戦意を沸騰させることだ。
「時間が惜しいのでくどくどしいことは言いません。みなさんには今回の戦いの目的について認識を新たにして貰います。
  この決戦はワルタ市解放の為でもありますが、もう一つ意味があります。
  今、私たちがいるこのレルヒの防衛です。
  仮に私たちがこの決戦で敗北した場合、レルヒはどうなるか。
  司令部が掴んでいる情報によるとワルタ市は極度の物資不足に喘いでいるとか。
  市民たちは日々の食事に事欠き、敵軍将兵もさほど同様だと聞いています。
  そんな敵軍がこのレルヒを襲えばどうなるか。
  戦争の常である略奪と暴行が徹底して行われることでしょう。
  ましてや賛嘆の声とともに私たちを迎えてくださったのですから彼らへの仕打ちは見せしめと兵たちの鬱憤の解消を兼ねて想像を絶することでしょう。
  抵抗をする男たちは殺され、女たちは陵辱の限りを尽くされる。
  私たちが負けることがあれば、この地に地獄が作り出されるのです。
  そのようなことを現実とする訳にはいきません。何より後継者殿下がそれをお許しになりません。敗走の末にエグゼリスに辿り着けたとしても、私たちの首は間違いなく殿下の手によって刎ねられるでしょう」
  まさか、という表情を浮かべる指揮官は少数であった。殆どの者はそれが現実として十分に起こりうることだと思っていた。
  やると決めれば断固として実行する。それは宰相派、革命軍の陣営の別なく内乱に参加していた者たちのアスナへの評価の一つであった。
  事実、アスナは失態を演じた近衛騎団団長ヴァイアスの利き腕を斬り落としている。
  ヴァイアスのように親しい者でさえ、そのような決断をするのだから、一介の将軍の首を刎ねるぐらい即断してしまう可能性は十分にある。
  良くても一兵卒に降格は間違いない。
  ラインボルト軍将兵にとってアスナは大恩ある後ろ盾であると同時に恐れてもいる。
  位階が上にいくほどにこの傾向がある。
「しかし、同時に殿下は私たちに絶大なる信頼をお寄せ下さっています」
  ホワイティアはそこで一度、言葉を区切ると身体を南へ。エグゼリスの方向へと向けた。
  そして深く、深く一礼をした。
「その証として、我らワルタ方面軍は決戦に際して、後継者殿下より作戦名を賜っている。
  よって、本作戦はこれより蒼月作戦と呼称される」
  指揮官たちは瀑布のような歓声を上げた。
  作戦名は基本的に軍が勝手に命名するものだが、この「蒼月」という作戦名は出陣に際してホワイティアがアスナに強請ったものだ。ラインボルトでは魔王――今は後継者のアスナ――が名を下賜した作戦に参加した者には作戦名を冠した特別な勲章が授与されることになっている。
  年金などの恩典は付かないが、これを与えられた将兵は英雄として扱われる。
  なぜなら魔王は国家にとって最重要と認める作戦にしか作戦名を下賜しないからだ。
  勝利を掴み取れば英雄となれることが約束される。これが祖国の防衛と解放の戦いとなれば尚更だ。これほど将兵を駆り立てるものはないだろう。盛りの付いた猫のように雄叫びを上げる男たちにホワイティアも応じる。
「近衛は、我らは魔王の剣であり、魔王の盾であると自らを任じているそうです。そして、彼らは先の内乱において自らの言葉に一片の偽りのないことを示しました。
  次は私たちの番です。ラインボルトの剣であり、盾としてある我々が殿下の信頼に足る存在であることを示す時なのです。
  殿下はワルタ地方の奪還と、なにより市民が血と悲しみの涙を流すことを嫌っています。
  ならば私たちがすべきことは単純にして明快。勝利を!
  ロゼフの者どもにラインボルトに刃を向けたことの意味を思い知らせてあげなさい。
  国民にはラインボルトに不和の種は消し去られたことを知らしめなさい。
  そして、殿下には、ラインボルト軍は殿下のご意志とともにあることを示しなさい!」
『了解いたしました!!』
「よろしい。おおいによろしい。作戦発動は明日十二時を予定しています。貴官らは早急に準備を整え、英雄への階段を駆け上っていただきたい」

 



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