第五章
第五話 閣議は踊り、次の一歩を踏み出して
「無事のご帰城お慶び申し上げます」
「うん。ありがとう」
王城に帰還したアスナを宰相シエンと内大臣オリザエールが出迎えた。
彼の背後ではエルトナージュや近衛の面々が控えている。
「色々とあったけど、良い休暇だったと思う」
「それはなによりです。姫様とはご婚約されたということで宜しいのでしょうか?」
ちらりと彼女を見ると淡く頬を赤く染めている。恥じらっているようだ。
自分との関係がそうさせていると思うとくすぐったい。
「正確には結婚を前提にお付き合いを始めただな」
「……申し訳ありません。どうも私には違いが分かりかねます」
と、眉の間に皺を寄せて困惑顔を浮かべながらシエンは尋ねた。
彼のこんな顔を見たのはもう一人の魔王の後継者であるアルニス・サンフェノンより宰相になれと推された時以来かもしれない。
王の婚姻は政治だ。故にどう取り扱えばいいのか分からないのだろう。
そんな彼の様子に面白くて笑みが浮かんだ。
「少しの間だけでも恋人気分でいたいってこと。外向きには戦時中だから自重しているとかそんな感じで話してくれて良いから」
そう言いつつアスナはエルトナージュに頷きかけた。
「ラインボルトでの結納がどういうものか分からないからその辺りのことは内府に任せていいかな? エルとも相談をして進めて欲しい」
王族の作法がどんなものになるのか想像も付かない。
アスナが口を挟むよりも彼女らに任せてしまった方が奇麗に行えるはずだ。
「承知いたしました。ウィーディン家にも同様に申し入れを行えば宜しいのですね」
まさかこの場で自分のことが話題になるとは思わなかったのかサイナは耳まで顔を赤くした。しかし、表情は変わらず護衛隊長の役目を疎かにはしていない。
「うん、お願い。すぐに聞いておかないといけないことってある?」
「幾つか到着が遅れている使節団があります。二日ほど日程がずれ込むようです」
「けど、そういうのも見込んで準備は進めていたよな」
「はい」
各国の使節団もそのことは見込んで出立をしているが、それでも到着が遅れることは良くある。日程が後ろにずれても問題ないように滞在期間を多く取るのが常識だ。
「遅れている人たちには安全第一でお越し下さいって使者を立ててくれ。到着してる人たちには不便な思いをさせないないように。こんな感じかな?」
「良いお指図だと思います。内府殿、外務卿と相談して取り計らっていただきたい」
「分かりました」
はじめは生きた人形がいることに驚いたけど慣れたもんだ、と内府の表情のない顔を見ながら思った。宰相の指示に了解の返事と共に頷いたオリザエールは次いでアスナに顔を向けた。
「時間に幾らか余裕が出来ましたので殿下には判断の難しくない案件から処理していただこうと宰相殿と話しておりました」
「難しくないって?」
「叙勲と恩赦の判断を行っていただきます。叙勲については当人の経歴と推薦状を、恩赦については先例を纏めた書類を用意しております」
「賞罰に触れることは殿下にとっても良い経験になるはずです」
シエンが自身の考えを添えた。
「信賞必罰は武門の拠って立つところっても言うしな」
「判断に迷うことがありましたら先例に倣っていただければ宜しいかと存じます。急いで処理せねばならないことではありませんのでお気楽に」
「分かった。そうさせてもらう。それとリムルは帰ってきた?」
「明明後日には戻ると予定だと聞いています」
傷が癒えた後、リムルは首都エグゼリス周辺に”彷徨う者”の捜索任務に就いていた。
「例の件は軍務卿に任せれば良いと思うのですが」
「そういうことを人任せにしてると、本当に大事な、王様じゃないと決断できないことが起きた時に何も出来ないようになる気がするんだ。うちのジイさんが言っていたんだ。大切だと思うことはしっかりと自分で決めないといけない、ってさ」
エルトナージュとサイナのことと同じことだ。
王であっても出来ることと出来ないことはある。だから、出来る人に任せねばならない。それを決定して、その結果の責任を王は受けねばならない。
リムルのことは人任せにして良いことではない。
「承知いたしました。将軍が戻りましたら殿下の元に参上するように手配せよと軍務卿に命じておきます」
「よろしく。それじゃ、執務室にいるから何かあったらよろしく」
「はい」
リムルが戻るまでの三日間、アスナは用意された案件を処理したり、到着した使節団へ挨拶状を認めたり、エルトナージュらを連れて街に遊びに出たりして過ごした。
休暇明けで呆け気味になっている頭を切り替える良い時間であった。
叙勲に関しては名誉を受ける者の経歴と推薦状の内容は興味深く読めた。対象が引退する中央官僚や軍人なので、彼らが関わってきた様々な事柄と結果がアスナにとって生きた教科書たり得た。
彼らの引き継ぎが終わった後で彼らの話を聞いてみるのも良いかもしれないと思った。
中には特別の功績があった訳でもない者が推薦されていたのはご愛敬だろう。
貴族や名家の籍を管理する紋章院の役人の解説によれば、地方の名士なのだという。
議員の支持基盤固めや長年の慣例となっているからと理由は様々だ。
こういったことが有力者の権威保持に繋がり、地方の安定にある程度寄与するのだという。そして、アスナにとっては推薦者たちに貸しを作ることができる。
官僚や商会の当主などは分かりやすい功績があるから良いが、慣例で推薦を受けている者に関してはそのまま許可を出して良いが、人柄がいいだけで推薦をされても困る。
人柄云々で勲爵士となれるのであれば、アスナが現生界にいた頃、学校帰りに良く買い食いしていた肉屋の夫婦も叙勲の資格有りとなってしまう。
なにしろ、たまに衣が破れてしまったコロッケをおまけにしてくれたのだ。未来の王様に献上品をして翌日の朝食が楽になったのだ。
この功績には是非とも報いねばならない、ということになる。
結局、五分ほど悩むと『叙勲を受ける者の功績を記入し忘れている』ということにして差し戻すことにした。
使節団へ送る挨拶状は外務省の職員が代筆をしてくれている。まだまだ、奇麗な字が書けないアスナにとってはありがたい。この手紙を一読をし、問題がないと判断すれば署名をするのが仕事となる。
そして、リムルが帰還する日が訪れた。
アスナの執務室内は薄い緊張が漂っていた。
普段と変わらぬ部屋の風景なのに、何故かこれが見納めとなるような気がした。
執務室にはヴァイアスも呼んでおり、緊張感の一端となっていた。
手元にあった仕事を終えるとアリオンに書類を手渡すと秘書官室へと退避させた。
彼らには物音がしてもヴァイアスが側にいるから心配しなくて良いと伝えている。
「無事に話が出来れば良いんだけど」
「さすがに緊張するか」
「そりゃね。怒らせるって分かってることを話すんだ。気が重い」
「だったら、今から軍務卿に任せるか?」
「まさか。王様がそんなことじゃダメだろ。しっかりやるよ」
そういうとアスナは腹に力を込めた。
「なんであれ、お前のことだけは守るからその点は心配しなくて良い」
「悪い」
「謝るな。アスナの人事には意味があるんだ。なのに謝られたら納得した俺が間抜けみたいになる」
アスナは黙って頷いた。
程なくして執務室の扉を叩く音がした。ちらりと時計を見る。時間通りだ。
一度、ヴァイアスに視線を向けるとアスナは「どうぞ」と返事をした。
「失礼します」
入室してきたリムルはヴァイアスの姿を見て表情を明るくした。
彼以外にも第三魔軍副将ガリウスとリムルの副官フィアナも来ていた。
三人とも奇麗な敬礼をして見せた。アスナとヴァイアスもそれに応じた。
「お疲れ様。まずは報告をしてもらっていいか?」
「はい。王墓を除く首都周辺の巡察を終えました。”彷徨う者”発見されず、近隣町村の墓地の調査も行いましたが蘇った形跡はありませんでした。その代わりに内乱で出た逃亡兵、敗残兵を発見したので収容して、憲兵隊に預けました」
「第三魔軍の損害は?」
「すぐに投降したので死傷者はいません」
「……ん、それじゃ本題に入ろうか」
息を吸い込み、呼吸の勢いに任せて言葉を発した。
「リムル将軍。貴官を第三魔軍司令官より解任する。その後は大将軍の指揮下に入って貰う」
瞬間、脇の書棚が断たれ、応接卓の上にあった花瓶が割れた。生けられていた花が吹雪きのように四散してしまった。
「恐れながら、殿下!」
リムルが何か口にするよりも早くガリウスが前にでた。
「将軍は殿下の命を滞りなく遂行し、全ての任務において満足いただける成果を挙げているはずです。将軍を解任される理由をお聞かせ下さい」
その態度は理不尽に責められる後輩を守る先輩のように見えた。
リムルの隣に出たフィアナも同様だ。まるで母獅子が牙を剥いて威嚇をしているかのようで、その二人の姿にアスナは不思議な安堵を得た。
「もちろん、理由はある」
アスナは静かにフォルキスたちの前で話したことと同じ内容の解任理由を説明した。
三人が威嚇する姿に変化はない。
ヴァイアスでさえ怒ったのだから、当事者は言わずもがなだ。
「オレ個人の見方だとリムルに第三魔軍の指揮を任せることに不安はない。だけど、まだまだラインボルトは不安定なんだ。ロゼフとの戦争が終わってもアクトゥスとリーズが争ってる。南に目を向けるとラディウスやエイリアと事を構えてる。なにか予想してなかったことが起きて、それの対処を間違ったら大混乱に陥る可能性があるんだ。そんな時、頼りになる指揮官が一人でも多く必要になる」
「では、尚更将軍を解任しない方が宜しいのではありませんか」
吠えるようにガリウスは言った。
「第三魔軍だけ、ならな。オレが言ってる指揮官っていうのは方面軍以上を率いることが出来る指揮官のことだ。リムル、大将軍やホワイティア将軍と同じことが出来るか? オレから見ても今のリムルには出来ないと断言できる」
「それは、まだ僕が子ども扱いされてるから」
「ガリウス副将。内乱が終わってから勉強会や宴会に誘われたり主催したことがあるよね」
「宴会というほどのものではありませんが、同期などと勉強会を兼ねた会食は何度か」
それだけでガリウスはアスナが何を言いたいのか察して苦い顔をした。
「リムルは何度そういう機会があった?」
「…………」
しかし、彼は俯いて答えない。
「リムル、答えろ。これは命令だ」
「……ありません。一度もありません。けど、それは近衛のヴァイアスだってやってない」
「ヴァイアスは参加してるぞ」
アスナは声を張り上げて断言した。
「詳しく誰だとかは覚えていないけど、勉強会に参加したって報告は聞いてる。みんな、近衛騎団が手に入れた教訓を聞きたがったそうだ。ラディウスとも戦ったから余計にな。ガリウス副将。貴方も勉強会じゃそうだったんじゃないか?」
「は、その通りです」
溺れた者のような歪んだ顔で喘ぐようにそう答えた。
「みんな、第三魔軍の話を聞きたがってるんだ。けど、リムルは誘われなかった」
「それは……」
出掛かった言葉を寸前で彼は飲み込んだ。他に誰もいないとはいえ言って良いことと悪いことがある。
「誘われなくても、いつ何処でやるから参加して下さいって募集すればいい。それぐらい副官に命令すれば手配できるんだ。フィアナさん、そうだな」
「はい。ご命令があればすぐにでも行えます」
出来ないと答えることは彼女の無能を示し、そんな彼女を副官としているリムルの評価を下げることになってしまう。
「誰がどういう人で、どんなことを得意としているのかを知ることが出来るんだ。そういった事が分かっていないと沢山の将軍を率いるなんてことなんて出来ない」
何だかんだでアスナもやっているのだ。閣僚や議員とは食事会を開き、官僚や軍人とは講義を通じて知り合いを増やしている。
なんとか王様をやっていられるのもそういったことの積み重ねだと自負している。
アスナは椅子から立ち上がるとリムルと向き合った。
そして、彼の肩を掴んで顔を覗き込んだ。握った肩は見た目よりもずっと大きく強い。
「オレは将来、リムルが大将軍の後継候補に名前が挙がっていて欲しいと思ってる。あんまり歳は変わらないのに立派に第三魔軍を率いてる。将器っていうのがあるんだと思う。だから、それをもっと大きくしてくれ。これはオレの勝手な期待だ」
「僕に大将軍なんて……」
「そのためにまずゲームニスに預ける。いまの大将軍の側で何かを身につけて来て貰う。オレは王様だから、期待するだけじゃなくしっかりと舞台を整える。あとはリムル次第だ」
ポンポンと二度、彼の肩を叩くと再び自分の椅子に腰を下ろした。
「これで話はおしまいだ」
そして、直ぐ側に立つヴァイアスを仰ぎ見た。
「ヴァイアス、これから休暇をあげるから街に遊びに行ってきな。リムルも退室して良し」
「ちょっと、待った。休暇ってどういうことだ。そんな話は聞いてないぞ」
「はいはい。いいからいいから。アリオン!」
従者役を務めるアリオンが飛び込むようにして執務室に入ってきた。
近衛騎団出身だからだろうか。臨戦態勢を思わせる空気を身に纏っている。
「はい。なんでしょうか」
執務机の上にあるペンを手にすると、そのペン先をヴァイアスとリムルに向けた。
「予定通り二人は休暇になるから書類を関係部署に持っていって。それとその二人を部屋から追い出してくれ」
「は、はい。団長、将軍。アスナ様のご命令ですので失礼します」
アリオンは二人の背に手を当てて、文字通り部屋から押し出してしまった。
見送りを終えたアスナは室内に残るガリウスらに顔を向けた。
「強引に過ぎると思います。将軍はまだ第三魔軍司令官となって日も浅くまずは足場を固めることを優先していたのです。決して怠慢であったとは思わないで下さい」
「ガリウス副将。貴方や参謀たちがリムルを盛り立てることを怠っていたなんて思ってないよ。貴方たちが描いていた将来像と今の状況が変わってしまっただけのことだ」
内乱前であれば次期大将軍のフォルキスがいたので第三魔軍首脳陣はリムルに将軍としての教育を最優先に受けさせることにしたのだろう。
そこにはアスナの周囲がしているものと同じような苦労があったに違いない。
だが、その目論見の大前提であったフォルキスが候補から外れてしまった。リムルもこれまで通りという訳にはいかなくなっている。
「後任が決まるまで第三魔軍司令官代理をガリウス副将に任せる。それとリムルにはロゼフに行って貰う時には中隊程度の部隊を用意するつもり。第三魔軍から志願者がいるなら許可を出す。それと副将が北方総軍にいる友だちへの紹介状をリムルに渡すのを止めないから。フィアナさんもそのまま副官を続けて貰うから」
「出来る限りの用意をして送り出して良い。そう考えて良いのでしょうか」
「その用意が納得できることなら、俺からの提案ってことにして軍務卿に渡すよ。出来たら直接ここに持ってきてくれて良いよ」
「ありがとうございます。すぐに取りかかることにします」
一礼をしたガリウスに謝意を述べた。たったそれだけのことで若干、部屋の中の空気が和らいだ。しかし、フィアナは表情の険しさを解いていない。
「副官、貴女からも何かある?」
「それだけなんでしょうか」
「やめろ、フィアナ」
ガリウスが彼女の軍服の裾を引っ張って止めるが、彼女は口を閉ざさない。
「将軍のこれまでの働きに対して、それだけしか報いてはくれないのですか」
「止めろと言っている!」
頬を殴打されて僅かに揺らぐが彼女は倒れることなくそのまま自分の問いかけにアスナがどう応えるかを待っている。
その視線は真っ直ぐで、話を逸らすことを許してはくれない。
だから、アスナは彼女たちと正対して黙って深く頭を下げた。
「……そん、そんなこと、ずるいじゃないですか」
「お許し頂いた提案書の件は数日以内にお持ちいたします。失礼いたします、殿下」
出来る限りアスナの姿を見ないように敬礼をすると、ガリウスはフィアナの腕を取って退室した。
執務室に一人となったアスナは顔を上げるとノロノロと割れた花瓶の後始末をし始めた。
勲章などの名誉を授与することは簡単だ。自分で推薦状を書くことだってできる。
取り上げた物の大きさを考えれば、それでは不足することはよく分かっている。
だから、頭を下げて謝意を示す他なかった。
「…………」
花瓶の破片で人差し指が切れた。赤い血が粒のように指の上に溢れてきた。
滴を舐め取ると後始末を再開した。大小の欠片を書き損じた便箋に集めていく。
欠片や生けられていた花を集め終えると彼はポツリと零した。
「オレはリムルから取り上げてばっかりだな」
王城内にある閣議室へとアスナは向かっていた。
彼の左右にはボルティスと陽の光のような鱗を纏い長大な体躯の龍が列んでいた。
龍の名はラインボーグ。ボルティスとともに大公の位を有する存在だ。
ラインボルトの国号の半分を担うが故に龍族の頭領は建国以来、「ラインボーグ」の名を襲名するしきたりとなっている。彼は八代目であった。
「到着してすぐに閣議に参加して貰うことになってすいません」
「なんのなんの。遅参した故、早速お役に立ててありがたい」
「そう言っていただけると助かります」
早朝に到着したラインボーグら龍族一行と挨拶を交わしたばかりだった。
「ふふふっ。久方ぶりにこの通路を進む。昂ぶりもし、懐かしくもある」
と、楽しそうにラインボーグは宙に浮かんだ身体を揺らしながら笑った。
「そうなんですか?」
「最後は先王陛下が倒れる直前のことであった。その後、地方の巡察や魔獣退治に力を注ぐようにと命じられてな。あれが遺命となるとは思わなんだ」
「龍族の役目がそれなんですよね、確か」
巡回する街道や街は龍族の縄張りだと魔獣たちは認識しているようで、まとまった数が人里に現れることは非常に稀だ。
そのおかげでラインボルトは魔獣に脅えることなく国内を移動できる。
「内乱に加わらなかったのは」
「喪に服していたというのもあるが、遺命を守らねばならぬのでな」
内乱中、軍は魔獣退治どころではなかった。
魔獣がそこら中を跋扈するようなことになれば内乱はもっと酷いことになっていたかもしれない。
閣議室の前で衛兵が二名立哨している。
彼らの敬礼にアスナは頷いてみせると二人はそれを合図にして扉を開けた。
「後継者殿下、ボルティス大公並びにラインボーグ大公入られます!」
樹齢数百年はあったであろう幾つもの年輪を重ねた巨樹から作った円卓に出席者たちが集っている。宰相シエンを筆頭に全ての閣僚、その他にも陸軍からは参謀総長グリーシア、先日軍令部総長に就任したばかりのヴァイマーもいる。
特にヴァイマーは初の閣議参加とあって若干興奮気味に見えた。
席に着くと閣僚たちからエルトナージュとのことで祝いの言葉を贈られた。
「今は戦時中だからあまり大げさにしないでくれ。……それに照れ臭いし」
頬を染めながら、そう応じると皆が笑った。
参加者の顔を見回していると見慣れない壮年から老齢の男たちが壁際で並んでいた。
議題の説明を行う官僚たちでもない。どこかで見た覚えがあるが思い出せない。
「シエン。あの人たちは?」
「彼らは私の後任候補となる名家院議員です。些か早いとは思いますが、雰囲気を掴んで貰うために出席を許可致しました。彼らに改めて自己紹介をさせますか?」
「ここでの発言権はある? それと事実上決定しているとかそういうのは?」
「どちらもございません。それぞれに切磋琢磨しております」
良くも悪くもシエンは率直だから彼の言葉はそのまま受け取って良い。
「だったら、いいや。オレの中ではいないことにする。宰相選びで贔屓したとかどうとか噂になったら、そこの議員たちが困るだろうしさ」
そういってアスナは議員たちに会釈をするだけに留めた。
「それじゃ、シエン。始めよう」
「まずは内政から。内務卿」
彼は地方行政の監督、国土開発、治安維持などを担っている。
その他にも内乱中から引き続いて後始末の総監督をしている。シエンに権限を移した方が良いのではないかとの意見もあったが、戦争が始まってしまったのでそのまま総監督の役目を果たし続けていた。
アスナが最初に顔合わせした時よりも頭髪が白くなったようだ。
「はい。各地の治安状況は概ね回復基調に乗りました。軍との協力により脱走兵の捕縛もほぼ終了し、諸都市に蔓延していた不安による治安の乱れも鎮まりつつあります。魔獣についてはラインボーグ大公のご活躍により地方の警備隊のみで対処できる程度に抑えらつつあります。”彷徨う者”に関しても討伐を終わらせ、再度の埋葬を行っております」
「”彷徨う者”がどこで発生したかの調査はどうなっている?」
シエンの問いに内務大臣は首を横に振った。
「未だ不明のままです。調査を続行しております。続いて国土開発ですが、内乱にて中止されていた事業を再開させましたが、開戦しましたので幾つかの事業を引き続き凍結させております。お手元の資料を参考にして下さい」
国が行う事業は主に道路整備と治水だ。他には干拓事業や港湾整備などもあった。
「このアクベン・フィシナ間の陸橋建設は再開できまんせんか? ここが開通すれば山を越えずとも行き来が楽になるのですが」
「予算の増額は出来ませんぞ。内務省内で調整してもらいたい」
と、通商大臣の要望が自分に飛び火する前に大蔵卿が釘を差した。必至になって金策して集めた金が瞬く間に消えていく様子に泡を吹いているという噂をアスナは耳にしていた。
「かねてより通商省と海軍から要望がありました港湾開発と河川補修を優先しているのだから、そこのところは譲っていただきたいのだが」
「その点はありがたく思っているのですが、長期間陳情を受けておりますので」
「計画を中止することはない。今はそれで納得いただけないかな」
「……分かりました。ありがとうございます」
一礼をすると通商大臣は引き下がった。
「厚生事業については先の”彷徨う者”に関わるのですが、疫病の発生や死肉を求めて魔獣が集まってくることが懸念されます。軍から更なる魔導兵の増員を求めます」
「戦時中なので中々難しい。遺体が集められている場所は遠隔地で一箇所や二箇所ではないのだろう? 兵力を分散させては緊急動員に対応できなくなる」
と、渋面で軍務大臣が応じ、両隣に腰を落ち着ける参謀総長、軍令部総長も同意の頷きをしている。ラディウスやエイリアのことを考えて兵力を配置せねばならない。
「しかし、それでは魔獣が集まってくるか、再び”彷徨う者”となって蘇ることにもなりかねん。どうにならんか」
「地方政府と協力して炭や薪でどうにかならないのか?」
「平時であればそのように。しかし、地方は内乱の影響から脱しつつある状況なのだ。負担をさせることは難しいと言わざるを得ん。協議をしている間に問題が発生しているかもしれんのだ。第三魔軍は予備として本国に置かれる。彼らに……」
「それはダメ」
それまで黙って聞いていたアスナが掌を突き出して止めた。
「第三魔軍は現状維持。代わりに近衛の一部を葬礼騎士団に貸し出す。そうすれば慰霊も兼ねられる。内府、その辺りのことをトレハさんやヴァイアスと調整して貰える?」
「承知しました。葬礼騎士団に殿下の名代を同行させては如何でしょうか」
「誰にするかは頼んで良いか?」
「お任せ下さい」
ん、と頷くと内務大臣に顔を向けた。
「これでいいか?」
「はっ。ご配慮お礼申し上げます」
「続けて」
「全体として国内は落ち着きを取り戻しつつあります。しかし、今ご報告しました通り人材、予算ともに厳しい状況にあります。以上です」
「では、次。外務卿」
「はい。今回、副王就任式に使節団を派遣してくれた国々とは以前と代わらぬ良好な関係を維持することを確認しております。アジタからは国王陛下自らのお越しです。アジタ王陛下より殿下と公式に挨拶をする前に非公式会談をしたいとのご要望です」
「オレと? 非公式に?」
「エイリア軍を通したことについて内々に謝罪したいとのことです。その際に通行したエイリア軍の情報などを提供してくれるそうです。エイリアに対して報復する際は同盟軍として参加したい旨を副使殿より伺っております。どうも、エイリア軍はアシンで通行以外にも色々としていたようです」
「で、そのエイリアからは?」
「使節団を送らず。されど送れぬ理由があることを思い出して欲しい、と内々に使者が来られていました。使者から聴取をしたところ私どもが想定していたよりもラディウス軍に浸食されているようです。軍事顧問団やラディウスより亡命してきた部隊の受け入れと様々な形で乗っ取りが始まっているようですわ」
「そのような話は聞いていないが? そういったことは直ぐにこちらに報せて貰いたい」
軍務卿は不快感を露わにして問い質した。
「先日得た情報ですので。不確定なものを提供する訳には参りませんわ」
「不確定であっても一報ぐらいは頂きたい」
んんっ、とシエンが咳払いをすると両者は姿勢を正して会釈で謝意を示した。
「ラディウスに関しては撤退交渉の窓口も出来ない状態です。他国にも仲介して貰っていますが難しいとしか言えません」
「皇竜海条約についてはどうです?」
シエンの促しに外務卿は暗くなった表情を明るくした。
「サベージは随分と乗り気になっております。二国間条約でも締結できる可能性があります。アクトゥスからは海王陛下のご息女ペル−リア姫の輿入れを打診されましたが、ご命じの通りに謝絶致しました。外務省では先方の提案からリーズとの戦争が厳しい物であると判断しております」
「その提案の中にはアクトゥス海軍の教導艦隊派遣が含まれているとの噂を耳にしていますが、その点は如何?」
若干身を乗り出して軍令部総長が尋ねた。よく見ると鼻の穴が膨らんでいる。
「確かにそのような提案を受けております」
言いつつ外務卿は手元のメモ用紙に走り書きをすると、それを軍令部総長に円卓の上を滑らせて渡した。奇麗に磨き上げられているためか奇麗に滑る。
「海軍としては即退けるのではなく、もう少し交渉を……いっ!?」
そこには「殿下よりの受けた言葉。人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて死んでしまえ」と書かれていた。
「先方が縁談を申し出たので我が国からの提案も見せるだけに留めております」
「アクトゥス側の反応はどうだった?」
アスナの問いに自信ありげに外務卿は応えた。
「良い食い付きでした。先にサベージと交渉を始めれば遅れぬようにと飛び付いてくるでしょう。フォルキス将軍に援軍の話を通していただいたので問題なく交渉を進めることができます」
「ん。けど、欲しい物があるからって毟りすぎないように加減をしてくれ。あっちがリーズとのことでラインボルトを使いたいように、オレたちもラディウスへの圧力に使うんだからさ。サベージにその辺り足下を見られないようにな」
皇竜海条約は通商条約であると同時に三つの大国が連携を作る第一歩とする予定だ。
幻想界統一を目指すためにもまずは傷を癒す時間が必要なのだ。
ラディウス軍に居座られてはその時間が長引くばかりだ。
「いえ、殿下」
宰相シエンがアスナの指示に否を唱えた。
「毟り取れるだけ毟るつもりで交渉を行いましょう。内乱中に加えられた圧迫への報復ともなり、国民の溜飲を下げることにもなります」
「けど、それでアクトゥスが倒れられても困るんだけど?」
「交渉ですので最終的には妥当なところで纏まるので問題ありません。我が国にとっては想定する妥協点よりも少しでも良い条件を得ること、アクトゥスの交渉担当にとっては難しい交渉を纏めたという功績を得ることになります。議会や有力者を納得させるには相応の困難を必要とします」
なるほど、と思った。今も召喚されたばかりもアスナは自分があまり変わったように思っていない。なのに周囲の評価は様変わりしている。
つまり、おんぶに抱っこであろうと戦場に出て勝利したという実績が納得を生んでいるのだろう。そう理解した。
「分かった。フォルキス将軍を出すんだから高額で貸し付けてやれ。事前に話したとおり戦場を選べる権利は絶対に確保すること。それ以外のことはシエンたちと相談して決めて欲しい」
「承知いたしました。外務省からは以上です」
ここで少し休憩だとばかりにシエンは茶を飲み、手元に広げた書類を整理し直し、そこにアスナの指示をメモ書きし始めた。他の参加者も同様だ。
エルトナージュが宰相であった頃から続いている小休憩の時間だ。
この僅かな時間の間にアスナは茶を飲み、気持ちを落ち着ける努力をする。
自分の指示で国が動く。このことに対する恐れが日増しに大きくなってきていた。
手に若干の汗が浮かび動悸も早くなる。権力に対する良い意味での高揚感を得るにはまだアスナには早すぎたのかもしれない。逃避的な意味での経験不足を自覚していた。
茶菓子代わりに用意された琥珀色のドライフルーツを口にする。角切りにし砂糖がまぶされている。舌の上に載せると甘みと共に酸味が溶け出してくる。
小粒ほどの大きさなのに濃厚な味がする。
……美味いな、これ。
味と香りはマンゴーに近いだろうか。
「気に入っていただけたかな?」
巨大な座布団の上で奇麗な蜷局を巻いている。
「ひょっとして、これ。龍公が?」
「うむ。我が家の庭で採れた陽卵果を干して、香辛料を加えた蜂蜜に数日浸け、それを再び干した物だよ。そのまま茶を飲んでみて欲しい」
言われた通りに飲んでみると若干の渋みがあったはずなのに甘く感じる。
なのに飲み干すとさっぱりとした風味だけを残して消えてしまった。
「……へぇ」
「面白いだろう?」
「はい。こういう食べ物は始めてかも」
「では、また今度作ったら持ってくることにしよう」
「ありがとうございます」
「なんのなんの。……っと、閣議の席で茶飲み話をするものではないな。失礼をした」
ラインボーグは笑みのままに出席者たちへと会釈をした。
「いえ、私どもも堪能させていただいております」
そういうがシエンは自分の皿に手を付けていないようだった。
「妻が好きなのです。折角なので持って帰ってやろうかと」
若干の含羞を帯びた笑みを浮かべる彼にアスナも笑みと返した。
自分の取り皿に二粒残し、あとは全てシエンの皿に移した。
「未来の王様からの下賜である。奥さんと一緒に食べるように」
「慎んで拝領いたします」
冗談交じりのアスナの言葉に頭を垂れてシエンは皿を頭の上に掲げて見せた。
芝居がかったことをして少し気分が変わった。彼が真面目一辺倒な男ではない証だ。
「それじゃ、そろそろ再開しようか」
「分かりました。では、通商大臣」
「はい。各地に内乱時に建てられた関所の解体はほぼ終了し、物流が回復し始めています。また、戦争に伴う物資不足を補うべく周辺国からの輸入を促進しており、幾つか成果を挙げています。特にアジタからは安く物資を融通して貰っており、アシン一帯の復興の大きな力となっていると報告を受けております」
「ムシュウ方面はどうなっています?」
「現在、当地に駐留する第二魔軍向け、周辺集落にいる避難民向けの物資輸送のみとなっています。現状が維持されますとムシュウ一帯が疲弊し、住民たちがその他の地域に逃散する恐れがあります。また国が食糧その他を配給している影響で金を使う機会が減り、商会が撤退する悪循環に入る危険性もあります。商会を通じて配給を行っていますが、あまり長く続ける訳にはいきません。いち早く日常を取り戻す必要があります」
「通商大臣の報告の通り若干ではありますが親族を頼って移住し始めている者も出ております。国としてもこれを押し止めることができません」
と、通産大臣の報告に内務大臣が捕捉を行った。
「お怒りを賜ることになると承知で申し上げます。ムシュウ一帯は我が国を疲弊させる大きな要因となっております」
「手は何か考えていますか?」
シエンの問いに通商大臣は首を縦に振った。
「籠城の可能性があることを説明した上でムシュウへの帰還を促すことでしょう。万一の時には援軍が来ると分かっていれば戻る者も多いかと。日常に帰してやれば国の負担も減りますし、健全な経済活動を再開させることも出来ます」
「外務からも宜しいですか?」
「どうぞ」
「ラディウスは殻に閉じこもった貝のような状態。殻を開けるまで時間が掛かると判断しております。腰を据えた交渉をするためにもムシュウの安定は必須です。そのためにもう少し積極的に動いてみてはどうかと」
「具体的には?」
「ラディウスが兵を出した名目は”彷徨う者”の討伐です。それがほぼ完了したことを示すのです」
シエンの問いに外務卿は人差し指を立てて見せた。
「一足早くにはなりますが”彷徨う者”となった者たちへの慰霊式を執り行っては如何でしょう。すでに諸外国から来ている使節にも参加していただければ、すでに討伐し終えたのだと周知することが出来ます。同時に外務からも討伐の経緯についても説明を行い、ラディウス軍がラメルを占拠し続け不当性をより印象づけることが出来ると思いますわ」
「実際、エイリアも脅かされて火事場泥棒の片棒を担がされてる訳だしな」
と、腕を組みながらアスナは頷いた。
「次は貴方の国かもしれないぞ、と思わせるだけでも十分な効果があると思います」
「それでも居座ったり、拠点を建てたりした場合は?」
「残念ながらその時は侵略を受けていると判断する他ありません」
その時は腹を括りしかないという空気が閣議室にある。アスナ自身もそうだと思った。
「如何でしょう?」
「……内府殿、ご意見は?」
問われたオリザエールは数秒沈思した後に
「執り行うのでしたら王墓院に任せるのが宜しいかと。しかし、遺体の火葬の件もありますので日取りについては若干調整する必要があります。そうなれば後継者殿下のご出陣も日延べせねばならなくなります」
「……多少日程にズレが生じてでも実施することにしましょう。多少忙しくなる程度でラディウスに圧力を加えられる。万一の時に備えた大義名分を用意できる。また死者を疎略に扱わないと我が国にとって利点が多い。如何でしょうか、殿下」
アスナはさっと二人の大公を見た。両者ともに同意をしている。
「分かった。そうしよう。調整を進めてくれ」
「ありがとうございます。外務卿?」
「以上です。口を挟んですいませんね」
会釈をする外務卿に通商大臣は苦笑をした。
「こういったこともあるのでムシュウへの帰還をお許し頂きたいのですが」
「軍はどうです?」
「援軍を出す準備はすでに整っております。しかし、ムシュウに市民を戻した場合の備蓄が心許ないのです」
「そのための追加予算を認めて頂きたい」
参謀総長、軍務大臣が続けて主張をした。
この要求に大蔵卿はあからさまな渋面をして見せた。
「空の財布を逆さにしても何も出てこない」
そのままの顔で大蔵卿は軍の三名を睨んだ。
「戦時ということもあって軍には多額の予算を用意している。その中からやりくりして貰いたい」
「戦時だからこそ軍はより多くの予算を必要としています。ことは戦の勝敗のみならず兵の生死に関わることなのです」
参謀総長の反駁に大蔵卿は怯まない。
「直接戦争に関わること以外にも予算を割いているようだが? 陸軍は本国の駐屯地の補修など、海軍は予定よりも多くの艦艇を建造中だと噂に聞いているが」
「内乱中に生じた廃材の有効利用です」
内乱終結直後に責任を持って陸軍で引き取ることが決められていたのだ。
廃材を壊れた駐屯地の補修に使うのは当然の発想であった。
「どうしてもと仰るのならば海軍の余剰艦艇の発注を停止し、その分の予算を回すべきでしょう」
「聞き捨てならん! 建造中の艦艇の多くは貴官ら陸軍の兵を乗せるため。予算の中には水夫への給金なども含まれている。それが不要というのであればその通りにしよう。輸送船や水夫は陸軍で用意して貰いたい」
「ならば老朽艦を幾つか廃棄すれば良い。維持費もそれなりに掛かっているのではないか」
「あれらは練習艦として用いているのだ。陸軍の方も管轄の城を廃棄すれば良いのだ」
「魔獣討伐の拠点に用いている。無理解な発言は控えて貰いたい」
「無理解はそちらだ!」
喧々諤々やり始める参謀総長と軍令部総長の姿に諸大臣は白けた顔をしてため息を漏らした。またか、という言葉が彼らの吐息から感じられた。
アスナは呆然としつつも、少し待てば落ち着くかと思ったが、数分待っても終わるその気配がない。やがて、二人は互いに飛沫とともに罵声浴びせ合い始めた。。
両名の間に座る軍務大臣は仲裁に入る隙を見失ってしまい、蒼い顔をしながら脱力をしていた。
その様子を呆然としつつ眺めていたアスナは右隣に座るボルティスに顔を向けて小声で尋ねた。
良い大人のこんな姿を初めて見たため、どのような感想を抱いて良い物か分からない。
「こんなもんなんですか?」
少なくともこれまでは穏当に話を進めていた印象だ。それだけに多いに驚いた。
「古今東西、陸と海は仲が悪い。余所の国も似たようなものだよ。戦時中であること、予算に関わることなので余計に熱くなってしまったようじゃな」
「勝ち戦続きだったのに水を差されるかも、とか?」
「それもあるじゃろうな。どうするね?」
「シエン。宜しく」
閣議の進行役は宰相だ。シエンは分かりましたと請け負った。
「両名ともそこまで。議事の進行の妨げとなっている」
「事は陸軍の沽券に関わること。宰相殿が容喙することではありません。そもそも閣下が有する指揮権は首都防衛軍のみです」
「陸軍に同調することに思うところはあるが、この件については同意せざるを得ない」
そう言い捨てると再び二人は言い合いを始めてしまう。
なんだこれ、アスナは呆然を通り越して絶句した。
軍の最高指揮権は王にあり、宰相には首都の治安維持を主とする首都防衛軍の指揮権があるのみとある。それと同時に宰相は行政権の代理執行者でもある。
そして、軍は行政府内の一組織。時には総指揮兼を委任された宰相の命に従わねば成らない時もある。そのため、軍は宰相に対して最大限の敬意を持たねばならない。
そのことをエルトナージュからの講義でアスナはしっかりと学んでいた。
それが今、目の前で無視をされている。見過ごして良いことではない。
見過ごすことは宰相の座を辞したエルトナージュをないがしろにすることになる。
だから、アスナは勢いよく立ち上がると声を張り上げた。
「気をぉぉぉぉぉつけぇぇぇぇぇぇぇ!」
近衛騎団で覚えた号令を腹の底から口に出した。若い頃から叩き込まれた条件反射だからか参謀総長と軍令部総長は即座に直立不動の姿勢をとった。
この地位に上り詰めただけあって二人の姿勢は見事なものだ。
諸大臣も着席したままだったが背筋を伸ばしている。陪席を許された議員の一人は軍出身なのか、気をつけを命じられた二人と同じように立ち上がっていた。
「シエンはオレが宰相に任命したことを忘れるな。宰相への不敬はオレに対する物だと思え。それぞれの立場で意見を言うのは良い。だけど、敬意をもって接しろ。ケンカがしたくなったら誰にも迷惑の掛からないところでやれ」
一息にここまでいうと、彼は気持ちを整えて静かな口調で念押しをした。
「互いに敬意を持って仕事をしろ。良いな」
申し訳ありませんでした、と二人は同時に頭を下げた。
「二人とも反省文を提出しろ。宰相と軍務大臣、それとお互いに対して。直接お前たち自身が相手のところに出向いて渡せ。オレにはいらない。それでいいな」
了解の応答を受け取るとアスナは手で三人に座るように促し、自身も腰を落ち着けた。
「とは言え金は必要なんだよなぁ」
チラリと内大臣に視線を向ける。しかし、彼は首を横に振った。
「残念ながらご期待に添えません。就任式が終わりましたら、次は即位式が控えております。みすぼらしい式典を執り行っては他国より誤った侮りを受けます」
「では、儂が用立てよう。一時凌ぎ程度の物資を用立てることは出来るじゃろう。大蔵卿、あとで諸処の手続きをして貰えるかな?」
「申し訳ありません」
「気になさるな。アスナ殿が王足らんと努力しておられるのであれば、儂も大公として不足があれば補ってやらねばな」
「うむ。ボルティス公の仰るとおり。不測の事態があれば我ら龍族が援軍に駆け付けよう」
「ありがとうございます。……さっきの話、検討を開始するように。但し、実行することは前提としない。検討してやらない方が良いって分かったら、その時は取り止めて別の案を検討すること」
「承知いたしました」
閣僚たちを代表してシエンが返事をし、残りは頭を垂れて応じた。
「ん。それじゃ、シエン続けて」
「はい。……通商大臣」
「殿下、両大公殿下、ありがとございます。……我が省が直接実施していることではないのですが、凍結されている鉄道建設計画はどうなさるのでしょうか?」
「……鉄道?」
ほんの数日前に街へ遊びに出かけた時に話しを聞いたばかりだ。
「鉄道というものは」
「いや、それは分かってる。けど、エルから聞いたんだけどアレはこれからの発明品だって。それに爆発事故を起こしたって」
「事件が起きたのは約五十年前のこと。その間に我が国では細々と研究が続けられていました。すでに試作機も出来ており、用地の買収も粗方終わっていると聞いています」
随分と話が進んでるな、と思った。
「どこの管轄?」
「私どもの事業です」
内大臣オリザエールが普段と変わらない平板な声で応えた。
「オレやエルが知らなかった理由は?」
「先王陛下が崩御されて後、混乱が続いておりましたので優先度が低いと私が判断をし、一時凍結と致しました。ロゼフとの戦争が終結しました後にお話申し上げようと思っておりました」
「あー」
確かに優先度は低い。鉄道建設という大事業は政治的な安定は必須だ。
仮にエルトナージュの耳に入れたとしても後回しにされていたかもしれない。
すぐに凍結解除しろと命じたいが、今は戦時であり予算繰りが原因で始まったケンカを諫めたばかりだ。
「分かった。鉄道のことは戦争が終わったら考えよう」
その後、内政に関わる報告と調整が行われ、ロゼフとの戦争に関わる事柄へと移る。
「大将軍閣下率いる北方総軍は順調に進軍を続け、殿下の副王就任の日に合わせて第一攻略目標であるディーゲン市を制圧できる見込みであるとのことです」
「うん」
「またケルフィン将軍率いる鎮定軍は北方総軍が切り開いた道を押し広げております。周辺の諸侯への懐柔や占領した集落への鎮撫、捕虜を用いての街道整備。また、抵抗を続ける拠点の攻略戦を実施し、成功しております」
そういえば参謀総長グリーシアはケルフィン将軍と仲良かったっけ。
敢えて功績をつらつらと述べなくてもしっかりとした報告書を上げてくれれば問題ないんだがなと思った。が、これもまた友情かなと考え直した。
「蒼月作戦による侵攻軍の壊滅、続けてロゼフ本国で行われた会戦によって敵軍は撃破。我が軍の損害は軽微なもので済んだと報告を受けております。これ以降はディーゲン市にて越冬をし、春の訪れと共に進軍を再開する予定です」
「越冬の準備はどうなっていますか?」
シエンの問いかけに参謀総長は若干だが身体に強張りを得た。
「準備は問題なく進捗しております。防寒具の増産はもちろん暖をとるための魔導珠の増産も急がせております。本格的な冬の到来までには間に合う見込みです」
「ディーゲン市での政務はどうなりますか?」
「当地はロゼフ王家の直轄地となりますのでその代官を補佐としてケルフィン将軍が実務を担当することになります。春になれば予定通り政府から派遣される職員を受け入れることになります」
「人質については?」
「ディーゲン市に集め、戦後は修学を理由にエグゼリスに呼ぶことになります」
人質に取った貴族の子弟を教育して親ラインボルトに変えてしまうのだ。
ラインボルトのやり方を学ばせることで統一を進める古今東西良くある手法だ。
「当面は冬の寒さに強い獣人系種族を中心とした兵たちでディーゲン市周辺の警戒を行うことになります。その間、ディーゲン市に物資を集積します」
「捕虜交換はどうなっています?」
「それについては私どもから」
と、外務卿が挙手とともに発言をした。
「ロゼフ側とサンクルで接触し、交渉を行うことで合意いたしました。来週にも両国連名にてサンクル王に席の提供を求め、実際の捕虜の交換並びに身代金交渉は来月頭から開始される予定です」
サンクルはロゼフの隣国だ。
彼らが戦争に加わらないようにさせるために交渉の席を用意させるのだ。
ここで話し合われる捕虜とは貴族やその類縁たちのことだ。
彼らは捕虜とはいえ、立場に見合った相応の待遇を用意せねばならない。そのこともあってラインボルトにとって負担となっている。
自軍の捕虜を取り戻す材料、もしくは現金化できるならば早い方が良い。
「では、次は海軍の状況を」
「はっ。後継者殿下にお許しを得て建造中の艦艇は順調に進捗しております。それと並行して上陸作戦の訓練を開始しております。訓練に使える舟艇の数が不足しているため若干の遅れが見られますが、作戦開始予定日までに間に合わせます」
軍令部総長がそう断言をした。
「よろしい。ディーゲン市の制圧を終えた後は冬支度を整え、春からの再侵攻に備える。また、この冬の間に可能な限り貴族たちに接触し切り崩しを行う。殿下から何かご懸念はありますか?」
話を振られてアスナは三秒ほど唸った。
思いつくところはあったが解消する術になるのか自信がなかった。
「そうだなぁ。……何かの記念日だからそれに合わせて無理をするってのはこれからはやらないように。それで沢山兵隊が死んだら元も子もない。無理は外交の事情とか国全体の利益に関わる時にやって貰う。そんな感じの通達を出して欲しい」
「承知いたしました」
「あとは……まぁ、いいか」
話してしまおう。切欠にはなるはずだ。
「今日まで閣議なんかに参加して思ったんだけど、そんな話を聞いていないっていうのが多すぎる気がする。だから、そうだな。宰相府の中に情報の問い合わせや調整をする部署を作ったらどうかなって思う」
「それはなかなか……」
「うん、想像は付くけどやっぱり問題があるのは間違いないんだよ。さっきの陸と海の対立なんてその典型だろ。海軍に自分たちで船を用意しろだなんて言われて、そのままヘソを曲げて予算やりくりして本当に船を用意するなんてことにもなりかねない。実際、うちのジイさんの時代にはそういうことがあったそうだし」
祖父に同窓会のような席に連れて行かれた時にそういった話も何度か聞いているのだ。
半ば悪口になっている愚痴が殆どであったが、もう少し上手くやれなかったものかという悔恨の念も感じられた。
「そういう省庁間の縦割りとか対立で細かな失敗とか方針のズレとか色んな物が積み重なった結果、戦争にボロ負け。その結果……、そうだな。ラインボルトの主要都市の名前を思い浮かべてくれ。それが全部焼け野原にされて賠償金まで支払わされて世界の敵にされたんだ。オレはそういう歴史を持ってる国に生まれたんだ」
そして、出席者全員を見回して宣言するように言い放った。
「オレがラインボルトの王になる以上、この国をそうさせたくはない。すぐに出来るようにしろとは言わない。だけど、試行錯誤は続けて貰う。鉄道建設の話だって沢山の役所が関わらないと上手にやれない。軍にしたってもそうだ。蒼月作戦で銃や大砲がそこそこ活躍したそうだけど、それって海軍に対抗して陸軍が独自に開発したものらしいな?」
「その通りです」
「初めから海軍との協力体制が出来ていれば開発費用の幾らかを抑えられて、その分を訓練に回せたんじゃないか? 例えばネジ一本でもそうだ。両方で勝手に独自開発なんてやったら、海軍ではネジの在庫があるのに、陸軍では使えないからしっかりした整備が出来ないまま出陣させるなんてバカなことになりかねない。人・物・金、融通できるところから努力をしてくれ。以上」
「すぐにこう対処すると申し上げることが出来ません。検討を重ねるとだけしか」
「今はそれで良いよ。だけど、期待はしてる」
アスナだってすぐに出来るとは思っていない。少しずつでも改善されればそれで良い。
事ある毎に話をして、意見を聞いていこう。
王様だからといってただ命令をすれば良いだけではないのだ。
ミナの祖父であるガレフはLDとは昔からの馴染みだ。
彼がまだ青年であった頃から懇意にしている。
金払いが良く、融通される情報も確度が高い。
何者なのかは未だに定かではないが、手を取る相手としては悪くない男だ。
素性が怪しいのはお互い様だ。今更探ろうとしたところで火傷するだけだ。
先代魔王アイゼルが在世中は議員や諸大臣に探りを入れる仕事を請け負っていた。
集めた情報がどのように使われたのかはガレフが知るところではない。確かなことはアイゼルの政権が非常に安定していたということだけだ。
現在はそういったことを再開させつつ、諸方の伝手を使ってロゼフ方面に力の多くを傾けている。
彼の執務机の上には部下たちが集め、そして整理された情報を記した紙が列べられている。それらに一度目を通し、部下から改めて報告を受けたあとでLDに手渡していた。
請け負った仕事に手を抜かず、可能な手段は全て用いて完遂する。
だから、魔王の後継者の心臓を狙った際も躊躇なく行ったのだ。
ノック音がした。
「入れ」
読み進めていた書類を引き出しに収めるとガレフは入室の許しを出した。
ここは彼が拠点とする古本屋の地下だ。ここに通されるのは関係者しかいない。
音もなく彼の部屋に入ってきたのは孫のミナであった。
「お祖父様」
「どうした。殿下から何かしら命じられたか?」
「いえ」
その返答に若干の残念さを得た。正式に雇われてから今日までガレフたちは魔王の後継者から直接命令を受けたことがなかった。全てLDを介してのものとなっている。
LDの手足以上の認識がないのかもしれない。
命令を着実に実行することで信頼を勝ち得ていかねばならない。曲がりなりにも後継者の心臓を奪おうとしたのだ。そういった積み重ねが必須であった。
命令を受けなくとも、孫娘に手を出してくれるだけでも構わない。
そうしてくれれば最低限の安堵を得られる。
祖父の贔屓目を抜きにしてもミナは美しい。後継者の側に侍る二人の女性に見劣りするところはないと断言できる。
この短期間に後継者は二人も女性をその腕に抱き留めたのだから好色だと思って良い。
手を出さないのは姫君に遠慮してのことなのだろうか。
「……殿下に良くお仕えしているか?」
「はい。先日の休暇では菓子作りを手伝わせて頂きました」
「そうか。それは喜ばしいことだな」
後継者が自ら料理を振る舞うことを楽しみにしていると聞いている。その手伝いを任されたということは少しはミナと打ち解け始めたということだろう。
「周囲とはどうだ?」
「後継者殿下付きを正式に命じられたので少し騒がしくなっています」
そうだろうな、とガレフは特別な感慨もなくそう思った。
新入りが抜擢されたのだ。何かしら背景があると思われて然るべきだ。
「それでお前はどうしているのだ?」
「特に何も。お役目を一生懸命に」
「そうだな。それでいい。他には……」
「お祖父様、質問ばかりですね」
「……少し気が急きすぎているか」
重くなった足腰を持ち上げて部屋の隅に置かれたポットに火を入れる。
「ロゼフから帰ってきた者からの土産がある食べていけ」
箱の中から菓子を幾つか取り出し更に置いた。木の実を砂糖で固めたものだ。
孫娘は室内にある椅子を執務机の前に持ってきた。座の上に積もった埃を払って腰を落ち着けた。
「冷えてきたな。今年の冬は少し厳しいかもしれん」
「……はい」
硬い声音だ。身も固くなっている。気晴らしに来たのではないようだ。
孫娘の相談事は気楽に話せるようなことではないようだ。
元々、現在の生業には不向きな気性だ。思い詰めたあげく妙なことになったのではないかと湯が沸くまでの僅かな時間で覚悟を決める。
「お祖父様も風邪をひかないようにして下さいね」
「そうだな。気を付けよう。……だが、風邪の時にはハチミツを舐められるから少し惜しい気もするが」
「ふふふふっ」
茶の用意が出来た。ガレフは皆の前にカップと菓子皿を置いてやる。
自身も椅子に腰を下ろしてそのまま一啜りする。
温かい。思った以上に身体が冷えていたようだ。
両手でカップを持っていたミナがポツリと呟いた。
「姫様に正体が露見しました」
「ほう」
自分でも分かる程度に高い感嘆の声が漏れた。
「……見られたか」
しかし、ミナは首を振って否定した。
「変身魔法そのものに気付いたようです。肩に触れられて、そのまま姫様ご自身の手で解除されてしまいました」
「姫君を侮っていたか」
唸らざるを得ない。彼ら星魔族が用いる変身魔法は種族の存続をかけて開発した魔法だ。
簡単に気付かれることがないように実験を重ねて作り上げた秘術といっても良い。
それがこうもあっさりと見破られてしまうとは。
ミナが未熟なのではない。エルトナージュの魔法に関する目が秀でていたのだ。
「それでどうなったのだ?」
「本当の姿で職務に励め、と。拒否するのであれば後継者殿下付きから外すと仰せです」
「なるほど……」
確かに困ったことになっている。そうなれば伝令役を務められなくなる。
ここに来る時だけ変身魔法を使えばよいのかもしれないが、恐らく行使した残滓をエルトナージュは感知するかもしれない。
そうなれば、どのような言い訳をしようと後継者から遠ざけられてしまう。
献上した彼女を引き取る訳にもいかず飼い殺しされてしまう。
「その代わりにこの国で暮らしていけるための力を貸して下さると仰って下さってます。王の側役は注目を集める。職務に精励する姿を見せ続ければ私たちへの偏見も薄らいでいくと」
確かにそういったことは望めるかもしれない。しかし、あまりにも長期的な展望だ。
孫娘の目には若干の昂奮があるように見えた。
だが、今の彼女のような希望を持った者が過去に何十、何百人もいたことをガレフは知っている。結論は今の彼らのありようが示している。
しかし、挑戦する機会があるのならばさせてやってもいいのかもしれない。
彼の孫娘は良くも悪くも情が深い。間者の真似事をしつつ主に仕えるのが辛いだろう。
「今をもってお前の任務を解除する。あとは自分の判断で決めなさい。但し、陽の当たる場所に出るのだから、影を引き摺ってはならん。決めたのならもうここには来るな」
星魔族にとって展望が開けるとは欠片も思わずにガレフはそう告げた。
……願わくば、この子の生涯に幸多からんことを祈る。
「お祖父様」
ミナの願いは成就しないだろう。だから、ガレフはこれまで通りに夜闇に潜む生業を維持し続ける。長く、長くそうやってきたのだ。
この生業でしか生きていけない者も数多い。
「決めたのならば報告に来る必要はない。それとなく儂の耳に届く」
「……はい」
それから二人は雑談に興じた。最近、どのようなことがあったかなどの近況報告が主だ。
これが今生の別れとなるかもしれない。それを思うと非常に短く思えた。
しかし、すでに孫娘は魔王の後継者に差し出している。
正式な別れを二人はすでに済ませていた。
これまで彼女に間者の真似事をさせていたことが間違いなのだ。
やがて、二人のカップが乾いた頃、静かにミナが立ち上がった。
「もう、行くか」
「はい。こっそりと抜け出してきたので。そろそろ戻らないと……」
「両親の形見は持っていったな?」
「はい」
「息災でな。お前は無理をし過ぎる癖がある。気を付けるのだぞ」
「はい。お祖父様も身体には気をつけ下さい」
一礼をして背を向けた孫娘に声にならない言葉を送った。
彼女の本当の名を最後に口にしたのだった。
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