第五章
第六話 三つの同時刻
魔王となるまでには本来幾つかの段階を歴ねばならない。
魔王の力に見出され後継者として王城に迎え入れられた者は魔王の後継者として三、四年ほど知識や礼法などを王族や教師から学ぶ時間を費やすことになる。
次代の王として問題なさそうだと判断されれば、教師役を務めた王族から推挙されて摂政に任じられる。この時に養子縁組と後継者は個人紋を授与を受け、正式にラインボルト王家の一員として『殿下』の称号を得ることになる。
摂政に任じられると魔王の名代として会議や地方の式典に参加して政務経験を積むことになる。ある意味、この時が魔王の後継者にとって気楽な時期かもしれない。
得た知識などを実践でき、責任も非常に軽い。失敗をしても許される立場なのだ。
実際に歴代魔王の残す笑える失敗談はこの時期が一番多い。
先代魔王アイゼルは摂政時代に未来の王妃たるイレーナと結婚をし、一緒に地方巡察の旅に出ている。彼らにとってちょっとした新婚旅行だったのかもしれない。
が、そういう気楽な身分はいつかは終えねば成らない。
何らかの理由により魔王が政務を執れなくなった時、摂政は副王に任じられるのだ。
副王とは魔王の力を除く全ての王権を委任された者のことだ。
魔王が復帰するまでの間、国政の全てを担うことになるのだ。
王が崩御するようなことがあれば、速やかに副王は力とともに王位を継承する。
こういった通例から見ればアスナは横紙破りをし続けているようなものであった。
正式に『殿下』の称号を得ていないのに殿下と呼ばれ、何の裏付けもないのに国政を動かし続けている。現状は独断専行と追認がまかり通る異常事態と言えるのだ。
遅まきであっても体裁は整えるべきでだ。そういう理由でこの副王就任式が執り行われることになったのだ。
閣議を終えたアスナは正装に着替えるとエルトナージュとともに王城内にある離れに向かっていた。今日のエルトナージュの装いは淡い赤色のドレスにリボンのような髪飾りを付けている。薄く塗られた口紅の色が艶やかだ。
二人の背後にはボルティス、ラインボーグの大公二人。内府オリザエールと執事長ストラトたち近侍が続いている。
「アスナ、もう少しゆっくりと歩いて大丈夫よ」
「そうは言ってもお待たせしているんだからさ」
「皆さま、お優しい方々だから心配しなくて良いんです。少し遅れたのも政務があったからなんですから。そのことは皆さまにもお知らせしています」
「……まぁ、エルにとっては親戚のおじさんおばさんに会うような感じなんだろうけど、オレからすればお婿さんの品定めを受けるようなもんでして」
「……何を言ってるんですか」
と、頬を朱に染めた彼女はアスナの頬を引っ張った。
「いふぁいいふぁい」
「全く。……内府、貴方が先導をして下さい。少し気を鎮めて貰わないと」
「承知いたしました」
一礼をしてオリザエールが前に出た。エルトナージュに指示を受けたとおりに前に出るとゆったりとした歩みで先に進んでいく。
「そういえば内府ってご老公の子どもなんだよね」
「私はボルティス様に作られましたが、正確には子どもというわけではありません」
「そうなの?」
「はい。機族は器物に命が宿って誕生をします。私の身体はボルティス様に作っていただきましたが、命は自然に生じたものです。命を分け与えられた訳ではないので親子ではないと思われます。不肖の弟子だというのが私の見解です」
「まぁ、そうじゃな。機族と大きく括っておるが命の発生の仕方が同じ以外に共通していることは少ないからの。池で鳴いているカエルとアスナ殿を生物と括るようなものと思ってくれれば良い」
「はぁ。そんなに違うのか」
納得すると周囲にいる者たちを見た。機族に人魔に龍族、その他と多種多様な種族がいる。アスナから見れば彼ら全てが不思議な存在だ。個々の違いは些細なものだ。
「色んなのがいて騒がしいのは良いことだ」
と、一人納得をする。周りが違い過ぎて、恐れるよりも受け入れてしまった方が気持ちの上でもラクチンなのだ。実際、種族の違いや魔法は面白いものだ。
そんなアスナの返答にエルトナージュらは笑い出した。
「そんな変なこと言ったつもりはないんだけどな」
「いえ、ごめんなさい」
彼女は息を整えて笑いを納めた。そして、頬を上げるような笑みを浮かべて、
「貴方はラインボルトの王に相応しい。そう思っただけです」
この言葉を受けて周囲の皆も同意するように頷いた。
ラインボルトは他種族国家だ。魔王の下に全ての種族が等しく最低限の権利と義務を有する。感情的な種族間の隔意などはあっても制度上の差別は存在しない。
実力と機会さえあれば、宰相にもなれるこの国は良い国なのだろうとアスナは思った。
「ボルティス様と私のことで何かお聞きになりたいことでも?」
「ああ、うん。ご老公と同じで遠くまで通信できるのかなと思って」
ラインボルトが五大国の一角を占められる理由は魔王の存在だけではない。
ボルティスら機族が遠距離通信能力を有しているからに他ならない。迅速な情報がやり取りが出来れば中央と地方の連携が取りやすくなる。
何らかの緊急事態が発生しても迅速に対応することができるのだ。
無論、他の大国も機族優遇策を実施したが、この技術はボルティスが開発したもの。
現在のところ国土全てを追おう情報通信網を有している国はラインボルトだけだ。
そういった理由からこの技術を習得している機族は稀少なので戦場に立つことはない。
そのような契約がボルティスとの間で交わされているのだ。
「受信は可能ですが、送信については首都全域よりも少し広い程度しか出来ません。不肖の弟子とはそういうことなのです」
「十分凄いと思うんだけど?」
「恐れ入ります」
慇懃な態度で返答した内府にアスナは肩をすくめてみせた。
オリザエールとしては納得しかねる程度の技量なのだろう。
程なくして一行は別邸がある敷地に足を踏み入れた。王城全体から考えると小さく感じるがちょっとした催し物を行うには十分な広さがある。
特別な賓客が滞在する屋敷としても用いられている。
瀟洒な白の屋敷の中に踏み入れる。王宮府の職員がすでに整列をしており一斉に礼をする。アスナは彼らに一度会釈を送ると内府の先導に従って先へ進む。
通された先は大広間だ。閉ざされた扉左右それぞれにストラトら近侍が立った。
「宜しいですか?」
内府の問いかけにアスナは大きく頷いた。
では、とオリザエールは頷くと大声でアスナの到来を告げた。
始めて聞く彼の大きな声に内心でびっくりした。
「後継者殿、ボルティス大公並びにラインボーグ大公、エルトナージュ・アーセイル殿下ご入場されます!」
一斉に扉が開かれる。大広間には十三名の男女が集まっている。
ラインボルト七王家の当主とその嫡子たちだ。
彼らに中心にはリジェスト家当主であるトレハが立っている。
アスナはそのまま真っ直ぐに進み大広間の中程で立ち止まった。
エルトナージュは王家の末席に向かった。彼女の側には義母であるイレーナがいる。
そして、二人の大公はトレハの両隣に立った。
ラインボルト王族の前に膝を突き、静かに頭を垂れた。
「エルトナージュ、彼を次代の王に推挙したいと聞きました。その理由を聞かせなさい」
「はい。彼、坂上アスナは現生界より召喚された人族です」
この言葉から始まった推挙の言葉はアスナのこれまでを思い返させるものであった。
内乱に戦争にと客観的に眺めれば非情な武断派に見えるだろう。
しかし、彼女はアスナの勇武については特段強調することはなかった。
国家の立て直しに奔走し、勉学に努力を重ねているところ。
兵に戦場以外で苦労をさせてはならないとの指針を明示したところ。
諸大臣はアスナの下で結束して政務にあたっているところ。
そして、人柄について語った。
驚くほど果断であり、心配になるほど人がよい。
現生界の生まれでありながら、幻想界の人々の違いを面白いと感じている。
多様な種族を統べる王に相応しい心の有り様です、と彼女は締めた。
「以上の理由により坂上アスナ殿を次代の王に推挙いたします」
「ありがとう。彼に聞きたいことがある方はいますか?」
「では……」
と、挙手をしたのは中年の男だ。彫りの深い顔に痩身。小洒落たバーでもいそうな雰囲気の人物だ。
「私は今のラインボルトを割と気に入っている。貴殿はこの国をどうしたいと思っている」
「世界一便利な国にしたいと思っています。ラインボルトに限らず幻想界には不便が多い。国の制度のことはまだ分かっていないことがたくさんあるので保留ですが、技術については少しは助言が出来ると思っています」
自惚れではない。具体的な技術は教えられなくても、こういう便利な物があるから欲しいと伝えて開発させれば良いのだ。
「ラインボルトで研究している人がいれば支援をしましょう。それを王宮府で商品にして売りましょう。便利だということは豊かだということです」
「なるほど」
「それと私がいなくなった後でも参考になるように種を撒いておきたいと思っています」
例えばテレビやラジオといった娯楽、冷蔵庫や電子レンジといった家電。
また遠方の食材を短時間で輸送する手段などなど。
魔導殊で代替出来る物もあるが、やはりまだまだ高級品だ。
豊かさとは庶民が享受してこそ達成されたと言えるとアスナは思う。
そして、豊かさがあるからこそ世界を制する力を得られる。
「内政に専念したいと思ってらっしゃるのかしら?」
と、小柄な夫人が尋ねてきた。彼女の背後にいる長身の女性が会釈をしてくる。
アスナは二人に会釈を返しつつ応じた。
「そうできたら良いな、とは思っています」
「では、戦争も早期に終結を?」
王族とはいえ、いや王族だからこそ関心を持たねばならないことだ。
「相手があることですから何とも言えませんが、早くロゼフには折れて貰いたいと思っています。けど、大きな譲歩をするつもりもありません。侮られれば南での睨み合いで不測の事態を呼び起こす可能性があります」
「機密だから多くは語れないのでしょうが、この戦に勝てるのですね?」
「はい。必ず勝ちます」
断言をした。始めた以上は負けてはならない。
ワルタ地方を奪還した時点で負けはない。あとは幾つ勝ち点を得られるかだ。
望みうる最良を得るべくラインボルトは越冬の準備を始めている。
「他にも尋ねたいことがある方はいますか?」
トレハの呼びかけに何人かがアスナに問うた。
そして、最後にエルトナージュの義母たるイレーナが挙手をした。
「どうぞ、太后殿下」
彼女はトレハに会釈を送ると前に立つ娘の肩に手を置いた。
「この子を幸せに出来ますか?」
思いもしなかった、だけどこの場に相応しい問いかけにアスナはこれまで以上にはっきりと応じた。
「はい」
引き締めた表情のままにイレーナは頷いた。
「頼みましたよ。くれぐれもこの子のことをお願いします」
「お義母様」
背後から娘を浅く抱いて彼女は頭を下げた。
「はい。任せてください」
「彼に問いたいことがある方はもういませんね。……では、坂上アスナ殿を我らが一族に迎えることに同意するのならば各家の幟を掲げなさい」
その言葉に応じて各家の当主たちは自らの嫡子から幟を受け取り、これを掲げた。
掲げられる旗の数は少なく壮麗とは言い難い。
しかし、彼らが示したのはラインボルトの歴史だ。初代リジェスト家から先王のアーセイル家まで。この国の歴史を担ってきた血族が新たな血を加えることを許したのだ。
「よろしい。では、坂上アスナ殿を我らが一族として迎えることを認めます。アスナ殿、こちらに」
「はい」
静かに立ち上がるとアスナは一歩を踏み出した。
これまでは仮初めの物であった『殿下』の称号が名実ともに彼のものとなるのだ。
もはや逃げることは出来ない。
王になるということは現在と未来のみならず、過去にも責任を持たねばならない。
誇りとは過去にあり、現在を照らし、未来へと託すものだ。
失敗を飲み込み、成功を口にする。
そうして現れた力が国威となって世界に影響するのだ。自らを愚者であると、罪人であると喧伝する者と有効を結びたいと思う者がいないように。
トレハの手にはラインボーグから渡された坂上家の紋が描かれた幟がある。
「貴殿を我らが一族、次代の王と認める証として我らはこの旗を贈る。旗に描かれた建国王に恥じぬ振る舞いを我らは願う。……さぁ、受け取りなさい」
「はい」
トレハの前で改めて跪いたアスナは両手で受け取った。重く、そしてどこか不安定だ。
この感覚こそが国を担うということなのだろう、と思った。
「慎んで頂戴致します。皆さまに語ったことに背くことなく邁進することを誓います」
「よろしい。大公方?」
「うむ。このボルティス、大公の任にある者としてしかと見届けた」
「同じく。八代目ラインボーグもしかと見届けた」
二人の言葉に応じて各王家の当主たちも大きく頷いた。
「さぁ、お立ちなさい。いまこの瞬間より貴方はリージュの一族です」
「内府殿、杯を。一族に加わる若者と、エルトナージュ姫との婚約を祝して乾杯を!」
「今宵は無礼講です。旧交を温めるもよし、アスナ様やエルをからかうもよし。今宵は楽しくやりましょう」
途端に厳かな雰囲気が崩れてしまい呆気にとられてしまったが、こういう気楽さを感じられたことにアスナは安堵を得た。
儀式が終わりすぐに立ち去られなかったということは歓迎されているのだ。
その後、アスナは新しい親族たちに揉みくちゃにされながら、この夜を楽しく過ごしたのだった。
アスナが正式にラインボルト王族に迎え入れられていた時、リムルは第三魔軍の司令部大会議室に大隊長以上の指揮官、参謀たちを招集していた。
リムルは副王就任式では大将軍の名代として武官代表を務めることになっている。
第三魔軍もそれに伴って首都エグゼリス郊外から街の大通りを抜けるパレードや公開演習の主役を担うことになっている。
士気は非情に高い。諸外国の王族や重鎮に披露するラインボルトの武威だと天下に示すことになるのだ。軍人として最高の華を得たのと変わりない。
首都に帰還してからの短い時間を使って必死に演習の準備を行っていた。
大会議室は図上演習を行ったり、仕切りを使って小会議室を作ったり、時には懇親会の場にしたりと多目的に使われる場所だ。
今日はこのまま公開演習の流れを確認作業が行われるのではないかと誰もが思っていた。
「将軍、入られます。総員、敬礼!」
最先任下士官の号令に従って、総員が敬礼をした。
リムルは副将ガリウス、副長ギルティア、参謀長マティアスを引き連れて入室した。
幹部三人は一様に表情が強張っているのが誰もが分かった。
フィアナは部屋の隅に控えて壇上に立ったリムルを見守っている。
「皆、お疲れ様。まずは公開演習についてから話を始める。参謀長、お願い」
「はっ。……諸君も期待する公開演習の計画案が軍務省で了承された。明日午前十時よりここで図上演習を行うので参加部隊長は集合するように。なお、今回の演目は蒼月作戦を元としている。彼の地にて奮戦したホワイティア将軍以下参加将兵に恥を掻かせぬよう改めて諸君には気を入れて貰いたい」
そこで一度参謀長マティアスは間を作るために一同を見回した。
「公開演習に先立ち後継者殿下より参加部隊にお言葉を賜っている。良い演習を期待している。しかし、安全に留意するように、とのことだ。部下たちにも同様の訓示を伝えて貰いたい」
指揮官たちは熱の篭もった了解の声を上げた。それは雄叫びに近かったかもしれない。
「僕は公開演習が終わり次第、第三魔軍を離任する」
リムルはそう一気に告げた。今もアスナに言われたことへのわだかまりはある。
ヴァイアスと一日話をしても消えることのない感情の渦だ。
そうであっても時間とともにアスナが言ったことは理解できた。
第三魔軍では上手くやっていけたが、他の部隊との協調体制を取れるかといえば出来ないとしか言いようがなかった。他の将軍たちは大人であり年嵩だ。
その彼らに同輩としてどう接して良いのかリムルには分かりかねたのだ。
第三魔軍内部であれば部下たちが彼を立ててくれた。しかし、他の将軍たちも同様に扱ってくれるかと言えば否だろう。
一度、身を軽くして動いてみろというのは意味のある命令だといえる。
ラインボルト軍最大派閥の長であるゲームニスに面倒を見て貰うことになっているのだから、アスナに嫌われた訳ではないのは明らかだ。
ヴァイアス曰く、公開演習はリムルのためにアスナが用意したというのだ。
軍務省その他から突き上げがなくとも、彼に知己が増えるようにと切欠を作ろうと諸処に働きかけをしてくれていたというのだ。
予算のことを考えれば演習をしないでパレードで済ませた方がずっと良い。反対意見を抑え込んでリムルのために演習の場を用意してくれたのだ。
それもただの演習ではない。各国の貴顕を招待しての演習だ。
ここまで気を遣われれば受け入れる他ない。
「ここでの最後の任務になるから奇麗に終えておきたい。みんな協力してくれると嬉しい」
水を打ったような静寂が大会議室に広がる。
誰もがリムルが言った言葉が真実なのか両隣にいる者たちの顔を伺っている。
どの顔にも困惑が色濃く表れている。内乱で第一等の武功を掲げたのはリムルだ。
その彼を離任する。意味が分からなかった。
「僕の後任が決まるまでガリウス副将が司令官代理を務める予定だ。皆、これまでありがとう」
奇麗な、とても奇麗な敬礼を彼はして見せた。
第三魔軍で鍛えられて今の彼がある。これは巣立ちといえるのかもしれない。
生え抜きであった彼が新たな世界へと踏み出す第一歩となる。
しかし、あまりにも唐突でリムルがそうであったように集められた将校たちも困惑を飲み込むことが出来ていない。
そんな彼らにリムルは決意表明をするようにこう言った。
「頑張ってくる」
泣き笑いの表情を浮かべたリムルは小さく頭を下げるとすぐ側にいるガリウスらに顔を向けた。
「あとは副将に任せる」
そういうとリムルは返事を待たずに退室した。その彼をフィアナが追い掛けていった。
後事を託されたガリウスは去るリムルを見送りながら色々なことを思った。
リムルが軍に放り込まれてから何かと面倒を見てきたのがガリウスたち三人なのだ。
軍での生活や用意された課業や講義などからヴァイアスの元へと逃げ出したこともあった。始めて魔獣退治の任務を果たして帰ってきた時は盛大に祝ってやりもした。
リムルがフィアナと朝帰りをしたことを知った時は厳しく叱りもしたが誉めてもやった。
そんな彼を第三魔軍将軍に就任させると先王から聞いた時は不敬ながら正気を疑い、人魔の規格外の枷に第三魔軍を使うのだと説明を受けた時は憤りもした。
それでも人事には従い、必死になってリムルを将軍に仕立て上げようと奔走したのだ。
彼らの成果がどうであったかは内乱中の戦果が示している。
ある意味においてリムルは第三魔軍が作り上げた傑作なのだ。
それを無作為に取り上げられることに腹立ちもした。しかし、心の奥底では未来の大将軍にとアスナから言われた時は興奮もした。
自分たちが大将軍を作り上げたのだ。これほどの成果はそうそうありはしない。
それでもリムルが拒絶を続けるようならば何らかの行動に出るつもりでもあった。
良くも悪くもガリウスたちはリムルに対して家族的でありすぎた。
「皆、驚いたことだと思う。しかし、これは決定事項だ。将軍は公開演習を終えて後、大隊規模の部隊を率いて北方総軍に合流し、大将軍閣下直轄となる。ついては将軍が率いる部隊を第三魔軍から出す許可を頂戴している」
「それは戦後に再び将軍とともに第三魔軍に戻るのでしょうか?」
大隊長の一人が挙手とともに質問をした。
「いや、未定だ。一度離任すればそのままということもありうる。その上で将軍とともに北方総軍に合流を希望する者を募る。遅くとも公開演習終了までに返事をして貰いたい。その旨を部下たちにも伝えてくれ」
「募集に応じる者は私に声を掛けて貰いたい」
「……よろしいのですか、副長?」
問うた参謀長マティアスにギルティアは頷いた。
「元々私は将軍が大隊長をやっていた時の幕僚長です。私の力が及ぶ限り最後まで見届けるのが筋でしょう」
「しかし、実質的な降格ですよ」
「ははははっ、まぁ妻から小言を聞かされるでしょうが、黙って送り出せば家に入れて貰えなくなりますからな」
などと雑談に興じる二人にふっと笑みを浮かべるとガリウスは続けて将校たちに語りかけた。
「進んで下手くそな世渡りを望む者だけが募集に応じろ。苦労ばかり多くて、得られる物は少ない。このことを理解した上で手を挙げて貰いたい。尚、部下たちに報せた後、大きく騒がないように目を開かせるように。第三魔軍の恥となる行動は元に慎むべし、以上」
「総員敬礼!」
最先任下士官の号令に従って将校たちは一斉に敬礼をした。
ガリウスはゆったりとした動作で答礼をすると大会議室を出た。
やるべき事は多いがまずは手紙を書こう、と彼は思った。
北方総軍にいる友人や知己にリムルを頼んでおくのだ。
我ながら過保護に思うが、世の中には便利な言葉がある。
かわいい子には旅をさせよ。
子の旅立ちに親が何くれと準備をしてやって悪い理由はない。
王城から馬車で一時間ほどの場所に公園や料亭などが建つ閑静な場所があった。
商家が接待に、政治家たちが会合にと使う場所として知られている。
時には市井の者が祝い事に使ったりと歓楽街とは違った賑やかさがあった。
内乱中は国全体を覆う不安と服喪の雰囲気に染まり閑散としていたが、アスナの出現によって過去の賑わいを取り戻しつつあった。
魔王の後継者が正式にラインボルト王族に迎えられたこともあり、あちらこちらの料亭で宴席が催されていた。
とはいえ実体は政治家たちが会合を開く口実であった。
その一つに参加している男がいた。彼の名はテマスと言った。
名家院議員を三期務めた中堅所と見なされている。
議会での役職を幾つか経験したこともあり能力がある人物である。
しかし、今ひとつパッとしないという評価も得ていた。これまで座った役職の席も適当な人物がいなかったからだ。
そんな彼が珍しく自信に溢れた表情で会合の参加者と挨拶や意見を交わしていた。
自分の影響力を確認できる目立った成果が実現したのだ。
「そういえば第三魔軍の件は聞いたか?」
「もちろん」
テマスの鼻の穴は本人の意思を無視して大きくなった。
第三魔軍司令官解任を政治の側からの働きかけは彼が主として行った。
リムルとは一面識もないこともあって些かの躊躇もなく行動することができた。
「あの少年には将軍位は些か早すぎるもっと多くを経験する必要があるから丁度良かったのではないか? 軍も持て余していたようだし、少年に重責を負わせるのも良くない」
そういう軍の内心を察したからこそ実現したことでもある。そして、こういう嗅覚の良さも政治家には必要なのだ。
軍に限らず議員や官僚の中には王の権力を削ぎ、象徴として儀礼の世界に閉じこめてしまおうと行動する勢力が一定数存在している。
必死に調整をしても時には勅命により退けられることもあるし、何よりも彼らは無数の競争者の中から選ばれた存在であるという自負がある。
ポッとでの王が権力の頂点に立っていることに強い違和感を持っている。
アスナを噛み殺そうとして返り討ちにあったドゥーチェンのような過激な種族差別の色はない。魔王を籠の鳥にすることが目的なのだ。
今回、リムルを排除したことはその一環であり、今回それに成功した。
これで軍における後継者の影響力を幾らか削げた。
テマスらの次の標的は近衛騎団団長だ。彼を排除して自分たちに都合の良い人物を団長に据えれば、後継者は武力面での後ろ盾を失う。
権力の源泉となるものは武力だ。近衛騎団を握れば、後継者は自由に動き回ることができなくなり王城の中に押し込めることができる。
不可能なことではないとテマスらは考えている。
従弟であるリムルを解任したことでヴァイアスとの間に亀裂が生じているはずだ。そこをついて何らかの不祥事が起きれば押し通すことができる。
「副王就任式は彼の餞にもなって良い思い出になるだろう」
「では、解任を議会側から後押ししたのは君か」
「さて、どうかな」
表立って明言することではない。臭わせる程度で相手は察してくれる。
「……真偽は敢えて聞かないことにするが、気を付けた方が良い。この話、随分とあちこちで出回っているぞ」
「そうか」
噂の形でも周知されればテマスの存在は議会で重く見られるようになる。
「何人かの議員が怒っているぞ。直接私に真偽を問いに来たほどだ」
「占領地選出の議員か?」
「概ねそんなところだ」
怒ったところで彼らには何も出来ない。この件は軍務省が提案をし、後継者も了承した人事なのだ。表立って批判される謂われはない。
それに軍からも内々に当面の間警護するとも言われている。無頼の輩を用いようとも返り討ちにされるだけだろう。
このまま影響力を大きくできれば常時警護が就く身分になれる。
「これは独り言なのだが……。随分と思い切ったことをしたものだ。君がこんな大胆さを持ち合わせていたとは知らなかった。私もまだまだだな」
結果だけを見ればそうかもしれない。しかし、過程においては気付いた者は殆どいなかったのではないだろうか。皆の目がロゼフとの戦争に向き、第三魔軍を意識していなかったからこそ成し遂げられたのだ。
「そういえば、使節団との会食や会談に陪席するように後継者殿下より全議員にお達しが出たが君はどの国の使節団との席に参加するんだ? 同席できるのならば一緒に行こう」
「……何のことだ?」
思わず眉を顰めた。そんな話は聞いていない。
「今日の夕方にその旨の手紙が届いたそうだぞ」
「私は知らない」
「あぁ、……全議員だからな。外出している時に事務所に届いたんだろう。君のところの秘書は優秀だからな諸々の調整を済ませてから君に報告するつもりなんだろう。叱ってやるなよ?」
「もちろんだ」
「それで先ほどの件だが日時が分かれば教えてくれ。個々で行くよりも纏まっていった方が良いだろう。先ほどから諸先生方にそう声を掛けて回っていたんだ」
同意せざるを得ない。秘書からの連絡の遅れならば笑い話で済むが、そうでなければ悪い噂が議会に流れてしまう。もし、後者であれば早急に対応せねばならない。
話しかけてきた議員が手にしていたグラスを乾した。
「君の分もお代わりを持ってこようか?」
「……いや、遠慮しておく。今晩は少し酔いが早いみたいだ。風に当たってくる」
「そうか。では、後ほどな」
「ああ、後ほど」
そういうと出来るだけ慌てた風がないように心がけながらテマスは去っていった。
まずは確認を。招待状が届いていなければ外務省や王宮府に確認せねばならない。
噂が広がるよりも早く対処せねば。
届いていないだけであることをテマスは切に願った。
そのテマスを見送った議員の背後に誰かが立った。
「殴られれば、殴り返される。彼は少し形式の世界に浸りすぎているな」
政治家が歩いた後に形式が生まれ、自らもまたその形式に縛られる。そして、同時に政治家の前には限りない不測の事態が横たわっている。
自らが最前線に立っている自覚がない者に政治家は務まらない。政治屋止まりだ。
「地味だが良い仕事をする男なんだがな」
振り返るとそこには彼が属する派閥の領袖が立っていた。
「これは先生。……閣議に参加されて如何でしたか?」
テマスの話題は長くするものではない。些か強引に彼は話を変えた。
領袖は宰相候補として今日、閣議への陪席が許されていたのだ。
彼としても閣議室で魔王の後継者がどのように振る舞っていたのか気になる。
議員との懇親会では相手の話を聞くことを優先しており、質問をするにしても地元の名物がどんなものかといったものが主だ。
「柵のない強さを改めて見せ付けられた気分だ。殿下にとって柵とはラインボルトのみだ。国を豊かにする。殴られれば殴り返す。方針が単純な上に明確だから決断も早い」
「宰相殿が就任した経緯を考えればぎこちなさがあると思ったのですが」
「逆に遠慮せずに済んでいるようだ。宰相殿は初めから辞任の時期を明確にしているから職務に忠実だというのも上手くやれている要因だろう。長期政権を目指しているのならばこうはならん」
領袖の言葉に彼は大きく同意の頷きをした。長期政権を実現するには各所との丁寧な調整が必要になる。そうなれば時間がかかり、迅速に対処できなくなるものだ。
明確な方針を示す王と、果断に動く宰相。今の内閣にいる者は楽しいだろう。
そんな感想を抱いていると領袖がため息を漏らした。
「第三魔軍の件、どう転ぶだろうな。将軍を解任させたことで後継者殿下は軍への情が薄くなったかもしれんぞ」
「と、仰いますと?」
「いつもの陸海の啀み合いがあってな。殿下が宰相殿と軍務卿、それとお互いに反省文の提出を命じられた。口頭ではなく記録に残る反省文だ。軍にとっては衝撃だろう」
「確かに……。ひょっとしたら彼の働きのせいで議会にも?」
「あるだろうな。戦災地選出議員が怒って当然だ。議員を無視して直接地方と話を進める方式に変更するかもしれん」
「となると、同じ派閥である私たちもですか」
「可能性はある。いやはや、まさか足下で小火が起きるとはな。このまま辞退する訳にも誰かを応援する訳にもいかん。さて、どうしたものか」
愚痴のような領袖の言葉に彼は小さな思い付きを得た。
「現内閣が上手くやれているのであれば、殿下に再任を求めてはどうでしょう? 内乱の後始末をし戦争にも勝ち続けている内閣を無理に替える必要もない。議会からそんな声が出てもおかしくはないと思います」
「……いいぞ。では、その方向で一緒に仕事をしてみよう」
「微力を尽くします」
慇懃に頭を下げつつ彼は内心で満面の笑みを得た。
テマスを踏み台にしたようで少し良心が痛むが、機会を掴んで栄達を望むのもまた政治家だ。側に次への階梯があるのならば昇らない理由はない。
彼らはそうやって議員という立場に立っているのだから。
なおテマスは各所を奔走して招待状を手に入れたがすでに議会では知らぬ者がいないほどに噂が広まっていた。その結果、彼は影響力を著しく損なうことになる。
この一連の出来事にLDが関与しているとの噂も一部で流れたが真相は闇の中である。
|