第五章

第十七話 星降らぬ夜の話

 就任式と戦勝に続き、駄竜退治が公表されて首都エグゼリスは活況の中にあった。
  今回の駄竜退治で名が知られた騎士たちは通りを歩くだけで喝采を受け、彼と同じ出身だと何もせずとも高く評価された。
  国は別であっても同じ種族であるだけでも評価されるほどであった。
  竜を討伐するとはそれほどの意味があることだ。
  酔客のケンカはもちろん、地方から出てきた観光客を食い物にする商人たちが様々な形で騒ぎを起こしていた。
  それもエグゼリスに咲く徒花なのかもしれない。とはいえ、それが幅を利かせるような場所はどんなに賑やかであっても首都たりえない。
  実を結ばぬ花を適時摘み取るのが治安を守る首都防衛軍の役目だ。
  彼らは内乱で戦場に立ったことで首都の民衆から一目置かれる存在となっていた。
  市民たちは問題が起きたり、異変を察したらすぐに巡回の兵たちに声をかけた。
  治安維持には迅速な通報と的確な対応が必須だ。
  前者がなければ事件の発生に気付きにくくなり、後者がなければ事件を放置していることと変わらない。通報しても意味がないと思われてしまえば前者すら失う。
  終わることなく発生し続ける事件への対応。将兵たちの士気を維持させていたのが、内乱中に立てた武勲であった。彼らに向けられる賞賛は治安維持の協力という形で結実していた。酔漢となった他国の騎士を捕縛するなど来賓関係の問題対処にも彼らが立てた武勲が大いに役立っていた。
  その首都防衛軍を悩ませている事件が起きていた。
  放火事件だ。
  幸いにも迅速な通報と消火活動により小火以上の大事にはなっていない。路地裏や民家の裏手などで発生しており、火元を調べると油を塗らした布や木くずの燃えかすが見つかった。疑いようのない放火魔の仕業だ。
  副王就任式を前後して発生したこの事件の犯人を首都防衛軍は親の仇であるかのように追い続けていた。
  ラインボルトにおける放火の最高刑は死刑だ。放火は延焼して多大な被害をもたらすこともあり、死者がでなくても重刑と扱われるのだ。
  犯人は大胆にも副王就任式と付随する諸行事が行われる期間に行い続けているのだ。
  地方から多数の観光客が訪れることもあって操作は難航していた。
  首都エグゼリスには多数の史跡――特に第二十八代魔王、興趣王の異名をもつヴィトナーの残した遺産が人気――があるため様々な人が行き交っている。
  これまでの傾向から犯人は史跡のある場所での放火はしていない。だからといって、今後もしないとも限らない。
  これに対して首都防衛軍は近衛騎団に応援を求めた。
  同じ首都エグゼリスに駐屯する二つの戦闘集団はあまり仲が良いとは言えない。
  要請をしても返ってくるのは皮肉だということもある関係であった。
  今回は要請に対して二つ返事で了解された。近衛騎団に史跡の警護を任せることができたため、首都防衛軍は対応力不足に陥らずに済んでいる。
  これも内乱で轡を並べた効果だと首都防衛軍では考えられていた。
  仲の良くない相手に頭を下げても、件の放火魔を逮捕するには至っていなかった。

 観兵式の終わりに階段から落ちたアスナはすぐに侍医であるロディマスの診察を受けた。
  単なる打撲と診断され、今は腰に臭いの強い湿布を貼っている。また、疲れが顔に出ているから安静にしていろと怒られてしまった。
  言われたとおり昼寝を楽しんでいたところ、ニルヴィーナたちが見舞いに来たらしく彼女らに寝顔を見せてしまうことになってしまった。
  彼女らを連れてきたエルトナージュに苦情を言ったのだが、罰ですと一言切り捨てられてしまった。その後で二人の大公がアスナの名代を務めてくれているので、夕餐会のことは心配しなくても良いと優しく教えられた。
  今も彼女はベッドの縁に腰を落ち着けて、アスナとともに重臣たちの見舞いを受けている。その彼女の向かいには見舞いにきたシエンらが椅子に座っていた。
  名家院議長、首都防衛軍副将ファーゾルトを加えた三人だ。
  ……見舞いついでに報告会とかあの話をするのかな。
「大事なくて何よりでした」
  と、三人を代表してシエンが声をかけてきた。
「まさか階段から滑り落ちるとは思わなかったよ。心配かけてゴメン」
「いえ。今朝方、お顔を見た時には感じませんでしたが、少しお疲れのようですね」
「正直に言えば、ね。狩猟会の後の休暇で緊張の糸が切れたみたい。観兵式の間に集中力が突然なくなったんだ。大公が話しかけて気を紛らわしてくれなかったら持たなかったかも。……けど階段で滑ったのは痛かったな。格好悪すぎる」
  頭を抱えて、思い切りベッドに顔を埋めた。
「噂になってるんじゃない?」
「なってますよ。わたしからお茶会の席で、階段で滑ったと正直に話しましたから来賓の間では無責任な噂話は流れないと思いますよ」
「ニーナとアストリアたちが見舞いに来たのはそういうことか」
  サベージとアクトゥスが確認をしたのだから、この話はこれで終わりとなる。
  市井に関しても同様の発表をし、あとは噂が消えるまで放置すれば良い。
  民衆が好む噂なんて時間とともにひょっこりと現れるものなのだから。
「で、重臣が三人揃って見舞いに来たってことは何かあったのか?」
「お疲れのようなので、日を改めようと思います」
「気になって寝付けなくなるかもしれないから聞いておくよ」
「……では、簡単に。ロゼフのシャイズ侯爵の件です」
「あぁ、内通の件ね」
「はい。閣議の席上で話し合った通りに進めてみようという判断を下しました。あとは殿下の内意をお聞かせいただければ、そのまま議会に諮ろうかと存じます」
  ロゼフ南部の雄、シャイズ侯爵との間で相互不可侵の約定を結ぶ話だ。
「まず軍務大臣の名前で相互不可侵の約束をして、越冬の間にそれなりの関係を築けたら宰相の名前で改めて約束しなおすんだっけ」
「はい。殿下の御名での締結を求めてくるでしょうが、相手は王族であっても一国の主ではありませんから追い返してしまいます。ラインボルトは彼の協力なしでことを進めるつもりでいましたから、何もなかったと思えば何ということもありません」
「冬の間に議会で審議を進めるのか」
  そういうとアスナは豊かな髭を蓄える名家院議長を見た。
「一冬あれば十分な審議が出来かと存じます」
「ん。分かった。この話はそのまま進めてくれて良いよ。審議して可決されたら、内閣と議会の判断を見守ることにする、ってことで良いかな」
「はい。もしシャイズ侯爵の存在が我が国の不都合となれば、殿下の判断ということで切り捨てることが出来ますので」
  ……悪人の発想だ。
  そんなことを思うが、相手がロゼフの貴族なのであまり良心が痛まない。
「占領地の岩窟族相手との約束は誠実に。シエン?」
「承知しました。軍務大臣を通じて改めて通達を出しておきます」
「うん。よろしく。他に何かある?」
「こちらにご署名をお願いします」
  シエンから差し出された二枚の書類を受け取り、一読する。
  ボルティスとラインボーグに名代に任じる命令書だ。期限は明日から三日間となっている。別れの宴席までに体調を整えろということだろう。
「エル、ペンをお願い」
  ニルヴィーナたちが見舞いに来ても気付かなかったほど熟睡していたのだから素直に署名するしかない。それに大公たちならば安心して任せられる。
  それぞれに素早く署名をしてシエンに手渡した。
「ご老公と八代目に宜しく言っておいて」
「承知しました」
「わたしからも発言、宜しいですか?」
  最近、この様な場では沈黙し続けていた彼女が珍しく言葉を発した。
「なに?」
「この際ですから、少しアスナの予定に余裕をもたせる内規を作ってはどうでしょう」
「具体的にはどのようにでしょう?」
  シエンの問いにエルトナージュは真っ直ぐに応じた。
「議員や重職にある者との会食の回数を減らしましょう。彼らと顔合わせは一通り終わっていますから減らしても問題ないはずです。これ以降は週に三回にしてはどうでしょう」
「しかし、姫。我々議員にとって殿下と言葉を交わせる得がたい機会です。削られるのはどうにも」
  名家院議長だ。確かに議会とは距離を置いた関係となっている。
  アスナ自身もその辺りの自覚はある。彼らとは表向き和解しているが、エルトナージュ解任の件で印象が悪かった。
  彼らの役割は理解しているし、夕食会で聞く話しもタメになる。
  だからといって特別に議会と仲良くする必要も感じていなかった。
「議長。アスナとの会食は議員の権利ではなく、招待されてのことだということを思い出して下さい」
「それは、そうなのですが」
  絞るような声音で議員は言い淀んだ。アスナとの会食を申請すれば通る権利だと思っている議員が無視できない程度いるのだろう。
  議長と言えども議会運営に関わること以外では返答は出来ない。
「エル、あんまり議長を虐めない」
「だけど、負担になりすぎているのも確かでしょう」
「そりゃまぁね」
  議員たちとの会食は単純に食事をして終わりという訳にはいかない。
  彼らの経歴や為人を記憶し、関わっている政策がどんなものか大凡でも知っておかねばならないからだ。アスナから不用意な発言を引き出して、自分の政策実現に利用しようとする者がかなりの人数いる。所謂、天の声を必要としているのだ。
  同僚の議員を納得させられず、素人を騙すような手法はさすがにどうかと思うのだ。
  それを防ぐ一番の方法はそれなりの知識を持つ事だ。しかし、現在のアスナではそれを満たすための時間が圧倒的に足りていない。
「議長にこんなこと言っても仕方がないけど、会食の後で自分の支援者にも会って欲しいって言うのは止めて欲しい」
  副王殿下と会食をした、という話は次の選挙で対抗馬に対して優位に立ちやすくなる。接戦が予想される議員を抱える派閥によって一度より二度、三度とアスナとの接点を作らせることが再選への助力となる。内々に支持者を謁見させれば、それだけの影響力があると見なされ今よりもずっと強固な支持を得られると思ってのことだったのだろう。
  この程度のことなら今のアスナにも想像ができるようになっていた。
「議会は副王の権威を認めていない、ということですか?」
  すうっとエルトナージュの目が細められた。
  アスナの権威を認めないということは、アスナが召喚されてから今日までに成してきたことの多くを認めないということだ。エルトナージュがそれを許容するはずがない。
「いえ、決してそのようなことは……」
「若輩者で未熟者なのはホントのことなんだからしょうがないよ」
「ですが」
  腹を立てているエルトナージュを宥めるようにアスナは彼女の太ももをポンポンと叩いた。
「向こうは苦労を重ねて選挙で選ばれたっていう自負があるんだ。そういう意味で議員は尊重しないといけないんだと思う」
  ラインボルト国民の中から選出された彼らを尊重するということは、国民を蔑ろにしないということでもある。
「だからって、支持者に会って欲しいとか、手紙付きで献上金を届けてくるとかは止めて欲しい。商会の主が献金をして、そのご褒美に賞状とか勲章を贈るのは分かる。仕事して税金納めて、その上献金してくれるんだからさ。だけど、議員がこういうのをするのは気分が良くない。そのうち身内に優秀な者がいますので、どうぞお引き立て下さいって献金付きの手紙を出してくるかもしれないしさ」
  だが、口利きについてはアスナに原因があった。
  LDを私的に雇用し、彼の好きにさせていることにあった。私的な扱いにも関わらず、公的な場に顔を出して、発言を認められている。
  坂上アスナの公私混同の象徴とでも言うべき存在であった。
  これを見た一部の議員たちはアスナが口利きを受け入れてくれる可能性があると考えた。
  現在、財布の口を大きく開いているアスナは手元不如意なのではないかと思われているため、献金という分かりやすい形で窓口を作ろうとしているのだ。
「そういう時はありがたく受け取っておけば良いんですよ」
「そうなのか?」
  エルトナージュから思わぬ言葉を受けて驚いた。
  清廉潔白ではないが、こういうことは好まない気性だと思っていただけに意外であった。
「受け取った献金はアスナが気になったところにそのまま寄付してしまえば良いんです。孤児院でも良いし、美術館でも良い。あとは献金してきた議員に、貴方の志を汲んでここに寄付をしておいた。今後の働きに期待する、とでも返事をすれば終わりです」
「口利きしてくれって送ってきた金なのにそんなことして大丈夫なのか?」
「手紙を燃やせば証拠は残りません。献金を返せば、アスナの不興を買ったと噂が立つから議員の立場がなくなります。だから、手紙には公共の役に立つ使い方をして下さいと書かれていたことにしてしまうんです」
「失敗したのに金が返ってこなかったら口利きを頼んだ人が怒るんじゃない?」
  エルトナージュは劇のようなわざとらしさで肩をすくめた。
「そこまで責任を負う義務はありません。王に金で口利きを依頼したなんて風聞が広まれば当事者はもちろん、親類縁者もただではすみません。それから守ってあげたんだから十分じゃないですか」
  そういうと彼女は名家院議長に顔を向けた。視線を受けて彼の髭が揺れた。
「こういう例え話をしたんですから、議長が気を利かせてくれるはずです。そうですね?」
「……はっ。両殿下の御心を乱す振る舞いをせぬように務めます」
「よろしい。議長、アスナは議会の権威を尊重していますよ?」
「いや、しかし……。宰相殿」
  議長はシエンに助けを求めた。しかし、その宰相が肩を落としてしまっている。
  会食の件は議員だけの問題ではない。官吏も出席しているのだから。
「実を言うとお見舞いに伺う前に両大公から苦言と、王太后殿下列びにリジェスト家のトレハ殿下から副王殿下にご無理を強いているのではないかと心配する手紙が私に届けられています。どうにも、抗弁のしようがありませんな」
  王太后イレーナとトレハは政治的なことから距離を置く姿勢を崩してこなかった。
  この二人が宰相相手に苦言を呈したことに議長やファーゾルトは驚いた。
「いいよ、エル。昼に二回、夜に三回。なにか要件があれば考慮する。あと出席者に関してはオレの方からも出席者は選ばせて貰う。唾を飛ばし合いながら口喧嘩する大人を見ながら夕飯なんて摂りたくないし」
  議長の耳にも届いているのだろう。渋面を隠さない。
「ただ、面白い話が聞けるから議員とか官僚との食事会を無くすつもりはないよ」
「そうなんですか?」
  エルトナージュがそう言って続けるように促した。
「例えば浮遊島を利用してみようっていう話」
  幻想界の上空には幾つかの島や岩が浮いており、好き勝手に赤い空の中を周遊している。
  ラインボルトの国土を飛ぶ浮遊島が幾つかあるのだ。
  島こそ見た事はないが、岩が飛んでいる姿をみたことはある。
「浮遊島をでっかい空飛ぶ船に見立てて物資を輸送しようっていう話。今のラインボルトは馬車の陸路と運河の水運で国内輸送をやってる訳だけど、運河のある地域とない地域だと発展の度合いが段違いなんだよな。浮遊島は運河の通っていない場所も飛んでるから、これを利用すれば少しは格差を小さくできるんじゃないかって」
「それで?」
「けど、浮遊島は一箇所に停泊しないし毎回同じ場所を通る訳じゃない。だから、計画的な運航は難しいんじゃないかって。あと物資の上げ下ろしも。この話をした議員は飛竜を使ってやれば良いって熱弁してたけど、飛竜が持ち運べる量には限界があるし、飛竜と乗り手を育てて維持する予算も大きくなるから、結果的に赤字になるみたい。だから、鉄道計画の方に軸足が置かれてる。それでも、浮遊島って面白いよ。もし、風光明媚なところだったら、空飛ぶ旅館とか面白いかもしれないしさ」
「他には何かあります? 文化的な話とか」
「文化的なことだったら、もっと地方に図書館をって主張する議員がいたっけ。この辺りも地方ごとの格差があるみたい。そういう知識や経験がないから、田舎から出てきても責任ある立場に就く機会が極端に少ないみたい」
  就任式でのアスナと同じなのだ。
  音楽や絵画、観劇、歴史、数学などの知識や技能を披露して野蛮人ではないことを各国の使節たちに示した。教養があると認められたからこそ、彼らから侮りを受けることなく就任式後の行事を進められたのだ。
  都市部と農村部の格差も同じようなものだ。
「田舎者呼ばわりされる前にそれなりの教養を身につけさせたいから図書館をって話」
「王宮府でもそれなりに建ててはいますよ」
「足りないってさ。一つの村に図書館一つが目標だってさ。さすがに予算がないから出来ないんだけど、やりようはあると思うんだ」
「なにか案でも?」
「うん。移動図書館とかどうかな。大型の馬車に本棚載せて定期的に村を訪問するんだ。運ぶ本も難しいのじゃなくて娯楽になるような絵本とかそんな感じの。あとは余所の土地のレシピとか手芸とかを纏めた本があっても良いかも。あとは御者がいるんだから紙芝居をさせても良いかも」
「紙芝居?」
「あれ、知らない?」
  大人たちも知らないようだ。
「物語の場面ごと絵を描いて、それを見せながら物語を芝居がかった口調で進めていくんだけど……。えっと、大勢に見せながらできる絵本の読み聞かせみたいなもの、かなぁ」
  ……上手く言葉にし辛い。
  二秒ほど唸って、実際に作った方が面倒が少ないと結論を出した。
「今度、王宮府お抱えの絵描きと相談しながら作ってみるよ」
  大人たちは関心がないのか表情に余り変化は見られない。
「楽しみにしています。他にもあります?」
「あるよ。酒の産地の話は面白かったよ。例えばあるところの酒がエグゼリスで流行ったとするだろ。そうするとその土地の酒じゃないのに、嘘を吐いて販売することがあるみたいなんだ。それを防ぐために瓶に分かりやすい印を付けたら良いんじゃないかっていう提案があったんだ。良い案だと思おう。その議員が言うには王室御用達の証から発想を得たらしいんだ。良い酒だったらその証が品質の保証になる。広く知られるようになったら国内だけじゃなくて、輸出する時にも役に立つんじゃないかなって思う」
「作り方の規格を作って、味や風味の確認をするというところですか」
「そうだね。あと思いつくのは偽物対策か」
  こちらの話は大人たちにとっても興味が湧いたようだ。
  少し背中を押してやれば、こちらは実現するかもしれない。
  すでに御用達という形で基礎的な部分は知られている。あとは当事者たちの実力と法律という形で国が形を整えてやれば、ラインボルトのあちこちで標章が生まれてくるはずだ。
  それらが諸外国でも知られればラインボルトの印象がより良くなる。
  実践しているのがアジタだ。アジタの銀細工が周辺諸国では高級品の代名詞となっているお陰で、アジタは小国ながら侮れないという印象を持たれている。
  ラインボルトでもそれを行おうということだ。
「なるほど。関係省に検討をさせてみましょう。通産大臣が飛び付くと思います」
「いやいや。地方の産業振興の意味もある。まずは地方の実情を知る者が多い議会から議論を始めた方が良い」
  宰相と議長は早速、どちらが先に手を付けるかで話をし始めた。議長は自分の膝元でそういう話が持ち上がっていた事に気付かず若干悔しげだ。
「お二人とも怪我人の前での議論はお控え下さい」
  これは申し訳ありません、と二人は恐縮した面持ちで頭を下げた。
「そういうことだから、昼夜三回ずつを基本にするっていうのでどう?」
「……その方向で話を纏めさせていただきます」
「ん。よろしく」
  ……怪我の見舞いのはずなのに何で交渉事になってるんだ。
  自分を取り巻く状況にややげんなりしつつも、予定を一つ変えるだけで大事となる自分の立場を改めて省みてしまう。
  沈みそうになる気分を奮い立たせようとアスナは顔を上げた。
「ファーゾルトさんがこの二人と一緒って珍しいね」
  副王就任式に備えて治安の向上に努めていたため、彼と顔を合わせるのは閣議の席で報告を聞くときぐらいだった。
「お怪我をされたと聞き、近衛からの応援の件のお礼を兼ねて参上いたしました。宰相閣下にはご無理を申し上げました」
  ファーゾルトは静かに宰相に会釈をし、シエンも同じように返した。
「放火魔の件か。逮捕は?」
「申し訳ありません。未だ捕らえるに至っておりません」
「逮捕するのも大事だけど、今日まで延焼させなかったことの方をありがたいことだと思う。ファーゾルトさん、オレが首都防衛軍の活動に感謝してることを伝えてくれる?」
「はっ。ありがたきお言葉に存じます。殿下」
  畏まる彼にアスナは頷きを与えると、宰相に顔を向けた。
「シエン。あの話、折角だからここでしようか」
「少し早いように思いますが、宜しいかと存じます」
  腰がまだ痛むがアスナは起き上がり、ファーゾルトの向かいに腰を落ち着けた。
  これから話すことは寝転がりながら話して良いことではない。
「就任式の行事が全て終わったらファーゾルトさんを第二魔軍将軍に任命します」
「いや、しかし殿下。私は……」
  彼の言葉を堰き止めるようにアスナは掌を前に突き出した。
「ファーゾルトさんがリーズから亡命してきた人だっているのは分かってる」
  彼はリーズの王族。竜となることが出来れば、今頃竜王と呼ばれる地位にあった人物。
  本来ならば軟禁同然の扱いであってもおかしくはなく、首都防衛軍の副将を任されること事態が破格の待遇だ。そんな彼を第二魔軍司令官に任命するなど驚天動地と言って良い。
「第二魔軍を任せられる人を捜したら、ファーゾルトさんほど条件にあう人がいないんだ」
「理由をお伺いしても宜しいでしょうか」
  彼の声音に疑いの色は感じられない。強い困惑が声に宿っている。
「将軍として十分な実績があること、もう一つは先王が崩御されてから今日まで首都の治安を守ってきたこと」
  王不在の首都は些細なことで大きな混乱を起こしてもおかしくはない状況であった。
  首都が混乱すれば国全体の動揺も大きくなる。通常よりも遙かに責任が重い。
  決して目立たないが、彼がエルトナージュ内閣を舞台裏から支え続けたからこそアスナが召喚されるまで維持できたのだ。
「第二魔軍が駐屯しているムシュウに避難民を戻す計画があります。外のラディウス軍、内側の治安維持。これを両立できるのはファーゾルトさんだけです」
  それに、とアスナは身体を前に傾け話を続ける。
「今の第二魔軍は亡命してきたばかりの頃のファーゾルトさんと似た状況なんです」
「……確かに、確かに仰るとおりですね」
  ファーゾルトは先のリーズとの戦争で捕虜となり、そのまま亡命した。彼に恨みを持つ者は多数おり、ラインボルトに馴染むまで苦労を重ねていた。
  第二魔軍もそうだ。反乱を起こし、敗北。恭順をしたが僻地で睨み合いをさせられている。中立派であっても彼らを正面から指揮することは難しい。
  だからこそ、似た経験を持つファーゾルトなのだ。
「ファーゾルト。アスナの頼みを聞き受けてくれませんか」
「……姫の頼みであれば否は言えませぬ」
  彼は勢いよく立ち上がると淀みない動きでアスナに対して膝を突いて平伏をした。
  そして、深く頭を垂れて、はっきりと返事をした。
「第二魔軍司令官の任、しかと拝命いたします!」
「よろしく頼む」
  内乱中、エルトナージュを補佐して全軍を纏めてフォルキスと対峙し続けた男だ。
  彼ならば長い睨み合いの日々にも耐えてくれるだろう。
  アスナは彼と直接言葉を交わした回数は少ないが、エルトナージュに対する忠勤の姿勢を見れば安心して任せることができる。
  アスナの本心を言えば、彼にはエルトナージュにそうしたように自分の軍事面での教官を任せたかった。それを期待したLDが少しずつ表舞台から引き下がり、今では立派な諜報部門の長に収まってしまっていた。アスナが彼を自由にさせた影響の一つだ。
「しかし、姫のご婚儀に参列出来そうにないことが残念です」
  その言葉に偽りがないことは誰の目にも明らかだ。これ以上、政務に関わる話が出来る雰囲気ではなくなり、それから一時間ほど先王の昔話に花が咲くのであった。

 大人たちが部屋を辞した頃、すでに空には幾つか星が輝き始めていた。
  時計を見れば、丁度、夕餐会が始まる時刻だ。
  立食形式なのでボルティスの挨拶が終われば、リムルの下に各国の騎士たちが殺到するだろう。リムルは戸惑わずにしっかりと応対できるだろうか。
  その辺りの補佐を第三魔軍の面々がしてくれると思うが、それでも心配だ。
  少なくともアスナの方が宴席の経験は豊富だ。
  飛び交う話題は今日の演習を入り口にして、内乱中の戦闘や今後の行動について探りを入れられるはずだ。
  リムルのロゼフ行きは、聞かれれば話して良いと伝えている。この情報に接して相手がどういう反応をするかが分かればそれで十分だ。
「夕食はこちらで摂ります?」
  そう尋ねながらエルトナージュはアスナの眉間を人差し指で揉んだ。
  眉間に皺が寄っていたようだ。少し気持ちがいい。
「そうしようか。腰痛いし」
「気を付けて下さい。階段で滑った命を落とす人もいるんですよ」
「……はい」
  階段からの転落死は現生界にいた頃にも聞いた話だ。
  今更ながら湿布を貼る程度の打ち身で済んで幸いだった。
「あと、休める時間を作ってくれてありがと」
「どういたしまして。わたしも反省することが色々とあったから。週の半分は自由に使えるから、さっき話していた紙芝居を作るのに使っても大丈夫です。万華鏡も奇麗でしたし期待していますよ」
「ご期待に添えるように努力します。といっても実際に作るのは絵描きなんだけどさ」
  そうしてふと思い出した事があった。尋ねるのは無粋な気がしたが聞いておきたかった。
「エルのお義母さんのトレハさんに手紙を出してくれるよう頼んだのってエル?」
「少しあからさま過ぎましたか」
  彼女は苦笑気味に認めた。
「いや、ありがたかったよ。あれがなかったら、政府側にも配慮してもう一日増やさないといけなかったかもしれないし。お二人にお礼の手紙を出しておかないと」
「お二人とも喜んで下さると思いますよ」
  こういう搦め手を使ってでもアスナが休める時間を作ろうとしてくれたことが嬉しい。
  大切にして貰えていると実感できる瞬間だ。
「さて、そろそろ夕食を整えさせましょうか。遠慮しているサイナとニーナも呼ばないと」
  彼女はベッド脇の棚にある呼び出しのベルを振った。これは二つで一つの魔具だ。どちらかを鳴らせば、もう一つもベルが鳴るという機能がある。
  使用人を抱える富裕層の屋敷には必ずある品だ。
  一時期、軍でも連絡用に使えないかと検討された事もあったが、兵士の蛮勇に耐えられず高価なこともあって採用は見送られていた。
「お呼びでしょうか」
  程なくして控え室にいたミナが顔を出した。
  これまで敢えて気にしないようにしていたが、愛人云々の話をされてからミナへの見方が変わった。所作や流れるような黒髪は奇麗だな、と思うようになった。
「夕食は離れで摂ります。サイナとニーナをこちらに」
  アストリアとヴァイアスらは夕餐会の方に出席している。
「はい。殿下、すぐに食堂の準備を始めさせていただきます。少々騒がしくなりますがご容赦下さい」
  一礼をして部屋を出ようとする彼女をアスナが呼び止めた。
「ミナ。ちょっと、待って」
「はい」
「そこの机の上の包みをアリオンに届けてきて。それを夕餐会が終わったらリムルに贈るように、って」
「承知しました」
  包みの中には手袋が入っている。狩猟会で獲った兎の毛皮で作ったものだ。
  一度だけ使ってみたが、なかなか良かった。北に向かうリムルの手を暖めてくれるだろう。
「良いんですか?
  彼女を見送った後、エルトナージュは尋ねた。
  偶然の産物とはいえ初めての獲物だ。残しておきたい気持ちはある。
「せめてもの気持ちだから」
「アスナが良いならこれ以上言いませんけど、少しリムルに気を遣いすぎですよ」
「そうかな」
「そうですよ。必要以上に気遣ってみせると周囲の嫉妬があの子を潰しますよ」
「内々に、とかでもダメかな」
「すぐにばれます。それよりも少しずつで良いから配下の将として接してあげた方が良いです。その方がヴァイアスやミュリカも安心するでしょうし」
  そう言われてしまうと唸る他ない。エルトナージュから見て過度な気遣いの原因はリムルへのある種の冷遇、一緒に遊びに連れて行けなかったことにもあるが、ヴァイアスらへの気遣いも多分に含まれている。
  どう接すれば良いか分からず、贈り物をするという安直な方法を採ってしまったのだ。
「気を付けます」
「よろしい。……あぁ、それともう一つ。今夜はわたしとサイナは後宮に戻りますから」
「分かった」
  腰を痛めた時にはしゃいだら悪化必須だ。無理をしてロディマスに怒られたくないし、アストリアたちが後宮に泊まるようになってからは独り寝の方が多い。
「本当に分かってます?」
「なにが?」
  エルトナージュは盛大にため息を漏らした。
「ミナとの仲を深めなさいと言ってるの」
  ……未来の王妃様が何を言っているのだろう。
  そんなことを思ってしまうが、これはアスナの失敗の尻ぬぐいをさせているのだ。
「そうさせてもらいます」
  十分後、サイナとニルヴィーナが離れに訪れ四人での夕食会となった。
  出された料理は夕餐会と同じ物。小皿に載せて食べやすい小さく切り分けられた物が多く皿に並べられた。また、出席者の多くが軍人ということもあり、肉料理が多かった。
  後日の話になるが、リムルは夕餐会を無難に済ませることができた。
  諸外国の軍人はもとよりラインボルト軍の将校たちとも親睦を深められたようだ。
  アスナもまたその夜、ミナと親睦を深めることにするのであった。

 王様で良かったと思えることの一つに風呂が挙げられる。
  毎日、入浴をしても問題がないというのはありがたいことだった。
  爽やかな気候のエグゼリスでは運動をしない限り、分かるほど汗を掻く事はない。それでもその日の政務を終えた後の入浴はアスナにとって、良い気分の切り替えとなっていた。
  魔法があるから気兼ねなくお湯につかれる点が何よりもありがたい。
  風呂好きの魔王がいたようで後宮内には大中小と風呂が揃えられており、その日の気分で入浴を楽しむことが出来た。
  エルトナージュらと入る時は中風呂、入浴だけなら個人風呂と使い分けている。
  他国には入浴を手伝う係がいるそうで、アスナも一度ストラトから用意するか聞かれたことがある。不要だと断ったが興味がない訳ではない。
  身体を洗って貰ったり、その後にマッサージを受けたりと気持ちよさそうだと思う。
  しかし、風呂入って飯喰ってそのまま寝たいことも結構あるため、用意して貰っても無駄遣いにしかならないのだ。
  真面目に王様をやると割に合わないというのは真実だ。
「…………」
  湯船に口まで浸かって天井を眺める。幾つもの水滴が付着している姿が見える。
  それを長めながら今晩はどうしようかと思う。
  未来の奥さまたちから許可が出ているので何も問題はないのだが、王様の立場を利用しているようで気が咎めるのだ。言うなれば自分が悪代官になったような気分。
  遊びでならば帯を引っ張って着物を脱がすというのをやってみたいが、本気でしたいとは思っていない。だが、受け取ってしまった以上、責任を取らねばならない。
  ぴちょん、と水滴が落ちた。ゆらゆらと揺れるお湯の水面の向こうには、すっかりやる気になっている自分自身がいる。
「身体は素直ってことかぁ」
  一度言葉にして認めてしまうと勢いがつく。
  アスナは風呂からあがり素早くパジャマに着替える。青地の薄手のシャツだ。
  これに薄手の布団をかければ十分、暖かく眠れる。
  部屋にはいるとミナが控えていた。卓の上には冷えたはちみつレモンもどきが用意されている。この気配りはありがたい。
「ありがと」
  そういって一息で半分飲む。仄かな酸味と甘さが心地よい。
「悪いんだけど、湿布貼って貰える?」
「はい、殿下」
  アスナの方から一線を引いていたこともあって、一緒に何かをする時でもなければやり取りに固さがある。
  ベッドに寝転がる。奇麗に整えられていたシーツが瞬く間に皺が出来る。
「それでは、失礼します」
  上着がめくり挙げられ、すこしズボンも下げられる。治療行為だというのに妙な気恥ずかしさがある。が、それも僅かな間のこと。覚悟していても湿布の冷たさに身体が強張る。
  起き上がって、湿布を貼った辺りを包帯で巻いてずれないようにして終わりだ。
「今日はお休みになりますか?」
「昼寝したからまだ眠くないんだ」
  と、首を横に振った。悪人みたいだと思いつつも、そういえば自分は魔王になるんだったと今更ながら思い出す。
「随分と手際よくやってくれて助かってるよ。角とかを見せるようになって困ったことになってない?」
「ありがとうございます。大丈夫です。驚かれたみたいですけど、ストラト様やシアさんが庇ってくれてます」
「良かった。これからもし何かあったらその二人に相談してくれれば良いよ。オレから何か言ったら余計こじれるかもしれないし。といっても、ミナを愛人にしろって話が出てるんだから今更か」
「殿下、あの、その……」
「エルとサイナさんから聞いてない?」
  白い肌を赤く染めて彼女は俯いた。
「伺っています。副王殿下の望むようにしなさい、と」
「望むように、か。ミナはガレフからの贈り物で、だけどミナはもう組織から抜けてる。そのガレフは今も変わらずオレが雇っている。どうしたもんかって悩むな」
「……申し訳ありません」
「あやまらなくて良いよ。普通に生きたいって思うのは当たり前のことなんだし」
  まだ決定した訳ではないが、聞かせても良いだろう。
「いまアクトゥスの捕虜たちの看病をしている星魔族の人たちを近衛の衛生兵にしようかって話が出てるんだ」
「本当ですか!」
  目を大きく見開いてミナは驚いた。
  日陰者の更にその闇の中を這いずっていた彼女たちにとって近衛騎団への入団は未来への強い希望となるはずだ。
「予算とか色んな都合があるから、正式に決定するかは未定だけどね。こういう話が会議で検討されるだけの能力があるって認められたんだ。胸を張って良いと思う」
「ありがとうございます!」
  だが、アスナは首を横に振った。
「オレは何もしてないよ。口添えとかは一切してない。ヴァイアスなんてミナがオレ付きの侍女をやってるのすら嫌がってるから。だけど、それはそれとして能力は認められてる。もし、正式に入団が認められたらミナの方からも注意を促しておいて。衛生兵として一生懸命に仕事をしてくれってさ。そうすれば、遠い未来のラインボルトでは星魔族も当たり前に見かけるその他大勢になってるかもしれない」
「はい!」
  展望はあるとアスナは見込んでいる。上手に姿を隠し続けていたお陰で星魔族はある種のお伽噺のような存在に思われているようなのだ。
  むろん、お伽噺に付随する下世話な悪評は残っているが、石を投げられるような酷い扱いはされないはずだ。
  ただ、何故、今現れたという疑問が国民の中から出てくるだろう。それについては星魔族の隠れ里が発見され、アスナに恭順したとでも理由付けすれば納得して貰えるだろう。
「真面目な話はここまでにしよう。ミナは普段、どんな遊びをしてる?」
「あ、遊びですか」
  切り替えの速さについていけず彼女は目を白黒させた。
「……輝石遊びを少し。あとは手習いの時間に充てられていましたから」
「輝石遊びって?」
「控え室に持ち込んでいますので、お見せしましょうか」
「うん。頼む。……あぁ、それともう仕事はおしまい。私服に着替えてきて。その方がオレも気が楽だし」
「わかりました。少々お待ち下さい」
  静かに一礼をしたミナは足早に控え室へと戻っていった。
「はぁ……」
  それを見送ったアスナは椅子の背もたれにだらしなく身体を預けた。
  意識して仲良くなろうとするのは思ったよりも大変だ。
  コップに残ったはちみつレモンもどきを飲み干し、水差しから水を注ぐ。こちらにはミント系の香草が何枚か入れられている。
「愛人的な意味で仲良くするってどうすれば良いんだ。世のおじさんたちはどうやってるんだ」
  真剣に悩むも答えなんて出てくる訳もない。
  身近で愛人を持っていそうな人たちといえば、名家院議員だ。彼らならば何らかのノウハウを持っているだろう。しかし、一国の王様が議員に愛人との接し方を教えて貰うというのも変な話だし、こんなことで借りを作りたくない。
  ミナが戻ってくるまで堂々巡りをした揚げ句、普段通りにすることに落ち着いた。
「ただいま、戻りました」
  気のせいか彼女の声が弾んでいるような気がした。
  ミナは飾り気のない白いワンピースを纏っていた。手には小さな巾着を持っている。
  角と薄い羽、尻尾を隠してしまっているから品の良い令嬢のように見える。
「就寝前はこのようにしています。その、角があると枕を傷付けますし、羽と尻尾は寝る時に邪魔になるので」
「それじゃ、昔はどうしてたんだ?」
「分かりません。今の同じなのか、何か方法があったのかそれすら分かりません」
  正体を隠して暮らしてきたから失伝してしまったのだろう。
  深く問うても仕方がないことだ。アスナは気持ちを切り替えた。
「その服似合ってるよ。仕事着も良いけど、こっちも可愛いな」
「ありがとうございます」
  含羞に頬を染める姿はとても可愛らしい。女性らしい柔らかな曲線から色香を感じる。邪気のない恥じらいが合わさり、より強く女を意識させる。
  アスナは手で彼女に対面の椅子に腰を落ち着けるように促した。
「失礼します。……輝石遊びというのはこれを使って星座を作る遊びです」
  巾着から取り出したのは小指の半分ほどの大きさの白い石だ。素人の見立てでは白く濁った石英のようだ。
「輝石は河原に行けば簡単に見つけられる石で、魔力を流すとうっすらと光ります。この性質を利用して星座を作るんです」
  行儀見習いをしていた頃、お使いの帰りに良く拾って借りました、と恥ずかしそうに話した。
「その、殿下は星座にはお詳しいでしょうか」
「残念ながら幻想界のはまだ知らないんだ。現生界の星座なら幾つか知ってるよ」
「本当ですか!」
  星に関わる魔法を扱うだけあって興味があるのだろう。
「沢山は知らないけどね。折角だから、順番に教え合おうか」
「はい!」
「それじゃ、ミナから始めようか」
「分かりました。灯りを消してもよろしいでしょうか」
「良いよ」
  照明用の魔具を操作すると部屋に夜の闇が窓の向こうから入り込んでくる。
  再び席に着いたミナは茶巾袋から輝石を取り出した。彼女が触れると輝石は淡く白い光を発した。複数個、明るくなっても卓全体を照らせない程度の灯りは夜空の星々のようだ。
「おおぉ」
  弱々しいが、直ぐ側で光る卓上の星は感嘆の念が漏れるほどに奇麗だった。
  彼女は光を灯した輝石で上底が短い台形を作った。
「これは箱船座です。星魔族の神話では、星の世界を治める神の御許にいた星魔族の祖先は星々を渡る箱船に乗ってこの地に降り立ったと言います。神から癒しの力を与えられた私たちは治療の手を求める人々の元に訪れて使命を果たしてきたそうです。治療を終えたらまた次の星へと長い長い旅を続けていました。時には訪れた地を気に入って定住した者もいたそうです。星魔族はその定住を選んだ者の末裔なんです。この箱船座は旅を続ける同胞が無事に旅が続けられるようにという祈りと、私たちがどこからやってきたのかを忘れないようにするための標です」
「…………」
  それだけではないだろう、とアスナは思った。
  遠くへと旅立った箱船。いつの日か舞い戻り、苦境にある自分たちを迎えてくれるに違いない。そういう思いも込められているのではないだろうか。
  SFのようにこの地に降り立った彼らは国を建て、やがてそれを壊されて迫害されるようになった。
  彼女たちの力は本物だ。きっと多くの者を癒してきたに違いない。それでもなお、迫害を受ける身となってしまった。
「オレと似てるな」
  思わず口から零れてしまった。
  魔王の後継者として召喚され、内乱中の国を鎮めることが出来た。しかし、人間である偏見は今も消えることはない。全く一緒ではないが似通っている。
  ミナは一瞬、目を見開いたが余計な言葉は口にしない。
  今だけは憐憫の念は自分に返ってくる。
「この地に降り立った私たちは箱船から乗ってきた小舟を中心にして生活の場を整え始めました」
  輝石三つを横一列に並べて小舟座。
  輝石六つを長方形に並べて竈座。
  輝石三つを垂直に、もう一つを右斜めにおいて麦穂座。
  そういった衣食に纏わる星座を幾つもミナは作っていく。
「そして、私たちが降り立った地はいつしか国という形になっていました。国の名はフィーリア。旅立った箱船と同じ名を持つ国です。そして、国が滅び星魔族が幾つかの集団となって逃散しようと決めた時、一つの約束が交わされました。箱船の名を決して忘れないようにとそれぞれの長の娘にフィーリアという名を与えよう、と」
「それじゃ……」
「はい。私の本当の名はフィーリア。私たちと似ていると仰ってくれた。普通の世界に連れて行ってくれるかもしれない殿下に、私は本当の名を捧げます」

 この三日後、大量発生した”彷徨う者”の討伐が完了したことを記念した追悼式が恙無く執り行われた。
  ラインボルト滞在中、使節たちの耳に大量発生の報せは一度も入っていない。
  この事実を持って終息をしたと見なされるようになり、ラディウスがラメルに居座る根拠はないと複数の国々で認識されるようになるのだった。

 



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