第六章

第一話 たまにはこんな夜話も


 幻想界にもチェスがある。代表的な盤上遊戯であり、愛好家も多い。
  副王就任式に来てくれた使節たちの中にも趣味としている者も多く、何度か誘われた事がある。あの頃のアスナはサイナから手解きを受け始めたばかりということもあり、コテンパンに伸されてしまった。全戦全敗という悲しい結果であった。
  即位式では何とか一度ぐらいは勝ちたいと思い、色々な人を相手に勝負を挑んでいる。
  夕食会でただ食事をするだけではつまらないということで、食べながら打つこともある。
  現生界のチェスとの違いは、ルークに相当する駒が塔ではなく、戦車になっているところだ。意匠は車輪と魔法の杖を合わせたものだ。
  魔導士が今よりもずっと稀少な存在であった昔の名残だ。当時の魔導士たちは敵の攻撃から身を守れる盾とともに移動できる戦車に乗って戦場を駆けたという。魔法と乗馬技術の発達により、今では廃れてしまったが過去の英雄たちの活躍はこういう形で後世に残る。
  難しい顔をしながら盤上を睨むアスナをヴァイアスは欠伸をしながら眺めている。
  実を言うとアスナはすこぶる弱い。そのくせ色々な人に対戦をせがむものだから若干迷惑がられていた。喜んで相手をしているのはサイナぐらいのもの。
  その彼女にしたところでエルトナージュのように物を教えられるのが嬉しいのであって、対戦そのものを楽しんでいる訳ではない。
  数分悩んだアスナはポーンを前進させた。ヴァイアスは一考する素振りもなくナイトの駒を進めた。卓の二人分のお茶と焼き菓子が用意されている。
「結局、犬姫も国に帰ったな」
「結婚しようって言ってる男の国に残していく父親はいないだろ」
  再び自分の手番となり、腕を組んで盤上を睨む。
  使節団が帰国の途に就いてから一ヶ月近くになろうとしている。近い国ならば、自国の王に見聞きしたことや交渉の成果を報告しているだろう。
  就任式に参加した騎士たちが脚光を浴びていればいいな、とアスナは思う。
「お前が言うな。犬姫も残したかったら留学って口実を使えるようにすれば良かったんだ」
「そうすると今度はエルとサイナさんが怒るよ」
  キングを移動させて守りを固める。ヴァイアスはポーンを前進させた。
「何人も抱えるってのは大変だな。犬若ともあれ以来、疎遠だし」
「アストリアは獣王からお役目貰ったから仕方がないよ。交渉が纏まったら遊びに誘ってみる。観戦武官って一応外交官扱いみたいだし友好親善とかそんな理由で」
「それはそれで役目があるから、そうも言ってられないんじゃないか? 軍とか騎団との打ち合わせとかしないといけないし」
「だからこそ、親睦会とか打ち合わせとかそういう名目が通じると思うから大丈夫じゃない」
「近衛騎団の主はお前だし、そういう理屈も通らなくはないか。……それにしても、あんな後で良く声をかける気になるな」
  険悪な関係になった訳ではない。ただ、距離感が掴みにくいだけだ。
  箱の中身を覗いたら、それはビックリ箱だった。
  箱を開けたのが自分の父だから怒る訳にもいかず、妹の秘密を知っても大切にすると言われたから文句も言えない。だからといって、はい分かりましたとも言いにくい。
  彼にも色々な立場があるから、戸惑っているというのが正確ではないだろうか。
「こういう状態で長い間顔を合わせてなかったら、必要以上に無駄な緊張して酷いことになりそうでさ」
「あー、うん。分かる。そういうのあるな」
  ビショップを一度、引っ込めて更に守りを固める。ヴァイアスはルークを前進させる。
「実際に出かけるのは無理でも声をかけるぐらいはしようと思う」
  目の前の友人への見栄もあって、気楽な口調を心がけているが内心はかなり不安だ。
  仮に電話があったとしても自分からアストリアにかけられたか、かなり怪しい。恐らくエルトナージュたちから背中を押されて、ようやくかけられるのではないだろうか
「一緒に戦場に出るかもしれないのに気まずいままじゃ困るわな。その点では助かる。……で、最近は犬姫宛に恋文を書いてるって?」
「……ひょっとしてミュリカ経由?」
「おう」
「ご婦人方の情報網はおっかねーなぁ」
「気を付けろよ。俺も隠していたイロイロをミュリカに見つけられた」
  わざとらしくチラチラと背後を見ながらヴァイアスは言った。
  守りはほぼ固めた。これから攻撃開始だ。ナイトを前進させる。するとヴァイアスは出来た隙間にクイーンを投入してきた。ルークが撃破されてしまった。
「あっ!」
「また初歩的な失敗。まだ初心者なんだから集中してやった方が良いんじゃないか?」
「だってさ、みんなこうやって話ながらやってるんだぞ?」
「そりゃ、向こうは経験者だし」
  待ったは許してはくれない。戦場に立ったことのある指揮官は非常だ。
「話戻して、恋文にはどんなこと書いてるんだ?」
「趣味悪いぞ」
  思わず睨み付けてしまう。
「参考までにさ」
「……ミュリカに欲しいとか言われた?」
「言われた」
  がくりとヴァイアスは肩を落とした。
「毎日顔を合わせてるのに何で欲しいんだろうな」
「うちも遠回りに要望されてます」
「そういう訳だから、参考に頼む」
「特別なことは何も書いていないぞ」
  被害を最小限にしようと駒を動かすが、クイーンの蹂躙を止められない。完全に食い破られてしまう未来が予想される。しかし、王様は不屈だ。最後まで決して諦めない。
「例えば?」
「どんなことがあったのかみたいなのを書いてる。そんな色っぽいものじゃなくて、近況報告とか日記とかに近いかも」
「そんなものか」
「あとは花の種とか小さい香水の瓶を一緒に付けてるかな」
「恋文じゃ足りない分を贈り物で、か。なるほどなぁ」
  これは外務卿の入れ知恵だ。
「オレが言うのも変だけど、ヴァイアスたちの場合は休みの日に二人で遊びに出かけるとかのが良いかもな」
「あー、そういやここのところ出歩いてないかも」
「冬の間に何回か行っておけよ。口実がいるならオレの代わりに民情視察を行うってことにすれば良いから」
「おう。その時はありがたく使わせてもらう。……ほい、投了っと」
「うわーい」
  ヤケクソ気味にアスナは両手を挙げた。連敗記録更新だ。
「少し真面目な話だけどさ」
「ん?」
  駒を並べ直しながらヴァイアスは返事をする。
「衛生兵の件、どうなってる?」
「……気になるか?」
「押し付けたようなもんだし」
「まぁ、なんだ」
  と、彼はこめかみを人差し指で掻いた。
「前向きに検討中。使えるのは分かった。だけど、訓練もさせてないのに団員として、戦場に連れて行く訳にはいかない。だからといって、留守番させても金の無駄。ひとまず外部協力者ってことにしようかって方向になってる」
  物資輸送を商会に委託することもあり、それと同じ扱いだ。
「軍隊は動くだけで兵が損耗するから。連中を同行させれば、それを幾らか減らせるってのは無視できない」
  怪我や病気、脱走と様々な理由で兵隊は脱落していくのだ。
「……無理させたか?」
  近衛騎団には星魔族、というよりもガレフの組織へのわだかまりはある。その伝手で雇うのだから、アスナが思う以上の葛藤があったはずだ。
  しかし、ヴァイアスは首を横に振った。
「連中が役に立つところを見せた。俺たちはそれを評価した。それだけだよ」
「そっか」
  アスナは礼を言わなかった。その代わりに彼のカップに茶を注いだ。ヴァイアスは黙ってそれを飲んだ。それだけで終わりだ。
「主君が平気で愛人にしてるぐらいだしな。……で、手を出したのか?」
「出してない。こう、なんだ。分かるだろ!」
「いや、分からん」
  即否定されてしまった。
「変なところで奥手だよな。内乱中、花街で気分転換して来いって言っても逃げてたし。オススメされると腰が退ける方か?」
「そんなことはないと思うけど……」
  誤魔化そうとアスナはお茶を口にした。そんな彼に追い打ちが襲いかかる。
「サイナの時は押し倒されて、エル姫の時は押し倒したんだっけ?」
「ごほっ!? ごほごほごほっ」
  勢いよく咳き込み、お茶が鼻に入った。涙目になりながらハンカチで鼻をかむ。
  仕方がないことではあるが、ハンカチで鼻をかむ行為に慣れない。
  ……やっぱり、ティッシュの開発をさせよう。
  貴族や富裕層向けの高級品から始めれば大赤字にはならないだろうとアスナは勝手に判断をした。鼻紙はなくともトイレで使う紙はある。あれをもっと柔らかく出来れば、生活がより豊かになる。
  とはいえ、それよりも先に問い詰めねばならないことがある。
「それもミュリカ経由?」
「おう!」
  ビシッと親指を立てて爽やかな笑みを見せる。
「なんでもかんでも話して良いもんじゃないと思います」
  ミュリカ相手とはいえ、他人に話す二人も二人である。
「今更だろ、今更。頻繁にベッドが大変なことになってるんだし。それを整えてるのは侍女たちなんだぞ。この手の話題で噂が広がらない理由はないさ」
「それはそうかもしれないけどさぁ!」
「お前の耳に入ってないだけで割と有名だぞ。副王殿下は姫様方をとても可愛がっておられるから、布団屋が儲かるってさ。布団屋云々は冗談だけどな」
「人の口に戸は立てられぬとはこのことか」
  頭を抱えずにはいられない。これも王様になるための試練なのだろうか、と。
「お、中々面白い言い回しだな」
「生まれ故郷のことわざだよ。……まさかこっそりと誰かに覗かれているとか」
  周囲を見回して気配を探る。そんなアスナにヴァイアスは半笑いとなって手を振る。
「ないない。余所の国には結婚して初めての夜は貴族とかに見守られながらってのがあるらしいけど、ラインボルトにそういう慣例はないから」
「……まぁ、ヴァイアスがそう言うなら一応信じておく」
  若干の不信感を残しつつ、アスナは自分の分の焼き菓子を口にした。
  何かの葉っぱのような模様をした菓子だ。香ばしくてお茶請けには丁度良い。
  サクサクとした食感を楽しみつつ話題を変えることにした。
「……ラインボルトの冬はどんな感じなんだ? 今更だけど」
「ラインボルトといっても広いからな。エグゼリス周辺なら何日か雪が降るぐらい。積もっても昼前には溶けるぞ。滅茶苦茶積もるのはもっと北の地方だ」
「北にいる軍は大丈夫かな」
  ディーゲン市とその周辺を抑えるとゲームニス率いる北方総軍には越冬に力を入れるように命じている。ワルタ地方を任せているホワイティアにも冬の準備に力を注ぐように命じているが、果たして準備は満足に出来ているだろうか心配だ。
「大丈夫だって。何か欲しい物があれば大将軍やホワイティア将軍が言ってくるよ。もし、北の方で大事になるんだとしたら、エグゼリスも酷い目にあってる」
「最後の敵は冬将軍、か」
  お茶を飲んで口をさっぱりさせる。防寒具だけではなく、兵たちに毎日温かい食事が提供できるように気を配ったつもりだ。凍死者を出さずに済めば良い。
「防寒具といえば、アスナ。リムルに手袋を贈ってくれてありがとな。鷹狩りで初めて獲った毛皮なんだろ、あれ」
「いいよ。リムルからもお礼を言われたし。それに実は余計なことしたかもなって思ってるんだ。……エルに贔屓のし過ぎは良くないって注意されたから」
  どういう意図で彼女が注意をしたのかヴァイアスは察したようだ。
「軍人の嫉妬は怖いからなぁ。それでも、リムルのこと気にかけてくれて嬉しかったよ。ミュリカからもお礼を言って欲しいって言われてる」
「どういたしまして。けど、これからはこういう気遣いは出来なくなるかもな」
「分不相応でも将軍だしな。そういう意味じゃ俺も人のこと言えないんだけど」
「オレはヴァイアスが団長やってくれてて助かってるよ。大人ばっかりの中にいると息が詰まる」
  偽りのない本音だ。以前、アストリアが言ったように上手にやれているという自負はある。それを当たり前だと思われる現状に耐えられなくなりつつあった。
  観兵式での一件は、上手に転ぶことが出来た、と言って良いのかもしれない。
  こうやってヴァイアスを相手に雑談に興じる余裕を作れたのも、エルトナージュのおかげだ。アスナを魔王にする。彼女は有言実行しているのだ。
「で、何かあった?」
「アスナに聞かせるほど大きなことじゃないし、もう解決した話だ。ただ、まぁなんだ。色々と力不足だって思うことがあったんだよ」
  聞きだそうとしても話さないだろう。アスナは立ち上がると部屋の隅にある棚から酒瓶を一つ取り出した。蒸留酒だ。寝かせる樽によって香りも違ってくる。
  今、手にした蒸留酒は焦がした樽の香りが良くするものだ。
  アスナの好みは果実の香りがするものだが、こういう時には手の中にある瓶の方が合う。
  ……気がする。
  グラスを手に席に戻る。ヴァイアスの前に置くと注いでやる。自分のグラスにも注ぐ。
  酔えるほどの酒量ではない。雰囲気だ。
  琥珀色の酒を口に含む。強い酒精の、苦みに似た刺激の後に香りが溢れてくる。
「結局、呑むようになったなぁ」
「機会が多いから。何だかんだで飲むようになったんだよ」
  夕食会の乾杯が酒なのだ。果実酒に果汁と水で割った物を飲むようにしている。
  部屋で飲む分も少量だ。むしろ彼の女たちの方がよほど呑む。
「パイプもやり始めたって?」
「うちの大臣は青少年を悪の道に引き摺り込むんだ。窓際族が復権を求めて工作活動を始めたのだ。王様はそれに必死の抵抗を試みています」
「窓際族? なんだそれ」
  怪訝な顔をするヴァイアスにアスナは笑った。
「煙草の煙で部屋を真っ白にする悪い大人を窓際に追いやったんだよ。で、復権の足掛かりにハッカパイプを勧められたんだ」
  パイプに薄荷の結晶を入れて吸う。清涼感があって悪くはない。
  タバコの害もなく気分転換になる。悪くはない印象だった。
  それでも喫煙者たちを窓際から解放するつもりはない。
「あんまり悪の道に引き摺りこまれすぎるなよ」
「そういうヴァイアスはどうなんだよ。デュランさん辺りカッコイイ大人の遊びとか教えてくれそうじゃない」
「うちは品行方正だからな。まだ宴席と戦場以外での飲酒は禁止されてるんだよ」
「それは?」
  アスナが出したグラスはすでに乾されている。
「主から勧められた杯を断る訳にはいかないだろ」
  わざとらしく肩をすくめて、テーブルにおいた瓶を彼の方に押し出した。
  日々苦労をかけている感謝だ。王様が嗜むものだけあって高価な物だ。
  不意に激しくドアを叩く音がした。返事を待たずにアリオンが飛び込んできた。
  緊急事態だ。二人は同時に立ち上がった。
「お休みのところ申し訳ありません。すぐに執務室までお出で下さい。団長も!」
「何があった?」
  尋ねる頃には部屋の外に向けて足を向けている。
「軍務大臣が至急に、とのことです」
  良くないことが起きた。それだけは間違いない。

 執務室には呼び出した軍務大臣だけではなく宰相シエンや参謀総長グリーシア。それにラインボーグ、ボルティス。エルトナージュまでいる。
  他にも資料を抱えた沢山の官僚たちもいる。
  直接政務に関わることから遠ざかっていたエルトナージュまで呼び出されている。
  危機の程度は予想よりも遙かに酷いのかもしれない。
  ……北方総軍が大打撃を受けたぐらいのことは覚悟しないといけないかも。
「何があった?」
  飛び込むように執務室に入ったアスナは全員からの礼を受けつつ、開口一番尋ねた。
「ムシュウの第二魔軍から連絡です。城殻竜が境界線を越えて北上中。正確な被害は不明ですが、ラメル占領中のラディウス軍に損害を与えていったとのことです」
「城殻竜って?」
  自分の椅子に腰を落ち着けて軍務大臣に顔を向けた。
「巨大な二本の足と長大な首を持ち、後ろ半分は山のような殻を背負っています。その殻の下には無数の蟹のような殻に覆われた脚を持つ幻想種です」
  前半分はブラキオサウルス、後ろ半分はヤドカリを想像した。
  幻想種とは魔獣の上位に位置する存在であり、駄竜を倒せる程度の力では打倒できないだけの強さを有している。とはいえ、全ての幻想種が脅威なのではない。
  ただそこに存在しているというだけの種も多くいる。
「この城殻竜の厄介な点は鬼攻族と共生関係にあるところです。彼らはある程度、城殻竜の行き先を誘導でき、背負う殻の中に住居を構えています。彼らはヴィドゼガ騎士団を自称する国家に準ずる存在です。同盟を結び、その謝礼金で不足する物資を賄っています」
「つまり、傭兵か」
「彼らはそう呼ばれることを嫌っているようです。活動領域は大陸南部一帯。ここ数百年、北上することがありませんでした」
  アスナはシエンに顔を向けた。
「その辺りで何かが起きたって話は?」
「外務卿に再確認をさせています。今のところ大きな変化は起きていないようです。ヴィドゼガ騎士団がいなくなった影響がこれから出てくるのではないかという推測だけは立っています」
  と、シエンは確認中であると報告した。
  騎士団一つがいなくなっただけで外交関係に異変が生じるほどの存在。
  大陸南部諸国にとって絶対に考慮せねばならない要素ということなのだろう。
「ラディウスが進軍してくる可能性はあるかね?」
  と、ラインボーグが尋ねた。渋い顔だ。
「ヴィドゼガ騎士団の北上がラディウスの策謀でないのなら、今日明日にも進軍開始することはないと思われます。第二魔軍の偵察によると随分と混乱をしているようです」
「だが、現場と宮廷で見ているものが違う、というのはどこにでもある」
「仰るとおりです」
「なんであれ、アスナ殿の名でラディウス側に衛生兵を送ってはどうだね? 受け入れるなら敵情を知ることが出来るし、断られても騎士団の件が我が国とは関係ないと知らせることは出来る」
  ボルティスの提案にアスナは黙って頷いて、軍務大臣を見た。
「宰相、軍務大臣?」
「良い案だと思います。軍務大臣、そのように」
「はっ。すぐに命令書を作成します。ボルティス大公、出来次第、通信をお願いします」
「うむ」
  機族は同族間で遠距離通話が可能だ。
  ラインボルトが特別な理由を除いて領主を必要としない理由はこれであった。
  中央と地方の意思疎通が容易だから広大な国土を治めることが出来る。
「で、政府はこれにどう対処するつもり?」
「予想進撃路上の住民の避難を優先させています。それと同時にヴィドゼガ騎士団との接触を図っています。まずはどういう意図なのか知らねば」
「略奪目的の可能性は?」
  集落を壊されることもそうだが、略奪されればラインボルトの武威に傷がつく。
  それはつまり、周辺諸国に対する睨みを利かせられなくなるということだ。
  ロゼフとの和平仲介の可能性を示したサベージに足元を見られる。
「過去の事例から鑑みれば可能性は非常に低いと思われます」
  軍務大臣が答えた。彼の背後では官僚たちが命令書の作成や資料の確認を行っている。
「彼らにも矜持があるようで交戦相手でなければ、略奪をしないようです。物資の調達は基本的に購入で行っています。ですが、今回ムシュウを素通りしたので彼らが内を考えているのか分かりません。なお、ラディウスへの対応を優先させて、第二魔軍には手控えするように命じています」
「ファーゾルトさんは……まだ到着してるはずがないか」
「はい」
  ラディウス側と話をするにも正式な将軍か、そうでないかで相手の態度が変わることもある。状況は芳しくない。
  背もたれに身体を預け天井を見上げる。
  ……まるで怪獣映画だ。
  そんなことを思いつつ、映画ではどう対応していか思い出す。
  大きな被害を受けて何とか追い返すか、正義のヒーローが現れて倒してしまうかのどちらかだ。国がどう対処したかなんて描写は殆どなかった気がする。
  怪獣映画の主役はやはり、街を破壊して闊歩する怪獣なのだ。
「戦うと決まった場合、戦場を選んでそこに誘導する。直接の迎撃は近衛騎団と第三魔軍でやる。エルトナージュも連れて行く」
  大きくエルトナージュが頷く。
「総指揮というか看板役としてオレも出る」
「危険です。殿下はエグゼリスから国全体の指揮をお取り下さい」
  宰相が止めるが敢えて無視をする。
「城殻竜のことを知ってる人はどれぐらいいる? 一般には知られてる?」
「外交、軍関係者、あとは南方と取引をしている貿易商ぐらいでしょうか」
  と、シエンは質問に答えた。
「人の口に戸は立てられない」
  ……さっきも同じような話をしたなぁ。
  と、思いつつも言葉を重ねる。
「どこかで漏れるし、現物が超巨大だったら漏れるもなにもない。オレたちが考えてるよりもずっと早く噂が広まって、関係ない土地でも混乱が起きるかもしれない。オレが脅えて何処かに隠れたなんて噂が出たら、それこそ収拾がつかなくなる。だから、それに対抗できる話が必要だと思う」
  しかし、これはアスナの思い過ごしであった。
  殆どのラインボルト国民はアスナに対して何らかの不満を持っているが、次の魔王だと認めている。近衛騎団と第三魔軍が出陣をしたと聞けば、関係ない地方に住んでいる者たちはあっさりと不安を払拭して、英雄譚を期待しただろう。
  実際に脅威に晒される地域の住民は避難で忙しくて、アスナへの不満を抱く暇がない。
「オレっていう看板とヴァイアスとエル。近衛騎団と第三魔軍。これだけあれば不安を抑え込めるはずだ。折角だからファーゾルトさんにも合流してもらって事実上の指揮官をやって貰おうか」
「……ならば、第六○三独立強襲戦隊もお加え下さい」
  軍務大臣がそう提案をした。参謀総長は何か言いたげだが沈黙を守った。
「空を飛べる種族だけで編成された部隊なんだっけ。指揮官が竜族の」
  ホワイティア率いるワルタ方面軍が解散した後、彼らは新たな任務を与えられることなく、駐屯地への帰還を命じられていたのだ。
「はい。ヴィゾルフ戦隊長です。戦隊は現在、休暇を賜っております。緊急時ですのでご命令いただければ召集をかけられます」
「そうか。……参謀総長、何か言いたそうにしてたけど何かある?」
「まだ出来て新しい兵科ですので、このような急場で用いるのは難しいのではないかと」
「空からの攻撃は有効だ。それはリーズやサベージが証明している。それに手数が多いに越したことはない」
「心配ならば私が供をしよう。それならば良かろう?」
  と、ラインボーグが口を挟んだ。
「ふむ。ならば儂も同行しよう。アスナ殿が出征するのならエグゼリスとの連絡はしっかりしたものにせねばならんじゃろう」
「出ると決まったらもよろしくお願いします」
  お任せあれ、と二人の大公は請け負った。
「参謀総長?」
「承知いたしました。ご命令いただければすぐに戦場の選定作業と誘導計画の策定を開始いたします」
「宰相?」
「両大公が同道されるのであれば否とはいえません。此度の出征はワルタへのご視察の予行演習も兼ねさせていただきます。宜しいでしょうか」
「任せる。他にも何かあるか?」
「では、ディティン公はどうされますか。お知らせするのは当然として、観戦武官の受け入れ交渉は継続中です。ご出陣までに交渉が纏まるとは断言できません」
  アストリアなら同行したいと言い出すかもしれない。
  だが、彼を待って時間を浪費する訳にはいかない。
  観戦武官の件は慣例に則り、受け入れる方向で話が進んでいる。時間がかかっている理由はアストリアの安全確保について責任の所在をどこにするかで揉めているからだ。
  ただの観戦武官ならばシエンもアスナの判断を求めなかっただろう。将来、義兄になるかもしれない相手だから、隣国の若君だからこそ尋ねたのだ。
「宰相に任せる。交渉が纏まって観戦に行きたいって言ったら、その時の状況を見てシエンが判断してくれ」
  これも密に連絡を取り合える利点だった。
「承知いたしました」
  よし、とアスナは大きく柏手を打った。
「夜遅い時間だけど、出来ることから初めてくれ。解散!」
  全員が一礼をして動き始めた。
  穏便に済めばよいと思いつつも、相手は先触れもなく現れた武装集団。
  揉め事が起きると考えて行動した方が良い。
  アスナがすべき判断は終わった。あとは臣下たちがそれに基づいて行動する番だ。
  執務机の引き出しからパイプを取り出して薄荷の結晶を詰めると口にくわえた。
  部屋に残ったエルトナージュに顔を向けた。彼女も今すぐやらねばならないことがない。
  明日になれば一緒に武器や鎧の確認。鍛錬と彼女も忙しくなるだろう。
「冬の間はゆっくりできる時間が増えるかなぁって思ってたのにな」
「仕方がありませんよ。世の中、わたしたちの都合良く動いてくれないもの」
「そりゃそうなんだけどさ」
  苦笑いが浮かぶ。折角のほろ酔い気分もすっかり醒めてしまった。
「お姫様、よろしければ一緒にグラスを傾けませんか?」
「はい。喜んでご一緒します」
  スカートの裾を摘み、優雅に一礼をしたのだった。

 

 



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