第六章

第四話 TRICK or TREAT 1

 首都エグゼリスの外れにはオビルティ川という大河が流れている。
  ラインボルトの南北を貫くこの河川は国を潤す水源であり、人や物・情報が行き来する大動脈でもある。
  この大河の源流はラインボルトとサベージ国境をまたぐ場所にあるビューヌ湖とされているが、この湖には幾つもの川が水を注いでいるため、本当の源流がどこなのかは議論の分かれるところである。このオビルティ川が重要であることに代わりはない。
「何度見てもデッカイ川だなぁ。対岸に何があるのかさっぱり分からない」
  右手を庇のようにしてアスナはオビルティ川の向こうを眺めていた。
  朧気に堤防と建物らしきものが見えるのみだ。
  オビルティ川には海軍の施設の他にも民間に開放されている港もある。
  眼下では物資の搬入や兵員が乗り込む姿などが見受けられた。アスナの右手側には軍の工廠が見える。そちらでは今、三隻の河川哨戒艇が入渠しているそうだ。
  河川に潜む水棲魔獣を対峙することも海軍の重要な役目なのだ。
「内乱の時は緊張しすぎてて、風景を眺める余裕なんてなかったもんな」
「そうですねぇ。あの時はエルニスに向かうために使ったんでしたね」
  と、感慨深げにミュリカが応じた。
  エルトナージュとサイナはアスナたちが使う船の検分に出ていた。
  二人がいない間の護衛として彼女が就いていた。
  召喚されて間もない頃を思い出して、アスナは懐かしかった。
「中立宣言していた海軍に渡し船や輸送船を出して貰う交渉をしたりと大変でした」
  海軍は内乱が勃発するとすぐに船舶交通の安全確保を最優先任務とする、という事実上の中立宣言を出していた。オビルティ川やビューヌ湖など広大な流域を管轄する海軍としては陸軍の都合で河川を分断される訳にはいかない。どちらかの味方について、敵対陣営に船舶を破壊されたくないなどの理由から、早々に中立を宣言することになったのだ。
  如何にアスナが魔王の後継者だといっても法律上、軍の指揮権を与えられていない。
  とはいえ、このまま頑固に中立を謳っていても後々、冷や飯食いになりかねない。そこで海軍は対岸への渡し船と輸送船を出すことのみを請けることにしたのだった。
「その大変さを部屋に押し込められてたオレは知らないんだけどね」
  今以上に覚えなければいけないことが多かったため、暢気な船旅とはいかなかったのだ。
「ならば今度はもう少し遊学できるかもしれんの」
  ボルティスとラインボーグだ。今日のボルティスは絵本の魔法使いのような三角帽ではなく、麦わら帽子を被っていた。帽子集めも趣味の一つだと彼は言っていた。
  二人はアスナの出征に合わせて補佐役として同行することになっている。
「道々にある土地のことを語って聞かせよう。実際に見聞きした方がより理解も深まろう」
「うむ。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというが、それはつまり愚者も経験があれば学び取れるということ。アスナ殿はボルティス公と姫の教授を請けて知識は得た。次は実際に経験をして、それを血肉にする頃合いだな」
「出陣なのに気楽にし過ぎるような気がしますけどね」
  と、アスナは苦笑して港の様子を見た。
  幾つもの船舶に兵たちが乗り込んでいる姿が見える。第二魔軍の兵たちだ。
「軍の移動はとかく時間が掛かるものじゃ。王たる者が慌ただしくしては周囲を不安にさせる。休息に立ち寄る港町を慰撫すると思えば良い」
  ボルティスが言うように視察の予定が入っている。これには先鋒を務める部隊が訪れた港町で無体な真似をしないように抑止する意味もあった。
「副王殿下」
  軍装の男が声をかけてきた。第二魔軍将軍代理ガリウスだ。背後には彼の副官が控えている。
「我々もそろそろ出発いたします」
  あまり親しい間柄ではなかったが、リムルを罷免して以来、関係が硬くなってしまっている。
「マーティに着いたら、それ以降はファーゾルト将軍の指揮に従ってくれ」
  マーティとは、ファーゾルトが待機している港町のことだ。そこから陸路で城殻竜の元まで進軍する予定だ。
「オレが合流した後も実際の指揮はファーゾルト将軍に任せるから、そのつもりで準備を進めておいて欲しい」
  そういうとガリウスの眉が少し動いた。
  ……オレが指揮を執ると思ってたのかな。
  と、アスナは心の中で苦笑した。
  内乱終結後、ある種のテングになっていた彼の鼻を近衛騎団が訓練を名目にした図上演習で叩き折っていた。
  ヴァイアス曰く、まずは俺に勝ってからの話だな、と。
  折を見て演習をしているが、最近は餅は餅屋に任せた方が良いと思うようになっていた。
  下手くそな指揮で失われるのは将兵の命だけではない。それに付随して様々なものが消えてしまう。自重して然るべきであった。
「了解しました、殿下」
  敬礼をして踵を返すガリウスと入れ替わりに軍装の青年が駆け込んできた。
  すかさず青年とアスナの間にミュリカが入った。
「失礼します、殿下。参謀本部よりの使いで参りました」
  アスナから数歩の距離を置いて立ち止まった青年は敬礼をし、官姓名を申告した。
  ミュリカはそっと安堵の雰囲気を出してアスナの左斜め後ろに身体を引いた。
「要件はなんだ?」
「こちらを」
  差し出された書状はミュリカを介して受け取る。
  さっと目を通すとアスナはすぐにガリウスを呼び止めた。
「ガリウス将軍代理!」
「はっ。お呼びでしょうか、殿下」
  素早く彼はアスナの前に戻る。その彼に今し方受け取った書状を手渡した。
「……なるほど」
  一読された書状はアスナに返され、今度は二人の大公に回された。
  内容を理解した両大公は唸ることで感想とした。
「今後の我々の行動は如何致しましょう」
「予定通りに。ファーゾルト将軍の元で準備を進めておいて欲しい。あと彼が参謀本部からの増員受け入れの手配をするそうだから同行させてやって」
「了解しました。……出立の準備は出来ているか?」
「はい、閣下。お世話になります」
「よろしい。後のことは副官に任せる。道中何かあれば彼に相談するように」
「はい、ありがたくあります」
  などとやり取りを眺めていて、ふと全く関係のないことが頭に浮かんだ。
「ご老公、八代目。すぐにエグゼリスに戻って準備して欲しいことがあるんだけど、お願いできます?」
「ふむ。何かな?」
  ラインボーグが身をくねらせて尋ねる。
「エグゼリスにいる大臣全員、名家院の議長と派閥の領袖たちに大法院の院長。それと王家の当主全員を集めて下さい。名家院の方の人選はお二人に任せます」
  当主たちは副王就任式の後もエグゼリスに残っていた。彼らはアスナが外征に出ている間、栄転授与や視察などの公務を交代で行って貰うことになっていた。
「刻限の指定はあるかな?」
「王墓に寄ってから戻ろうと思ってます。だから……」
  と、アスナは空を見上げた。この後、昼食を摂ることになっていたからそろそろ正午だ。港から王墓まで二時間ほど馬車に揺られることを考えると……。
「緊急の用でなければ、大まかに今晩としておこうか。王墓に到着したら城に一報を入れてくれればよい」
「良いんですか? そんな大雑把で」
「構わぬよ。集める者たちにも調整する時間が必要じゃし、むしろすぐに集めろと言われる方が大変じゃ。ついでに王墓院にアスナ殿が訪ねると先触れも出しておこう」
「分かりました。それじゃ、そういう手筈でお願いします」
「承った」
「では、老公。私の背に」
「そなたの背に跨るのはどれぐらいぶりになるかな」
  ボルティスは難なくラインボーグの肩の辺りに乗った。
  鞍がなければ跨るのも難しいのに大したものだとアスナは感心した。
「ミュリカ。オレの護衛以外はこのまま予定通り南に。誰を護衛役に残すかはヴァイアスに任せる。護衛役が決まり次第、王墓に行こう」
「分かりました。……それまでの間、アスナ様は」
「部屋で大人しくしています」
  その後、エルトナージュらと予め用意されていた昼食を摂ると急いで馬車に乗り込んだ。
  供回りはサイナ率いる護衛中隊のみだ。ヴァイアスは命じられたとおりに人事の検討に入っている。
  車中で首都エグゼリスに戻ったら、ラインボルトの重鎮を集めた会議を催すと伝えた。
「議題は? 何か事前に打ち合わせしておくことはありますか?」
「相談しておきたいけど、やめとく」
「どうして?」
  馬車にはアスナとエルトナージュのみ。二人の大公を伝令にし、アスナ自らの出陣を延期する事態が起きている。サイナはそれを察して遠慮していた。
「ラインボルトの過去と現在と未来のことだから。話をするのは全員揃ってからの方が公平だと思う。碌でもないことだってのだけは確かだよ」
  対面に座るエルトナージュはひっそりとため息を漏らした。
「覚悟だけは固めておきます。……なら少しの間のんびりとしましょうか」
「ん、そだね」
  とは言ってもこれから重鎮たちに提案せねばならないことは非常に重い。
  きっとアスナが考えるよりもずっと大きいだろう。
  それだけに彼らから受けるだろう反発を覚悟しなければならない。
  ……気が重い。
  そのため、エルトナージュから何度か話題を振られたが上の空で返事をするしかなかった。結局、王墓に到着するまでの間、アスナは黙って外を眺め続けたのだった。

 王墓を出発する頃には夜の帳が降り始め、空には幾つかの星が瞬いている。
  遠くにはまだ陽の名残である紫色が見える。
  アスナはここで歴代魔王の墓に詣で、改めて幻想界に召喚されてから今日までにあった色々なことを彼らに報告をした。エルトナージュらもそれに倣い黙祷を捧げた。
  あることを確認し終えるとアスナはトレハにも馬車に乗って貰い、そのまま王城へと戻った。
  首都の街並みは戦時だが活況に満ちている。
  足早に帰宅する者もあれば、飲み屋に行く者と様々だろう。
  戦時であっても普段と変わりなく過ごす。それは強さなのか、慣れてしまっただけなのかアスナには分からない。ただ、騒ぎを起こさないでいてくれるだけでありがたい。
「無事に帰られたか。トレハ殿下もご機嫌麗しく」
  と、出迎えたラインボーグは恭しくトレハに会釈をした。同じように大公の背後に控える内大臣オリザエールと執事長ストラトが一礼をする。
「龍大公もご機嫌麗しく。今日はエグゼリスを飛び回られていたと王墓にまで噂が届いていましたよ」
「うむ。先触れなく要人の元に訪れるという面白い体験をさせていただいた。ふふふっ。普段、しかめ面ばかりを見せるから驚いた顔が殊更、滑稽に見えたわ」
「子どものようなことを仰って。何方かの耳に達せば小じわを増やさせてしまいますわよ」
「それは困る。もし小じわを増やされたら、思わず思い出し笑いをしてしまいますぞ」
「あらあら。さて、アスナ様。会議はすぐに始めますか? 出来ることなら三十分ほど身支度を調える時間を頂きたいのですが」
  ……身支度に三十分、挨拶回りなどで三十分ってとこかな。
  このまま会議室に直行してもまだ誰もいない。副王たるアスナが先に会議室にいては予定時間前に到着していても遅刻と見なされる。時間調整が必要だ。
「八代目。もう出席者は全員揃ってます?」
「うむ。全員、控え室で待機しておる」
「分かりました。それじゃ、一時間後に始めます」
  斜め後ろにいるエルトナージュに振り返り、
「エルも身支度を調えてきな。オレも簡単に汗を流しておくから」
「分かりました」
「内府、ストラトさん。そういうことで宜しく」
「承知いたしました」
  何もしない一時間は長く感じるが、何かしら作業をしていると不足気味となる。
  風呂で汗を流して服を整え、お茶を一杯飲み終わる頃には会議室に向かわねばならない時間となっていた。もう少し時間をおいた方が良かったかも、と思ったが、待機し続ける人には苦痛だろうと自省した。
  程なくしてアスナは部屋まで迎えに来た二人の大公とともに王城内のとある会議室へと向かったのだった。

 会議室は重苦しい沈黙が支配していた。
  立法・行政・司法の三権を司る者たち、権威を象徴する王族各家の当主たち、そして、国の成り立ちから支え続ける二人の大公が一同に揃えて内々に行わねばならない議案などそうあることではない。
  皆が視線を巡らせて何のために自分たちは集められたのか探っているが、誰も予測すら付かない様子であった。
  伝令を務めた大公がこの場にいない以上、彼らの視線は自然と事実上の王妃であるエルトナージュに集まる。
「ラインボルトの過去と現在と未来に関わること。碌でもないことだそうです」
「具体的には?」
  老境の議員が嗄れた声で訪ねてきた。彼はすでに議会の役職からも派閥からも離れているが経験豊かであることからこの場に呼ばれたのだろう。
「不公平になるから、と話しては貰えませんでした。私も一応、この場に席を与えられていますから」
  幾人かが唸り声を上げ、更に空気は重くなった。
  戦争よりも悪い何かが起きている。もしくは何かをしようとしている。
  ロゼフとの開戦に際してアスナはこの場に集められた者たちと相談をせず、交渉決裂の一報を聞くと同時に決断を下している。
  もちろん、事前に最悪の事態に備えて根回しは行われていた。しかし、そういった水面下でのやりとりに王族が関わることはない。
  権威と権限。
  それらの担い手を一つに集めねばならない事態に彼らは一様に気を重くした。
「トレハ殿下、エグゼリスに戻られる前に王城に立ち寄ったと伺ったが?」
  王家の当主が尋ねる。
「えぇ。墓所に長い時間、黙祷を捧げた後、継承の羅針盤に一礼なさいました」
  と、トレハは王墓院院長として見たままを皆に話した。一同を見回すと、
「それだけですよ」
  再び唸り声が会議室に低く木霊するように生じた。
  大事の前に祖先の墓を詣でることは何らおかしなことではない。むしろ、現生界出身の少年がラインボルトに馴染もうと、ラインボルト王家の一員であろうと努力している姿が見られて安心できる出来事だ。
  それだけに彼らは恐ろしかった。
  これまで坂上アスナは起きた状況に対処することばかりを進めてきた。内政、外交ともにすでに起きていることへの対処が殆どなのだ。
  誰知らずに自然と空席となった上座の椅子に視線が集まった。
  自分たちに何をさせるつもりだ、と。
  その疑問に応じるかのように扉が開いた。
  二人の大公の先導を受けて、副王坂上アスナが入室をしたのだ。
  全員が立ち上がり、頭を垂れて迎える。
  アスナは一つ頷くと自らの席に腰を落ち着けた。
「皆、席について欲しい」
  この言葉に従って全ての参加者が椅子に座った。
「急な招集に応じてくれてありがとう。ご老公と八代目も伝令を務めてくれてありがとうございます」
「なんの。王のため犬馬の労を取ることも大公のお役目のうち。気になされるな」
  ラインボーグの言葉にボルティスも頷いた。
「さて、早速ではあるんだけど、もう耳にしている人もいるだろうけど、ラディウスが動きました。ヴィドゼガ騎士団の動きはラインボルトの差し金だから、その復讐をするんだっていうのが開戦の理由のようです。兵員や物資の動き。領主たちの様子から軍は十数万人規模になる推測しています。だけど、ラインボルト軍は殆どをロゼフ側に向けていてラメルで対処できる状況ではあません。軍では一時的に南部を放棄せざるを得ないと判断しています」
  三度、会議室で唸り声が上がった。
  議員は各地方から選出される。それぞれの地元に戦火が襲いかかろうとしているのだ。また南部に領地を持つ王家もある。後で奪還するからといって簡単に頷けることではない。
  なるほど事前に話を通しておかなければならない案件だ、と誰もが納得した。
  が、話はそれで終わらない。
「そこでオレはラディウスの進軍を止めるためにある提案をしようと思います」
  アスナは一度、議場にいる者全員の顔を見回した。
「ラディウス家当主及び、当主がラディウス家の継承権を持つと認める者に対して魔王の力を継承する儀式を受ける優先権を認める」
「それはつまり……」
  初老の議員が勢いよく立ち上がった。名家院議員の中では彼は若い方になるだろう。
  すぐに同僚議員たちから座りなさいと窘められる。
「大法院院長。ラインボルトの裁判所はラディウス家の領地にありますか?」
「ございません」
「名家院議長。議会にはラディウス家の領地から選出された議員はいますか? 議会はラディウス家の領地にも効力を持つことを考えて法律を作ってます?」
「議員はおらず、また法もラディウス家の領地を考慮して立法しておりません」
  アスナは頷いた。
「宰相。政府の指導、命令にラディウス家は従っている? ラディウスとの戦争はどういう扱いになってる?」
「従っておりません。争うに関しては王家間での内紛ということになっております」
「内府。ラディウス家はラインボルト王家?」
「はい。王籍にある通りラディウス家はラインボルト王家の一つにございます」
「うん。オレが習った通りの答えだ」
  と、アスナはもう一度頷いた。
「要約すると、ラインボルトとラディウス家との繋がりは王家だけになります」
  それは誰もが知っていることだ。それと先ほどアスナが話した提案とが繋がらない。
「実は前からラメルから撤退させる対価に独立を認めるか検討をさせていました。ラディウスが交渉の席に着けば場合によってはと思っていたんですが。外務卿?」
「粘り強く働きかけてきたのですが、今現在も相手は交渉の席に座ってくれません」
「もし、今すぐラディウスに独立を認めるって伝えたらどう? 進軍は止まる?」
  私見ではありますが、と前置きをして外務大臣は応えた。彼女の額にうっすらと血管が浮かんでいた。
「侮辱されたと火に油を注ぐだけになると思われます。それに、その……」
  外務大臣が何を言いたいのかアスナはすぐに察した。彼女の代わりに口にした。
「ラディウス家は拡大王の後に続く王家を認めていない」
「……はい。現状では苦し紛れに言い出したとしか思われないでしょう」
「だから、もっと踏み込んでみようと考えました」
  アスナは顔を上げて遠くに視線を飛ばした。
「魔王の正統性ってなんだろうって考えました。現生界の人間がいきなり殿下って呼ばれる理由はなんだろうって。考えるまでもなく、魔王の力を受け継ぐことが出来るから、ですよね。拡大王の後を継ぐオレたちを偽物だというのならラディウス家には正統性を示して貰えばいい」
  現存するラインボルト王家の半数が拡大王以降に誕生した家だ。
「仮に副王殿下の案を実行するとしてラディウス家は乗ってくるでしょうか」
「なら条件を付け足しましょうか。この申し出を断るなら、ラディウス家は魔王の力を相続する意思を放棄したとみなす。それからの武力の行使は反乱と判断してラディウス家をラインボルト王家から追放します」
「だが、採用してラディウス家が受けた場合、あの一族は滅ぶ」
  資格のない者が魔王の力を受け継ごうと儀式に臨めば、力は拒絶をして、その者を殺してしまう。過去にそうする者が何人もいたのだ。
  成り上がろうとする平民から、ラディウス家同様に自らが後を継ぐと強引に儀式に臨み、『病死』として処理された王族もいる。
  どの例も失敗に終わっており、資格のない者が挑むのは自殺と同義だった。
「どうするかはラディウス次第です。オレたちは出来るだけ長い間、向こうが混乱してくれればそれで良いんです」
「副王殿下」
  会議の場だからか、トレハは名ではなく尊称でアスナに質問した。
「この策は有効、なのかもしれません。だけど、これは貴方らしくないと思います。……なぜです? どうして相手の誇りを踏みにじるようなやり方を? 就任式で見せてくれた配慮はどこに行ったのです」
  古い王家にはラディウス家に対して穏健に接しようとする傾向がある。
  彼らにとってラインボルトの歴史は自らの歴史に他ならないからだ。連綿と続く歴史の一端を担い、名を残した家、その末裔を滅ぼす所行には強い困惑を感じるのだ。
  外国で活躍する遠い親戚。それに近しい気持ちがあるのだろう。
  彼らは言葉にしないがラディウス家にある種の羨望を抱いてもいた。
  名と権威を有していても権力からはある程度遠ざけられるラインボルト王族にとって、君主として振る舞い、魔王にならんと挑戦をし続ける姿に……。
  だから、味方が甘くなる。現実から若干、遊離した立場故のことだった。
「トレハさん。顔も知らない相手に配慮できるほど大人じゃないです。そんなオレができる最大の配慮が、この会議室です。オレには一年未満の過去と現在と未来があるだけです。そんなオレが一人で歴史ある王家をどうこうするのは傲慢かもしれません。だから、話し合って下さい。今の状況でラディウスとどう向き合っていくのか」
  それに、とアスナは続けた。
「内乱はもうこりごりです」
「ですが、ラディウス家を取り除くとあの地は乱れますぞ」
  予想される事態だ。ラディウスは領主たちを統制する手段の一つとして、意図的に対立を煽り、激化せぬように仲介する。そうすることで貴族勢力の結束を邪魔しているのだ。
  過去の遺恨と現在の対立を抱える貴族たちが仲介者たるラディウス家を失えば、対立が激化して武力衝突する可能性は十分にある。
「そこは領主たちがどうにかすることだと思います」
  と、あっさりと切り捨てた。
「ラインボルト繋がりがあるのはラディウス家です。他の領主に王家は爵位を与えていない。そうだよね、内府」
「はい、殿下。仰るとおりです。彼らが有する爵位はラディウス家が与えた物。我が国としましては、あくまでラディウス家に配慮してのことです」
  他国の貴族であれば話は別だが、自分たちがラインボルトだと名乗っているからこういったややこしいことになっているのだ。
「混乱を纏め上げ王が何人か現れても良いし、ラインボルトに服従するも良しです。そこは彼らの責任です」
「副王殿下の仰ることは分かる。だが、そのために王の力をこのように使うのは不敬ではなかろうか?」
「そうでしょうか。会議の前に王墓に向かって確認をしてきました。変わらず羅針盤はオレを示していましたよ。次の魔王失格ならオレを指さなかったはずです」
「王墓に詣でた理由はそれであったか……」
  そこで宰相シエンが挙手をした。
「副王殿下のお考えは分かりました。ですが、そこにアルニス殿下のことは考慮にいれておられますか。恐れながら副王殿下はアルニス殿下から継承の優先権を譲られた結果、今のお立場を確固たるものにしました。その副王殿下がラディウス家に優先権を譲るというのは些か……」
  アルニス・サンフェノン。竜族出身のもう一人の後継者だ。
「分かるけどね。あの人は竜王から貰った爵位を返してない。あの人の意見を聞くのが筋なんだろうけど、それを切欠にリーズが何かにつけて口を挟んでくるかもしれない。副王就任式でも見たろ。あんな感じでやられても困る。だから、シエンが宰相と名代。二つの立場で話をして欲しい」
「また、難しいことを仰いますね。……承知いたしました。では、まずは名代の立場から申し上げれば王位継承順位を弄ぶようなやり方は不愉快です。その点を心に留めておいて下さい」
  一呼吸分の間を置いてシエンは話を続ける。
「行政府を代表する立場から現状の捕捉を申し上げれば好ましからざる事態だと考えております。軍による実力行使をラメルのみに止めるのも難しくあります。軍は、ロゼフからの全面撤退にも時間が掛かる上に逆襲を受ける可能性が非常に高いと見ています」
  彼は右隣に座る財務大臣に頷きかけた。
「財務から申し上げますれば、小競り合い程度ならまだしも全面的な争いとなった場合、国の財政は耐えられなくなります。軍資金のみならず、南部一帯を一時的にでも放棄する影響は計りしれません。ラディウス家の軍勢を押し返したとしても復興できるかさえ目処が立ちません」
「そうは言うが財務卿。先の内乱では南部を一時放棄したようなものだったろう」
「はい、殿下。その復興のために多額の特別予算を付けています。言い方はおかしいかもしれませんが、革命軍は非常に行儀が良かった。ですが、ラディウス家の手勢が他国に攻め入った際の振る舞いから考えると……」
  ラディウスでは、乱暴狼藉は下級の将校や兵らの恩賞代わりとなっているのだ。
  これは幻想界全体を見回してもさほど珍しくも何ともない。
  現在のラインボルトは台風で床下浸水をした家をへそくり使って修繕したり、日々の生活に使っている状況だ。再び大型台風に襲われてしまったら、修繕も何も出来なくなり、安心して家に住めなくなってしまう。
  先日の就任式は修繕工事が終わったお祝いのようなものだ。
「なにより各地の役所にある勢に関わる資料なども回収しておかねば、土地を奪還したとしてもその後の徴税で混乱を来すなどが予想されます」
「外務からも宜しいでしょうか。これまでの戦勝と就任式での副王殿下のお振る舞いのお陰もありまして、多くの交渉が比較的優位に進められています。ここで南部を放棄すれば、この優位が失われ、むしろ逆境に立たされてしまいます。例えばエイリアなどが呼応して侵攻してくるかもしれません。再びの襲来にも何も出来ずでは他国に援軍を求めることも難しくなります」
「では、内務からも。南部の一時放棄は中部以北の地域に多大な悪影響を及ぼします。犯罪や暴動の増加、疫病の蔓延など碌な事が起きないとは予想されます」
  内務大臣は多くは語らなかったが彼の落ちくぼんだ目からどのような状況が起きるのか想像させるに十分であった。
「軍務の概要に関しては先ほど副王殿下がお話になられた通りです。捕捉を致しますと南部の一時放棄策は兵員、物資の輸送、地帯戦闘に勝利するなどの諸要素全てが我が軍に都合良く運んだ場合であることをお含み置きください」
  あり得ないことだということはこの場にいる者たちならば全員が理解している。
  世の中、自分の都合だけでは動かない。ラディウス勢しかり、避難民対処然りだ。
「城殻竜対策として第二魔軍、近衛騎団などが南部に進軍を開始しておりますが、これはまだ始まったばかり。当面は第二魔軍がムシュウからラディウス軍の先鋒に睨みを利かせている間に南部各地の部隊に召集をかける手筈となっています」
「それだけの準備が整っているのであれば南部を放棄せずに済むのではないか?」
  王族の一人が尋ねた。白髪交じりの眉根が寄る。
「ファルザス・バルディアが総司令官に任じられたとの噂です。ラディウス家より大将軍位を与えられており、ゲームニス殿に劣らぬ人物と軍では評価しております。そのバルディア将軍が総指揮をすることから推測して、確認された五個軍十万の兵も先鋒にすぎないのではないかと」
  医者や入院患者、服役中の囚人の扱いをどうするのかなど諸大臣は課題を次々に口にした。
「はい。一度、そこまで。大法院の院長は何かある?」
  パンッとアスナが大きく柏手を打った。
「出来ますれば裁判所の職員や裁判記録などの持ち出しを行政府には手伝って頂きたいと思っています。とにもかくにも人手が足りません」
「名家院の議長は?」
「何はともあれ政府から関連する法案を早急に出して貰い、審議を始めねばなりません」
  派閥の領袖たちの表情からは不満の色が見て取れる。
  なぜロゼフと開戦したのだ、元を正せば内乱が起きたことが問題なのだなどなど。
  それを口にしたくとも彼らは口を噤む他ない。
  彼らの中にはエルトナージュ政権の折、自分の牽制を多くしようと動き回り、アスナが戦争回避のために土下座のような条件を提示した際には公然と弱腰だと批判をした。
  ここで何らかの批判を口にすれば文字通り自分に戻ってくるから黙っている他ない。
「ご老公と八代目からは何かある?」
「あるにはあるが、この場で話し合わねばならぬことはラディウス家の処遇をどうするかであろう」
  と、ラインボーグは曲がりくねろうとした話の流れを本筋に戻した。
「過去の戦ではほぼラメル、ムシュウで抑え込めていたから放置していたが、ここまで害悪が及ぶとなれば、ただ防ぐというだけでは収まるまい」
「その辺りも含めて話し合わねばな。ラディウス家は紆余曲折あるがラインボルト王家の一つじゃ。歴史の生き証人を軽々に扱う訳にもいかぬ。それにかの家はラディウス家の祖と拡大王の遺骸と建国の宝剣を持ち出しておる。宝剣だけは取り戻さねばならぬ」
  第五十一代魔王ルーディスが崩御した後、次代の王が不拡大方針を打ち立てた。それに異を唱えたナイエ・ラディウスは拡大戦争を継続すべく飛び出した際にこの三つを奪取していったのだ。
  ラディウス家が王族である証として開祖の遺骸を。
  ルーディスの意を受け継ぐとの証として拡大王の遺骸を。
  そして、ラインボルトの武威を象徴する宝剣を掌中にすることで自身こそが正統なるラインボルトの後継であると示したのだ。
  その辺りのことはアスナも歴史の講義で聴いている。
  ラディウス家と義絶できない理由の一つになっている。
「アスナ殿。仮にそなたの提案が実行されるとしたら、アスナ殿は謀略を用いて王家を滅ぼしたと誹られるぞ?」
「謀多きは勝ち、少なきは負ける。何の台詞だったか忘れたけれど、そういうことなんだと思います」
  陰口を言われない人生を歩みたい、とアスナだって人並みに思っている。
  それでも言われてしまうのが人生だ。すでに目の前の議員たちから陰口を言われているし、リムルの件で謀略も受けている。
  されるのは良いが、してはいけないという道理はない。
「相手が武力で正統性を訴えたから、こっちもそれに応えただけです。それに謀略一つ思いつかない王様よりも外国に侮られない分、マシですよ」
  さて、と両手を卓に突いて立ち上がった。
「一通りそれぞれの立場からの意見は出たから今日はこれで解散しましょう。今すぐ決める必要もないし、それぞれ意見交換も必要だと思います。オレはこのまま予定通り出陣します。この話し合いの議長役は内府に任せる」
  内大臣職にある彼は意見を述べる立場にはないため、丁度良いとアスナは判断したのだ。
「承知いたしました」
  一つ頷くとアスナは左右の大公とエルトナージュを見た。
「大公とエルは……」
「私も出陣します。どうなるにせよ兵力は多いに越したことはありません」
「話し合いについてはどうする?」
「それなら儂も予定通り同行しよう。そうすれば通信で姫の意見を伝えることが出来る」
「であれば、私も予定通りにしよう。急ぎアスナ殿にエグゼリスへと戻っていただかねばならぬことが起きた時、私に乗っていけば随分と時間を短く済む」
  決まりだ。
「分かりました。それじゃ、三人には予定通りに」
  そうしてアスナは集まった者たちを見回した。
「あまり時間は長くないけれど、良く話し合って意見を纏めて下さい。ラインボルトの過去と現在を知っている皆さんに任せます。オレは次の魔王として最大限に尊重します」
  そうしてアスナは小さく会釈をした。
  部屋を辞した彼は廊下を進みながら、考えていたことの半分はすでに達成できた感触を得た。
  ……これで暫くの間は一致団結して対処できる。
  ラインボルトの権力者たちに全ての王族の前で協力するように仕向け、ある種の当事者意識を植え付けたのだ。。
  ラディウスの侵攻への対処法ももちろん本気だがこちらは従にすぎない。
  もしアスナの提案が退けられても、いや退けたからこそ団結の度合いは強まるはずだ。
  どちらに転んだとしても、あの会議を設けたことでラインボルトは良い方に進む。
  アスナから見れば、こちらの方こそが謀略なのだ。

 



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